Coolier - 新生・東方創想話

狼の仔

2009/05/17 22:35:24
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 過ごしやすい時季が過ぎ、気怠く温い血溜まりの中に居る様な空気が、徐々に部屋を満たし始める。僅かなそよ風と、燃料の臭いを運ぶ外の道具を使って、本を読み耽る。
 最近、幻想郷に紙が多く入ってくる様になっていたが、それに付随して本もまた多く入る様になった。
 この本も、その一冊である。内容は、何故人間が二本脚で立つ事になったかという経緯の詳細……推察じみたものだった。
 一通り読み終えてから、溜息混じりに本を閉じる。非常に馬鹿馬鹿しい。人間が二本脚で立つようになった理由(わけ)など疾の昔に解りきっている。
 多くの動物は四本脚で歩く、が、時と状況によってはそれを変化させる動物が居る。例えば熊。例えば猿。彼等は身の危険を感じた時に、二本脚で立ち上がる。それは相手より視線を高く見せ、より自分の方が巨大で、有利であると証明するための行為である。つまりは威嚇なのだ。
 人間は知恵がつくと同時に、その有効と利用にすぐ気がついた。毛もなく牙もなく爪もない貧弱な生物である彼等は、普段から他の動物を威嚇し、ハッタリで生き残る事を選択した。高いところにある食べ物を取る為だとか、普段海で暮らしていただとかは非常に馬鹿らしい誤魔化しの考え方である。そんなもので真理を見極めようとする僕を騙せるとは思わないで欲しい……と何処かの筆者に向けて挑戦的な言を述べる。
 対して、反証があった。外の世界にはもっと視線が高く大きい動物もいるのだから、人間がその様に進化、もとい造った道具でどうにかしなかったのは何故なのだ、と説明を求める声が聞こえる気がする。
 それに対して僕は述べる。相手を威嚇する為には、相手に視線を合わせられる高さでないと意味がない。それがあまりにも高く、あまりにも巨大だとそれを敵とすら認識する事が出来ない。空や山を敵と認識できる者がいないように、自分からかけ離れた存在はただ遠くの風景のように視界と意識を散漫とさせるだけの存在(もの)だ。それでは駄目だ。一つの世界で王とは成り得ない。動物の世界の覇者たろうとした人間達は、他の動物にとって最も恐れ多い視線の高さを選択した。おかげで大抵の動物を上から睥睨する事が出来、その異様をもって人間は世界を征服していく事になる。よく言われる傲慢と嘘と恐怖で他を支配していく人間の悲劇の歴史。なぜ、こんな事になってしまったのか? それは仕方ないものだ。だって、それは根本的な進化のである二本脚で立ち上がること。それこそが過ちの始まりだったのだから──!
 ────ラン、カラン
 店の入り口の音で、はっ、と意識が覚める。いつの間にか拳を握って椅子から立ち上がっていた僕を、一人の客がじぃ、と見つめていた事に対して、咳払い一つで誤魔化すことにした。
「いらっしゃい──おや、君か」
 ようやく意識を向けた客は、かなり珍しい客であった。ただ、元々ちゃんとした買い物に来る客などほとんどいないので常連の部類に入ると言えなくもない。
 未だにこっそりこちらを伺うように、扉の影から覗いているその小さな体を、こちらに入れるようにと手招きをする。瞳が二三度跳ねて、それからようやく店内にするりと闖入……いや、ちゃんと招いた客だから招待された客とでも言うのだろうか。最近、どうにも客というもの全てが迷惑という大荷物を背負ってコソ泥のようにやってくるものだと思い込んできた節がある。商売を行う身としてはこの考えではいけない。注意喚起しなくては。
 くい、と袖をひっぱられて自戒の意識から覚めた。
「──ああ、すまない。確か薬だったね。用意はしてある」
 子栗鼠の様にしきりに頷く少女を尻目に、僕は奥の戸棚に向かう。確か冬の間に用意していたものがまだ残っていた筈。後ろから睨むような催促するような視線を感じながら、奥に蔵(しま)ってあった薬箱を丸ごと取り出した。
「はい。これでしばらくは保つだろう」
 運びやすいように風呂敷に包んでやり、少女の首に巻いてやる。一見すると小姓のお使いか、それこそ泥棒か見分けがつかない様相になったが……と思った同時に、柄にもない考えが頭に浮かんだ。
「そうだった。そういえば、あれも渡しておこう」
「?」
 首をかしげる少女を余所に、僕は今度は居間の方に向かった。そこにある戸棚には私用の服と、商売関連の服が一緒に収められている。しばらく首を捻りながら、そこから一着取り出し、客の元に戻ってそれを手渡す。
「これも持って行きなさい。今度から、こちらに来るときはこれを着てくるといい。目立たなくて済む」
「…………」
 胸に抱えたそれをじっと見つめている小さな客。魔理沙や霊夢と背丈はそう変わらないから、渡した服がまったく合わないという事もないだろう。こくり、と一つ頷いたのを確認して、服も風呂敷包みの中に入れてやる。流石にここで着替えさせるような真似はしたくない。いつ迷い込むとも知れない乱入者が頭に浮かんだ。
 ────カランカラン
 音がして、珍客が去っていく。それとすれ違うように、
「おぉーす。香霖。邪魔しに来てやったぜ」
 見た目は金髪の西洋人形のような少女──魔理沙が闖入してきた。



 間一髪だった。と自分の賢明な判断に感謝する。あのまま余計な事をしでかしていたら、確実に今頃鉢合わせしていた筈。
「おいおい。さっき出て行った奴はなんだ? もの凄い勢いで四本足ダッシュしていったぜ?」
 ……全然間に合っていなかった。余計な気は起こさずとっとと追い返していれば良かったと後悔する。
「風呂敷包みなんかしてたから、香霖が留守を狙って空き巣でもしていたかと思ったぜ。まあ、止めなかったがな」
「そしてそれに便乗して何か持って行くつもりで、慌てて店に入ってきたという訳か。予測は外れ、生憎、僕が留守じゃなかったという状況に内心舌打ちしているっていう事だな。顔に全て書いてある」
「そんなに書いてあったら耳なし誰かさんになっちまうって。残念ながら全然外れだぜ。通い妻の私が病気で寝込んでいるかもしれない香霖の為にわざわざ料理を作りにきてやったのさ」
 うふふ、と笑ってスカートの端を持ち上げる魔理沙。本人は瀟洒な誰かの真似でもしているつもりなのかも知れない。
「縁起でもない。仮に寝込んでいたとしたら、それはトドメを刺すと同様の意味合いじゃないか」
 以前魔理沙から貰った茸で作ったスープを思い出す。
「失敬な奴だな。そう簡単にくたばる香霖だったらとっくの昔に私がこの店の店主だぜ。まあ、商品だけ貰ってすぐに閉店だがな」
「ますます寝込む訳にはいかなくなったな。以前、風邪で寝込んで泊まった誰かさんはそんな心配しなくて済んで実に羨ましいよ。健康第一だな」
「ああ。だからその健康を保つためには、茸スープがいいんだぜ?」
「遠慮しとくよ」
 彼女の遊びにつき合うのが馬鹿馬鹿しくなったので、先に手を上げて降参する。魔理沙はケラケラと笑ってから、またいつもの様に店内を物色し始めた。
「──何も増えても減ってもいないな。つまらない。これじゃ博物館でもやっていた方が儲かるんじゃないか?」
「景気が悪くてね。最近外から商品になりそうな品はさっぱり流れてこない。魔理沙こそ、なにか面白い物を拾ってないのか?」
「うんにゃ。私の方もさっぱりだ。それこそ香霖の店からなにか拝借していきたいくらいな」
「……暇な時でも、まったく油断も隙もできないな」
「適度に緊張が保てていいだろ? 感謝してくれ」
 そんな事を言っていた魔理沙が、急に奥の戸棚を漁り始めた。
「お、前にここにあった薬箱が無くなっているじゃんか」
「あれはさっき、売れたんだよ」
「なんだとう!? 私には全然触らせてもくれないで、あんなコソ泥に売りつけるたぁ、どういう了見だ。鍵までかけていた癖に」
「箱に入れておいた商品を叩き割った事のある奴が何を言う。大体、あれは元々予約の商品だ。あの客はそれを引き取りにきただけだよ」
「へぇ。あんな薬箱だかなんだかを予約ねぇ。本当にただの薬箱なのか? ……なんだか俄然中身に興味出てきたぜ?」
 魔理沙が意地悪く目を輝かせる。……こうなると梃子(てこ)でも話を寝掘り葉堀り聞きたがり、だだを捏ねるのは幼い頃からの悪い癖である。そろそろ誰かに矯正して欲しいものだ。
 できれば話したくなかったが、こうなったらもう観念するしかないだろう。溜息をついて、本に目を落としながら口を開いた。
「本当にあれはただの薬箱だ。ただ、人間用ではないがね」
「は? じゃあ、なんだよ」
「狼さ」
 本を捲る音が、やけに大きく響いた。



 魔理沙がしばらく考え込むように、顎に手を当てて、それから首を回した。
「──狼? じゃあ、さっきのは何だ? 人間に見えたけど、人に化けた狼だったのか?」
「いや、人間だよ。ただ、今は狼に育てられていて、狼と共に暮らしているというだけの話さ」
「へ? 動物に育てられただと? そんな事ってあるのか。大体、普通見つけられたら食べられてしまうだろう」
「そう珍しい話でもない。人間が動物の仔を拾って育てることがあるように、彼等も人間の仔を拾って育てる。魔理沙だってまだ確か槌の子(ツチノコ)を飼っているだろう? それと似たようなものさ」
「まあ、無駄飯の大食らいの大鼾(いびき)だが、可愛いから飼ってやってるぜ」
「とりあえず美的感覚を改めて疑っておくよ。……まあ、そんな訳で、彼女はそんな一人という訳さ」
 癖毛だった一本を引き抜き、ふっ、と飛ばす。魔理沙は腕を組んで眉をしかめた。
「待てよ。それはちょっと話がおかしいぜ。狼に育てられて、狼のように育ったのなら、薬箱なんて必要ないじゃないか。そもそも使えないだろう?」
「それは簡単な話だよ。彼女は一時的に──人間に育てられたのさ」
 少し昔の話である。幻想郷に結界が張られて以来、外で少なくなり始めた様々な動物が、次第に幻想郷に移り住むようになった。狼もその一つで、元々はこの国の山と森の全てを掌握していた彼等も、人の数に押されて住処を追われ、そしてその時、最も力のあった部族である狼の長が、力ある狼達を集めて幻想郷に移住する計画を立てた。彼等は妖怪の賢者に快く迎え入れられ、幻想郷の片隅に場所を与えられそこに住み始めた。いつの日か力をつけ、また外の広き地を踏めることを夢見ながら。
「昔この辺りはただの辺鄙な貧しい土地だったから、間引きに子供が捨てられることも少なくはなかった。結界が張られてからはほとんどそう言った習慣はなくなったが、それでもいることにはいたんだよ」
 その子供の一人が、狼に拾われたのである。
 狼達は人間に住処を追われたから、それを憎んでもいいとは思うが、別に彼等はその事を基準に子供をどうこうしようとは思わなかった。むしろ興味深く、その人間の子供を可愛がり、育て始めた。
「それって……単に子供が可愛かったからなのか?」
「そうだ。可愛かったから育てた。それ以上でもそれ以下でもない」
 そう言って魔理沙の帽子をとって頭を撫でてやる。彼女は怒って帽子を取り返し、頬を膨らませた。
 普段からかわれてる分の利子返済くらいにはなっただろう。
「狼に育てられた子供だから、狼の様に育っていく。それは間違っていない」
 集団で狩りをする事を覚え、獲物をおびき出す方法、見つけ出す方法にも長けていく。野山を四本足で走り回れるし、崖を飛び越え、木に登り、吠える事で、顔を舐め合う事で仲間と意思疎通(コミニケーション)もできる。
 それでも爪も牙も持たない分、狩りにはやはり不利で、寒さを耐えるだけの毛もなく周りにいる仲間達に温めて貰う。要するに、他の狼と比べて野生を生きるにはあまりにも貧弱な体なのだ。 
「そんな訳だから、ある時人間が仕掛けた罠にあっさり嵌った」
 網の張った大きな落とし穴。他の狼達は牙と爪でそれを切り裂き脱出したが、穴の底で捕らえられ藻掻いている仲間まで救う事ができなかった。
 罠の調子を見に来た人間は驚いた。なにか鹿でも獲れていないかと思っていたところが、実際には人間の子供が獲れてしまったのだから。
「猟師は変わり者でね。里にも住まず、山で狩りをして生活をしていた。──訂正しよう。妖怪の跋扈するこの幻想郷で、趣味で辺鄙な場所に一人暮らしするそいつは変わり者どころか変態の域だったろうな」
 わざとらしく魔理沙の方を一瞥してやると、逆にニヤニヤとこっちを見て笑っている。……まったくもって可愛くない。
「そんな人間だからか、捕まえた人間の子供も自分の獲物だからと豪語して、家に連れて帰って育てる事にした」
 狼に育てられた子供だから、それは一筋縄ではいかなかっただろう。だが、その人間は恐ろしいことに人間の習慣を覚えさせ、さらに片言ながら言葉まで覚えさせてしまった。
 そこにどんな苦労があったのか、どんな物語があったのかは僕が想像したところで陳腐なものにしかならないだろう。ただ一つ言えるのは、あの人間の例えそれが妖怪の子でも躊躇わなかったであろうという化物性だけだ。
「へぇ。じゃあ、あいつは今そいつと暮らしているわけだ」
「──いいや。あっさりと逃げたよ」
 ある日、人間の男が目覚めた時、狼の少女はいなくなっていた。自分の元から消えた獲物の痕跡を見て、男はそれでも慌てなかった。ただ普通に、仲間の元に戻ったのだろうと考えた。男は昔のように、山で狩りを続ける日々に戻った。
「僕がその人間に会ったのはその頃だ。──ああ、本当に、大変偏屈で嫌な奴だったよ」
 魔理沙がわざとらしくこちらを見て、呆れる様なポーズをする。僕は本に目を落とし、それに気が付かない振りをした。
「そして少したったある年に──ああ、丁度、そこのコソ泥娘が誕生した時ぐらいだったかな?」
 人間の子供が、男の家の前に置かれていたのである。男はやや驚いたようだが、少し思い当たる事があったので、その子供を育てることにした。
「その手伝いに僕もたまに駆り出されてね。大変に迷惑だった。店の仕事もあったというのに……まあ、山で獲れる動物の素材や外から流れてきた物品とかをこちらに惜しみなく流してくれたから、それなりに我慢してやったけどね」
「ははぁ、昔香霖がふらりといなくなって、大目玉をくらっていたのはそういう事か」
「それは君が泣き喚いた所為だろう。こっそり出て行ったのに、おかげですぐにばれてしまった」
「人の所為はよくないぜ? 成程、香霖はサボタージュの常習魔でクビになりそうだったから独立したのか」
「違うな。魔理沙の傍若無人ぶりの未来まで予測して、それに嫌気がさして独立したんだよ」
 ふん、と鼻を鳴らしてまた本を捲る。
「ともかく、拾われた子供はすくすくと男の下で普通に育った訳だが……」
 ある日、男が死んだ。
 妖怪の大群に襲われても唾を吐いただけで追っ払いそうだったあの男だが、持病だった病気の前にあっさりと諸手を挙げて降参した。
「その時、丁度独立を考えていた時でね。僕は少し暇を貰って男のところに居た。
 それで──男が死ぬ間際、言われた事に従って、少しその子供の面倒を見ることにしたんだ」
「ははぁ。成程。店の独立資金を稼ぐために取引して男の財産をふんだくる為だな。流石、血も涙も無い畜生商売人香霖だな?」  
 僕が一番言いたくない所を曖昧にはぐらかそうとした時、魔理沙が強烈にその事を突いてきた。
「いいや。単に善意の行為だよ。だって、残された子供が大変じゃないか。魔理沙はそうは思わないかい?」
「ああ、大変だな。香霖の偽善行為につき合わされたその子供がな」
 にっこりと笑って魔理沙が何の捻りもないストレートパンチをこちらに当ててくる。……やれやれ。予想通り完全に怒らせてしまったようだ。   
 咳払い一つして、そんな事はないと、無駄な抵抗をしてから話を続ける。
「ええと。まあ、それで少し一緒に暮らすがてら、子供の引き取り手を探していたんだが……」
 それは予想外なところから現れた。ある夜、森の奥から狼の群れが家を取り囲んでおり、辺りから獣の呼吸音と唸り声が聞こえていた。
 そして、その様子に恐れることもなく、子供はその前に進み出た。
「僕も知らなかった事だが、男と子供は、普段から狼達と親交があったらしい。それで……狼が人間の子を引き取りに来たというわけだ」
「──なんだよ。それであっさり渡しちまったのかよ?」
 魔理沙が目尻を吊り上げる。なんだかんだでやはり真っ直ぐな奴だと苦笑した。
「他にどうしようがある? 僕は元々争い事には向いていない。狼の大群なんか相手に立ち回れる訳が無いだろう。自分の命を守る為にも、僕はあの子を差し出したよ」
 少女と狼が、お互い鼻を近づけてすんすんと何かを話している間、僕はじっと黙ってその成り行きを見守っていた。何事も無いならそれでもいい。逆に自分が狼に襲われるとしたらしかるべき対処をして生き延びなければならない。殺気立っている気すらする彼等に対して、選択の幅は実に細いもののように感じられた。
 長く遠いような時間はすぐに過ぎ去り、やがて面をあげた少女のそれはもう、狼のモノだった。
「狼達と少女は森に消えた。僕は残された家から自分に必要なものを取り──里に降りた」
 そして店を独立して、しばらくした後の事。店に覚えのある客が来たのである。
「あいつは、相変わらずの調子で、それでもその時は焦っている様子だった。話を聞いてみると、どうやら仲間の狼が怪我をしたという事だった。僕は以前覚えた薬やら治療の知識があったし、あいつはそれを横で見ていたから、僕に頼ったのだろう。薬の調合をしながら、多少やり方と使い方を教えてやり、包帯などの必要な道具類を揃えて──まあ、簡単な薬箱みたいなものを持たせて、送り出してやった」
 それから、定期的に店に訪れては、薬箱を求めるようになった。頻度は大したものでもないし、代金は前払いして貰っているようなもの。
「だから、狼用の薬箱を暇な時に作っておいて、引き取りに来たらそれを渡している、という訳だ」
 本を閉じる。元々読み終えた本なのだから、特に視線で文字を追う事もしなかったのだが。
 そして話を聞き終えた魔理沙の様子はというと……。
「へぇ。そうなのか」
 大して興味無さそうに言い、僕が読み終えた本を手を奪い取り、どっかりと商品の大椅子に座り込んで足を投げ出した。
 じっと本に視線を落として座っているその様子は、正に何処かの西洋人形の様で、そのまま商品の影に埋もれてしまうような印象を受ける。
 ぺらり、とページを捲る音。それに合わせるように僕も立ち上がり、新しい本を取り出した。──この際、内容はどうでもいい。
 しばらく、日陰とオイルの匂いが漂う空間で、魔理沙と僕はただゆっくりとオルゴールの螺子を廻している時間のように、怠惰な時を過ごす。
「なあ、香霖」
「ん。なんだい?」
 オルゴールから、音楽が流れ始める。
「これに書いてある人間が二本足で云々って、合っているのか?」
「ああ、それは全然違う。本当はつまりこういうことさ──」
 しばらく、先程本を読んで思った事を、つらつらと魔理沙に力説し始める。それを、面白いのか、つまらないのか、よくわからない相槌でいつものように彼女は聞いている。
「────という事さ。結局、これはそういう単純な事なのだよ」
「へぇ。そうなのか」
 やはり気のなさそうな返事を返し、魔理沙が本を机に投げ出した。正直、もう少し色良い反応が返ってこないと熱く解説したこちらの立場がない。
「なぁ、香霖」
「ん。なんだい?」
「香霖は──が嫌いか?」
 オルゴールが止まった。どこかその割れた真空管を見つめるような瞳に対して、僕はいつものように答える。
「ああ嫌いだね。人と付き合うのは正直面倒で明瞭な思考展開を邪魔をする厄介なモノだ。商売以外の事で出来れば関わりたくない」
 すらすらと淀みなく答える。対して、魔理沙はニヤリと口端を上げて、楽しそうに笑った。
「久々に香霖のその台詞を聞いたな。昔は何回も聞いた気がしたぜ」
「今でも時々言う。が、流石に商売の最中にうっかり口に出してからは自粛するように努めてるよ」
 以前、人間の里の名士にうっかり言ってしまい、その後出版された本に小酷く書かれてしまった事を思い出す。あれは予想以上に堪えた。売上的に。
 魔理沙はそれを聞いて大笑いする。そしてひぃひぃと息まで吐いて涙を拭ってから、また一度笑った。本当に腹が立つ奴だ。
「いやぁ、久々に香霖に笑わせて貰った。案外芸人に向いてるんじゃないか、一発屋で」
「一発だけ弾けるのは爆弾と同じだろう。そんな危なっかしいものになるつもりはないよ。そちらと違って」
「違うな私は星の数だけ弾ける女だぜ。そしていつか流星のように降り注ぐような凄い奴に私はなる!」
「それは怖いな。幻想郷の地上が壊滅する前に避難して、地底にでも支店を築いておこう」
「それを鬼に一発で壊されるのが落ちか……さて、そろそろ寝るか」
 内容のない会話を続けた後、魔理沙が大欠伸をする。
「寝るって……そっちは僕の寝室だ。寝惚けていないで早く帰ってくれ」
「今日はこっちに泊まるって決めてたんだ。ついさっきな。──じゃあお休みだぜ」
 帽子をこちらに投げ出して、ゴソゴソと奥から物音が聞こえる。
「はぁ……明かりもタダじゃないっていうのに。まったく」
 今日何度目になるか判らない溜息をついてから、机の上の油灯に明かりを灯す。他に快適な寝床も無いし、今夜は徹夜で本でも読んでいる事にしよう。



 深夜。寝静まった奥の厄介者の寝息を背景に、ひたすら本を読みふけっていたところ、遠くから、遠吠えが聞こえてきた。
 それは次第に重なるように、仲間でなく冥界の誰かを呼び寄せるかのように──次第に近づいてくる。
「──!?」
 気がついた時には、もう店の周りは完全に囲まれていた。壁越しにも耳に伝わる押し殺すような息遣い。そして獣の声。
 僕は慌てて、使えそうな道具を片っ端から手に取る。棒やら小さな駒やらその他雑多な道具が辺りに散らばる。
 一度、寝室の方を見る。やはりこの状況では逃げる事が難しい。不本意だがここは撃退する措置を取らなくてはならない。
 かくして、それなりに万全な装備を持って、僕は扉の後ろから、一気に飛び出した。
 ────カランカランカラン
 月の狂気を浴びて、一瞬眩暈と高揚に体が泳ぐ。そんな僕の前には予想通り、狼の群れ。その中の一つが、ゆっくりと二本足で立ち上がった。
「────」
 その光景は酷く恐ろしく美しかった。少女は僕が渡した服を纏い、元々仲間のモノだった物か──飾りのように頭上に耳と、腰に獣尾を着けている。
 その瞳には、普通の人間には宿らない筈の魔性が潜んでいる。それがじぃ、と僕を射抜いて離さない。
 恐怖で震えていたのかもしれないし、見知った顔を見て力が抜けたからかもしれないし、ただその美しさに平伏したかったのかもしれない。
 ────カラン
 と棒を取り落とした僕に、少女はそっと手招きをした。
「────」
 それを見て、どこか呆とした思考のまま、ふらふらと誘蛾灯に誘われる蟲の様に蚊弱く一歩足を踏み出してから、ふと頭を後ろに逸らした。
 後ろには自分の店。苦労して、独立して、そして生活していた店と────
「──……」
 朦朧としていた頭が覚めた。僕はいつものように背筋を伸ばし、しゃんと立ち上がると、彼女に向かって首を横に振る。
「…………」
 少女は押し黙ったまま、ずっと僕を見つめていたが、こくり、と一つ頷いた。
 それから周りに手を振ると、奥の闇から狼達がぞろぞろと何かを銜えて持ってきた。
 それらを睥睨し、しばらく黙った後──僕は首を横に振る。
 この返答に対して少女は──今度は首を横に振った。
「…………」
 ふぅ、と溜息をついた。幼い頃からの付き合いだ。恐らく、こうなったら梃子でも動かないだろう。やはり、何処かの誰かさんに似ている気がした。
 僕は了承と降参の証として、一つ頷いた。
「…………」
 狼達の呼吸が消えていく。残されたのは、僕と彼女だけ。
 半分妖怪の血の混ざった自分と、半分獣として生きてきた少女と、どちらが正しい訳でもなく、ただ、今は二本の足で立っているかどうかの違い。
 裂けるように、少女の口が動いて────と呟いた。
 そして狼の子が去っていく背中に、僕は、
「またいらっしゃい」
 と声をかける。耳飾の筈の狼の耳と尻尾がピクンと動いた様に見えた。あの原理は後で聞いて是非解明してみたいものだと思う。
 こちらに問いかける様なそのまごいた瞳の問いに答える。
「お客さんは神様だ」
 ふ、と笑みが。皮肉に漏れた。
 少女も、皮肉気に笑い、こちらに歩み寄ってくる。やはり、その顔は似ているなと思って、思わず苦笑いする。
「またよろしく」
 久々の別れの握手を交わし、少女と僕は月の元で再開の約束をした。



 気怠い朝。夜の騒々しさとその後の片付けの音にもまったく気がつかず、堂々と眠り込んでいたお姫様が起きてくる。早めの睡眠から安眠を貪り尽くした様な幸せな表情をできるものなら蹴り飛ばしてやりたい衝動にかられる。
「ふぉいっす。ふぁふぁよう。ふぉーりん(おいっす。おはよう香霖)」
「顔を洗いなさい」
「ふぁい」
 外の井戸の方に歩いていく魔理沙。僕はやれやれと首を振って、その直後の大声に驚き首が引き攣りそうになった。
「おいおい。なんだこの食物の山は。むぅ、ついに少ない売上の無さに嘆いた香霖は夜に思い切った行動に出たんだな。また一歩私に近づいたな、感心したぜ」
 しきりに頷いている魔理沙の頭に手荒く帽子を被せる。
「違う。これは商品の代金だ。一応断ったんだが、無理やり押し付けられたんだよ」
「は? 随分もったいない事するな。まあ、いらないなら私が全部貰っておいてやるが……」
「そんな訳ないだろう。ただ、これだけの食物だ。特に肉が多い。早く加工しないと腐って駄目になってしまう」
「そうか。それなら良い心当たりがあるぜ……あの紅い館の蒼いメイドとかな。これは朝食から宴会だ。早速みんなを呼んでこよう」
 着替えもそこそこに箒を手に取った魔理沙が、こちらが止める声も聞かずに空に飛び出す。
 ふと思う。そもそも空を飛んでいたら、普段四本で歩こうが二本で歩いていようが、それこそ関係ない。力の差は関係なく、ある一種の勝負によって全て委ねられるだろう。
 もしも弾幕遊び好きな連中と出会ったら、きっと、あの男の血を引く娘らしく、皮肉気に揚揚と喋りだす事だろう。それが楽しみのようで、怖くもあった。
















 
これから読む方 → やや東方香霖堂風味のお話です。柔らかいお肉のお供にどうぞ。

もう読まれた方 → お疲れ様です。読了感謝。少しでも楽しんでいただけたら幸い。

前のも読んだ方 → 有難うございます。真板ではいつも違った形で挑戦し続けたい。
                                               
ネコん
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コメント



0.4080簡易評価
5.80名前が無い程度の能力削除
いい雰囲気だ。
6.100煉獄削除
静かで、幻想的な感じがするお話ですね。
狼と共に育った少女と霖之助の交流とか、お礼にきた狼たちや少女との無言のやり取り、
短いながらも交わした言葉など面白かったです。
11.100名前が無い程度の能力削除
まさに香霖堂。
幻想郷の一端を垣間見るような雰囲気がとても良かったです。
13.90名前が無い程度の能力削除
いいね!
16.100てるる削除
読みやすく、気持ちのいい作品ですね~
雰囲気が幻想的でまさにそれらしい感じ
18.100名前が無い程度の能力削除
まさに幻想という魅力に溢れた狼少女がよかったです。霖之助もいい味だしてて、読後にじんわりとした満足と印象が残る良作でした。
19.100名前が無い程度の能力削除
狼少女が幻想入り・・・

彼女も「半分」なんですね。
22.100GUNモドキ削除
相変わらず貴方の作品は麦茶によく合う。
言葉遊びが程良く効いた良い味でした。
しかしまあ、この狼少女、可愛いですね。
顔馴染み+獣耳・尻尾=新ジャンル開拓 ですね、解ります。
30.100名前が無い程度の能力削除
アオーン
33.100名前が無い程度の能力削除
これぞ東方幻想。
ニホンオオカミも朱鷺みたいに幻想郷入りか……
47.100名前が無い程度の能力削除
幻想的な雰囲気がいいですねぇ。
幻想郷なら日本狼とか普通にいそうだ。
54.90名前が無い程度の能力削除
いい雰囲気だ、こういう作品は好きです
69.100名前が無い程度の能力削除
香霖の過去話とかいろいろ盛りだくさんで楽しい。
狼少女かわいすぎる
72.100名前が無い程度の能力削除
次もお願いします。
79.無評価名前が無い程度の能力削除
別名:狼と香霖堂
狼と商人の組み合わせって実はすごいコンボなのだろうか
85.90名前が無い程度の能力削除
各所に求聞史紀や三月精などの話を取り入れつつ
香霖堂らしい、霖之助の屁理屈と妄想による考察もあり
さらさらと読めました。
90.100名前が無い程度の能力削除
神秘なる世界は現実では憧れでしかなくて…
それでも僕たちはいつの間にか、その幻に甘い理想を抱いてしまうんだ…
世界はいつも冷淡に廻っていたはずなのにね。
この国にオオカミがいなくなり、誰もそれを悲しまなくなった。淋しい
98.100名前が無い程度の能力削除
脳内では狼少女がモノノケ姫のサンだった
あと、香霖の嫌いなものってなんだったんだろう