私は今、映画館の中に居る。
ともすれば笑えない冗談になりかねないと危惧する心と。
誰に伝えれば冗談と受け取って貰えると云うのかと呆れる心が同居している。
映画館など誰も知りはしない。
辺りを見回す。
神社の境内よりも広い薄暗がりの中オレンジの光がぽつぽつと灯っている。
それが照らすのは数えるのに骨が折れそうなほどに暗闇を埋め尽くす臙脂の座席。
正面に薄ぼんやりと見える幕の向こうはスクリーンか。
……完全に映画館ね。擦れ切った私の知識とも一致する。
そこに、私は居た。
――あまりにも脈絡が無さ過ぎる。
映画館に来た覚えも行きたいと思った覚えも無い。
そもそもここに居ることを自覚する前はなにをしていたのかすら――憶えていない。
誰も居ない映画館の中心に陣取っている私の衣装は……いつもの巫女服。
いつも通り過ぎるほどにいつも通りの格好。
しかし派手な紅白もこの薄闇の中では沈んでしまっている。
当然だが――そう思う前に違和感を想う。
そう……この映画館には、現実感と云う物が欠けていた。
パッと見はしっかりした造りの映画館なのだが、書割のように厚みを感じさせない。
これはまるで――
ギィ
――光が差す。
だけどそれもほんの一瞬。居もしない観客に気を遣ってか光は閉ざされる。
足音。この書割の中ではよく響く。
「これは夢なのかしらね?」
その足音に声をかける。
「紫」
ぽすんと私の横に腰掛けるその横顔は、暗がりの中でもいつもの胡散臭さを保っていた。
「私にはなんとも言えませんわ」
期待した通りの、期待を裏切るあやふやな応え。
答えには至らない。
「たまにはすぱっと解答をくれてもいいんじゃないの」
「わからないことは教えられないわ」
嘘か真か、判然としない声。
嘘だろうと思う。
「あんたにわからないことなんてあるのかしら」
無知から最もかけ離れているって顔をしているくせに。
仮令、億冊の本でもこいつの知識には敵わないだろうに。
「高く評価してくれてありがとう」
受け流されて、はぐらかされる。
怪しい。
け、ど……私の勘は、未だに犯人を特定できない。
目の前にこんなに怪しい奴が居るのに、こいつが犯人かもとすら思えない。
こいつの登場自体なにか不自然なものを感じたのだが――
――なんでそう思ったのか言葉に出来なかった。
「はい霊夢の分」
突き出されるのは紙袋と黒いビン。
「なによこれ?」
「映画にはコーラとポップコーンでしょう?」
一瞬黄泉竈喰ひという言葉が脳裏を過ぎったが――
……紫に限ってそれはないだろう。
受け取って一口食べる。
ぽっぷこーんとやらは食べたことがなかったが美味しかった。
「霖之助さんのところで飲んで以来だわ」
しゅわしゅわと喉を焼くコーラも以前と変わらず美味しかった。よく冷えている。
「あら、言ってくれればいつでもあげたわよ?」
「あんたに甘えるみたいでイヤ」
多少魅力的であることは否めないが。
「つれないわねぇ」
不貞腐れられるけど、自業自得よ。
胡散臭いあんたが悪い。
無視してぽっぷこーんを食べる。
しゃくしゃく しゃくしゃく
「ハイペースね。映画の終わりまで持たないわよ?」
「映画?」
薄闇の中で紫が指さすのは――幕。
確かにここは映画館だけど、客も入ってないのに映画を流すの?
このぽっぷこーんとコーラは「映画には」と渡されたものだけど……
「ほら、映画が始まるわ」
造られた夜の闇に光が差す。
かたかたとフィルムの回る音が響きタイトルが大写しになった。
英語ですらないタイトルは私には読めない。
どうせ訊いても答えてくれないだろう紫に目を向ける。
ただ、胡散臭い笑みが返ってくるだけだった。
「私、映画の作法は知らないんだけど。どうすればいいのかしらね」
はぐらかすように適当なことを訊く。
こいつは、望まないことになら乗ってくる。
「トーキーじゃないから喋っても構わないわよ。あとは適当に感想でも零してればいいんじゃないかしら」
状況の打開策も思いつかない以上、それに乗るしかないか。
やれやれ。人間は本当に妖怪に振り回されっぱなしね。
銀幕に目を向ける。
映画の中では男が一人泣いていた。
古臭い無声映画。
セピアに焼けた映像はフィルムが劣化しているのかちらほらと虫食いを映す。
演出だとしたら過剰演出にも程がある。
そんなに古さを強調して何がしたいのやら。
場面が変わる。先ほどの男が酒場のようなところで泣きながら酒を呑んでいた。
……泣きっぱなしだ。
「何を伝えたいのかさっぱり。面白くないわね」
「弁士が居なければ成立しない?」
映像で伝えられないなら言葉で伝えるしかないだろう。
「そうね」
頷く。
「それはあなたが鈍いだけ」
言ってくれる。
鈍くて結構。感受性豊かでなくば理解できないストーリーなんて監督の自己満足でしかない。
誰かに伝えられない物語には一文の価値も有りはしない。
……でも、もし私が映画を見慣れてないせいで理解できないのだとしたら……
それは少し、もったいないのかもしれない。
「険しい顔ね。ラブストーリーには似合わない」
ラブストーリーとはまた突飛な言葉だ。
少なくとも今まで見た映像の中にそれを臭わせる絵はなかった。
「あら、恋愛モノだったの? 鬱々とした男の一人語りみたいな場面だけじゃない」
「悲恋物よ。語り部の男が亡くした恋人との思い出を振り返るストーリー」
つまり、これは導入の嘆きを表すシーンということか。
銀幕の中では幾人かの登場人物が居るが、誰も男に目を向けていない。
男もそれを気にせずにただ泣いて悲しんでいる。
どこか、隔絶された感がある。
男と周りの登場人物の間には見えない線が引かれている。
男は一人で――何かを、恋人だった人のことを想っているのか。
「詳しいのね」
「好きな映画なの」
――意外な言葉。
こいつが素直に好意を表すなんて珍しいにも程がある。
敵意も好意も悪意も、全て霞がかっているかのように曖昧に表す奴なのに。
本心を口にするなんて信じられなかったのに。
「……有名な映画?」
「いいえ、無名な部類ね。映画も、監督も」
残念そうに、独占できることを喜ぶように、薄い笑みが浮かべられる。
「だけど好き」
――似合わない、言葉だ……
場面が切り替わる。
心なしか、カメラの焦点は主人公から背景へと移っているようだ。
人物だけではなく――情景そのものが主体のような。
遠く霞む人影。
二人いる。
ならばこれは男と……恋人か。
声も音も無いけれど、伝わってくる楽しげな空気。
ただただ幸せを描くフィルム。
――花に焦点が向く春。
――木漏れ日の陰影が強い夏。
――どこか寂しさを覗かせる山々の秋。
――そして、男が一人だけ映り続ける冬。
場面は現在へ。
男は酒場を出る。
ふらふらと、危なっかしい足取りで歩いていく。
やがてカメラからも遠ざかり夜の街へ消えていった。
幕が下りる。
後半はなにも言わなかったけれど――見入っていたのかは自分でもわからなかった。
「悪いけど、退屈な映画ね」
感想と呼べるものはなにも出てこない。
有意義な時間を過ごしたとも思えなかった。
「それで、私にこれを見せて何がしたいの?」
咎めるような口調になってしまう。
紫が好きな映画を貶すようで気が引けるけれど、止められない。
さっさとここから出たかった。
なのに返ってくるのは苦笑。
「心外ね。これを選んだのはあなたよ」
意味がわからない。
私は望んでここに来たわけではないはずなのに。
「映画でも見て寛ぎたいとでも思ったんじゃない?」
意味が、わからない。
「でも大結界の中に居るあなたは映画のことなんてあまり知らない。
だから知ってそうな私を呼んだ。演目の選択権を渡したのはそういうことね。
それであなたのリクエストに沿った映画を私が提示して、あなたが許可した」
――意味がわからないのに、核心に近づいているという確信。
「でもなんで映画なんでしょうね。山の神の巫女にでも吹き込まれた?」
「……確かに、早苗とそういった話は……したけど――」
「じゃあそれね。同年代の子と話して無意識に憧れた」
何故か否定したくてたまらない。
そうしないとこの足が踏む地面がなくなってしまいそうで。
無重力になってしまうのが怖いと思ってしまって。
「華やかで煌びやかな毎日。弾幕が飛び交い異変の解決に追われる毎日」
なのに紫の追及は止まらない。
「騒がしくて、楽しくて――歩こうとしても、走り続けてしまう世界」
「……暇な時の方が多いわよ」
反射的な否定も論理的に否定され返す。
「日数を占める割合は関係無いわ。あなたの心を占める割合の問題」
やめてほしい。
「飛ぶ鳥だって、木にとまって休むものよ霊夢」
――私の弱さを肯定しないでほしい。
「あなただって、休んでいいのよ霊夢」
残酷に、微温湯に溺れていくように、私の強がりが剥がされていく。
「だからあなたはこちら側に目を向けてしまった」
「ここは――外なの?」
「そうとも言えるし、そうとは云えない」
「胡乱ね」
「その通りね。胡乱を形にしたようなモノ。夢と現実と幻想が混じった世界」
「それは――妄想と云うんじゃないかしら」
「そうかもね。ならここはあなたの妄想」
自分で言っておいてなんだけど……随分締まりが悪くなったものだ。
臙脂の背もたれに体を預ける。バネの軋む音が音の消えた薄暗がりに響く。
「――結局は夢オチか」
「息抜きしたい、ってことでしょう?」
「息抜き、ね。それでなんであんたが出てくるのかしら」
紫の言が正しいなら私が指名したことになるのだけど、記憶にない以上は押し掛けの可能性も捨て切れない。
少なくともここに居る私の中では、こいつほど息抜きや寛ぎから遠い奴は居ない。
「外のことに詳しいってんなら神奈子でも早苗でもよかったのに」
そうだ。映画の話を聞いたのは早苗から。
ならこうやってナビゲーターとして出てくるのは早苗であるべきだった。
優先順位が間違っている。
紫が外に詳しいということは聞いていたが、外の知識を披露しているところなんて見たこともない。
反して早苗は映画館やどんな映画が面白かったかなんてことを事細かに話していた。
早苗が来るべきだったのだ。あの天然娘なら息抜きの相手として申し分ないのだし。
「さぁて? ご指名を頂いただけですので」
案の定とぼけられる。
決まりだ。なんらかの手段で私の異変を感じて押しかけたんだ。
「あんたって嘘が上手いのか下手なのかよくわからないわ」
察知した手段もここに来る手段もさっぱりわからないけど、こいつならどうにかするだろうし。
こうなるとここが夢のようなものだというのも怪しくなってきたが――
「そんなに山の巫女に逢いたかった?」
声音が違う。
「私じゃなくて、同年代のお友達に来て欲しかった?」
「――紫?」
「私が来ては、いけなかった?」
暗くて――顔がよく見えない。
黙り込まないでよ。なんか、そういうのは、あんたには似合わない。
「私、は……」
なにか重さを感じて、黙ってしまいたいけれど――黙ってはいけないと、直感する。
考える。
何を言えばいいのかを考える。
「……疲れていたから、誰かに傍に居て欲しいって思って」
思いつく端から言葉にする。
季節は冬。いつものように魔理沙や早苗や妖怪たちが来るけれど。
焦ってしまって余計なことまで考える。
「一人は嫌で、それで」
他の季節には無い寂しさがあって。
今は必要のないことの筈なのに。
自然、あいつを探してしまって。
止まらない。
それでもあいつは居なくて。
言葉の意味も考えずに口にする。
「――紫に逢いたかった」
沈黙。
顔が、熱い。
「待った。今のなし」
何を口走ったか自覚して、混乱する。混乱してしまう。
だって紫は今冬眠してて、逢えないのは当然で。
なんでこんなことを口走ってしまったのか己の迂闊さが呪わしい。
これじゃあまるで私が紫に甘えてるみたいじゃ
「……紫?」
冬眠。
季節は、冬?
そうだ。今ここに、居る筈がないんだ。
冬の間紫は絶対に姿を現さない。
だから冬眠してるんだって噂まで流れてるのに。
「これは――あなたの夢?」
紫は言った。
胡乱だと。
夢と現実と幻想が混じった世界だと。
なら、夢と夢が混じり合っていてもおかしくは、ない。
「呼んでくれてありがとう霊夢」
ここは私の夢で――彼女の夢でもあるんだ。
ようやくからくりを理解する。
脚本は私が書いていて、舞台は紫が提供した。
その齟齬が違和感を醸し出していたんだ。
あの映画も、私の寂しさを訴えるものでしかなかった。
見てて退屈なわけだ。あれは私の心の内を誇張しただけのものだったのだから。
わかってしまえば、なんてことはなかった。
結局は、夢オチだ。
現実じゃ、ない。
「……脱力」
「あら、どうして?」
問われて、答えるのもかったるい。
「だって、こうして逢っていることも泡沫に消えてしまうものだもの」
紫に逢えていたって逢えてるわけじゃない。
「こんなに素直な霊夢は珍しいわね」
「失礼な」
脱力のついでみたいなものだけど。
「いつも今日みたいに素直ならいいのに」
「重ねて失礼な」
そんなの恥ずかしくてやってられないわ。
「そんな可愛い霊夢にご褒美」
「重ね重ね――え?」
反射的に紫を見る。
彼女は――
「起きたら映画でも観に行きましょうか」
私は今布団の中に居る。
見慣れた天井。
寒いから雨戸を閉め切ってるので朝か夜かもわからない暗い部屋。
いや、どこからか光が一筋差し込んでいる。ならば朝なのだろう。
体を起こして――気だるさに倒れ込む。
ああ……起きたら忘れてればいいのに。
顔が熱い。首まで熱い。
誰だ泡沫に消えてしまうとか言ったのは。
「――夢の中でデートのお誘いなんて……」
鮮明に憶えている。
忘れられない。
春が、待ち遠しくてしょうがない。
「……少女趣味にも程があるわ」
夢に幕が引かれる瞬間
彼女は――微笑んでいた
ともすれば笑えない冗談になりかねないと危惧する心と。
誰に伝えれば冗談と受け取って貰えると云うのかと呆れる心が同居している。
映画館など誰も知りはしない。
辺りを見回す。
神社の境内よりも広い薄暗がりの中オレンジの光がぽつぽつと灯っている。
それが照らすのは数えるのに骨が折れそうなほどに暗闇を埋め尽くす臙脂の座席。
正面に薄ぼんやりと見える幕の向こうはスクリーンか。
……完全に映画館ね。擦れ切った私の知識とも一致する。
そこに、私は居た。
――あまりにも脈絡が無さ過ぎる。
映画館に来た覚えも行きたいと思った覚えも無い。
そもそもここに居ることを自覚する前はなにをしていたのかすら――憶えていない。
誰も居ない映画館の中心に陣取っている私の衣装は……いつもの巫女服。
いつも通り過ぎるほどにいつも通りの格好。
しかし派手な紅白もこの薄闇の中では沈んでしまっている。
当然だが――そう思う前に違和感を想う。
そう……この映画館には、現実感と云う物が欠けていた。
パッと見はしっかりした造りの映画館なのだが、書割のように厚みを感じさせない。
これはまるで――
ギィ
――光が差す。
だけどそれもほんの一瞬。居もしない観客に気を遣ってか光は閉ざされる。
足音。この書割の中ではよく響く。
「これは夢なのかしらね?」
その足音に声をかける。
「紫」
ぽすんと私の横に腰掛けるその横顔は、暗がりの中でもいつもの胡散臭さを保っていた。
「私にはなんとも言えませんわ」
期待した通りの、期待を裏切るあやふやな応え。
答えには至らない。
「たまにはすぱっと解答をくれてもいいんじゃないの」
「わからないことは教えられないわ」
嘘か真か、判然としない声。
嘘だろうと思う。
「あんたにわからないことなんてあるのかしら」
無知から最もかけ離れているって顔をしているくせに。
仮令、億冊の本でもこいつの知識には敵わないだろうに。
「高く評価してくれてありがとう」
受け流されて、はぐらかされる。
怪しい。
け、ど……私の勘は、未だに犯人を特定できない。
目の前にこんなに怪しい奴が居るのに、こいつが犯人かもとすら思えない。
こいつの登場自体なにか不自然なものを感じたのだが――
――なんでそう思ったのか言葉に出来なかった。
「はい霊夢の分」
突き出されるのは紙袋と黒いビン。
「なによこれ?」
「映画にはコーラとポップコーンでしょう?」
一瞬黄泉竈喰ひという言葉が脳裏を過ぎったが――
……紫に限ってそれはないだろう。
受け取って一口食べる。
ぽっぷこーんとやらは食べたことがなかったが美味しかった。
「霖之助さんのところで飲んで以来だわ」
しゅわしゅわと喉を焼くコーラも以前と変わらず美味しかった。よく冷えている。
「あら、言ってくれればいつでもあげたわよ?」
「あんたに甘えるみたいでイヤ」
多少魅力的であることは否めないが。
「つれないわねぇ」
不貞腐れられるけど、自業自得よ。
胡散臭いあんたが悪い。
無視してぽっぷこーんを食べる。
しゃくしゃく しゃくしゃく
「ハイペースね。映画の終わりまで持たないわよ?」
「映画?」
薄闇の中で紫が指さすのは――幕。
確かにここは映画館だけど、客も入ってないのに映画を流すの?
このぽっぷこーんとコーラは「映画には」と渡されたものだけど……
「ほら、映画が始まるわ」
造られた夜の闇に光が差す。
かたかたとフィルムの回る音が響きタイトルが大写しになった。
英語ですらないタイトルは私には読めない。
どうせ訊いても答えてくれないだろう紫に目を向ける。
ただ、胡散臭い笑みが返ってくるだけだった。
「私、映画の作法は知らないんだけど。どうすればいいのかしらね」
はぐらかすように適当なことを訊く。
こいつは、望まないことになら乗ってくる。
「トーキーじゃないから喋っても構わないわよ。あとは適当に感想でも零してればいいんじゃないかしら」
状況の打開策も思いつかない以上、それに乗るしかないか。
やれやれ。人間は本当に妖怪に振り回されっぱなしね。
銀幕に目を向ける。
映画の中では男が一人泣いていた。
古臭い無声映画。
セピアに焼けた映像はフィルムが劣化しているのかちらほらと虫食いを映す。
演出だとしたら過剰演出にも程がある。
そんなに古さを強調して何がしたいのやら。
場面が変わる。先ほどの男が酒場のようなところで泣きながら酒を呑んでいた。
……泣きっぱなしだ。
「何を伝えたいのかさっぱり。面白くないわね」
「弁士が居なければ成立しない?」
映像で伝えられないなら言葉で伝えるしかないだろう。
「そうね」
頷く。
「それはあなたが鈍いだけ」
言ってくれる。
鈍くて結構。感受性豊かでなくば理解できないストーリーなんて監督の自己満足でしかない。
誰かに伝えられない物語には一文の価値も有りはしない。
……でも、もし私が映画を見慣れてないせいで理解できないのだとしたら……
それは少し、もったいないのかもしれない。
「険しい顔ね。ラブストーリーには似合わない」
ラブストーリーとはまた突飛な言葉だ。
少なくとも今まで見た映像の中にそれを臭わせる絵はなかった。
「あら、恋愛モノだったの? 鬱々とした男の一人語りみたいな場面だけじゃない」
「悲恋物よ。語り部の男が亡くした恋人との思い出を振り返るストーリー」
つまり、これは導入の嘆きを表すシーンということか。
銀幕の中では幾人かの登場人物が居るが、誰も男に目を向けていない。
男もそれを気にせずにただ泣いて悲しんでいる。
どこか、隔絶された感がある。
男と周りの登場人物の間には見えない線が引かれている。
男は一人で――何かを、恋人だった人のことを想っているのか。
「詳しいのね」
「好きな映画なの」
――意外な言葉。
こいつが素直に好意を表すなんて珍しいにも程がある。
敵意も好意も悪意も、全て霞がかっているかのように曖昧に表す奴なのに。
本心を口にするなんて信じられなかったのに。
「……有名な映画?」
「いいえ、無名な部類ね。映画も、監督も」
残念そうに、独占できることを喜ぶように、薄い笑みが浮かべられる。
「だけど好き」
――似合わない、言葉だ……
場面が切り替わる。
心なしか、カメラの焦点は主人公から背景へと移っているようだ。
人物だけではなく――情景そのものが主体のような。
遠く霞む人影。
二人いる。
ならばこれは男と……恋人か。
声も音も無いけれど、伝わってくる楽しげな空気。
ただただ幸せを描くフィルム。
――花に焦点が向く春。
――木漏れ日の陰影が強い夏。
――どこか寂しさを覗かせる山々の秋。
――そして、男が一人だけ映り続ける冬。
場面は現在へ。
男は酒場を出る。
ふらふらと、危なっかしい足取りで歩いていく。
やがてカメラからも遠ざかり夜の街へ消えていった。
幕が下りる。
後半はなにも言わなかったけれど――見入っていたのかは自分でもわからなかった。
「悪いけど、退屈な映画ね」
感想と呼べるものはなにも出てこない。
有意義な時間を過ごしたとも思えなかった。
「それで、私にこれを見せて何がしたいの?」
咎めるような口調になってしまう。
紫が好きな映画を貶すようで気が引けるけれど、止められない。
さっさとここから出たかった。
なのに返ってくるのは苦笑。
「心外ね。これを選んだのはあなたよ」
意味がわからない。
私は望んでここに来たわけではないはずなのに。
「映画でも見て寛ぎたいとでも思ったんじゃない?」
意味が、わからない。
「でも大結界の中に居るあなたは映画のことなんてあまり知らない。
だから知ってそうな私を呼んだ。演目の選択権を渡したのはそういうことね。
それであなたのリクエストに沿った映画を私が提示して、あなたが許可した」
――意味がわからないのに、核心に近づいているという確信。
「でもなんで映画なんでしょうね。山の神の巫女にでも吹き込まれた?」
「……確かに、早苗とそういった話は……したけど――」
「じゃあそれね。同年代の子と話して無意識に憧れた」
何故か否定したくてたまらない。
そうしないとこの足が踏む地面がなくなってしまいそうで。
無重力になってしまうのが怖いと思ってしまって。
「華やかで煌びやかな毎日。弾幕が飛び交い異変の解決に追われる毎日」
なのに紫の追及は止まらない。
「騒がしくて、楽しくて――歩こうとしても、走り続けてしまう世界」
「……暇な時の方が多いわよ」
反射的な否定も論理的に否定され返す。
「日数を占める割合は関係無いわ。あなたの心を占める割合の問題」
やめてほしい。
「飛ぶ鳥だって、木にとまって休むものよ霊夢」
――私の弱さを肯定しないでほしい。
「あなただって、休んでいいのよ霊夢」
残酷に、微温湯に溺れていくように、私の強がりが剥がされていく。
「だからあなたはこちら側に目を向けてしまった」
「ここは――外なの?」
「そうとも言えるし、そうとは云えない」
「胡乱ね」
「その通りね。胡乱を形にしたようなモノ。夢と現実と幻想が混じった世界」
「それは――妄想と云うんじゃないかしら」
「そうかもね。ならここはあなたの妄想」
自分で言っておいてなんだけど……随分締まりが悪くなったものだ。
臙脂の背もたれに体を預ける。バネの軋む音が音の消えた薄暗がりに響く。
「――結局は夢オチか」
「息抜きしたい、ってことでしょう?」
「息抜き、ね。それでなんであんたが出てくるのかしら」
紫の言が正しいなら私が指名したことになるのだけど、記憶にない以上は押し掛けの可能性も捨て切れない。
少なくともここに居る私の中では、こいつほど息抜きや寛ぎから遠い奴は居ない。
「外のことに詳しいってんなら神奈子でも早苗でもよかったのに」
そうだ。映画の話を聞いたのは早苗から。
ならこうやってナビゲーターとして出てくるのは早苗であるべきだった。
優先順位が間違っている。
紫が外に詳しいということは聞いていたが、外の知識を披露しているところなんて見たこともない。
反して早苗は映画館やどんな映画が面白かったかなんてことを事細かに話していた。
早苗が来るべきだったのだ。あの天然娘なら息抜きの相手として申し分ないのだし。
「さぁて? ご指名を頂いただけですので」
案の定とぼけられる。
決まりだ。なんらかの手段で私の異変を感じて押しかけたんだ。
「あんたって嘘が上手いのか下手なのかよくわからないわ」
察知した手段もここに来る手段もさっぱりわからないけど、こいつならどうにかするだろうし。
こうなるとここが夢のようなものだというのも怪しくなってきたが――
「そんなに山の巫女に逢いたかった?」
声音が違う。
「私じゃなくて、同年代のお友達に来て欲しかった?」
「――紫?」
「私が来ては、いけなかった?」
暗くて――顔がよく見えない。
黙り込まないでよ。なんか、そういうのは、あんたには似合わない。
「私、は……」
なにか重さを感じて、黙ってしまいたいけれど――黙ってはいけないと、直感する。
考える。
何を言えばいいのかを考える。
「……疲れていたから、誰かに傍に居て欲しいって思って」
思いつく端から言葉にする。
季節は冬。いつものように魔理沙や早苗や妖怪たちが来るけれど。
焦ってしまって余計なことまで考える。
「一人は嫌で、それで」
他の季節には無い寂しさがあって。
今は必要のないことの筈なのに。
自然、あいつを探してしまって。
止まらない。
それでもあいつは居なくて。
言葉の意味も考えずに口にする。
「――紫に逢いたかった」
沈黙。
顔が、熱い。
「待った。今のなし」
何を口走ったか自覚して、混乱する。混乱してしまう。
だって紫は今冬眠してて、逢えないのは当然で。
なんでこんなことを口走ってしまったのか己の迂闊さが呪わしい。
これじゃあまるで私が紫に甘えてるみたいじゃ
「……紫?」
冬眠。
季節は、冬?
そうだ。今ここに、居る筈がないんだ。
冬の間紫は絶対に姿を現さない。
だから冬眠してるんだって噂まで流れてるのに。
「これは――あなたの夢?」
紫は言った。
胡乱だと。
夢と現実と幻想が混じった世界だと。
なら、夢と夢が混じり合っていてもおかしくは、ない。
「呼んでくれてありがとう霊夢」
ここは私の夢で――彼女の夢でもあるんだ。
ようやくからくりを理解する。
脚本は私が書いていて、舞台は紫が提供した。
その齟齬が違和感を醸し出していたんだ。
あの映画も、私の寂しさを訴えるものでしかなかった。
見てて退屈なわけだ。あれは私の心の内を誇張しただけのものだったのだから。
わかってしまえば、なんてことはなかった。
結局は、夢オチだ。
現実じゃ、ない。
「……脱力」
「あら、どうして?」
問われて、答えるのもかったるい。
「だって、こうして逢っていることも泡沫に消えてしまうものだもの」
紫に逢えていたって逢えてるわけじゃない。
「こんなに素直な霊夢は珍しいわね」
「失礼な」
脱力のついでみたいなものだけど。
「いつも今日みたいに素直ならいいのに」
「重ねて失礼な」
そんなの恥ずかしくてやってられないわ。
「そんな可愛い霊夢にご褒美」
「重ね重ね――え?」
反射的に紫を見る。
彼女は――
「起きたら映画でも観に行きましょうか」
私は今布団の中に居る。
見慣れた天井。
寒いから雨戸を閉め切ってるので朝か夜かもわからない暗い部屋。
いや、どこからか光が一筋差し込んでいる。ならば朝なのだろう。
体を起こして――気だるさに倒れ込む。
ああ……起きたら忘れてればいいのに。
顔が熱い。首まで熱い。
誰だ泡沫に消えてしまうとか言ったのは。
「――夢の中でデートのお誘いなんて……」
鮮明に憶えている。
忘れられない。
春が、待ち遠しくてしょうがない。
「……少女趣味にも程があるわ」
夢に幕が引かれる瞬間
彼女は――微笑んでいた
に限りなく近い人
アダルトな雰囲気の漂う一品ですね
次は夢じゃなくて現実の世界での逢瀬を期待しています
素敵なお話有難うございました
偶然見つけたこの一本。
微睡む意識で読み耽り、
心地好さを抱いてもう一眠り…
良いですね、好きですよ、
こう言うの。
よくわかってらっしゃる
ゆっかれいむ!ゆっかれいむ!
これぞゆかれいむ。
たった二人だけの重なった時間が、とてもすてきでした。
猫井さんは
うまい
な
ロマンチックで読んでいるこっちが恥ずかしくなりました。