暗い一室で、一つの蛹がかえろうとしている。
紫はその様子を歪な微笑みで見守っていた。
美しい漆黒の翅が蛹を突き破って大きく揺れた。
細い体が空気に触れ、いよいよ翅を広げる。
その翅は真っ黒で、暗闇では微かにそこにあるだろうという事しか分からない。
それはまだ、存在自体が希薄。
細い体を浮かばせると、何処からか数多の蝶が現れた。
彼らの翼には赤い斑点があり、その赤が、暗闇に不気味に舞った。
数多の蝶は真っ黒の蝶を迎え入れると二重の螺旋を描く様にしてまた何処かへ消えていった。
紫もまた、愉快そうに笑み、姿を消した。
・
男には自分の状況が理解出来なかった。いきなり現れた黒い蝶に囲まれた。
そこで止まる。思考停止。
怯え竦んだ様子は、その貧相な形を一層惨めに見せる。
蝶は踊るように螺旋を描きながら男を品定めする。
黒と所々の赤が男の視界を揺さぶった。
尻餅をついても逃げられない。徐々に命の砂時計が落ちて行くのが分かる。
そこに吸い込まれるように金髪の少女が姿を表した。
「お、お前がやったのか」
「いえいえ。これから、"や"るのです」
人外の者が放つその空気に潰されそうになる。
血の気が潮騒を奏で、理性が警鐘を打ち鳴らした。すぐに男は正気を失う。
「ま、待て待てって!! なんで俺なんだ!? 今日だって、帰りを待つ妻や子供が」
僅かにまともな脳裏で生まれたばかりの娘を、添い遂げるつもりの愛妻を思い描く。
「あらあら……ならば一度だけ、情けを掛けてあげましょう」
「情け……?」
「さてさて、如何致しましょうか」
正気でなくても、怨み辛みが立ち上るのは容易であった。
「そ……それなら、商売敵のアイツの元へ行ってくれ。それで、アイツを、殺すんだ……。クックック、今まで散々やられた礼だ……な、やッてくれるよな!?」
「――――えぇ、それは勿論、お安い御用。これはこれは、慣れたものですから、うふふふふ……」
紫と、黒い蝶が不気味な笑みと余韻を残して姿を散らす。
その仄かな余韻が消え去った後には、惚けた男と狂った嗤い声だけ。
日が沈む。
男はぼんやり妻子の元へ、家路を辿った。
――翌日、黒い蝶に看取られて、その男は死ぬ。
人々は神隠しと囁いた。
・
暗い一室で、一つの蛹がかえろうとしている。
紫はその様子を歪な微笑みで見守っていた。
「どうしてどうして、私ヲ殺サナイデ、というたった一言を、言えないのかしら……」
美しい漆黒の翅が蛹を突き破って大きく揺れた。
細い体が空気に触れ、いよいよ翅を広げる。
その翅は真っ黒で、暗闇では微かにそこにあるだろうという事しか分からない。
それはまだ、存在自体が希薄。
「うふふ……人間って、愉快ね」
細い体を浮かばせると、何処からか数多の蝶々が現れた。
その翼には生々しい赤銅の飛沫があり、その赤銅が、暗闇に不気味に舞った。
数多の蝶々は真っ黒の蝶々を迎え入れると二重の螺旋を描く様にロンドを踊る。
ゆらゆらと、楽しそうに。新たに仲間入りした漆黒の蝶々はぎこちなく揺らめいていたが、すぐに慣れるのだろう。
必ず一匹だけが漆黒を持ち、次第に赤銅を増してゆく黒死蝶達が、ロンドを舞う。
紫は蝶々達に向けてこの上なく愛おしい相貌をねっとりと浮かべ、右手で口元をなぞった。
純白のレースグローブが血の口紅で、少し汚れた。
-fin-
最後の一文にドキリとした。
けど、たしかに妬ましい…!
あとがきwww
その相手が、男を殺して欲しいと言った、で解釈はいいのかな?
面白いかった。
こういうSSは妖怪らしくていいなあ。
ストーリーや描写等は満点です、個人的にもう少しボリュームが欲しかった…
その分、インパクトは大きかったです。