※ 食人シーン・オリジナル設定・うっすら百合?があります。
「どうして蓮子は、境界の向こうを見たいと思ったの」
ふとした時にそうメリーに問われ、答えに詰まった。
秘されたものを開きたくなるのは人の本能、とか。
違う世界を見てみたい、という子供っぽい夢だ、とか。
超統一物理学を学ぶ上で見てみたくなった、とか。
色々言いようはあったろうに、その時の私はどれもしっくり来なくて。
「……なんとなく?」
結局その時は、そうとしか答えられなかった。
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「うーん……」
カフェテリアで購入したランチセットのサンドイッチを一口かじり、蓮子は首をかしげて唸る。
「どうしたのよ、蓮子。嫌いなものでも入ってた?」
メリーの問いかけに蓮子はもう一つのサンドイッチをかじってまた首をかしげ、答えた。
「味覚が変わったのかしらね。ここのところ、前まで好きだったものをあんまり美味しく感じないの。不味いってほどじゃないんだけど、前ほど食事を楽しめなくなった気がして残念だわ」
「味覚障害でも起こしてるのかしら。それとも妊娠? おめでとう、お相手はだれかしら」
「今のところ思いつかないけれど。それとも私はマリア様なのかしら?」
茶化しながらも自分のフレンチトーストを一口切って蓮子に差し出すあたり、メリーも心配はしているようだ。けれど、シロップとクリームのたっぷりかかった、普段なら顔をほころばせて味わうだろうそれも、蓮子にはただの甘いパンにしか感じられなかった。
「いたっ」
蓮子が研究室でレポートのための資料を纏めている時、その端っこで指を切った。良くあることといえばそうだが、紙で切った傷はじくじくとしつこく痛むので面倒だ。ぷくりと盛り上がり、今にも滴り落ちて資料を汚しそうになっている血を慌てて舐めとる。
「あれ、宇佐見さん怪我? 私バンソーコーあるよ」
同じくレポートの資料集めをしていた友人が差し出したピンクの絆創膏をありがたく使わせていただき、血止めをした。視覚効果のせいか痛みが治まったようにも感じると蓮子が言うと、得な性格ねと友人が笑った。
そのあとは特に異状もなく、大学を終えて夕食。面倒だったのでインスタントだ。どうせ今は何を食べてもそんなに感動はないから特にこだわることもない。
そして夜。シャワーを浴びるために手の絆創膏を耐水性のものに貼り替えようとしたときだった。
「あれ……傷がない」
そこにあったはずの傷は、うっすらと一筋の痕を残してすでに塞がっていた。きれいに切れた傷は治りが早いとはいえ、こんなに早く治癒するものだろうか。
首を傾げながらも、治ったのだからいい、悪化するよりよほどいいじゃないかと納得して就寝する。少しの不安を押し込んで。
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いつもどおりのカフェテリア。蓮子は相変わらず舌の調子が戻らないようで、安いけれどあまり味のないパンを仔鼠のようにちまちまと齧っている。
「まだ調子は変わらないみたいね。お医者様には診せたの?」
ごきゅ、と音を立てて野菜ジュースでパンを流し込む。同じ味がわからないのなら、どうせ合成なのだからサプリメントでも飲めばいいのにあえてジュースで栄養バランスを取ろうとしているのは蓮子なりの己の変調に対する抵抗なのか。
「とっくよ。原因はわからないって。心因的なものじゃないかって言われたけど、別にストレスを溜めたりしたわけでもないんだけど」
お手上げ、とばかりに蓮子が手のひらを上に向ける。
「それよりメリー、新しい写真があるんだけど……」
「21時48分、18分の遅刻ね」
いつもどおりに遅刻してきた蓮子にそう言えば、「20分と6秒よ、時計を合わせた方がいいわね」と返された。
煌々と世界を照らす月を背に、昼見せられた写真にあったその公園を眺める。街灯が切れかけて、月明かりにぼんやりと青く見える公園の中で、メリーの目に映るその結界の境目が毒々しいほどの紫に染まっていた。
「あるにはあるけど、なんだか禍々しいわね。混ぜるな危険、って感じ。ねぇ蓮子――蓮子?」
答えない蓮子をいぶかしんだメリーが蓮子を見れば、蓮子はただ結界の境目をじっと見つめていた。――彼女には、見えていないはずの。
「蓮子、あなた――見えてるの?」
蓮子の肩を掴み、揺さぶる。夢でも見ているようだった瞳が見開かれ、メリーのほうを向いた。
「え、あれ? 私、何してたの?」
「それを聞きたいのはこっちよ。どうして結界を見ていたの? どうやって結界を見つけたの?」
蓮子はわからない、とちいさく呟いた。不安を感じたメリーが「今日の探索は中止しましょう」と蓮子の手を引いてアパートに帰る間も、蓮子は幾度となく、不思議そうに「わからない」と繰り返した。
「わからないけど――惹かれたのよ、何かに」
ある日メリーが蓮子の部屋に向かうと、大量の食品を買い込んで手当たり次第に胃袋に詰め込む蓮子がいた。
「ちょっと、蓮子!? なにやってるの!?」
慌てて蓮子の手をつかんで止めさせる。味の濃いインスタントから素材そのままのものまで、種類はさまざま。食べ残しや空のカップなどを見るに、すでに相当の量を食べているだろう。
「こんなに食べて……何がしたかったの? やけ食いするほど何かあった?」
ふるふる、と蓮子が首を振る。
「わからないの」
「何がわからないっていうの」
味がわからない、というのはここしばらく蓮子が言い続けていたことだ。けれど、味がわからなくて拒食になるならともかく過食になるというのは珍しいのではないか。
「何を食べてもおいしくない。どれだけ食べても満たされない。もっと他に食べなきゃいけないものがあるって体が訴えてるのが分かるのに、何を食べたらいいのかわからない」
その結果が、この脈絡はないが種類と量はある食卓ということか。
とにかく、落ち着いた蓮子をベッドに寝かせ、もう一度病院に行くことを約束させる。一人になりたいと蓮子が主張したのでその日はメリーも家に帰ったが、色濃い不安が胸を締め付けて放してくれそうになかった。
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「蓮子」
蓮子が体の怠さに負けて三日ほど布団の中に引きこもっていると、またメリーが訪ねてきた。
部屋の様子を見て蓮子がろくに食品を取っていないことを知ったのだろう、メリーは怒ったような顔でゼリー状の栄養食品を差し出してくる。
「いらない……食べたくないのよ」
蓮子は手を振って断るが、メリーは有無を言わさずに蓋を開けて蓮子の口に先を差し込んだ。仕方なしにずるずると啜り込むが、これを口にしたところで何も変わらないのは、蓮子が一番解っていた。
「一応ありがとう、って言っておくわ。でもメリーお願い、できるだけ早く私の部屋から出て行ってもらえるかしら」
「本気で言っているなら病人でも殴るわよ。こんな状態のあなたを放置していけるわけないじゃないの」
メリーはたしかに蓮子を心配してのことだったのだろう。けれど、蓮子としても退くわけにはいかない。
「ねぇメリー……お願い。今日は、帰って」
だって、今、蓮子には。
「私――あなたがとても美味しそうに見えているのよ」
メリーはあっけに取られたような顔をし、次いで困惑を浮かべた。冗談でしょう、と言いたげだったが、蓮子の表情に本気を感じたのだろう、逃げるように部屋を飛び出した。それはそうだろう、突然自分を食品として美味しそうといわれて気味悪く思わない人間なんているまい。
「……ひとりに、なっちゃったな」
ぎゅ、と枕を抱える。どちらかといえば浅く広い交流の多い蓮子にとって貴重な親友と呼べる相手を、これで失った。ひどく寂しさを感じるのに、思い浮かぶメリーの姿を思い出せば、そこで湧き上がるのは食欲だ。
――メリーは女性らしい体つきをしているから、きっと肉は柔らかい。少し羨ましくもあった豊かな胸は、きっと甘いだろう。流れる血はこのたとえようもない渇きを癒してくれるはずだ。
唾液がじわりと湧く。蓮子の飢えは、食べたくないと思う蓮子の心を無視してメリーの体の食感を想像していく。そのあさましさに蓮子は自分の脳をたたき割りたくなった。そして一人、つぶやく。
「ねえメリー、教えて。私はまだ、人間のかたちをしている?」
そして、翌日。再び蓮子の家にメリーが訪れた。
「お早う蓮子。外はいい天気よ」
蓮子の目が驚愕に見開かれる。もう会うこともないかもとさえ思っていた相手の来訪に、蓮子は驚きふためいた。
「メリー!? どうしてまた来たのよ!」
メリーは蓮子の狼狽がむしろ不思議だとばかりに笑うと、口を開く。
「どうって、そりゃあ」
柔らかな微笑みが蓮子に向けられる。
「蓮子に、食べてもらいに」
唖然とする蓮子を尻目にメリーは蓮子の部屋に上がり込む。お気に入りなのだと言ってよく着ていた紫のワンピースにいつもの白い帽子といういつもどおりのいでたちで、ただいつもと違うのはその顔に一切の化粧が施されていない点だった。
「悩んだのよ、一番美味しく食べてもらうにはどうすればいいか。焼く? 煮る? それとも豪快に生? 味付けだっていろいろよ。塩? 醤油? クリーム? 人間の味にはどれが一番合うのかしら、って」
ちょっと珍しい食材を手に入れたとでもいう風で、メリーは自分の調理法を上げていく。しかし彼女が狂っているわけではないのは、けして浅くない付き合いをしてきた蓮子にはわかった。メリーはあくまで正常のまま、自分を一番美味しい状態で蓮子に食べさせる算段を考えている。
「でも、結局一番いいのは素材そのままって結論になったから、綺麗に洗うだけ洗ってきたわ。水洗いだから洗剤臭くはないはずよ。蓮子、お刺身好きよね?」
いつもと変わらぬ口調で、いつもと変わらぬ笑顔で、メリーは蓮子に笑いかける。
しゅるり、と衣擦れの音がした。
一糸まとわぬ姿になったメリーから必死に目をそらす。見てしまったら、きっと我慢できない。今でさえ視界の端に映る姿に、その白い皮膚から薄らと透ける血潮に、ほのかに感じるメリーの体臭にこれ以上なく飢えを刺激されているのだ。真正面から見てしまったら、きっと自分はその喉元に喰らいつき、肉を裂き、血を啜るだろう。
「――嫌」
蓮子の口から、言葉がこぼれる。
「嫌よ、嫌、嫌あああああ! 食べたくない食べたくないメリーを食べるなんてできない!」
泣き声のような蓮子の言葉に、メリーはあくまで優しく、幼子にするように蓮子を諭す。
「でも食べなきゃいけないんでしょう? 食べなければあなたが死ぬ。食べられれば私は死ぬ。どちらを選んでもひとりは死ぬのなら、私は蓮子に食べられて蓮子の栄養になりたいわ。その方が素敵だもの」
メリーの手がそっと蓮子の頬に触れ、前を向かせる。きれいな金の目が、穏やかな色を浮かべて蓮子をじっと見つめた。
「だって蓮子。そうしたら、あなたは絶対に私のことを忘れない。私の体があなたの血肉になり、私の記憶があなたの心に形を残す。そうして私とあなたは永遠にひとつになるのよ。この世界のどんな人間より、私たちは近くなるの」
そっと抱きしめる腕。あたたかな体温。メリーが恋しい、メリーを食べたい。
「ねえ、蓮子。私の身も、心も、あなたにあげる。境界を視るこの目が欲しいなら、抉り取ってプレゼントしてもいいわ。あなたに私のすべてをあげる。だから私に、あなたの一部になるという選択を、ちょうだい」
もう駄目だった。堪えられなかった。これが何の欲なのか、もう蓮子にもわからない。食欲と支配欲と性欲と他にもあらゆる感情が混ざり合い、そのすべてが蓮子を突き動かした。
喉元に歯を立てる。以前よりずっと鋭くなっていたらしい蓮子の牙は、易々とメリーの肉を抉り取った。蓮子の背に回されていた腕が、びくんと震え、すぐ動かなくなる。
動脈から噴水のように溢れる鮮やかな赤い血液の芳香が鼻をくすぐる。もったいないとばかりに啜ると、それはどんな美酒よりも甘く蓮子を酔わせた。
幾度か体勢を変え、幾度も噛みついたが、メリーのもう動かない両腕は、それでも蓮子から離れようとはしなかった。自らを食らう蓮子を求めるように、ずっとその背を抱いていた。
そして日が昇り、また沈んだ頃。
メリーの体は骨すらも残らず蓮子の体内にに収められた。この世に残る彼女の痕跡は、わずかにこぼれた血液の跡と、脱ぎ捨てられたワンピースのみとなっている。
ベランダにつながる大きな窓から、夜空が見えた。普段よりもずっとたくさんの星が見えたのは、人ならざる身となった故か。
鋭くなった爪も牙も、鋭敏になった五感も、己を包む世界との剥離感も、その全てが蓮子がもはや人ではないと物語るようだった。
そして夜空を切り裂く、むらさきのスキマ。きっとこれは、メリーのみていた景色。
あの向こうにメリーを呼んだ世界がある。いつか二人で行こうと約束していた、メリーの夢の世界。
「メリー、まるで古い物語だわ、あなたを食べて、あなたの能力を奪うなんて」
もうメリーはいない。蓮子が食べてしまった。メリーの能力を得たことで、より強くそれを実感する。
――不意に、涙がこぼれた。それは悲しさからか、さみしさからか。
蓮子はぼろぼろと涙をこぼしながら立ちあがり、踊るようにくるりとその場で回転する。
「こんな普通の姿じゃ、妖怪らしくないわ。そうね、もっと長くてきれいな髪で」
さらり、と音を立てて蓮子の髪が伸びる。黒かった髪からは色が抜け、まばゆいばかりの金色に。
「瞳だって、当り前の黒じゃつまらないわ。もっと妖しい、そうね、紫なんてどうかしら?」
瞳の濃茶は涙に溶けたように紫へと変じ。
「顔立ちももっと素敵じゃないといけないわ、体つきだってもっと、見る人を魅了するような」
まだどこか子供っぽさを残していた顔立ちが、シャープなものへと変わってゆく。細身の体にはやわらかな肉がつき、大人の女性らしさを帯びる。
そうして出来上がったその姿は――蓮子がいま喰らったメリーそのものだった。
「あはっ……ねぇメリー、おかしいわね。妖怪っぽくしようとしたらメリーになっちゃった」
メリーの脱ぎ捨てたワンピースを手に取り、身にまとう。そこにはもうメリーの体温は残っていなかったけれど、この姿には似合いだった。
「名前はどうしましょう。妖怪だもの、新しい名前が必要よね。メリー、あなたのファミリー・ネームをいただくわ。ああでも、漢字のほうが素敵よね、そうね――偉大なる先人に習って、八雲としましょうか」
くるりくるり、回る度にバレエのチュチュのように広がるスカートをつまみあげる。メリーの好きな色。深い紫。
「名前は――ゆかり。あなたの好きだった紫よ、メリー。八雲紫、いい響きじゃない?」
自らの中のメリーに問うように蓮子――八雲紫は言うと、踊るような足取りで窓に向かう。目指すのは境界の先、メリーが夢に見た、いつか二人で行こうと約束した世界。
あの約束とは少し形は変わってしまったけれど。
「さあメリー、行きましょう、私たちの世界へ」
だがこういうのもいいかも…
食べているとき、彼女はきっと泣きながらメリーを食べたんでしょうね…。
ただ人を殺すのならもっと強い動機付けが必要だと思います。
蓮子がメリーを殺すことに葛藤を抱いているのもいいですが、もっとそこを掘り下げてほしいと思いました。
他には、食べられるメリー側の葛藤をもっと書いてみてはどうでしょう?
SSとしてうまくまとまっているので読みやすかったです。
人を食わずにすむのなら、私もまばゆい星空、むらさきのスキマを見てみたい。
妖怪でも人以外の食料を食料として食べる事はできるんじゃないかな~
と思ったり
まあ、妖怪やその時の状況によるのかもしれんけど・・・猛烈に食べたいものがあったからとか?
オリジナル設定入りの特殊な内容なので正直誰にも読んでもらえないんじゃないかと不安だったので嬉しいです。
私も初めてこの設定を見た時は衝撃でした、紫=メリーが考え方の基本だったので、まさに目から鱗。
16さんの言うように、もっと蓮子が妖怪に変化していく様子や感情描写を書き込んでいければよかったのですが、技術不足と勢いだけで書いたために浅くなってしまいました。
これから精進して、二人をもっと活躍させたいです。
>>22さん
人間以外を食べられない、というよりは人間以外のものを(無意識に)食べ飽きている、というイメージでした。
肉ばっか食べてたら野菜が食べたくなる、肉はもういい! というあの状態です。
この場合肉=普通の食事、人間=野菜、という感じで。
これも描写不足ですね……
ああ、こんなんじゃ秘封の二人に叱られる。むしろ叱られたい。
ありがとうございます、堪能しました。
短いながら鬼気せまるものを感じました。
どんな形であれ、どちらも幸せになってくれてよかったです。
\すげぇ/
蓮子が望んで容姿を変えて紫になったというのも凄い着眼点。
個人的には、二人の活動がずっと続くという点でグッドエンドだと受け止めています
メリー→紫の話は沢山ありますが、
まさかの蓮子→紫とは。