「まず最初に言っておくが――」
と、父親は念押す様に言った。
「魔法使いを目指す修行というのは辛い。多くの困難や障害というのが待ち受けているだろう。才能が足りずに悔しい思いをする事もある。しかし、めげず、腐らず、努力を怠らない事だ」
父親はここで一旦言葉を切ると、勿体ぶるように若干の間を置いた。
「いいか、肝心なのは努力なんだ。弛まない努力だ。例え、一日に一個だろうとも、小石を積み上げていけば、いつかは月にだって届くぜ。どんな馬鹿だって努力の方向さえ間違えなきゃ、天才を超えられるんだ。な?分かるだろう?才能が足りないなら努力でカバーするのさ。要はそれだ。その点、お前は安心していい。なんせ霧雨の子だからな。霧雨の家ってのは、伝統的に努力の天才ばかり生まれる。だからきっとお前もそうさ。なんつってもおれの子供なんだし」
父親は煙草に火を付けると、実に美味そうにそいつを吸い、地面に投げ捨て、足で踏み消してから、さて、と呟いた。
「しかし、世の中、そんなに甘くもねぇって事もお前に教えとかなきゃならん」
父親は胸を張って、荘厳な声で言った。
「お前にゃ魔法使いの才能ねぇから。悪いけど、絶対無いからな。なんせ霧雨の子だし、俺の子だし。可哀想だけど、仕方ないんだ。諦めてくれ」
霧雨のオヤジ
昼を過ぎた頃、ようやく霧雨は自室で眼を覚ました。
大きく伸びをし、気だるくあくびをしながら、シャツから出た腹を掻く。
「――んな時間まで寝たのは久しぶりだな」
普段なら夜明けと共に目覚める。
というか、隣の豆腐屋が朝の仕込みを空が暗い内から始めるのだ。そして、夜明けとともに里中に向けて配達を始める。出来たての豆腐を荷台に乗せて、カーブを曲がる時はコップに入れた水をこぼさぬ様にだ。藤原豆腐店。厚揚げが美味い店だ。
なので、朝っぱらからがちゃがちゃがちゃがちゃと五月蠅い音がする。だから、嫌でも眼が覚める。
いや、お隣さんもそれなりに気遣っている筈なのだ。
只、霧雨の寝室が豆腐屋の厨房に近いのと、生来神経が細かいのが仇となって、どうしても朝の内から目が覚めてしまうというだけの事なのだ。
神経質だが楽天家の霧雨が、どうせなら目覚まし代わりにしちまえと割り切ってから、もう二十年にはなる。
何より、商人にとっては朝の時間帯の方が貴重だ。
客は――少なくとも道具屋「霧雨店」を利用する客筋は、夜も更けてから来たりはしない。日中営業がすべてである。なら、朝の時間帯を有意義に、営業の為の準備に充てた方が賢い。
だが、今日に限っては、何時も通りに眼を覚ましたが、そのまま起きる事無く、二度寝をした。そして再び目を覚ますと、昼を過ぎていたという次第だった。
霧雨がそうやって安心して惰眠を貪れたのは、今日が特別休業日だからだった。定期では無い。特別な休業日。
「おーい、母さん。飯は?」
自室を出て、食卓へと向かう。
だらしのない寝間着姿のまま。
年頃の娘でもいれば、それなりに気を遣うのかも知れないが、彼の一人娘は家をおん出たまま帰って来ない。
所謂、絶縁状態である。
普段、妻との間では決して娘の事は話題にはしない。
何故なら、勘当しておいて、実は心配しているなんてのはもっての外だと霧雨は考えていたからだ。
子が心配なのなら、勘当なんて真似を最初からしなければいいのだ。
追い出しておいて、その身を案じるというのは理屈に合わない。
何より、霧雨が娘を勘当したのは、他でも無い、娘を一個の人間として考えていたからである。
一人前の人格を備えた、一人の人間として娘を認めた。だから、自由にさせた。
しかしその自由とは、父親である自分にはとても許せる類いのモノでは無かった。
両者の意見は対立し、その溝は決定的なものになった。
何度も喧嘩を繰り返し、とうとう娘は自ら家を出て行った。
父親は帰って来ない娘にますます腹を立て、結果、勘当という扱いにした。
何年か前の話だ。
今も一人で暮らしているという。
きっと達者にやっている事だろう。
何か困った事や不具合もあるあろうが、持ち前の根性と知恵でなんとか糊口を凌いでいるに違いない。その点、娘の事は信頼していた。
そこまで考え、
――しかし、これじゃあまるで俺が娘の事を心配しているみたいじゃねぇか!
と、霧雨は突然、不機嫌になった。
全く、娘と衝突するようになって以来、娘の事を考えて楽しい気分になった事は一度も無い。
ふん、と鼻から荒い息を吐いて、言う。
「母さん、俺の朝飯はどこだい!?」
「眼の前にあるじゃないの、あなた」
台所から妻がひょいと顔を覗かせて言う。
「おいおいおいおい、これのどこが朝飯なんだ!この冷めた米と味噌汁のどこが!?」
卓袱台の上には、茶碗に盛られた白米と味噌汁が用意されている。しかし、それは何時間も前に用意されたもので、今は冷え切っていた。全くもって美味しそうでは無い。
「あなたが起きてくるのが遅いから悪いんですよ。私は何度も起こしたんですからね」
「そーかよ、ちくしょう。新婚の頃は良かったよなー!こういう時は黙って温め直してくれてよぉ!」
台所から包丁を握った妻が、ずかずかと食卓へと入って来る。
ひぃッ、と霧雨は情けない声を上げそうになるが、僅かに残った男のプライドがそれを押し留めた。
妻がさっと霧雨に紙片を差し出す。
「温め直してあげるから、買い物に行ってきなさい」
「買い物だと?」
霧雨は渡された紙片を睨みつけながら、またもふんと鼻を鳴らす。
「随分と高い食材ばかりだな――なんだこりゃ」
「ほら、お赤飯も炊きますから」
「今日は御馳走か?俺はウナギは厭だよ」
「あなたの為の御馳走じゃないのよ」
「わかってるわかってる、くそっ、どうせ里には買い物に行くつもりだったんだ」
「ほら、温め直すから、その間に着替えて、顔洗ってきなさいって。いい男が台無しよ」
霧雨は悪態をつきながら立ち上がると、洗面所へ向った。
顔を洗い、無精髭を剃る。
そして、鏡を見詰めて、不敵ににやり。
若い頃は、これでもプレイボーイでならしたものだ。年相応に、若干顔がたるんでは来ているが、生来の男っぷりは変わらない。
「やっぱ朝食は米に限るなぁー!」
湯気を上げる白米を噛み締めがら、気勢を上げる。
外来文化の流入にも負けず、米食を貫くのは霧雨家の伝統である。
朝食にパンなんて外道過ぎる。日本人のする事では無い。
「うーし、母さん、俺は買い物に行って来るぞ!」
満腹になった途端、生来の活動的な気性が働き始めた。
「はいはい、忘れものしない様にね」
「大丈夫大丈夫、まかせてくれ」
大股で家を飛び出し、直後にUターン。
財布は持ってきたが、肝心の中身を忘れたこんちくしょうめ。
霧雨は店のレジから黙って札を何枚か抜き出すと、そっと財布に忍び込ませた。
頼まれた物を買い揃えて、それでもまだお釣りがくる程度の金額。
「ま、美味いもんでも偶にはな」
盗んだ訳じゃない。少しの間、借りておくだけだ。というか自分の店なのだから、誰にも責められる筋合いはない。
「よぉ旦那、今日は店、どうしたんだい?」
「休みだよ、休み」
霧雨が里の中を歩いているとそれなりに声を掛けられる。
仕事柄、人と接する機会が多いからだろう。
その間、馴染みに愛想を振りまくのを忘れない。霧雨は根っからの商売人なのだった。
――これは森近の奴にゃ真似できんだろうな。
魔法の森に店を構える元弟子の顔を思い浮かべ、にやける。
あの男は、結局、趣味の延長でしか商売をしていない。
商売の為に商売をする霧雨とはその点が異なる。
そもそも森近霖之助に商売っ気が無いのは、店を魔法の森になんて辺鄙な場所に構えている時点で明白だと霧雨は思っていた。
だが、彼に商才が無いのかと言うとそうでは無い。
もし、霖之助にもう少し欲があり、店を里の中に構えていれば、それなりに凌ぎを削るライバル店になっていただろう。
そんな事を考えながら、霧雨は妻に言われた通りの品を買い集め、里の中を行ったり来たりする。
そんな風に里の目抜き通りをうろうろしていると、人混みの中で、厭でもちょっとばかり毛色の違う存在とすれ違う。
妖怪だ――。
とは言え、一見しただけでは、人間とは変わらない。
身の丈が人間の三倍はあるとか、腕が一杯ついていたり、目鼻がついて無かったりと、そこまで分かりやすいのはいない。
皆、人間の格好をしている。しかも何故か、少女やら幼女やらの姿が殆どだから、妙に愛らしかったりする。
勿論、角やら羽やら尻尾が生えてるのもいるから、よく見ると見分けは付くのだが。
それでも愛らしい事には変わらない。
だが。
――こえぇよ。
霧雨はそう思う。
霧雨が子供の時は、妖怪なんては恐怖の代名詞として語られて来たものだ。
さらに父親の代くらいになると、妖怪はまさに現実の脅威だったに違いない。
だと言うのに今と来たら――。
里の中に、妖怪が入って来ても、誰も不思議とすら思わなくなった。
里の子供なんて妖怪と平気で遊んでたりする。
おいおい、そりゃあまりに危ないんじゃねぇか、と霧雨は心配するが、子供は平気だ。大人より柔軟性があるからかもしれない。
里の皆だって、割と平気に接している。
内心びくびくしてるのは、案外、霧雨だけかもしれない。
――くそう、格好悪いな。
霧雨は不機嫌になる。
――なんで俺が妖怪なんてものにびびらなきゃいけないんだ、ちくしょう。
昔、里の大通りを、肩を切って悠々と歩いていた若い頃を思い出す。
霧雨は咥え煙草に火を付けると、昔やった様に、背筋を伸ばして胸を張ると、ポケットに手を突っ込んで、歩きだした。
面相も体格も良い霧雨がやると様になる。
何も怖いものが無かった若い頃の気持ちを取り戻した様な気分になり、高揚する。
前から人が歩いて来る。
女の子だ。
日傘をさして、悠々と歩いて来る。
胸がでけぇ、とまず霧雨は思った。くそう、自分があと二十年は若ければ――。
すれ違いざま、こんにちはお嬢さん今日はいい天気ですね、なんて挨拶をしようとして霧雨は凍りつく。
――ここここ、コイツは。
霧雨は職業柄、人の顔や特徴を憶えるのは得意だ。だから女の子の正体もすぐに分かった。
――幻想郷縁起に載ってた超危険妖怪じゃねぇかッ!
見た目だけでは凶悪な感じはしない。おっぱいがちょっとばかし大きいだけの女の子にしか見えない。なんか道端に咲く花を見詰めてニコニコしてる。
よくよく見ると、彼女が見ていたのはまだ咲きかけの蕾だった。それに彼女が触れた途端、咲いた。
――こえぇぇぇ!!
霧雨はびびる。
――花ぁ咲かせやがった!
花咲か爺さん――いや女だから、花咲か姉さんか。でも妖怪だから歳は分からない。霧雨より遥かに長生きしているかもしれない。だとしたら花咲か婆さんだ。
霧雨はいつの間にか咥えていた煙草を取り落としていた。緊張した手で煙草をもう一本ポケットから取り出すと、火を付けた。
――落ち着け落ち着け。妖怪なんてホントはそんなに怖かねぇ。若い奴らの間じゃ弾幕ごっこつって妖怪と戯れるのが流行ってるって言うが、あれで死人が出たなんて話は聞かねぇし。
きょろきょろと辺りを見廻し、人がいないか探る。
――ちくしょう!誰もいねぇ!
里の往来のど真ん中だってのに、人の気配が無い。偶然か?それとも皆もこの眼の前の脅威を目にして逃げたのか?
霧雨は生来のヘタレだった。
自分でもそれは分かっていたのでそうは見せない様に努力して来た。
努力――。
霧雨家の人間が伝統的に持っている才能だ。
それで、若い頃から自分はタフでクールな奴だと周囲に見せかけて来た。
なのに、やっぱり根はヘタレのままだ。
店に妖怪がやって来たのなら、客として普通に接する自信はある。何故なら、霧雨は商人だからだ。購入意思のある奴等は人間だろうが、妖怪だろうが関係は無い。
しかし今はプライベートだった。しかも一人。死ぬ程心細い。
霧雨は道の端に寄ると、彼女の為に道の真ん中を開けた。
そして、どうか俺の事はそこら辺の小石とでも思ってくれと祈る。
背後を女が通過する気配がする。
――よし、いいぞそのまま行ってくれ。
女が去っていく気配。霧雨は胸を撫で下ろしたが、次の瞬間、去っていった気配はすぐに戻って来た。
――おいィ!?
「すみませんが、そこの人」
よりにもよって声を掛けられる。
「はい」
霧雨は向き直り、直立不動で答える。
いきなり食われたりする事なんてある筈はない。でも怖い。妖怪を恐ろしいものだと思う染み付いた大人の習慣は抜け切れない。
「落し物ですよ。お財布」
霧雨はポケットを探る。無い。煙草を取り出す時に落としたのか。
「フヒヒ、すいませんね」
じっと女は霧雨の顔を見詰める。
「貴方、私の知っている誰かに似ている気がするわ」
「ああそうですか。ふむ、ところで、世の中には亜阿相界なんてふざけた名前の植物がありましてね」
「知ってるわよ。あれ、キョウチクトウの仲間なのよ?」
「それは知らなかったぜ」
ふぅん、と女が呟く。
「貴方、あの子のお父さんなのね。目元が似てるわ。あと、人を食ったようなところも」
「人を食うのは貴方の方でしょう?」
言ってから、霧雨はやっちまったと後悔する。不味い、本当に食われるかもしれない。
しかし女は鷹揚に笑っただけだった。
「本当にそういうところ、そっくり」
それだけ言うと、もう霧雨には興味は無いように、ひらひらと女は手を振って向こうへと消えていく。
その後ろ姿を見送りながら、霧雨はまたもや不機嫌になりつつあった。
――俺が娘に似てるって!?
――あの不良娘に?冗談じゃない!
気を取り直し、再び歩き出す。
買い物メモによると買わなきゃいけないものはまだまだある。
急がないと夕飯に間に合わなくなるな――。
霧雨はいそいそと次の目的地へと向かい歩き出した。
買い物袋の中を買ったもので一杯にして、里の中をうろうろするのは疲れる。
歳かも知れない、と霧雨は思った。
無限に体力がありそうな若い連中が羨ましい。
――うむ、それにしても最近の若い奴等は格好が派手だ。
和洋折衷というか、古今東西のデザインが織り混ざった服ばかりが目につく。
考えれば、此処にはレディーメイドの服なんて無いに等しく、殆どがオーダーメイドだ。
結果、みんな好き勝手に各々の好みを反映させている。
だから流行なんてものは無く、同時にスタンダードも存在し得なかった。
これがまだ和魂洋才ってのならいいが――と霧雨は思った。
――どっからどう見ても外人にしか見えねぇ奴らもいる!
なのにどいつもこいつも日本語に堪能だ。よく考えれば不思議だ。
妖怪に、外人。くそっ、里はどうなっちまうんだ!?日本人の心は――ちくしょう!
奴等は絶対に朝はパン食に違いない、と霧雨は思った。
――お米食べろよ!
文化の流入によって、里の生活は昔とは変わっている。豊かにはなったのだろう。でも、何か大切な物を置き忘れているのではないだろうか。
――ほら、慎みとかなッ!
霧雨の視線は、前方を歩く、三人連れを捉えていた。
一人は幼い少女――被っている帽子のデザインが前衛的というかとてつもなく奇抜だ。特に、あの帽子の頭についてる物体は――目玉か?よく分からないが、田圃に鳥避けに置かれているでっかい目玉マークみたいなもんなのかもしれない。まぁそれはいい。
もう一人の少女――いやお姉さんか――は背中に――縄を――ううむと霧雨は暫く考え、やはりそれは『注連縄』に違いないと見当を付けた。兎に角、お姉さんは注連縄を背中にしょっている。重くは無いのだろうか。いや、ありゃきっと中は中空だな、と道具屋らしい推測をする。しかしその意味は分からない。何となく、祭りを連想させる。深遠な宗教的意味があるのかもしれない。或いは、只の罰ゲームか。
しかし、そんな二人よりも、その二人の挟まれ歩いている、この三人の中ではまだ常識的な格好をしている少女が気に食わなかった。
――腋が丸見えじゃねぇかッ!!
提灯袖が途中で切られ、脇辺りが丸見えになっている。デザインの一言で済まされる様な代物では無い、と霧雨は思った。
あれは下手すりゃ横から胸が見えるんじゃないか、と気が気でない。
霧雨だって若い頃なら助兵衛根性丸出しで、諸手を挙げて喜んだかもしれないが、今や年頃の娘の親である。勘当したが、娘の親には違いない。だからこそ憤りを覚えずにはおられなかった。
――慎みがねぇ!全く親の顔が見たいぜッ。
霧雨は気炎を上げながら、ぷりぷりと道を歩いた。
「おや、こんにちは。霧雨さん」
角を曲がった所で、顔見知りに会う。
「ああ、これは慧音先生。御無沙汰で」
先程までの怒りも忘れ、霧雨は笑顔になる。
霧雨は、妖怪は苦手だし、若い連中の事もよく分からないから好きでは無い。
そして、上白沢慧音は半分が妖怪のお姉さんだった。が、霧雨は好きだった。礼儀正しいし、凛として、しゃんとしている。
娘もこれくらい聡明であれば、と霧雨は思わずにはいられなかった。
「今日は買い物ですか」
「ええ、ちょっと野暮用でしてね。妻に頼まれました」
「霧雨さんのところは奥さんと仲が宜しいですね。私なんて昨日は夫婦喧嘩の仲裁を頼まれましたよ。互いに好き合って、一緒になっておいて、喧嘩ばかりとは――。独り者の身としては複雑ですよ。結婚なんてものはしても、あんなものなのかと」
「うちだって喧嘩はしょっちゅうですよ。犬も食わないってだけで、誰も相手にしてないだけです」
ぽりぽりと頬を掻きつつ、霧雨は言う。
「ふむ、そんなものですか――。ところで霧雨さん、さっきは随分と機嫌が悪そうでしたが何かありましたか」
鋭いな、と霧雨は思う。
「いや、つまんない事なんですがね」
と、霧雨は先程見た、脇が丸出しのファッションについて語った。
「恥ずかしく無いんでしょうかね?あんな格好をして」
慧音は苦笑しながら、まぁまぁと霧雨を軽く諫めた。
「霧雨さんが見た人は、たぶん、山の上の神社の巫女ですよ」
「巫女さん――。巫女ってのはあんな露出度の高い格好をしてもいいもんなんですかね」
「さて。価値観というのは時代と共に変わるものですからね。恥というものの基準も年々変わっていくでしょう」
「そりゃあそうでしょうがね――」
「それに恥ずかしいというのは本人には分からないものなのですよ。あくまでも周囲の人間が感じるだけの事であってね」
「そりゃつまり俺が勝手に恥ずかしいと思ってるだけだと?」
「ええ、まぁ。見ている方が恥ずかしいなんて言葉もあるでしょう」
ふと、自分が若い頃もそうだったと思う。
服装、髪型、言葉遣い。
里の年寄りどもはいつも若い連中の事については文句ばかり言っていたし、若い方もガミガミ言われていつも苛々していた。
何の事は無い。いつの間にか、自分が年寄りの側に回っていたというだけだ。
まだ四十過ぎなのになんて事だと愕然とする。
自分はいつの間にか、あんなに厭だった、しみったれたオヤジ連中そのものになっている!
慧音が言った。
「幻想郷は全てを受け入れるという言葉もあります。いいじゃないですか。服装くらい。時には大目に見る事も大人の態度ですよ」
服装くらいか、確かにそうかもしれない。
「それにああいう感じの巫女装束は彼女に限った事じゃないでしょうに」
慧音が呟いた。
「どういう意味で」
「博麗神社の巫女が最初ですよ」
「博麗ってぇーと――霊夢ちゃん?」
「お知り合いですよね」
「知り合いっていうか、馬鹿娘の友達だから、何度か家に遊びに来た事もあるというか――」
ちょっと待て、と霧雨は古い記憶を探る。
「霊夢ちゃんってもっと楚々とした格好してませんでしたか?紅白の袴姿の」
何言ってるんですか、と慧音が笑った。
「彼女こそ腋丸出しファッションのパイオニアじゃないですか」
「なん…だと…」
霧雨は愕然とする。
おいおいおい冗談じゃねぇ、あの霊夢ちゃんまでがあんな破廉恥な格好を!?
くそう何て事だ、一体誰の陰謀だ――ッ。
「ちなみに博麗の巫女の服を作ったのは香霖堂の店主ですよ」
森近ァ、お前かァ――ッ!!!
「しかも最近、店先で売り出したら、結構売れているらしいとか」
くそう、完全にやられた!商売っ気の無いトウヘンボクだと思ってたのに!
霧雨は怒りとも、悲しみともいえない感情を覚えた。
慧音と別れる。
気分は最悪だったが、買い物は続けなければならない。
さらに買い物袋を膨らませ、霧雨は帰途に着いた。
既に空は赤み始めている。
霧雨店のある通りに近付いた頃、一人の少女が道端で、子供に囲まれていた。
少女は子供に、もう遅いから帰りなさいとか言っている。
子供はなんかもう目とかキラキラさせて、お姉ちゃんまたねーとか手を振って帰って行く。
――うわぁ、なんか俺、凄くいいもの見ちゃったよ。
霧雨は遠慮がちに少女に近付いた。丁度、女の子は持ってきた人形を木の箱に直している所だった。
霧雨は咥え煙草のまま、うぉいす、と片手を上げ挨拶する。
少女は暫し、怪訝な顔で霧雨を見ていたが、やがて、あっと叫んだ。
「おじさま、こんにちは」
「うん、こんにちは――それともこんばんは?ふむ、兎に角、アリスちゃん。久しぶり」
魔法の森の人形遣いも、時々ではあるが、霧雨店を利用してくれる。十中八九、あの馬鹿娘には黙っているだろうが。
アリスも大きな荷物を持っていた。
ふむ、と霧雨は呟いた。
「そっちも買い物かい」
「ええまぁ。さっきまで里の子供達に人形劇を見せに来たんですよ、買い物のついでに。おじさまも買い物ですよね」
「ああ、あの日だからな」
「そうですね。あの日ですから」
暫くアリスは棒立ちになっていたが、やがて小声で帰ります、と言った。
「いや、ちょっと待て待て」
霧雨が慌てて引きとめる。
「水臭いな。ちょっとうちに寄ってけよ。すぐ傍なんだ」
アリスは周囲を見回し、少し考える風だったが、こくりと頷いた。
「そうですね。でもホント少しだけですよ。人待たせてますから」
「あー、分かった分かった」
家の玄関口を開けて、怒鳴る。
「おーい、母さん帰ったぞー!お客さんも一緒だぁ」
霧雨の妻が何事かと顔を出し、アリスを見つけて眼をまん丸にした。そして微笑む。
「娘がいつもお世話になっています」
と、静々と頭を下げる。
「と、とんでもないです――その私別に何もしていませんから」
とアリスは赤面し、ごにょごにょ。
霧雨はその遣り取りを見てにやにやしつつ、買い物袋を妻に押し付けた。
「さぁ頼むぜ!美味い御馳走を作ってくれ!!」
「言っておくけどあなたの為の御馳走じゃないのよ」
分かる。分かってます。
「アリスちゃんちの実家ってどうなの?」
霧雨は緑茶を啜りながら聞いた。
妻が夕食を用意してくれているが、出来上がりまでまだ時間はかかる。
「実家ですか――。うーん、私も何年も帰ってませんからね」
「そりゃよくないよ。たまには顔を見せなきゃさ」
「頭じゃ分かってるんですけど、時間が無いのと、やっぱり少し気恥ずかしいかなって」
「お父さんはなにしてる人なの?」
「ああ、うちはですね――父親いないんですよ」
アリスは苦笑いをしながら言った。
霧雨はうろたえる。
もしかしたらとんでもなく失礼な事を聞いてしまったのではないか。
「そ、そりゃあ厭な事聞いちまったな――悪いな」
「気にしなくてもいいですよ。私の場合、ちょっと生まれが特殊ですから。父親は最初からいないんです」
――最初からいない?
霧雨は不機嫌になった。
――ふてぇ男もいるもんだ。子供ができたからさっさとトンズラって訳だ。
霧雨の気持ちも露知らず、アリスが笑った。
「でも、お母さんが良くしてくれましたから。寂しいとか思った事はあんまり。それにお姉さんが一杯いましたし」
「大家族って訳か。お母さんはたくましい人だなぁ。女手一つで娘を育てるなんてよぉ。働きっぱなしで大変だったろうなぁ」
「たくましいってのは――確かにそうですけど。でも、お母さんが働いてるとこは見たことありませんよ。いつもテレビでワイドショー見ながらごろごろしてましたし」
「はぁッ!?家計とかどうなってたの?」
「さぁ、どうなってたんでしょうね。住む場所はありましたし、家事はメイドが全部やってたし。お母さんはそこにちゃんといる事が仕事と言えば仕事でしたね」
家にメイドがいるとか、この子は実はどっかの大会社の社長令嬢かなにかなのだろうか霧雨は思った。
――何か品いいしな。
都会に住んでいたと聞いた事はある。一体どこの都会だ?
にしても、父親がいないというのは可哀想だ。
「アリスちゃん、俺の事はこれからパパと呼べ」
「はぁッ!?」
霧雨は自分の胸をどんと叩いた。
「パパなんて呼んだ事無いだろう?」
「そりゃママしかいませんでしたから」
「この際、言ってみたらどうだい」
「えーっと――パパ?」
「よぉおし!来たぁ!」
パパ――いい響きだ。我が家には最高に似合わないが。
実の娘の方は、お父さんとしか言わなかった。今ならどうだろう?クソオヤジとでも呼ぶのかも知れない。あの馬鹿娘め。
「あなた馬鹿な事やってないで、手伝って下さい。ご飯出来ましたよ」
妻が台所から険しい顔を見せた。頼むから、包丁ひらひらさせるのはやめろっつーのに。
盛られた料理を見ながら霧雨は興奮する。
「きたぁーッ!!御馳走来た!これで勝つる!」
「だから、あなたの大好物じゃないでしょうに」
霧雨の妻は、料理の乗った皿を食卓に並べ、茶碗に赤飯を盛って行く。
「手伝いましょうか」
と、アリス。
「いやいや、いいって。おい、母さん、それより胡麻塩はどこだい?赤飯にはやっぱ胡麻塩だろう」
「ほら、眼の前にあるでしょう」
料理が出揃ったところで、手を合わせて頂きます。
家族そろって頂きます――いい習慣だ。尤も、肝心の娘はいないが。
アリスは茶碗半分だけ赤飯を食べた。帰ってからまた食べるからそんなに要らないと言う。霧雨もそれ以上は無理強いできない。ここに彼女に居て貰うだけで十分我儘は言っている。
「ふぅぃー、食った食った」
満腹になって、緑茶を飲みながら一息吐く。
「私そろそろ帰らないと」
アリスは先程から頻りに時間を気にしている。
「そうかい?まだこの後、ケーキがあるんだが」
むっとアリスは眉を顰める。
「ケーキなら私も買ってます。というかホント、そろそろ帰らないと。遅くなると魔理沙に何を言われるか分からないし」
「冗談だ。冗談。悪かったよ。これから二人で仲良く誕生日パーティーって訳だな。持つべきものは親友だ。親なんていなくてもどうでもなるが、友達がいないのは悲惨だもんな」
あいつは幸せもんだよ、と霧雨は呟いた。
そして、尻を叩きながら、立ち上がり、食卓を見降ろす。
用意された料理は――四人分。
その内、一人分には箸すら付けられていない。
誕生日という記念すべき日の為に用意された赤飯――やっぱ日本人なら祝い事は赤飯だろうという霧雨の考えを見事に反映している。
用意されたおかずは魔理沙の大好物ばかり。
さらにケーキまで買って来た。ちゃんと歳の数だけのロウソクを用意してある。
なのに、主役がいない。
「あの馬鹿娘。手前ぇの誕生日の時くらい実家に顔見せろってぇんだよ」
霧雨は出来うる限り、不機嫌を装って、そう言い捨てる。
アリスは困った顔をして、ごめんなさいと言った。
「やっぱり私じゃ魔理沙の代わりにはなりませんでしたか?」
「代わりって――俺は別に最初からそんな気はねぇよ」
霧雨は飄々として言った。
「只、アリスちゃんをここに足止めしとけば、あの馬鹿がひょっこり顔を見せるんじゃねぇかと思っただけだ」
別に期待をしていた訳では無い。
只、娘が自分の誕生日に気紛れで実家を覗いた時、何も用意されていなかったらどんな気分になるだろうという思いがあっただけだ。
去年もやった。今年もやった。来年もするだろう。格好だけの、主賓のいない誕生会。 しかし、無駄だとは思わない。親不孝者の不良娘だが、それでも一人きりの娘には違いない。
「悪かったよ。俺の我儘に付き合わせちまって」
「魔理沙の勘当、撤回はしないんですか?」
「しないよ。だって、あいつ魔法使いをやめる気ないんだろう?」
「やめないでしょうね。毎日楽しくて仕方ないって感じですし」
「だったら駄目だな。勘当は撤回できねぇ」
魔法使いなんて――と霧雨は思う。
古風な格好をして、怪しい薬作って、他人様に迷惑ばっかりかけてホントろくでもない連中ばかりだ。
例えば――霧雨の父親がそうだった。
働きもせず、日がな一日実験に没頭している。食えもしないキノコ採って来て、煮たり焼いたり。
だから霧雨は家を出た。魔法の森の家を出て、里に移り住んで、商売を始めた。
――でも本当は俺も魔法使いになりたかったんだよなぁ。
誰に言った事はないが、一度だけ、父親に頼んで修行をさせてくれと頼んだ事がある。
その時、父親は霧雨の家には魔法使いの才能なんてからきしねぇと熱弁を披露した。
それで――よく分からないまま、魔法使いになる事は諦めてしまった。
たぶん本気では無かった。何となく憧れていただけだ。それに、根性が足りなかったのだろう。他人に腐されても、めげずにそいつをやり遂げる自信が無かった。
或いは、あれがあの馬鹿オヤジなりの気配りだったのだろうか。自分の様な愚かな生き方はするな、と言う。
――いや、あのジジイに限ってそれはねぇ。何も考えて無かっただけだ。
魔法使いの才能は無かったのだろうが、商才はあったのだろう。だから今、こうして里で大手道具屋をやっている。
そうやって、霧雨の人生は順風満帆の筈だった。
娘の魔理沙が、魔法使いになりたいなんて言いだすまでは。
娘の将来の希望に、当然、霧雨は反対した。お前がどうやって生きるが勝手だが、後生だから魔法使いだけは止せと。
しかし娘は聞き入れなかった。派手に喧嘩して、家を出て、今の様な絶縁状態になった。そして、魔理沙は今、祖父の残した魔法の森の住処で暮らしている。
――親子三代揃って馬鹿ばかりだよこんちくしょうめ。
霧雨は自分が馬鹿なのは分かっていた。だが、それを言うなら魔理沙の方も大馬鹿だ。だから絶対に向こうから謝って来るまでは勘当を取り消す気は無かった。
でも――それでも、顔くらい見せてもいいのではないかと思う。憎たらしい顔でも、鬱陶しそうな顔でも良い。何せ数年も顔を合わせてないのだから。
「アリスちゃん、ケーキは持って帰ってくれ。誰から貰ったとかは言わなくていいから」
「はい、そうさせて貰います」
「それとプレゼントも頼めるかな?」
「はい、勿論」
玄関まで妻と共に見送りに行く。
アリスは靴を突っ掛けながら、御馳走様でしたと頭を下げた。
「お赤飯、本当に美味しかったです」
「娘の事、頼みますね」
妻はアリスが恐縮するくらい、丁寧に頭を下げた。
「――店は夕方には閉める。だから夕飯はいつもこのくらいの時間だ」
霧雨は頬を掻きながら言った。
「またいつでも食いに来てくれよ。アリスちゃんとこのメイドさんほど美味い料理は出せないかもしれないが。それでまぁ――あの馬鹿の話を聞かせてくれたら助かる」
はい、とアリスは眼を伏せながら答える。
泣いているのかと思ったら、違った。笑いを堪えているのだ。なんてこった。俺達親子は傍目から見たらそんなに滑稽なのだろうか。
アリスはそれからもう一度礼を言うと、そのまま飛んで帰った。
そういやアリスも魔法使いだった、と今更霧雨は思い出す。
やっぱり魔法使いは嫌いだ。だが、アリスは好きだ。礼儀正しい、いい子だから。
「うちの家に嫁に来ないかねぇ、あの子」
霧雨は煙草を吸いつつ、呟く。
「あんだけ器量良けりゃ大歓迎なんだが」
あら、と妻が首を傾げる。
「でもあなた、魔理沙は女の子よ?」
「そうさなぁ。なら次は男の子を産めばいい。名前はそうだな――魔理夫とか」
妻の本気のグーが霧雨の顔にめり込んだ。
「――それで霧雨さん」
と、慧音がじろりと睨んだ。
「流石の私も、今日の今日の話の後で、貴方の家の夫婦喧嘩の仲裁に入るとは思いませんでしたよ。こんな夜中に騒がれては近所迷惑だ」
「いや、本当にお恥ずかしい限りで」
いいもの読ませていただきました
娘のことを心配している親心などもあったり、それなりに長いかなと思えば
スルスルと読めて、気付いたら終わりに近づいていたという感じでした。
しかし…魔理夫っていうのは……。
そして夫婦喧嘩が勃発し慧音に叱られる…と。
オヤジさんの行動や会話など、面白いお話でした。
特に中盤での心情風景の描き方は、
なるほど、らしいなぁと唸りました。お見事です。
頑固な所も相俟って。
あとお母さん強し。
凌ぎの削る
↑凌ぎを削るではなくて?
あと、久しぶりに魔界ファミリーメインで一本話を書いてもらえないでしょうか?
いささか小ネタを仕込みすぎに感じました。
魔理夫と慧音で落としたのは見事でしたw
魔理夫で不覚にも声をあげて笑ってしまった
直しておきました。ご指摘ありがとうございます。
読み返してみると、アリスが嫁ぎ先に挨拶しに行く話みたいで自分でもニヤニヤしてしまう。
ジャスティスッ!
>オヤジ
頑固親父は幻想郷入りしました。
>小ネタ
すいません持病なんです。
>魔界ファミリーメイン
没にした作品に、
ロリスが学校で苛められてるんじゃないかと心配したたくましい神とメイドが、学校までストーキングしに行く、ってのがあったかもしれません。
書いてもらえないでしょうか、っていいですね。
なんかやる気出てきましたよ(*´ω`)
米に執着しているあたりに、江戸前なべらんめえなオヤジでもありだと思います。
俺の中で霧雨父は某ダイヤのエースの轟監督が配役されますたw
その反面、アリスが「誰コレ?」と思えるほど良い子ちゃんに
なってるのが気になった。
とは言え着眼点はお見事。
あー、なんか納得。そういう解釈もありかなぁと。
一応、作者的には、オヤジフィルターを通してああ見えてるだけで、アリス自身はいつもと変わらないよ、という感じです。
あと普通に考えて、友達の父親と会うのに傍若無人には振る舞わないだろうし、ホントのとこは「猫被る」じゃなくて「借りてきた猫」状態かもしれません。主に緊張から。
>人間と思われてる?
オヤジは職業魔法使いとか種族魔法使いの区別なんてしないと思われます。人間のオッサンですから。
幽香にびびってるのは阿求にそう吹き込まれた所為ですね。アリスに対して警戒しないのは、まぁ一応娘の友達だからじゃないでしょうか。
こんな日本語はないそうです。ナンテコッタイ。
日がな一日、うん。
誤字指摘どうもでしたー。
1世代前の人から見ると確かに幻想郷は大きくかわったんでしょうねぇ
しかし、アリスwwほんとに俺の家に嫁にこないk(マスパ
GJ!
数年後、気まぐれを起こして帰ってきた魔理沙は弟を紹介されるのか?
面白かったです。