春告精が寒さを追い出しつつある、そんなある日の出来事。
常に一定の場所に存在しない不思議な家、迷い家から一匹の黒猫が飛び出していった。
彼女の名は橙。式神八雲藍の式である。
迷い家の主である妖怪八雲紫はまだ寝ており、藍は結界の見回りに出かけたので、朝ごはんの後特にすることもない橙は暇つぶしに散歩しようと思ったのだ。
まあ、いつもの光景である。
「たまには猫の姿でお散歩しよ」
フィーリングで道なき道を行き、なんやかんやで里に通じる道に出る。
しかし突然飛んできた小石に気分を害されてしまう。
ぴし
「うにゃっ!?」
見ると、草むらから不気味な3匹の妖精が、笑いながらこちらを見ているではないか。
大きさは猫の姿をした橙と同じくらい。
妖精たちは丸っこくて黒い毛だらけの胴体に小さな手足が生え、口は頬の辺りまで裂けており、ぎらついた瞳でげしげしと不愉快な声で笑っている。
「こいつらはまだ幻想郷に来たばかりなんだな」
橙は恐れるよりも相手を冷静に分析した。
ぶっちゃけ、世界じゅうの伝承に出てくる妖精や妖怪全てが可愛いおにゃのこ型とは限らない。
ムサいおっさん型妖精なんかも結構いるのだ。
さっきの3匹の妖精は不気味な獣のような姿だったが、萌え補正がないとこんなもんである。
白澤なんかそのいい例だ。
だがその妖精たちも、幻想郷の住人にその存在が広く認識され、今風の幻想の対象となれば、女の子の姿をとっていつか新作に登場できるだろう。
それはさておき、妖精たちをさくっと追い払い人里に着いた橙は、二本ある尻尾を隠しもせず、人や大八車などが盛んに行き交う大通りを避け、静かな裏通りを気ままに歩く。ここの雰囲気がたまらなく好きなのだ。
茶色いとら縞の猫と出会った。鼻をこすり合わせる猫特有の軽い挨拶を交わし、しばらくその場にいっしょにたたずみ、同時にあくびをした。橙の知り合いだ。彼はいつもこの辺にいる。
何か話すわけでもなく、しばらく一緒にいる。
「にゃあ」 やがてとら猫が一声出した。
「にゃ」 橙も応える。
とら猫は立ち上がり、そのまま歩き去った。別に橙と一緒にいるのが嫌だからではない。
なんとなく一人になりたかったのでそうしたまでだ。だから橙も別に追いかけなかった。
そろそろ他の場所へ行きたい気分になったので、塀の上に飛び乗り、バランスをとってすたすたと歩いていく。猫の平衡感覚は相当なものだ。
途中、一匹の黒と白の猫が、橙を見るや否や、甲高い鳴き声をあげてモーションを仕掛けてくる。
彼もまたこの辺をうろうろする知り合いだ。
「うにゃ~お、わおお」
(もうそういう季節か) 悪い猫ではないが、まだ橙には誰かと子を成そうという気はない。
「にゃあ(妖怪化できたら考えてあげるわ)」
落ち込む黒白を尻目に、買出しに来ていた紅魔館メイドの愚痴をこっそり聞いたり、賭場でのイカサマの瞬間を目撃しつつ、いつもの魚屋に足を進める、目的は言うまでもない。
「おっ、クロちゃんか、これ食べな」
魚屋の主人は一匹の淡水魚を皿に乗せ、橙の前に置いた。
クロちゃんというのは魚屋の主人がそう名づけたものだ。
猫は複数の名を持っていることが多い。
(藍さまが聞いたら怒るかもな)
ぺこりとお辞儀して、遠慮なくいただこうと頭を上げた。
魚が消えていた。ものすごい速さで誰かに取られらしい。
「おっ、もう食べちゃったのかい、早いね」
主人は魚を取られたことに気付いてないようだ。
とすると私と同じ、妖怪か妖精か?
皿には犯人のものらしきにおいが付いていた。それを頼りに走り出す。
実は、猫の嗅覚も犬に引けをとらないレベルなのだ。
ただ猫の場合、それを他人の役に立てようとはしない。
わざわざそうするまでもないと猫たちは思うのだ。
「絶対見つけてやるんだから」
魚屋の路地に入り、塀をくぐり、民家の庭へ出る。
見覚えのある奴がいた。さっきの毛むくじゃらの妖精たちだ。
妖精たちは人通りの多い路地を走っていくが、道行く人は気付かない。
普通の人には見えない能力の持ち主なのだろう。
そのうちの一匹が、こちらを振り返り、手に持った魚をこれ見よがしに振って挑発し、口をもう片方の手で押さえてげしげしと笑った。
三匹はその後、雨どいをよじ登り、屋根へ逃げようとする。
「あったまきた」
橙は塀の上に飛び乗り、そこから一階のひさしの上へと飛び、壁をよじ登って屋根に出る。
予想外に速かったので妖精たちは驚いて、隣の屋根に飛び乗って、ぴょんぴょん跳ねながら逃げていった。
「待てえ」
妖精たちはまたげしげしと笑いながら橙のほうを振り返る。
橙もジャンプして隣の屋根に飛び乗ろうとするが、距離が足りず、どうにか屋根の端につかまり、よじ登った。
足の速さは向こうが上のようだ。
その気になれば空を飛んだり弾幕で捕らえることも不可能ではないが、人々を怖がらせたり巻き込んだりしたくない。なにより猫のプライドとして、この姿のままで魚を取り戻したい。
人間モードになったら負けかなと思っている。
不意に妖精たちの前に黒い影が立ちふさがった。
「げえっ」
先頭の妖精が黒い影にぶつかり、残りの二匹も玉突き衝突した。
黒い影の正体は、橙と同じ二本の尻尾を持った化け猫だった。
「げっげっげっ」
妖精たちは魚を捨て、三方向に散らばっていった。
橙がようやくその場に着くと、二匹目の化け猫は親しそうに鳴いて、橙と鼻をこすりつけ合い、体をわずかに寄せ合ってその場にうずくまる。
ちょっとだけ寄り添うのは猫同士の友情の証。
「ありがと、お燐ちゃん」
「久しぶりだね橙、あんたもこの辺で散歩かい?」
「うん、ちょっと激しい運動だったけどね」
地獄界の猫である燐とは里の散歩で知り合った、彼女も暇を見つけてはこのあたりをうろついているそうだ。近いうち、自分の姉が大きな異変を起こすかもしれない、と彼女は言ったが、まだ公にはできないので黙っていてくれと言われた。
これは主たちに知らせるべきだったかもしれないが、橙は猫同士の約束を重んじ、時が来るまで黙っていようと決めた。
太陽はさんさんと照っていて、屋根瓦が少し熱くなってきたので、二匹は日陰に移動することにした。
「このお魚、お燐ちゃんにあげるよ」
「いや、別にお礼が欲しくてやたわけじゃないよ」
「じゃあおすそわけ、半分こしよ」
それぞれの主に内緒の間食を二匹で楽しんだ後、お互いの体を舐めて毛づくろいを手伝った。
傍から見れば仲の良い黒猫姉妹である。
「それでね、白玉楼の庭師さんにね、好きな人ができたらしいの、こっそり会ってるところを見ちゃった」
「神社の巫女がね、雨で腹を満たそうとして風邪引いたらしいよ」
気になった噂話を交換しながらゴロンゴロンしていると、さっきのとら猫がまた近づいてきた。
燐と目があう。
「うにゃ?」
「にゃっ!」
なぜか、とら猫はそそくさと興味がない振りをして去っていく。
「あの子、なんであたいを怖がるんだろ?」
「そうかな? 怖がってると言うより……」
「と言うより?」
「ううん、なんでもない(お燐ちゃんは以外と鈍感なんだな)」
しばらくたって、昼寝していた燐が立ちあがって背伸びをした。
「そろそろ仕事に戻るわ」
「うん、じゃああたしも帰る、また宴会に来てね」
「今度は姉さんも連れてくるよ」
燐は地面に降り立つと、人間化して雑踏へ消えていった。
橙も伸びをして、一回転して地面に飛び降り、迷い家へ戻る。
途中、メイドが3匹の妖精を捕らえて袋に入れているところを目撃した。
三匹は必死に袋から出ようとしているが、袋に魔法が掛けられているらしく、出られなかった。
「萌え化実験のモルモット。こいつらでいいかしら。しっかしパチュリー様も物好きねえ」
橙はよく分からなかったが、何かの実験台に使うらしい。さっきまで追う相手だったとはいえ、少し哀れだと橙は思う。
だがその後、里に買い物に来ていた藍の姿を捉え、忘れて一直線に駆けていった。
「藍さま~」
「橙か、羊羹買ったから紫様が目覚める前に食べちゃおう、これは二人っきりの秘密だぞ」
「がってん承知です、藍さま」
猫がみだりに秘密を話さない限り、今日も幻想郷は平和です。
ば…馬鹿な!?最初にそれをみて思ったのがそんな感じでした。
つまりパチュリーの萌え化実験は成功したと…。
誤字の報告
>朝ごはんの後得にすることもない橙は
『特に』ではないでしょうか?
仕方ないね。
マジッすか!?
この場合、パチェGood jobと言った方が良いのでしょうか?w
……といいたいけれど、何気ないところで突っ込みどころが多くて笑わずにいられんww
霊夢w