虫の声が幻想郷に秋の訪れが近いことを感じさせる、そんなある日の午後のこと。
プリズムリバー三姉妹は、人里から少し離れた場所にある古道具屋、香霖堂を訪ねていた。
「やあ、いらっしゃい。楽器の件だね、出来ているよ。奥から取ってくるから、ちょっと待っていてくれないか」
三人が古めかしい扉を開け店内に入った途端、やけに愛想の良い声に迎え入れられた。
一瞬店を間違えたかと思ったが、そこに立っていたのは間違いなく店主である森近霖之助であった。
そして、平時からは想像できないほどのきびきびとした様子で、霖之助は店の奥に引っ込んでいってしまった。
初めてこの件を依頼しに来たときの、愛想の悪い様子からは、まったくもって想像も出来ないほどの変化だった。
あまりの変わり様に三姉妹が呆気にとられていると、霖之助はひょっこりと座敷の奥から顔を出すのだった。
「あ、それと店の品物は見てもらって全然かまわないが、壊さないようにね」
言うだけ言って霖之助は、再び奥へ引っ込んでしまった。
座敷の方からは、どたばたと物を運ぶ大きな音が聞こえてくる。
そんな霖之助の態度に、メルランとリリカは、明らかに不信感を抱いたようだった。
「おかしいわね~。愛想が良すぎるわ」
「確かに、何かたくらんでるんじゃないの、あいつ。どう思う、ルナ姉?」
二人の妹が疑念を持つのも無理はないと、ルナサは思うのだった。
森近霖之助といえば、商売人というよりは趣味人。決してお客に媚びを売ることはなく、横柄な態度で接する男。
そのような悪評が絶えることがなかったからである。
事実、初めて訪れたときの態度は、その評判にそぐわぬものであった。
そんな男が理由もなく愛想良くするはずはない。
何か裏があるはずだ、と彼女達が思うのは、別に不思議なことではなかった。
いくつか心当たりがないこともなかったが、ルナサは敢えて口に出すことはしなかった。
その代わりに、目の前の棚に並んでいる、何に使うかよく分からないような代物を手に取りながら、店内を見渡すのだった。
「まあ、どんな思惑があろうとも、私たちが客であることには変わりはない。それよりも店主があのように言ってくれたのだから、せっかくだから何か面白い物でもないか探してみたらどうだ?」
ルナサの言葉に、二人は納得したわけではないようだった。
しかし、霖之助がこの場にいない状況で、ああだこうだといっても始まらないと思ったのだろう。
気を取り直して二人とも店内を物色し始めるのだった。
全く単純な妹たちだ。そんな風にルナサは思ったが、同じように古めかしい道具に心を奪われているだけに、
あながち人のことは言えないなと、自分自身に向けて苦笑していた。
そのようにして、ルナサはしばらく店内をうろついていたのが、流石に少し疲れてきた。
どこか座るところはないものかと、ごちゃごちゃした店内を見回す。
すると、古道具に隠れるようにして、椅子が埋もれているのを発見した。
やれやれと一つ嘆息すると、上に乗っていたがらくたを丁寧にどかし、ルナサはそこに座った。
そして、ぼんやりと妹たちの様子を眺めることにしたのだった。
リリカはさっきからちょこちょことせせこましく動き回っている。
それに反してメルランは、じっくりと店内を見回して、何かうんうんと唸っている。
しばらく動かなかったかと思うと、お目当てのものが見つかったのだろう、急にがらくたの山の中に突貫していった。
そして、そのまましゃがみ込んで、一生懸命何かを掘り出そうとしていた。
思いたったら周りに目が向かなくなるという、メルランらしい行動だったが、それは浅慮と言うほか無かった。
危ない。ルナサがそう思った瞬間だった。メルランの上にあったがらくたの山が、激しい音を立てて雪崩を起こしていた。
「メルラン!」
思わず立ち上がって近づこうとしたとき、背後から絶叫に近い声が聞こえてきた。
「ああ、もう何をしてくれるんだ。だから注意してくれと言ったじゃないか」
つっかけを履き直して奥の部屋から霖之助が飛び出していた。
人から見たらがらくたのような物でも、本人にとっては愛着がある物だろう。
険悪な声からは、霖之助がかなり怒っていることが想像できた。
「すまない。姉である私の監督不行届だ」
霖之助の方に振り返るとルナサは先手を打って謝っていた。
深々と頭を下げるルナサに対して、霖之助は振り上げた拳の下ろし場所に困っているようだった。
「……まあ、起きてしまったことはしょうがない。大体何をしようとしていたんだ?」
口ではそう言いながらも、霖之助はいまだ釈然としない表情を崩してはいなかった。
それでも、がらくたの下から這い出してきたメルランに手を差し伸べて、引っ張り出してやっていた。
そして、ようやく落ち着いて、服に付いた埃を払うメルランに、そう問いかけるのだった。
「ん~、何か甘い香りがしたの。だから何か美味しいものでもあるのかな~、と思って――」
「で、掘り起こしていたら、こんな惨事を引き起こしたと」
「そうそう」
あっけらかんとした様子で話すメルランに、毒気を抜かれたのだろう、霖之助は仕方がないなと言う風に頭をかくのだった。
「……見つけたよ」
初めからその輪に加わらずに、リリカはメルランが埋まったがらくたの山を漁り続けていた。
そして、何か発見したようであった。
「その匂いの元がこれって訳ね」
そう言って、リリカは小さな箱をルナサたちの方へ差し出した。
確かにその箱からは、甘く柔らかい香りが漂っていた。
メルランなどは犬のようにくんくんと鼻を近づけるとその匂いを嗅いでいた。
「ところでこれは何なの?」
ルナサの頭には、思わず素朴な疑問が湧き上がってきていた。
「ああ、これは煙草だね、嗜好品の一つだよ。あまり君たちには馴染みはないかもしれないね。ただ、里でも愛好している人は少なからずいるよ。それに……」
「ふぅん」
会話の途中で興味なさそうに相づちを打つルナサの態度が、どうやら霖之助の蘊蓄心に火を付けてしまったらしい。
ルナサの方に向き直ると、顎に手を当てながら蕩々と語り始めたのだった。
「君たちは知らないからそんな態度を取るのかもしれないが、煙草という物はなかなか奥が深い物だよ。特に数多くの芸術家、君たちにとってなじみ深いものならば音楽家か、そう言う者たちも愛好し、良い音楽を作るためには煙草は欠かせない友のような存在だったそうだよ」
良い音楽という言葉に反応してリリカが目を輝かせる。
「えっ、そうなの? だったらちょっと気になるなあ。一体どうやってこれは使うものなの?」
霖之助は自分の思惑通りにリリカが話に食いついてきたので満足そうに口元を緩ませた。
「でも、それならなんであんまり愛好する人がいないのかしら~?」
不思議そうなメルランの突っ込みに、霖之助は少し渋い顔をして言葉を続けた。
「それはね、煙草には害の方が多いからだよ。阿片なんかと同じで依存症があるし、胸の病気などを引き起こす毒性も持ってる。さっき言った音楽家の多くもそのせいで寿命を削った者も多いんだよ」
「うえー、じゃあ全然良いことないじゃない。だからこんな店に流れ着いたんだね」
「こんな店とは何だ、失敬な」
腕組みをし、納得したように頷くリリカに、霖之助は途端に不機嫌になる。
「ごめんごめん。……でも事実でしょ?」
霖之助を鼻白ませながら、その言葉とは裏腹に、リリカは興味津々と言った様子でその箱を見つめていた。
「ジョーカーっていうのかしら?」
まじまじと箱を眺めていたルナサがそう呟いた。白地の箱には黒いアルファベットでそのように書いてあった。
「そうだね。これは、現在外の世界でも製造が中止された紙巻き煙草のようだね。普通の紙巻き煙草が二寸ちょっとなのに比べると、一本の長さが四寸ととても長いんだ。一部では『伝説の煙草』と言われているらしいよ。ところで、そんなに興味があるなら試しに吸ってみるかい?」
「えー、いいよ体に良くないんでしょ?」
「まあ、人にとってはそうかもしれないが、君らは騒霊だろう。いまさら健康に気を遣ってどうするんだ?」
霖之助の指摘に改めて気付いたようにリリカは手を打つ。そして、期待を抑えきれない表情で二人の姉の方に振り返った。
「確かにそうだね。ルナ姉いいでしょ?」
リリカの言葉にルナサはあんまり良い顔はしなかった。
煙草の害を聞かされたこともあるのだが、先ほどの一件のこともあって、
これ以上霖之助に迷惑を掛けたくないと思っていたのだった。
「いいのか、香霖堂?」
「まあ、かまわないよ。ものは試しだ、君も試してみたらどうかね?」
そう言って、霖之助はルナサにも煙草を差し出すのだった。
「……いや、私は―」
「えー、ルナ姉もやってみようよ。メル姉もさ」
戸惑うルナサをよそに、リリカはメルランも誘っていた。
「私はいいわ~、トランペットを吹く感覚が変わっても嫌だし」
そう言うとメルランは興味なさそうに手を振った。
「いいもん。ルナ姉と二人で試すから、後でうらやましがったって知らないから」
「だから、私は……」
否応なく状況に流されていくルナサの手に、霖之助から煙草とマッチが渡される。
確かに霖之助の蘊蓄通り、かなり長く、ちょっとした鉛筆くらいの長さがあった。
「何だかお菓子みたいね」
「あー、それ私も思った。こないだ橙がスキマ妖怪から貰ったって言ってたお菓子によく似てるんだもん」
そんなルナサとリリカの会話を微笑ましそうに見ていた霖之助だったが、
こほんと一つ咳払いをすると、煙草の説明を始めるのだった。
「で、こうして口に咥えた後に、少し吸い込むようにして火を付ける。そうしないと火がつかないからね。じゃ、やってごらん」
ルナサとリリカは、霖之助に言われたとおりにそっと煙草に火を付け、すっと息を吸い込んだ。
「ゲホッゲホッ、……なによこれー」
リリカは盛大に咽せていた。その様子を見ていた霖之助は如何にも愉快そうだった。
「ははは、最初はそんなもんだよ。でもだんだん美味しくなるんだな、これが」
「そんなことあるもんか、煙いだけじゃんか、こんなのを美味しそうに吸うなんて信じられないよ」
リリカは、まだ咽せた喉の調子がおかしいのか、ゲホゲホと喉を鳴らしていた。
「ルナサの方は意外と様になっているじゃないか」
そんなリリカを横目に霖之助はルナサへと視線を向ける。
確かに霖之助の言うように、ルナサは初めて吸ったにもかかわらず、特段変わった様子はなかった。
「別に。だが、あまり美味しいものではないな」
そう言って面白くもなさそうに紫煙を吐き出すルナサ。そんな姿も様になっていて、とても決まっていた。
「ま、男の浪漫ってやつはなかなか理解されないもんさ」
ルナサのつれない返答に霖之助は肩をすくめた。拗ねたような霖之助を無視し、ルナサは用意してあった灰皿へと煙草を置いた。
「ああ、もう吸わないんだったら、火を消しておいてくれ。底に先端をまっすぐ突き立てるようにしたら綺麗に消えるから」
霖之助の指示通りに火を消しながら、ルナサはじっとその灰皿を眺めていた。
少しうつむいた視線からは、何も推し量ることは出来なかった。
「……なかなか珍しい体験だった。感謝するよ、香霖堂」
完全に火が消えたことを確認してから、ルナサは霖之助の方を向き、軽く頭を下げてそう言うのだった。
「いえいえ、この程度だったらお安い御用ですよ。それはそうと、こんなことがあったので脱線したが、依頼の品は完璧に仕上がっているよ」
ルナサの謝辞を手で制しながら霖之助は、奥から楽器を持ってくるのだった。
「すまないな、どうも最近調子が悪かったので、調律をしたかったのだが、我々で出来る分を越えていたようだったのでな」
申し訳なさそうに語るルナサに、霖之助は控えめながら傲岸な微笑を浮かべたのだった。
「そうだね、魔力を通しての本格的な調律なんてのは、出来る人が限られいるから」
「ではありがたくいただいていくよ」
霖之助から楽器を受け取ると、三姉妹はおのおの好きなように音出しをするのだった。
寸刻も立たないうちに、愛器は元の通りに馴染んだのだろう、
常日頃、緩んだ表情をあまり見せないルナサですら、満足げに笑みを浮かべていた。
「では、これからもご贔屓に。楽器の件で何かあればいつでも来ると良い」
そう言って愛想良く笑う霖之助に見送られながら、プリズムリバー三姉妹は香霖堂を後にしたのだった。
* *
それから数日後の話である。
リリカが何の気なしに窓から外を眺めていると、プリズムリバーの館の前で一人の妖精がまごまごとしている様子が見えた。
青色の服と昆虫のような羽、柔らかな緑色の髪はサイドテールにまとめられ、ぴょこんとはねていた。
間違いない、霧の湖の大妖精だった。
あれ、珍しい。リリカはそう思った。
いや、珍しいのは妖精がではない。妖精という種族は、幻想郷ではかなり数が多く、全く珍しいものではないのだ。
では何が珍しいかと言えば、大妖精が館の前まで来ているにもかかわらず、入ってこようとしないことが、である。
大妖精は決してプリズムリバー三姉妹と疎遠なことはない。
それどころか姉のルナサの大事な人だった。
その大妖精が家の前をうろうろと、どこか様子を覗うような感じで門のそばにいたのだ。
これは何かあるなと、リリカのトラブルメーカーの血が騒ぎ出した。
こっそりと裏口から外に出ると、塀を大回りして大妖精の背後へ忍び寄る。そして、声をかけようとしたその時だった。
「リリカ、な~にしてるの?」
「うわっ」
肩を叩かれ、メルランから声をかけられた。
驚かすはずだったのに、逆に驚かされる羽目になり、リリカは思わず地面に座り込んでいた。
目の前にいた大妖精もまた驚きのあまり目を回して腰を抜かしている。
「メル姉、ビックリするじゃない」
「リリカだって大ちゃんをビックリさせようとしていたじゃないの、私にばっかり言うのはずるいわよ~」
この姉、見ていたな。と憎たらしそうにリリカは睨み付けたが、メルランはどこ吹く風で、大妖精に手を差し出していた。
「ごめんなさいね、リリカだけ驚かすつもりだったんだけど、まさかあんなに声を出すとは思わなかったわ」
そう言って済まなさそうにするメルランの手を掴み、大妖精は立ち上がった。
「……いえ、だ、大丈夫です」
まだ動悸が治まっていないのか、大妖精は胸を押さえ、深呼吸をしていた。
「どころで、どうしたのかしら? 門の前でもじもじしちゃって、別に遠慮しなくても貴女なら、プリズムリバー家の門はいつでも開いているわよ。何なら、住んでもらってもかまわないのに」
茶化すようなメルランの言葉に大妖精は顔を赤くする。そんな姿に、確かに可愛いな、とリリカは思うのだった。
「ああ、でもちょっとルナ姉外出中なんだ。まあもうすぐ戻ってくると思うから、中で待っていてよ」
リリカの言葉はあっけらかんとしたものだったが、
そのルナサという単語に、大妖精の眉間がピクリと反応し、表情に影が差した。
うつむき加減になり、視線が下向きになりかける。
だが、すぐに持ち直すと、何か意を決したような目をして、リリカとメルランに向き直るのだった。
「いえ、今日はですね、お二人に折り入って相談があって……」
「相談?」
ただならぬ大妖精の様子にリリカとメルランは顔を見合わせる。
「とりあえず、中に入って。あ、でも応接室だと帰ってきたルナ姉と鉢合わせるなあ。……そうだ、とりあえず私の部屋に入ってよ」
リリカの部屋に通された大妖精は落ち着かなさそうに、キョロキョロと辺りを見回していた。
リリカの部屋は、こざっぱりとしていて、掃除も行き届いているようだった。
それでいて殺風景と言うわけでもなく、生活感あふれる部屋だった。
リリカは大妖精に椅子を勧め、自分はベッドへと腰を下ろした。
大妖精の様子を窺いながら、さてどうしようと思っていると、メルランがお茶を入れて下から上がってきた。
テーブルの上にお茶を置くと、さも当然のごとく空いていた椅子にどっかりと腰を下ろすのだった。
しばらく無言の時間が続いた。
リリカは大妖精が話を始めるのを待っていたのだが、なかなか切り出してこないので、結局自分から切り出すことにした。
「もしかして……、ルナ姉が無理矢理襲っちゃったとか?」
リリカはメルランが持ってきてくれたお茶を一口すすると、冷やかすような調子で口を開いた。
からかうような態度を装いながら、直球で行くことにしたのだった。
「リリカ~、姉さんがそんな獣みたいになるわけないじゃないの」
リリカの作った馬鹿話の流れにメルランも乗ってきた。
これで大妖精の口が軽くなってくれれば、良いのだが、と二人は思いながらだったのだが、その効果は絶大だった。
「そうですよ、ルナサさんはいつも優しくしてくれます! ちょっと強引ですけど」
きっぱりと言い切る大妖精の言葉に、リリカとメルランは呆気にとられていた。
二人の努力は、確かに効果は絶大だったが、大分違う方向に向かっていた。
「「…………」」
「……あ」
メルランとリリカの渋面に大妖精は顔を赤くしてうつむいてしまった。
だが、一部とはいえストレートに自分の姉の性癖を知ってしまう羽目になった二人の方も、流石に何とも言えない気分になっていた。
「そっかー、姉さんそうなんだ」
「どうするリリカ、飲みにでも行く?」
「そうだね、みすちーのとこにでも行こうか」
「じゃあ、私たちはお邪魔みたいだから行くね。姉さんが帰ってきたら二人は飲みに行って今日は帰ってこないと伝えておいてよ」
やさぐれたような口調でそう言うと、大妖精を部屋に取り残してリリカとメルランは部屋を出て行こうとした。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。まだ本題に入って無いじゃないですか」
部屋を出て行こうとする二人を大妖精は慌てて引き留めにかかる。
がっちりと服の裾を掴んで、是が非でも離さないといった風の大妖精に、やれやれと肩をすくめるとリリカは口を開いた。
「えー、でもルナ姉と仲良くやってるみたいだから、別に良いんじゃないの?」
「そうそう、私たちはいらないんじゃないの~?」
「そのルナサさんについてのことなんですから、本人に直接言うわけにはいかないじゃないですか」
必死に引き留める大妖精の言葉に、リリカとメルランは目配せをし、してやったりという風に口元を釣り上げるのだった。
テンパっている大妖精をなだめるようにして、リリカとメルランは座り直した。
そして、ようやく落ち着いたのか、大妖精がぽつりぽつりと近況を語り始めた。
「ルナサさんが最近おかしいんです。……いえ、別に優しいのは優しいままですし、私を大切にしてくれます。でも……、何だか時折落ち着きがなかったり、酷いときにはフラフラしたりするんです。もしかしたら、お二人なら何か知ってるかなあって思って、こうして相談に来たという訳なんです」
大妖精の話を聞いて、リリカが首をひねる。唸るような声を出しながら、メルランの方に顔だけを向けた。
「もしかしてルナ姉、やましいことでもしてるんじゃないの?」
「やましいことって何~?」
「うーん、浮気とか?」
「いえ、そうではなくて……、何というか、少し変なんです」
心当たることがないので、それらしいことを適当に言ってみるが、即座に否定されてしまった。
リリカは困ったように大妖精の方を向くと、顎をしゃくって他に何か無いかと促すのだった。
「変なのは、大ちゃんの報告からもわかるんだけど……、具体的にはどのあたりが?」
「具体的……ですか?」
そう言って、大妖精が口ごもる。そして何故か少し顔を赤らめてもじもじし始めた。
「いや、だって、ただ変って言われても私たちにはよく分からないし」
「そうそう、何だか、そわそわしてるんです」
今思いついたかのように、大妖精は言うのだが、内容としては先ほどと同じようなものだった。
「それはさっきも聞いたよ」
「えー、うー、言わないと駄目ですか?」
「そりゃ、大ちゃんだってルナ姉のことが心配なんでしょ、もしかしたらルナ姉に何か大変なことがあるかもしれないんだから、思い当たることは何でも言ってちょうだい」
そのリリカの言葉に大妖精は覚悟を決めたようだった。
「……匂いが違うんです」
だが、その声はか細く、蚊が鳴くようだった。
「「匂い?」」
「終わった後の汗の匂いが違うんです!」
大妖精の発言の威力は凄まじかった。チルノのパーフェクトフリーズもかくやと言うほどに、部屋の空気が凍った。
ぱちん、とリリカが大妖精の両頬を叩く。
大して強い力ではなかったが、突然だっただけにかなりの衝撃だったのだろう、大妖精は少し涙目になっていた。
「あははー、よし大ちゃん。次惚気たらデコピンな」
「ええー、だから言いたくなかったのに」
そう言って口をとがらせる大妖精を無視して、リリカはメルランの方を向く。
「メル姉、何か気がついたことある?」
リリカの言葉にメルランは少し考え込むような素振りを見せたが、すぐにさっぱりわからないという風に両手を広げた。
「そうね~、別に四六時中監視している訳じゃないしねえ、よく分からないわ」
お手上げと言わんばかりの表情で、メルランは肩をすくめていた。
「でも最近、食事の後に散歩に行くってのが多くない?」
「そうかしら?」
「それに最近必要もないのに口元をさわることが多くなった気がするよ」
「あなたよく見てるわね」
呆れたように感嘆の声を上げるメルランに向かって、少し調子づいた格好でリリカは無い胸を張った。
「伊達に観察眼は養ってないつもりだよ」
「凄いです、リリカさん。私ったら何だか全然駄目駄目です。ルナサさんと一緒にいると何だかそれだけで舞い上がっちゃってしまって、他のことが考えられないんです」
しゅんとなる大妖精を慰めるように肩を叩くと、あっけらかんとリリカは笑った。
「そんなこと無いって、それだけ大ちゃんはルナ姉と一緒にいることが楽しいってことなんじゃないの?」
「そう、ですか?」
「そうだって」
上目遣いにリリカの様子を窺う大妖精だったが、リリカの励ましによって、少し元気を取り戻したようだった。
背筋がピンと伸び、目にも力が戻ってきていた。
「ありがとうございます」
「いや、まあこっちはごちそうさまなんだけどね」
「……?」
思わず舌を出すリリカだったが、大妖精はあまり分かっていないようだった。
やれやれと思いながらリリカはメルランの方を向くと咎めるような目線を送るのだった。
先ほどからメルランは、会話にも加わらないで、呆けたように窓の外を眺めているばかりであった。
「いや、こっちの話。ところで、メル姉は何か考えは無いの? もしかしたらルナ姉の大事かもしれないんだよ」
リリカの言葉に反応して、メルランは窓から視線を戻した。
そして、少し考え込むようにして腕を組むと、重い口を開くのだった。
「そうねえ~。じゃあ、こういうのはどうかしら。とりあえず今日の夕食は大ちゃんも一緒にいてもらうの。そして四人で食べるの」
「うんうん、それで」
「食後は私たちは二人に遠慮した風を装って部屋に引っ込むわ。あ、でもこれはふりね。リリカは館の内部を、私は外で見張っておくから。もし姉さんに何か不審な点があれば、それではっきりすると思うわ~」
「そんなんで上手くいくの?」
リリカが疑わしげな視線を向けるが、メルランは気にした様子もなく、大丈夫だという風に大きな胸を張った。
しかし、その表情はどこか複雑そうでもあるのだった。
「大丈夫よ~。でも大したことはないと思うんだけどね」
「すいません。お二人にそんなことまでしていただいて」
「気にしなくていいよ。むしろ、ちょっとルナ姉を出し抜けるなんてあんまり無いからちょっと楽しいよ」
恐縮している大妖精に、リリカがいたずらっ子のように不適な表情を浮かべた。
「そうそう、姉のふがいなさは妹がカバーしてあげないと。……それに本当は大したことではないから心配しなくて良いのよ~」
明るい二人のやり取りをよそに、メルランだけは何か引っ掛かる物があるようだった。
だが、これからの作戦を語り合う二人にはそのことは気付かれなかったようである。
やれやれと一つ溜め息をつくと、メルランは二人にこれからどうするかを具体的に説明し始めるのであった。
* *
しばらくするとルナサが帰ってきた。
ルナサは、大妖精が来ていたことに驚いたようだったが、一緒に夕食を取っていくことには大賛成だったようで、
いつもより嬉しそうに夕食の準備を始めたのだった。
その様子を見てリリカはほくそ笑み、大妖精は嬉しそうではあったが複雑な表情を浮かべていた。
そんな二人を応接室の追いやって、メルランはどこか困ったような笑顔を浮かべながら、
ルナサの準備を手伝うために台所へと向かうのだった。
夕食自体は和気藹々と穏やかに過ぎていった。
そうして先ほどの計画通り、ルナサと大妖精を残して、リリカとメルランは食堂を後にした。
これで後はルナサの反応を見るだけである。
リリカは食堂を出るときに一瞬大妖精の方をちらりと見た。
やはり同じことを思っていたのだろう、大妖精と目線があった。
お願いしますというような、覚悟を決めた目をしていた。任せなさい、というような視線を送るとそっと扉を閉めるのだった。
そして小一時間ほどたったころ、様子を窺いに一階の廊下に降りたリリカは、
落ちつかない様子で、玄関へ向かうルナサと出くわすのだった。
メルランの作戦通りに事が運んでいることに舌を巻きながら、リリカはルナサを揺さぶってみることにした。
「あれ、ルナ姉どこに行くの」
「ん、大ちゃんに見せたいものがあったから部屋に取りに行こうと思って……」
「部屋、逆じゃない。そっちは玄関だよ」
「いや、部屋になかったから外に置き忘れてたかな、って思ったんだよ」
狼狽して苦しい言い訳を重ねるルナサの態度に、思わず目を細めていた。
少なくとも何か隠している。リリカは確信を覚えていた。
「ふーん。ま、良いけどね。私は部屋に戻るけど……、姉妹がいるんだから変な声は立てないでよね」
「な、何を馬鹿なことを言ってるんだ、お前は」
「ではごゆっくり~」
敢えて冷やかすような言葉を選んで、ルナサをからかうとリリカは背を向けた。
そうして、後ろ手に手を振りながら、リリカはわざとルナサとは逆方向へ歩いていった。
背中にルナサの視線が向けられているのを感じる。だが、リリカは振り返らなかった。
しばらく廊下を歩き、階段の所まで行ったところで、不意にその気配が消えた。
そして間髪入れずに玄関の扉が開閉する音がした。かかったなと思い、踵を返して応接室へと向かうのだった。
* *
ルナサが玄関を出ると、外は満月だった。
月の光からその身を隠すようにして、館の庭にあるうっそうと茂った小さな森へと向かう。
そして、ちょうど館の方から見えない角度にある木に隠れるようにして、一つ深呼吸をしたその時だった。
「やれやれ……」
「あら、姉さんもお散歩?」
不意に奥からメルランがひょっこりと姿を現したのだった。
「メ、メルラン。どうしてここに」
暢気そうな声と態度だが、メルランには一切隙がなかった。
それどころか、その笑顔には狼狽するルナサを圧倒させるような雰囲気があった。
「それはこっちの台詞よ~。大ちゃんをほったらかして何をやってるのかしら?」
「あー、うん、えっと……」
「そうね~、何となく分かってるから、言いたくないなら私には言わなくて良いわよ~」
「えっ」
メルランのその言葉を聞いて、胸をなで下ろしかけたルナサだったが、続けられた言葉に絶句するほかなかった。
「その代わり後ろの二人にはちゃんと説明しないと駄目よ~」
ハッとしてルナサが館の方を向くと、リリカと大妖精がこちらに向かって走ってくるところだった。
ルナサはメルランの方を振り返ると眼光鋭く睨み付けるが、困ったように苦笑されただけだった。
そこに、タックルするような勢いで大妖精が突っ込んできた。
「ルナサさん、私に何かいけないところがあれば言ってください」
今にも泣きそうな勢いで大妖精がルナサにすがりつく。
ルナサは困ってしまい、助けを求めるような視線を周りに向けるが、
リリカは怒ったようにそっぽを向いてしまうし、メルランは諦めなさいと言わんばかりに笑顔を浮かべるばかりであった。
見事にルナサの味方は存在しなかったのである。
「いや、大ちゃんにあるわけ無いじゃないか」
「だったら何でそんなにコソコソするんだよ」
「リリカは口を挟むな」
ルナサは、ここぞとばかりに話に加わってくるリリカを一括していた。
「でも最近のルナサさん変ですよ。バイオリンの音色もくぐもっていて、はっきりとした音が全然出ていません。絶対に何か隠しています。そうでなければ、説明がつきません」
大妖精が自分以上に、自分の音色について理解しているだけに、この指摘は、ルナサにとって大きな泣き所だった。
「……ごめん。私が不甲斐ないばっかりに」
とりあえず謝ることしか出来ないルナサに、流石の大妖精も怒りを露わにしていた。
だがその怒りは、寂しさを多分に含んだ物だった。
「ただ謝られても訳が分かりません。私はルナサさんの力になりたいんです」
「ここまで言われてどうして何も言わないんだよ。……もしかして本当に」
「本当にって、何を勘違いしているんだ? 少なくともお前が考えているようなことは全くないぞ」
「じゃあ何で言えないのさ」
「あ、いや、だから」
あくまで誤魔化そうとするルナサに、流石に呆れ果てた口調でメルランが言葉を繋ぐのだった。
「もういい加減白状したら~。埒が明かないわよ」
「はぁ。しょうがないな……」
そう言ってルナサは懐から見覚えのある箱と、小さな金属品を取り出した。
「これって、あの時の?」
大妖精はそれが何か分からずに首をひねっているのだが、リリカが思い出したように手を打った。
「そうだ」
ルナサが懐から取り出したのは、以前香霖堂で見かけた煙草だった。
一緒に取り出した物はライターというらしい。携帯用の火を付ける道具で、煙草と一緒に香霖堂で買ってきた物らしかった。
その二つを弄びながらリリカは呆れたようにルナサに言葉を掛けた。
「もしかしてルナ姉が最近落ち着き無かったのって。これのせい?」
思いの外答えが存外平凡だったからだろう、リリカはつまらなさそうな口調だった。
「多分そうだろうな」
吐き捨てるようにルナサは言うと、深い溜め息をついた。
「何で隠してたんですか?」
咎めるような大妖精の口調に、思わずルナサは下を向いていた。そして呟くような声で言い訳を始めたのだった。
「だって、自然の力の顕現である大ちゃんのそばで、不純物の粋を極めたような煙草を吸うわけにはいかないじゃないか」
ルナサの言葉に、ハッとしたように大妖精は息を飲んだ。代わりにリリカが言葉を返した
「だから我慢してたの?」
「ああ」
「馬鹿じゃないの、ルナ姉。それで心配掛けてたんじゃ本末転倒じゃない」
リリカが心底呆れたような声を出した。情けないやら何やらで、ルナサはがっくりと項垂れるしかなかった。
「良いんです、リリカさん。ルナサさんは私のことを思ってくれていたわけですから」
「でも、言ってくれて良かったのに」
まだ納得しきれていないリリカをよそに、ルナサと大妖精はすでに二人の世界へと突入していた。
「大ちゃん……ごめん。私は君を傷つけないようにと思って、心を殺そうとしていたんだね」
「で~、これからどうするのかしら?」
そんな空気は一切読まないでメルランがのんびりとした声で発言する。
「出来ればやめたい」
ハッと我に返って、ルナサは強い決意を秘めてそう言った。
「どうやって? 始めるのは簡単だけど、やめるのは大変よ~」
メルランの言葉に、再びガクっと肩を落とすルナサだったが、思わぬ所から助け船が出されたのだった。
「それは私に任せて、良い考えがあるんだ」
そう言って無い胸を叩くと、リリカは不敵に笑うのだった。
* *
翌日、リリカが三人を連れて向かった先は、人里の外れにある上白沢慧音の寺子屋だった。
「ん? 珍しいなプリズムリバー三姉妹に、大妖精か。何か用か?」
慧音は珍しい一団を迎えて不思議そうな顔をしていた。
「こんにちは、慧音先生」
「はい、こんにちは」
朗らかに挨拶をする大妖精に、笑顔で慧音が挨拶を返す。
そんな二人のやり取りを横目に、ルナサはリリカの考えが分からずにいた。
「で、リリカ一体どうするつもりなんだ? 慧音先生に助力を仰ぐってことなのか?」
「そうだよ、やはり不良化していく子供には、先生の指導が必要でしょ。ここは一発お説教をしてもらって、ルナ姉には心を入れ替えてもらいましょ」
さも素晴らしい考えであるかのように、リリカは薄い胸を大きく張った。
そんな風にやり取りをしていると、よく分からないといった表情で慧音が話に入ってきた。
「ん、話が見えないのだが、どういうことだ?」
リリカの説明を聞いていくうちに、だんだんと慧音の様子が変わってきた。
最初はふむふむと頷いていただけだったのだが、徐々にぶるぶると怒りに震えていた。
そして、話を聞き終わる頃には怒りのあまり、満月が終わったばかりだというのに、
ハクタクと化し、角が生えてきそうな勢いであった。
リリカを押しのけるようにして、慧音はルナサを正座させ、その前に仁王立ちになった。
大妖精が思わず口を挟もうとするが、もの凄い目で睨まれて、すごすごと引き下がるしかなかった。
助けてくれる人もおらず、ルナサは怒髪天を衝くかのごとき勢いの慧音と相対する羽目になったのである。
「何、煙草? いかん、煙草はいかんぞルナサ。外の世界では、子供の不良化の第一歩は煙草からとも言われている」
慧音の勢いに圧倒されそうになるルナサだったが、何とか踏みとどまって話に耳を傾けようとする。
だが、慧音のお説教の熱気はさらに上がり続けた。
「それにな、当然体にも良くない。お前達は騒霊だからほとんど関係ないが、人間や、特に妖精には害になる。それが何故だか分かるか? 分かっているはずだろう。そうお前達喫煙者が吐き出す煙のせいだ。副流煙といわれるその煙は、吸っている当人よりもむしろ周りにいる人にとっての害が多い。だからこそいかんのだ」
どんどん激しくなる慧音の口調に比して、ルナサはくらくらとしてきた。
だが、目の前の慧音の勢いは止まることを知らなかった。
「まず部屋がたばこ臭くなる。壁紙は黄ばむし、空気も日常的に良くはない。それに匂いが付くのは家や、自分だけではない。全ての物にだ。それに灰をどこにでも落とすし、火が消えていないまま雑に扱うから、ちゃんとした服にも穴を空けるし、何度繕っても全く意味がない。それに舌まで鈍ってくるから、せっかくこっちが料理を作っても美味しいって言ってくれなくなったし、それから……」
話せば話すほど燃え上がっていく慧音を端から見つつ、三人はひそひそと話し始めた。
「何か、慧音先生って煙草に恨みがあるのかなあ?」
「あっ」
「どうしたのさ大ちゃん」
何か気がついたように手を打つ大妖精に向け、リリカは質問を続けようとしたが、
背後から聞こえてきたのほほんとした声に遮られた。
「おーい、けーね……って、何だかお客さんがたくさんいるね、出直そうか」
ぽりぽりと頭をかいて現れたのは、蓬莱の人の形こと、藤原妹紅だった。
目の前で慧音が説教を繰り広げているにも関わらず、一向に気にすることもなく暢気な様子だった。
何かのんびりした人だなあ、と思いながら振り返ってリリカは絶句した。
そして、一気に視線が妹紅の口元に引き寄せられる。妹紅の口には火のついた煙草が咥えられていたのだった。
流石に煙草の説教をしているときにそれはないだろうと思って、慧音の方を向くと、慧音も妹紅の存在に気がついたようだった。
一旦ルナサを解放すると、妹紅の方に近づいていった。
「いやそれは構わないのだが、ってその服の袖はどうしたんだ?」
慧音の視線の先、妹紅の服の袖には焼け焦げたような跡があった。
「あれ、これどうしたんだろう」
そう言いながら妹紅は袖を顔に近づけた。
すると、口に咥えていた煙草から灰が妹紅の服に落ちる。
うざったそうに妹紅が灰を払い落とすと、そこには慧音が指摘したような焦げた跡が出来ていた。
「……妹紅、お前ってやつは。だから歩き煙草はやめろって言ったじゃないか」
「ああ、ごめんごめん」
「ごめんごめん、じゃなくて、そもそも煙草はやめるようにと言ってるじゃないか」
必死に訴えかける慧音を前にして、
妹紅はうーんと唸って考え込むような素振りをするのだが、真面目に考えているような気配は全く感じられなかった。
「いいじゃん、もう慧音は固いんだから」
脳天気な妹紅の言葉がさらに慧音の怒りに油を注いだ。
「あー、なんだその言いぐさは、だからお前は―」
「もううるさいなあ」
そう言って妹紅が取った行動は、周りの度肝を抜くものだった。
慧音の腰に手を回して抱き寄せると、一気に唇を塞いだ。
思わず四人は唖然として、その光景を見つめるばかりだった。
「うるさい女の口を塞ぐにはキスが一番って言うじゃないか」
呆然とそれを見つめる四人の視線にキザに指を振って妹紅は答えた。
何か得心したように首を振るルナサを、リリカは思わずはたいていた。
結局、二人に世界に入ってしまった慧音と妹紅を残して、四人は寺子屋を後にすることになった。
「ねえ、大ちゃん。もしかして慧音先生が煙草嫌いなのって……」
「はい。想像の通りだと思いますよ」
「だからさっき『あっ』って言ったのね」
疲れたように呟くリリカに、大妖精が同じく疲れたように頷いた。
そしてルナサは何だか上機嫌に、ほくそ笑んでいた。
多分どこかで試そうとでも思っているのだろう。
どうしようもない馬鹿姉めと、思わずリリカがジト目を向けるのだが、悪びれた様子もなくそっぽを向かれてしまった。
「駄目だったわね~。リリカ、どうするのこれから?」
だからこそ、そんな風に暢気に聞いてくるメルランの声がやけに癪に障ってリリカには聞こえるのだった。
「ふっふっふ、そう簡単に諦めるリリカさんじゃないよ。ちゃんと次の手も考えてあるわよ。それに次は自信があるよ。精神論が駄目だったら、医学的な話を聞けばいいだよ」
* *
そう言ってリリカが連れて行ったのは永遠亭だった。
ここに辿り着く前に話は通してあったようで、四人は到着するととすぐに奥の診察室へ通された。
そして、これまでの事情を聞くと、なるほどと頷いているのは月の薬師、八意永琳だった。
永琳は腕を組んで傲岸な笑みを浮かべていた。
「なるほど、煙草の害について話をしてあげて、ルナサに禁煙させれば良いのね」
物わかりの良い永琳の言葉にリリカが頷き、ルナサと大妖精が頭を下げていた。
「じゃあ、まずこれを見て、煙草を吸ったことによってどうなるかって図よ」
永琳は机の上に置いてあった一枚の絵を取り出した。
「うげー、なにこれ、気持ち悪い」
思わずリリカが声を上げてしまったのだが、ルナサや、大妖精にしても同じように渋い顔で、明らかに気持ちを悪くした様子だった。
特に表情が変わらなかったのは、この手の絵に見慣れている永琳と壁際にいたメルランぐらいのものだった。
「どうかしら、まず目で見て貰った方が、煙草の害についてよく分かると思って、用意してみたのよ」
「分かりましたけど……」
「ふふ、そうね。ちょっと刺激が強すぎたかしらね」
そう言って満足げに笑う永琳は、間違いなくサディストだと四人は思った。
そんな思いを知るよしもなく、永琳は新しい資料を机の上に置いた。
そこには煙草の害がどういうものかを、簡単に図式したものだった。
「基本的に煙草に含まれる毒物というのは三種類、ニコチンとタールと一酸化炭素と言われる物よ。あなた達には聞き馴染みはないでしょうけど、医学者にとっては当たり前の知識ね。ただし妖怪や、霊だったら、普通にしてたら特に害はないというか、まず効かないわね。ただ、あなた達のような少し異なった騒霊や、特にその子のような妖精達にとってはどうかしらね……」
そう言って永琳は、大妖精を脅かすような視線で見つめ、一呼吸置いて話を続けた。
「話を戻すわね。まずニコチンだけど、煙草がやめられなくなるのはこの物質のせいよ。普通の薬物と同じように依存症を引き起こすの。後、体に吸収されるのが早いから、少しだけのつもりでもすでに体は中毒になっている恐れがあるわね。被害としては、血管が収縮して、血流が悪くなるの。単純に言ったら心臓にダメージを与える働きね」
「なるほど」
永琳の勢いに押されるように、思わずルナサは頷いてしまっていた。
「次にタールね。俗称はヤニって言うんだけど、いわゆる発癌性物質ね」
「発癌性?」
聞き覚えのない言葉に大妖精が首をひねる。一つ頷くと永琳は言葉を続けた。
「うん、発癌性。癌と言われてもピンと来ないでしょうけど、外の世界の人間の約三割がこれで亡くなっているわ」
「え、そんなに?」
思わずびっくりしたように声を出すリリカに、永琳は満足げに口元を緩めた。
「そうなのよ。それとさっきの写真を覚えている?ああなった理由がこのタールのせいなの。非常に頑固に肺に残ってしまうのよ。少しだけのつもりで吸っても、残ったタールが消えるまでには何日何年もかかってしまうの。タールは吸ったら吸った分だけ残っていって、綺麗な状態に戻す時間をどんどん伸ばしていくわ。だからやめるのが早ければ早いほど良いわね」
まくし立てるように早口で言うと、永琳はお茶を一口飲んで喉を潤わせた。そして再び説明に戻るのだった。
「最後に一酸化炭素についてだけど、先にヘモグロビンと言うものについて説明するわ」
「ヘモ…グロビン?」
流石に四人ともちんぷんかんぷんになってきていた。
「これは、血液中で酸素と結びついて体中に酸素を運搬する働きをしているの。だからこれがないといくら空気を吸っても窒息してしまうのよ」
「へえ~」
すでに思考することを諦めて、ただ感嘆する生き物として永琳の話を聞き続ける四人。そんなことにはお構いなく永琳は話を続けた。
「で、煙草の煙に含まれている一酸化炭素は、血液中で酸素と結合するはずのヘモグロビンと、もの凄い強さで強引に結びついてしまうのよ。そうすることで酸素運搬を妨げ、全身的な酸素欠乏を引き起こすのね。結局これも心臓に負担をかけ、動脈硬化に影響するのよ」
図を前にしながらとはいえ、専門用語を連発しながらの永琳の説明は、四人にとってかなり難しい物だった。
いまいちよく分からないという表情ではあるものの、とりあえず煙草がもの凄く悪い物だというのは何となく伝わったようだった。
そんな四人に、永琳は満足そうな表情を浮かべたのだった。
「さあ、どうだったかしら、これで煙草の害も分かったし、これからは周りの人のために禁煙してみたら良いと思うわよ」
そう言って、永琳は白衣のポケットから小さな箱を取り出した。
そして、細い筒を取り出すと、茶色の紙を巻かれた方をとんとんと叩き、口に咥えると火を付けた。
「やっぱり、色々説明した後の一本は美味しいわね」
永琳はそう言うと美味しそうに一筋の煙を吐くのだった。
その一連の動作は滑らかで、誰も口を挟む暇もないほどに決まっていた。
「あのー、禁煙の話だったはずですよね……」
あまりに堂々と煙草を吸う永琳に、流石のリリカも二の句を告げずにいた。
それはルナサや、大妖精も同じようで、絶句したまま永琳が咥えている煙草を見つめるほかなかった。
「やっぱり禁煙は難しいのよね~」
凍った空気を溶かすように発言するメルランの言葉が、診察室にやけに大きく響くのだった。
「そうね、本当にね」
笑顔で永琳は同意したが、ここまで話したことが全く説得力を欠く中身になってしまったのは言うまでもない。
こうして、徒労感だけを抱えたまま、四人は永遠亭を後にして、再びプリズムリバーの館へと戻るのだった。
* *
プリズムリバーの館の応接室の隅でルナサはうつむいて小さくなっていた。
「やっぱり煙草はやめるのが難しいんだ。そして私は大妖精を傷つけるほかないんだ……」
ブツブツと何か呟いているルナサを横目に、テーブルでは、リリカが頭を抱えていた。
その二人を見比べながら、大妖精はおろおろと眺めるばかりであった。
唯一落ち着いていたメルランも、何も考えていないようにニコニコと笑顔を浮かべているだけで、何も言うことはなかった。
「まさかこれほどまでに禁煙が難しいものだとは……」
「しょうがないですよ、慧音先生や永琳さんもおっしゃっていたみたいに、禁煙は難しいんですよ」
リリカの匙を投げるような言葉に、大妖精の励ましもむなしく響くばかりであった。
「いや、それだとしてもみんな意志が弱すぎる」
「そうだね~」
いらだちを隠さずに言うリリカにメルランがあっけらかんと同意をする。その様子を見ていた大妖精が強い口調で宣言したのだった。
「もう良いです。私が我慢すれば良いだけですから」
「そんなことは大ちゃんにさせられないよ」
その言葉を聞いて、部屋の隅から立ち上がってルナサがやってきた。
「だってしょうがないじゃないですか」
どこか遠い目をしながら、諦めたような口調で大妖精は呟いていた。
そこにおろおろとルナサがすがりついている。
如何にも滑稽な様子であったが、当人達は本気なのであった。
しかし、流石のリリカも方策がないらしく、頭を抱えてテーブルに突っ伏していた。
そんな時だった。メルランはすっくと立ち上がると大妖精に歩み寄った。
「大ちゃんは前に色々な妖精の力を使えるって言ってたよね」
突然、思ってもみなかった話題を振られて大妖精は驚いたようだった。メルランの真意が分からずに困惑していた。
「はい。弱いですけど、チルノちゃんの氷結の力とかも使えますよ」
「たとえば、花妖精の力とかって使える?」
「幽香さんみたいに、花を何もないところから咲かせたりは出来ませんけど、少しなら」
質問を続けるメルランだが、誰もその意図を読むことは出来なかった。
いつものように笑みを浮かべながら、どんどん言葉を続けていく。
「たとえば、花の香りを何かに込めたりとかは大丈夫~?」
「はい、そのくらいなら大丈夫ですけど。どうしてですか?」
大妖精の質問には答えずに、メルランは何か得心したように手を叩くのだった。
「私に良い考えがあるのよ~。だ~いじゃうぶ、私にま~かせなさい」
メルランはそう言って二人にウィンクをするのだった。
そんな話をして三日後、メルランがルナサの前に持ってきた箱はどう見ても煙草だった。
「さ、姉さん好きなだけ吸っても良いわよ~」
「ちょ、ちょっと。メル姉何を言い出すかな、あれだけ禁煙させるために頑張ったのに、ぶち壊しにするつもり?」
リリカが今にも噛み付かんばかりに、猛然とメルランの前に立ちふさがったが、メルランはいっこうに気にした様子はなかった。
それどころか、いかにも邪魔者だと言わんばかりにどかすと、ルナサと相対するのだった。
「いいから、吸ってみたら分かるわよ」
そう言って、メルランは強引にルナサに煙草とマッチを手渡した。
手のひらの上に乗せられた煙草とマッチをじっと眺め、それからおずおずと大妖精を見る。
妙に邪気のない大妖精の笑顔がそこにあった。逆に怖くなってルナサは、再び視線を手のひらの上のものに戻した。
再び顔を上げ今度は、メルランとリリカの顔色を窺った。
メルランは相も変わらずニコニコとした表情を崩さないが、
リリカはいつ爆発してもおかしくないと言った様子でルナサを睨み付けていた。
そしてルナサは逡巡した挙げ句、また大妖精へと視線を向けた。
「良いんですよ、気になさらないで。大丈夫ですから」
邪気のない笑顔で言っているのだが、それがいっそうルナサの決心を鈍らせてしまっていた。
「もう、姉さん。踏ん切りが付かないなあ、はい口に咥える」
そんなルナサの態度にしびれを切らしたのか、
笑顔のままメルランは強引に煙草をルナサにくわえさせると、有無を言わせず火を付けた。
「メル姉!」
「すぐわかるわよ~」
不満の声を上げるリリカを制して、メルランは自信満々に腕組みをしていた。
先ほどまでなかなか吸おうとしなかったルナサだったが、実際に火を付けてしまえば、あっさりと吸い出し始めた。
そして、変化はすぐに訪れた。煙草を吸うルナサの表情が、どこか不思議な物を見るかのように変わっていったのだ。
「あれ? この匂いってもしかして」
リリカの方も気がついたようである。その二人の反応にメルランは満足そうに頷くと説明を始めた。
「まずこれが何なのかと言うとね~、香り煙草という物なのよ」
「香り煙草って、煙草じゃないの?」
リリカの素朴な疑問にメルランが答える。
「そうよ~。この間永琳の煙草に関する講義を聞いたわよね~。あそこに出てきた物を全て取り除いてあるのが、この香り煙草なのよ」
「だが、ただの葉っぱを詰めたわけではないだろう。それにしては香りも良いし、何というかとても落ち着くのだけど」
そう言いながらすでにルナサは二本目に突入していた。
そのチェーンスモーカーな様子に、流石のメルランも苦笑しながら答えるのだった。
「そりゃあそうよ~。だって大ちゃん特製の煙草なんですから」
「えっ、どういうこと?」
さっぱり分からないという風に、ルナサとリリカが顔を見合わせる。そこに大妖精の説明が加えられる。
「この前、メルランさんが私に妖精の力について尋ねられたのは覚えてますか?」
「ああ、そう言えばそんなことを聞いていたね」
「そうなのよ~、大ちゃんの花妖精としての力で、何の害のない葉っぱに、燃えたら香りが出るように匂い付けをしてもらったの。そのおかげでただの葉っぱを燃やしたときのように、煙がたくさんでないし、良い香りもするようになったのよ」
メルランはそう言うと、してやったりといった表情で、大きな胸を得意げにそらしたのだった。
「まさに、どんなときでも大妖精の香りに包まれる大作戦ということよ~」
得意げに口上を述べるメルランとは対照的に、羞恥で顔を赤く染め、大妖精は小さくなっていた。
「メルラン……、ありがとう。色々思うところもあるけど、今日は素直にお前に感謝しているよ」
そう言ってルナサはメルランの手を取って感謝の意を表すのだった。
そして大妖精に向き直ると、その小さな体を抱きしめるのだった。
大妖精はとっさのことに驚いたのだが、すぐに力強く抱きしめ返した。
それをメルランはニコニコと眺めていた。
リリカは、一人蚊帳の外のような感じがして、遠巻きにその様子を見つめることしかできなかった。
「でも、自分の香りで常に相手を包むって、もの凄いマーキング行為だよね……。この人は私の物ですよって、絶対的な所有権を主張するような物だから……」
呆然と呟いたリリカの声は、幸い甘い香りに包まれている二人に届くことはなかったのである。
* *
そして数日後、ここは夜雀の屋台である。
それなりに盛況で、カウンターだけではなく、外の席にも多くの人間、妖怪達が杯を交わし合っているのだった。
「ふうん、そんなことがあったのね」
そう言って、前の席に座っていたアリスは紫煙を吐く。
「そうなのよ、姉さんったら意外と強情で苦労したわ~」
アリスの言葉に相づちを打っているメルランの周りにも紫煙がたゆたっていた。
「でも良かったわね、解決できて。それに私のアドバイスも参考になったみたいだから」
「ほんとよね~。香り煙草のアイディアを貰わなかったらたいへんだったわよ~」
と言ってメルランは話を一つ区切ると、グラスを手にとって一口お酒を飲むと、眉を顰めて苦笑いを浮かべたのだった。
「う~ん、でも少し妬けるわよ~。その後から幸せそうなオーラを全面に出して、館に居づらいったら無いのよね~」
「あら、そうなの?」
恨みがましい口調のメルランに、アリスが相づちを打つ。
「そうよ~、本当に。アリスも一度体験してみると良いわよ」
「ふふっ、遠慮しておくわ。人の恋路を眺める趣味はないから」
リリカは自分が置かれている状況を未だ把握できずにいた。
ルナサの一件が片付いたから、その打ち上げと称して、メルランと二人で夜雀の屋台に来たのは良い。
そして、その場に人形遣いがいることもまああることだ。
だが、目の前の二人の様子は何だ。
いつになく穏やかな人形遣いの様子もおかしいし、そもそもこんなに親しげだっただろうか、この二人は。
「なんだこれ?」
違和感だけがリリカを支配して、一向にお酒を飲む気になれないでいた。
「あら、リリカ? どうしたの杯が進んでないわよ」
そんなリリカの様子に目聡く気がついたアリスは、
ミスティアに新しいお酒を頼み、ついでもらうとグラスをリリカへと差し出した。
「あ、すみません」
いきなりグラスを差し出されて、リリカはとっさに対応できずにいた。
だから、アリスの勧めに従うがまま、一気にグラスを空にしてしまうのだった。
甘い口当たりで予想以上にすっと飲めた。
アルコールが少し体に回ったのだろう。ようやく口が滑らかになった気がしてきた。
その勢いに任せて聞くべきだと言うことで、リリカはメルランの方に向き直った。
「メル姉、つかぬ事をお聞きしますが―」
「な~に、リリカちゃんったら、わざわざかしこまったりして~」
「……人の言葉を遮らないでくれるかな。それはいいとして、……その手にある物は何?」
リリカのジトっとした視線はメルランの手元に注がれていた。
「ん、煙草だけど、何?」
メルランはそう言うと悪びれもせずに、しかもわざわざリリカに見せびらかすようにして白い煙を吐くのだった。
「なーんで、メル姉も吸ってるのかな」
少し咎めるような口調だったが、メルランにはまったく通じていなかった。
それどころか、それまで吸っていた煙草を灰皿に擦りつけて火を消すと、
わざわざ新しい煙草に火を付けて、ふぅっと煙を吐き出した。
「やっぱり気づいてなかったのね、私も吸うのよ」
あっけらかんとした様子で、暴露するメルランには全く悪びれた様子はなかった。
「姉さんは気がついていたみたいだけど……、だから最初は怖かったわ、この裏切り者め、って視線が、こうビンビンと。どこかの橋姫もかくやというような感じだったわね~」
紫煙をくゆらせ美味しそうに煙草を吸い続けるメルランを、リリカは呆然と見つめていた。
そしてがっくりと肩を落とすと、思わず自嘲の呟きを漏らすしかなかった。
「ほんと、大した観察眼だよ……」
微笑ましそうに二人の会話を見ていたアリスは新しい煙草に火をつけようとして、ライターの金具をこすった。
だが火がつかない。
眉をひそめて、さらにカチッ、カチッと何度もライターの金具をこするのだが、やはり駄目だった。
それでも諦めずに、ライターを振ってもう一度金具をこするのだが、結局火がつくことはなかった。
アリスはやれやれと肩をすくめ、用をなさなくなったライターを机の上に置くと、メルランへと向き直った。
「ライターのガスが切れたみたい。ごめんなさいメルラン火を貸してもらえる?」
手元にメルランのマッチがあったので、リリカはそれを取ってアリスに差しだそうとした。
だが、クスリと笑ってメルランは手で遮った。
何故かリリカにはその顔がとても淫靡に見えた。
メルランは少しだけ腰を浮かすと、上体をアリスへと向けた。
そして、そのまま火のついた煙草を咥えたままアリスに顔を近づけた。
アリスもまた火のついていない煙草を咥えると、そっと前に顔を突き出すのだった。
「ん、ありがと」
「どういたしまして」
ただ煙草同士を触れ合わせて火を付けているだけなのに、リリカにはまるで二人がキスをしているように見えた。
何故だか見てはいけないものを見た感じがして、思わず顔をそらしてしまった。
しかし、リリカのそんな戸惑いをよそに、アリスとメルランは何事もなかったかのように席に座ると、
美味しそうに煙草を吹かしていた。
「と、ところでアリスさんも煙草を吸うんですね」
気まずさを押し殺すようにして、リリカはとにかく会話をしようと口を開くのだった。
「あら、似合わないかしら?」
リリカの指摘に対して、少し拗ねたようなアリスの声が意外だった。
「うーん、似合う似合わないではなくて、イメージに合わないというか。……そう、臭いとか気にしそうなタイプに見えます」
リリカの指摘になるほどといった風に、アリスは笑った。
「ふふ、そうね。だから家では絶対に吸わないわよ。人形や、本に臭いがついたら大変だからね。それにあまり吸っているところを見られたくないから、ほとんど人目につくところでは吸わないわ。人の前で吸うのは……そうね、こうして外でお酒を飲むときぐらいね」
少し恥ずかしそうに告げるアリスにリリカは首をひねっていた。
「え、でも宴会の時に吸っているところ見たことないですよ」
「そりゃあね、ああいうときに吸ったら周りに迷惑がかかるじゃない。それに煙草が嫌いって者もいるし、……煩いのもいるしね」
そう言ってアリスは苦々しそうな表情を浮かべ、杯を軽く傾けた。
「黒白とか?」
何気ないリリカのつぶやきに、大きく頷きながらアリスは言葉を続けた。
「そうね、あれだけじゃないけれど、急先鋒なのは確かね。ああ見えて健全安全好少女だからね、魔理沙は」
そんな風に語るアリスの顔は、どことなく小さな子供を慈しむ母親のような感じだった。
そして、アリスは一呼吸置いて白い煙を吐き出すと、さらに話を続けた。
「……突っ張ってるように見えるけど、煙草とか大っ嫌いなのよ」
再び言葉を切ると、アリスはグラスに残っていたお酒を一気に飲み干した。
空になったグラスを見つめるその表情は、何だかちょっと困ったようにリリカには見えるのだった。
「だから、ほとんど吸うのはここで飲むときくらいね。多分、知っているのは店主のミスティアや、他にはほとんどいないと思うわ。一応止めたことになっているから」
そう言ってアリスはカウンターの方のミスティアに振り返った。
突然視線を向けられたが、歌を止めることなくこちらに微笑むと、ミスティアは空になったアリスのグラスにお酒をつぐのだった。
「じゃあ、うちの馬鹿姉とも?」
「そうね。メルランと仲良くなったのも、ここでよ。」
リリカの言葉にアリスは軽く頷いた。
「ちょっと、アリス~、それだと私は馬鹿姉確定じゃないの」
ぷくーっと頬をふくらませてメルランがふて腐れる。
その様子を見ては、口元に手を当ててクスクスと笑うアリス。
こんな年相応の少女の顔が出来るんだ。
リリカには少し意外に思えた。
しかもそれをさせているのが、自分の姉であるメルランというのがいっそう意外だった。
だが、煙草を吸いながら仲良くお酒を飲む二人の様子を見ていると、そんな関係も良いんだろうなあと思う。
だが、この少しもやもやとした気持ちは何だろう。その答えはリリカには分からないままだった。
「あー、良いなあルナ姉も、メル姉も。私だけじゃんフリーなのって」
自分の境遇に、リリカは思わず溜め息をついてしまっていた。
そんなリリカの肩がポンッと叩かれる。ふと振り返ると、
「がんばれ」
やけに良い笑顔で親指を立てているてゐがいた。
「てゐー、あんたは吸わないよね」
「ふっふっふ」
腕組みをして思わせぶりな態度を取るてゐ。
「ま、まさか……あんたまで」
「吸うわけないよ、煙草は健康の大敵、何てったって健康に気をつけてここまで来たんだからね」
「そ、そうだよね」
思わず、ふーっと安堵の息を吐き出すリリカ。そんなリリカとは裏腹に、てゐの方はがっくりと肩を落としていた
「でもねー、最近鈴仙ちゃんがカッコつけだか何か知らないけど、吸い始めちゃってねえ、あたしがやめろって口酸っぱく言っても、全然聞きゃあしない。これはあれだね、師匠が悪い」
「永琳?」
「そ、師匠がスパスパ吸うもんだからさ、あの人と鈴仙ちゃんじゃ違うって言うのに」
そう言って愚痴をこぼしだしたてゐを見て、リリカは肩をすくめる。
どうやらてゐもかなり溜まっているものがあるようだった。
うだうだと管を巻き出すのを見て、リリカはぱちんと自分の頬を叩いて気合いを入れた。
「やれやれ、どこもここも幸せそうにしやがってこんちくしょー。よっしゃーみすちー今日は一晩中飲み騒ぐよ。どんどんお酒持ってきて、さあ、てゐもグチグチ言ってないで飲んだ飲んだ」
中天に上っていた月が傾き始めたが、まだまだ夜は長い。
夜雀の屋台から流れる歌声と、それに負けないくらいの喧噪が空に溶け込んでいく。
こうして幻想郷の夜は更けていくのだった。
斬新なカップリングが二次創作の自由さを際立たせていて面白い。
このままシリーズ化したら最高にうれしいです。
吸っているのは嫌ですねぇ。
前回のルナサと大妖精のかなり進展したお話なんですね。
というか大ちゃん、惚気というか……とんでもないことを言っちゃいましたね。
顔を赤くする大ちゃんが可愛くて、自然と頬が緩みますね。
ルナサと大ちゃんの恋愛って良いなぁ。
このお話って続くのでしょうかね? だとしてらとても楽しみです。
誤字?の報告
>だ~いじゃうぶ、私にま~かせなさい
メルランの台詞ですが、『だ~いじょうぶ、』ではないでしょうか?
ただルナサ姉さんも負けない位マニアックそうな気が致します。
そんな感じで(どんな感じだ)ニヤニヤしていたらメルアリにぐふぅ。
久方振りのメルアリは破壊力抜群でした。
リリてゐは何故か想定内。
しっかしなんという煙くゆらす幻想郷。
この分だと弾幕少女達の六割程度が吸ってそうな勢いですね。
とてもとてもとてもとても楽しませて頂きました。
また吸いたくなってきたではないか、どうしてくれるー
題材は賛否両論あるかもしれませんが、とても暖かい物語でした。
煙草を吸う姿がとても様になってて面白い。
メルランとかまったく考えてもいなかったのに妙に似合うw
ただ、禁煙をしている途中に見るものではないですな。
健康には気をつけてくださいね~。
やめれねぇんだよなー煙草・・・