一縷の希望だった最後の漁場は、カチンカチンだった。
紅葉は散ったがまだそれから間も無くの頃、庭池程度の大きさであるとはいえ、こんなスケートリンクみたいな事になっているとは、ミスティアは想像だにしていなかった。まるでどこぞの氷精の被害に遭ったという有様だった。
というかその、どこぞの氷精ことチルノまさにそのものが、池の真ん中で仁王立ちしていた。
「残念だったわね、ここではウナギは獲れないわ!」
「ウナギじゃなくて八ツ目鰻だけどね。で、何やってるの?」
「動けないの!」
チルノは膝のあたりまで、カチンカチンの池にめり込んでいた。
その現実に反発するかの如く、上半身は誇らしげなポーズを作っていた。
「見れば分かるね。どれくらいそうしてるの?」
「一週間くらいかな。誰も助けに来ないから。アンタが一番乗りよ、騒がしいの」
「ちなみに私はミスティア・ローレライって名前だけど」
「ゲンサクにジュンキョするとこうなるのよ。で、何でこうなったかっていうと……」
「いや、見れば大体分かるから」
膝まで氷にめり込んだチルノは、細長くて黒くて硬そうな物体を手にしていた。
見慣れたミスティアが見ればそれが何かは瞭然で、それは詰まる所、冷凍八ツ目鰻だった。
蛙を凍らせて生きたまま解凍するという、地味な特技兼趣味のあるチルノである。ステップアップを目指し、蛙以外の生物にチャレンジしてみたといったところだろう。
「この池で八ツ目鰻を捕まえたあんたは、一刻も早く凍らせてみたくて、池に足が浸かったまま冷気を全開にしちゃった」
くわっとチルノは目を見開いた。
「で、冬の口の寒気と、あんた自体がだだ漏れにしてる冷気のせいで、カチンカチンになった池はさっぱり融けないまま今に至る、と」
「あんた、ひょっとしてエスパー?」
「そうかもしんない。まあともあれ丁度良かったわ。漁は出来なくて構わないから、そのヤツメを私にちょうだい」
「やなこった!」
時を止め、二人はしばし見つめあった。
吹き抜ける寒い風。氷の精と羽毛完備のふかふか妖怪とはいえ、心は冷える。
ミスティアはとつとつと、己の置かれた状況を語り始めた。
「屋台に、瓢箪持ってる方の鬼さんが来てね。名物の八目鰻が食いたいなあって言う訳よ。時期外れよ、とか言っても聞かなくって。それでね……」
「焼きウナギを食わすかお前が焼き鳥になるか選べ、とか言われて、幻想郷中飛び回ってウナギを探して、最後に残ったのがここって訳ね!」
くわっとミスティアは目を見開いた。
「チルノ、あんたひょっとして、ちょっと賢くなった?」
「あてずっぽうよ。ちょっとカマかけただけでボロを出すなんて、まだまだね!」
「隠す気ない奴にカマかけてどうするのよ」
「負け惜しみを聞く耳はないわ。とにかく、このウナギは渡さない。どうしても欲しかったら、あたいをここから助け出してみる事ね」
「素直に助けてって言えばいいのに」
絶体絶命同士、交換条件が成立するのは自然の流れかも知れない。
ミスティアは氷の上に乗っかって、一回すっころんだ後、その氷の面を叩いてみた。
硬かった。自然の氷と違って、中まで完全に凍っている。
「氷を何とかするのは駄目そうね。そうだ、私のショットをあんたに撃ち込んでパンッてしてあげるから、別の場所に復活するのは?」
「痛いから嫌」
「この我が侭」
もの寂しげに鹿が鳴く。
足を引っ張ったり、爪で氷を削ろうとしてチルノの足を切ってしまったり、隙を見てヤツメをかっ払おうとして喧嘩になったりといった事に、二人はしばしの時間を費やした。
一通りの事を試みた後、ミスティアはぽつりと言った。
「ねえチルノ、足し算教えてあげる。0足す0は0だけど、0足す1は1よ」
「理解したわ! でそれが何か役に立つの?」
「二人とも残念な事になるよりかは、一人だけでも助かった方が全体として得って事」
「なるほど、つまりこのウナギを渡して、ミスティアだけでも助かればいいのね!」
チルノは何の屈託もなくヤツメを差し出した。
ミスティアは表面的にはダウナーなテンションを維持しながら、心の中でガッツポーズをした。
よし、私ってば策士。
ヤツメに向けて手を伸ばす。無造作を装いながら厳かに。うそマジ? 急に引っ込めて「引っかかったー」とか無しだよ、本当。そんな事されたら私のチキンハートはバーンアップしてグリルドチキンしちゃうぞ、スパイシーに。やめてねお願いだから。想いが胸を埋め尽くした。
つん、と、ついに爪の先がヤツメに触れた。
ぴしり。
触れた所から音がした。
嫌な予感がした。
ミスティアは手をひっこめた。
ぴしり、ぴしり。
チルノの顔を見ると、なおも屈託ない笑みを浮かべていた。
ミスティアが触れた所から、ヤツメの全身に向けて、放射状に皹が入っていく。
それが隈なく行き渡り、一呼吸間を置いて。
ぱあん。
ダイヤモンドダストを輝かせながら、ヤツメの身は粉々に砕け散った。
「ごめん、今回は失敗!」
両手で顔を覆い、とても文字に起こせないような汚い言葉(大半はチルノには理解できない)をわめき立てながら、ミスティアはその場にへたり込んだ。
「元気出して、失敗は誰にでもあるんだから」
「あんたが言うな! ああもう、私焼き鳥になる。焼き鳥になって、ファイヤーミスティアになって、熱線を吐いて氷を融かしてあげる」
「それ、多分あたいも一緒に融けるし」
「融けてよ、お願いだから!」
と、マジキレ気味のミスティアがまくし立てた時だった。
「美談だねえ、友達のために自分の身を焼かれるなんて。気に入った!」
声とともに、にわかに周囲に霧が充満した。
霧が充分に濃くなると、次第にそれは萃まって濃くなり、やがて少女の姿を作る。背格好はミスティアと同じ位か。但し角を含めて。
萃まる夢、幻、そして百鬼夜行。鬼の伊吹萃香である。
「成果見に来たさ。どうだい、みすちー」
「やっぱ、私は焼き鳥になる運命みたい」
「はっはっは、そう事を急ぐでない」
あんたが張本人やん、というミスティアの毒づきを涼しい顔で流しながら、萃香はチルノの方を向いた。
「何か面白い事になってるじゃんか。私なら助けられるよ」
「マジで!?」
「大マジさ。本当に助けて欲しいんだな?」
知らないよ、碌な目に遭わないよ、というミスティアの呟きをよそに、チルノと萃香は半ば意気投合する格好になっていた。
「よし、それでは始めるよ。つっても、こんな小っこい池、私にかかれば……」
萃香は凍った池の縁を人差し指で確かめ、それから片手で掴んだ。
軽く腕の筋肉が浮かび出たかと思うと、次の瞬間には、池がまるごと地面から引き剥がされた。
UFOのような形状の、汚れた巨大な氷塊が、ひょいとばかりに持ち上げられている。
ちなみに氷は水とほぼ同じ、1メートル四方でおよそ1トンの重さがある。
「そおーれ!」
今度はそれが小石のように、空に向かって放り投げられた。
軽く20メートルは。
それにくっついているチルノからすると、くるくると天地が回転する事になり、彼女はすっかり目を回して泡を吹いている。
「あ」
そこでミスティアはある事に気づいた。
池をそのまま凍らせた巨大な氷の中には、いくつか黒くて細長い異物が入っている。
「八ツ目鰻だ」
本当だったらこの時期、居るのは泥の中のはずである。しかし思い出した。あの氷は、一週間前にチルノが凍らせたものなのだ。
やがて巨大な氷は、初速を重力加速度に全て殺され、一瞬宙に静止する。
「そら、ここだ!」
萃香が上機嫌に声を上げ、宙に差し出した掌を握って拳にする。
空気が、上空の氷塊に向けて萃まっていくのが分かった。
「燐火よ!」
音が消えた。
音を伝える媒質である空気がすっかり失われてしまったのが原因だとは、ミスティアには分からなかった。ただ気圧差による耳鳴りと眩暈を覚えた。
そして、上空に紅蓮が咲いた。
ボタボタと、あるいはざあざあと。
爆発点から地上に向けて、水や泥や水棲生物やチルノが降ってくる。
二人並んでずぶ濡れになる中、萃香は満足げな顔をして、瓢箪から酒をぐびぐびやっている。
気づけば地面を這っていたそれを、ミスティアは地面から拾い上げた。
チルノは少し離れた所に横たわっていた。
「ほら、チルノ、やったよ」
その顔の前に、ひらひらさせる。
その八ツ目鰻、虫の息で、ビクビクと痙攣し、ただでさえグロい外見がさらにグロい事になっていたが。
「解凍成功、だね」
確かに、それは生きていた。
「はは……やっぱ、あたいってば最、きょ……」
パンッ。
妖精の身体が消滅する時に特有の音がしたかと思えば、チルノはもうそこには居なかった。
ミスティアは、小さく手を合わせた。
ちなみにその後八ツ目鰻は調理したが、解凍モノという事もあって味はイマイチだった。
紅葉は散ったがまだそれから間も無くの頃、庭池程度の大きさであるとはいえ、こんなスケートリンクみたいな事になっているとは、ミスティアは想像だにしていなかった。まるでどこぞの氷精の被害に遭ったという有様だった。
というかその、どこぞの氷精ことチルノまさにそのものが、池の真ん中で仁王立ちしていた。
「残念だったわね、ここではウナギは獲れないわ!」
「ウナギじゃなくて八ツ目鰻だけどね。で、何やってるの?」
「動けないの!」
チルノは膝のあたりまで、カチンカチンの池にめり込んでいた。
その現実に反発するかの如く、上半身は誇らしげなポーズを作っていた。
「見れば分かるね。どれくらいそうしてるの?」
「一週間くらいかな。誰も助けに来ないから。アンタが一番乗りよ、騒がしいの」
「ちなみに私はミスティア・ローレライって名前だけど」
「ゲンサクにジュンキョするとこうなるのよ。で、何でこうなったかっていうと……」
「いや、見れば大体分かるから」
膝まで氷にめり込んだチルノは、細長くて黒くて硬そうな物体を手にしていた。
見慣れたミスティアが見ればそれが何かは瞭然で、それは詰まる所、冷凍八ツ目鰻だった。
蛙を凍らせて生きたまま解凍するという、地味な特技兼趣味のあるチルノである。ステップアップを目指し、蛙以外の生物にチャレンジしてみたといったところだろう。
「この池で八ツ目鰻を捕まえたあんたは、一刻も早く凍らせてみたくて、池に足が浸かったまま冷気を全開にしちゃった」
くわっとチルノは目を見開いた。
「で、冬の口の寒気と、あんた自体がだだ漏れにしてる冷気のせいで、カチンカチンになった池はさっぱり融けないまま今に至る、と」
「あんた、ひょっとしてエスパー?」
「そうかもしんない。まあともあれ丁度良かったわ。漁は出来なくて構わないから、そのヤツメを私にちょうだい」
「やなこった!」
時を止め、二人はしばし見つめあった。
吹き抜ける寒い風。氷の精と羽毛完備のふかふか妖怪とはいえ、心は冷える。
ミスティアはとつとつと、己の置かれた状況を語り始めた。
「屋台に、瓢箪持ってる方の鬼さんが来てね。名物の八目鰻が食いたいなあって言う訳よ。時期外れよ、とか言っても聞かなくって。それでね……」
「焼きウナギを食わすかお前が焼き鳥になるか選べ、とか言われて、幻想郷中飛び回ってウナギを探して、最後に残ったのがここって訳ね!」
くわっとミスティアは目を見開いた。
「チルノ、あんたひょっとして、ちょっと賢くなった?」
「あてずっぽうよ。ちょっとカマかけただけでボロを出すなんて、まだまだね!」
「隠す気ない奴にカマかけてどうするのよ」
「負け惜しみを聞く耳はないわ。とにかく、このウナギは渡さない。どうしても欲しかったら、あたいをここから助け出してみる事ね」
「素直に助けてって言えばいいのに」
絶体絶命同士、交換条件が成立するのは自然の流れかも知れない。
ミスティアは氷の上に乗っかって、一回すっころんだ後、その氷の面を叩いてみた。
硬かった。自然の氷と違って、中まで完全に凍っている。
「氷を何とかするのは駄目そうね。そうだ、私のショットをあんたに撃ち込んでパンッてしてあげるから、別の場所に復活するのは?」
「痛いから嫌」
「この我が侭」
もの寂しげに鹿が鳴く。
足を引っ張ったり、爪で氷を削ろうとしてチルノの足を切ってしまったり、隙を見てヤツメをかっ払おうとして喧嘩になったりといった事に、二人はしばしの時間を費やした。
一通りの事を試みた後、ミスティアはぽつりと言った。
「ねえチルノ、足し算教えてあげる。0足す0は0だけど、0足す1は1よ」
「理解したわ! でそれが何か役に立つの?」
「二人とも残念な事になるよりかは、一人だけでも助かった方が全体として得って事」
「なるほど、つまりこのウナギを渡して、ミスティアだけでも助かればいいのね!」
チルノは何の屈託もなくヤツメを差し出した。
ミスティアは表面的にはダウナーなテンションを維持しながら、心の中でガッツポーズをした。
よし、私ってば策士。
ヤツメに向けて手を伸ばす。無造作を装いながら厳かに。うそマジ? 急に引っ込めて「引っかかったー」とか無しだよ、本当。そんな事されたら私のチキンハートはバーンアップしてグリルドチキンしちゃうぞ、スパイシーに。やめてねお願いだから。想いが胸を埋め尽くした。
つん、と、ついに爪の先がヤツメに触れた。
ぴしり。
触れた所から音がした。
嫌な予感がした。
ミスティアは手をひっこめた。
ぴしり、ぴしり。
チルノの顔を見ると、なおも屈託ない笑みを浮かべていた。
ミスティアが触れた所から、ヤツメの全身に向けて、放射状に皹が入っていく。
それが隈なく行き渡り、一呼吸間を置いて。
ぱあん。
ダイヤモンドダストを輝かせながら、ヤツメの身は粉々に砕け散った。
「ごめん、今回は失敗!」
両手で顔を覆い、とても文字に起こせないような汚い言葉(大半はチルノには理解できない)をわめき立てながら、ミスティアはその場にへたり込んだ。
「元気出して、失敗は誰にでもあるんだから」
「あんたが言うな! ああもう、私焼き鳥になる。焼き鳥になって、ファイヤーミスティアになって、熱線を吐いて氷を融かしてあげる」
「それ、多分あたいも一緒に融けるし」
「融けてよ、お願いだから!」
と、マジキレ気味のミスティアがまくし立てた時だった。
「美談だねえ、友達のために自分の身を焼かれるなんて。気に入った!」
声とともに、にわかに周囲に霧が充満した。
霧が充分に濃くなると、次第にそれは萃まって濃くなり、やがて少女の姿を作る。背格好はミスティアと同じ位か。但し角を含めて。
萃まる夢、幻、そして百鬼夜行。鬼の伊吹萃香である。
「成果見に来たさ。どうだい、みすちー」
「やっぱ、私は焼き鳥になる運命みたい」
「はっはっは、そう事を急ぐでない」
あんたが張本人やん、というミスティアの毒づきを涼しい顔で流しながら、萃香はチルノの方を向いた。
「何か面白い事になってるじゃんか。私なら助けられるよ」
「マジで!?」
「大マジさ。本当に助けて欲しいんだな?」
知らないよ、碌な目に遭わないよ、というミスティアの呟きをよそに、チルノと萃香は半ば意気投合する格好になっていた。
「よし、それでは始めるよ。つっても、こんな小っこい池、私にかかれば……」
萃香は凍った池の縁を人差し指で確かめ、それから片手で掴んだ。
軽く腕の筋肉が浮かび出たかと思うと、次の瞬間には、池がまるごと地面から引き剥がされた。
UFOのような形状の、汚れた巨大な氷塊が、ひょいとばかりに持ち上げられている。
ちなみに氷は水とほぼ同じ、1メートル四方でおよそ1トンの重さがある。
「そおーれ!」
今度はそれが小石のように、空に向かって放り投げられた。
軽く20メートルは。
それにくっついているチルノからすると、くるくると天地が回転する事になり、彼女はすっかり目を回して泡を吹いている。
「あ」
そこでミスティアはある事に気づいた。
池をそのまま凍らせた巨大な氷の中には、いくつか黒くて細長い異物が入っている。
「八ツ目鰻だ」
本当だったらこの時期、居るのは泥の中のはずである。しかし思い出した。あの氷は、一週間前にチルノが凍らせたものなのだ。
やがて巨大な氷は、初速を重力加速度に全て殺され、一瞬宙に静止する。
「そら、ここだ!」
萃香が上機嫌に声を上げ、宙に差し出した掌を握って拳にする。
空気が、上空の氷塊に向けて萃まっていくのが分かった。
「燐火よ!」
音が消えた。
音を伝える媒質である空気がすっかり失われてしまったのが原因だとは、ミスティアには分からなかった。ただ気圧差による耳鳴りと眩暈を覚えた。
そして、上空に紅蓮が咲いた。
ボタボタと、あるいはざあざあと。
爆発点から地上に向けて、水や泥や水棲生物やチルノが降ってくる。
二人並んでずぶ濡れになる中、萃香は満足げな顔をして、瓢箪から酒をぐびぐびやっている。
気づけば地面を這っていたそれを、ミスティアは地面から拾い上げた。
チルノは少し離れた所に横たわっていた。
「ほら、チルノ、やったよ」
その顔の前に、ひらひらさせる。
その八ツ目鰻、虫の息で、ビクビクと痙攣し、ただでさえグロい外見がさらにグロい事になっていたが。
「解凍成功、だね」
確かに、それは生きていた。
「はは……やっぱ、あたいってば最、きょ……」
パンッ。
妖精の身体が消滅する時に特有の音がしたかと思えば、チルノはもうそこには居なかった。
ミスティアは、小さく手を合わせた。
ちなみにその後八ツ目鰻は調理したが、解凍モノという事もあって味はイマイチだった。
テンポがよくて面白かったです。
いくら復活するとはいえやっぱり痛いものは痛いですよねぇ。
二人の会話などもスッキリとしてて面白かったです。
ところで、チルノはどこで復活するんでしょうね?
会話が小気味良いですねえ
花映塚の映姫との会話の事なら「いつかはそうなるかも知れない」の話で、原則的には復活可能であるようです。