蒐集しなければならない。
それも速やかに。
なぜなら、愛らしい彼女たちの笑顔こそ私の好むところであり、それが今まさに背後を断崖とした危機に直面しているのだと私は知ってしまったからだ。
もちろんこれが、私こそが解決すべき問題であることは疑う余地もない。一体、私ではない他の誰が彼女たちを救えると言うのだろう。
くたびれた目を潤してくれる彼女たちの笑顔は誰のものでもないのだが、その慎ましい声を聞き取れるのは私以外にはできないことなのだから。
そして、彼女たちの強靭な精神は私の手助けを必要としないのかもしれないが、それと似合わぬ脆弱な肉体はどうしたって手を差し伸べる優しさを注ぐべき存在なのだ。
目前に広がる鮮やかな色彩、つまりはやわらかな春の微風に揺れている愛しい彼女たちの姿を私は見やった。
日差しの中ですべては眠ったように静かで、美しかった。穏やかな空をゆっくりと漂う船舶は澄んだ白さを持ち合わせている。
彼女たちの安寧の地はなんとも和やかなもので、見ているこちらもふわふわと浮つく心地で満たされる。
これが……この美しい光景が、今やそっと触れただけでも崩れそうな危うさを内包しているのだ!
とても現実的ではない。いや、現実とは思いたくない。しかし、紛れもなく、放っておけばすっかり元通りになる類のものでもない。つまり、事態を解決する者が必要なのだ。
事態の究明。原因の追究。
そういった行動を私は起こす必要がある。彼女たちに力はないし、私は彼女たちの手足であり、彼女たちは私の手足なのだ。
このままじっとしていれば、愛すべき彼女たちはどうしようもない不幸に塗れるようになることだけは確かで、それだけはなんとしても回避すべき事態である。
……しかし。
とは言うものの、猶予はまだある。
確かに、速やかに蒐集すべきである。あるのだが……彼女たちの抱える悩みはまだまだ大きくなる余裕を持っている。脚と心臓に強烈な刺激を与えることをせずとも解決できる段階なのだ。
ああ、当然彼女たちをいたずらに苦しめる真似など私はしたくない。だが、焦って事態に臨んでも期待する成果を得られるとは限らないのだから、冷静に対処する方が断然良い。
まずはこの異変に関わっているであろう者のところへ向かうとしよう。
候補がいくつか既に、私の脳裏に鎮座していた。
何人かの顔が浮かんでは消え、最後に残ったのは馴染みのある彼女の顔だった。
蟲の妖怪である彼女なら何かしら知っているに違いない。もしかすると主犯であるのかもしれない。
目的がなんであれ、早いところ虫たちを集めてもらわなければこちらとしても腕力に頼らなければならないだろう。可愛い彼女たちの生存はその虫によってまかなわれているのだ。
では、行くとしよう。
私は力強く飛び立とうとしたが、ふとやるべきことを思い出した。
そうだった、愛くるしい彼女たちに挨拶くらいしてやらなければ。
なんといっても彼女たちは、寂しがりやで、陽が顔を出さない日などはうな垂れるばかりなのだ。
「行ってくるわ」
返事は、ない。
まあ、当然のことだ。彼女たちはわかりやすい言葉を持たない、私の愛すべき花々なのだから。
彼女たちは自身の間を行き来する虫がまったくいないことがやはり不安で仕方ない、といった表情で私を見送ってくれた。
虫を蒐集しなければならない。
蒐集しなければならない。
それも速やかに。
どうあっても私は急ぐ必要に迫られた。
森の中を駆け巡る私の心臓は切迫した状況に押し潰され、情けない泣き言を漏らすばかりだった。
乱立する木々は、脚が私を運ぶ最大限の速度で後方へと飛んでいく。口蓋からは、もうずっと乾いた苛立ちが微風となって吐き出されていた。
しかし、私には肉体のあげる悲鳴に、神経を鋭利な刃物のように冷たくさせる暇などまったくなかった。僅かばかりの余白も残されていないこの事態は、一刻を争うのだ。
ところで、私には自身のあまりにも不幸な状況を嘆くつもりは一切ない。
胸のうちに苦い反発が広がろうとも、私には成すべき大命があるのだ。同胞を悪鬼から救うという、重大な使命が!
大事な大事な同胞たちを救うためならば、身を削っても苦しいはずがないじゃないか。そう、たっぷりと言い聞かせて肉体の軋みをなんとかごまかそうとする。
私たちのような脆弱な生物はただ生きることさえ、難しいのだ。
それにも関わらず、悪意の第三者の思いつきに振り回されるなどまったく腹立たしい事態だ。一生懸命に生きる者に、なんたる侮辱!
どうしたって、私たちは生き抜いてみせるのだ!
まず、この愚かしい事態は虫の報せから始まった。
どこが発信源かは到底わからないが、ある噂が私たちの間で飛び交ったのだ。
それは、私たちを食欲を満たす嗜好品として捕えようとする輩がいるということだった。つまり、私たちはとびっきりの珍味らしい。
まったく冗談ではない。
もちろん、種類によるが私たちは栄養価が豊富で、里では稲の不作などの事態が起これば非常食として好まれるものではある。
しかし、常時にも関わらずただその肥大なる舌を落ち着かせるために私たちを食そうなどとはふざけている。きわめて自然的な捕食こそ私たちの享受する宿命であり、個人の粋狂な愚行に付き合う義理など欠片も存在しないのだ。
だが、最も厄介なことはその個人というのがただの人間などではなく、冥界のお偉方らしいということだ。
元々、私たちの力などそれほどあるわけではない。その上、奴らの獰猛な力の前では抵抗らしい抵抗もできやしない。
なんということだろうか。
いつの世も弱小である生物は、強大な者の思いつきに、振り回され、踏みにじられ、呆気なく潰されるのだ。
あんまりだ。これではあんまりではないか。
一体、私たちがなにを仕出かしたというのだろう。
……どうあれ、奴らの凄惨たる横暴に真っ向から立ち向かうだけの力など私たちにはないのだ。
では、どうするか。
尻尾を巻いて逃げるしかない。一寸の虫にも五分の魂とは言うものの、矜持など命の前ではそれこそ一寸にも満たない。
既に私たちの半分以上はひっそりとした寝床にこもっている。
いや、一匹たりともこのような理不尽に屈させはしない。とにかく奴らに見付かる前に、全員を卑劣な暴力から逃してみせる。
必ず、全員が生き抜いてみせるのだ。幸い、冥界の主人は一つのことに固執する性分ではないらしい。
奴らに飽きが来るまで、ただ怯え、隠れるだけ。情けないということも否定できないが、安穏と生きられれば私たちはそれでいいのだ。
さて、次は東の方へ急ぐとしよう。事態に怯える哀れな仲間を救い出すためにも。
同胞を蒐集しなければならない。
蒐集しなければならない。
それも速やかに。
これ以上、妙な思いつきをされる前に早く幽々子さまの好奇心と舌とを満足させなければならない。ぐずぐずしていては、またしても恐るべき難題が降りかかるというものだ。
従者というものは、主を満足させ、意欲的にさせ、生活に彩りと潤いを与えるものだ。だが、私に向けられる注文はあまりに頑固なもので、ちょっと突いた程度ではぴくりとも動かぬものなのだ。今までもその結末といえば、私がなんとかそれらしい解決の形を作り出すか、主が時間切れを起こすかのどちらかでしかない。
今回は果たしてどちらに転ぶのか、私にも見当はつかない……いや、後者の色が強いのかもしれない。
しかし、私を一体なんだと思っているのだろう。これではただの便利な使いでしかないではないか。
今一度、強く言い聞かせる必要があるのかもしれない。私は庭師である、と。
……いや、剣術の指南役という本来の役目もあるのだが、その、つまり、人間多くのことを望んでは罰が当たるというもので、まずは立場について妥協してでも認識してもらいたいというものなのだ。このような体たらくなのだから、半人前と言われるのかもしれないが。
それにしても、食べられる虫など大分限られるのだから捕まえる以前に、発見すら容易ではない。
それに小さく、動きはすばやい。
これでは、斬ることも至難の業だ。修行にこそふさわしいような食材だ。
……うん? 修行? ……いや、そのようなことを……。
ある考えが浮かぶ。
妙だとは思っていたのだ。他にも見目麗しく、食指をくすぐる食材はあるにも関わらず、どうして虫などという非常用、あるいは外れた珍味を私に取ってこいと命じたのか。
それはつまり、これこそ純然たる主の愛情ではないのだろうかということだ。幽々子さまは、半人前を脱するための良い機会を私に与えてくださったのだ。そうだ。そうに違いない!
ああ、主の心遣いに私はなんて思い違いをしていたのだろう。まったく恥ずかしい限りだ。私は主の好意に気づけぬ愚か者なのだ!
体内を駆け巡る命の炎が、頬に殺到する。今の私は、熟した空のように鮮烈な色合いをしているのだと思う。
次第に、主の期待に応えたいという衝動が脳髄から指の先まで染み渡る。
熱烈な心情が、私の中で再び燃え始めた。やってやろうじゃないか。ああ、やってやろうとも。
……だが、これが本当に幽々子さまのお考えなのだろうか。それにしては随分と回りくどい。これではまるで、あの女のようではないか。
先日に、彼女が主を訪ねてきたがもしやそれが関係しているのだろうか。
彼女はいつも重々しい口調で、もったいぶったように話す。そうすれば説得力が言葉の周りを踊り、相手の奥底にまで届かせることができるとでも言わんばかりだ。そんな彼女のことが少し苦手でもある。
しかし、彼女が主にどう吹き込んだところで主の命令は私にのみ向けられているのだ。それは間違いなく私だけのものだ。主の要求を最も美味な形態で提供できるのは私しかいないのだ!
さあ、速やかに。
食材を蒐集しなければならない。
蒐集しなければならない。
それも速やかに。
このままでは私の胃の底は、胸のうちに沈む情欲の炎に焼き尽くされてしまうだろう。そのまま不快なる炎は燃え盛り、その勢力を拡大させ、舌の付け根まで焼き焦がし、私は愛すべき彼女の耳を楽しませることもできなくなってしまうのだ。
ああ、駄目だ。まったく私は駄目になってしまった。今の私は、彼女を求めて止まないのだ。
精神と肉体の、その両面から!
しかし、言うまでもなく私の誘いを彼女がすんなりと受けるはずもない。これは無理からぬことだ。彼女は少女特有の貞操観念と人間相応の常識を携えているのだから。
だからこそ、私は常々飢えてしまっている。どうしようもなく渇いているのだ。
ああ、ああ! 彼女をすっかり自分のものにしてしまいたい!
やわらかな髪を撫でたり、肉付きのいい股をさすったり、耳たぶを唇で挟んだり、うなじを唾液でふやかしたりしたいのだ!
だが、これらの私のささやかな願いを実行しようものなら、彼女は怒り狂うに違いない。怒声と一緒に針が飛んでくるだろう。
まったく、なんと理不尽なことだろうか。
私の熱情はどこにもない出口を求めてさまよい、とろとろと燻り続けるのだ。
さて、このような私の途方もない不幸を癒すためにも、蒐集をしなければならないのだ。
つまり、彼女の……愛らしい姿を! 特に、彼女の困った顔などには神聖な歓喜に身を任せるしかない。まったく魅惑的である。
そして、異変解決の役割を果たす彼女に、私を情熱的にさせる振る舞いをさせるには異変を用意するほかない。
既に先日、苗床に異変の種を蒔いておいた。友人がきっと水をやってくれるだろう。
そろそろ頃合なのだと思う。期待に胃袋は縮まり、口内は唾液が滲み出した。彼女のあの表情を思い出しただけでも、私は妖しい身震いをもよおすのだ。
ああ、そうだ。隣に座る愛くるしい彼女に食前の挨拶をしておこう。それくらいするのが礼儀というものだ。
淑女として、それは当然の行いなのだ。
「霊夢、異変が起こったわ」
彼女を蒐集しなければならない。
蒐集しなければならない。
それも速やかに。
「そう、わかったわ」
紫がそう言ってきたのだ。本当に面倒なのだが、解決する選択しか私にはない。
異変はすぐさま解決されなければならないのだ。この地に住まう人々にとってそれは共通の認識だ。
私は巫女としてその要求に応えねばなるまい。博麗の巫女たる私はこの事態を落ち着かせる必要がある。
ああ、しかし本当に面倒だ。それに嫌な予感もする。隣にいる女の、いつも以上に胡散臭い表情には緩んだ口元が張り付いているのだから。
まあ、良い。
なにか仕出かそうものならこの異変と共に片付けてしまえばいいのだ。それよりもこの大風呂敷を、愚かな主犯の広げた異変を集めることが先決だ。
では、出発しよう。
異変を蒐集しなければならない。
それも速やかに。
なぜなら、愛らしい彼女たちの笑顔こそ私の好むところであり、それが今まさに背後を断崖とした危機に直面しているのだと私は知ってしまったからだ。
もちろんこれが、私こそが解決すべき問題であることは疑う余地もない。一体、私ではない他の誰が彼女たちを救えると言うのだろう。
くたびれた目を潤してくれる彼女たちの笑顔は誰のものでもないのだが、その慎ましい声を聞き取れるのは私以外にはできないことなのだから。
そして、彼女たちの強靭な精神は私の手助けを必要としないのかもしれないが、それと似合わぬ脆弱な肉体はどうしたって手を差し伸べる優しさを注ぐべき存在なのだ。
目前に広がる鮮やかな色彩、つまりはやわらかな春の微風に揺れている愛しい彼女たちの姿を私は見やった。
日差しの中ですべては眠ったように静かで、美しかった。穏やかな空をゆっくりと漂う船舶は澄んだ白さを持ち合わせている。
彼女たちの安寧の地はなんとも和やかなもので、見ているこちらもふわふわと浮つく心地で満たされる。
これが……この美しい光景が、今やそっと触れただけでも崩れそうな危うさを内包しているのだ!
とても現実的ではない。いや、現実とは思いたくない。しかし、紛れもなく、放っておけばすっかり元通りになる類のものでもない。つまり、事態を解決する者が必要なのだ。
事態の究明。原因の追究。
そういった行動を私は起こす必要がある。彼女たちに力はないし、私は彼女たちの手足であり、彼女たちは私の手足なのだ。
このままじっとしていれば、愛すべき彼女たちはどうしようもない不幸に塗れるようになることだけは確かで、それだけはなんとしても回避すべき事態である。
……しかし。
とは言うものの、猶予はまだある。
確かに、速やかに蒐集すべきである。あるのだが……彼女たちの抱える悩みはまだまだ大きくなる余裕を持っている。脚と心臓に強烈な刺激を与えることをせずとも解決できる段階なのだ。
ああ、当然彼女たちをいたずらに苦しめる真似など私はしたくない。だが、焦って事態に臨んでも期待する成果を得られるとは限らないのだから、冷静に対処する方が断然良い。
まずはこの異変に関わっているであろう者のところへ向かうとしよう。
候補がいくつか既に、私の脳裏に鎮座していた。
何人かの顔が浮かんでは消え、最後に残ったのは馴染みのある彼女の顔だった。
蟲の妖怪である彼女なら何かしら知っているに違いない。もしかすると主犯であるのかもしれない。
目的がなんであれ、早いところ虫たちを集めてもらわなければこちらとしても腕力に頼らなければならないだろう。可愛い彼女たちの生存はその虫によってまかなわれているのだ。
では、行くとしよう。
私は力強く飛び立とうとしたが、ふとやるべきことを思い出した。
そうだった、愛くるしい彼女たちに挨拶くらいしてやらなければ。
なんといっても彼女たちは、寂しがりやで、陽が顔を出さない日などはうな垂れるばかりなのだ。
「行ってくるわ」
返事は、ない。
まあ、当然のことだ。彼女たちはわかりやすい言葉を持たない、私の愛すべき花々なのだから。
彼女たちは自身の間を行き来する虫がまったくいないことがやはり不安で仕方ない、といった表情で私を見送ってくれた。
虫を蒐集しなければならない。
蒐集しなければならない。
それも速やかに。
どうあっても私は急ぐ必要に迫られた。
森の中を駆け巡る私の心臓は切迫した状況に押し潰され、情けない泣き言を漏らすばかりだった。
乱立する木々は、脚が私を運ぶ最大限の速度で後方へと飛んでいく。口蓋からは、もうずっと乾いた苛立ちが微風となって吐き出されていた。
しかし、私には肉体のあげる悲鳴に、神経を鋭利な刃物のように冷たくさせる暇などまったくなかった。僅かばかりの余白も残されていないこの事態は、一刻を争うのだ。
ところで、私には自身のあまりにも不幸な状況を嘆くつもりは一切ない。
胸のうちに苦い反発が広がろうとも、私には成すべき大命があるのだ。同胞を悪鬼から救うという、重大な使命が!
大事な大事な同胞たちを救うためならば、身を削っても苦しいはずがないじゃないか。そう、たっぷりと言い聞かせて肉体の軋みをなんとかごまかそうとする。
私たちのような脆弱な生物はただ生きることさえ、難しいのだ。
それにも関わらず、悪意の第三者の思いつきに振り回されるなどまったく腹立たしい事態だ。一生懸命に生きる者に、なんたる侮辱!
どうしたって、私たちは生き抜いてみせるのだ!
まず、この愚かしい事態は虫の報せから始まった。
どこが発信源かは到底わからないが、ある噂が私たちの間で飛び交ったのだ。
それは、私たちを食欲を満たす嗜好品として捕えようとする輩がいるということだった。つまり、私たちはとびっきりの珍味らしい。
まったく冗談ではない。
もちろん、種類によるが私たちは栄養価が豊富で、里では稲の不作などの事態が起これば非常食として好まれるものではある。
しかし、常時にも関わらずただその肥大なる舌を落ち着かせるために私たちを食そうなどとはふざけている。きわめて自然的な捕食こそ私たちの享受する宿命であり、個人の粋狂な愚行に付き合う義理など欠片も存在しないのだ。
だが、最も厄介なことはその個人というのがただの人間などではなく、冥界のお偉方らしいということだ。
元々、私たちの力などそれほどあるわけではない。その上、奴らの獰猛な力の前では抵抗らしい抵抗もできやしない。
なんということだろうか。
いつの世も弱小である生物は、強大な者の思いつきに、振り回され、踏みにじられ、呆気なく潰されるのだ。
あんまりだ。これではあんまりではないか。
一体、私たちがなにを仕出かしたというのだろう。
……どうあれ、奴らの凄惨たる横暴に真っ向から立ち向かうだけの力など私たちにはないのだ。
では、どうするか。
尻尾を巻いて逃げるしかない。一寸の虫にも五分の魂とは言うものの、矜持など命の前ではそれこそ一寸にも満たない。
既に私たちの半分以上はひっそりとした寝床にこもっている。
いや、一匹たりともこのような理不尽に屈させはしない。とにかく奴らに見付かる前に、全員を卑劣な暴力から逃してみせる。
必ず、全員が生き抜いてみせるのだ。幸い、冥界の主人は一つのことに固執する性分ではないらしい。
奴らに飽きが来るまで、ただ怯え、隠れるだけ。情けないということも否定できないが、安穏と生きられれば私たちはそれでいいのだ。
さて、次は東の方へ急ぐとしよう。事態に怯える哀れな仲間を救い出すためにも。
同胞を蒐集しなければならない。
蒐集しなければならない。
それも速やかに。
これ以上、妙な思いつきをされる前に早く幽々子さまの好奇心と舌とを満足させなければならない。ぐずぐずしていては、またしても恐るべき難題が降りかかるというものだ。
従者というものは、主を満足させ、意欲的にさせ、生活に彩りと潤いを与えるものだ。だが、私に向けられる注文はあまりに頑固なもので、ちょっと突いた程度ではぴくりとも動かぬものなのだ。今までもその結末といえば、私がなんとかそれらしい解決の形を作り出すか、主が時間切れを起こすかのどちらかでしかない。
今回は果たしてどちらに転ぶのか、私にも見当はつかない……いや、後者の色が強いのかもしれない。
しかし、私を一体なんだと思っているのだろう。これではただの便利な使いでしかないではないか。
今一度、強く言い聞かせる必要があるのかもしれない。私は庭師である、と。
……いや、剣術の指南役という本来の役目もあるのだが、その、つまり、人間多くのことを望んでは罰が当たるというもので、まずは立場について妥協してでも認識してもらいたいというものなのだ。このような体たらくなのだから、半人前と言われるのかもしれないが。
それにしても、食べられる虫など大分限られるのだから捕まえる以前に、発見すら容易ではない。
それに小さく、動きはすばやい。
これでは、斬ることも至難の業だ。修行にこそふさわしいような食材だ。
……うん? 修行? ……いや、そのようなことを……。
ある考えが浮かぶ。
妙だとは思っていたのだ。他にも見目麗しく、食指をくすぐる食材はあるにも関わらず、どうして虫などという非常用、あるいは外れた珍味を私に取ってこいと命じたのか。
それはつまり、これこそ純然たる主の愛情ではないのだろうかということだ。幽々子さまは、半人前を脱するための良い機会を私に与えてくださったのだ。そうだ。そうに違いない!
ああ、主の心遣いに私はなんて思い違いをしていたのだろう。まったく恥ずかしい限りだ。私は主の好意に気づけぬ愚か者なのだ!
体内を駆け巡る命の炎が、頬に殺到する。今の私は、熟した空のように鮮烈な色合いをしているのだと思う。
次第に、主の期待に応えたいという衝動が脳髄から指の先まで染み渡る。
熱烈な心情が、私の中で再び燃え始めた。やってやろうじゃないか。ああ、やってやろうとも。
……だが、これが本当に幽々子さまのお考えなのだろうか。それにしては随分と回りくどい。これではまるで、あの女のようではないか。
先日に、彼女が主を訪ねてきたがもしやそれが関係しているのだろうか。
彼女はいつも重々しい口調で、もったいぶったように話す。そうすれば説得力が言葉の周りを踊り、相手の奥底にまで届かせることができるとでも言わんばかりだ。そんな彼女のことが少し苦手でもある。
しかし、彼女が主にどう吹き込んだところで主の命令は私にのみ向けられているのだ。それは間違いなく私だけのものだ。主の要求を最も美味な形態で提供できるのは私しかいないのだ!
さあ、速やかに。
食材を蒐集しなければならない。
蒐集しなければならない。
それも速やかに。
このままでは私の胃の底は、胸のうちに沈む情欲の炎に焼き尽くされてしまうだろう。そのまま不快なる炎は燃え盛り、その勢力を拡大させ、舌の付け根まで焼き焦がし、私は愛すべき彼女の耳を楽しませることもできなくなってしまうのだ。
ああ、駄目だ。まったく私は駄目になってしまった。今の私は、彼女を求めて止まないのだ。
精神と肉体の、その両面から!
しかし、言うまでもなく私の誘いを彼女がすんなりと受けるはずもない。これは無理からぬことだ。彼女は少女特有の貞操観念と人間相応の常識を携えているのだから。
だからこそ、私は常々飢えてしまっている。どうしようもなく渇いているのだ。
ああ、ああ! 彼女をすっかり自分のものにしてしまいたい!
やわらかな髪を撫でたり、肉付きのいい股をさすったり、耳たぶを唇で挟んだり、うなじを唾液でふやかしたりしたいのだ!
だが、これらの私のささやかな願いを実行しようものなら、彼女は怒り狂うに違いない。怒声と一緒に針が飛んでくるだろう。
まったく、なんと理不尽なことだろうか。
私の熱情はどこにもない出口を求めてさまよい、とろとろと燻り続けるのだ。
さて、このような私の途方もない不幸を癒すためにも、蒐集をしなければならないのだ。
つまり、彼女の……愛らしい姿を! 特に、彼女の困った顔などには神聖な歓喜に身を任せるしかない。まったく魅惑的である。
そして、異変解決の役割を果たす彼女に、私を情熱的にさせる振る舞いをさせるには異変を用意するほかない。
既に先日、苗床に異変の種を蒔いておいた。友人がきっと水をやってくれるだろう。
そろそろ頃合なのだと思う。期待に胃袋は縮まり、口内は唾液が滲み出した。彼女のあの表情を思い出しただけでも、私は妖しい身震いをもよおすのだ。
ああ、そうだ。隣に座る愛くるしい彼女に食前の挨拶をしておこう。それくらいするのが礼儀というものだ。
淑女として、それは当然の行いなのだ。
「霊夢、異変が起こったわ」
彼女を蒐集しなければならない。
蒐集しなければならない。
それも速やかに。
「そう、わかったわ」
紫がそう言ってきたのだ。本当に面倒なのだが、解決する選択しか私にはない。
異変はすぐさま解決されなければならないのだ。この地に住まう人々にとってそれは共通の認識だ。
私は巫女としてその要求に応えねばなるまい。博麗の巫女たる私はこの事態を落ち着かせる必要がある。
ああ、しかし本当に面倒だ。それに嫌な予感もする。隣にいる女の、いつも以上に胡散臭い表情には緩んだ口元が張り付いているのだから。
まあ、良い。
なにか仕出かそうものならこの異変と共に片付けてしまえばいいのだ。それよりもこの大風呂敷を、愚かな主犯の広げた異変を集めることが先決だ。
では、出発しよう。
異変を蒐集しなければならない。
ちょっとわかりにくかった。
でも視点が誰なのか曖昧に感じるところがあるのでこの点で。