私はパチュリー様の使い魔である。
が、その事実を除いても、私はパチュリー様を尊敬していた。
強大な魔力。
膨大な知識。
そして時折垣間見える、ほんの少しの、優しさ。
だから、こんな私でもパチュリー様のお役に立てるのなら、
たとえなにを犠牲にしたとしても構わない。
そう、心に誓っていた。
その時の私の心境は複雑だった。
パチュリー様を失うかもしれないという、塗り潰すような恐怖。
今すぐにでも助けて差し上げたいという、沸騰するような焦り。
そして、パチュリー様のお役に立てるのだという、ほんのわずかな喜び。
パチュリー様が突然倒れられたのは、3日ほど前の晩のことだった。
研究に集中したいからしばらく誰も入れるな、といって研究室に篭られたパチュリー様。
誰も、という言葉には当然のごとく私も含まれていて、
私はパチュリー様に背中を押されて、研究室から締め出された。
図書館の一画に併設されたパチュリー様の研究室。
いつでも入ろうと思えば入れる場所にそれはある。
もちろんパチュリー様のことは心配だったが、私はその扉を開く気にはなれなかった。
なぜ言いつけを破って入ってきた、とパチュリー様に睨まれるのが怖かったのだ。
命令に従わない使い魔などいらない、と切り捨てられるのが怖かったからだ。
そうして、私は研究室の扉をしきりに気にしつつも、図書館の整理整頓の仕事に戻った。
それからどれだけの時間が経っただろうか。
ずっと引き篭もったまま姿を見せないパチュリー様が心配になったようで、
咲夜さんが研究室の扉に手をかけていた。
「だ、駄目ですよ! 絶対に邪魔しないようにってパチュリー様が―――」
「でも、もうここに篭って一週間でしょう? 流石に心配だわ。」
一週間。
もうそれだけの時間が経ってしまっていたのか。
「パチュリー様は他の人を研究室に入れたがらないから、きっと中は埃っぽいだろうし。」
それは、そうかもしれませんが・・・。
今まで押さえ込んできた、パチュリー様を心配する気持ちがムクムクと起き上がってくる。
と同時に、嫌な予感が私の心の中にぽとりと落ち込んだ。
もし、中でパチュリー様が倒れてしまっていたりしたら・・・。
パチュリー様は魔力は強大だが、体は決して強くない。
そんなことがありえないとは言い切れないのだ。
「でも、パチュリー様の研究の妨げになってしまったら・・・。」
「わかったわ、じゃあこうしましょう。
私が時間を止めて中の様子を伺ってくるわ。
そうすればパチュリー様の邪魔にはならないでしょう?」
それは、そうかもしれないけど・・・。
いや、パチュリー様は邪魔をするなと仰ったのだから、
パチュリー様の邪魔にならないのであれば、咲夜さんが中を覗いても構わないだろうか。
私ならば扉を開けば少なからず音が響いてしまうが、
咲夜さんならばパチュリー様に気付かれることなく、完璧に様子を伺ってくれるだろう。
「・・・わかりました。お願いします。」
「任せておいて。」
ぽんっ、と咲夜さんは私の肩を叩くと、
直後、私の目の前から掻き消えた。
時間を止めて移動したのだ。
だから、私には咲夜さんが一瞬にして消えたようにしか見えなかった。
私は驚きに目を見張った。
咲夜さんの時間停止は、見慣れているのだからもう驚く必要など無い。
問題は、研究室の扉が開け放たれている、というところだ。
扉を閉め忘れた、なんて些細なミスを咲夜さんが犯すはずが無い。
それじゃあ、一体何故―――
「パチュリー様!? パチュリー様!!」
研究室の中から、咲夜さんの焦りが濃く浮いた呼びかけが漏れる。
まさか、パチュリー様の身に何か!?
私は慌てて研究室の中に転がり込む。
初めて踏み込んだ、パチュリー様の研究室。
わずかなスペースを埋め尽くすような本の山と、机に転がる実験器具。
そして、その机に伏せるようにして倒れこんでいるパチュリー様の姿があった。
私と咲夜さんでパチュリー様をベッドまで運んだが、
その間パチュリー様はまったく目を覚ます気配がなかった。
体が衰弱しきっているのだという。
きっと貧血で倒れてしまい、誰にも気付かれないままだったからだろう。
それに気付くのは、私の役目だったはずなのに・・・!!
「自分を責めるのはとりあえず後にしなさい。まずはパチェを助けるのが先よ。」
レミリアお嬢様が私のことを気遣うような声音で声をかけてくださったが、
私にはそれに頷く程度の気力すら残されていなかった。
私のせいだ。
私が、もっと早く気付いていれば。
パチュリー様に捨てられるかもしれないなどと恐れずに、様子を伺っていればよかったのだ。
咲夜さんが来てくれなければどうなっていた?
きっと私は、ずっとパチュリー様が倒れられたことに気付かないまま・・・。
「咲夜、美鈴を呼んできなさい。絞る頭は多いほうがいい。」
「はい、直ちに。」
まもなくして、美鈴さんがこの場に駆けつけ、
考え付くあの手この手が手当たり次第に試された。
薬や、美鈴さんお手製の漢方薬ももちろん試されたが、
今のパチュリー様には薬を飲み下す力も残されていなかった。
私も図書館の本を読み漁って、なにか方法が無いかを調べたが、
効果的と思われる手段はわずかしか見つからず、そしてその全てが駄目だった。
そうして2日経ち、3日経ち、
ついにパチュリー様が一度も目を覚まさないまま、お手上げ状態となってしまった。
パチュリー様の体は衰弱する一方。
もはや手の施しようも無い、と誰もが匙を投げてしまった。
ただ、私には一つだけ心当たりがあった。
そして今、私はその場所に立っている。
* * *
『じゃあ、貴方には図書館の本の整理をお願いするわね。』
『はい、かしこまりました。』
『ああ、でもあの一画だけは近づかないで。』
『はい? あそこの端の本棚ですか?』
『そう。あそこの本棚の整理はしなくていいわ。』
『でも、埃とかすごそうですけど・・・。』
『あの一画には数ある禁書の中でも特別危険なものを仕舞ってあるのよ。
視線を合わせただけで魂を抜かれる魔獣が封印されている本。
対象に体を腐らせる呪いをかける代償に、術者の半身を食われる呪術書。
開いた者に絶大な魔力を与える代わりに、精神を破壊して廃人にする魔術書。』
『エグいのばっかりですね。』
『そうよ。中には私やレミィでもどうにもならないようなものもあるわ。
だから、絶対に近づいては駄目。
万が一のことがあっても、誰も助けてあげられないから。』
『わかりました。』
『特に、最下段の一番奥にある鍵付きのハードカバーだけは絶対に駄目よ。』
『どのような本なのですか?』
『開けないなら知る必要は無い。わかったわね。』
『・・・はい、わかりました。』
* * *
ランプの明かりも届かない、薄闇に埋もれた図書館の一画。
長い間停滞していたであろう空気は奇妙な粘性をもって、
私にゼリーのプールを進んでいるかのような感覚を与えてくる。
一歩踏み出すたびに、絨毯のように積もった埃が宙に舞う。
視界を妨げる濃密な埃の靄は、まるで毒素のように私の呼吸器を侵害する。
両サイドに立ち並ぶ本棚に並べられた本たちからは、
まさか目が付いているんじゃないかだろうかと思わせるような奇妙な視線。
「・・・ひどい場所。」
思わずそう呟いてしまう。
無駄な息を使ったせいで、空気交じりの埃が口の中へと滑り込んできた。
うぅ、もう喋らないようにしよう・・・。
私が目指すのは、一番奥。
わずかな明かりすら届かない、闇に沈んだ空間。
そこにきっと、あるはずだ。
特徴は一度聞いただけだが、よく覚えている。
『最下段の一番奥にある鍵付きのハードカバー』
どのような内容なのかは、知らない。
それどころか、ここにある本のほぼ全てを、私は知らない。
ただ一つだけわかる。
きっと、私が目指すその本は、
この一画に並ぶ禁書の中で最も危険で、最も強力な本であろうこと。
この本を私が選んだのは、言ってみれば当然の選択だった。
私が開くことが出来るであろう禁書は、この一画の中のほんの一部だけであろうからだ。
すべての禁書を試しに開いてみることは、おそらくできない。
曰く、視線を合わせただけで魂を抜かれるという。
曰く、代償に半身を食われるという。
曰く、精神を破壊して廃人にするという。
ここにある禁書を全て開く前に、自分はきっと、死ぬか狂うか壊れる。
だから、最初の一冊として、おそらく最も強力であろう禁書を選ぶことは、
私にとってごく当たり前の選択なのである。
やがて、私は図書館の最果てにたどり着く。
そこに一冊だけ、ぽつんと立てかけられた本。
他の段にはびっちりと押さえ込むように本が敷き詰められているのに、
あきらかにその本だけが異常な扱いを受けていた。
濃密な魔力の海に浮いている、無味乾燥な一冊。
そんな印象を受けたのは、私がその本から魔力的なものを何も感じなかったからだ。
他の禁書たちは、まるで魔力そのものが結晶化したかのような、
異様な密度の魔力を感じる。
たかが本であるにも関わらず、
パチュリー様やレミリアお嬢様よりも強い魔力を有しているものすらある。
その中でこの一冊だけ、なんの魔力も感じないのだ。
まるで能面のような無表情。
擬態、という単語が脳裏に浮かんだ。
私はその本を手に取る。
鍵付きのハードカバー。
おそらく、この本に間違いない。
鍵はかかっていたが、それは皮製のベルトを止めるためだけのものであり、
そのベルトを切ってしまえば、鍵など関係なく開くことが出来る。
まるで、開かれるのを期待しているかのような構造。
開け。さあ開け。
そんな幻の声が心に響く。
誘われるがままに、私は爪でそのベルトを切った。
拍子抜けするほどにあっさりと、本の封印は解かれてしまう。
あとは、開くだけ。
だが、私の手は本にかけられたまま、凍りついたように動かない。
魔術的なものは、やはりこの本からは感じとれない。
とはいえ一介の使い魔ごときが、高名な魔術師が本気でかけた魔力隠蔽を見破れるはずも無い。
おそらく、パチュリー様でも私に感づかれない程度の魔力隠蔽はできるだろう。
ここにはパチュリー様ですら手におえない禁書が溢れかえっているのだから、
そんな本が混じっていたとしてもなんら不思議ではない。
そう思うと、恐怖と同時に、不思議な期待が沸き起こった。
少なくとも、この禁書がそれくらい強力なものであることが保障されたわけだから。
代償に失うものもそれだけ大きなものになるだろうが、構わない。
たとえなにを犠牲にしたとしても構わない。
そう、心に誓ったのだから。
私は少しだけ、その本を開いた。
ページとページの間に、わずかな隙間が出来る程度。
一瞬、その隙間から無数の小さな蟲が滝のように湧き出す光景を妄想したが、なんのことはない。
相変わらず、この図書館の最果てには痛いほどの静寂が満ちている。
開いた瞬間ドカン、ということはなさそうだった。
あとは、この本に書かれている文字を目で追うだけ。
私は本の隙間を広げていき、その隙間を覗き込むように視界を滑り込ませた。
アア、ヤッパリミナケレバヨカッタ...
視界に映りこんだ文字列。
その文字列は視神経を通過して脳へと至り、
私の脳を貪りつくすように這い回った。
一文字一文字が縦横無尽に駈け摺り、ミミズのようにトンネルを空けていく感覚。
私の思考が踏みにじられ、蹂躙されていくのがわかる。
「あ、ああ―――」
意味を持たないうめき声が、私の口から勝手に漏れ出した。
もはやそれを止めるわずかな思考すら、私には残されていない。
「ああああああああ―――」
この上なく不快。
今私の頭を切り開いたら、無数の文字列が百足のように湧いて出るに違いない。
「ああああああはははははははは―――」
笑っていた。
私は笑っていた。
「ははははははははははははははははははは―――」
吐き気がするようなこの不快極まりないこの本を前にして、
私の心は歓喜に満ちていた。
パチュリー様。
ああ、パチュリー様。
この本を選んで正解でした。
これで、きっと貴方は目覚めて下さります。
「今参りますね、パチュリー様。うふふ、うふふふふふっ・・・。」
私は下手な人形師が操るマリオネットのような動作で、その場を後にした。
* * *
誰もが寝静まっていた。
レミリアお嬢様が目を覚ますにはわずかに早く、
咲夜さんはレミリアお嬢様が目覚めるまでの仮眠を取っており、
美鈴さんは門番の任を一時的に交代し、休憩を取っている時間。
日が沈むか、沈まないかという丁度境の、黄昏時。
私はベッドで眠るパチュリー様のすぐ隣に立っていた。
あの、鍵付きのハードカバーの本を手に持って。
パチュリー様は、まるで死んでしまったのかと錯覚するほど、静かに眠っている。
今は、パチュリー様と私の、二人だけ。
ベッド脇の鏡に映りこんだ私の姿は、
なにかがぽっかりと抜け落ちたような、幽鬼のような表情でぼんやりと佇んでいた。
その鏡に映りこんだ私の口元が、弧を描くように裂ける。
さあ、始めましょう、パチュリー様・・・。
私はページの間に指を滑り込ませると、躊躇いもせずに本を開いた。
瞬間、あの文字列が脳を穴だらけにするような不快な感覚が走る。
その感覚に、私は笑みすら浮かべる。
その不快さが、今はむしろ快感ですらある。
私がパチュリー様を救えるのだと思うと、歓喜が止まらない。
眼球がその見るに耐えない文章を拒否するように落ち着きなく動き回り、
だが決して視線が逸れぬように、それを意志の力で抑えつける。
私は、まるで呪文を唱えるように、抑揚をつけてその文章を読み上げた。
ああ、貴方。
無数に瞬く星の中でも、一際輝く一等星。
貴方の放つ輝きが、私の心を離さない。
私の元を訪れたと思ったら、瞬きする間に去ってしまう。
貴方が流れ星ならば、せめて私が願い事を唱えるまで傍に居て。
太陽なんて要らないから、私を貴方の星明りで照らし続けて。
ああ、貴方。次に流れるのはいつかしら。
私が呪文を唱え終えると、パチュリー様はゾンビのように跳ね起きた。
「小悪魔ァァァァアアアア!!!
その本は読むなと言ったでしょうがァァァァアアアア!!!」
私の手の中にあった本を目にも止まらぬ速さで奪い取ると、
私の首根っこを引っつかんで、力の限り前後にガックンガックン揺する。
ああ、パチュリー様。お元気なられたようでなによりです。
やはりこの本を選んで正解でした。
目を覚まし、(呪文を唱えれば)薬も飲める程度に回復されたパチュリー様は、
日に日に元気を取り戻し、今ではすっかり元の生活に戻られました。
その日から、私とパチュリー様の間に共通の秘密が出来ました。
禁書の立ち並ぶ図書館の最果て。闇に埋もれたその空間。
そこにある、鍵付きのハードカバー。
強大な魔力と膨大な知識を有する、私のマスター、
でも貴方のポエムのセンスは最悪です。
シリアスだと思ったらw
長さ的には確かに1%ぐらいの分で全てがぶっ壊れたw
黒歴史ノートを持つ身としては確かに飛び起きると思う
友人の言うことは私は正しいと思いますね~
証拠は崩壊した私の腹筋
見事なまでに打ち壊されました。
まさかあんな結果が待っているとは……。
パチュリーのポエム、それは某白黒の魔法使いへの
想いということなのかな?
そのシリアスさに引き込まれ、最後には笑いが待っていましたね。
二人の関係や最後の掛け合いなど、面白いお話でした。
少し疑問のある文章があったので報告です。
>万が一のことがあっても、誰にも助けてあげられないから。』
普通に読めるのですが、『誰も』でも良くないでしょうか?
個人的な意見ですので流してもらっても構いませんけども気になったものですから。
>最下段の一番奥にある鍵付きのハードカバー
ここでその後の流れが完全に読めてしまって… ^^;
もう一ひねりあるとよかったのですが
日記だけに
おもしろかったです。
おもしろかったです!
ところで、パチェは恋の病で倒れたわけではないんですよね?w
シンプル・イズ・ベスト。
私も、見事に騙されたクチです。
あと、小悪魔はパッチェさんの弱み(黒歴史)を握ったという事ですね、判りますww
の時点で読めたwww
「ロイアルフレア!!!!!!!!!!!!!!!!」
逆にそのポエムが読んでみたいw