バカな。
射命丸文は、自身の眼前に広がる光景を受け入れられなかった。
四季折々の花を模した弾幕が広がり、今まさに彼女を飲み込まんと迫っている。
逃れる場所は…と探るが、どこを見てもそんな場所はない。そもそもここまで逃れてきたのだ。
「くっ!」
それでも自らも弾幕を張り、迫った花々を蹴散らすが、最早手遅れ。彼女との火力の差は、自分がよく理解している。
パァン、と何かが破裂するような感覚が肉体を襲い、射命丸の意識はそこで途絶えた。
「あいたたた…」
地面に叩きつけられた感覚で目を覚ました射命丸は、弾幕で傷ついた肉体を起こし、視線を上げる。
そこには日傘を差して微笑む妖怪がひとり。
「私に付きまとうだなんて、2~3年早い」
「記事になりそうなんですけど…凄く」
「貴方は神社にでも行って、巫女の醜態でも記事にしてなさい」
それだけ言うと、射命丸への興味が失せたのだろう。その妖怪、風見幽香はふわり、と宙に浮くと遠くへと飛んでいってしまう。
幽香の後姿を眺めていた射命丸だったが、その姿が点ほどになってしまう頃。
「ぷっ」
と吹き出してしまっていた。
面白い、実に面白い。風見幽香の強さ、相手をバカにしきった態度、そして何よりも彼女が自分のことを覚えていた、ということが。
「2~3年早いと言わなかったかしら」
「付きまとうのは、ですよ。話しかけていけないとは言われていません」
月下の太陽の畑、ひとり目を閉じて佇んでいた幽香の隣に、射命丸は降り立つ。手にしたのは酒瓶と一対の杯。杯の片割れを幽香に預けると、有無も言わせず酒を注いでしまった。
「何をしていたんです?」
「取材はお断りよ」
「純粋な興味です、記事にはしません」
「そう。なら話してあげるわ」
くいと杯を傾けて一気に飲み干す。そして小さくため息をつくと、幽香は草むらに腰を下ろした。
「別に何をしていた、というわけではないのよ。ただこの子たちとお別れをしていただけ」
「お別れ、ですか」
幽香の隣に座り、足を伸ばす射命丸。草のこそばゆい感覚の中を、夜風がすり抜けていく。
「確かに。あの死神もようやく動き出したようですし、そろそろ潮時かもしれませんね」
「自分で急かしておいてなんだけどね。こういった光景が失われるのは、それはそれで寂しいものよ」
「そうですねぇ。前回のことを知らない連中があたふたする姿も、楽しいものでしたし」
「ついでにこんな化け物とも再会できたし?」
「正解」
言って射命丸は笑う。やはりこの女は自分の用件を理解していたのだ。話が早いのは楽だが、見透かされているようで少しシャクでもある。
そして射命丸は思い出す。初めて風見幽香と対したあの日のことを。
「そう、あれはまだ妖怪の山に鬼たちが居座っていた頃でしたね。あの日、愚かにも人間たちが里から攻め込んできた…」
「陣触れだ、みんな準備は良い?」
妖怪の山の一エリアを統括する大天狗が、集合していた配下の天狗たちに声をかける。
「分かっていると思うけど、人間たちは既に山の各所で鬼たちと戦闘を始めているわ。ここで私たちが人間を駆逐すれば、鬼たちにもプレッシャーを与えることができる。この戦い、稼ぐわよ!」
はい!と強い返事がいくつも響く。自分たちの上にいる鬼たちが目障りではない天狗などいない。今こそその地位を転換してやろうと考えるのは当然ともいえる。
「よぉし、私人間100人殺しちゃうんだから」
「私なんてドサクサに紛れて鬼まで殺しちゃうわよ~」
功名心にはやる天狗たちの中に、若き日の射命丸文がいた。
「文は、文はどうなのよ」
「え、私?」
「そう」
「そーだなぁ。まぁ適当で良いんじゃない。お山が平和になることが一番よ」
それは彼女の本心。現在ほどではないが、当時の射命丸もそれなりの力を持っていた。彼女は自分が並の人間には負けるはずがないことを知っていたし、鬼の将校はさておき兵卒くらいには勝てることも理解していた。
「はは、さすが文ねぇ。いよ、若手のホープ!」
「そんなんじゃないって。もう…」
だから、周りで戦功に逸る天狗たちよりも余裕がある。彼女は今自分がなすことが人間を沢山殺すことでも鬼より先に敵の本陣を突くことでもなく、山の治安を取り戻すことにあることを把握していたのだ。
「さぁ行くわよ!」
大天狗の号令一下、天狗たちは天空へと飛び立つ。進む先には煙る森といくつもの閃光。そのさなかへ、暴風となった彼女たちは突っ込んでいく。
「高嵐、美濠は私について来て。木瞳、南部の件は任せたわよ」
「はっ」
射命丸の前にいた隊長格の白狼天狗は、頭を下げると彼女たちに向き直る。
「南部の河川敷で人間に味方した妖怪が暴れている。鬼たちからは手勢を差し向けるなといわれているが、そのような不心得ものを生かしておくわけにはいかない。捕らえて見せしめにするぞ!」
射命丸は木瞳と呼ばれたこの隊長がたたき上げの人物であることを知っている。女性でありながらの男言葉と隆々とした体躯が、隊長の生きてきた社会を表していた。
だからこそ尊敬するに足る、とも彼女は思う。白狼天狗は妖怪の山の哨戒にあたる下級天狗。よほど厳しく自らを律し、修練に明け暮れなければ自分たちを率いるような立場にはなれないのだから。
戦場に流れる川を眺めるのは楽しい。水深が中途半端で流れが若干緩やかだと尚良い。
そう思いながら風見幽香は水面を眺めている。
もがれた天狗の羽、ちぎれた指、誰かの血しぶきの残りかす、そして
「だれかたすけ…」
うめきながら、流れに飲まれていく負傷者たち。脆弱な命が無残に散り、そして最後の希望すら手に入れられずに死へと飲み込まれていく。これほど心地よい光景があるだろうか。
相手を完膚なきまでに叩き潰し恐怖で押しつぶしながら殺すのも良いが、こういった負の感情の渦に身を任せているのも一興だ、と彼女は笑う。
「まったく、こうしてただ待っているのでは恋をした乙女みたいじゃないの」
そして思わずの自嘲。
だがそれも仕方のないこと。これからここで素敵な殺し合いが始まるのだ。それまでの間は、こうして瘴気に身を委ねていよう。
お気に入りの日傘をクルクルと回し、軽くステップを踏む彼女。小さく口を歪めて微笑するその姿はどう見ても人畜無害にしか映らない。ただしそれがこのような場所でなければ、だが。
「あら?」
予想したものとは違う気配をいくつも感じて幽香は空を向く。その先にはまだ点すらも見えていなかったが、確かに天狗たちの一群がいた。
「貴公が人間に与した妖怪か!」
天狗特有の尊大さと威厳を以って、木瞳は幽香に問いかける。それは質問というより攻撃意志の宣誓に近い。
「そんなことよりも貴方たち、ここに来てはいけないとか鬼から言われなかったのかしら?」
見れば分かることをいちいち聞く必要も無いだろう、と言外に言う幽香。彼女は目の前に現れた天狗たちの部隊をいぶかしげに眺めている。
「そういった情報は入っていたが、彼らに指図されることではない。何故なら妖怪の山を守っているのは我々なのだからな」
「ふぅん、なるほどね…まあちょっと待ってくれるかしら」
幽香はあざ笑う。なんとう高慢、なんとう無明なのだろう。アレが自分をここで待たせたのには二次被害を防ぎたいという思いもあってのことだろうに、目の前にいる愚者たちは自ら死にに来たのだ。
「エリー、くるみ」
「はーい」
「お呼びです?」
幽香の呼び声に反応してふたりの妖怪少女が夢幻の歪みから現れる。援軍か、と天狗たちは身構えたが、どうやら違うようだ。
「エリー、貴方はあいつにこの道化たちのことを教えてあげにいきなさい。そうすれば慌てて飛んでくるでしょうから」
「あ、はい。了解です」
「くるみは私についてきた人間たちの収容。死体も負傷者も一緒で構わないわ」
「えぇぇぇ…幽香さま、それホントにやるんです?」
エリーと呼ばれた片割れの姿が夢幻へとかき消える中、不満そうな表情を見せる吸血鬼の少女。人間をしゃべる食料程度にしか見ていない妖怪にとって、人間を救うという行為は無価値だ。
「上白沢との約束なのだからしょうがないでしょう。それとも貴方は私の面子を汚す気かしら」
「い、いや、そんなことはないですよ。幽香さまのためならくるみは頑張りますって!」
「ならばつべこべ言わずに動く。良いわね」
「はぁい…」
ぼやきながらその陰も夢幻へと消えていく。それを確認すると、幽香は思い出したかのように天狗たちに向き直った。
「お待たせしてごめんなさいね。お詫びといってはなんだけど、苦痛を与えずに殺してあげるわ」
この女は何を言っている?と一部の天狗がいぶかしむその刹那、射命丸は思わず退避行動をとっていた。
理由など分からない。だが眼前の妖怪は危険だという直感だけが彼女を突き動かしていた。
直後、耳をつんざく轟音。幽香の日傘の先端より打ち放たれた白光が天狗の一群を飲み込んでいく。
「な…」
射命丸たちをはじめとして、辛うじて回避した天狗たちは皆驚愕した。
今の攻撃はなんだ。後には骸ひとつ残っていないではないか。自分たち天狗は優れた妖怪ではなかったのか。何が起きているんだ。
そんな疑問が彼女たちの行動を束縛しようとしたが
「臆するな、あのような攻撃何度も打てるものではない。肉弾戦に持ち込んで畳み掛けろ!」
隊長である木瞳の一声で皆我に返る。そうだ、今の一撃で半分ほどに減ったとはいえ我々には物量がある。そう言い聞かせて彼女たちは幽香へと肉薄していく。
「あらそんなに沢山の方を一緒になんて。片手で捌き切れるかしら」
閉じた日傘を左手に持ち、彼女は余裕の笑みを崩さない。迫り来る天狗の数はおよそ20、うち突出しているのは4名。さてどう料理してやろうか。
真っ先に突っ込んできたのは射命丸だった。勿論その名を幽香は知るはずも無い。
「ハァッ」
神速をいかして多方向から衝撃波を飛ばしてくるが、幽香はそれを指先でかき消す。だが射命丸は止まらない。次から次へと衝撃波を飛ばし、他の天狗たちが回りこむ時間を稼いだ。
「今だ!」
衝撃波を打ち消した幽香が射命丸へと迫ろうとする頃には、4人の天狗が四方から襲いかかってきている。
自分を囮にするとは考えたものだと幽香は内心称賛したが、同時に哀れみもする。
右から突っ込んできた天狗の顔を裏拳で吹き飛ばした幽香は、それに怯んだ鴉天狗の頭をわしづかみにすると、後方から飛び掛ってきた白狼天狗へと投げつけた。
その頃には天狗の新手が後方から剣で切りかかってきているが、これを日傘で受け流し
「はぁい、ごきげんいかが?」
鍔競り合いのような形になってしまった相手に笑いかけたその直後、その頭を殴り飛ばした。
「が、あッ…」
うめき、あるいは血反吐を吐いて4人の天狗は全て吹き飛ぶ。誰一人として幽香に一撃も加えられぬままに、彼女の右拳によって、だ。
「速い…」
呟いたのは射命丸だったが、彼女以外の天狗たちも同意見。目の前の妖怪は赤いチェックのもんぺを履きいかにも鈍重そうであるのに、今見せた身体能力はなんなのだ。
「そこの貴方」
「え?」
愕然として動けぬ天狗たちを前に、幽香は射命丸に声をかけた。その様子があまりにも自然で、思わず射命丸も返事をしてしまう。
「貴方よ貴方」
「あややや、なんでしょう」
「狙いは悪くなかったわ。でもお味方が力不足だったわね」
「あ、ありがとうございます…でいいのかしら」
「良いのよ、皮肉じゃない褒め言葉は素直に受け取っておくべきだわ」
まるで教師が生徒を褒めるかのように幽香は微笑む。その態度に邪気はないが、他の天狗たちはそうは捉えなかった。
「愚弄しおってぇッ」
「待てお前たち…」
木瞳の制止も聞かず、天狗たちが幽香に再び肉薄する。弾幕、衝撃波、殴打、剣撃など、怒りに任せたその攻撃は素早い天狗にしては大振りではあるが、これだけ同時に繰り出されては脅威。
だというのに、その攻撃はまたも幽香には届かなかった。
「愚弄なんかしていないわ。事実を言ったまでよ」
今度は右手から放たれた白光。ただし先ほどと違ったのは、幽香を中心として放射状に弾幕として打ったことだ。
「バカ者、逃げろぉ!」
必死の形相で木瞳は部下の天狗たちの前に回りこむが、身を挺したその巨体も幽香の弾幕の前にはひとたまりもない。流れに飲まれ、他の天狗共々翻弄されて弾き飛ばされるのみ。
「愚か者たちの主にしては、隊長さんも覚悟があったようね。でもそれだけ」
たった3回のやり取り、3回のやり取りで天狗の一部隊はひとりを除いて壊滅した。さすがに数名はまだ息があるようだが、戦闘が可能なようには見えない。
「さて、貴方どうするの」
物言わぬ、言えぬ天狗たちにはもう目もくれず、幽香は射命丸に向き直った。彼女はひとり、他の天狗たちと一緒に特攻していなかった。
彼女にすれば、そうやって果てることは武人としての美しさというよりもただの自己満足に過ぎない。妖怪の山を守るのが自分たちだと天狗は任じている。なればどんなに無様になってもそれを貫かねばならない。
「戦いますよ。割に合わない戦いは嫌いなんですけどね。みんなは無責任にさっさと脱落しちゃいましたし、ここは私が押さえないと」
「真面目なのね」
「上からの命令に背けないだけです。本当は今すぐにでも逃げ出したいくらいですよ」
言った瞬間、射命丸は大地を蹴った。いかに相手の身体能力が高かろうと、素早さで自分が負けているはずが無い。なら今自分が頼れるのはこの素早さだけだ。
「風神一扇!」
手にした扇は葉団扇ではないけれど、当時の射命丸にとって馴染んだ逸品。そこから巻き起こる風は木々をなぎ倒し、幽香へと迫り来る。
「風神一扇!」
命中したかなど確認はしない。相手は自分たちを圧倒できる怪物なのだ。彼女にできることは必死に動き回って相手に自分を捉えさせないこと。
そう、相手を倒すことなど目的ではない。足止めをすることこそが目的なのだから。
「フフフ…ステキ、素敵よ貴方。自棄に陥らず、今自分が採りうる最良の選択をした」
暴風の中から嬉しそうな声が聞こえてくる。風の音にかき消されているはずの声であるのに、嫌に頭に響く。それこそが恐怖である、と文は気づいた。
「クッ…」
恐怖は身体を鈍らせる。判断を鈍らせる。何より、奮い立たせた心を鈍らせる。それは死に直結すること。
彼女が巻き起こした風をなぎ払い、幽香の放った弾幕が彼女の視界を埋め尽くす。花に模した弾幕は緩急織り交ぜたもので、どの方向に回避して良いかが一瞬では判断が付かない。
「右だ!」
聞き覚えのある声が聞こえ、とっさに右へと回避する。素早い弾幕と遅い弾幕の合間を辛うじて縫い、抜け出すことができた。
「あらあら、そんな状態でもまだ部下のことを気遣えるのね?」
「木瞳さん!」
ふたりの視線の先、幽香が軽く放った弾幕の直撃を受けて満身創痍で、しかし挫けぬ意志を以ってふたりの戦いを見つめている。
「まぁそれくらいはハンデあげても良いわね。さぁ彼女たちに見せつけてあげましょう、貴方と私の楽しい時間を」
肩をすくめて幽香は微笑む。木瞳の助言を彼女は無粋とはとらえず、むしろひとつの演出であると考えたようだ。
「左へ抜けろっ」
「真中をかいくぐれ!」
声の通りに動き、怒涛の弾幕の中を抜けていく。それだけではない、一瞬の隙を見計らい、攻撃を繰り出す。
「面白いわ貴方。この状況下で貴方を突き動かすものは何かしら。意地?それとも功名心?」
「そんなものじゃないですよ。ただ、やっぱりこの山を汚されるのは嫌でしてね。貴方を倒すことはできないけれど、時間を稼ぐことなら私にもできるってのぼせたくってね!」
普段天狗は戦闘において本気を出すことはない。彼らにとって全力を出すということは、相手の存在を自らと同格、あるいはそれ以上と認めることだからだ。
しかし今、そのようなことを言っている場合ではない。相手は自分たちが本気でも勝てるかどうか分からない相手。しかもこの山を傷つけることをまったく躊躇していない。
「ふ、ふぅ!」
射命丸の肉体が軋みをあげ、それがうめきになる。
「あらあら、速度が落ちてきたわよ」
そんなこと、言われなくてもわかっている。だが実戦の中で最高速を維持するのがこれほど辛いとは、自分自身も予想していなかったことだ。
「射命丸もう良い、お前だけでも…」
「そうは行きませんよ、逃がしてくれるとは思わないですしねぇっ」
せめて声だけでも元気に、と思ったが上ずってしまう。疲労は視界を狭め、迫る弾幕の音も聞きわけを難しくしていく。
「だからといって立ち止まるわけにもいかないですしね…!」
「まぁそう言わずにね。ほら、もうおやすみなさいな」
愉悦まじりの幽香の声が先ほどまでとは違う、上空から聞こえた。慌てて空を見上げると、そこには百花繚乱というべき花の弾幕が広がっている。
「な…あ…」
「頑張った貴方にご褒美よ。私と戦おうだなんて後7~800年早かったけれど、ね」
そんな幽香の言葉も、後ろに避けろと叫ぶ木瞳の声も耳に入らない。
彼女は、迫る弾幕に見とれていた。
(綺麗…弾幕ってこんなに美しいものなのね)
アネモネ、ガーベラ、向日葵、ベゴニア、アマリリス…様々な花を模した弾幕が一面に広がり、まるでひとつの絵画のよう。
その美しさは死へと誘う毒をもっているからこそ、殊更に美しい。自分がその一部になれたら、それがたとえ死を伴うとしても素晴らしいことではないか。ああ、魔性の美を前に自らの命など果たしてどれほどの価値があるのだろう。
弾幕に魅せられた射命丸は避けるどころかそれに手を伸ばし。
「逃げろぉぉぉぉぉ!」
木瞳の必死の絶叫も届かぬまま、射命丸は弾幕に飲み込まれようとして
「ふん、殺し合いの最中に惚けるなんて大したタマじゃないか」
相殺されて掻き消える弾幕。アレだけの数の花々を一瞬で散らしたものは、下駄で大地を踏み鳴らして微笑んだ。
「勇儀、さま?」
「勇儀様…」
「ようやく来たのね。暇つぶしが終わってしまうところだったわ」
妖怪の山に君臨する鬼の四天王がひとり星熊勇儀。彼女の突然の登場に驚く天狗ふたりと、待ちわびた様子の幽香。
「待たせたね。まさか天狗たちが底抜けにアホだとは思わなかったのさ」
「まぁその愚か者のお陰で有意義な暇つぶしになったわ。私は感謝しているくらいよ」
旧交を温める親友同士のようにふたりは語り、笑いあう。地上に降りてきた幽香は実にリラックスした様子で勇儀に近づくと、少し見上げるような姿勢で彼女の顔を見つめる。
「鬼というのも大変なのね。いちいちこんな弱者たちのことも気遣ってやらねばならないなんて」
「普段は任せているんだけどね。アンタが相手だとそうもいかないってこと…よ!」
勇儀が言い終わる前に、彼女の膝蹴り上げられた幽香の身体が宙に浮く。勇儀は幽香を追って跳躍すると、今度はその下駄で蹴りつけ、地上に叩き落した。
「か、がはっ」
「まぁ好き勝手やってくれた分のオトシマエ、それに私のお遊びに、少し付き合ってもらおうじゃないか。どうせアンタもそれが目的だろう?」
倒れ伏した幽香の頭を下駄で踏みつけ、勇儀は残酷に笑う。その顔は倒れた相手がこれくらいで終わる相手ではない、と良く知っている表情。
「なら…そうさせてもらうわ」
言うが早いか、幽香は両腕を使って強引に体を起こすと、体勢を崩しかけた勇儀の腹部に右の拳を叩き込み、更に相手が吹き飛ぶ前に左の拳をみまっていた
「…っ!」
声にならぬ叫びをあげて勇儀の身体が近くの巨木に叩きつけられる。しかし幽香はそれを追おうとはしない。いや、正確には追ったときの反撃を警戒しているのだろう。
「いい、いいねぇ…やっぱりアンタは最高だ」
幹が大きな音を立てて折れる中で、彼女はゆっくりと立ち上がった。
「それはこちらの台詞というものよ。本気で殴り合いが出来る相手なんて、幻想郷中を探しても殆どいないわ」
「そりゃそうだ。ま、私らに張り合えるのが多くいたらそれはそれで毎日が楽しいだろが」
勇儀は幽香へと歩み寄ると両手を顔の当たりにあげて彼女を誘う。そう、力比べをしようというのだ。
意図を察して幽香が腕をあげる。その手が勇儀と重なろうという瞬間。
「ああチョット待ってくれないかい」
「ええ。別に構わないわよ」
勇儀は自分と幽香を呆然と見つめ続けている射命丸と木瞳に一瞥をくれると、口を開く。
「何やってるんだい。さっさと負傷者でも搬送して逃げるんだね。巻き込まれて死んでも責任なんざ取れないよ」
「…あ。は、はい、かしこまりましたですよ、はい!」
良く分からない敬語を口走りながら、射命丸は倒れている木瞳に駆け寄る。
「ご無事ですか?」
「命に別状は、なさそうだ。私よりまだ息のあるほかの者たちを」
「はい、じゃあ皆を安全圏まで引っ張り出したらすぐに」
「すまない、お前ひとりに負担をかけて…」
少し離れた場所で行われているやり取りを確認すると、勇儀は幽香に向き直った。
「要領が悪い連中ですまないねぇ。こっちまで間が悪くなってしまうんだから」
「それくらいは、これから始まる時間に比べたら瑣末なことよ。さぁ、はじめましょう」
「ああ、堪能させてもらおうじゃないか」
そういうと彼女たちはがっぷりと組みあい、力の限り押しあう。
「く…さぁさぁ、こんなもんなのかい?」
「貴方こそ、鬼の四天王…というのは、こんなもの、なのかしら!」
相手を刺激するような言葉を並べながらふたりは死力を尽くしあい、それによって周辺の大気が揺れる。
(凄い、これが実力者同士の戦い…)
自慢の俊足で負傷者たちを助け上げた射命丸は、最後に残った木瞳を担ぎながら幽香と勇儀の戦いを眺めていた。
その戦いはあまりにも原始的で、天狗の価値観からすれば無粋なぶつかりあいだったが、スマートさがないからこその美しさがあるように彼女は感じる。それは先ほどの弾幕とは対極にある美だが、いずれもの担い手が同じ妖怪であるということは、射命丸にとって非常に興味深いことだった。
「見とれているのは良いが、この地は最早修羅と化しているぞ」
言われて射命丸は飛び立った。まだこの戦いを眺めていたかったが、今はそれ以上に優先すべきことがあるから。
「なんであのとき立ちふさがった天狗が私だと気づいたんです?」
「タネは明かさないから面白いのよ」
幽香は笑う。この方はいつもこうだ、と射命丸もつられて笑う。
「貴方が先ほど私が付きまとおうとした際に言った言葉は、あのときのことと引っ掛けられていたのでしょう?」
「そんな古いときのこと、貴方じゃあるまいし詳しくは覚えていないわ」
あくまでも明確には認めない。そもそも、何故自分があのときの天狗だと気づいたかなどは決して教えようとしない。それが風見幽香なのだろう、と射命丸はひとりで納得した。
「まぁもう一杯」
無言で頷いて杯を差し出す幽香。先ほどから随分と飲んでいるようだが、あまり様子が変わらないのもこの妖怪らしいというべきなのだろうか。
「でもなんでそんなときのことをわざわざ?」
自分から話題を振ってくれるということは、少しは気を許してくれているということなのだろうか。と内心分析しながら、射命丸は口を開く。
「忘れられませんでしたから。その影響で、私のライフワークがひとつ増えましたしね」
「へぇ、それはどういうこと」
「あのとき眼前に広がった弾幕の妖しい美しさ。アレを記録に残すのも、私たち天狗の使命じゃないかと」
「酔狂なことをいうものね。他人の醜聞やゴシップだけでは満足できないのかしら」
「ええ、天狗は欲張りで高慢ですから。だから私はこの幻想郷中の弾幕をフィルムに収めて見せる」
そう言って射命丸は笑う。その笑みは幽香から見ても、妖怪らしさに満ちたものだった。
「まぁ好きになさいな。力あるものには世界を自由にする権利があるわ」
肩をすくめて杯を傾ける。無関心にも見えるその様子が彼女の鷹揚さのあらわれに見えたのは、射命丸の錯覚だろうか。
「でもね」
目を細めて幽香を見つめていた射命丸の方を、幽香は向く。
「この近辺でやってはダメよ。決闘でもない弾幕遊びなんて花が嫌がるもの」
「えー、ダメなんですか」
「さっき言ったでしょう。付きまとうのは早いって」
そういって意地悪な笑みを浮かべる幽香。落ち着き澄ました賢者のようで、戦場で見せる顔は修羅のようで、それでいて悪戯っぽい少女のようで、まるでつかみ所がない。
「つまりそれは、無名の丘とかもってことでしょーか」
「そうなるわね。あそこの鈴蘭たちも結構神経質だから」
「うぅ、ケチですねぇ」
スネたような表情を見せる射命丸。そういった表情が幽香を楽しませることを、理解している上でしている辺りが、あざといかもしれない。
「まぁ付きまとえるようになったら考えてあげても良いわよ。そうなったら、ね」
風見幽香は笑う。この天狗が本気で自分に挑んできたらどれほど面白いだろう、と。
あのときはまだ未熟だったが、今の彼女であればかつての鬼たちとはまた違った趣向で自分を楽しませてくれるに違いない。その時間は、とても充実したものになるはずだ。
「結局そうなるんですか、バイオレンスですねぇ」
「そうよ。だって私は妖怪だもの」
やれやれ、といって射命丸は立ち上がる。これ以上いると酒の肴にと戦わされてしまいそうだ。
「では私は失礼しますよ。でも、その言葉は覚えておきましょう」
幽香は答えない。ただ杯を射命丸へと向けて悠然と微笑むのみだ。
その笑顔があのとき、妖怪の山で見た表情と重なって見えた。
幽香と勇儀の決着が気になるけど、
そこを書かない事でどうなったのか個人で想像出来ていいと思いました。
文章がとてもうまかったと思います。
タイトルを見るに、続きはあるのかな・・・?
だとしたら、ぜひ読みたいと思いました。
ありがとうございます。勇儀と幽香の出会い、そして力のぶつかりあいについては個人的にも是非とも挑戦したいところなんです。まぁ今回は射命丸と幽香、なのでそこは抑えてみました。
>>14
名前に食いついてもらえると嬉しいです。
続きについてはこっそり製作中ですが、まぁ明日が仕事が休みなので進められると良いなぁ、とか思っています。
>>16
私だったらその時点でトンズラしていますが、そこは天狗の見栄ということで。
本当に聡明な存在なら、鬼がイチイチ注意をしてきた時点で危険を察知するんでしょうけどね。
>>26
射命丸か文かは悩んだんですが、射命丸の方が通じやすいかなと統一してみました。でも不自然かもしれませんね。
中でもとりわけ幽香様の描写が生き生きとしていて、幽香様に対する愛情、もしくは
同じ感性の持ち主であるのかな、なんて考えたり。
次のお話も楽しみに読ませて頂きます。
幽香さん大好きなんです
ですから幽香さんが生き生きしてると感じてもらえたなら、これに勝ることはないですねー