響く蝉の歌、差さる夏の陽。白い雲の影が、水面を流れていく。
河に足先を浸し、私は満悦だった。
「ふふ、もう少しで完成だ」
光学迷彩、カッコよく言えばオプティカル・カモフラージュ。
これさえあれば、覗――もとい、人間を物陰から脅かすのも、天狗を観察するのも簡単だ。
道具作りの最中に、誰か来やしないかとびくびくすることもなく――
「あの、よろしいでしょうか」
背後からの声に、慌てて河へ飛び込む。
水飛沫が上がった。
離脱、しかけて思い出す。
せっかくの発明品、岩の上におきっぱなしだ。
揺れる水面を通して、様子を窺う。
深く沈んだせいではっきり見えないが、声の主はまだそこにいるようだ。
迷い込んだ人間だろうか。
だんだん息が苦しくなってきた。
隙を見て、そっと息継ぎをしようと顔を出し、
「あ」
目が合ってしまった。急いで再び水中へ。
やはり人間。それも女の子供だった。
と、岩場の影が動いた。
どうするつもりだ、と思っていると――飛び込んできた。
「ぶはっ」
意外すぎて噴き出した。
そして相手はと言えば、水中で顔を動かし、こちらへと――
来ようとしたのだろうが、長い髪がゆら、と揺れ、流される。
慌ててもがいているが、下流へと押されていく。
そりゃそうだ。
ここはそれなりに深く、水の勢いもある。人間は泳げないだろう。
放っておけば、どこぞの厄神のあたりに拾われそうだ。
けれど、そこらの岩で頭でも打たれたら寝覚めが悪い。
水を吸わないように嘆息。
ひとかき、ふたかきし、ぐっと手を伸ばす。
抱えて浮上。さっきまで座っていた岩に寝かせてやる。
私は隣に座り、忘れる前に迷彩を回収。
何かの縁だと思って、様子を見ることにした。
彼女はしばらくむせていたが、息を整えると正座になり、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いいってことよ」
「ところで、……手、伸びたように見えたんですが」
「あぁ、名付けてのびーるアーム」
あ、と目を丸くする彼女は、ようやく私のことに気づいたようだ。
「すいません、河童の方とは知らず。驚かせるつもりはなかったんですが」
「いやいやこちらこそ」
「人を探していたもので、少し尋ねたかっただけなのです」
と言って顔を曇らせた。失せ人といえば見当はつくが、
「人はここらじゃ見てないねぇ。よし、私の仲間にも訊いておくよ」
「お願いします。年のころは二十歳位で、背の高めの女性をみかけたら、と」
ふむ、と腕を組んで、考え込む振りをしておく。
「他に特徴はあるかい?」
「顔、はわたしに似ていると思います。髪を高めに結って、よく日に焼けた肌で」
「元気に走り回る様なタイプかい?」
「えぇ、五つかそこらの子供がそのまま大きくなったような」
「わかったわかった」
そういった怖いもの知らずは、人の気も知らないでどこかへ行っちまうものだ。
思ったことを伝えてやると、
「そうかも知れませんね。ひょっこり戻ってきそうな気もします」
彼女は頬を緩ませた。私も頷いておく。
これで立ち去るかと思ったが、彼女はあごに指を当て、思案顔になった。
「あの、しばらくここで待ってみてもいいですか? 見通しも利きますし」
「ん、あぁ、私は構わないよ」
彼女はまたぺこりと礼をすると、足を伸ばした。
ほう、と一息つくと、こちらを覗きこんで問いかけてくる。
「何か作ってらしたのですか? 服?」
「ちょっとした道具だよ」
「あら、ただの服じゃないのかしら。器用そうですものね」
その言葉に気を良くして、つい喋ってしまった。
「こいつを着るとね、透明になるのさ」
「すごい! そうすると、かくれんぼしたり、鳥を探したり、便利そう」
「お、わかるかい? いやぁ、見る目があるよ。
私の仲間ときたらやれ覗き用だ、やれ潜入任務だってそんなことばかりでさ」
ふふ、と笑いあう。
私は迷彩をいじりながら仲間の話をし、彼女はそれを聞いていた。
気がつけば、いつのまにか日が傾いてきた。
山際が赤く燃えていて、烏が数羽飛んでいる。
彼女は立ち上がり、裾を払うとこちらを向いた。
「いつもこの辺りに?」
「そうだね。風が抜けるし、いい眺めなんだ、ここ」
「なるほど。では、戻ります。今日はありがとうございました」
「あぁ、気をつけて」
月が昇り、沈み、また陽が昇り。私は迷彩の調整をしていた。
今日は注意していたせいか、草を踏む音が聞こえた。
「こんにちは」
彼女は昨日と同じ恰好で、少し疲れた顔をしていた。
「やぁ。探し人は見つかったかい?」
「いえ……」
「こっちも、それらしい人間を見たって話はなかった」
「そう、ですか」
「もともと私たちは人に会うようなところに居ないからさ。天狗の連中にも声をかけておくよ」
ちら、と横目で岩影を見ると、黒い羽が舞っていた。
まったく。
視線を戻す。彼女は口を結ぶと、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼は見つかってからにしなよ」
「ですね。少し、休んでいってもいいですか?」
私の隣を叩いてみせる。
彼女はぴょこぴょこと飛び石を跳ねてやってくると、ふう、と腰をおろした。
私も手を止め、後ろへぱたりと仰向けになってみる。
真上に昇ったお天道様に、帽子の濃い陰。
水面で光がたまに反射して、どこかからは蛙の声が聞こえる。
「きゅうりがおいしい季節になったねぇ」
「かっぱ巻き?」
「巻くんじゃないよ! いや、あれは美味しいらしいね。私も聞いたことはあるんだけど」
「お礼に今度持ってきましょうか」
「いいのかい!?」
がばっと詰め寄る。
「え、えぇ。あまり量は作れませんから、お仲間の方の分はできませんが」
「いいよいいよ。いやぁ、楽しみだなぁ。酒は私が用意しておくよ」
「わ、昼間からお酒とは、河童さんは楽しそうな生活ですね」
「いやいや、これがなかなか苦労もあって」
鬼と、天狗と、立場の弱い河童の話。
興味深そうに聞いてくれるから、つい話し込んでしまった。
そして彼女は、ではまた、と残し、私は、気をつけて、と見送る。
古来より、河童と人間は盟友だという。
通じる部分と、通じない部分。それが互いに面白いせいかもしれない。
少しも作業は進まなかったが、すがすがしい気分だった。
――今昔妖怪ノ山――
あくる日も私は同じ場所にいた。
手元には、とっておきの酒がある。
しかし、日が沈むころになっても彼女は来なかった。
「食べそこなったかな」
ぽつりと漏らしたそのとき、風が吹いた。
「これを、貴方に届けに来ました」
天狗。夕日を背に、影が長く伸びて。
手には桶。瑞々しいきゅうりが数本覗いていた。
「やぁ。どうしてまた天狗様がきゅうりなんて」
「私からではありません。拾ったものですが、貴方の友人のものです」
「友人?」
意味を掴めず、しばし逡巡する。誰かのパシリを天狗がしたのか。
そんなことはあるはずもない。
「その本人は?」
「――攫われました」
桶にこびりついた赤黒いものから、目を離す。
吹き抜けていく風に、葉の擦れる音が響く。
見上げれば、雲がやけにゆっくりと流れていた。
「又聞きなので定かではありませんが、米と、包丁を持っていたそうで。
おそらくそれで、勘違いされたのでしょう」
「なるほど」
そう、か。
探していた人間と同じ末路を辿ったのだろう。
ここは妖怪の山だ。
だから気をつけてと言ったのに。
「言わんこっちゃない、ですね」
ふっと、声の方に視線を戻せば。
そこにあったのは嘲りの表情ではなく、俯いたそれで。
「こんなことならさっさと記事にしておくんでした。そうすれば――」
そうすれば、どうなったというのか。
山にいる鬼たちの気が変わった? それはない。
度胸のある人間が好きな奴らだ。
"武器"を持った人間相手に、喜々として"遊んだ"に違いない。
彼らには、河童の知り合いだなんて、関係ない。
「どのみち、人間はすぐ死ぬからね」
彼女のことを思うなら、本当のことを言うべきだった。
探すだけ無駄だ、と。
山には来ない方がいい、と。
手を伸ばしてきゅうりを掴み、かじり、へたを吐き出す。
苦い。
込み上げてくるのは、悔しさだろうか。
だって、かっぱ巻き、食べそこなったじゃないか。
あぁ。
私は。
楽しみにしていたのに。
水の流れる音だけが、昨日と変わらず聞こえていた。
河に足先を浸し、私は満悦だった。
「ふふ、もう少しで完成だ」
光学迷彩、カッコよく言えばオプティカル・カモフラージュ。
これさえあれば、覗――もとい、人間を物陰から脅かすのも、天狗を観察するのも簡単だ。
道具作りの最中に、誰か来やしないかとびくびくすることもなく――
「あの、よろしいでしょうか」
背後からの声に、慌てて河へ飛び込む。
水飛沫が上がった。
離脱、しかけて思い出す。
せっかくの発明品、岩の上におきっぱなしだ。
揺れる水面を通して、様子を窺う。
深く沈んだせいではっきり見えないが、声の主はまだそこにいるようだ。
迷い込んだ人間だろうか。
だんだん息が苦しくなってきた。
隙を見て、そっと息継ぎをしようと顔を出し、
「あ」
目が合ってしまった。急いで再び水中へ。
やはり人間。それも女の子供だった。
と、岩場の影が動いた。
どうするつもりだ、と思っていると――飛び込んできた。
「ぶはっ」
意外すぎて噴き出した。
そして相手はと言えば、水中で顔を動かし、こちらへと――
来ようとしたのだろうが、長い髪がゆら、と揺れ、流される。
慌ててもがいているが、下流へと押されていく。
そりゃそうだ。
ここはそれなりに深く、水の勢いもある。人間は泳げないだろう。
放っておけば、どこぞの厄神のあたりに拾われそうだ。
けれど、そこらの岩で頭でも打たれたら寝覚めが悪い。
水を吸わないように嘆息。
ひとかき、ふたかきし、ぐっと手を伸ばす。
抱えて浮上。さっきまで座っていた岩に寝かせてやる。
私は隣に座り、忘れる前に迷彩を回収。
何かの縁だと思って、様子を見ることにした。
彼女はしばらくむせていたが、息を整えると正座になり、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いいってことよ」
「ところで、……手、伸びたように見えたんですが」
「あぁ、名付けてのびーるアーム」
あ、と目を丸くする彼女は、ようやく私のことに気づいたようだ。
「すいません、河童の方とは知らず。驚かせるつもりはなかったんですが」
「いやいやこちらこそ」
「人を探していたもので、少し尋ねたかっただけなのです」
と言って顔を曇らせた。失せ人といえば見当はつくが、
「人はここらじゃ見てないねぇ。よし、私の仲間にも訊いておくよ」
「お願いします。年のころは二十歳位で、背の高めの女性をみかけたら、と」
ふむ、と腕を組んで、考え込む振りをしておく。
「他に特徴はあるかい?」
「顔、はわたしに似ていると思います。髪を高めに結って、よく日に焼けた肌で」
「元気に走り回る様なタイプかい?」
「えぇ、五つかそこらの子供がそのまま大きくなったような」
「わかったわかった」
そういった怖いもの知らずは、人の気も知らないでどこかへ行っちまうものだ。
思ったことを伝えてやると、
「そうかも知れませんね。ひょっこり戻ってきそうな気もします」
彼女は頬を緩ませた。私も頷いておく。
これで立ち去るかと思ったが、彼女はあごに指を当て、思案顔になった。
「あの、しばらくここで待ってみてもいいですか? 見通しも利きますし」
「ん、あぁ、私は構わないよ」
彼女はまたぺこりと礼をすると、足を伸ばした。
ほう、と一息つくと、こちらを覗きこんで問いかけてくる。
「何か作ってらしたのですか? 服?」
「ちょっとした道具だよ」
「あら、ただの服じゃないのかしら。器用そうですものね」
その言葉に気を良くして、つい喋ってしまった。
「こいつを着るとね、透明になるのさ」
「すごい! そうすると、かくれんぼしたり、鳥を探したり、便利そう」
「お、わかるかい? いやぁ、見る目があるよ。
私の仲間ときたらやれ覗き用だ、やれ潜入任務だってそんなことばかりでさ」
ふふ、と笑いあう。
私は迷彩をいじりながら仲間の話をし、彼女はそれを聞いていた。
気がつけば、いつのまにか日が傾いてきた。
山際が赤く燃えていて、烏が数羽飛んでいる。
彼女は立ち上がり、裾を払うとこちらを向いた。
「いつもこの辺りに?」
「そうだね。風が抜けるし、いい眺めなんだ、ここ」
「なるほど。では、戻ります。今日はありがとうございました」
「あぁ、気をつけて」
月が昇り、沈み、また陽が昇り。私は迷彩の調整をしていた。
今日は注意していたせいか、草を踏む音が聞こえた。
「こんにちは」
彼女は昨日と同じ恰好で、少し疲れた顔をしていた。
「やぁ。探し人は見つかったかい?」
「いえ……」
「こっちも、それらしい人間を見たって話はなかった」
「そう、ですか」
「もともと私たちは人に会うようなところに居ないからさ。天狗の連中にも声をかけておくよ」
ちら、と横目で岩影を見ると、黒い羽が舞っていた。
まったく。
視線を戻す。彼女は口を結ぶと、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼は見つかってからにしなよ」
「ですね。少し、休んでいってもいいですか?」
私の隣を叩いてみせる。
彼女はぴょこぴょこと飛び石を跳ねてやってくると、ふう、と腰をおろした。
私も手を止め、後ろへぱたりと仰向けになってみる。
真上に昇ったお天道様に、帽子の濃い陰。
水面で光がたまに反射して、どこかからは蛙の声が聞こえる。
「きゅうりがおいしい季節になったねぇ」
「かっぱ巻き?」
「巻くんじゃないよ! いや、あれは美味しいらしいね。私も聞いたことはあるんだけど」
「お礼に今度持ってきましょうか」
「いいのかい!?」
がばっと詰め寄る。
「え、えぇ。あまり量は作れませんから、お仲間の方の分はできませんが」
「いいよいいよ。いやぁ、楽しみだなぁ。酒は私が用意しておくよ」
「わ、昼間からお酒とは、河童さんは楽しそうな生活ですね」
「いやいや、これがなかなか苦労もあって」
鬼と、天狗と、立場の弱い河童の話。
興味深そうに聞いてくれるから、つい話し込んでしまった。
そして彼女は、ではまた、と残し、私は、気をつけて、と見送る。
古来より、河童と人間は盟友だという。
通じる部分と、通じない部分。それが互いに面白いせいかもしれない。
少しも作業は進まなかったが、すがすがしい気分だった。
――今昔妖怪ノ山――
あくる日も私は同じ場所にいた。
手元には、とっておきの酒がある。
しかし、日が沈むころになっても彼女は来なかった。
「食べそこなったかな」
ぽつりと漏らしたそのとき、風が吹いた。
「これを、貴方に届けに来ました」
天狗。夕日を背に、影が長く伸びて。
手には桶。瑞々しいきゅうりが数本覗いていた。
「やぁ。どうしてまた天狗様がきゅうりなんて」
「私からではありません。拾ったものですが、貴方の友人のものです」
「友人?」
意味を掴めず、しばし逡巡する。誰かのパシリを天狗がしたのか。
そんなことはあるはずもない。
「その本人は?」
「――攫われました」
桶にこびりついた赤黒いものから、目を離す。
吹き抜けていく風に、葉の擦れる音が響く。
見上げれば、雲がやけにゆっくりと流れていた。
「又聞きなので定かではありませんが、米と、包丁を持っていたそうで。
おそらくそれで、勘違いされたのでしょう」
「なるほど」
そう、か。
探していた人間と同じ末路を辿ったのだろう。
ここは妖怪の山だ。
だから気をつけてと言ったのに。
「言わんこっちゃない、ですね」
ふっと、声の方に視線を戻せば。
そこにあったのは嘲りの表情ではなく、俯いたそれで。
「こんなことならさっさと記事にしておくんでした。そうすれば――」
そうすれば、どうなったというのか。
山にいる鬼たちの気が変わった? それはない。
度胸のある人間が好きな奴らだ。
"武器"を持った人間相手に、喜々として"遊んだ"に違いない。
彼らには、河童の知り合いだなんて、関係ない。
「どのみち、人間はすぐ死ぬからね」
彼女のことを思うなら、本当のことを言うべきだった。
探すだけ無駄だ、と。
山には来ない方がいい、と。
手を伸ばしてきゅうりを掴み、かじり、へたを吐き出す。
苦い。
込み上げてくるのは、悔しさだろうか。
だって、かっぱ巻き、食べそこなったじゃないか。
あぁ。
私は。
楽しみにしていたのに。
水の流れる音だけが、昨日と変わらず聞こえていた。
でもこの残酷さが幻想郷らしいですね
またあなたの小説が読めて嬉しいです
何気ないやり取りに、お互いの距離感と想いが滲んでいて。
にとりが霊夢を追い返そうとした理由が、このSSによって上書きされた気がします。