※作品集67 初詣は神社に行こう の続きとなっています。
先にそちらの方に目を通して頂くことをお勧めします。
1月1日の朝の目覚めは最悪だった。前日、いや当日の夜に酒を飲みすぎたせいだ。
新年から神楽だの、参拝客への応対だの、色々と忙しいのに。これも全てはあの妖怪のせいだと一人ため息をつく。
あいつがあんな風に、言葉にするのも嫌だけれど、あんな風に私に勝手に物を贈りつけ、勝手に抱きしめたりするからいけないのだ。
頭が混乱してぐっちゃぐちゃになって、お前そのマフラーどうしたんだよ、え? なんてほざいてくる魔理沙に本気で殴りかかり、気絶させたのもいい思い出だ。
ちなみに彼女の初夢は「アリスがひたすらきのこを食べている夢」だったという。隣でそれを聞いていたアリスは「ばっ、馬鹿っ! あんた何いってんのよ馬鹿! 」と顔を赤らめていた。過剰反応しすぎだと思ったが、私は口には出さなかった。
そんなことよりも問題なのは、私の心の方だった。
手を休めれば、あいつの声が頭の中で再生される。だから私は何も考えず仕事に没頭した。何も喋らず、ひたすら手を動かしていた。
途中何度も魔理沙にからかわれたので、その度に足を蹴ってやった。大晦日の借りは返せたと思う。充分なぐらいに。
1日突っ立って働いていたので、その日はものすごくよく寝れた。
次の日も、その次の日も。
仕事が終わってしまえば、普段やっていない場所の掃除だとか、整理だとか、とにかく何かしら用事を見つけては、手を動かしていた。
だが、それも最初の5日だけだった。
5日もすると、参拝客はほとんど来なくなっていた。そういえばいつもこんな感じだった気がしないでもない。
妖怪が入って来れないように貼り付けた結界を外したのが2日前。
萃香が入れない、入れないなどとうるさかったからだ。
それから先、人の気配は全く無く。
手に余った仕事も、丸2日で片付けてしまった。
いつものように、神社の中で一人暮らす日々。
慣れた筈なのに、凍てつくような隙間風が時折吹くのは何故なのだろうか。
お祭り騒ぎ、どんちゃん騒ぎが終わった後だからだろうか。祭りの後の淋しさというか。きっとそうだ。違いない。どうせ一週間もすれば全て忘れるだろう。
そうやって自分に言い聞かすも、慣れるまでには相当時間がかかった。
ただでさえ冬は人が来ない。皆寒いといって外に出たがらない。勿論私もそうで、人がいないからといってどこかに出かけようなどとは思わなかった。
雪が一週間近く降り続けて、神社に篭りっきりになったこともあった。
そんなときは、返事の返ってこない陰陽玉に、寒すぎるわよなんとかしてよ、などと独り言を呟いたものである。
「暖かいぜ」
「そうね」
「ぽかぽかするな」
「そうね」
「お茶ももうちょっと濃いと良いのだがなあ」
「しょうがないでしょ。あんまり外に行けなかったんだから」
「寒くてか」
「寒くて」
「まあ、気持ちはわからんでもないぜ」
そうして過ごすこと早三ヶ月。
この間ようやく雨が降り、日も段々と長くなってきた。
あれだけ積もっていた階段の雪も、今では地肌が見えているぐらいに溶けてしまった。
向こうの空では、リリーホワイトとレティ・ホワイトロックがケンカをしている。
見たところ優勢なのは、リリーホワイトのようである。
「あいつらまたやってるなあ」
「毎年毎年飽きないわね」
「恒例行事だからな」
「そうね」
ずずず、と音を立ててお茶をすする。味が薄い。まるで白湯でも飲んでいるみたいだ。ほのかにお茶の風味がするが、それにしたって味が薄い。出涸らしにも程がある。
それをわかっていて買いに行かなかったのは私なのであるが。
しかし家にしょっちゅう来るのなら、お茶の一つや二つ、献上して欲しいものだと隣の魔法使いを見て思う。文句言うなら自分でもってこい。何度そう言ってきたことだか。
おまけに今は団子までご馳走してやっている。それが当たり前だと思っているのだから性質が悪い。代わりにこいつが持ってくるものといえば、食べられるのかどうかもわからない妙なキノコばかりだ。等価交換とは言えないだろう。
それをこいつに言った所で、変わるかといえば変わらないのだろうけれど。
「あ」
「え」
「あーあ」
「あー」
隣で団子をむさぼっている魔法使いが間抜けな声を上げた。何事かと思い見てみれば、レティ・ホワイトロックが地面に向かって落ちている。その上ではリリーホワイトが、春ですよーと叫んでいる。
「春だな」
「春ね」
「そういやもうすぐ四月だもんな」
「そうだっけ」
どおん、と遠くの方で音がした。勝負は決まったみたいだ。
そういえば、境内の梅がそろそろ満開をむかえる。桜のつぼみも段々と大きくなってきている。
長い長い冬がもうすぐ終わるようだった。
「なー、霊夢」
「何よ」
「あの桜が咲いたらさぁ」
「うん」
「花見でもしようぜ」
「ここで? 」
「もちろん」
「・・・・・・全く」
もうすぐ春がやってくる。待ち望んだであろう春が。
だけど私はなんとなく、春が来るのが怖かった。
何かが始まってしまうような、終わってしまうような、そんな気がしてならなかった。
――またね、霊夢、また3月に
あの時、あいつの背中を見送りながら、私はなにを思ったのだろう。あいつに対して何を思ったのだろう。
何であいつのことを考えると、頭の中がぐちゃぐちゃになるのだろう。
結局あの時の疑問は何一つ解決しないまま、春がやってくる。
考えても考えても、なにもわからないままだった。かえって頭がぐちゃぐちゃになるだけだった。誰かに相談しようなんてことは勿論しなかったし、したくもなかった。
次に会ったら答えを突きつけられる気がして、それが怖かった。
「決めたぜ、霊夢」
魔理沙が急に立ち上がる。なんだろうと思い、彼女の方を見てみれば、いつもよりも生き生きとした笑顔で私を見ていた。
嫌予感がした。
彼女がこんな顔をするときは、決まってあることをしようとするときだ。
「花見だ」
「はあ!? 」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
思ったとおりだ。こいつは何かにつけて宴会をするのが好きなのだ。
「どこで」
「ここでに決まっているだろう」
にししと笑いながら魔理沙は言う。
想像どおりといえば想像通りだが、面倒なことは確かだ。
「いつ」
「今日」
「今日!? ちょっと待って、まだ何の準備も」
「準備なんてそんなもん、花見だって言えば何かしらみんな持って来るだろう」
「まだ桜だって咲いていないのに」
「花ならそこにあるだろ。ホレ」
魔理沙が指差したその先には、白い梅の花が咲いていた。
「花見って言ったら普通桜でしょう」
「花は花だろ。いい匂いがするしな。腹が減ってくるぜ」
「花より団子って訳ね。要は飲みたいだけでしょう」
「まあな」
「全く」
「さあて、今から色んな奴らを呼んでこなくちゃな」
縁側に降りて、落ちている箒を手にすると、魔法使いはふわりと空に舞い上がる。
やれやれと思い、私はため息をつく。
「あー、もしも桜が見たかったら、幽香呼んで桜咲かせるとか」
「自然の摂理に反することはしたくないんだけど」
「んー、なら桜が咲く時期にもう一度やんなきゃだな」
「どんだけ花見する気なのよ」
今は丁度昼過ぎだ。魔理沙の足ならば半日で幻想郷中を回りきることも、まあできなくはないだろう。
それにしてもこれでまた、余計な手間というか、用事が出来てしまった。今日はのんびりとお茶をすすって過ごそうと思っていたのに。
「ああ、そうそう。ちゃあんと迷い家にも行ってきてやるからな」
振り返り、にししと笑いながら、魔法使いは余計な一言を言ってくれた。迷い家という言葉に想像以上に反応してしまった。思わず手元にあった爪楊枝と団子の串を、空に向かって投げつけた。いってえという声が上から聞こえた。
「ったく、素直じゃないというかなんというか」
「なんか言った?」
「うおっ、やっべえ聞こえてた。とっとと行くか」
ひゅう、という音と共に、魔法使いは西の空に消えていった。私はそのまま縁側にしばらく立っていた。
――――またね、霊夢。また三月に。
あれから丸三ヶ月が経とうとしていた。
暖かい日差しが照らすたびに、日に日に長くなっていく夕日が西の空に沈む度に、私はあいつのことを思い出していた。
そろそろ起きる頃だろうか。起きたらここに来るのだろうか。来たら、私はどうすればいいのだろうか。
そんな風に思考をぐるぐると巡らせながら、考えても仕方のないことだとため息をつく。それがここ最近の日常だった。
今日いきなり会うと言われても、どんな顔をして会えばいいかわからない。
「魔理沙の奴、余計なことを」
去り際のニヤついた顔を思い出し、思わず足元にあった箒を庭に向かって蹴飛ばす。箒はカタンと音を立てて庭に転がった。あとであいつを10回、いや100回は殴っておこうと心の中で誓った。
宴会とくれば酒が必要だ。ついでにつまみも。いくら他の奴らが持ってくる予定とはいえ、こっちも用意しなくては間に合わないだろう。一体どれぐらいの人数が集まるかはわからないが。
残りの酒と食糧はどれぐらいあるだろうか。全て食べられてしまわないように、少しは別の場所に補完しておかなくては。
私は倒れた箒をそのままにし、蔵の方へと歩いていった。
遠くでもう一度、ハルデスヨーという声が聞こえた。
「宴会なんて、正月以来だな。なあ霊夢」
「そうだっけ。あんたしょっちゅう家に来て飲んでいるじゃない」
「この冬はあんまり行かなかったよ」
「まあそうだけど」
「それにさ、これだけ人が集まるのって正月以来じゃない?」
「そうだっけ」
そうだよ、と言いながら萃香が私の杯に酒を注ぐ。ああこれ上等な酒なんだよ、といつもの決まり文句を言いながら。
台所から料理を持ってくると、既に宴会は始まっていた。適当に料理を盛った皿を置いて縁側に座る。隣では萃香がフラフラと千鳥足になって歩いていた。
「無理無理ぜーったい無理! お姉さんあたいを殺す気!?」
「へえ、マジで駄目なんだな。玉ねぎ」
「だから最初っからそう言っているでしょ!」
梅の木の側で、魔理沙とお燐がぎゃあぎゃあと騒いでいた。
萃香から注がれたお酒を一口飲む。
辛口なんだろうか。それでいてすっと体の中にしみ込むようで、何杯も何杯もいけてしまう気がした。
「あれ?桜なんて咲いていないのに花見?」
「あれが花見の花なんだって」
梅から少し離れたところでアリスと幽香が話している。アリスはともかく、幽香が来るなんて珍しいなと思った。お花見だからだろうか。
「へえ。あいつにしては粋なこと考えるじゃない」
「粋っていうかなんていうか。お酒呑みたいだけでしょ。誰が連れて帰るんだかわかっているのかしら」
「その割には嬉しそうね」
「嬉しくなんかないわよ。幽香こそ、さっきから何ニコニコしてるのよ」
「別に。私は単に綺麗な花が見れて嬉しいだけよ。あの梅の花みたいにね」
ぐいぐいぐいとお酒を飲み干すと、おや、もう空っぽなのかい、しょうがないなあと言って再びお酒を注がれた。
「梅には団子が必要ねえ」
「そうですねえ・・・・・・・そうですか?」
「そうよ」
「団子ならここにあるじゃないですか。家で作ってきた」
「あれはしょうゆ味でしょ。あんこ味の方がいいのよ」
「そういうもんですか」
「そういうものよ」
「なら最初からそう言ってくださればよかったのに」
「ここで作ればいいじゃなーい」
「・・・・・・うーん、この神社に材料あるのかなあ」
アリス達から少し離れた場所に、冥界の大食い幽霊・西行寺幽々子とその従者の魂魄妖夢が座っていた。側には団子がいくつか置いてあった。おいしそうだなと思ったが、横取りすれば後が怖いのでやめておく。
杯の中に花びらが一つ、ひらりと浮かぶ。おっ、今日はいいことあるんじゃないの、と萃香がはやしたてる。
取ってしまうのも面倒だ。そのままぐいっと酒を飲む。かすかに梅の香りがした。
「霊夢―っ、そんなところにいないでこっちに来いよ! おもしろいもんが見られるぜ!」
魔理沙が私を呼ぶ。こいつが面白いものだという時は、大概ろくでもない事が起こる。経験上なんとなくわかる。
笑っている魔理沙の横では、黒猫が泣きそうになりながら一枚の皿を見つめている。
私は縁側から降りて、梅の木の側まで歩く。
「こら魔理沙。動物虐待はやめなさい」
「虐待なんかじゃないぜ。ただの興味だ」
「さとりにぶっ殺されるわよ、アンタ」
「お、おねえさーん・・・・・・」
黒猫、もといお燐が私に抱きついてくる。そのままごろごろと喉を撫でてやると、気持ち良さそうに目をつむった。
「ちぇっ、仲よさそうに」
「あんたの動物に対する扱いが悪すぎるだけよ。お燐、お酒飲む?」
「お酒ってお前・・・・・・私が玉ねぎ食わせるのと同じようなもんじゃないか」
「萃香曰く、これは上等なお酒らしいわよ」
萃香から奪った酒の瓶を魔理沙へと渡す。へえと魔理沙は自分の杯へ酒を注ぐ。
お燐は私の膝の上でごろごろとしている。こいつは一体何を食べるのだろうと考え、とりあえず近くにあった焼き魚を渡してみた。黒猫はお魚をくわえると、私の膝からぱっと飛び出した。そして梅の木の向こう側で、はぐはぐと食べ始めた。
「こりゃ本当に上等だな、霊夢」
「そうでしょう」
「ありゃ、黒猫は?」
「お魚くわえて逃げたわよ」
「そりゃ残念だ。折角いい酒が手に入ったっていうのに」
猫に酒を飲ませると、やっぱりフラフラ酔っ払うんだろうか。またたびを与えたときのようになるのだろうか。
それ以前に、お燐は妖怪だから、何を食べても平気なのだろうけれど。
ああでもさっきの様子を見ると、玉ねぎだけは駄目みたいだ。
「楽しんでるか? 霊夢」
「そこそこね」
「そうか。ならいいんだけど」
魔理沙が私に話しかける。珍しい問いかけだった。
普段宴会場の真ん中でいの一番に馬鹿騒ぎを起こす彼女が、隅っこでお酒を飲みながら、楽しんでいるかなんて声をかける。
よく考えればこの時点で何か裏がありそうなものだが、酒をぐいぐいと飲んでいた私には、細かいことなどどうでも良いように感じてしまっていた。
「あんたこそ、楽しんでいるの?」
「楽しいぜ。さっきの黒猫に玉ねぎを食わせられりゃ、もっと楽しかったんだろうけどな」
にひひ、と魔理沙は笑う。動物虐待はよせとさっきから言っているのに。
「あんたが食えばいいでしょう」
「嫌だぜ。そんな辛いもの食うの」
「へえ、いいこと聞いちゃった」
手元にあった、玉ねぎの入った皿を手にする。
「食べてみなさい、魔理沙」
「嫌だぜ。生の玉ねぎなんざ」
「いいから食え」
玉ねぎを箸で掴み、魔理沙の口元に持っていってやる。彼女はふいと顔を逸らし、全く食べようとしない。
これ見よがしにじりじりと箸を近づける。
「何で食わせようとするんだよ」
「アリス! アリス! ちょっと来て! 面白いものが見られるわよ! 」
「あっ、お前卑怯だぞ! アリス呼ぶなんて! 」
私の声に反応したアリスがお酒を持ったままやって来る。ついでに横に居た幽香までやって来た。こいつは好都合だ。
魔理沙が玉ねぎが大好きなのだということを説明すると、二人ともへぇ、という顔をした。
「きのこじゃないんだ」
「きのこじゃないのね」
「は、放せっ。おいこら放せ! そいでもって玉ねぎ近づけるな! 目にしみる。目にしみるから」
「動物虐待した罪よ。いいから食え」
大口を開けて叫ぶ魔理沙の口へ玉ねぎをぽいっと放り込む。魔理沙は赤い顔になりながら、目元に涙をためて玉ねぎを噛んでいた。
木の横で魚を食べている黒猫に目をやる。
黒猫は嬉しそうに、その光景を見ていた。
これで魔理沙も懲りて黒猫に食べさせることもないだろう。まあ半分はただの余興のつもりだったのだけれども。
「あー! 酒だ、酒! こんちくしょー!! 」
生玉ねぎを完食したらしい魔理沙が口直しとばかりに水だのお酒だのをがぶがぶ飲む。少しからかいが過ぎただろうか。
「おいしいじゃない、生玉ねぎ」
「あら本当。辛くておいしい」
「お前らの舌がどうかしてるぜ・・・・・・」
いつものような馬鹿騒ぎ。
いつものような馬鹿話。
手元にあった酒を杯についで口に運ぶ。
なんだか今日はいつもよりも酒の進みが早いな、と心のどこかで感じながら。
その理由を考えようとして、やめた。どうでもいいことだ。
それよりも今は、この宴会を楽しむべきだ。
「たーべーもーのー」
「うわっ」
「うわあっ」
首筋に冷たいものが当たる。
びっくりして振り返ってみれば、そこに居たのは冥界に住む大食い幽霊、西行寺幽々子だった。
手には魂魄と思われるものが握られており、首に当たったのはそれのようである。
「いきなり出てくるなよ」
「だって、さっきから皆、おいしいおいしいって言っているんだもん」
「食うか? この激辛玉ねぎ」
「あらおいしそう」
というかその魂魄は妖夢のなのではないだろうか。それ以外に考えられない。
魂魄を置いて妖夢はどこへ行ったのだろう。そもそもその状態で彼女は生きていけるのだろうか。
私の妙な心配をよそに、幽々子はひょいパクリ、ひょいパクリと玉ねぎを食べていた。
「この辛さがいいわねえ」
「そうか? 」
「どうせ適当でしょ。あんたのことだし」
「そんなことないわよお。おいしいものはちゃんとわかるもの」
玉ねぎは瞬く間に無くなっていく。すごいスピードだった。
流石は幽々子。私だって食べられない訳じゃないが、そんなに食べたことはないし、食べようと思わない。
「もぐもぐ。ああねえ霊夢」
「何よ」
「お団子作っているから。あんこ味の」
「はあ!? どこで」
「台所に決まっているじゃない」
「材料は? 」
「もちろん神社の蔵の」
げしり。
全てを言い終わる前に手が出た。否、足が出た。
「アンタねえ、ウチの蔵を空にする気? 」
じりじりと足で踏みつける。痛い痛いと声がしたが、構うものか。
台所を使うのは構わないが、材料となれば話は別だ。
こっちは生活がかかっているのだから。
「霊夢、少し落ち着けって」
「落ち着いていられるか。こいつがどんだけ食べると思っているのよ」
「だってえ、梅にはやっぱりあんころもちでしょう。いたいいたい、踏みつけないでってばあ」
少し目を離せばすぐこれだ。きちんと見張っておくべきだった。
台所に居るであろう妖夢にも一発蹴りを入れないと気がすまない。
更に力を加えて幽々子を踏みつける。
「ね、ねえっ、そんなことよりも」
「そんなことよりも何よ」
「いっこ聞きたいことが」
必死で話題を逸らそうとしているのが見え見えだった。だがそんな策には乗ってやらない。食べ物の恨みはそう易々と消えるものじゃない。
私はぎろりと幽々子を睨んだ。
「ねえ、今日紫は? そういえば紫はどうしたのよ」
「あー、あいつな。まだ寝てるんだってさ」
「そうなの?」
「ああ。迷い家にも行ったんだがな。いつ起きるかわからないので今回はって藍達にも断られた」
「あらまあ」
「折角梅が咲いているのにな。まあ仕方ないよな。起きてないんだし」
「次の花見には来れるかしらねえ」
「どうだろうな。次っつうとあれか。桜か」
「もう。紫ってばお寝坊さんねえ。そう思わない? 霊夢」
「・・・・・・」
「霊夢? 」
「・・・・・・」
「おーい、霊夢ってば」
「へ? ああ何よ」
「もう、ちゃんと話を聞いてなさいよ」
幽々子の言葉に、そうね、悪かったわ、とだけ返す。
そうか。今日あいつがここにいないのは、まだ起きていなかったからだというわけか。
あいつの話じゃ、3月中には起きると言っていたけれど。
「桜のときもやるのね、花見」
「もちろんだぜ」
「楽しみにしてるわあ」
寝坊だなんて、全くもってあいつらしい。
始まる前に色々と考えてしまった私の心を返せと言いたい。
憎まれ口なら山ほどあったのだ。あんなもの贈りつけて、一体何が言いたいんだ。風邪なんて引かなかった。あんたが心配しなくたって、この通り私は元気だ。だからあんな妙なことするんじゃない。
そう言いたかったのに。
「残念だったなあ、霊夢」
「何の話よ」
「もー、わかってる癖にな・・・・・・あででっ、あいでででっ! いひゃいいひゃいつねるなっ! 」
「何の話がもういっぺん言ってみなさい」
ニヤついている魔法使いの顔を、力一杯つねってやる。照れ隠しなどではない。妙なことを言われて変な噂でも立たれたら困るからだ。
「素直じゃないわね」
「本当だぜ」
「だから何の話よ」
ぎろりと二人を睨む。
「そりゃあな」
「そりゃあねえ」
「決まってるだろう」
「決まっているわねえ」
二人はニヤニヤ笑うのをやめない。この場でスペルカードでも出してやろうかと思った。
私が紫を待っている? 断じてそんなことはない。
だからこいつらがニヤついているのはただの勘違いだ。決まっている。
「ま、まぁ霊夢! これでも飲んで落ち着けよ、な」
「何よこれ」
「梅酒。うまいんだぜ、ホラ。紫のいない淋しさをこれで・・・・・・あだだ! あだだだだ! すまん今のは失言だったぜだから関節技はよしてくれ! 」
「次にあいつの名前を出したら殺す」
いつまでもしつこく言ってくる魔法使いに仕返しをしてやる。私をからかった罰だ。とくと味わうがいい。
「わかった、わかったから腕を放せ! 」
「嫌よ、覚悟しなさい」
「うわやめろっ、やめろよ肩が外れる! 本気で外れる! 」
魔理沙が大声で叫ぶことによって、宴会場にいる皆の視線がこちらに集まる。
もっとやれ、いいぞいいぞ。
鬼がはやしたてる。それを聞きながら私は腕にぐっと力を込める。
そうだ、こうして馬鹿騒ぎをしていれば、あいつのことなんてすぐに忘れる。
今日来ないだとか、いつ起きるのだとか。そんなこと、本来ならばどうでもいい話なのだ。
酒を飲もう。飲んで酔いつぶれよう。今日はなんだか色々おかしい。色々おかしいのは酒のせいだ。そういうことにしておこう。
「ぎゃー! アリス助けて! 助けてくれえ!」
こいつに相応の罰を与えたら、萃香にお酒を持ってきてもらおう。
そう思い、私は更に自分の腕にぐっと力をこめた。
宴会場に、魔法使いの悲痛な叫び声が響き渡った。
よく晴れた日だった。
雲ひとつない日だった。
おかげで今日は月がよく見える。
月明かりに照らされて、満開になった梅の木が、いつもよりも白く際立つ。
ああなんてきれいなのだろう。桜もきれいだが、梅もきれいなものだなあと改めて思う。
これで自分の体に酒さえ入っていなけりゃ、もっときれいに見えるのだろうけれど。
ふらふら、ふらふらと誰も居なくなった廊下を歩く。まっさらになった境内を見て、一体誰が片付けてくれたのだろうかと考え、妖夢あたりがやってくれたんじゃないかと勝手に想像を膨らませる。
まあ、団子のお代としては適切かもしれない。納得はしていないが。
ごつんろ柱に頭をぶつける。そのままずるずると座り込む。
手をぶらぶらさせていると、お酒の瓶らしき感触がした。
そのまま酒を目の前に持ってくる。中身はまだ半分ほど入っていた。
コップを探したが、手の届く範囲にはなかった。台所まで歩いていくのも面倒だ。仕方がない。
私は瓶の蓋を開け、そのままそこに口付ける。
ごくり、ごくり、ごくり。
喉を通って腹の中へ酒がしみ込んでいく。そんなに喉が渇いていただろうかとぼんやり思った。
口を手で拭い、瓶を置く。
夜風に乗って、梅の香りがほのかにする。月が神社を照らしている。
ぬるい風だった。もう春なんだなと思った。
――またね、霊夢。また3月に。
あの声がまた聞こえてきた。
「3月って、もう終わっちゃうじゃない。まあ、あんたのことだから来ないとは思っていたけれど」
誰もいなくなった神社の境内で、私は一人呟く。
誰もいないということは誰も聞いていないということだ。
だから、何を言っても聞かれることはないのだから、何を言おうが問題ないということだ。
「あんたに言ってやりたいことが沢山あったのよ。魔理沙の馬鹿が今日いきなり宴会するだなんて言い出すから、一生懸命考えてきたってのに」
柱にもたれかかりながら、私は呟く。ところどころ呂律が回らない。
どうやら頭の中にまで、かなりお酒が回っているみたいだった。
「どうせいつまでも寝ているんでしょう。それなら一生寝ていればいいのに。一生起きずに、一生ここに来なくていいのに。そしたら私がこんな思いをすることもないんだから」
誰も居なくなった境内に向かって、私は心の中を吐き出す。
「とっとと起きて、来なさいよ。紫」
――宴会の途中で私はあることに気が付いた。
気付きたくなかったし、知りたくもなかった。
だけど、どうしても認めざるを得ない事だった。どう考えても、そうとしか考えられない事だった。
それは、私が思っている以上に、私の心があいつに揺さぶられているという事だ。
「紫」
生ぬるい風が私の元に吹いてくる。
「紫」
月が明るく照らしている。
「紫」
届くはずのない言葉は、誰も居ない境内へと消えていく。
「紫」
認めてしまえば、それはもう簡単なことだった。何故あんなに酒ばかり飲んで、こんな風に酔っ払っているのか。楽しいはずの宴会を心の底から楽しめなかったのは何故なのか。
私の思った以上に、あいつは私の心に入り込んでいた。その事実を知ってしまった今、もう引き返すことなんてできなかった。
「紫・・・・・・」
あいつに会いたい。あいつの声が聞きたい。そう思ってしまったが最後だった。
あふれ出す感情を止めることなどできない。
明るく光る月がだんだんぼやけて見えてくる。
「・・・・・・くっ・・・・・・」
たかだか3ヶ月会わなかっただけで、こんな風になってしまう自分がおかしかった。おかしくて、笑い声を上げたいぐらいだったのに、そんなものは全然出てこなくって。
ああでも別に今なら構わないだろう。誰もいないのだから、意地を張る必要もない。
「紫」
意味のない呟きが、夜の風に乗ってどこかへ消えていく。
そうやって呼び続けていれば、もしかしたらひょっこり来てくれるかもしれない。そんならしくない事を思いながら。
「紫・・・・・・・」
そしてそのまま目を瞑る。頬に冷たいものが伝っていることに気が付いた。
目を開けたらあいつが側にいて、いつものように笑いかける。そうあるように願いながら。私は目を瞑る。
暖かい風が吹いた。春の風なんだと思った。
春だというのに、待ち人がやってくる気配はなかった。
「なあに?」
なつかしい声がした。夢の中で幻聴が聞こえてきたのだろうか。きっとそうだ。違いない。
どうやら私の心は、自分が思っているよりも深くあいつに囚われているらしい。
「あら、寝ちゃったの? 霊夢」
髪に手を置かれ、そのまま撫でられる。秋の終わりにそうしたように。感触まで蘇ってくるなんて、これは相当重症みたいだ。
けれども撫でられるのは嫌いじゃなかった。子ども扱いしないでといつも頬を膨らませてはいるが、言葉とは裏腹に、私はこの行為が嫌いじゃなかった。
私はそのまま夢の中に身をゆだねる。
「くすくす。お寝坊さんねえ」
寝坊はどっちよ。3月になったら来るって言ったくせに。心の中でそう呟く。
「泣いてたの? 霊夢」
うっさい。あんたの為に泣いていた訳じゃない。少し酒が目に染みただけだ。
「ごめんね、遅くなって」
紫が私を抱きしめる。そんな感触がした。
私は抵抗しなかった。
ほのかに桜の香りがした気がした。まだ咲いていないというのに。
「正月頑張って起きたせいかしらねえ。いつもこの時期には起きているんだけど」
感じるぬくもりがやけにリアルだった。お酒の飲みすぎで頭まで馬鹿になったみたいだ。
紫が今ここにいるわけがないのに。まるでそこにいるみたいに。
「霊夢、ねえ目を開けて」
夢の中の彼女にそう促される。嫌だな、まだここから目覚めたくない。
目を開けたらそこには誰もいないのだろうから。
「・・・・・・本当に寝ちゃったのかしら。しょうがないわねえ」
久しぶりに起きたのにね、と彼女は耳元で囁く。
そうだ。そのままがいい。このまま目が覚めなければいい。今だけはこうして体を預けていたい。
「さっきの涙はどこへ行ったのかしらね。どんな夢をみているのかしら」
頭を優しく撫でられる。今自分はどんな顔をしているのだろうか。かすかに笑っているんじゃないだろうか。
ああ、でもどうでもいいか。どうせこの場所には誰もいないのだから。
「幸せそうな顔しちゃって」
だんだんと意識が遠のいていくのがわかった。それも仕方のないことなのかもしれない。今日はほんの少し飲みすぎてしまったから。
「おやすみ、霊夢」
夢の中の人の声を聞きながら、私は深い眠りについた。
「ねちゃったか」
「そうみたいね」
「ったく、もうちょっと早く来てくれりゃよかったのに」
「しょうがないでしょ。正月に起きたこと自体イレギュラーだったんだから。ま、でもおかげで良いものが見れたわね」
「お前、もしかしてわざと」
「そんなわけないでしょう。偶然よ、偶然」
「その発言が胡散臭いぜ」
神社の境内に、巫女と、妖怪と、魔法使いがいた。巫女は妖怪の腕の中で、すうすうと寝息を立てて寝てしまっている。
「宴会は? 」
「まだ続いているぜ。表の方でな」
境内の奥からは賑やかな声が聞こえてくる。
やれ飲めや歌えや騒げやのドンちゃん騒ぎ。
それとはうって変わって、ここはとても静かだった。
「そういやここって神社の裏だものねえ。作りが同じだから見間違えちゃうわ」
「霊夢の奴、少し眠ってくるって消えたと思ったら、こんな所にいるなんてな。びっくりしたぜ」
「ふふっ、そうね」
妖怪は巫女の頭を撫でる。巫女はううん、と少し身じろぎをする。そんな姿を見て、妖怪は少し微笑む。
「起きたらなんて言おうかしらねえ」
「とりあえず謝っておけよ。遅れて来たことをさ。ああそうだ、スキマ妖怪」
魔法使いは帽子から四角くて黒い物を取り出す。真ん中に光る丸いものがついている。
それは天狗から借りてきた写真機だった。
「一枚いいか? 」
「お好きにどうぞ」
「へへっ、こりゃいいネタになるぜ」
カシャリ、と写真機が音を立てる。
魔法使いはにやりと笑い、それを見ていた妖怪は、やれやれ、とため息をつきながらも、どこか嬉しそうだった。
そして妖怪は顔を上げ、次の瞬間あ、と声を上げた。
「あら見て魔理沙」
「んあ? 何だ? 」
「ほらそこ」
「ああ」
妖怪が指をさしたその先には、桜の花がぽつり、ぽつりと咲いていた。
一分咲きにも満たないほどに。けれども確かに咲いていた。
「きれいだな」
「そうね」
「春だな」
「・・・・・・そうね」
「こっちの方も春みたいだしな」
魔法使いは小指を立てて、にひひと振り返る。
「あら、私をからかおうって言うの? 100倍返しにするわよ」
「おおそりゃ怖い。遠慮しておくぜ」
「とっとと行きなさい」
「はいはいわかってるって。邪魔者はとっとと消えますんで」
帽子を深くかぶり、魔法使いは神社の奥へと入っていく。
その姿を見送り、紫は腕の中で寝ている巫女に目を移す。
あの写真のことを知ったら、この子は一体どう思うのだろうか。いつものように意地張って、勝手なことするんじゃないと私を怒るだろうか。
それはそれで良いかもしれない。どんなに怒られても、殴られても。そんな風に紫は思う。
長い長い冬が過ぎて、ようやくこうして会えたのだから。
「春ねえ、霊夢。ほら見て、桜が咲いているわよ。今年最初のお花見を、貴方と過ごせて幸せだわ」
早咲きの桜の花びらが、静かに二人の元に舞う。
腕の中のぬくもりを確かに感じながら、紫は目を閉じた。
了
多分『完食』じゃないかと
本当に続きが来るとは。こういう霊夢も可愛いです。
>「桜のときのやるのね、花見」
「桜のときもやるのね、花見」かな?
スルスルと入ってくる素敵な文章でした
今度は二人が起きてる時の掛け合いを頼む
それにしても良いゆかれいむでした……
良きお二方で御座いました。
ゆかれいむは俺のロード