射命丸文なのである。
いや、突然の個人名に驚かれるのも至極もっともだ。何ゆえ彼女の名が出てきたのか、まずはそれを説明せねばなるまい。
幻想郷は狭いようで実は広い。あちらこちらへ行こうものなら日も暮れる。
そんな折に使いとして役に立つのが式神だ。命じれば思いのまま、朝出せば夕方バッチリなのである。
身内話で恐縮だが、我が式神の藍は非常に優秀である。結界の調査から今夜の晩御飯までソツなくこなす。
言うなれば私は、日々を寝て過ごし、時々咀嚼すればよいだけなのであった。
ただ一つ、問題もあり――。
ご存知かも知れないが、藍は高速で飛ぶ時、回転する。いや、ここでは敢えて自転と言わせてもらおう。
藍自身はそこまで質量を有しない。つまり、彼女自身は大した引力を持たないのだ。そのくせ自転速度は速い。
微弱な引力に強大な遠心力。これがどういう結果を生むか、聡明な諸氏は既にお気づきであろう。
そう、つまり――回っている内に衣服が脱げるのだ。
困った事に、彼女自身は出先に全裸で到着する事にはとんと無関心で居る。羞恥心のかけらもない。
一度問い詰めてみた事があるが、自分は本来狐であると言い張られた。野生に生きるものなれば、衣服の有無など問うべきにあらずとまで言い放ちやがった。
しかし流石に私が恥ずかしい。やれ八雲さんちの藍ちゃんは自然体だねだの、やれ梅干し食べてスッパウーマンだの、最早これは八雲一家の恥である。
かくして藍以外の素早く動ける式神の確保が急務と相成った訳であるが、鑑みるに我が八雲家の式神は狐、猫と陸上の生物ばかりである。つまり、これがよろしくない。
ならば鳥だ。空を舞う事に関してこれほど適したものがあろうか。その翼は疾風の如く風を切り、旋回滑空曲芸と何でもござれ。正に他の追随を許さぬのである。
なに? 羽虫? 羽虫はダメだ。鳥に食われる。更に言えばあまり使いたくない。
鳥でなお且つ素早いもの、これだ。つまり、射命丸文なのである。
「と言う訳で、出勤は明日からでよろしく」
日が落ちてとっぷりと暮れた頃。日がな一日取材に精を出して疲れて帰った天狗の前には、とても理不尽なヤツがいた。
何かすっごいニコニコしている。気持ちが悪い。とりあえずカメラを出して写真を撮ってみたら、割と高得点だった。
「それでは」
「待たんかい」
思わぬ点数にホクホクしながら入り口のドアを開けようとした文の目の前を、傘の先端が横切った。
ビィン、と大袈裟に震えて止まったその傘は玄関脇の樫にしっかりと刺さり、投げた者の純粋な強さを物語る。
頬に流れる冷や汗を感じながら、視線だけを右に動かしていくと、やっぱりニコニコしている紫の顔があった。
「何か不満かしら? 三食昼寝触手付きの高待遇よ?」
「最後のは要りません。と言うか……以前に動物虐待の現場を見てますし……」
語るまでもなかろう。藍を文字通り尻に敷く紫を取り扱った記事である。
いくら式によって速く動けようとも、扱いがアレでは話にならない。射命丸文は記者であり、即ち自由報道の徒なのである。
身体の自由を保障するという事はつまり大前提であり、それが成されない以上、如何なる条件も意味を成さなかった。
八雲紫は黙考する。式は主の命に従って動くもの。それが自由気ままに動かれたのでは打つ意味がない。
だがしかし、文を使うのは速さが欲しい時のみだ。普段は藍を使えば問題ないのではなかろうか。
いやいや、問題はそこではない。仮にもこの八雲紫の式ともあろうものが、あちらこちらでウロチョロされたのでは我が求心力に影響がだな……いや、別に藍も普段そこらでウロチョロしてるしな……そう言えば今日の晩御飯何かな……昨日はエビチャーハンだったな……今日は和風がいいな……。
「鮎の塩焼きなんてどうかしら?」
「買収ならもうちょっとマシな条件を出しませんか?」
一蹴されてしまった。買収……買収か。一般に買収と言えば金を積むのが定石だが、天狗においてはより確実な方法がある。
つまり――
「これから異変を起こそうと思うの。その密着取材権なら、どうでしょう?」
「喜んで」
とまぁ、こうなるわけである。異変の片棒を担いでおいてそれを記事にすると言うのはマッチポンプである気もしたが、文々。新聞にとって、部数の増加は真実の報道に次いで優先すべき案件なのである。
「じゃあ貴方に最初の仕事を与えるわ」
「出勤は明日からって言ってませんでしたっけ」
「最初の仕事は、そうね……私に相応しい二つ名を考えなさい」
「聞いちゃいないよこの子は」
ガックリである。きっと紫は、手に入れたばかりの玩具で遊びたい心境なのだろう。
しかし文はと言うと仕事から帰ってきたばかりである。五時なんてとっくに過ぎたアフターファイブが隙間妖怪のお相手なのである。ガックリと頭を垂れるのも已む無しなのである。
「大体、二つ名あるじゃないですか。『隙間に潜む妖怪』でしたか」
「だって、ねぇ? もうちょっと格好を付けたいじゃない? ホラ、藍だって『策士の九尾』だし、橙なんて『凶兆の黒猫』だしぃ」
「『幻想の境界』では不満なのですか?」
文の追及に、紫は肩を竦めた。両目を閉じたまま肩眉を上げて、ため息をつきながら首を左右に振る。
口が開いたなら「分かってないなァ」とでも言いそうだった。
――もちろん、言うまでもなく文には伝わっていたのだが。
「そんなのじゃ駄目よ。霊夢で例えるなら『博麗神社の巫女』って言ってるようなものじゃない。まんまよ、まんま。もっとほら、色々あるでしょう?
外の世界では『赤い彗星』なんて言われてる人も居るらしいですわ」
「あー、はいはい」
非常に面倒くさい。
疲れているのだ。適当に作ってしまえば終わるだろうか。
文は顎に手を当てて考え込む振りをしてみた。妙案など思いつく訳もない。
隠れた二つ名「割と困ったちゃん」が正にビンゴだろう、などとも思うが口にはできない。
頭の帽子から足元の靴までをマジマジと眺める。
「そうですね……貴方はお召し物が紫色ですし……」
――瞬間、文の背筋に稲妻が走った。
閃いた。
これほど彼女に合う二つ名もそうはあるまい。正に彼女を象徴する言葉であろう。
改心の出来だ。天狗として、胸を張って誇れる初仕事の結果だ。
目を輝かせて振り向く。
「『紫ババア』――と言うのはいかがでしょう」
――五秒後、文さんは宇宙空間を漂っていました――。
わぁ、青い星が見えるよ!
地球って、本当に丸かったのね!
――いやいや、ちょっと待ってほしい。
何? ここ何? 空気ないんですけど。息できないんですけど。
あんにゃろうめ、いくら隙間使いとは言え、やっていい事と悪い事があるぞ。
隙間を抜けると、そこは宇宙空間だった――なんて文学作品があったような、なかったような。
空気がないという事は、つまり風を操る文にとっては致命的とも言えた。
如何に幻想郷最強クラスの能力を持つとは言え、その能力を生かせないのでは話にならない。
情けない。文は下唇を噛んだ。
たかだか場所が変わったくらいで、自分は無力になるのだ。
恐らく自分はこのまま生命活動を停止し、どこへとも知れず宇宙空間を漂うのだろう。
私の死は認知すらされず、やがて忘れられ、存在そのものが死ぬのだ。私が無力なばっかりに。
――無力? 私が?
自らの言葉を反芻する。卑しくも天狗のこの私が、無力?
嘗めないで頂きたい。私は風を操る天狗、その中でも烏天狗の射命丸文である。
宇宙空間には空気がないから風が起こせない? 馬鹿な。風を操る能力とはその程度のものではない。
我が体内に渦巻く凡そ八メートルにも及ぼうかと言う大・小腸は、今や怨嗟にも似た唸り声を上げている。
そう、風ならここにある――。
轟音が、聞こえた。
岩が崩れたり堤防が決壊したりする音ではない。聞き慣れないくぐもった音が、遥か頭上から聞こえてきた。
傘をチラリと翳して空を見上げる。暗い夜空を彩る星の瞬きの中に、一際明るい星があった。
見る見る近づいてくるそれは赤い煌きを身に纏い、恐ろしいスピードで紫の前の地面に激突した。
熱風と衝撃が周囲の木々を薙ぎ払う。幹が軋む音が、まるで合奏のように木霊した。
立ち込む煙の中、「未確認落下物体」はゆらりと立ち上がる。
心なしか、口元は笑っているように見受けられた。
その口が、ゆっくりと開かれる。
「今のが新スペル『バーニング幻想風靡』です」
「バーニング、ねぇ……一体何が燃えていたのかしら?」
「……まぁ、それはそれとして、危うく死ぬところでした」
「そうね、言葉には気をつけなさい」
パンパンと服を叩いて煤を落とす文を見て、紫はため息を吐いた。
親指と人差し指で自分の服の肩辺りを摘んでみる。確かに襟元以外はほぼ紫一色だ。だがこれは自分の名を表す色であり、言わばパーソナルカラーなのだ。
そもそも、紫とは高貴な者のみに許された色である。聖徳太子が制定した冠位十二階においては上位二つの大徳・小徳が共に紫色の冠をその頭に頂いたものだし、紫衣と呼ばれる紫色の法衣も高位・高徳の僧にのみ着用が許された。また、天皇という称号の起源として有力な北極星も、その光芒は紫色とされているのだ。故に天皇家は紫色を象徴とする。
しかし――改めて見てみると、なるほど、確かに少々ババくさい。紫一色のこの服では、落ち着いた物腰よりはむしろ曲がりきった御腰を感じさせるであろう。
いや、偶には己を振り返ってみるものである。
「私も紫ババアなどと言われないよう、偶には違う服を着てみようかしら」
「いやいや」
最後の煤を払い終わり、文は両手を腰に当てた。
鼻で軽くせせら笑って一言。
「ババアは何色着てもババアですから」
――五秒後、文さんは再び宇宙空間を漂っていました――。
わぁ星青い地球丸いそんな事はどうでもいい。
死ぬ。このままでは死んでしまう。
だがここから生還できる事は歴史が証明済み。三、二、一、発進!
その空間仕様とも呼ぶべき文は、日々の合間にせっせと溜め込んだ気体の放出による反作用で風を起こし――いや、最早言葉は選ぶまい。
彼女は自身の放屁により宇宙を飛んでいた。
時に風神録の少し手前。人類の悲願たる宇宙旅行は一つの到達点に達した。
パチュリー謹製の三段ロケットに先駆けて初めて宇宙に泳いだ幻想郷の生物は、あろう事かメタンガスを主燃料としたのだ。正に全人類が悲壮天である。
ゆっくりと大気圏突入コースに入るにつれ、彼女の体は煌きに包まれていく。彼女の発したガスが、どういう原理によるものか彼女の体を包み、大気との摩擦で発火しているのだ。
これがバーニング幻想風靡、またの名をブイ・マックスである。ブイは擬音語である。
深い宇宙から青い地球に落下する赤い彼女は流星のように輝いていた。
グローバルに英語で言うならば、シー イズ ブリリアント。彼女はブリリーアントワネットである。ただし屁は尻から出る。
あまりしつこくすると彼女がプリプリ怒るのでやめておく。
二つ目のクレーターを作って着地した文を待ち受けていたのは、右手でコツンと頭を叩きながら片目を瞑って舌を出した紫と、その主の様子に不満気な藍の姿だった。
一つ目のクレーターを作った時の轟音に驚いて、文字通り飛んできたらしい。そこで紫の姿を見つけて、詳細を知るに至ったのだと言う。
「紫様、私では不満ですか? 私に不備がありましたか?」
「だって、ねぇ」
紫は困ったように笑いながら文を見る。
気持ちは分かるが、紫のした事は藍に対する裏切りとも言えた。故に、文は黙って首を振る。
紫が文に同意を求めたのも気に入らなかったのか、藍は文にも厳しい目を向けた。
「大体貴女も貴女だ。お山の天狗ともあろうものが、そんなに簡単に式になっていいの?」
「いや、あなたも、九尾の狐と言ったらそれなりのものでしょうに」
「御託はいいの。人の仕事を取らないで」
そして思い出したように言う。
「そもそもおならで発進するのも狐の役目よ。それが何? 貴女は烏だろう」
「はいはい、そこまでよ藍」
尚もいきり立つ藍の尻尾を引っ張る。紫は畳んでいた傘を、パッと開いた。
不満はまだまだ残っていたが、主に命じられては仕方ない。藍は憤懣やるかたない様子だったが渋々と口を噤んだ。
「私が悪かったわ、藍。もう他の式なんて打たない。約束するわ。これでいいでしょう?」
「はぁ……でしたら構いませんが……」
「ほらほら、仲直り。ね? 申し訳ないのだけれど、そこの新聞記者さん」
藍の腕を抱き寄せて、紫は文を呼んだ。
「仲直りの写真を撮ってもらえるかしら? 八雲家の結束が固まった様子を、新聞に載せて欲しいのよ」
「雨降って地固まる、ですね。分かりました」
懐から銀塩のカメラを取り出す。使い込まれた黒いボディが光を弾いた。
「紫さん、もうちょい離れて……はい、じゃあ撮りますよー。ひとよひとよにひとみごろって、ルートいくつー?」
「にー」
暗い夜の終わりを告げる、雲の切れ間から差し込む曙光が、まるで祝福するかのように二人を照らし出していた。
カシャッ、と乾いた音が、無邪気に笑う主と僅かにはにかむ従者を切り取った。
フィルムに収めた後も、文は暫く、その微笑ましい様子を心に焼き付けているのだった。
――翌日。
藍のヌード写真が文々。新聞の一面を飾った。
あと、射『命』丸文ではなく射『名』丸文が多数見受けられたので、修正お願いします。
>シー イズ ブリリアント
吹いたwww
しかしなんだこの語り口はw 癖になるwww
でも最初は紫の一人称であり、しばらく三人称となって最後には文よりになっていくのに、しかし一貫した語り口というのは少し混乱しました。
そしてブリリアントは吹いたwwwwww
よくぞ四つの難題を解いてくれた!
大切な事をおしえてくれる作品でした。
それとスッパウーマンとか面白かったです。
回転して飛ぶから服が脱げるとかどれだけの回転速度なんでしょう?
そして翌日の文々。新聞を是非とも読みたいと思いました。
面白かったです。
これはひどい。だがよくやった
しかもこのクオリティときたらw
オナラで発進する狐ってゾロリ?ナツカシスwww
ひどいがよくやったw
おつかれさまww
ここをぜひ詳しく!!
ラストまでぶっ飛んでて面白かったです!
ここで大笑いしたよ。すんごく笑った。
でも口直しが欲しいんだ。
切抜きでいいから写真ください。
よくやったwww
思ったより好評のようで、作者冥利につきます。
>2氏
誤字指摘感謝です。修正致しました。
IMEが死んだ時にめんどくさがらず修復すればよかったorz
少々下品だけど、面白かったです。
文の新スペル、かっこよさそうで、かっこ悪いw
あと藍さまのヌード写真焼き増しお願いします
最高にくだらなくて面白いじゃないか
期待の斜め上を行きやがったwww
因みに、新聞は一人何部まで刷れます?
ポケモンスナップかデッドライジングかはたまたもっと違うネタか……
もう高密度すぎるネタの応酬にワタクシの腹筋が秋頃の田んぼ状態なのですがどうしませう。
個人的にガンダ○さんネタもさることながら、ルートにーで完全にやられましたw
いや、怒涛のネタラッシュ、素晴らしい