Coolier - 新生・東方創想話

妹紅とフランとレミリアと

2009/04/11 18:30:17
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※このお話は作品集72「妹紅とフランとあんこと服と」の続編ちっくなものとなっています。
が、前作を読んでいなくても特に問題ありません。だってにんげんだもの。
















気の遠くなるような猛暑も山場が近づき、十二分に不快と言える暑さの続く七月下旬。
珍しく庭園に姿を見せた紅魔館主、レミリアは脇に完全で瀟洒なメイド長を脇に従え優雅なひと時を満喫していた。
わけでもなかった。

「お嬢様、茶菓の御用意が」
「……ご苦労様、咲夜」

自分の脇に立ち日傘を差す咲夜に視線をやり、続けてレミリアは手に握られていた一冊の紙に目を落とす。

《幻想郷の威厳溢れる有名人BEST10》

などとふざけた題名と共に、文面にはレミリアも良く知る様々な人物が名を連ねていた。
西行寺のお嬢様だとか、どこぞのスキマ妖怪だとか、永遠のお姫様だとか。
それはいい。というかそれは別にどうでもいい。問題は此処に書かれている「自分の」名前だ。
博麗霊夢、八坂神奈子、四季映姫・サマザナドゥ、八雲紫、西行寺幽々子、八意永琳、八雲藍、蓬莱山輝夜、藤原妹紅。
その九名の名を過ぎ去った最後尾に、ようやく見つける「レミリア・スカーレット」の文字。
一体これはどういうことなのか。恐怖の体現とも謳われたこのレミリア・スカーレットとあろう者が。
めきり、と自然と手に力が篭る。冗談じゃない。これは何かの陰謀だ。
とにかく、この新聞の製作者を此処へ連行する必要がありそうだ。今すぐに。

「お嬢様、新しい紅茶の御用意が」
「……ご苦労様」

前言撤回。鴉天狗への折檻はとりあえず後回しにしておこう。





紅魔館の主レミリア・スカーレットの至極の時間。
それがこの、一日数十分のティータイム。完璧な従者の淹れる完璧な紅茶の香りと味を、余す事無く存分に味わうという彼女にとって最高の時間。
そう、この優雅で甘美な時間は、決して何者にも邪魔されることが無い。レミリアにとっては有害以外の何物でもない筈の日光でさえ、こうして紅茶の味を嗜む時には心地よく感じる。もちろん、咲夜の日傘の下で飲む紅茶では、という意味だけど。
夜行性の吸血鬼である彼女には、日光の元様々な花の咲き乱れる庭園でのティータイムは中々に新鮮なもの。
こんな機会を与えてくれた、と言っても過言ではない"あの人間"に、少しは感謝すべきかしら?
しかし、私の威厳が衰えつつあるのはかなり問題だわ。何か問題なり原因なりがあるはず。考えるのよレミリア。心当たりなり何なり――









「ひっさぁ――っつ!!」

ゴシャァアアアアアッ!!!!!
とレミリアの後方、気持ち良く上がった爆音と星にも似た弾幕と弾幕。
そして跳ね上がった多量の土砂を突き破り、天高く打ち上がる二対の紅色の光。
口に泥が入ったのか、ペッと唾を吐いて悪態を付くその姿は、以前の紅魔館では見慣れなかったであろう少女。
太陽に映える白く長い髪と、その髪と対照的な赤色のもんぺとリボン、二つの瞳。
背に轟々と燃える火炎の翼は彼女の力に呼応するようにより一層燃え盛り、既にその大きさは三メートルを軽く超えていた。
少女は、名を藤原妹紅。死んでも死なない不老不死。死んでも死なない意味が分からん。

「妹紅、大丈夫ー?」

口の中の土を吐き出す妹紅にハンカチを差し出した少女。そのハンカチを素直に受取り、妹紅は乱暴に顔をハンカチで拭った。






人間、藤原妹紅が紅魔館に訪れたのは、夏の始まりである七月の上旬。
レミリアの妹、フランドールの余りに大きく、制御することのできない危険な力と長い時を地下牢に幽閉された故の狂気。
そんな彼女には、やはり友人と呼べる存在は一人としていなかった。
博麗の巫女や魔法使いとは一応の面識はある。が、友人と呼べるほど深い付き合いをしているわけではない。
フランにせめて遊び相手がいれば。少しでも彼女の心を開いてくれる友人がいれば。
そうしてフランの遊び相手兼世話人として紅魔館に招かれたのが、他でもない藤原妹紅だった。
妹紅が紅魔館に来てからどう環境に変化があったのか。それはわざわざ説明する必要も無いだろう。





「ありがとね、フラン。さあ、もういっちょだ」
「うん」

妹紅の言葉に元気良く頷いた少女は、妹紅と同じく以前の紅魔館では中々に姿を見せなかったレミリアの実妹、フランドール・スカーレット。
金色の髪に妹紅よりも少し明るい赤の瞳、そして彼女が「人以外である」と体現している水晶にも見紛う羽。

「いい加減二人ともしつこいぜ」

八卦炉と箒を手に苦笑する白黒の魔法使い……霧雨魔理沙は、自分を見下ろし笑みを浮かべる二人に向けて言葉を投げ掛ける。
その隣に立ち、土煙に咽るもう一人の魔法使いアリス・マーガトロイド。
この場にフランがいることを除けば、いつぞやの肝試しの時と同じ光景。そして今の紅魔館には極々自然、見慣れた光景だ。


紅魔館の大図書館、そこに住まう魔法使いパチュリー・ノーレッジが編み出した「日除け」の魔法。
デメリットも多いこの術により、フランは様々な制限はあれど、太陽の元で遊び回ることができるようになっていた。

「そう言われてもねぇ、コソ泥を野放しにしても御利益なんてないし」
「ねえ、もっとやろうよ」
「アリス、あいつらあんなこと言ってるぜ」
「げほっ……え? 何か言った?」

事の発端は二週間ほど前。
フランの世話人として紅魔館にしばらく滞在することになった妹紅は、パチュリーに頼み込んで、フランに外で遊べるよう魔法を施してもらうことにした。
勿論単純ではないし未完成であるこの魔法。パチュリーは魔法を使うことをかなり渋ったが、結局のところ「三日に一度」という点で妥協している。
それからフランがわんわん泣き出してしまったりレミリアが同じことを頼もうとして二つ返事で断られたり美鈴が昼寝していたり二転三転して、以下略。

「こう毎回凄いアトラクションだと身が持たないぜ」
「だったら正式に客として来ることだね。そうすれば私たちも気楽に弾幕ごっこが楽しめる」
「物凄く嘘臭いぜ」
「ああ、嘘。よく分かったね」
「はっはっは」
「はっはっは」





――。





「お嬢様、放っておいて構わないので?」

先程より一層激しさを増した弾幕ごっこに頬を引き攣らせつつ、咲夜は時折飛んでくる泥だの弾幕だのを傘で軽く弾き飛ばす。
その度に日に晒されジュー、とレミリアの頭から黒い煙が上がったり上がらなかったりしているのだが、当のレミリアは気にもしない様子で紅茶を口に運ぶ。

「今は何の時間なのかしら、咲夜?」
「ですが――……いえ、失礼しました。お嬢様」

そう。今はティータイム。
この至極の時間は、如何なる者も立ち入ることなど許さない。例え自分の頭から何かが焦げる臭いがしてきたとしても、そんなことは関係が無い。
そう、これは神聖なものなのだ。例え自分の後方十数メートルで激しい弾幕戦が行われていようとも、そんなことはまったく関係が無い。

「ぅわっ!?」
「きゃっ!?」

程無く空中から「日除け」により力を制限されているフランとそもそも力押し三人に対して見劣りするアリスの二人が弾き出される。
残された二人、泥土塗れで不敵な笑みを浮かべる妹紅と煤で薄汚れ八卦炉を構える魔理沙は更なるスペルを取り出す。
此処までは、いつも通りの筋書き。
マックスの力を発揮できないフランではどうしても長時間、弾幕ごっこを続けることはできない。
そもそも力押しの弾幕を得意としないアリスでは、他の三人に対してはどうしても見劣りしてしまう。
故にこの2対2なのか1対1対1対1なのか分からない弾幕戦は、ほぼ確実に最後はこの二人がぶつかり合う。
そして必ず、

「さあ、これで終わらせるぜ! 私のとっておき!!!」
「望むところ、不死の山と永遠の炎、その身に刻みつけるがいい!!」









魔砲「ファイナルスパーク」
          蓬莱「凱風快晴 -フジヤマヴォルケイノ-」










巨大な光の塊と無数の使い魔、炎の怒涛が空中で織り交ざり、歪な球体を構成しながら空中でどんどん膨らんでゆく。
互いのスペルの力が飲み飲まれ、辺りに嵐もさながらの烈風が吹き荒れる。
その力の鬩ぎ合いに渋い顔になった妹紅と魔理沙の目の前で、その力の鬩ぎ合いは唐突に収縮し、


大爆発を起こした。







大地を揺らし、空気を震わす巨大な衝撃と光、そして爆音が一瞬にして妹紅と魔理沙の二人を呑み込む。
尻餅をついたままのアリスと爛々と目を輝かせるフランの見る前で、その爆炎を突き破り二つの影が、それぞれ外壁と屋敷の壁に激突し、止まった。

「つつ……くっそー、また負けたー!!」
「うわあ、血すごいいっぱい出てる」
「な、なかなかやばかったぜ。だがパワーで私に勝つのは100年早いな」
「100年どころか、10日でマスタースパークを破られたのに良く言うわ」

頭からモロに突っ込み、どくどくと血を垂れ流して地団駄を踏む妹紅に、壁に激突する寸前に箒で制動を掛けた魔理沙が不敵な笑みを浮かべる。
めり込んだ身体を壁から引き抜き、妹紅は遥か遠方、結局屋敷の中に入って行ってしまった魔理沙とアリスの二人を見送る。


実のところ、妹紅とフランは今まで一度も魔理沙・アリスの魔法使いコンビの侵入を防いだことが無い。
交戦回数は今のところ6度。その全てが、先と同じような力と力のぶつかり合いという展開に終始している。

そして必ず、魔理沙が勝つ。

理由は単純明快だ。魔理沙のスペルの方が、妹紅のスペルより威力がある。それ以上でも、以下でもない。

「マスタースパーク対策を完璧にしたと思ったら「ファイナルスパーク」だってさ」
「綺麗だったねー」
「あー、うん、そうだね。うん。滅茶苦茶痛かったけど」

マスパをパゼストバイフェニックスで破ったと思ったらビームを回転させて来やがりましたの巻。
まあ、たかだかお遊びの弾幕ごっこだ。気楽にあのスペルを破る方法を考えればいいだけ。

「さって、今日も負けたしご飯でも食べようかな」
「妹紅、咲夜と一緒にサンドイッチ作ったから食べよー」
「おっ、気が利くね。フランの手作りか」

がさがさとバスケットからサンドイッチの包みを取り出したフランに、妹紅は子供のような気持の良い笑顔を浮かべる。
無茶苦茶になった庭園はどのみち暇にしている門番が片すだろう。門番頑張れ、超頑張れ。






「……咲夜、私の言いたいことは分かるわね」
「はい、お嬢様」
「じゃあ、早いところあの二人をふんじばってここに連れてきなさい。後あの二人の夕食は作らなくて良いわ」
「畏まりました」
「それと、分かっているとは思うのだけど」
「はい、お嬢様」
「いつまでもそうやって傘を盾代わりに構えていると、死ぬわよ。私が」




――。



「あー……成程、ええ。全て理解したわ」

心当たりありすぎた。
タオルで自分の体を拭くというなんとも味気無いバスタイムで泥を落とし、レミリアは替えの服に袖を通す。
つまり、自分のカリスマの低下は間違いなくあの人間のせいだったというわけだ。
感謝なんかしてやらねえ、ちくしょう。ふざけんじゃねえ。
しかもどうしてこの自分よりも、外で門番の美鈴を加えた三人でサンドイッチを頬張っている妹紅の方がランクが上なのか。
妹紅は確かに強者に分類されるし、「可愛い」「綺麗」というよりは「格好いい」少女だ。それなりに人気者であるのは分かる。が。

「カリスマと言えば私の代名詞であるはず……それがどうして!!」
「それは私の方から説明しましょう!!」

窓の外を睨んで声を張り上げた途端、突如その隣、自分のベッド脇の窓をカーテンごと突き破って突入してきた妙な少女。
その、黒い髪に妙ちくりんな毛玉にも似た髪飾りを付け、肩にカラスを乗っけた少女は自信に満ち溢れた表情でカツカツと自分に歩み寄る。なんだコイツ。

「おや、覚えてませんか? 私ですよ、私。新聞屋の」
「……ああ」

自ら新聞屋、と名乗る少女の言葉に、レミリアはようやく比較的新しい少女の記憶を引っ張り出した。
射命丸文。足が速くて口が軽い鴉天狗。レミリアの彼女に対する記憶はこんなところだった。
そういえば、紅霧異変がどうのって随分と付き纏われた時期があったような気もするわね。どの世の中でも新聞記者ってやつは全く。

「それで? そういえばこの記事はあなたのものね。どういうことなのかしら」
「ど、どういうことと言われてもですね」

返答次第ではこんがりと美味しい焼き鳥が完成するだろう。
やる気というか殺る気を欠片も隠そうとしないレミリアに冷や汗交じりの笑顔で応え、文は腰から小さな手帳を取り出した。

「このランキング、実のことを言うと「カリスマランキング」などと銘打っていますが、実質幻想郷での「知名度」を示していると言っても過言ではないのです」
「……知名度、ですって?」

少々意外な文の言葉に、レミリアは目を細めて記事に目を通す。
成程、確かに第九位の妹紅へのコメントには、人里の者からのお礼が八割を占めていた。
八坂神奈子の一位はその神格もあるだろうが、恐らく妖怪の山や人里で必死に信仰を集めている(らしい)巫女などからによるものなのだろう。

「……待って頂戴、ならあのー……人里の守護者はどうしてランクに入っていないのかしら?」
「ああ、慧音さんですね」

そう、人里の守護者上白沢慧音。
人里を護り、寺子屋で子供たちに勉強を教える(らしい)。そんな老若男女問わず誰からも愛される存在(だそうだ)。

「慧音さん、お断りになったんですよ。恥ずかしいからよしてくれ、って。
厳正なアンケートなのでそうわけにもいかなかったのですが、流石に記事の歴史を隠されるのも堪らないので」
「……ちなみに、どれくらいの得票率だったのかしら」
「順位でいうと七位、ですね」
「あっそ」

また上位か。なんなんだちくしょう。



「妹紅、あーん」
「あーん」
「めーりんも、あーん」
「あーん」
「んふふ~、美味しー?」
「うん、美味しい。流石フランだね」
「妹様からサンドイッチをいただける日が来るとは感激ですよー」
「あら。私もお昼、ご一緒させてもらって構わないかしら?」
「あ、咲夜」
「もちろんさ。食事は多い方が楽しいからね」
「おっ、いいところに。咲夜ー、私たちにも何か食わせてくれ」
「ちょっと、魔理沙あんたね」
「……太陽が眩しいわ」






ああ、外の喧騒が痛い。
こめかみを押さえながら、レミリアは文の方に向き直る。
みっともないことは百も承知だが、ここは背に腹は換えられない。

「……射命丸文、だったわね」
「文で結構です」
「文、私の……レミリア・スカーレットの最大の敗因は、あなたは何だと考える?」

レミリアの言葉に、文は「ふむ」と呟き再び手帳へと目を通す。
しばしの沈黙の末、文は一つの結論に辿り着いた。

「外に出なさすぎなんでしょうね。
吸血鬼だから無理もありませんが、逆を言えば幻想郷の人妖たちの恐怖の体現である吸血鬼だからこそ、定期的にはその姿を見せ付けておく必要があるのです。
現に、定期的に人里へ顔を出す八雲藍さんや蓬莱山輝夜さんはそれなりに有名ですし、外に出て顔を見せることは最重要でしょう」

外に出て顔を見せる。
確かにここ最近、館の外に出ることもご無沙汰になっている。
別に好きで引きこもってるわけではないのだが、それでも吸血鬼にとって日の出ている時間外に出ることはあまり宜しくないことだし、夜に外へ出ても有名もへったくれもない。
外に出ることはまず脇へ置いておこう。他に合理的に、そう。合理的に幻想郷へ名を売る方法は――

「……そう、なんだ。簡単だったじゃない」

考えてみれば、数秒で解は導かれた。
自分にはあるではないか。過去、そうして幻想郷全体に自身の名を知らしめたことが。
何を思いついたんですか? と興味津々な様子の文に、レミリアは口元に浮かぶ笑みを隠しもせずに呟いた。

「異変よ」








「そーれ、行くぜ! うなれ私の左足!!」
「いいから早く蹴りな」

カパーン、と小気味良い音と共に舞う蜜柑の缶詰め、その空き缶。
その音と共に一斉に逃げる一同を眺めながら、苦笑しつつも蹴り飛ばされた缶を妹紅が追う。
缶蹴り。鬼を決め、缶を蹴り飛ばしてその間に隠れるという遊戯だ。ちなみに、鬼が複数であったりするタイプの缶蹴りもあるらしい。
蜜柑の空き缶を拾い最初の位置へと置き直した妹紅は(パチュリーが魔法をかけたお陰で、あれほど強く蹴られても傷一つなかった。びっくりだ)、辺りを見回して程無く、近くの茂みに揺れる宝石のような羽根を見つけた。

「フラン見っけ。ポコペン」
「えー」

頬を膨らませて茂みから這い出したフランに、妹紅は指で頬を掻く。

「真面目に隠れなって。羽根が丸見え」
「妹紅、私探す方が得意」
「ほんとー?」
「ほんとほんと」
「じゃあ一緒に探すかー」
「うん」

服に付着した青葉を叩き落として、フランは妹紅にニッコリと笑いかける。
そんなに鬼をやりたかったのかね、と苦笑しつつ、片足を空き缶の上へ乗せた。
と、

「妹紅」
「んー? なんだ、珍しいね。あんたもやる? 缶蹴り」
「やらないわ」

日傘を片手に気だるそうな顔をこちらに向けるレミリアに、妹紅は頭を掻いて空き缶から足を下ろす。
レミリアの方も、普段ならば咲夜に持たせているはずの傘を肩に乗せ妹紅の方へ歩み寄った。

「少し話せないかしら、妹紅」
「ん? ああ、いいよ。フラン、私の代わりに鬼よろしくね」
「……うん」

場所を変えるわよ、と宙へと浮いたレミリアに続き、妹紅も背に炎の翼を生み出し、飛ぶ。
つまらなさそうに自分を一瞥したレミリアは、空中でほんの少し力を込めるや否や、一瞬の後には拳銃の弾丸よろしく凄まじい速度で空中へと身を打ち出した。
もう一度頭を掻いてあの傘の強度を真剣に考えてみた妹紅だったが、結局答えは出なかったのでレミリアの後ろ姿に続いて空へと飛び上がった。

瞬く間に空の点となった二人の後ろ姿を見、フランは目を細めて右手の指を地面の空き缶へと向ける。
途端にめきょ、と音を立てて歪んだ空き缶には目もくれず、フランは踵を返して館へ続く道を歩き始めた。
パチュリーの防護魔法の施された空き缶は、乾いた地面の上で音も無く弾けた。







「どこに行くんだー?」

眼下の風景が流れるように過ぎるのを楽しむ妹紅は、自分の少し先を悠々と飛ぶレミリアへと声を張り上げた。
二人ともそれなりに速い速度で飛行しているために風の音が凄まじいのだが、それでもレミリアには聞こえたらしい。ちら、と妹紅の姿を視野に入れ呟いた。

「喋れる程度には余裕があるのね、もう少し飛ばそうかしら」
「勘弁勘弁、日除け魔法も掛かってない吸血鬼に人間が追いつける訳――っておーい」

妹紅の言葉の途中で更に加速したレミリアは、妹紅を置いて加速を続け行く。
どんどん小さくなるレミリアの後ろ姿に、苦笑しつつも妹紅もギアを上げた。もっとも、自分は既にトップスピード近くを出し続けているため加速しろというのも無茶なものなのだが。
なんとかレミリアの横まで追いつき(ここでようやく日傘に風除けの魔法が掛っていることに気付いた。紫もやしめ覚えてろ)、轟々と燃える背の翼を我ながらうざったく思いながらももう一度声を張り上げる。

「だからどこに行くんだって!」
「私、考えてみたのよ」
「?」
「如何にすれば紅魔の名を幻想郷に知らしめることができるのか」

突然口を開いて話し出したレミリアに、妹紅は「はあ」と答えるしかない。
紅魔、要するにレミリアとフラン(或いは吸血鬼そのものか?)のことだろう。その名を幻想郷に知らしめる。
何を言っているのだろう。既に紅魔館と言えば幻想郷で知らぬ者はほとんどいないほど有名であるはずだ。少なくとも妹紅が見て来た幻想郷の中ではそうだった。
妹紅の思考を読んでいるのかいないのか、レミリアは彼方まで続く幻想郷の景色を眺めながら、傘をクルクルと回す。

「此処最近、どうやら吸血鬼は相当に舐められているようね。まさか天狗如きにまで愚弄されるとは思わなかったわ。「幻想郷の威厳溢れる有名人」ですって」

貴方もランクインしてたわよ? と笑うレミリアに渋い顔になった妹紅。
今二つほどレミリアの言いたいことは分からないが、要するに吸血鬼の今の地位が不満なのだろうか。

「別に幻想郷の頂点に立とうなんて思わないけど、少し頭に来たわ。それで思いついた。私の、レミリア・スカーレットの名を広める簡単な方法を」

此処に来て、ようやくレミリアは目一杯に広げていた翼を畳み、速度を唐突に落とす。
突然の急ブレーキに思い切りレミリアを追い越した妹紅は、彼女から数十メートルも行き過ぎた場所でようやく止まる。

「簡単な話だったわ――それは異変。とびきりのね」
「異変……? またあの霧の異変を起こすつもり? あんまりお勧めできないね、今度は私もとばっちり食らいそうだし」
「降りるわよ」

また勝手に動く。いい加減頭を抱えたくなった妹紅は、しかしレミリアに続いて高度をゆっくりと下げていく。
降りるといっても、此処に何があると言うのか。位置的に言うと迷いの竹林と博麗神社の中間、妖怪の道あたりか。

「なー、どこ行くん――「八目鰻を食べるのよ」――え? ヤツメ?」

八目鰻、の言葉に目を子供のように輝かせる妹紅に、レミリアは微笑んで傘を妹紅へ突き出した。

「?」
「あなたはお供よ。今日は私に存分に付き合ってもらうから」
「……こりゃ一本取られたね。差し詰め異変は二の次で酒飲みたいだけじゃないのかい」
「異変については七割方本気よ。まだ何をするかは決めてないけど」
「ほらみろ」

レミリアの傘を受取り、彼女に日の光が当たらないようにエスコートする。
元々木々の生い茂る妖怪の道故に傘はそれほど必要ないのだが、木漏れ日程度でもレミリアのような吸血鬼にとっては害でしかないのだ。

「そういえば、あなたと二人で話をする機会、今まで無かったわね」
「そういやー……そうだね。もうすぐ屋敷生活も一か月なのに不思議なもんだね」
「ずっとフランにかかりっきりだものね。感謝しているわ」
「はっは……慣れれば楽なもんだ。むしろ妹ができたみたいだね」

それも二人、とレミリアの頭を帽子越しにわしわしと撫でる妹紅に渋い顔になったレミリアは、その手を払い除けて帽子の角度を直す。
カラカラと笑う妹紅に、不思議と悪い気はしなかった。


妹紅は不思議な人間だ。レミリアはここ数週間の生活を経て、彼女に対してそう思うようになっていた。
人を惹きつける魅力も、相手の細かいところに気を利かせる配慮も持っているわけでもない。
だが彼女は、決して相手を「上下」で見ることが無いのだ。
目上の者、格下の者、年齢の上下であったり地位の上下であったり、実力であったり種族であったり。
彼女はそれら全てを全く気にもしない。言うならば個々の埋めようのない「差」を、悠々と土足で踏み超えてみせる。
「不老不死」である彼女にとって、ありとあらゆる差は実に滑稽なものに見えるのだろう。恐らく彼女は、自分の言う「吸血鬼の誇り」など欠片も分かっていない。


「異変なんて、無駄だと思うけどねぇ」
「人里でビラを撒くよりは余程マシよ」
「人里でビラを撒くほうが余程建設的だね」

一瞬の沈黙。
じゃあ、あなたはどう思うのよ? と横目で睨むレミリアに、妹紅は傘を持っていない方の手を顎に添えた。
要するにレミリアは、「自分がカリスマ溢れる吸血鬼だということを幻想郷中に知らしめたい」と。
全く持って度し難いね。理解に苦しむ。そもそも有名になってどうするつもりなのだろう。年貢でも納めさせる気なのか。
うーん、としばらく思慮に耽り、やがて思いついた。

「パーティでもやればいいじゃないか。今は夏だからそうだね……紅魔館主催の花火大会なんてどうだい?
パチュリーの魔法と私の妖術、きっと面白いことになると思うよ」
「花火、大会……」

なかなか、いい意見だ。紅魔館の名を売り、且つ幻想郷全体へ好印象を与えることができる。
花火……うん、花火。夜空に咲く大輪の花を眺めながらの晩餐会。これはいける。

「悪くないわ、流石は私の従者ね」
「……ああ、今の私はそういう位置付けか」

満面の笑みを浮かべるレミリアの脇で溜息を吐く妹紅、二人がゆるりと道を往く背では、西の山々へと太陽が沈みかけていた。





「あ!」
「あ、妹紅さんだ」
「もこーなのかー」
「いよっ! もこたん!!」
「もこたん言うな。元気そうだなみんなー」

「やつめ」と筆で描かれた提灯を吊るす屋台の前に屯していた幾人かの人妖たちが、妹紅の姿を見てこちらへ駆け寄ってくる。
片手を上げて応える妹紅に首を傾げ、レミリアは彼女の手から日傘を受け取った。

「もこ! 勝負よ!!」
「もこ「う」ね。なんだチルノ、今日は大妖精と一緒じゃないのかい?」
「んっとね! 風邪引いて寝込んでる!!」
「妖精も風邪引くんだ」
「引くわね、チルノが寝込んでるのは見た事無いけど」
「氷の妖精が風邪って相当間抜けじゃないかなあ……」
「そーなのか」

呆然とするレミリアを余所に妖怪たちと談笑する妹紅の袖を、ぐいぐいと水色の髪の妖精――水晶のような羽根を持った少女が問う。

「もこ、こいつ誰? しんざん?」

びし、とレミリアの額に青筋が走る。
紅魔館を囲む湖に住んでいる彼女がレミリアのことを知らないというのもおかしな話だが、そういえば妖精も大抵の場合は昼に活動する。
夜の王者と謳われる吸血鬼を知らなくても無理はないだろう。
けど、そこの妖怪二人。ニヤニヤしてないでさっさとこの妖精を止めなさいっての。

「この私に向かって新参とは、随分舐めた口を利くのね、妖精」
「ふーんだ! お前なんか怖くないぞ~あたいはさいきょムグッ」
「あーところでルーミア。今日の八目鰻はモノホンかい?」

慌てて少女……チルノの口を塞ぎ、妹紅は屋台の屋根に腰かけていた金髪の少女に声をかける。
ルーミア、と呼ばれた少女は「うーん」と唸り、屋根からぴょこんと飛び降りる。
網の上で焼かれていた鰻を一つまみし、桃色の髪の少女が渋い顔をする前でひょいと口に放り込んだ。

「んー」
「本物よ本物。当たり前じゃない」
「そーなのかー?」
「違うみたいね」
「そーなのかー」

まあパチモンウナギでもいいや、とチルノを脇に抱えたまま暖簾を潜る。
屋台の脇に傘を立掛けたレミリアも妹紅の隣に腰掛け、長い息を吐いた。

「人間以外の知り合いが多いのね」
「チルノにルーミア、リグルとミスティア。リグルとミスティアくらいは知ってるんじゃない?」
「月の異変の時の妖怪ね」
「ご無沙汰してまーす」

言う間に、既に妹紅が脇に抱えていたチルノを始め、四人中三人の姿はいなくなっていた。残ったのは鰻屋店主のミスティアのみ。
元々解散する間際だったからー、と笑いながら冷水の注がれたグラスと酒瓶を二人の前に置くミスティア。その水を一飲みで飲み干した妹紅は、口に付いた水滴を拭いながら笑う。

「しかし、最近は夜が更けるのも遅くなったね。おまけにこの暑さ」
「まだ後二ヶ月は暑いでしょうね。寒さには強い分、暑いのには弱いんでなくて?」
「熱いのはいいけど暑いのはダメだね。厚いのもだめだわ。パチュリー的な意味で」

ミスティアが鰻を手際良く焼く姿を眺めながら、妹紅は酒瓶を手に取りレミリアへと向ける。

「まずは食前酒と行こうか」
「あら、気が利くのね」

同じようにグラスを空けていたレミリアは、頬杖を付きながらグラスを妹紅の方へ向けた。
グラスに透明な液体が中ほどまで注がれたのを見、レミリアはその中身を一気に喉へ注ぎ込む。

「……安物ね」
「言うねぇ~」

渋い顔をするレミリアの前で自分のグラスに酒を注ぐ妹紅は、酒瓶を自分の肘脇へと置いて酒を煽る。
不味い、のだろうか? 良く分からない。レミリアのように高い酒(って言っても洋酒だの蒸留酒だのばかりだけど)を飲み慣れていると味の違いも分かるのだろうか。

「妹紅さんはとりあえず酔えればいいんじゃないー? 味は二の次みたいな感じ?」
「そうだねー、私は味よりもそっちの方が好きかもしれないね」
「どこぞの鬼のように四六時中飲むのは控えなさい、フランが真似しちゃ大変だわ」
「しないしない」

苦笑しながらも酒を煽る妹紅からは欠片も信用できないのだが、妹紅の方も少なくともあの鬼よりかは分別も持っているだろう。
鰻の焼ける香りに緩む口元を隠しながら、レミリアは酒瓶を傾けてグラスに酒を注ぐ。

「こうして見ると本当にただの人間のよう。どこにあんな化け物じみた力があるのかしら」
「血反吐吐く様な思いしたね。それこそ百年単位の修行に次ぐ修行。マッチ一本分程度の火を点けるのに百年、その火を妖怪でも軽く焼き尽くす程度の威力にするまでに百年、不死の力を使って鳳凰の真似事が出来るようになるのに百年、鳳翼も無しに空を飛べるようになるまでまた百年だ」
「マッチ一本分の火を点けるだけで人間なら死んでいたわね」
「そりゃ自然の力を操るわけだからね。とある妖怪には百年でコツを掴んだのが奇跡って言われたわ」
「悪運が強かったのかしら」
「そこはほら、天才とか言うべきじゃないかい?」
「まさか」

酒を肴に言葉を交わす二人の前に、皿の上に盛られた蒲焼が置かれる。ついでに妹紅の持っていた空の酒瓶の代わりに、新しい酒瓶も。
待ってました! と顔を輝かせる妹紅を尻目に、レミリアは串を掴んで鰻を口の中に放り込んだ。歯を立てて串を口から抜き去り、皿に戻す。
妹紅の方は既に平らげてしまった後だった。一尾分を五秒で食べ切ってしまいそうな勢いである。

「あら、美味しいわね。思ったより」
「か~、やっぱこれだあ、最高だね」

夜雀の鰻に舌鼓を打つレミリアと、この機を逃すかと酒を飲み鰻を食らう妹紅。
対照的な二人に苦笑しながらも、ミスティアは新しい鰻を焼き始めた。
夜も更けた暗い妖怪の道で、夜雀の屋台は賑やかな時に包まれた。








「そこで、私が脇差しでグサリといったわけさ!堪らず男はぶっ倒れてさ、出血がヤバくて「死ぬ死ぬ」って騒いだもんでね。
私は言ってやったんだよ。「安心しろ、峰打ち」ってね!」
「刺さってんじゃん!!」
「そうなんだよ! 刺さってんだよ!! いやあ私も焦ったね、咄嗟に出た台詞が「峰打ちだ」。あん時ばかりは腹をくくったね」
「それでそれで!?」
「そんでな、何を勘違いしたのか男は「なんだ峰打ちかあ」つってひょいと立ち上がったんだよ!
いや刺さってますから!! 胸にぶっといのが刺さってますから!!」
「何それ! 相手も不老不死だったの!?」
「それがなぁ、そいつは――」

妹紅の旅の話に耳を傾けながら、レミリアはグラスを片手に鰻を食いちぎる。
ミスティアは妹紅の話に驚いたり笑ったりしながらも手際よく鰻を焼き続けていた。
かなりハイペースで端に寄せられ保温される鰻の数が増え続けているが、話の合間に酒を煽り鰻をかじる妹紅がそれを上回りかねないスピードで消化していた。
土産に持ち帰る分も考えているのだろうか、この人間は。

「町を出ようとして気付いてね。そこは立ち寄る旅人を食い殺す妖怪たちの繁華街だったのさ。
気付いたときには百近くの妖怪に囲まれててね、私も死を覚悟したわ。死なないけど」
「百って相当ね……でも、人一人で百匹の妖怪の腹が膨れるもんなのかしら」
「そこは何せ方々から人の集まる鎌倉のお膝元だったからね。立ち寄る旅人は後を耐えなかったさ」
「それで!? どうなったの!?」

百を越える妖怪か。
群れる妖怪には二種類ある。いや、そもそも群れというのは大まかに二つに分けられる。
一つは後天的に生まれる群れ。
これは人間たちや動物などの中で特に見られ、個々が自衛や共生などの様々な理由から集まり、結果的に生まれる群れ。
もう一つが先天的――つまり、何かしらの目的によって集まったり、絶対的なリーダーの元に集まることで生まれる群れ。
後天的集団で長が生まれることもあるが、妹紅の言う妖怪の町は恐らく先天的に生まれた集団なのだろう。
闇雲に道中の人間を襲っても、妖怪の退治屋もかなりいた時代だ、成功する確率よりも失敗する確率の方が、下手をすれば上回りかねない。
故に妖怪は考えるのだ。「楽に狩る方法」を。

「そりゃ敵うわけなかったね。今みたいに鳳翼も持ってなかったし。十四、五匹を消し炭にした辺りで腕と足を食われたかな」
「うぁー」
「思い出したら痛みが走るよ。まあそこから食われて食われて食われまくって。
……気付いたら驚いたね。私を食った妖怪たちが腹をブチ破って、モツをぶちまけてみんな死んじまってたんだ」
「えぇーっ!!」

コラ、ものを食べながらそんな生々しい話をしないで頂戴。
まあ食事と言うよりは飲み会のようなものだし、別に構わないんだけど。

「なんで!? 毒とか!?」

それはない。それはない。
死なないくせに毒人間なんて演技でもないわ。
しかも食べたら腹ブチ破って死ぬ毒って何。

「毒じゃないんだ。起きたとき気付いたんだ。私も、リーダーの……私の頭を食らった妖怪の死体の上で、リザレクションしてたんだ」
「えっ? なんで?」

粗方妖怪の腹の中でリザレクションしました、とかそういう話なのだろう。あまり珍しくもない話だ……珍しいけど。
……ん?

「そして私は見た。妖怪たちの屍を嘲笑うように仁王立ちする、総勢百人からなる藤原妹紅の大群を!!」
「……」
「えぇーっ!!?」

妹紅が百人、妖怪たちの腹から一斉にリザレクションする光景を想像し、レミリアは思わず鼻の穴から不味い酒を飲んでしまう。
今までそれなりに聞いていたことを後悔しながら口元を拭い、妹紅を涙目で睨む。

「もう少しましな嘘はないのかしら、長い、つまらない、面白くない」
「む……それじゃあ鬼退治なんてどう、人攫いが往々にして行われていた京の都で鬼と一対一の真剣勝負だ」
「「鬼と聞いてやって来ました」」
「酒飲みは土産持ってお帰り」

鬼退治と聞いて何処からともなく現れた少女二人に丁寧にお帰り頂き、レミリアは空になったグラスを置いた。

「そろそろ帰るわよ」
「なんだとー? まだ夜は始まったばかりじゃないかー」
「今日は朝から起きてて眠いのよ。夜雀、三尾ほど包んで頂戴」
「はいよー」

言うが早いかミスティアは適当な袋に鰻を包み、壁に吊るされた幾本もの中から紐を適当に選んで袋を留める。
渡された領収書に渋い顔をしながら腰の巾着を取り出すレミリアを尻目に、妹紅は袋と傘を持って妖怪の道をクルクルと回りながら歩く。

「くるくる~」
「さっさと傘を返しなさい、帰るわよ」
「はいよー……あ、ちょい待ち」

何よ? と振り向いたレミリアの手を握って、妹紅は鳳翼を燃やし身体を厨へと浮かせる。
手を握られた途端に間の抜けた顔を妹紅に向けたレミリア。その反応に思わず苦笑した妹紅は、ぐいぐいとその手を引いて首を傾げた。

「鰻を御馳走になったお礼に、いいとこへ案内してあげるわ」
「……別に他意は無いからお礼されるほどでもないわ。そもそも手を握る必要はあるのかしら」
「あれー? 恥ずかしがってるぅ?」
「がってない!」

真っ赤になって唸るレミリアを笑いながら、妹紅はレミリアの手を引いて夜の空へと飛び上がる。

「せめてどこに行くか位言いなさい!」
「迷いの竹林さ」
「……は?」

迷いの竹林、という言葉にレミリアは目を白黒させた。
迷いの竹林と言えば、妖怪の道を通り人里へ出、そこから更に永遠亭の方向へ向かった場所に広がる大竹林だ。
一度入れば、のたれ死ぬか妖怪に食われるか。その二つに一つを選ぶことになるであろう林。密林、樹海と表現するのも生温いだろう。
最も、ある程度以上の実力者からしてみれば「見通しが悪くて歩きづらくて薄気味悪い」程度の場所でしかない。
そんな場所に何をしに行くと。

「竹細工、作ってやるって言ったじゃない」
「……ああ」

思い出したのは、妹紅が屋敷に来てから三日目の歓迎会でのこと。
あの日竹細工のことを自慢げに話していた妹紅が、レミリアに何か竹細工をプレゼントする、と約束した。
酒の席であったためまともに受け取っていなかったレミリアだったが、まさか本気だったとは。

「孫の手でも箸でもスプーンでも、何なら家でもいいよ」
「……家は必要ないわ」

こいつのことだから本気で紅魔館の庭園に家の一軒や二軒建ててしまいそうだ、とレミリアは頭を抱える。
半円の月の下で手を引いて引かれて空を飛ぶ影ふたつ。そっぽを向きながら手を引かれるレミリアは、暫く経ってからようやく、妹紅に向かって小さく呟いた。

「……妹紅」
「ん?」
「手、離してくれないかしら?」
「やだって言ったら?」
「不夜城レッド」
「おお、怖い怖い」







――。








迷いの竹林の一角に佇む妹紅宅、普段では人妖どころか動物の姿さえ見かけない静かな庵に招かれたレミリアは、卓袱台に置かれた緑茶を啜る。
妹紅の家は生活するのに必要な物、数点の他には彼女自身が作った竹細工の数々以外、大したものは見られなかった。
だが流石は竹林で数百年生きているからか、その竹細工は見事なものばかりだった。
竹細工のほかにも、木工品や陶芸品なども見られる。差し詰め職人の作業場といったところか。

「見事なものね、ごみ箱から枕まで、全部竹?」
「此処にあるのはほとんど欠陥品よ。出来のいいやつは人里で安く売るんだ。これが意外と人気で、そろそろブランドとして確立するかもしれない」
「へえ、あなたの言動からして単調で細かい作業は大嫌いなような気がしたんだけど……これ、何?」
「青竹踏って言ってね、足裏マッサージには最適だよ」
「ふうん……手提げ鞄まで竹なのね」
「風情があるだろー?」
「まあ、ね」

相当の竹職人なのね、と苦笑しつつも、レミリアは丁寧に編まれた鞄を手に取る。
普段一人でこんなことをしている姿は、紅魔館での活発な妹紅を見ているととてもじゃないと想像できなかった。

「人間、分からないものね」
「そうだよ、人間を見てくれで判断するのは良くないって慧音が言ってた」
「あら、珍しくあなたの意見じゃないのね」
「私のありがたいお言葉は大抵誰かの受け売り。私はどちらかと言うと見てくれで人を判断するタイプ」
「人間だの妖怪だのどうだのも、やっぱり受け売りなのかしら?」
「それは私の持論」
「あの面白くも無い旅の話は」
「……う、受け売り」
「嘘仰い。目が泳いでる」
「個人的には傑作なんだけどなあ。百一匹もこたん」
「黙れ」

卓袱台に置かれた漆の器から煎餅を取り、奥歯で噛み砕きつつ茶を啜る。
傍から見ればほのぼのとした生活の一風景とも見れなくも無いのだが、生憎とこの二人について欠片でも知識を持つ妖怪ならば、その場から諸手を上げて逃げ出していただろう。
幻想郷のバワーパランスの一角たる紅い吸血鬼と、不尽の身と炎を持つ竹林のひとり警備隊。
喧嘩を売ればのしと弾幕をつけて投げ返して来そうな二人だ。

「じゃあ私はたけのこ採りに行ってくるけど、外は出歩かない方がいいよ」
「誰に忠告しているのかしら?」
「あはは、心配するだけ無駄だね。まあ、採り終わるのにはしばらく掛るから寝ててもいいよ」
「そんなに時間がかかるの?」
「夜だしね。ああ、欲しい竹細工は適当に家の中のを物色して。今度腕によりをかけて上等なのをプレゼントするから」
「楽しみにしてるわ。皮肉じゃなくね」

ニッコリと微笑んだ妹紅の顔に、レミリアも釣られて小さく笑みを浮かべる。

妹紅はこういう人間なのだ。相手が望むなら、彼女は友人にも好敵手にも、姉貴分にもなってくれる。
だが相手が自分、或いは他の者を見下すことを好まない。あくまでも対等、同じ場所での関係を、彼女は望むのだ。
蓬莱山輝夜に復讐を為すために不死の薬を口にし、
上白沢慧音との出会いを経て、無器用ながらも人里へ歩み寄った。
今まで下を見ることしか無かった自分やフランにとっては、まさに未知の存在。
だからこそ、フランにとっては衝撃的だったのだ。彼女の一挙手一投足が不思議で堪らない、どうしてこんなことができるのか、「しよう」とするのか。

(……小難しいことを考えるのは悪い癖ね)

思考を唐突に途切れさせ、レミリアは大きく息を吐く。
要するにフランは妹紅が……うん、大好きになってしまったんだろう。健全な意味で。
自分の知らないことを教えてくれる、自分の言葉に笑って、自分を笑わせようと言葉を放ってくれる。
そんな何気も無い単純なことに、フランは驚き、戸惑い、涙して、歓喜した。

(初めてできた友達だものね、大好きになったって不思議じゃないわ)

頭で納得する反面、少しずるいな、とも思う。
自分が今までウジウジとして埋めなかった距離を、二人はただの三日であっという間に埋めて、地ならしまでしてしまった。

(私も、彼女のように踏み出せるかしら)

それは、頭の中にふっと浮かんだ思い。
妹紅のように、フランに向かって一歩、踏み出せはしないか。
そうすれば、こうしてギスギスとしたフランとの関係にも何か兆しのようなものが見えるかもしれない。
だが、

(言うは易し、ってよく言ったものよね)

あながち、友人の言っていた「ヘタレ」という言葉は間違いではないようだ。








――。






ザッ、ザッ、

暗い竹林の中、自分の背に輝く鳳翼の明かりだけを頼りに素手で筍の周りの土を除いていく。
筍が傷付いても困るので、スコップの類は使わない、素手の作業。

《   うそつき!!   》

ギリ、と奥歯を噛み締め、筍を背負った竹籠の中に放り込む。
どうして今更、あんなものを思い出したのか。分り切っている――レミリアだ。
彼女の言葉が微笑みが、遥か昔、忘れ去ってしまっていた記憶を掘り起こした。
自分に笑いかけてくれるフランの存在が、自分と接してくれる咲夜や美鈴、パチュリーに小悪魔の存在が。レミリアが。
似ていた。あの日、あの場所で、私が壊した日常に。私が殺した人達に。
筍を土の中から掘り起こして、握る。もう充分だろう、紅魔館の皆への土産はこれ位で足りる。

《   お前に人として生きる資格なんて無いんだよ!   》
《   お前に何ができる? その子はお前が殺したのに   》
《   あんたが殺した!! あんたが娘を、娘を!!   》

「……帰ろ」

ぐしゃり、と潰れた筍の残骸を打ち捨て、妹紅はポケットに両手を突っ込んで元来た道を引き返し始める。
竹細工を作るには最悪の気分だね、と呟きながら。









玄関に竹籠を置き、こった肩を解しながら引き戸を抜ける。
卓袱台に突っ伏して寝息を立てるレミリアに苦笑しながら、部屋の隅に畳んであった布団を広げた。

「かわいい寝顔だねえ」

ぷにぷに
こうやって寝ていると、本当にただの可愛い女の子なのになあ。
起きている時は高慢で自信家で我侭で妙に自分の威厳のようなものを気にするいいとこのお嬢様にしか見えないのに、
こうしてすやすやと眠っている姿は、外見相応の少女そのものだった。
普段からこれくらい可愛らしければフランだけじゃなく、この子の面倒も見てやる気になれるのに。

「ま、咲夜の専売特許みたいなもんか」

眠りの世界に浸かるレミリアを布団に寝かせ、妹紅はその体に毛布をかけてやる。
卓袱台の上には、彼女が寝る寸前まで眺めていたのだろう竹で編まれた鞄が置かれていた。要するにこれが気に入った、ということなのだろう。
また時間のかかるもの選びやがって、と苦笑しながらも、早くも妹紅は部屋の片隅に置かれた箪笥から作業道具を取り出す。
今日中には確実に完成しないため、紅魔館に作業用具ごと持って帰る必要があるだろう。
まあ、フランが寝ている間は暇で暇で仕様が無いので、やることができたので良しとしよう。

「……確か」

用具を卓袱台に置き、息を吐いたところで思い出す。
トタトタと土間の方へ走り、勝手口(と言ってもどちらの扉にも鍵が無いので両方勝手口のようなものだ)の脇に置かれていた木箱を手に取った。

「これこれすっかり忘れてたわ。竹酒竹酒」

木箱から取り出したのは、何の変哲も無い竹筒。その竹筒を大切そうに眺めた妹紅は、数本の竹筒から一本を適当に選び、抜き取る。
なんでも河童の技術で竹筒に穴も開けずに酒を詰めるようになり、外の世界でも一般的でない竹酒を此処最近は楽しめるようになった。
竹の中を真空にして酒を浸み込ませるとかなんとか、正直妹紅にもよく分かっていない。

「紅魔館の皆にも持って行くとして、これは私が楽しむ用」

言うが早いか、妹紅は土間の片隅で埃を被っていた升を取り出す。水瓶で簡単に升を洗い、卓袱台へと戻る。
用具入れの中から錐を取り出して筒に穴を開け、升にたっぷりと酒を注いだ。

「うーん、甘い甘い」

ちびちびと酒を啜り、妹紅は小さく笑みを浮かべながら座布団の上に腰掛ける。
今日はなんだか酒ばかり飲んでいる気がする。まあ、紅魔館じゃ歓迎会以来ほとんど飲んでなかったからノーカンノーカン。

《   うそつき!!   》

(嘘付き、か……それもそうだね)








――。









「ん……」

目を開けたら、そこは湖でした。
いや、本当に。

「お、おはようお嬢様」
「……もこ」
「「う」を付けてね。もう慣れたけど」

湖の上空、背中にレミリアを背負い荷物を紐で首から提げた妹紅が、彼女が起きた気配を感じて笑いかける。
ここでようやく大体の事情を飲み込んだレミリアは、まだ半分ほど覚醒していない頭を揺らしながら妹紅の首に手を回す。

「館に着いたら部屋まで送って頂戴……」
「咲夜に引き渡すことにするわ」

東の空が白み、薄い霧の掛った湖の上を飛ぶ妹紅とレミリア。
妹紅の背中に身を任せ、レミリアはゆっくりと瞼を閉じて意識を落とした。
ずり落ちそうなレミリアの体を背負い直し、妹紅は背中のお嬢様を起こさないよう、ゆるりとした速度で眼下の紅魔館へと降りていった。





「おはよう、美鈴。真面目に働いてるようで良かったわ」
「あ、おかえりなさい妹紅さん。お嬢様は……お休みのようですね」

紅魔館の門の前へ降り立った妹紅に、いつも通り門番の警備に就いていた美鈴が歩み寄る。
まだ早い朝からご苦労様なことである。これで居眠り癖がなければ優秀な門番であろうに。
眠りこけるレミリアを一旦外壁にもたせかけ、首から提げてあった土産の鰻と竹酒、筍を美鈴に手渡す。

「うわあ、こんなに……あ、そうそう。妹様が自室でふてくされてらっしゃいますよ」
「う、また?」
「またです。今度は妹紅さんがお嬢様とお出掛けになった後すぐに」
「あちゃー……」

顔全体に落胆の表情を浮かべた妹紅は、苦笑する美鈴の腕に眠りこけたままのレミリアを押し付け、土産物の入った風呂敷を置いて屋敷へ駆ける。
お気を付けてー、と手を振って妹紅を見送り、美鈴は箱の中に入っていた鰻の蒲焼をひとつかみし、口の中に放り込んだ。

「あったかくないけどおいひー」











赤い絨毯の敷かれた階段を一番飛ばしで駆け下り、悪趣味な甲冑だの絵画だのが飾られた広間を抜ける。
途中ですれ違う妖精メイドたちは妹紅を振り返り、慌てて階段の方へと逃げていく。
心配しなくても弾幕ごっこはしないよ、と苦笑いを浮かべ、以前まで地下牢として使用されていたフランの部屋前で足を止めた。
軽く二度、扉を叩いてドアノブを捻る。証明も点けられていない真っ暗な部屋へと入り、後ろ手で扉を閉める。

「ただいま~……」
「もこー!!」

途端、案の定フランが妹紅に向かってダイビングを決め、二人揃って真っ暗な部屋の中で仲良く引っくり返った。
絨毯ごしとはいえ背中を思い切り硬い石畳に打ちつけて涙目になりながらも、妹紅はフランの頭を撫でて上半身を起こす。

「いてて……」
「妹紅がいきなりお姉様とどっか行っちゃうから、退屈だった」
「魔理沙やアリスがいたんじゃなかった?」
「……妹紅がいないとつまんないもん」
「そっか」

自分の胸の中に顔を埋めるフランを見、妹紅は困ったような笑みを浮かべて頬を掻く。
美鈴からの話だと、自分がレミリアと飛び去った後、すぐにフランは屋敷へと戻って部屋に閉じこもってしまったのだろう。
ここまで自分に懐いてくれるのは嬉しいことには違いないのだが、これからもずっとこの調子というのは正直困る。
いつまでもこうしてフランの傍にいてやることはできない。自分には竹林での生活もあるのだし、いずれはあの家へ戻らねばならないのだから。

「妹紅、お姉様と何の話してたの?」
「んー、そうだね」

思い返してみても、自分が馬鹿話をしてレミリアに「つまらん」と一蹴されたような記憶しかない。
いくらなんでもつまらんは酷い。今度レミリアの紅茶にこっそり自分の血を入れてやる。ははは苦しんで死ね。

「……私のこと、何か言ってなかった?」
「…………ほっほう」

フランの言葉に、思わず妹紅はそう呟いてしまった。
これはひょっとするとアレかもしれない。スカーレット姉妹の愛のキューピッドとなるか、藤原妹紅。
先までテンションがどん底まで下がっていた妹紅は俄然元気を取り戻したか、フランを抱えてすっくと立ち上がった。

「も、妹紅?」
「フランのことは自慢げに言ってたさね、当たり前のことだけど」
「……嘘ばっかり」
「なんで嘘だって思うの? 自慢の妹じゃない」
「だって……お姉様、私のこと自慢げに言うほど知らないもの。一緒に遊んだことだって無いんだよ?」
「まあ遊んだことがないのはちょっと問題ね。でも妹のことを知らない姉なんて、どの世界にもいやしないよ」
「でも、お姉様は」

これが終わったらレミリアを叩き起して一緒に遊ばせよう、と心中で決意を新たにしつつ、フランをベッドの上へ座らせる。
その横に腰を降ろして、昨夜のことを思い出す。

決して本人からはフランのことを語ろうとはしなかったレミリア。そこへ誘導するのに大分骨が折れたっけ。
店主の歌を二、三挟んで酒が回ってから、レミリアはようやく重い口を開いた。
フランを閉じ込めるしか仕様がなかったこと、それでも自分を呪い、責めない日はなかったこと、彼女に姉らしいことを何一つできず、後悔していること、
できることなら彼女と遊んでやりたい、彼女に笑ってほしい、だから妹紅には心から感謝している。

(聞いてたこっちが恥ずかしくなる話だったね)


「……レミリアだってきっと、今のフランと同じ気持ちだと思うよ?」
「で、でも」
「もうすぐあいつも起きるだろうし、後は勇気を出して言うだけさ。「一緒に遊ぼう」ってね」

むきゅ、とフランの両頬を両手で挟み、妹紅は笑いかける。
あまり人間関係において器用ではない妹紅は、相手に自分の気持ちを直球でぶつけること、思っても無い法螺を吹いてその場を誤魔化すことしか知らない。
自分は感情に正直だと妹紅は思う。腹が減ったら食べるし睡魔が襲ってくれば抗うことなく就寝する。
やりたくないことはキッパリ「嫌」と言うし、恋愛の仲介はむず痒くてできることなら受けたくない。恐らく、魔理沙となら旨い酒が飲めることだろう。
だからこそ、不器用な幻想郷で彼女を求める、この姉妹のような者は少なくないのだろう。事実、寡黙だった頃に比べて妹紅の知人はそれこそ桁違いに増えていた。

「だから、ね?」
「……ん」

小さく頷いたフランに、妹紅は満面の笑みを浮かべてその頭をくしゃりと撫でる。
いつもながらワンパターンだなとは思うが、自分はこうする以外に子供を褒めるやり方を知らないのでまあ良いだろう。

「じゃあ、決まり。朝ごはん食べに行こう」
「……妹紅」
「うん?」
「お姉様、私のこと嫌ってない?」
「もちろん、嫌ってなんかないよ」
「そっか」

二人で手を繋ぎ、真っ暗な部屋を出る。
後はレミリアの根性次第、といったところか。一番アレが心許ないのだが、レミリアがヘタレでないことを祈ろう。

「……嘘吐きキューピッドか、悪くないね」
「?」
「いや、こっちの話」





あの日、自分の付いたたったひとつの嘘。
「自分が不死である」そのことを隠し、傷ついた自分を解放してくれる人々の優しさに甘え。
その小さな農村でずっと暮らすのも悪くない、そう本気で考えていた。妖怪が群れを成して、農村を――自分を狙って襲ってくるまでは。
人間は妖怪にとって無くならぬ食糧でしかない。その人間が何度殺しても再生するとなれば、妖怪たちにとってはこの上ない食糧だろう。
その人間一人捕らえれば、今後一切食料の心配はなくなる。度々飢餓に見舞われるこの国に住む妖怪たちにとって、食料問題はかなり深刻だった。
自分の正体と所在が妖怪たちに知れ渡り、村に妖怪が現れるようになるまでそう時間はかからなかった。

「旅のお方、貴方にこんなことを頼むのも情けないのですが、どうか子供たちを」
「……分ったわ、任せて。必ず都まで逃げられるようにするから」
「申し訳ない」

深々と頭を下げてから妖怪達の足止めに向かった男の顔を、よく覚えている。
自分には何もできなかった。ただ子供たちと共に村から出来るだけ早く、出来るだけ遠くへ逃げることしかできなかった。

子供たちを連れ都へ下る道中、とうとう追手の妖怪たちに追いつかれ。
野営の場所に使用していた洞窟は囲まれ、どうしようもなかった。
それでもたった一人で数十近くの妖怪たちを殺し殺され、気付いた時には人も、妖怪も、誰一人残ってはいなかった。







(あの子に嘘付きって言われたのは……流石に効いたな)

特に自分に懐いていた二人の姉妹、寝床として使用していた空家も、その姉妹の父親から借りたものだった。
旅先での色々な話を、外が真っ暗になるまであの二人は目を輝かせて聞いてくれていたっけ。
だがそれも正体がばれるまでだった。
一人の娘のせいで村が妖怪たちに襲われる。
そしてその娘は不死の旅人だ。理不尽な暴力や弾劾がこちらに向いても、文句も言う資格すらない。

(親父さんだけが私を信用してくれて……まあ、その信用には応えることはできなかったけど)

あの夜、子供たちを埋葬してから自分は村へ戻ろうとはしなかった。
村の男たちがどうなったかは分らない。だが、何の変哲も無いただの人間が束でかかろうとも、妖怪一匹倒すこともできないだろう。
全て自分に責任があった。自分のような存在が一つ所に留まることがどういうことか、分らなかったわけでもないだろうに。

「……やめやめ、辛気臭くて吐き気がしてくるわ」
「妹紅、さっきから独り言多いね」
「ん、ちょっと昔のことをね」

変な妹紅ーと笑顔を向けるフランに、階段を降りながら妹紅は不細工な笑顔で応えた。












「うなれ私の左腕ェエエッ! 恋符「ノンディクショナルレーザー」!!」
「おお、新技だ」
「新技だー」
「別に新技じゃないわよ、あれ」
「なんだと!?」

いつもの様に、アリスを連れて図書館へ本を借り……に来たのであろう魔理沙とそれを撃退せんとする妹紅による弾幕ごっこ。
普段ならばアリスとフランも参加しててやれ鳳翼天翔だやれレーヴァテインだ好き勝手やりまくっているはずだが、
今日は意外なことに、二人はもちろん専ら魔理沙の相手をする妹紅すら見学に徹していた。

「今日は随分とぬるいのね、その程度じゃこの吸血鬼に触れることすら叶わないわ!」

普通の魔法使い霧雨魔理沙と弾幕ごっこを繰り広げていたのは、今まで外に出ることもほとんど無かった紅魔館の主、レミリア・スカーレットその人。
大小様々な星型弾をばら撒き、巨大なレーザーで動きを制限するこのスペル。だが人間とは根本的に身体能力が桁違いな吸血鬼のレミリアにとっては欠伸が出るほど温い弾幕であろう。

「さあ、本当の弾幕をその身に刻みなさい! 神罰「幼きデーモンロード」!!」
「っは、パチュリーの日除け魔法ごと消し飛んでも知らないぜ! 彗星「ブレイジングスター」!!」








「ねえ、妹紅」
「ん?」
「ありがとう、お姉様と仲直りさせてくれて」

弾幕と弾幕の混ざり合う情景に目を細めながら、日傘を片手に空を見上げる妹紅の手を握る。
驚いたように目を見開いた妹紅の方は見ず、愛しい姉の繰り出す弾幕に口元を緩めながら、フランは笑う。








――。






最悪な気分で起きた。そうレミリアは後に語る。
それもそうだろう、ベッドからのそりと起き上ったら、目の前で蓬莱人がニヤニヤしながら胡坐をかいていたのだから。

「……何をしているのかしら」
「愛のキューピッドが愛を伝えに来たのさ」

はあ? と首を捻る。
紅魔館に来てから妹紅は妙ちくりんな言葉で真意を隠してばかりいるため、レミリアには当然その言葉の意味が分からない。
常時言葉遊びをしているようなものだ。生憎と自分はそこまで暇ではない。

「……あなたの口から愛なんて単語が出るとは思わなかったわ。聞くのはどちらかというと殺し「合い」かしら」
「リリーモコウと改名するのもいいかもしれないね」
「……で、何? 寝込みでも襲いに来たのかしら?」
「私にそっちのケはないけど、レミリアのためなら!」
「脱ぐな脱ぐな。サスペンダーぱっちんするわよ」
「それは困るね」

ああもう。
一々話が脱線するわね。
心中で憤慨し、レミリアはこめかみを抑えつつベッドから飛び起きる。
カーテンの外は随分と明るい。最近徐々に昼型の体になっているような気がして、ムッと顔をしかめる。
ピンクのネグリジェかわいいねー、とからかう妹紅を睨む。ほっとけゾンビ人間め。

「それで? 一体何の用?」
「おー、何だと思う?」
「ふざけてるとおまえの穴という穴にグングニルを突っ込むわよ」
「いやんばかん」

よし殺す。歯ぁ食いしばれ。
スペルを取り出したレミリアに、妹紅は逃げるように立ち上がって扉の方まで走る。
フランや魔理沙相手にならともかく、朝っぱらから人の寝室でこのテンションは迷惑以外の何者でもない。

「だから、何?」
「フラン、もういいよ」

妹紅の言葉に、レミリアは目を丸くした。
彼女の背後の扉が開き、フランが部屋の中へ入っててくる。
何だこの状況。
「……妹紅、やっぱりいいよ」
「何言ってんの。ここまで来たら腹くくれ」
「うー……」

さっぱりわけが分からない。
さっきまで今二つほど元気のなかった妹紅は何やらこちらを見てニヤニヤしているし、フランの方はフランの方で、「あー」だか「うー」だか唸りながら、時折自分の方をちら、と見てはすぐに目線を反らす。
一体私が何をしたのよ、と怒鳴りたくなったレミリアだが、妹紅はともかくとしてフランがふざけているようには見えない。

「……どうしたの、フラン?」
「……え、っと」

フランがゴニョゴニョと言葉を濁して、早三分。
完全に俯いてしまったフランの手を取って、ベッドの上へと座らせる。
いつの間にやら、妹紅の姿が消えていた。相変わらず行動パターンが全く読めない。
1+1の答えを聞いて「アメリカ合衆国」と答える妹紅の行動を読め、と言う方が無理な話か。元貴族ということだから気まぐれなのは分かるが……忍者集団の末裔だっけ?

「……あの、ね」
「ええ」

漸く口を開いたフランに、笑顔でその手を握ってやる。
今まで幽閉していたことを弾劾されるのではないか、という恐れはあった。
フランがそのことを恨んでいてこうして自分と対話する機会を欲し、妹紅がそれに応えた。辻褄は合う。

「……パチュリーがね」

パチュリー。その言葉に目を丸くする。
まさか彼女の名が出るとは思わなかった。パチュリーも何か噛んでいるのか、それとも別の何かなのか。

「今日は喘息の調子がいいらしいから、ね」
「……ええ」

益々分からない。パチュリーの喘息が何か関係しているのか。大規模な実験? それなら咲夜が空間を広げて終いだ。わざわざ言いに来る必要は――

「その……一緒に、外でね、遊ぼう?」

真っ白になった。
別に燃え尽きたわけではない。物理的に色素が抜けたわけでもない。ただ、頭の中でグルグルと巡っていた思考や懊悩が、一瞬で両耳からふっと抜け去ってしまった。
一緒に遊ぶ。誰が? 誰と?
一体何を言ってるんだ。自分が? どうして?

「……だめ、だよね?」
「――」

ふるふる。
出すべき言葉が口から出ないので、慌てて首を振る。
頭が混乱して何が何だか分からない。つまり、フランは幽閉していたことに何か言いにきたわけではない。
しかも、それどころかこの自分と一緒に遊ぼう、と。

「お姉様は私の知らないことをたくさん知ってる、私は遊び相手にはなってやれるけど、フランのお姉さんはレミリア一人だから――って」
「……そう、ね」



相手のことをどれだけ好いているか。
妹紅がフランに教えた、唯一と言っていい教訓。
相手のことが好きなら、例え相手が異能の存在であろうと、種族の差があろうとも、共に生きることはできる。
フランがレミリアのことを好きでいるならば、自分の気持ちに正直になってそれをぶつけてやればいい。

「私は不器用だから、相手に真正面からぶつかることしか知らない。でも、それは間違いじゃないと思ってるよ。
相手が自分と同じ気持ちなら、どんな形であれ絶対に相手は応えてくれる。レミリアはフランに応えてくれる、私は確信してる」



あの人間は、本当に、本当に。
ふざけた様子でフランと笑い合っていると思ったら、いつの間にか色々なことを考えていて。
不死人故の気楽さか、長い時を生きて来たことによる直感か、それとも何も秘密などありはしないのか。
少なくともフランのことに関して、彼女はレミリアの二枚三枚上を平然と歩いている。そして、自分に向かって笑いながら「飛んでしまえ」と言っているのだ。
地べたを這いずっていた、フランのことに憶病になって、何もしなかった自分に。
彼女は何もかもお見通しなのか。そう勘繰ってしまう。

(いや、逆ね)

思い、心中で短く否定する。
彼女は特別、何かを悟っているわけでも人の心を熟知しているわけでもない。
彼女は「友達とその姉を仲直りさせてあげよう」という、至極当然、何の捻りも無い短絡的な行為をしたまでだ。
そのためにしたことは、フランを説得して自分の部屋に勝手に上がり込んだ、それだけ。
妹紅がお見通しなわけではない。自分が何も見えていなかっただけのこと。

「……何をして、遊ぶのかしら?」
「ん、と……あやとり、はまだ練習中だから……弾幕ごっこ!」
「決まりね」

弾幕ごっこ。最後にやったのは妹紅が紅魔館へ初めて訪れた(断じて訪れた、だ。拉致ってなんかいない)時だったか。
あの時は妹紅の弾幕よりも日光が致命的だった。危うく吸血鬼炭になるところ。
それでも、あの弾幕ごっこが無ければこうして弾幕ごっこと洒落込むこともできなかっただろう。
精々感謝してやろう。あの嘘付きな愛のキューピッドに。

「……ところで、お姉様?」
「何かしら、フラン?」
「どうして、おでこに「豆」って書いてあるの?」

――。

「待ちなさいこの死に損い! スカーレットの名において直々に斬首してやるわ! !」
「蘇る度に強くなる火の鳥相手にどこまで喰らい付けるかな!」
「そのフレーズは聞き飽きたのよ! 大人しく殺されろぉおお!!」











「ほんとに、妹紅って不思議。私やお姉様のこと、なんでも見透かしてるみたい」
「そんなことないさ、私は一本足じゃないからね。それに、フランとレミリアのことは咲夜や美鈴、パチュリーや小悪魔だってそうさせてあげたいって思ってたさ。それを私が、みんなの代わりにやっただけ」
「そんなことないよ」

妹紅の言葉を、笑顔で遮る。
目を丸くした妹紅の手に腕を回して、妹紅の「うぇ!?」という声にも構わず肩に頭を置いて目を閉じる。

「妹紅がいなかったら、きっと私は今でも冷たい石畳の上で一人、じっと座り続けてたよ。
だけど、今は妹紅がいて、お姉様がいて、私すごく楽しいの。それも全部、妹紅のおかげ。ありがとう、妹紅」
「……どういたしまして。やれやれ、参ったね」
「だけど、不思議だな。妹紅はほんとは人間じゃなくて、天使か何かじゃないの?」
「……天使、ねえ」

吸血鬼に懐かれる天使になったつもりもないが、フランが好意としてそう言ってくれるのは純粋に嬉しかった。
弾幕ごっこの方は、一人じゃ不利と踏んだのか魔理沙がアリスを引っ張り、いつの間にか二対一の戦いになっていた。
日除け魔法かかってるのに無茶するねえ、と小さく笑い、妹紅はフランに問う。

「お姉様がピンチだよ?」
「大丈夫よ、だって私のお姉様だもの」
「そっか。そうだねえ」
「妹紅」
「ん?」

二人空を見上げて、まだ暑さの残る夏の風に頬を緩ませる。
こんな時間を、後どれくらい過ごすことが出来るだろうか。
レミリアとフランが仲直りした以上、自分がフランの遊び相手を務める必要はもうない。自分は近く、あの竹林へ帰り元の生活へと戻るだろう。
フランもそれを頭では分かっているのか、妹紅の肩に頭を乗せて二人、視線を共にする。
フランに遊び相手が必要でなくなり、自分が紅魔館を去ることになるのは寂しい。だが、レミリアと二人笑い合うフランを見られる喜びが妹紅を寸でで繋いでいた。
自分でも、こうして人と人を繋ぐことが出来る。
不器用で嘘つきな自分でも、真っ直ぐに笑ってくれる人たちがいる。

「あやとりの続き、教えて」
「よし、じゃあ今日は奥技「大森林」だ」

てきることなら、今のこの時間がいつまでも続くものであってほしい。
フランにレミリア、咲夜と美鈴にパチュリー、小悪魔。その輪に自分が含まれなくとも。

(自分にすら嘘吐きだな、私は)

不器用で嘘つきな愛のキューピッドは、頭上いっぱいに広がる空を眺めて小さく微笑みを浮かべた。

「よう、フランに妹紅。いつから見学してたんだ」
「うー、頭がクラクラするわ……」
「ちょっと魔理沙、さっき私を盾にしようとしたでしょ!」
「気のせいだ、偶然ナイフ弾を避けたらアリスの後に入っちまっただけだぜ」

汗だくの団子状態でこちらに歩いてくるボロボロの三人に、妹紅とフランは笑いながら立ち上がる。
妹紅の夏は、まだ当分終わりそうにない。
どうも御無沙汰しています、にんげんです。
いつも誤字脱字を報告して下さる方、コメントを下さる方、ありがとうございます。励みになってますです。

前回のコメントでレミリア様にカリスマが欲しいと言われたので挑戦しました。最初の段落で無理だと諦めました。
続きものは以前に別の場所で書いたこともありますが、やっぱりとっつきにくい人もいるでしょうし三部作くらいが丁度良いのかもしれませんね。
にんげん
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コメント



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19.100名前が無い程度の能力削除
101匹もこたんww

やっぱ自称1300歳は貫禄があるな。
・・・そろそろけーねと姫様がパルパルしだす頃かなぁ、とか思ったりww
21.100名前が無い程度の能力削除
吸血鬼姉妹の仲を取り持つ愛の天使ですか
前作共にすごくよかったです。
42.100名前が無い程度の能力削除
百一匹もこたん想像したらやばかった