やんやにゃんにゃと遊びまわり早数時間。
疲れた私は草のベッドに寝転がった。
硬い地面は、けれど新緑のお陰でふわふわしている。
ちょっとはしたないかな――思いつつ、私は大きく口を開き、息を吸い込む。
「橙……なんだか、美味しそう……」
友達の何処かぼぅとした囁き声に、私は荒い息を抑えつつ振りかえった。
直後、闇。
視界を覆う闇。
いや、闇は私の瞳ではなく、周囲全てを包んでいる。
不自然な現象のその正体は、いわずもがにゃ。
……言わずもが、えと、いわずもが……あれ? えーと、んと。
「ねぇ、貴女は食べてもいい哺乳類?」
――言うまでもなく、闇の妖怪、ルーミア。
彼女の息も、私と同じく荒い。
そう感じられたのは、吐息が首筋を撫でたから。
何時の間にか、彼女は私のすぐ傍にまで来ていたようだ。
……ん。
ひょっとして……。
私、食べられかけてる?
「にゃー、だめーっ!?」
「お腹すいたよぅ。だから、ねぇ、いいでしょ」
「私もすいたぁ……って、よくないよくないよくなーいっ!」
体温がより近くに感じられ、私は闇の中、出鱈目な方向に声をあげ、逃げ出した――。
どうしてこんな事になっちゃったんだろう。
走りながら考えるが答えらしい答えは出てこない。
体を動かすのに必死で、まともに考えられないとも言う。
ついさっきまでは皆で楽しく遊んでいたのに……。
そう言えば……他の皆は?
ミスチーやリグルはどうしたんだろう?
じたばたと動いていた私は、ある可能性に気付き、呆然と足を止めた。
鼻に、ぷんとした匂いが届く。今まで感じなかったこの匂いは――。
「ちぇーん、もうちょっと待ってねー」
「いや、助けた方が、ねぇ、ミスチー」
「リグルぅ、手が止まってるよ?」
――場違いな砂糖の匂い。甘い甘い匂い。
「にゃー! ふぎゃーっ!?」
「そんな、声まで変わって……」
「元に戻ってる……訳じゃないかな?」
疑問符をつけ推測するリグルに、ミスチーはしくしくめそめそと応えた。
うん、なんでもいいから助けて欲しい。
願いは空しく小さな金属音にかき消された。
カンカンカンと甲高い音が、フタリのいるであろう場所から聞こえてくる。
……何してるんだろう?
首を傾けて考えていると、首筋に生暖かい空気が触れた。
それはつまり、今まさに私を食べようとするルーミアの吐息であり、にゃー!?
「あん、ちょっとだけ、ちょっとだけだからぁ!」
「やー! そんな事言って結局全部食べるんだぁ!」
「そんな事ないよぅ、先っぽだけ、先っぽだけだからいいでしょ!?」
耳だろうが尻尾だろうが断じてお断りする所存だ。
「……私じゃないからね?」
「でも、ミスチー以外に……」
「いやほら、大ちゃんがいるじゃん」
「……ヒトの所為にしちゃダメだよ?」
「がーん! 是が格差社会というものか!」
平和な闇の外、嘆くミスチー。よくわかんないけど、違うと思う。
「ちぇ……ん、ねぇ、私、我慢できないよぅ」
危険な闇の中、呻くようにルーミア。
何時の間にかホールドされてる私。
大ピンチ。
「や、だめ、んぅ、くすぐったい……っ」
「えへー、橙、やわらかぁい……」
「そんなとこ、触っちゃやだぁ」
柔らかい手に撫でられ、身じろぎする。大ピンチ。
「見える! 私には見える! 何の事はなくほっぺふにふにされて悶える橙が! たまんない!?」
「……ミスチー、手、止まってる。あぁ、そうだ。ついでに、他のも止めようか」
「すんません、自分、夜雀なんで。闇の中は見えないです。さー」
ルーミアの手は、ゆっくりと頬から口の両端へと移る。
振りほどこうと首を揺らそうとするが、込められた力の所為か、びくともしない。
こんなに腕力あったっけ――広がる焦燥感の片隅で、そんな事を思った。
――もう一つ。もう一つ、思った事がある。唇に触れる指を感じながら、どうにか私は口を開いた。
「るー、みあ。み、んぅ、……見えるの?」
闇を扱う彼女は、しかし、自身も視界を黒に塗りつぶされるはずだ。
……筈なのだ。少なくとも、私が知る彼女は。
ルーミアの息が、口に届く
「……わかるよ。橙が、何処に居ても」
「ルー、ミア……」
こつん、と小さな音。額と額が重なる音。
――吐息が混じり合う。
――甘く、柔らかく、艶めかしい。
――フタリの距離は、限りなく、零へと近づく。
「――って感じだよね! おねーさんもぉたまんない! いくら欲しい!?」
「誰がお姉さんだよ!―― 蠢符‘ナイトバグトルネード‘ぉっ!」
「あっがぁぁぁ!? ――リグルぅぅぅ!」
「え、あれ、うそ、効いてないっ?」
「わ、私も、リグルと、その」
「え……ミスチー?」
ごにょごにょごにょ。呟きは青い空に飲み込まれていく。いいから助けて。
「だって、とっても美味しそうだったんですもの!」
たーすーけーてー!
叫びは、だけど、声にならない。
捕らえられた躰。なぞられる舌。
何故か百合の花が幻視される闇の外。
抗うのは、無意味――心の何処かで、何かが折れた。
ごめんなさい、藍様……。
口が触れる直前、思い描いた藍様は、何故か戦慄きながら笑顔でサムズアップ。
「いただきまーす――」
寸前。
「――無理やりは、いけないねぇ」
勢いよく何かが地面へと激突する音。
闇が払われ、気がつけば私は抱えられていた。
恐る恐る瞳を開ける。
視界に入ったのは、燃えるような赤。
そして、私と同じ色の、私より少し大きい耳。
窮地から救い出してくれたのは、地獄の……地獄の……火車、火焔猫燐さん。
「燐さん!?」
「お燐でいいってば」
苦笑し、燐さんは私の頭をぽんぽんと叩く。
「ま、あたいが来なくても、大丈夫だったみたいだけど」
ちらりと視線を後ろに投げかける。
私もつられて、抱えられたまま、首を向けた。
転んでいるのはルーミア……だけじゃなくて、ミスチーとリグルも同じ態勢だ。
……んと。
「もーちょっと早く助けて欲しかった!」
「ご、ごめん! ちょっと、その、ドキドキしてて!」
「幼女同士のべろちゅーなんてめったに見れないからね! 出来れば止めたくぁっがぁぁぁ!?」
放った式に吹き飛ばされるミスチー。誰が幼女だ。……あ、なんか虫にも吹き飛ばされてる。
「ありがとうございました! ――で、でも、どうして燐さんが……?」
頭を下げ、そう言えばと尋ねる。少なくとも視界には、燐さんのご主人さまは見当たらない。
「あたいだけじゃないけどね。
んでも、さとり様は紅い館で、其処のお嬢様と組んで限界バトル中。
なもんで、ちょっとの間、お暇を貰えてさ。巫女は不在中、魔女は研究中で、遊べなくてね。
だから、あてもなくふらふらしてたところなんだよ」
「いえ、あの、聞き捨てならない事が。地霊殿の主と紅魔館の主が、誰と?」
「各々の妹方」
見たいような怖いような。
顔を引きつかせていると、また後方からの空気が流れてきた。
「早い早い! 置いていかないでよ!」
「あんたがそこらの烏と話しだすからでしょうが」
「種族間コミュニケーション! わ、お姫様だっこ! お燐やるぅ!」
やってきた霊烏路空――空さんの拍手に、今度は燐さんが顔を引きつらせて横に振る。
「違う違う違う! 勘違いするな!」
それでも私を揺らさないのは流石だと思う。
続けて言う燐さんの言葉を耳にしつつ、ひょいと前を覗き込む。
タイミングよく――と言うのだろうか――、ルーミアが起き上がっていた。
頬は膨らみ、上目づかいで燐さんを睨んでいる。怖くはない。
向けられる視線に気付いたのだろう、一旦空さんに待ったと手を出し、振り向く。
「不服そうだねぇ。――なんなら、やるかい?」
焔がちらつく。
大別すれば私と同じ種族なのに、段違い、下手をすれば桁違いな『力』を感じる。
しかも、その妖力は、そうであっても抑えられている。威嚇でしかないのだ。
挑発めいた言動に、ルーミアは目を輝かせた。
……にゃ?
「お燐も……美味しそうっ!」
「ふにゃぁぁぁ!?」
ルーミアのリボンが、揺れた。
途端、闇が広がる。
理性を感じさせない視線に、恐怖を覚えた。
獣の時の記憶。魂の震え。ピカイアから続く遺伝子がざわつく。
喰われる。
「にゃー!?」
「ふぎゃー!?」
「一枚二枚……ふふ、うふふふふ」
――燐さんでさえ野生に戻るルーミアの雰囲気に、私はもう駄目だと思った。
「ルーミア! こっち向いて!」
「ミスチー、邪魔しな――あむ、まぅまぅ」
「私のも、ね。はい、あーん」
「あーん、まぐまぐ。あまぁい!」
言葉と共に、闇は払われた。なんで?
光と共に目に入ったのは、何かをほうばりながらミスチーとリグルに抱きつくルーミア。
「甘い! 美味しい! フタリとも大好きー!」
「わとと、落ち着いて、ルーミア」
「ふふ、まだあるからね」
満面の笑みに、フタリは顔を見合わせ笑い、幼子の様にはしゃぐルーミアの頭を撫でていた。
ちょっと待て。
「な、何よそれぇ!? あんだけ怖がらせておいて、何この展開!」
「そ、そうだ! 一瞬、お空の前で食べられるかもしれないって濡れ、あぁ違う、あたいはMじゃない!?」
私と燐さんは、手を上に下にの大抗議。り、燐さん、頭がくらくらするよぅ。
「あむあむ。Mってなぁに?」
「えっと、マインスイーパーとか」
「リグル、それはちょっと不自然過ぎる」
「ザッヘル=マゾッホの略。意味はよく知らない」
和やかな雰囲気が、むしろ腹立たしい。
「しぎゃーっ!」
抗議を続ける私達――の口に、何かが放り込まれた。
ざらっとした感触のソレを牙で噛み砕く。
口の中で、甘みが広がった。
燐さんと顔を見合わせ、投げ込んだミスチーとリグルに視線を向ける。
「さっきから、これ、作ってたんだ。でも、これ、何?」
「鉄板で焼いてたから加減が良くわからなかったんだよ」
「まぁ、焼けば一緒だし、味も悪くないでしょ? お酒には合わないけど」
いやだから、何これ。
「猫の舌」
「ふぎゃー!?」
「もう、ミスチー!」
同胞の恨みを返そうと弾幕を形成する私。
だったが、『力』は散らされた。
散らしたのは、燐さん。
「あー……なるほどね、そう言う事か。あたいも何度か大口開けたっけ」
「そ。橙もさ、遊び終わった後に息を吐いてたんだよ。舌出してね」
「ミスチー、だから、作り出したんだもんね。これ。えっと」
「日本語訳で‘猫の舌‘。正式名称は――」
「……ふに?」
燐さんを見上げると、苦笑しながらルーミアの方に顔を向けていた。
「らんぐどしゃ、美味しいーっ」
――数分後。
なし崩し的に私達は、お酒を片手にお菓子を肴にやんやにゃんにゃと騒ぎ始めた。
ラングドシャ、確かに形は、私と燐さん、要は猫の舌に似ているかもしれない。
まぶされた砂糖がざらざらしていて、なるほど、感触もそれっぽい。
……なんでもいいけど、なんでもあるな、この屋台。
にゃ、私も色々持ち込んでいるんだけど。
もぐもぐ、あむあむ。
「おいし、美味しいっ」
口の周りに砂糖を散りばめるルーミア。
「ルーミア、ちょっとこっち向いて、べたべたになっちゃってるよ」
呼びかけ、とりだしたハンカチで口を拭うリグル。
「や、暫くは同じ事の繰り返しじゃないかなぁ」
言いつつも、同じく紙ナフキンを取り出す反対側のミスチー。
「あはは、みんな可愛い、ね、お燐」
ルーミアと同様、お菓子をほうばりながら空さんは笑いかける。
「うん、あんたはもう少し容姿に合った食べ方をしようか」
額に手を当て、燐さんは溜息をついた。
「あ、でも、拭ってあげるんですね」
「うにゃ!? ま、まぁ、一応」
「ありがとー、お燐!」
抱きついてくる空さんの視線から逃れるように、燐さんはそっぽを向いた。
突然なその態度に、私とルーミアは小首を傾げる。
ミスチーとリグルはくすくす笑っていた――。
そう言えば、と砂糖が、もといルーミアが口を開く。
「結局食べられなかったけど、橙とお燐の舌も美味しいのかなぁ」
噎せる私。
頬を掻く燐さん。
苦笑いを浮かべるミスチーとリグル。
応えたのは、だから、空さん。
「魚と醤油のお味がしたよ」
私達は、固まった。
最初に動いたのは、私の肩を叩くっにゃー!?
「肴の後は、魚が食べたいなぁ」
「うまくない全然うまくない!」
闇が広がる。
「は、春だもん! 仕方ないじゃん!?」
「何も言ってな――え、え、ほんとに、その、舐められた……?」
「べろちゅーですね、わかります。リグル、リグル、私達もあがががが!?」
吐く息を荒くし、私は逃げた。
「だからね、ルーミア。美味しかったよ」
駄目押しをする空さんの声を、耳にしつつ。
「ちぇーん! 食べさせて!」
「ふにふにゃふぎゃーっ!?」
――やんやにゃんにゃ。
<了>
タイトルも面白くて好きでした。
橙とルーミアの絡みというかルーミアが一方的にというか
色々と良い雰囲気だったのが面白かったです。
外野ではリグルとミスティアがやっぱりな行動とかも笑いを誘いますね。
氏の書くこの子達はとても好きです。
面白いお話でした。
おくうりん万歳!
おりんくうも大好きだけれどやっぱりおくうりん!
道標さんはとてもとても分かってらっしゃる……!
ミスリグも良きちゅっちゅ日和のご様子で。
ルーミア嬢は恋多き幼女(おんな)。
橙「私は遊びだったのね!」
こうですね分かりません。
……ダメだ。勝ち目が無い。
レミリャとサトリンはまず口で妹に勝てない気がするw
確かにねこたんぎゅーw