紅い悪魔が束ねる館、その地下にある大図書館で、今日も今日とて魔女は囁き、悪魔は笑う。
紅茶を飲みつつ手に持つ本の頁を器用に捲るパチュリー・ノーレッジに、彼女の使い魔である小悪魔が話しかける。
【パチュリー様、『レメゲトン』はどう訳しましょう? そのままでいいですかね?】
小悪魔は今、図書館の目録作りに精を出していた。
机に積まれた書物の数は既に小山と形容していい程になっている。
久方ぶりの本来の仕事に、彼女自身が思っていたよりも興が乗っているようだ。
問いかけに、パチュリーは視線はそのまま下向きで、応える。
「一応、『ソロモン王』云々も入れておいて。解り易いのが一番よ」
イェッサーと返し、小悪魔は再び、筆を走らせた。
――数分後。
【パチュリー様、ウチに『黒い雌鳥』なんてあったんですね】
「そりゃあるわよ。魔術書の中じゃ手に入り易い部類だもの。……手、止まってるわよ?」
【えろいーむえっさいむ、えろいーむえっさいむ、ほら、ばらんがばらんがっと、わかってますよぅ】
ウィの声が響き、その後にはまた、筆が紙を滑る音だけとなる。
――十数分後。
【パチュリー様、パチュリー様、イァイァハスタァーっ!】
「どうしてそんな気合の入った声を出しているのよ。と言うか、もう小説に移ったの?」
【でもね、魔女さん、今の貴女に紫もやしは……あ、流石ですね。区切りがついたんで洋書を進めています】
魔女はスプラウトの単語に反応して半眼を飛ばし、ヤァハの応えに溜息を吐く。
使い魔が下を向く、その直前に、呼びかけた。
「小悪魔?」
【如何いたしましたか?】
パチュリーは、読んでいた本を胸に抱きこんだ。その仕草は彼女の思考時の癖。
つまり、魔女は使い魔の言葉を考えているのだ。
思考を一瞬で終え、視線を向けた。
疑問符を張り付けた表情とぶつかる。
「順に、英語、フランス語、ドイツ語、それから、ルーマニア語……」
「うぉちゅうふんやぁ――」
「……中国語?」
シィと右肩下がりの発音に、パチュリーは額に手を当て、重々しく、言った。
「――此処は幻想郷よ。日本語で話しなさい」
「やぁ、あはは、言語を学ぶのって結構楽しくて。良い機会ですし、英語以外も覚えちゃいました」
「覚えちゃいましたって……過去形なの? あれからまだそれほど経っていないわよ」
「ですから、言葉は硬いんですよ。まだまだですねぇ」
何がまだまだなのか。
パチュリーは手をそのままで、再び息を吐く。
目録作りの傍らで幾つもの言語を習得する。その出鱈目な記憶力に呆れかえった。
そんな主の憂いを知る由もなく、小悪魔は頬を掻き、己が未熟を口にする。
「それに、発音も難しくて。特にルーミア語と中国語」
「レミィも美鈴も日本語で話しているんだから、無駄な頑張りね」
「パチュリー様、小悪魔、放置プレイの使いこなしっぷりに挫けてしまいそうです」
ルーミア語。主に使うのは「そーなのかー」。小首の傾げ方がポイントである。豆知識。
「まぁ……今使ったので『覚えた』のは中国語だけなんですけどね」
「うん? 他のは元から知っていたと言う事?」
「です。ヨーロッパの言語はママンに叩きこまれていましたから」
曰く、『何時何処の誰に喚ばれてもいいように』との事。
小悪魔だけでなく、家族に対してもうろんげな思いを抱くパチュリーであった。
主から向けられるジト目にもめげず、使い魔は胸を張り、誇る。
「パチュリー様! 是からは私の事を、十の言語でおっぱいを語る女とお呼びくだぁっきゃー!?」
スペルを放ち、パチュリーは台詞を遮る。
「痛ひ……そんなに私の進化が認められませんか?」
もう戻ってきた。ダメージは見受けられない。耐久力は一級品だと改めて認識した。
「そんなイロモノな進化は要らない」
にべもなく言い切る。
挫けると思った小悪魔はしかし、先ほどと変わらず胸を張り、宣言する。
「では! 私のBボタンを連打してください!」
「貴女の躰の何処にそんなボタンがあるのよ……」
「ありますよ? 胸の先端に二つ。びーちあ痛ぁぁぁ!?」
パチュリーは指を立て、突いた。
「ぱ、パチュリー様、そこ、胸骨の隙間! 痛い、地味に痛い!」
見ようによっては仲良く戯れるフタリ。
彼女達は、空気の流れを感じ、同時に振り向く。
図書館の外からの風、司書室の外からの風、――否。
風と感じさせる存在が、扉をあけ、其処に居た。
「なんかボロボロですけど、射命丸さんではないですか」
小悪魔が呼びかけ、パチュリーは体を向ける。
「遅かったわね。指定時間を過ぎているわよ?」
――フタリの声は、扉が閉まる音にかき消された。ぱたん。
「ちょ、何しに来たんですか、射命丸さん!?」
「いえ! 私は風! 自然現象! お気になさらず情事をお続け下さい!」
「嫌ですよ、胸骨を無言で叩く情事なんて! 幾ら私でもそれに悦びを見出せません!」
喚く天狗と使い魔を無視して、魔女は扉へと進み、開く。
「愛あればこそ! ねぇ、パチュリーさん!?」
「取材するの? しないの?」
「見事なスルーっぷり……」
文は嘆きと共に顔を手で覆い、同じく涙する小悪魔に肩を叩かれ慰められた。
一切合財を無視して、魔女は元いた場所に戻り、小悪魔へと指示を出す。
「紅茶を三杯お願い。暖かいのにしてね」
あぃさーの返答を残し、小悪魔は給湯室へと向かった。
「パチュリー様」
一拍後、戻ってきた。
「……何よ」
「いえ、何故、三杯なんです?」
「私と貴女と彼女の分だけど?」
首を捻る小悪魔。
「私、取材中は別の部屋に移りますけど……」
パチュリーは首を振り、代わりに文が応える。
「いえいえ、このたびは貴女が取材対象なんですよ」
「……へ? 文花帖でもスル―された私を? 何故に?」
「何の話か解りかねるけど。貴女の語学力に目をつけたみたいよ。ほら、だから、早く」
先の英語再学習が耳に入ったんだろうか。
小悪魔はそう考え、パチュリーの邪険な手つきを視界に入れつつ、文を見る。
文はくししと口を愉快そうに歪め、小悪魔に歩み寄り、耳元で囁いた。
「私も取材したいとは思っていたんですよ。
で、ご主人にオファーをもちかけたら快諾を頂きまして。
『咲夜が載るんだから、あの子も載るべきよね』って。従者冥利に尽きますねぇ」
小悪魔は目を白黒させ、パチュリーを見る。
パチュリーもまた、小悪魔を見返した。
そして、口を開く。
「紅茶を早く。茶っぱの代わりに、鴉を蒸しなさい」
「あやぁ!? 美味しくないと思いますがっ」
「でしょうね。飲まずに捨てるわ」
実に魔女らしい外道な返答に、鴉天狗は沈んだ。
文の傍らに佇み未だ動かない小悪魔に、パチュリーは二三度手を振る。
「聞こえないの? 早く行きなさいよ。全く……」
「……駄目な使い魔ですねぇ」
「そうとは言って……」
主は口を押さえる。使い魔は口に笑みを浮かべる。
次の瞬間、怒号。
「早く! ハリー、ハリー!」
「やー、ますたー!」
扉の外に出、歩み去る小悪魔のステップは実に軽やかであった。手に掴まれた鴉も嬉しそうに鳴いている。
「ぶんぶん丸ーっ!?」
文の悲鳴だけが、館内に木霊した――。
椅子に座り、文は机に伏せ、むせび泣く。
「う、うぅ、ぶんぶん丸……もうすぐ彼女も変化できる程に育っていたと言うのに」
「本当に蒸す訳ないでしょう。アレは小悪魔よ?」
「前後が繋がるようで繋がらない。不思議」
今度はパチュリーが机に両肘を突き、額を両手で覆った。
「……あの子、外でうたた寝してたら何時の間にか雛鳥が数羽頭に乗っていたらしいのよ」
微笑ましい光景はしかし、それでいいのか悪魔と思える。
文は口を開きかけ、結局、噤む。
かける言葉が見当たらない。
うすら寒い雰囲気がフタリを包んだ。
――先に言葉を発したのは、館の主。幾つかの疑問が、来訪者に対してあったのだ。
「そう言えば。何故、貴女の服はそんなにぼろぼろなの? それと、従者は?」
言葉通り、文の衣服は所々が焦げ、切り裂かれている。
パチュリーの問いに、文はまず、訂正を入れた。
「私はしがない新聞記者なもので。従者なんていませんよ」
「……え? 白狼天狗の……犬走椛だったかしら。彼女は――」
「哨戒天狗ですからねぇ。一時期は私の下に就いていましたが、今は元の鞘に」
納まっている――続く言葉は、お返しとばかりに被せられた。
「その割には、よく一緒にいるそうじゃない」
頭を掻きながら、文は応える。
「非番の日は、此方の取材に付き合ってくれていますねぇ。ま、従者と言う訳ではないですよ」
はぐらかすような解答。
追撃するのは大人げないかと、パチュリーは先の質問の前者を再び問う。
彼女の配慮を見透かしたかのように、文は又、椛の名を出しながら応える。
「話すと長くなるんですけどね。
ほら、今回、小悪魔さんの取材をお願いしたのって、言語がお題じゃないですか。
で、非番だった椛さんにも聞いたんですよ。日本語以外で何か話せますかって。
首を捻っていたんで、私は代わりに言ってあげました。『わん』って」
この時点でまず、額が割られたそうだ。
文は語る。
図書館に来るまでの事を。
幻想郷を飛び回り、様々な言語を聞きまわって来た事を。
時間に遅れて当然ね、とパチュリーは心の内で非難した。
「山を出る前に、神社にも行ったんですよ。守矢神社。
生憎と風祝はいませんでいたが、神様二柱は御在宅で。
快く応えてくれましたが、残念な事にあの方々の言語は理解不能でした」
文字通り、神々の言葉。千年天狗と言えど、その言語の知識はなかったそうな。
「興が乗ったのと時間がまだあったんで、次に魔法の森へと向かいました。
香霖堂でしたっけ、あの商店に結構集まっていまして。
違う言語を使えたのは魔理沙さんだけでしたけどね」
彼女は魔法使いである。洋書を読み、西洋語を繰るのは当然の事だ――思いながら、パチュリーは顔を俯かせ、密かに笑った。
「あぁ、そう言えば、後から霊夢さんと来た早苗さん。彼女も使えるようです。魔理沙さんとは違った気もしますが」
祝詞ではない。そうであれば、巫女にも解る筈である。
「次にお邪魔したのはお姫様が住まう永遠亭。
あそこのお三方にお話を伺ったんですが、ちんぷんかんぷんでした。
神様二柱の言葉はまだ時々理解出来たんですけどね、此方はもー発音さえ不明瞭で」
文が耳にしたのは、輝夜や永琳、鈴仙の言葉であり、月の言語。地上に住む彼女やパチュリーが知る由はない。
「永遠亭を出てすぐに藤原妹紅さんにお会いしました。
びっくりしましたよ、彼女、日本語とは言え、色々な方言を話せるんですよ。
特にお上手だったのは都言葉でしたね。普段の彼女とは合いませんでしたが、妙に堂に入っていて。
『お姫様みたいですねぇ』ってお褒めしたら、『いてまいますえ』と笑顔で返されました。熱かった」
ついでに炎も投げられた。服の焦げの理由である。
「次は無名の丘に赴きました。鈴蘭もちらほらと咲いていて、綺麗でしたよ。
メディスンさんをお訪ねしたのですが、丁度、風見幽香さんもおられましてね。
前者は鈴蘭の、後者は花全ての『声』が聴けるそうです。
『わぉ、メルヘンチック!』――何がいけなかったのか、直後に、フラワースパークを放たれました。痛かった」
花の大妖、風見幽香。その心は乙女にして多感なり。
――首を捻る文に、パチュリーは呆れた視線を向ける。
本当にわかっていないのか。大妖の一撃を浴びてその程度で済んでいるのか。
次から次へと疑問は浮かぶが、どうにかどれも捨て置き、本題へとつないだ。
「そして、漸く此処にきた、と」
「ですね。なもんで、ちょいとはしたない衣装ですがご勘弁下さいな」
パチュリーは視線を上下させた。
スカートの一部が焼けていて、しなやかな太腿がまろびでている。ドロワも然り。
カッターの一つ目二つ目辺りのボタンは飛ばされており、下着がちらちらと視界に入った。
しかし、何故かリボンは残されていた。文の大きくはないが形のいい胸にかかっている。通好み。
「――通って何よ!?」
「あやや、どうしました?」
「……なんでもないわ」
文の気遣いに素っ気なく返し、パチュリーは視線を彼方に放る。目のやり場に困っていた。
やり場のない視線は怒りに変換され、文を招いた直接の原因である自身の使い魔へと向けられる。
「遅いわね、あの子。さっきはあぁ言ったけど――」
「まぁまぁ、学習力は素晴らしいじゃないですか。知識の魔女の使い魔らしい」
「……ふん。元から、英語もだけど欧州の言葉なんて使えて当然なのよ。褒める事でもないわ」
そっぽを向き眦を吊り上げる魔女に、天狗は小さく笑い、話に乗った。
「ほう、その言い方ですと、彼女は英語以外にも話せると?」
「ええ。フランス語、ドイツ語、ルーマニア語……。難しいのよ」
「ふむぅ、それら全てを扱えるのですね。よく教え込みましたねぇ」
自身は何もしていないと断り、パチュリーは続ける。
中国語も覚え、日本語に至っては自身よりも上かもしれない、と。
知識の魔女は、あくまで澄ましながら、眦を吊り上げたまま、早口で語った。
文は目を細める。
彼女は千年天狗であり、百年魔女の心など手のうち。
だから、パチュリーの期待に応え、主語を入れ替えて返した。
「なるほど。話をお聞きするだに素晴らしいじゃないですか、小悪魔さん」
「……何を聞いていたのよ。褒める事じゃないって言っているでしょう」
「ありゃそうでしたか。てっきり……あやや、そう可愛いお顔で睨まないでくださいな」
右拳を口に当て、文は小さく笑う。
言い返そうとしたパチュリーは、口を噤み、そっぽを向く
頬を染めていた朱は、既に両耳にまでその領域を伸ばしていた。
使い魔が使い魔なら、魔女も魔女だ――天狗は愉快そうに笑んだ。
「……下着、見えそうだから。隠して」
この魔女にしてあの悪魔あり。否。あの悪魔にしてこの魔女あり、だろうか。
微笑を微苦笑に変え、文は差し出されたケープを首に巻きつけた。
――空気が乾く、その前に。
扉の外より、小悪魔の声がフタリの耳に入った。
足音よりも先に届いたのだから、ほどほどの声量。
けれど、フタリは同時に首を捻る。
小悪魔以外の足音を、より正確に掴める『力』を、感じない。
独り言だろうか。考えていると、扉が開かれた。
「――っと、お待たせしましたー」
片手に盆を、もう片手にポットが持たれている。温かそうな湯気に、フタリは小さく喉を鳴らした。
一瞬後、また疑問が浮かぶ。彼女は今、どうやって扉を開けた?
そして、何故、盆の上のカップは四つある?
「あ、射命丸さん、聞きましたよー、椛さんを怒らせたそうですね」
パチュリーと文の訝しげな視線など何処吹く風と言った様子で、小悪魔はにやにやと笑う。
「からかうのもほどほどにしないと、ほんとに嫌われちゃいますよぅ?」
「そう言う話、好きね、貴女。それと、顔が下品」
「小悪魔ですから。大好物」
軽口を交わし合う主従。
文は、ヒトリ、新たに出てきた疑問に首を捻る。
口にして問う直前、声が耳に入った。
小悪魔の肩に止まる鴉の鳴き声が。
そして、全てを理解した。
「なんと! では、射命丸さんの取材が終わった後に、お聞かせ下さいね」
天狗は、魔女に視線を向ける。
魔女もまた、漸く、今の言葉で理解した。
彼女の使い魔は、彼女も天狗も見ていなかったから。
「おぉ、言われてみれば、射命丸さん、確かに艶やかなお姿! 良く見ていらっしゃいますねぇ――」
肩に止まる鴉の鳴き声に、小悪魔は、殊更嬉しそうな笑顔を返していた。
「――ぶんぶん丸さん! ……え、あの、パチュリー様? くすぐったい、くすぐったいです!?」
ゆらりと歩み寄ったパチュリーは、無言で小悪魔の進化をキャンセルするのであった――。
<幕>
《彼女は常に小悪魔の上をいく》
――にゃーん、にゃぁ!
「こんにちは、橙ちゃん。ふふ、まだ皆、来ていないわ」
――ちんちーんっ。
「ミスチーちゃん、急いで来たからって、そんな声を出していると、私、嬉しいわ」
――……? ……っ!
「ほら、リグルちゃんも怒ってる。女の子は光らない? は……、勉強し直して来なさい」
「ねぇね、皆が何を言っているか、わかったの?」
「チルノちゃんなら、無言でもわかるわよ?」
「……」
「『ほんとかな? 試してみよう』」
「わ、凄い凄い! ……んぅ? えへへ、こそばゆいよぅ」
《彼女は常に小悪魔の上をいく。いろんな意味で》
<了>
肋骨の間に指を突き入れられるというのも……痛そうですね。
氏のパチュリーと小悪魔の掛け合いはとても好きですよ。
面白かったです。
もこたん良家のお嬢様Verは気になりますねww
Bボタン連打!?
「彼女」に拮抗し得るのはV-MAXサナーエのみ。
道標さんの幻想郷的な意味で。
面白いからw
でもなんだかいい雰囲気。
しかしもっこたんの『いてまいますえ』はええですね。
でも京言葉どうこうというよりヤクザっぽ(ry
相変わらず道標さんの小悪魔はエロかわいいですな。
大妖精wwww