「……花?」
ありえない光景だった。
岩窟の中に、花が咲いている。
普通の洞穴じゃない、ここは地よりさらに深い旧地獄跡。
陽の光もなく、雨も降らず、何より火より暑いこの場所に花が咲くことはまずありえない。
花に必要なもの、全てが足りない。
「なんで、こんなところに……」
地霊殿の主、さとりは混迷していた。
未曾有の事態である。
……とはいっても、異変の類ではない。
何より、咲いた花は一輪だけで、邪気も妖気も感じないからだ。
変哲もない、正真正銘の花だった。
「初めて見るわ……」
さとりは、地上を見たことがない。
妹のこいしが出歩いているが、一応管理者の彼女が地底を離れるわけにはいかない。
洞穴入り口付近には、生い茂る草と樹木ばかり。
どうあっても、花を見ることはなかったのだ。
何故、こんなところに花なのか。
「とりあえず、このままにしておいてみましょうか」
影響があれば、その時対処すればいいとさとりは考えた。
ただ、お燐の猫車に轢かれないように適当な器に移し替える。
運動不足気味のさとりには、この作業は体に堪えたようだ。
根ごと掘り出すのに、数十分を要した。
「……空の前のお茶碗だけど、まぁいいか」
適当だった。
空がまだ、普通の地獄烏だった頃の椀である。
他の地獄烏との共有であったため、思い入れは特にない。
「岩に生えるなんて、よっぽど物好きな花ね……なんていう名前かしら」
さとりは、植物の心を読めない。
動物や怨霊の心は読めても、動物よりも心の波が少ない植物を読むことはできない。
花の妖精でもいなければ、覚にとっては最も相性が悪いかもしれない。
「ここにあると、いつ燃えてしまうかわからないから家に入れてしまいましょう」
地霊殿の付近には、灼熱地獄がある。
気まぐれに咲いた花でも、ここに放置するのは酷なことだろう。
怨霊に取り付かれても、地霊殿の新たなペットとなる。
「……あの子の影響かしら」
こうして、地底に咲いた花は地霊殿に保護された。
「なんですか? これ」
「お花?」
「……あなたたちの仕業じゃないのは、わかったわ」
やはり何かの気まぐれか、それとも妹のこいしが植えたのか。
どちらにしろ、悪意あるものでないことは判明した。
こいしに関しては、よくわからない部分ではある。
さとりは、妹を疑うことはしない。
はっきりしているときを除いて。
「……それにしても、このまま地底に置いておくのもどうかしら」
「焼けますね」
「食べますね、種を」
「あなたたち、駆逐する気?」
「いいえ?」
「ぜんぜん?」
「……」
現在、花にはゾンビフェアリーがまとわり付いている。
死した妖精にも、花はやはり興味を湧かせるものであるらしい。
血のように真っ赤な、薔薇のような花。
「で、どうするんですか?」
「食べるんですか?」
「天丼は感心しないわ」
「……」
「地上に詳しい妖怪でもいないかしら」
「なんで妖怪限定ですか」
「花の声が聞こえる妖怪くらい、新しいのがいるでしょ? 多分」
地底にいるのは、旧い妖怪ばかり。
一癖どころか、十癖あっても過言じゃない者ばかり。
花に関して一家言ある奴なんか、いないとさとりは考えている。
「そんなわけで、おつかいに行きなさい」
「命令ですか」
「主にお空」
「うにゅ?!」
突然の指名に、空は驚愕する。
「多分、原因はあなただからね」
「わ、私知らないですよ!」
「そうでしょうね。あ、お燐は怨霊の管理と死体運びよ。外に遊びに行くのは終わってからね」
それだけ言って、さとりは地霊殿へ戻る。
お燐は迷いながらも、さとりについていった。
そして、空だけが残される。
「うにゅー……」
所在無く、碗を抱えたまま固まる空。
一応ペットとして、主人の言葉は絶対である。
忠誠心だけは、そこいらの従者とは比較にならない。
実行できるかどうかは、まったく別の問題。
「……あの飛んでる巫女のところにでも、言ってみようかな」
空は、羽を広げる。
まずは、地上を目指して。
もはや、自分が封じられた妖怪の一体ということは忘れて。
もしわかっていても、咎める者はだれもいない。
「……何それ」
「花」
「食べられないわよ」
「知ってるよ」
空は、まず博麗神社にやってきた。
というよりも、空が地上で知っている場所はここしかない。
山の神に関しては、あくまで会ったことがあるだけ。
元々記憶量が多くない彼女には、ここ以外に行く場所を知らない。
とりあえず、霊夢は縁側に空を誘う。
「猫は?」
「さとり様に捕まった」
「そう……きっと水責めね」
「なんで?」
「勘。……なんで花なんか持ってるのよ。地底にも生えるもんなの?」
「あ、そうだったそうだった。これのこと知らない?」
空はうっかりしていた。
「知るわけないでしょ。そんな物好きな花なんか」
「うにゅー」
「そんな怪しく光る花なんて、妖怪にでも生えたんじゃないの?」
「地面だよ」
「……じゃあ、紅魔館にでもいってみればいいじゃない」
「何それ?」
「湖の向こうの派手な建物よ。センスもなにもあったもんじゃないわ」
霊夢は、ものすごく簡略化された地図を手渡す。
博麗神社から始まり、目印といくつかの矢印。
あとは、すごく適当に書かれた似顔絵。
そして、大変わかりやすい×印。
さらに紅魔館より離れた場所に、頭蓋骨らしきマークが。
「そこの門番が、なんか趣味でやってるっぽいから聞けばいいんじゃない?」
「ふーむ。この変な似顔絵は?」
「出そうな妖怪よ。地上であんなの撃った日には、あんたをあの地獄に沈めてやるから」
「丁度いい湯加減だよ」
「いいからさっさと行きなさいよ」
「ねえ、このドクロは?」
「興味があればいってみたら?」
そう言い残して、霊夢は境内の掃除へ戻る。
話すことはもう無いという雰囲気を纏い、空のちょっかいにも反応しない。
空は、出されたお茶と駄菓子を平らげる。
「今度来る時は、猫も一緒に連れてきなさい」
霊夢から見送られて、再び空は飛び上がった。
その無防備な後姿を見て、霊夢は思う。
「……なんであの子は、髪ぼっさぼさで平気なのかしら」
気にするところが、ずれていた。
本日の巫女の勘は、絶賛休暇中のようである。
「……ごめんね、ちょっとわかんないなぁ」
「うー」
紅魔館の門前、美鈴は空が持つ茶碗を見ながら言った。
霊夢が言った、趣味とは少々語弊がある。
単に、中庭の花壇も美鈴の受け持ちなだけである。
それでも、詳しいうちには入るだろうが。
「それにしても、珍しい花ね。変な気を纏っているし」
「変な気?」
「この花っていうか、それとも取り憑いているというのか。よくわからないけど」
「うにゅー」
「これ、何処に生えてたの?」
「地霊殿の前」
「……どこ?」
「旧地獄にある、さとり様の屋敷だよ。知らない?」
「……貴女たちって、封印されてたんじゃないの?」
「何それ?」
「……」
「んー、ほかに知ってる人っていないの?」
「パチュリー様の本に……でも地底の知識はあまりないかな」
美鈴は、頭をかきながら考える。
長いこと門番をやっていて、初めての事態だった。
当たり前だ。
封印された妖怪が、花の相談をしに来るなど誰が思うだろう。
地底に花が咲くということも、初耳である。
「妖怪……花……んー」
考えながら、美鈴は空を観察する。
鳥の妖怪であることは、翼でわかる。
そして、色からおそらく烏であろうことは用意に推理できた。
美鈴の関心を引いたのは、身体の特徴ではない。
焼けるように熱い、黒い球体だ。
(まぁ、巫女が祓わないなら大丈夫なんだろうけど)
美鈴は、空にある方角を指刺す。
手に余ると判断した美鈴は、会ったこともない妖怪に災難を押し付けることにした。
空は、つられて目を向ける。
もちろん、何があるかなど知る由もない。
「あっちのほうに、向日葵の畑があるのよ……今は枯れてるのかどうか知らないけど」
「向日葵?」
「花の一つよ。で、そっちに花の化身みたいな妖怪がいるから、そっちに聞いたほうが早いと思うわ」
「これに載ってる?」
空は霊夢にもらった地図を広げる。
これこれ、と美鈴は離れたドクロを指差した。
紅魔館から山一つ離れた僻地、太陽の畑。
「んじゃ、いってみるわ」
「あー、行く前に一つ。こっちで、あまり能力使わないでね?」
「なんで?」
「巫女が飛んでくるわ。それから、こっぴどく説教ね」
「うぇ、じゃあやめとく」
「そのほうがいいわ。じゃあ、気をつけてね」
「あーい」
そう言って、飛び去る空。
美鈴は、改めて門番の任に就く。
「……物分りはいい子だったけど、大丈夫かしら」
空の血の気が多くなかったことは、幸いであった。
元々、間欠泉の原因は山の二柱である。
そのせいと言うべきか、おかげというべきか……空は、幻想郷屈指の力量を得た。
それが、有効活用できるかどうかは別として。
よほどの馬鹿でなければ、仕掛けることはない。
僥倖といったところだろうが、よほどの馬鹿は仕掛けるわけで。
「……紅いの、鳥見なかった……」
「あ、あんた何融けてんの?」
「なんか、あっついの、ぶつけられ」
「仕掛けたのか……」
面倒を避けてよかったと思う、美鈴であったとか。
飛べる幻想郷の住人にとって、山一つは大した障害ではない。
春に足をかけた山には、ちらほらと緑の彩りを見せ始めていた。
空は、初めてここを訪れる。
その目には、とても輝かしく映った。
生のほとんどを地底で過ごしたその羽は、風を切ることに快感を覚える。
そのせいで、危うく目的地を通り過ぎるところだった。
空から見ると、非常に分かりやすい。
山の間に、ぽっかりと空き地がある。
夏であれば、そこは黄金色の向日葵に包まれる太陽の畑。
しかし、春の今ではちらほらと黄色が見えるだけである。
「ここか。……殺風景なところ」
旧地獄もいい勝負である。
ちらほらと見えた黄色は、菜の花。
ところにより小向日葵。
異常であるが、ここを縄張りにする妖怪のことを考えればそんなこともあるかもしれない。
面倒を押し付けた美鈴も美鈴であるが、確かに花のことなら適任だ。
問題は、そこから生きて帰れるかどうか。
相性は最悪である。
そんな事実をよそに、空は高度を下げた。
地上近くで見ると、より殺風景。
生き物の姿なんか、影もない。
「うぇー、こんなところに本当にいるのかなぁ」
空は降り立った。
途端、小さな向日葵が空を睨む。
一つだけではなく、全ての向日葵が反応した。
何かに操られているというよりは、本能的に。
「なっえっ!?」
思わず、空は制御棒を構える。
吐き出される炎は、超高温。
制御棒の先に、光が収束する。
幻想郷にはなかった、新たなエネルギーが迸る。
太陽の畑と周囲の山くらいは、消し炭になるだろう。
神の炎は、それほどまでに強い。
そして
「……そこまでよ」
畑の主も、同様に。
制御棒は、突如横から生えた傘によって上空に逸らされた。
直後、人の頭程度の大きさの『太陽』が放たれる。
それは、ゆっくりと上昇していく。
やや経った後、毛玉にでも当たったのか一度だけ大きく輝いた。
小規模の爆発であったためか、地面にいる空には影響もない。
少々、雲が消し飛んだだけだ。
狙いを外された空は、唖然とする。
全くの予想外。
文字通り、傘が生えるなど誰が思うだろうか。
傘は、何かの蔓に支えられている。
傘の主は、空の正面。
いつの間に眼前に現れたのか、空は気づかなかった。
「人がせっかくお昼寝と洒落込んでたのに、殴りこみとはいい度胸ね」
風見幽香。
自称・最強の妖怪。
人間相性は、最悪。
そして、太陽の畑を根城に幻想郷の花を司るフラワーマスター。
空の、訪ね人。
まぁ、人ではないわけだが。
「そんな馬鹿な烏には、おしおきが必要かしら?」
「あ、もしかして貴女が花の妖怪?」
「……話を聞かない子ね」
「痛い痛い! 拳地味に痛い!」
額に青筋を浮かべながら、拳で空の頭を開拓する幽香。
きっと、空の頭部には太陽が詰まっているに違いない。
八咫烏が出てくるかもしれないが。
しばし、空を「おしおき」していた幽香であったが、ついに気づいた。
謎の花を活けた、茶碗に。
解放された空は、地面に崩れ落ちる。
鳥頭とあっても、激痛を忘れることは出来ない。
トラウマの一つとして、心に刻み付けられたかもしれない。
「これ、貴女の花?」
「うぁー、うー」
「ねぇ」
「見つけたのはさとり様で、私はお使い……」
「おかしいわね、間違いなく貴女が咲かせたのに」
「う?」
「名前も知らないなんて、初めてだわ……」
幽香は、訝しげな表情で花を見る。
納得がいかないようだ。
「なんで、地底に花が咲くのかしら?」
「その理由を聞きにきたんだった。そうだった」
「……私は、花と話ができるわけじゃないのよ?」
「えー」
「……苛々するわね、この子」
太陽の畑は、かつてない殺気に包まれる。
片や、それには気づいていない。
もし開戦となれば、どれほどの被害が及ぶだろうか。
霊夢が出張ってくるかもしれない。
「でも何か貴女、懐かしい匂いがするのよね」
「土のせいじゃない?」
「いいえ、もっと何かこうぬるいような暖かいような……太陽?」
「これ?」
空は、黒い太陽を示す。
本物の太陽には及びがつかないが、仮にも神の火。
太陽のような役割は、ある程度果たせるのかもしれない。
「でも、水ないよ?」
「そうね……」
一応、地霊殿にも生活用の水はある。
冬の間欠泉も、元々地底にあった水だ。
しかし、庭に水まきなどしたことがない。
地霊殿の中庭は、灼熱。
周囲の旧都にも、灯りはあれども植物はない。
では、何が水の代わりを果たしたのか。
「地底には、花なんか咲かないのになぁ」
「珍しいこともあったものね。血でも吸ったのかしら?」
「あー、そうかも。お燐が、死体運ぶし。それで、この花はどうすればいい?」
「え?」
さとりには、細かい命令を受けていない。
捨てろとも、持って帰ってこいとも。
だから、空は知りうる中で最も詳しい幽香に支持を仰ぐことにした。
幽香は、その提案に唖然とする。
全くの想定外という感じだ。
「え? 持って帰るんでしょ?」
「でも、地上にいたほうがいいんじゃない? 暖かいし」
空は、地底に封じられた妖怪の一つ。
本来であれば、彼女が地上に出ることはなかっただろう。
だから空は、地上に送るのが最良と考えた。
そして、幽香はそれを知らない。
「あんたね……自分が咲かせたモノに責任持ちなさいよ」
幽香は、空の肩を掴む。
先ほどまでの苦笑もなく、空はその表情に息を呑む。
幽香は、あくまで花のことを考える。
花の声が聞こえるわけではない。
しかし、花にも感情はある。
それが動物のものとは異なるために、さとりには読むことができなかった。
もし、花が空の太陽で産まれたのであれば――
「いい? 貴女が意図しなくても、その花は生を受けたの」
「如何に血を啜って、怨霊の中で育ったとしてもよ」
「貴女は、自分の子を捨てられる?」
「最後まで、責任を持って育てなさい」
空は、冷や汗をかきながら上下に縦を振る。
子捨ての話は、理解できていない。
幽香の迫力勝ちであった。
ややあって、幽香は肩から手を離した。
憮然とした表情ではあるが、言いたいことは言ったらしい。
蔓から日傘を奪い、空に背を向ける。
「困ったら持ってきなさい。ちょっとくらいなら、様子を見てあげなくもないわ」
そのまま、花に紛れるように幽香は姿を消した。
突然現れて、花のように去りぬ。
残されたのは、空だけ。
結局、この花が何かは謎のまま。
「……」
茶碗の中の花は、そよ風に揺れる。
何も語らず、何も想わず。
「そういえば、名前がないって言ってたっけ?」
空は、思い出したように言う。
幽香のプレッシャーは、もう空の頭から羽ばたいていったようだ。
フラワーマスターさえも知らない、名もなき花。
太陽の烏は、考える。
かつて主にそうしてもらったように、彼女は
「じゃあ、あなたの名前は……」
地底の花に、名前をつけた。
彼女らしい、シンプルな名前を。
了
ありえない光景だった。
岩窟の中に、花が咲いている。
普通の洞穴じゃない、ここは地よりさらに深い旧地獄跡。
陽の光もなく、雨も降らず、何より火より暑いこの場所に花が咲くことはまずありえない。
花に必要なもの、全てが足りない。
「なんで、こんなところに……」
地霊殿の主、さとりは混迷していた。
未曾有の事態である。
……とはいっても、異変の類ではない。
何より、咲いた花は一輪だけで、邪気も妖気も感じないからだ。
変哲もない、正真正銘の花だった。
「初めて見るわ……」
さとりは、地上を見たことがない。
妹のこいしが出歩いているが、一応管理者の彼女が地底を離れるわけにはいかない。
洞穴入り口付近には、生い茂る草と樹木ばかり。
どうあっても、花を見ることはなかったのだ。
何故、こんなところに花なのか。
「とりあえず、このままにしておいてみましょうか」
影響があれば、その時対処すればいいとさとりは考えた。
ただ、お燐の猫車に轢かれないように適当な器に移し替える。
運動不足気味のさとりには、この作業は体に堪えたようだ。
根ごと掘り出すのに、数十分を要した。
「……空の前のお茶碗だけど、まぁいいか」
適当だった。
空がまだ、普通の地獄烏だった頃の椀である。
他の地獄烏との共有であったため、思い入れは特にない。
「岩に生えるなんて、よっぽど物好きな花ね……なんていう名前かしら」
さとりは、植物の心を読めない。
動物や怨霊の心は読めても、動物よりも心の波が少ない植物を読むことはできない。
花の妖精でもいなければ、覚にとっては最も相性が悪いかもしれない。
「ここにあると、いつ燃えてしまうかわからないから家に入れてしまいましょう」
地霊殿の付近には、灼熱地獄がある。
気まぐれに咲いた花でも、ここに放置するのは酷なことだろう。
怨霊に取り付かれても、地霊殿の新たなペットとなる。
「……あの子の影響かしら」
こうして、地底に咲いた花は地霊殿に保護された。
「なんですか? これ」
「お花?」
「……あなたたちの仕業じゃないのは、わかったわ」
やはり何かの気まぐれか、それとも妹のこいしが植えたのか。
どちらにしろ、悪意あるものでないことは判明した。
こいしに関しては、よくわからない部分ではある。
さとりは、妹を疑うことはしない。
はっきりしているときを除いて。
「……それにしても、このまま地底に置いておくのもどうかしら」
「焼けますね」
「食べますね、種を」
「あなたたち、駆逐する気?」
「いいえ?」
「ぜんぜん?」
「……」
現在、花にはゾンビフェアリーがまとわり付いている。
死した妖精にも、花はやはり興味を湧かせるものであるらしい。
血のように真っ赤な、薔薇のような花。
「で、どうするんですか?」
「食べるんですか?」
「天丼は感心しないわ」
「……」
「地上に詳しい妖怪でもいないかしら」
「なんで妖怪限定ですか」
「花の声が聞こえる妖怪くらい、新しいのがいるでしょ? 多分」
地底にいるのは、旧い妖怪ばかり。
一癖どころか、十癖あっても過言じゃない者ばかり。
花に関して一家言ある奴なんか、いないとさとりは考えている。
「そんなわけで、おつかいに行きなさい」
「命令ですか」
「主にお空」
「うにゅ?!」
突然の指名に、空は驚愕する。
「多分、原因はあなただからね」
「わ、私知らないですよ!」
「そうでしょうね。あ、お燐は怨霊の管理と死体運びよ。外に遊びに行くのは終わってからね」
それだけ言って、さとりは地霊殿へ戻る。
お燐は迷いながらも、さとりについていった。
そして、空だけが残される。
「うにゅー……」
所在無く、碗を抱えたまま固まる空。
一応ペットとして、主人の言葉は絶対である。
忠誠心だけは、そこいらの従者とは比較にならない。
実行できるかどうかは、まったく別の問題。
「……あの飛んでる巫女のところにでも、言ってみようかな」
空は、羽を広げる。
まずは、地上を目指して。
もはや、自分が封じられた妖怪の一体ということは忘れて。
もしわかっていても、咎める者はだれもいない。
「……何それ」
「花」
「食べられないわよ」
「知ってるよ」
空は、まず博麗神社にやってきた。
というよりも、空が地上で知っている場所はここしかない。
山の神に関しては、あくまで会ったことがあるだけ。
元々記憶量が多くない彼女には、ここ以外に行く場所を知らない。
とりあえず、霊夢は縁側に空を誘う。
「猫は?」
「さとり様に捕まった」
「そう……きっと水責めね」
「なんで?」
「勘。……なんで花なんか持ってるのよ。地底にも生えるもんなの?」
「あ、そうだったそうだった。これのこと知らない?」
空はうっかりしていた。
「知るわけないでしょ。そんな物好きな花なんか」
「うにゅー」
「そんな怪しく光る花なんて、妖怪にでも生えたんじゃないの?」
「地面だよ」
「……じゃあ、紅魔館にでもいってみればいいじゃない」
「何それ?」
「湖の向こうの派手な建物よ。センスもなにもあったもんじゃないわ」
霊夢は、ものすごく簡略化された地図を手渡す。
博麗神社から始まり、目印といくつかの矢印。
あとは、すごく適当に書かれた似顔絵。
そして、大変わかりやすい×印。
さらに紅魔館より離れた場所に、頭蓋骨らしきマークが。
「そこの門番が、なんか趣味でやってるっぽいから聞けばいいんじゃない?」
「ふーむ。この変な似顔絵は?」
「出そうな妖怪よ。地上であんなの撃った日には、あんたをあの地獄に沈めてやるから」
「丁度いい湯加減だよ」
「いいからさっさと行きなさいよ」
「ねえ、このドクロは?」
「興味があればいってみたら?」
そう言い残して、霊夢は境内の掃除へ戻る。
話すことはもう無いという雰囲気を纏い、空のちょっかいにも反応しない。
空は、出されたお茶と駄菓子を平らげる。
「今度来る時は、猫も一緒に連れてきなさい」
霊夢から見送られて、再び空は飛び上がった。
その無防備な後姿を見て、霊夢は思う。
「……なんであの子は、髪ぼっさぼさで平気なのかしら」
気にするところが、ずれていた。
本日の巫女の勘は、絶賛休暇中のようである。
「……ごめんね、ちょっとわかんないなぁ」
「うー」
紅魔館の門前、美鈴は空が持つ茶碗を見ながら言った。
霊夢が言った、趣味とは少々語弊がある。
単に、中庭の花壇も美鈴の受け持ちなだけである。
それでも、詳しいうちには入るだろうが。
「それにしても、珍しい花ね。変な気を纏っているし」
「変な気?」
「この花っていうか、それとも取り憑いているというのか。よくわからないけど」
「うにゅー」
「これ、何処に生えてたの?」
「地霊殿の前」
「……どこ?」
「旧地獄にある、さとり様の屋敷だよ。知らない?」
「……貴女たちって、封印されてたんじゃないの?」
「何それ?」
「……」
「んー、ほかに知ってる人っていないの?」
「パチュリー様の本に……でも地底の知識はあまりないかな」
美鈴は、頭をかきながら考える。
長いこと門番をやっていて、初めての事態だった。
当たり前だ。
封印された妖怪が、花の相談をしに来るなど誰が思うだろう。
地底に花が咲くということも、初耳である。
「妖怪……花……んー」
考えながら、美鈴は空を観察する。
鳥の妖怪であることは、翼でわかる。
そして、色からおそらく烏であろうことは用意に推理できた。
美鈴の関心を引いたのは、身体の特徴ではない。
焼けるように熱い、黒い球体だ。
(まぁ、巫女が祓わないなら大丈夫なんだろうけど)
美鈴は、空にある方角を指刺す。
手に余ると判断した美鈴は、会ったこともない妖怪に災難を押し付けることにした。
空は、つられて目を向ける。
もちろん、何があるかなど知る由もない。
「あっちのほうに、向日葵の畑があるのよ……今は枯れてるのかどうか知らないけど」
「向日葵?」
「花の一つよ。で、そっちに花の化身みたいな妖怪がいるから、そっちに聞いたほうが早いと思うわ」
「これに載ってる?」
空は霊夢にもらった地図を広げる。
これこれ、と美鈴は離れたドクロを指差した。
紅魔館から山一つ離れた僻地、太陽の畑。
「んじゃ、いってみるわ」
「あー、行く前に一つ。こっちで、あまり能力使わないでね?」
「なんで?」
「巫女が飛んでくるわ。それから、こっぴどく説教ね」
「うぇ、じゃあやめとく」
「そのほうがいいわ。じゃあ、気をつけてね」
「あーい」
そう言って、飛び去る空。
美鈴は、改めて門番の任に就く。
「……物分りはいい子だったけど、大丈夫かしら」
空の血の気が多くなかったことは、幸いであった。
元々、間欠泉の原因は山の二柱である。
そのせいと言うべきか、おかげというべきか……空は、幻想郷屈指の力量を得た。
それが、有効活用できるかどうかは別として。
よほどの馬鹿でなければ、仕掛けることはない。
僥倖といったところだろうが、よほどの馬鹿は仕掛けるわけで。
「……紅いの、鳥見なかった……」
「あ、あんた何融けてんの?」
「なんか、あっついの、ぶつけられ」
「仕掛けたのか……」
面倒を避けてよかったと思う、美鈴であったとか。
飛べる幻想郷の住人にとって、山一つは大した障害ではない。
春に足をかけた山には、ちらほらと緑の彩りを見せ始めていた。
空は、初めてここを訪れる。
その目には、とても輝かしく映った。
生のほとんどを地底で過ごしたその羽は、風を切ることに快感を覚える。
そのせいで、危うく目的地を通り過ぎるところだった。
空から見ると、非常に分かりやすい。
山の間に、ぽっかりと空き地がある。
夏であれば、そこは黄金色の向日葵に包まれる太陽の畑。
しかし、春の今ではちらほらと黄色が見えるだけである。
「ここか。……殺風景なところ」
旧地獄もいい勝負である。
ちらほらと見えた黄色は、菜の花。
ところにより小向日葵。
異常であるが、ここを縄張りにする妖怪のことを考えればそんなこともあるかもしれない。
面倒を押し付けた美鈴も美鈴であるが、確かに花のことなら適任だ。
問題は、そこから生きて帰れるかどうか。
相性は最悪である。
そんな事実をよそに、空は高度を下げた。
地上近くで見ると、より殺風景。
生き物の姿なんか、影もない。
「うぇー、こんなところに本当にいるのかなぁ」
空は降り立った。
途端、小さな向日葵が空を睨む。
一つだけではなく、全ての向日葵が反応した。
何かに操られているというよりは、本能的に。
「なっえっ!?」
思わず、空は制御棒を構える。
吐き出される炎は、超高温。
制御棒の先に、光が収束する。
幻想郷にはなかった、新たなエネルギーが迸る。
太陽の畑と周囲の山くらいは、消し炭になるだろう。
神の炎は、それほどまでに強い。
そして
「……そこまでよ」
畑の主も、同様に。
制御棒は、突如横から生えた傘によって上空に逸らされた。
直後、人の頭程度の大きさの『太陽』が放たれる。
それは、ゆっくりと上昇していく。
やや経った後、毛玉にでも当たったのか一度だけ大きく輝いた。
小規模の爆発であったためか、地面にいる空には影響もない。
少々、雲が消し飛んだだけだ。
狙いを外された空は、唖然とする。
全くの予想外。
文字通り、傘が生えるなど誰が思うだろうか。
傘は、何かの蔓に支えられている。
傘の主は、空の正面。
いつの間に眼前に現れたのか、空は気づかなかった。
「人がせっかくお昼寝と洒落込んでたのに、殴りこみとはいい度胸ね」
風見幽香。
自称・最強の妖怪。
人間相性は、最悪。
そして、太陽の畑を根城に幻想郷の花を司るフラワーマスター。
空の、訪ね人。
まぁ、人ではないわけだが。
「そんな馬鹿な烏には、おしおきが必要かしら?」
「あ、もしかして貴女が花の妖怪?」
「……話を聞かない子ね」
「痛い痛い! 拳地味に痛い!」
額に青筋を浮かべながら、拳で空の頭を開拓する幽香。
きっと、空の頭部には太陽が詰まっているに違いない。
八咫烏が出てくるかもしれないが。
しばし、空を「おしおき」していた幽香であったが、ついに気づいた。
謎の花を活けた、茶碗に。
解放された空は、地面に崩れ落ちる。
鳥頭とあっても、激痛を忘れることは出来ない。
トラウマの一つとして、心に刻み付けられたかもしれない。
「これ、貴女の花?」
「うぁー、うー」
「ねぇ」
「見つけたのはさとり様で、私はお使い……」
「おかしいわね、間違いなく貴女が咲かせたのに」
「う?」
「名前も知らないなんて、初めてだわ……」
幽香は、訝しげな表情で花を見る。
納得がいかないようだ。
「なんで、地底に花が咲くのかしら?」
「その理由を聞きにきたんだった。そうだった」
「……私は、花と話ができるわけじゃないのよ?」
「えー」
「……苛々するわね、この子」
太陽の畑は、かつてない殺気に包まれる。
片や、それには気づいていない。
もし開戦となれば、どれほどの被害が及ぶだろうか。
霊夢が出張ってくるかもしれない。
「でも何か貴女、懐かしい匂いがするのよね」
「土のせいじゃない?」
「いいえ、もっと何かこうぬるいような暖かいような……太陽?」
「これ?」
空は、黒い太陽を示す。
本物の太陽には及びがつかないが、仮にも神の火。
太陽のような役割は、ある程度果たせるのかもしれない。
「でも、水ないよ?」
「そうね……」
一応、地霊殿にも生活用の水はある。
冬の間欠泉も、元々地底にあった水だ。
しかし、庭に水まきなどしたことがない。
地霊殿の中庭は、灼熱。
周囲の旧都にも、灯りはあれども植物はない。
では、何が水の代わりを果たしたのか。
「地底には、花なんか咲かないのになぁ」
「珍しいこともあったものね。血でも吸ったのかしら?」
「あー、そうかも。お燐が、死体運ぶし。それで、この花はどうすればいい?」
「え?」
さとりには、細かい命令を受けていない。
捨てろとも、持って帰ってこいとも。
だから、空は知りうる中で最も詳しい幽香に支持を仰ぐことにした。
幽香は、その提案に唖然とする。
全くの想定外という感じだ。
「え? 持って帰るんでしょ?」
「でも、地上にいたほうがいいんじゃない? 暖かいし」
空は、地底に封じられた妖怪の一つ。
本来であれば、彼女が地上に出ることはなかっただろう。
だから空は、地上に送るのが最良と考えた。
そして、幽香はそれを知らない。
「あんたね……自分が咲かせたモノに責任持ちなさいよ」
幽香は、空の肩を掴む。
先ほどまでの苦笑もなく、空はその表情に息を呑む。
幽香は、あくまで花のことを考える。
花の声が聞こえるわけではない。
しかし、花にも感情はある。
それが動物のものとは異なるために、さとりには読むことができなかった。
もし、花が空の太陽で産まれたのであれば――
「いい? 貴女が意図しなくても、その花は生を受けたの」
「如何に血を啜って、怨霊の中で育ったとしてもよ」
「貴女は、自分の子を捨てられる?」
「最後まで、責任を持って育てなさい」
空は、冷や汗をかきながら上下に縦を振る。
子捨ての話は、理解できていない。
幽香の迫力勝ちであった。
ややあって、幽香は肩から手を離した。
憮然とした表情ではあるが、言いたいことは言ったらしい。
蔓から日傘を奪い、空に背を向ける。
「困ったら持ってきなさい。ちょっとくらいなら、様子を見てあげなくもないわ」
そのまま、花に紛れるように幽香は姿を消した。
突然現れて、花のように去りぬ。
残されたのは、空だけ。
結局、この花が何かは謎のまま。
「……」
茶碗の中の花は、そよ風に揺れる。
何も語らず、何も想わず。
「そういえば、名前がないって言ってたっけ?」
空は、思い出したように言う。
幽香のプレッシャーは、もう空の頭から羽ばたいていったようだ。
フラワーマスターさえも知らない、名もなき花。
太陽の烏は、考える。
かつて主にそうしてもらったように、彼女は
「じゃあ、あなたの名前は……」
地底の花に、名前をつけた。
彼女らしい、シンプルな名前を。
了
お空が種を地上からもってきてしまい、彼女の力などで咲いたということですか?
色々と回って花について聞いていくなかで他の人達との話は
面白かったです。
そしてチルノが融けてる!?どのくらい融けてるの?
はたして、その花は空にとってどれ程の価値のある花になるのでしょうか。
面白かったです。ありがとうございました。