宮廷の奥深く、誰ぞ入らんその禁忌。
多くの兵と壁と権力に守られた要塞。
そこには、一匹の妖が巣食っていた。
ついには、八雲藍と呼ばれることになる一匹の妖狐。
これは、誰も知らない彼女の物語。
悲しく、結ばれぬ恋の物語。
「妲己や」
「紂王様」
妲己と呼ばれた女は振り返る。
「私はもう、行かねばなりません」
その足が中庭の砂へと差し掛かった。
塀に囲まれた中庭、出ることは叶わないだろう。
あるいは、羽を……。
「行かないでおくれ」
美しい純白の衣装をまとった黒髪の女。
妲己は静かに涙を流した。
「いけません、私は妖の者。いつまでもあなたと一緒にいることは出来ないのです」
「私のことが嫌いか?」
「そんな」
妲己は叫んだ。
「そんなことはありません」
「それでは」
「しかし、隠し事は出来ぬもの。いつか私の正体が露見してしまうのではないかと」
「露見はしない」
紂王も叫んだ。
「大丈夫だ。この宮廷の奥深く、誰が気付こう。隠し通すのだ」
「紂王様……」
「妲己よ」
泣き崩れる妲己。
紂王は彼女の目の高さまで視線を下げ、その手を取った。
「私も妖怪になれたらなあ」
「え?」
紂王は思い直すように、首を振った。
「いや、何でもない。さあ、おいで。宴の準備が出来ている」
「はい」
「存分に楽しむといい」
連日のように続く宴。
民衆の不満も、臣下の不平を漏らす声も紂王には届かなかった。
「妲己様、ようこそ」
筋骨隆々の武将がずらりと、二列に並ぶ。
その数、数十であろうか。
それに加えて見張りの兵数十。
広い部屋にずらりと居合わせる。
妲己は悲しげに顔を俯かせた。
「おいで」
最上座に座った紂王は傍らに妲己を招き寄せた。
着替えた妲己は、真紅の衣装を身につけている。
一般民衆が一生働いても、手に入れること能わざる代物。
紂王が不意に手を叩いた。
「さあ、さあ。剣舞をやれ」
武将が二人、返事をして進み出た。
そして、勇猛な剣舞を始める。
紂王は妲己の杯に並々と、酒を注いだ。
宴が進んでいく……。
まるで、下界など関係ないという風に。
ふと、紂王は横の妲己を見た。
色白な顔は薄紅に染まっているものの、どこか物憂げに見えた。
「妲己や」
妲己が振り返る間もなく紂王は横顔に手を添え、口付けた。
「紂王様」
「妲己」
長い接吻。
鳴り響く音楽が別世界のもののように聞こえる。
「いけません、こんなところで」
「構わない」
「駄目です」
紂王は唇を離すことなく、妲己を座の上に組み敷こうと力をかけた。
「よいではないか」
「あ、駄目です、本当に駄目ですってば。みんなが見ています」
その通り、臣下は二人の様子を盗み見ている。
下手をすれば、首を刎ねられかねぬ状況にも関わらず……。
人間、好奇心には勝てないものである。
「妲己」
「あ、本当に、もう、私、ああああああ」
直後、軽い爆発音。
次の瞬間、興奮した妲己の黒髪を突き破るように金髪が現れ、小さな耳が生えた。
「あ、あら?」
「も、もう駄目」
もこもこ、という音がしたかと思うと、衣装の尻の部分を突き破って9本の尻尾が飛び出す。
臣下の杯が割れ、口から酒が零れた。
「妲己?」
耳が、ひょこひょこ、と動く。
妲己の尻尾は行き場を探したのち、自分ごと紂王を抱きしめた。
紂王は惚けた様子で立ちつくしていたが、やがて妲己を強く抱きしめ返した。
最後の抱擁だった。
ここから後は、ご存じの通りである。
もうちょっと膨らませたら大作に化ける気がする。
妲己→褒ジ→華陽夫人→玉藻前の流れで、太公望とか吉備真備とか安倍泰親とか絡ませて、ゆかりんとの出会いまで描くとか。
雰囲気が良い感じのお話だったので、短編じゃなくてもっと長い方がよかったなあと要望してみたり
短かったですがよかったと思います