妖怪の山に温泉が湧いた。
珍しいことではない。
温泉などというのは、どこにでもあるのだ。
阿呆な人間は脈を見つけられず、妖怪は面倒くさがり、わざわざ掘り当てようとしないだけのこと。
しかし、わざわざ掘り当てる馬鹿がいた。
おなじみ、東風谷早苗である。
彼女は持ち前の勘と少ない脳味噌、優秀な二人の人夫をフル活用し、次から次へと温泉を掘り当てた。
あるいは血行促進、あるいは神経痛緩和、あるいは婦人病に。
里の連中も喜んで入浴し、東風谷は小躍りした。
また、彼女は入浴代を取ろうとはしなかった。
神の施しは等しく与えられ得る、という思想。
どこぞの巫女とは違うのだぞ、と。
威厳ある振る舞い。
慈悲。
要するに、信仰が集まるのである。
人からも、妖怪からも。
温泉の話しは、森深くに踊る妖精達の間にも広がっていた。
「ねえ」
スターサファイアが言った。
しかし、サニーミルクとルナチャイルドはお互いに顔を背け合ったまま黙りこくっている。
二人の前に立ったスターサファイアは自らの頭を、悩ましげに指の背でこねくり回した。
「いい加減、機嫌直しなよ」
溜息。
「二人ともさあ」
「やだよ。ルナが謝るまで許さないね」
「何で、私が謝らないといけないのかなあ」
ルナチャイルドの声はいつもの通り柔らかいものだったが、明らかに怒気が含まれていた。
「だからさあ」
サニーミルクが金髪を振り乱して激高する。
「ルナが私のビスケット取ろうとしなければ、水の中に落っことさなかったんだよっ」
「私は悪くない」
ルナチャイルドは語尾を伸ばして、息を継いだ。
「サニーがちゃんと持ってないからだよ」
「よぉ」と、再び語尾を伸ばして、下を向いた。
「新しいの、買ってきなさいよ」
サニーミルクがルナチャイルドの髪を掴んだ。
ルナチャイルドは枝の上に、押し倒される形になる。
「やめてえ、いたい、いたい」
「止めてよっ」
スターサファイアが間に入って、二人を止める。
二人は何とか離れたが、ルナチャイルドの顔には赤い痕が残っていた。
「もう、やだ」
サニーミルクとルナチャイルドは先程よりも、険悪な表情のまま枝の上で黙りこくった。
泥溜まりの中には、赤いリボンの付いた菓子袋が沈んでいる。
おそらく、数十枚の焼き菓子など食べられたものではないだろう。
気まずい空気に包まれた中、スターサファイアは二人の間に割って入った。
非常にぎこちない動作であった。
「そうだ、温泉に行かない?」
そして、沈黙を破ったのもまたスターサファイアだった。
「温泉」
「は?」
サニーミルクとルナチャイルドは首を傾げた。
「好きでしょ、温泉。ついでに妖怪の山へ遊びに行こうよ」
「え、いや」
サニーミルクは何か言いかけて、口ごもった。
それは言ってはならないことなのだ。
しかし、ルナチャイルドが口に出してしまう。
「サニーと一緒に行くのは、嫌」
サニーミルクが横を睨む。
「もう」
再び、険悪な雰囲気。
スターサファイアは強引に二人の腕を掴んだ。
「ほら、行こうよ」
「あ」
二人の影が枝から離れて、夕日に照らされた。
温泉への入り口、受付場に繋がる扉を開けて三人が入ってきた。
受付で将棋を指していた天狗は飛び上がる。
見慣れぬ顔の天狗二人であった。
恐らく、ボランティアの類であろう。
「あら、こんばんは」
「こんばんは」と返事したのは、スターサファイアのみであった。
残りの二人は後ろで間合いを保ってぶすくれている。
天狗は首を傾げた。
「あの、三人、入浴出来ますか?」
「うん。いいよ」
「えへへ」とスターサファイアは笑った。
二人は相変わらず、そっぽを向いたまま。
奇妙な三人は足早に、脱衣場へと歩を進めた。
天狗二人は釈然としない様子で再び、将棋を指し始めた。
湯煙。
実に気持ちがいい。
五臓六腑へと……。
湯に映る月がゆらゆらと、揺れた。
「遅かったな」
サニーミルクが振り返ると、ルナチャイルドが手ぬぐいを一枚腰の周りに巻いて立っていた。
「どうにも、遅れてしまった」
「狭い湯であるが」
「うむ」と唸って、サニーミルクは湯船に浸かろうとした。
「待て」
「何」
「そのまま入る気ではないだろう」
ルナチャイルド、苦笑。
「失礼」
低い笑いを笑った。
「このような物は」
邪魔であったのだ。
ルナチャイルドは勢いよく取った手ぬぐいを彼方へと放り投げた。
もはや
「隠す物もあるまい」
「道理か」
ルナチャイルドはサニーの横へ勢いよく体を浸す。
「どうだ」
「ああ、五臓六腑へと……」
そこから先に言葉はいらなかった。
二人は牛馬のように、あるいは駱駝のように、血に飢えた吸血鬼が如く湯を貪った。
ふと、サニーミルクは口を開く。
「昼間は済まなかった」
「何、過ぎたこと」
ルナチャイルドは唸った。
「二束三文の菓子を取り合うなど、餓鬼のすること。正気とは思えぬ……」
ルナチャイルドは酷く己を恥じた様子だった。
サニーミルクも己を恥じた。
「思い出すだけでも、あさましい……」
「浮き世の垢だ。落としてしまえ」
「言葉もない」
「気にするな」
サニーミルクは背後を振り返る。
「盗み聞きとは、趣味が悪い」
「気付かれては仕方ない」
湯煙立つ岩陰から、スターサファイアが歩み出た。
「湯に浸かって落ち着いたことと見える」
「何。もとより、取るに足らない諍い」
「時に、スターサファイア。まさか、そのまま湯船に入りはしないだろう」
スターサファイアは己の腰回りに付けた貧弱な手ぬぐいを見る。
「何を恥ずかしがることがある。三人の仲、何を隠そう」
「その通りだ」
スターサファイアは腰回りに手ぬぐいを遙か後方へと投げ飛ばした。
そして、二人の間へと体を沈める。
「ふう、いい湯だ」
「そうだろう」
「やはり、二人が喧嘩していたのでは、楽しい湯も味気なくなるというもの……」
サニーミルクとスターサファイアは俯いた。
「何はともあれ、一件落着と言ったところか……」
スターサファイアが口元を緩ませて笑い出すと、二人の表情も柔和さを取り戻し、微かな笑い声は次第に勢いを増していった。
「ふははははははははははははははははははは」
光の三妖精の笑い声が露天風呂にこだました。
「この後、どうしようか?」
「うーん。サニーに任せるわ」
「私、もう駄目。のぼせちゃったわ」
浴衣姿の三妖精が仲良く談笑しながら、荷物片手に風呂場を出てくると天狗達は将棋を指す手を止めた。
「あ、ほら、見て。桜が綺麗」
「本当だあ」
「来た時には気付かなかったね」
「ほら、見える?」
「もうのぼせて、駄目」
サニーミルクはスターサファイアの肩によりかかった。
本当にのぼせているらしく、石のように重い。
スターサファイアは、自分の足で立つように促す。
ルナチャイルドはあきれ顔である。
「ほら、しっかり」
「うーん」
将棋の盤面はさっぱり、進んでいない。
天狗の目が向けられる中、三人は同時にフルーツ牛乳の瓶の蓋を押し開けると、腰に手を当てたまま一気に飲み干した。
なんかもうね、幸せ。
コメついでに、二つほど気になった点を。
>おそらく、数十枚の焼き菓子などは。
→『焼き菓子等が。』でしょうか?ちょっとここだけ、何が書いてあるのか良く分かりませんでした。
>三人は同時にフルーツ牛乳の瓶の蓋を押し開けると、腰に手を当てたまま一気に飲み干した。
分かってらっしゃる。
……でも、両手で瓶を持ってくぴくぴと牛乳を飲む姿もそれはそれで………何でもないです。
よい。実によい。
なんだこれ、えーーー
早苗さんが好きなキャラってフィルターがあるんだろうけど
ルナとサニーが仲直りできてよかったですね
途中www