「ううむ」
布団に包まって、博麗霊夢は唸り声をあげた。
頭痛がする。
膝関節が痛む。
布団を3枚重ねてるのに、寒い。
喉がガラガラする。
「やられたわね、こりゃ」
けふん、咳が出た。
春は間近。
霊夢は風邪をひいていた。
時刻はもうお昼過ぎだろうが、いかんせん食欲が湧かない。
(ご飯はいいや、寝てよう)
そんな事を考えながらころりと寝返りを打った時だった。
「馬鹿は風邪をひかない」
突然。
霊夢しか居ない部屋に、誰かの声が響いた。
「でも、実は風邪をひかぬのは智者。何故なら予防策を欠かさないから」
声が続くと共に、霊夢の表情が渋くなっていく。
「そう、これは風邪をひかない智者を妬んで生まれた言葉なのです」
すとん、と軽い音を立て、八雲紫が部屋に降り立った。
霊夢は返事をするのも面倒くさいようだった。
「御機嫌よう、霊夢」
玄関から入ってこない妖怪、八雲紫。
少なくとも病人を看病しに来るような奴ではない。
「…何しに来たのよ」
嫌そうな表情を隠そうともせずに、霊夢がむくりと起き上がった。
動くと、じっとりと頭が痛む。はあ、と彼女は溜息をついた。
「花見に来たのよ。そろそろ春だもの」
もちろんのこと、室内に桜は咲かない。
紫の笑顔は非常に楽しげである。楽しいのだろう。
忌々しいわねと霊夢は御札を投げつけたが、難なく避けられてしまう。調子が出ない。
「帰りなさいよ」
「あら、つれないわね」
霊夢が言うのも聞かず、紫は霊夢の傍に座り込んだ。
それから何をするでもなくぼーっとしている。しまいには煙管をふかし始めた。
相手をするのも面倒くさい。紫を無視して寝転がり、霊夢は目を瞑った。
夢を見た。
夕暮れの、柔らかな空気の匂いがする。
霊夢は縁側に顔を向け、座敷に寝転んでいた。
何だか体に違和感。よくよく見れば、霊夢が着ている服はずっと昔のもののようだ。博麗の巫女の制服ですらない。
これは、今はもう着られないはずだった。背が伸びたから。
そう、夢の中の霊夢は童女になっているのだった。
霊夢はのそのそと起き上がる。
障子を開けると、幻想郷の黄昏が空に映っていた。
場面は切り替わる。
幼い霊夢は紅魔館の中を飛んでいた。
が、誰もいなかった。
門番がいない。メイド妖精もいない。メイド人間もいない。
屋上に出たが月は紅くない。
地下室にまでも下りたが、そこにはやはり誰もいなかった。
次は白玉楼だった。その次は永遠亭。今度は、これは彼岸かしら。これは?ああ、天界。お次は守矢神社。
やっぱり、というのも変だが誰もいなかった。
明晰夢、ね。
旧地獄街道を飛びながら、霊夢は呟いた。変な夢。
どこもかしこも、ここ数年で訪れた場所ばかりが夢に出てくる。
しかし、どこにも誰もいないのだった。
この姿の頃には、ここらの誰にもまだ出会っていないからだろうか。
なんだか疲れた気がした。
ぺたん、と霊夢は洋館の屋根の上で座り込む。今度は魔理沙の家らしい。が、アリスの家にも見える。よく解らない。
そもそも周りは森ではない。そして気付けばここは妖怪の山だ。もう、あちこちごちゃごちゃである。
「変な夢」
霊夢はまた寝転がった。
一転。
またしても場面が変わる。
今度はここは、霊夢の知らない場所だった。
人妖の気配はしない。植物も生えていない。ただただ、荒涼としていた。
いつも感じている神霊の気配すらもしなかった。
空を見上げると、そこだけはいつもと同じ月が、単に浮いていた。
ここはどこ?
幻想郷?
疑問に答える声はない。
夕日が差し込んでいる。
「あら、おはようございます」
霊夢が目を覚ますと、傍に座っていたのは東風谷早苗だった。
「…早苗じゃない。紫はどこ行った?」
さっきは居た気がする。
「いや、それが」
早苗は説明した。
彼女が守矢神社でくつろいでいたら突然、空間の隙間に放り込まれたという。
そして気付いたら博麗神社にいて、八雲紫もそこにいた。
当の紫は「頼んだわよ」とだけ早苗に言って、そのままどこかへ行ってしまったらしい。
「それで、まあ霊夢はだいぶ熱があったし、うなされてるみたいだったので…しばらく様子を見てました」
そう言う早苗の手には濡れ手拭い。傍には霊夢の着替えもある。脱がされたらしいそれは、汗でびっしょり濡れている。着替えまでさせてくれたらしい。
普段はわりと傍若無人な霊夢だが、今日ばかりは丁重に礼を言った。早苗は笑っていた。
「しかしまあ、うなされてたの、私?」
「ええ、けっこう」
「そんな感じの夢じゃなかったんだけどなぁ」
「いやいや霊夢、あれはどう見ても悪夢な感じでしたよ?」
「悪夢ねぇ」
霊夢は首をひねった。大体がよく解らない夢だったし。
「さ、そろそろ出来たかな」
そう言って早苗は立ち上がった。しばらくして、炊事場の方から歩いてきた早苗は、湯気の上がる鍋を持ってきた。
早苗の作ってくれた雑炊を、霊夢は早苗と一緒に食べた。
まったく、頭が下がる思いである。そのうち何かお礼をしなくては。
「あら、じゃあ八坂様と洩矢様の分社をもっと巨大に。というか本殿に」
霊夢は、それは丁重にお断りした。
その日の夜。
早苗が寝ろ寝ろとうるさかった。
病人が寝るのは常識です温泉?論外ですと言って聞かなかったので、霊夢は風呂にも入れず、また寝ることになった。
そしてまた夢を見た。
霊夢はさっきの場所に立っている。辺りには何も無い。風も吹かない。
霊夢は空を飛ぼうと思った。が、飛び上がれなかった。こんな事は初めてだった。
「?」
自分の体を見下ろす。だが、身体がある筈のそこには、何も、無かった。
身体が無い。
それどころか、何か有るということがそこには無い。
博麗霊夢は、ここにはいないのだった。
夢の中に誰もいないのと同じように、自分自身すら、いなくなってしまったのだった。
さすがにこれは、と思った。自覚は無かったが、今やっと気付いた。
これは確かに、悪夢だ。
何も無い。
いや、空に浮かぶ月だけはあった。
ここが幻想郷かは分からない。が、日本であることは疑いようもない。
月の影が、兎の餅搗きに見えるから。
見渡す限り一面の廃墟。
霊夢は、何だかすごく嫌な気分になった。
こつん
突然、場違いとも思える軽い音がした。
その一瞬後に、頭に痛みが走った。痛み?
ぱらぱらぱらぱら
雨の降るような音がする。
こつん
また当たった。痛い。
「おや?」
霊夢は声を出した。いつのまにか、体が戻っている。童女でもなくって、いつもの霊夢になっている。
ぱらぱら、こつん。
3回目である。
「痛っ」
頭に当たった何かを見てみた。茶色い小瓶のようだ。ラベルが貼ってある。
「『リポビ…』…あ痛っ」
また降ってくる。雨のように、茶色い小瓶が降り注ぐ。
それは不自然極まりない光景だった。だのに、それはどこか間抜けな、シュールでコミカルな光景だった。
気付けば、霊夢は笑い出していた。
最初は少し、だんだんおかしくてたまらなくなって、けらけらと声を上げて笑った。
たくさん笑った。
悪夢の中で霊夢は笑う。
それはさながら奇跡だった。
時刻はすこし前に戻る。
「うなされてるわね」
「ええ。…うわ、急に出てこないで下さい」
うなされている霊夢。その傍に座っていた早苗の隣に、いきなり八雲紫が現れた。
「東風谷早苗。貴方、巫女よね?」
早苗の言葉は無視して、紫は一方的に喋る。
「はあ、まあ、巫女みたいなもんですが」
「ちょっとまじないを頼みたいの」
そう言って、紫は空間の隙間に手を伸ばす。
手を戻すと、紫の手には茶色い小瓶が握られていた。
「あ、それ、見覚えがあります。外の世界の」
「そう」
そう、それは栄養ドリンクだった。
紫に言われるがまま、早苗はうなされる霊夢の額に栄養ドリンクを立てた。うまく載らないので、ちょっとばかし奇跡の力も発動させた。無駄遣い。
寝転ぶ霊夢の額の上に、栄養ドリンクが屹立する。
意味不明な光景だった。シュールな光景だった。
それから、神社でお参りでもするみたいに、紫はぱんぱん、と手を打った。早苗もそれにならった。
「紫さん、これ…効果、あるんですか?」
「あるわよ。あるに決まってるわ」
…確かに霊夢の寝息が、心なしか静かに見えた。ちょっと納得いかない。
「さ、温泉にでも入りましょう。貴方もお風呂、まだなんでしょう?」
「え。まあ、まだですが」
「霊夢はもう放っておいても大丈夫。ほら、付き合いなさいな」
「は、はい」
早苗はちょっと嫌そうである。
大妖、八雲紫。その喰えない性格は、ちょっと一緒に居づらいのかもしれない。
ごちん。
霊夢の意識は、鈍い音で目覚めた。
鼻に何かが当たったらしい。痛い。
ころころころ、と、鼻に当たった何かが床を転がる。
「いたた、何、これ?」
それは霊夢の額に立てられていた茶色の小瓶だった。
早苗の術が解け、倒れて、それが霊夢の鼻先に直撃したのだ。
ラベルが貼ってあり、何か書いてある。
「『リポ…』?」
霊夢は首をひねった。
霊夢は、夢を見ていたような気がしている。
内容はあまり覚えていない。ただ、無性に、意味も無く笑ったような気がする。
良い夢だったのだろうか?
がさがさがさ
考え込む霊夢をよそに、静かな部屋にいきなり、乱雑な音が響いた。
「…何?」
音のする方に目をやると、そこには紫が開けたとおぼしき空間の隙間。
そこから、色々と物が氾濫してきていた。
変な色の茸。
電気ストーブ。
紅魔館の紅茶。飲めそうに無い。
人形。火薬入と書かれている。
使い古しのカメラ。
魔道書。読めそうに無い。
電気ブラン。焼酎、日本酒。その他、大量の酒(ただし、どれも栓が開いている。飲みかけのようだ)。
氷漬けの蛙。
ネクター。
季節を弁えない大輪の向日葵。まだ土がついてる。
その他諸々。
きちんと整頓された部屋の一角が、一気にごちゃごちゃと埋まっていく。
「な、な…?」
霊夢は呆然としている。
隙間は一通り物を吐き出すと、最後に紙を投げ出してきた。
読むと、
『皆からお見舞いの品だそうよ 有り難く受け取りなさい』
とだけあった。
「紫さん」
「あら、なあに早苗?のぼせたのかしら?」
所かわって、ここは温泉。神社の近くに湧いているものの一つである。
紫と早苗は湯に浸かっていた。
「今なんか、『うがぁー!』とか聞こえませんでした?」
「あら、そう?」
「『いらんー!』とか」
「気のせいね、きっと」
「そうですか…」
巫女が風邪をひいたその日。
珍しく、八雲紫はあちこちに出没して、色んな人妖と会話していたらしい。あまつさえ、色々な物を受け取っていたとか、何とか。
こちらは博麗神社。
霊夢は溜息をついた。
それからふと、転がっている茶色い小瓶に目を留め、それを手に取った。
「…なんか、これ飲むと良いような気がする…」
彼女の勘は良く当たる。これはもはや能力に近い。今回も勘が発動した、と本人は思っている。
が、それは違う。
その瓶は、夢に出てきた物だったのだ。
悪夢としか思えなかった霊夢の夢に、吉兆のように現れ、霊夢を笑わせてくれたその小瓶だから、好印象を霊夢に与えたのである。
まあ、霊夢自身は夢のことなんて、うっすらとしか覚えてはいなかったのだけれど。
霊夢は小瓶の液体を、ぐぐっと飲み干した。妙な味がしたが、元気は出てきた気がする。
それから部屋を見渡した。
あちこちに雑然と物々が転がり、さながら小さな祭りのよう。
「ったく…」
嫌そうな口調。だが、霊夢の顔はさっぱりと明るかった。
ちょうどそれは、悪い夢が、早く終わって欲しかった夢が、急に愉快な夢に変わったかのような、憑き物が落ちたような、そういう表情だった。
「まあ、たまには蒐集も悪くないかもね」
霊夢は起き上がり、部屋を片付け始めた。
本人はもう、風邪のことなぞ忘れている。
体はむしろ、童女の頃よりも軽々と動くようだった。
ファイト一発!
風邪には医薬部外品のリポDより第2類医薬品だけどめっさ安い
「新グロ○ビター」by常○薬品がお勧め
いや、普段から箱買いして飲んでるもんでwww
飲みさしの酒に使い古しのカメラって、もうお見舞いでなくて不燃b(ry
爆殺でもするのかよw