ある所に火焔猫 燐という火車の妖怪がおりました。
火車とは生前に悪事をした亡者をのせて地獄へ運ぶ妖怪のことです。お燐は火車の中でも特に優秀で、悪事をした亡者ならばどんなに堅固に守られていてもたちまち運び出してしまうのでした。
ある日のことです、とある村の地主が病気にやられて死んでしまいました。
地主はとても強欲な性格で、必要以上の年貢を取り立てては、その富を使って贅沢三昧に暮らしていました。
火車の話を知っていた地主は、生前にそんな悪行三昧を続けたわけですから、自分は地獄に連れて行かれるに違いないと思っていました。地獄へ落ちることを恐れた地主は、自分が死んだら、厳重な警備の元で葬儀をするようにと、しつこくことづけしていました。
地主の言いつけはしっかりと守られました。地主の大きな屋敷を取り囲むように、各所から屈強な男や、妖怪退治を生業とする者が集められました。
これだけ警備が固いとなると、火車といえども死体を運ぶのは容易ではありません。
あのように厳重に守られては地主の死体を運ぶことなどできやしない。火車たちは困り果てました。
ただひとり、お燐だけは違いました。
「あなたたち、いったい何を困っているのさ。あんな警備、あたいにかかればザルも同然よ」
それだけ言うと、お燐はすぐに駆けだしました。野を越え山を越え、火車は走りました。
屋敷へと向かうお燐のことは、すぐに警備たちにも知れ渡りました。こんな所まで律儀にやって来るなんて、馬鹿な妖怪もいたもんだと、誰もがお燐のことを笑いました。
すると正面から、猪のように突進してくる物体が現れました。
お燐でした。
警備たちは慌てふためきました。なにせ屋敷にお燐がやって来ると伝えられてすぐの出来事ですから驚くのも無理はありません。お燐は速度を緩めずに、警備をしていた男ごと正門をぶち破りました。
屋敷の中はもうてんやわんやです。誰もが何が起ったのか分からないといった様子でした。お燐はそんな警備たちを尻目に、自身の進路上にいる警備たちを、遠慮せずにぶっ飛ばしながら進みました。さながらドイツの若き皇帝、シュナイダー君のファイヤーショットのようでした。
お燐は難なく地主の死体を回収すると、また猪のように元来た道へ走り去っていきました。もう誰も追おうなどとは思いもしませんでした。
火車たちが挙って不可能だと言わしめたことを、お燐はいとも簡単にやってのけたのです。
この一連の出来事はすぐに火車の間に広がりました。
たちまちお燐は時の人となりました。お燐は火車の中でもひときわ賞賛を浴びました。お燐の周りを毎日のように火車たちが取り囲みました。
噂は火車の中だけには止まりませんでした。人間たちの間でもお燐の噂は随所へ広がり、悪事を働く人間は悉く恐怖しました。
いつしか、人間たちの間で悪事を働く人はめっきり少なくなってしまいました。これがお燐のおかげであるということは、言うまでもありません。
悪事を働かない正直で真面目な人々は、妖怪であるお燐に感謝しました。
ですが、これがいけませんでした。
栄枯盛衰の王道ともいいましょうか。人妖関係なく賞賛を浴びたお燐は、それによって、完全に調子に乗ってしまったのです。
人間、妖怪、共々から讃えられ、すっかり鼻の伸びてしまったお燐ですが、その栄えある賞賛は時間とともに勢いを失くしていきました。今ではお燐の周りを取り囲む火車は一体もいません。
お燐は不満でなりませんでした。
「なんだい。あいつらめ。あれだけあたいのことをもてはやしてたってのに、もうそんなことすらも忘れてしまったってのかい」
お燐は、もっと自分のことを讃えてほしかったのです。
「忘れたのだったら思い出させてあげようじゃないか。よーし、見てなさいよー」
お燐は自分のすごさをもう一度知らしめるために、火車を走らせました。
火車を走らせたお燐ですが、しかし、どこまで走っても悪徳な亡者は見つかりませんでした。
「おかしい」お燐は首をひねりました。「悪人なんてこの世にはごまんといるはずなのに。これはいったいどういうことよ」
お燐の言うことはもっともです。ですが彼女はひとつ、うっかりとしていたことがありました。彼女自身が見せたスーパープレイによって、人間たちの犯罪率は目を見張るほどの減少を記録したのです。
それはとてもすばらしいことでしたが、今のお燐にとっては不満以外の何でもありません。
結局その日は一日中火車を走らせましたがめぼしい亡者は見つかりませんでした。
お燐に苛立ちが募ります。
さらに三日が経ちました。探しているうちにそれなりの亡者はいましたが、しかしお燐の求めるような大物の悪党は見つかりませんでした。
そして、ついにお燐は痺れを切らしてしまいました。
「このまま探し続けたとしても、人間と妖怪、そのどちらもがあっと驚くような大物は見つからないわね。
――――――だったら、
質がダメならば量で勝負してやるわ! 今までに考えられないようなたくさんの死体を地獄へ運びまくって、そうすればきっと誰もが驚くに違いないわ!」
こうして、お燐の暴走が始まりました。
この時期、地獄では、地底都市の施設の移転作業のために、慌ただしい日々を送っていました。残業なんて当たり前で、部署で寝泊まりする人さえいました。
四季映姫もそのなかのひとりです。
移転作業をしているから十王の裁判は休んでいいというわけにもいきませんし、閻魔の労働は苛烈を極めました。閻魔の中でも極めて真面目である四季映姫も、こればかりにはさすがに音をあげずにはいられませんでした。
そんな彼女に追い討ちをかけるように、死者が彼女の元へと送られてきます。
死者は減る気配もありません。
それどころか増え続けているように四季映姫は感じました。
「おかしい。最近はやけに死者の送られてくる数が多い気がします」
それだけではありません。
死者の中の多くは、正直に生きてきた人、もしくは罪はあってもそこまで酷くはない人がほとんどでした。
地底には裁く際に酌量の余地すらない重罪人が送られてくるはずなのに、このように本来地底に送られてくるはずもない死者が送られてくるのはおかしい。不審に思った映姫はさっそく地上にいる火車に連絡を取りました。
原因はすぐに分かりました。火焔猫 燐という火車が死体を見つけると誰彼かまわず地獄へと運んでしまうというのです。
映姫はそのようなことはすぐにやめさせるようにと命じました。閻魔に命令された火車は大慌てでお燐の元へと向かいました。
しかし、ここで問題となってくるのが、お燐には決して悪意はないということです。
もともと彼女は賞賛されたいと思ってそのようなことをやっているわけですから、その行為が実際には他の人々に迷惑がかかっているなんて、みじんにも思っていませんし、むしろ彼女は良いことをしているとさえ感じていました。
ですから、火車たちがいくらお燐を説得しようにも、お燐はちっとも聞く耳を持ちません。
仕方なしに、火車たちは力ずくでお燐を止めることにしました。
ですが「ドイツの若き皇帝」と言われたお燐の天才的フットワークと殺人突進に対して太刀打ちできる者は誰もおらず、お燐捕獲は難を極めました。
映姫は困りました。
火車に任せてはいつまで経ってもお燐を捕まえられない。できることなら私自らが赴いて、彼女にいっぱつ説教をいれてやりたいが、仕事が忙しすぎてとてもじゃないが、そんな暇はない。
考えた末、映姫はこの件をさとりに任せることにしました。
「やっと出番がまわってきましたね。古明地さとりです。閻魔さま。私めを呼び出すとは、一体どのようなご用件なのでございましょうか」
「よく来ましたね。実はあーしてそーしてこーなのです。よろしくお願いします」
一見まぬけな会話に聞こえますが、相手の心を読み取れるさとりには、これだけですべてを理解しました。
「なるほど。あーしてそーしてこーなのですね。分かりました。すぐに地上へ行ってそのお燐という妖怪を説得してみせましょう」
「よろしくお願いします」
「ついでに煎茶と羊羹も買っておきますね」
「あなたの能力のそういうところ、私は好きですよ」
地上に出たさとりは火車たちの協力のもと、お燐が現れると予想される里で網を張りました。
火車たちは内心、さとりに関して不安を持ちました。こんな体の細い少女にお燐を止めることなどできるのであろうか。さとりはその心を読み取りましたが、火車たちには何も言いませんでした。
里の端々で、さとりは人間たちの声を聞き取りました。その中には、死んでしまった家族に葬儀をしてやれなかった、善行を積んだとしても地獄へ落とされてしまうのか等、お燐が謀らずしも人間たちへと与えてしまった不安が所々にありました。
「のんびりとしていられませんね」
さとりは思いました。
お燐はあっけないほど簡単に見つかりました。
「いました! お燐です!」
火車の中の一体が叫びました。
こんなに簡単に見つけられるのに、火車はどうして彼女を捕まえられないのだと呆れましたが、TPOをしっかりとわきまえるさとりは皆まで言いませんでした。
火車が指をさした方向には砂煙を上げながら猪のように向かってくる火車がありました。まるで時速60キロ以下までスピードを落とすと起爆する爆弾が仕掛けられているのかと思うくらいの暴走っぷりです。
「止まれ、お燐! 今日こそ話を聞いてもらうぞ!」
さとりを含めた火車たちの前で、お燐は足を止めました。根は素直なのだなと、さとりは思いました。
「あんたたち、今日もあたいのことを止めに来たのね。いいかげんにしてよ。そんなにあたいが賞賛されるのが妬ましいわけ」
「だからそうじゃないって。それより今日はお前のためにわざわざ地底からお越し下さった方がいるから」
「お燐さん。はじめまして。さとりと言います」
うっすらとさとりは微笑みました。
お燐は気付かれないように身構えました。それが心からの笑顔でないこと気づいていたからです。
「お燐です。どうも」
「さっそくですがお燐さん。私は地獄の閻魔様から伝言を預かっています。それをあなたに伝えるために地上へとやってきました。内容を話しますね」
「どうそ」
「閻魔様からあなたに伝えるべきことはひとつです。いますぐ死体を運ぶのをやめて地獄の閻魔様の元へ来るように」
「……」
「分かりましたか?」
「分からないわよ!」
お燐は首を横に振りました。
「つまりあんたもあたいの邪魔をしに来たわけね! なにさ。私がいったい何をしたっていうの。火車として仕事をしていただけじゃない! それなのに何。火車の仕事をやるなって言いたいの。冗談じゃないわ!」
「そうですか。では地獄へも来ていただけないということですね」
「私は死体を運ばなくちゃいけないの。当然でしょ」
火車たちが身構えました。
さとりは言いました。
「そうですか。それは残念ですね。「目玉のおやじさん」ならば話を聞いてくれるかと思ったのですが」
「そーy……っ!?」
お燐の口が固まりました。
それは今まで堂々としていたお燐はとは打って変った様子でした。さとりに言い返そうとしていた口は開いたまま塞がらず、顔は見る見るうちに青ざめていきました。
いったい何が起こったのか。訳が分からないでいる火車たちの方に、さとりは顔を向けました。
「御覧の通り。私は確かにか細いですが、暴走する猪を止めることだってできるのです」
さとりがうっすらと微笑みました。それがどこか恐ろしくて、反射的に火車たちはそれを引きつった笑顔で返しました。
さとりは相手のトラウマを呼び起こすのが、大得意なのでした。
さとりはまるで水を得た魚のように饒舌になって、お燐のトラウマをほじくり返しました。
「お燐さん。あなた子供のころは目玉のおやじのモノマネが得意だったんですよね。スゴイですねー。ぜひやってみてくださいよ」
さとりが言います。
お燐はもう、逃げ出したい気分でした。
「ああ、そういえば私、お燐さんにお土産を用意していたんですよ」
「ひっ…!」
さとりはお燐に差し出したのは蛙でした。お燐の脳裏に、興味本位で蛙に爆竹を飲み込ませ火をつけた時の記憶が鮮明に蘇りました。
それは無垢な少女だからこそ起きてしまった悲劇。
「いやああああああっっっ!」
お燐は叫び声をあげました。
さとりはとどめを刺しに謀りました。
「そういえばお燐さん。幼少のころはポエムを作るのが趣味だったみたいですね」
「いやっ…いやいやいや。それだけは…、やめてっ! やめてください。お願いだから…」
お燐は泣いて縋りました。
意味のない詩
「意味」のない詩(うた)を綴ろう
誰かに語るわけでもない
自分だけに輝く詩(うた)…
ポエムが終わる前に、お燐は失神してしまいました。
こうしてお燐は地獄に連れられ、四季映姫にこってり絞られることとなりました。
だれにも止められなかったお燐は、さとりの「トラウマ」という名の毒針を心臓に刺され、苦しみ喘ぎながら失神してしまったのでした。
人々に迷惑をかけ、かつなかなか捕まえることのできなかったお燐を、いとも簡単に撃退したさとりの一連の行動は、火車や里の人間たちから賞賛されました。
それ以来、幻想郷では東の空からさとり座が顔を出すと、お燐座が逃げるように地底へと逃げると、語り継がれるようになったのです。
嘘のような話ですが、全くのデタラメです。
えいきっきとさとりんはなかがいいのかそーなのかー
トラウマは…肉体は熱く活性化するけど精神が滅殺されますよねえ。
お燐、そのトラウマを抉られる痛みは俺には良く分かるぞ……