「はい、チーズ!」
風を切る音が止むと同時、鴉天狗の楽しげな声が大空に響いた――
春の日差しが柔らかく降り注ぐ博麗神社の縁側。
器用にお茶を抱えて首を垂らしていた博麗の巫女は、不快なシャッター音に眉を顰める。
「……あんたねえ、こんなどうでもいい場面を撮って誰が得するって言うのよ」
見上げた先には、一匹の鴉天狗が陽光を背負い浮かんでいた。
彼女は両手を広げ大の字に体を開くと、楽しそうにくるくると回り始める。
「良いじゃないですか。 こんな見出しはどうです?
『幻想郷崩壊の危機! 博麗の巫女、神社の縁側で涎を垂らしながら居眠りをする!』
って具合に」
眩しさに眼が眩んで確認はできないが、恐らくいつも通りの嫌な笑みを浮かべている事だろう。
そう思うと腹も立つが、どうせ追いかけた所で決して追い付きはしないのだ。
それを理解していた彼女は溜め息を一つ吐き、冷えきった緑茶に口を付ける。
「私が眠るとどうして幻想郷が崩壊するのよ」
「どうしてでしょうねえ、考えた事もありませんでした」
「口より先に頭を動かしなさいよ全く」
温くなった茶の味に顔を顰めながら、巫女は立ち上がる。
彼女の横には箒が置いてあった。 どうやら掃除を途中でサボっていたのだろう。
早足で落ち葉の多い所に向かうと、同じ所を何度も履き続ける。
「あ、サボり中の写真頂きます!」
「仕・事・中」
「嗚呼、それが巫女様の御仕事ですか。
うむ、実に奥深い。 私には理解できない」
シャッターを切る音を無視し、巫女は箒を動かし続ける。
暫しの間それを見詰めていた天狗は、退屈したのか欠伸を浮かべて彼女に文句を言い放った。
「全く、人間のやる事は何から何まで遅過ぎる。 仕事は速さが命ですよ。
目的を達成する為には一つの瞬きすらも惜しんで行動しなければいけません」
「あーはいはい。 ずっと眼を閉じていれば瞬きなんか一回もしないで済むものね」
「それでは目的と手段を履き違えているじゃないですか。
私は写真を撮り新聞を発行するのが目的。 貴女は異変を解決するのが目的。
どちらも目が曇ったらおしまいですよ?」
「そりゃあ下駄と靴が一足ずつだったら揃う筈は無いわね。
どうでも良いけど早くどっか行ってくれない? これから庭を掃くのに忙しくなるの。
貴女の風があるとちっともはかどらないわ」
「あやや、これは失礼。 じゃあ今境内に降りますよ」
にこりと、一片の曇りも無い笑顔で天狗は勢い良く境内に降り立つ。
当然、周囲に散らばる木っ端は宙へと舞い上がり、その身を彷徨わせた。
全ての葉が地に落ちきる。 その間巫女はジッと天狗の事を睨み続けていた。
「どっか行けって言ってるの」
「だから何処かに行ったじゃないですか。
ほら、広く美しい大空から狭く見窄らしい大地へ」
「そのまま母なる大地に抱かれて眠りたい?」
「いえいえ、私は鳥頭ですから生んでくれた親の顔もすっかり忘れてしまいました」
「ついでに神社の場所も忘れてしまえば良いと思う」
「記者は記憶力が命ですよ?
私が一度見た物を忘れる訳が無いじゃないですか」
「さっきと言ってる事が違うじゃない!」
「過去に囚われていては物事を客観的に見る事など到底敵いませんよ。
ほら、無駄口叩いてないで貴女はさっさと仕事に戻る! それが貴女の積める善行よ!」
「妖怪退治も巫女が積める善行の一つよね!」
天狗と巫女、二人は会話が終わると同時に空へと舞い上がり、互いに身構える。
いや、実際に戦おうとしていたのは巫女だけだった。
「……なんのつもりよ、それ」
「私はこれがありますから大丈夫ですよ。
ささっ、気にせず続けて下さい」
手に持った写真機を得意気に掲げてそう告げる天狗に、巫女は頭を掻きながら返事をする。
「はぁ、何かやる気削がれるわねえ……
で、その場合ルールはどうすんの?」
「貴女は制限時間を設けて、そのあいだ全力で私を攻撃して下さい。 私はそれを全力で避け続けます。
勿論、反撃もします。 もしも指定された時間までに貴女が指定した撮影枚数分だけ貴女を撮る事ができれば私の勝ち。
反対に、もし一度でも被弾したら私の負けです。
これでどうでしょう?」
「う~ん、良く分かんないけどとりあえずいつも通りに妖怪退治すれば良いわけね」
「ええ、そうです」
天狗はにこりと笑い、巫女から距離を置く。
恐らく攻撃方法を選んでいるのだろう、俯く巫女の口からはあれでもないこれでもないと呟きが漏れている。
「まだですかー?」
「う~ん、もうちょっと……よし、決めた!」
「やっとですか。 貴女が悩んでる間に一日経ってしまいましたよ」
「嘘吐け!」
「ま、いいでしょう。 で、もし私が勝った場合なんですが……
これから貴女を撮影しても文句を言わないで頂きたいのですが、よろしいですか?」
「うわ、最悪……まぁ、まず無いと思うけどね。
で、私が勝ったら?」
「明日の文々。新聞のトップは目出度く博麗の巫女の勇姿に彩られます」
「どっちにしろじゃないの!」
「ははっ、冗談ですよ。 そうですねえ…………
だったらこうしましょう。 河童の便利な道具を一つ差し上げます。
勝手に洗濯物を洗ってくれる機械や物を保存できる冷たい箱、なんでも良いですよ」
「あら、それは便利ねえ。 よし、ノったわ!」
天狗の提案に、巫女はやる気まんまんと言った調子で返事をする。
その様子に天狗は満足げに頷き、写真機を正面に構える。
「そう来なくちゃ!」
「撮影枚数は10枚! 制限時間はきっかり60秒!
いくわよ!」
今度こそ二人の準備が整う。
巫女の合図を皮切りに行われる、人間と妖怪の遊び。
こうして長い時間を持て余す妖怪と短い生を走り続ける人間は、偶然に触れ合った間隙の時間を共有する。
試合の行末は、そんな妖怪の持つ写真機のフィルムに蓄積される事だろう。
幻想郷の遊惰な昼下がり、博麗神社の境内に人間の不満げな叫び声が響き渡った。
――――
「――ではこれからも末永く宜しくお願いします」
「あー、わかったからとっとと失せなさいよ。
顔も見たくない」
「はいはいそれでは~!」
返事が終わった時には、既に突風のみが場に残されていた。
昼前と同じ様に縁側へと体を投げ出した巫女は、ジッと天井を見詰め続けていた。
「あー……これで一生笑い者か」
「あら、良いじゃない。
博麗の巫女が里中の話題になれば少しは参拝客が増えるかもよ?」
「出たな八雲紫」
何処からとも無く響き渡る声に、巫女は大して驚きもせずに、境内へと言葉を放った。
空色と深緑の境界に亀裂が走り、徐々にそれは開かれていく。
数多の目玉が浮かぶ赤紫の空間。 そこから現れたのは、禍々しい雰囲気を纏った一人の少女だった。
「こんにちは。 お加減は如何?」
「最悪よ。 全く、あんたの差し金じゃあ無いでしょうね」
「そんな事して私に何の得があるって言うのかしら?
全くもって理解できませんわ。 もっと理論的に筋道を立てて話して頂かないと」
「その胡散臭い喋り方やめて。 いま気が立ってんのよ」
「あらそう。 じゃあまたね~」
「何しに来たのよ!」
「博麗の巫女欠乏症になっちゃってね。
たまにでも良いから貴女の元気な顔を見ないと、私は寂しくなって死んじゃうのよ?」
「知らないわよ、とっとと永遠に眠りなさい」
「はいはい、またね」
「さようなら」
陰陽玉を投げつけるも、それが届く前に彼女は隙間の奥へと消え去ってしまう。
後に残されたのは怒りの行き場を失った博麗の巫女の馬鹿野郎と云う叫び声のみであった。
――
「で、本当に本気だったのね。 昨日のは」
「勿論じゃないですか。 私が一度でも嘘を吐いた事がありましたか?」
「ええ、たった今ね。
しょうがないわねぇ……邪魔だけはしないでよ」
「分かってますよ。 これでも記者の端くれですから」
「はいはい、あと荷物持ちもお願いね」
「うぇ~」
「あー妖怪の力ってこう言う時に便利♪」
次の日。
人里へと買い物に来ていた彼女は、自分の後を付いて回る鴉天狗と共に彼方此方の店を回っていく。
次々と積み上がっていく荷物にも足取り一つ乱さない天狗の姿に、彼女はほくほくとした笑みを浮かべながら荷物を投げあげていった。
「ちょ、すいません。
いくら何でもこれ以上積まれると写真が取れないのですが」
「あらそうなの? 天狗って意外と軟弱なのね」
「すいませんが両手の数は人間と変わらないですからね……っと!」
「あらお見事」
巫女の言葉が癪に障ったのか、天狗は荷物を軽く投げ上げると、片手のみで荷物を抱え直した。
その様子に、周囲の人々からは拍手が巻き起こる。
「あやや、私が目立っちゃしょうがないんですがねぇ……」
「ま、良いじゃない。 ほら、次行くわよ!」
「あ、待って下さいよ~!」
その後も彼女の買い物は続く。
天狗はと言えば、彼女が店の商品をうんうん唸りながら選ぶ姿や、かんざしを手に取り目を輝かせる少女らしい一面などを次々とフィルムに納めていった。
結局買い物が終わったのは、夕焼けが鮮やかな赤を見せる宵の口間近の時刻だった。
神社に辿り着いた二人は縁側に辿り着くなり、その身を大の字に投げ出す。
満足げな顔で仰向けになる巫女と、ぐったりと俯せになる天狗。
対照的な二人の姿は赤々と照らされ、幻想郷の遊惰なひと時を垣間見せていた。
「……はぁーっ! 買った買った!
こんなんだったら毎日だって来て良いわね」
「はぁ~、疲れた。
もうこんなの御免ですからね?
まあ、また来ますけど」
「はいはい、又明日~」
「あ、最後に。
ハイ、チーズ!」
「にっ!」
起き上がり、写真機を向ける天狗に対し、巫女は口を大きく横に伸ばして笑顔を形作った。
そして今日も天狗は山へと帰っていく。
恐らく明日も顔を見せる事だろう。
この頃にはもう、巫女は鴉天狗が隣に居る事を不快に思う事は無くなっていた。
しかし、しつこく写真を撮るのだけはどうにかして欲しいとだけは思っていたが。
――
それからも鴉天狗は、博麗の巫女を撮り続けた。
妖怪達が大騒ぎした時は、巫女の邪魔にならない様に陰ながら。
宴会の時は、皆と騒ぐ彼女の姿を一緒になって騒ぎながら。
何もない暇な時は、日常を過ごす彼女の姿を。
こうして鴉天狗の不思議な手帖は、既に何冊目を迎えたのか分からなくない程の量を溜め込んでいた。
「……ねえ、文」
「はい? 何でしょうか?」
「何でアンタは私の事を撮るのかしら? なんか良い事あんの?
相変わらず新聞は閑古鳥が鳴いてるようだし」
とある日、彼女は訪ねた。
何故彼女は自分を撮り続けるのだろうかと。
その問いに天狗はうーむと首を傾げながら、何かを考え始める。
暫しの間硬直していた天狗だったが、その内何かを閃いた様にポンと両手を叩き合わせると、彼女は巫女に対して返答した。
「勿論、皆で見て笑う為ですよ!」
「やっぱりかこの天狗!」
「おっと、種族の名を侮辱に使うのは止めて頂きたい。
なんなら一戦交えましょうか?」
「上等よ! 私が勝ったら今度こそ写真撮るの、やめなさいよ!」
「ええ、良いですよ。
但し私が勝ったら今後一生私専属のモデルになって頂きます!」
「響きは良いけどそれただのさらし者じゃないの!」
二人はいつかの様に飛び交いながら、いつかの様に「遊び」を始める。
巫女の攻撃を躱しつつ、鴉天狗『射命丸文』は今日も彼女に写真機のレンズを構えてこう言うのだ。
「はい、チーズ!」
いや、以前はむすた氏の『タイムアウト』を読んだ時に、どうしようもない切なさに襲われたんですよ。
だから、それとは逆の感情を抱ける作品を作れないものかと思いまして、これを書きました。
固有名詞が出て来ないのは、どの代の博麗の巫女の写真なのかを曖昧にする為です。
十〃代と表記した元――『博麗風土記』に書かれた ”十三代目 博麗の巫女” が霊夢の事かは分かりませんが、大体霊夢を含めて前後1~2代の誰かでしょう。
それを元に、この話に出てきた時代(洗濯機や写真機、冷蔵庫が存在してる)から、やはり霊夢の前後位の誰かには当て嵌められるように描写してみました。
だから、どの代の巫女とは言いません。
作中で行われた二人の”遊び”が”弾幕ごっこ”かそうでないのかも分かりませんし。
ただ言えるのは、どの代だろうがこの楽園は変わらないだろうと言う事です。
勿論、やっている事も。 だからこそ、私は安心してこの話を作る事が出来ました。
本当に、これだけ変わらない世界も珍しい。
いつまでも変わらない世界観を創り上げる神主に多大なる感謝を。
感動しました
今の倍はクルものがあると思いました。