しとしとぴっちょん、ぴっちょんちょん。雨あめ降れふれもっと降れ。人間どもを震わせて、おうちの中に、隠しましょ。しとしとぴっちょん、ぴっちょんちょん。雨あめ降れふれもっと降れ。人間どもを懲らしめて、妖怪天下を作りましょ。しとしとぴっちょん、ぴっちょんちょん。しとしとぴっちょん、ぴっちょんちょん。
「あっ、止んじゃった」
傘の表面をポツポツと打っていた水の音が小さくなり、いつしか消えてしまった。しかし多々良 小傘は手持ちの大きな傘をたたむ様子もなく、少し身を乗り出して空を仰いだ。
「ひゅんっ!?」
まだ幾分か降っていたのか、冷たい雫が小傘の鼻を直撃する。これまで傘に守られていた身が、春を間近に控えた冷気に曝されブルリと震えてしまう。「あやや~」とどこぞの天狗を真似たつもりもない台詞を吐きながら、小傘は傘下へと身を引いた。
「うぅ……私が驚いちゃ駄目だめ」
一人で赤くなりながら、傘をくるくると回す小傘。そうすると傘表面の水分が飛沫となって周囲に落ちていった。回している途中、何度か傘からだらんと伸びている舌(のような物)からも水分が飛び散った。なんだか唾液を飛ばしているような気分になってしまい、小傘は一人で深い溜息を吐いた。
「……なんだかなぁ」
先日、空の上で飛んでいるおかしな人間たちを驚かそうとして、逆に色々な意味で驚かされた。そしてあまつさえ、緑色の髪をして変なオタマジャクシっぽい物を飛ばしてくる東風谷 早苗とかいう巫女に「古くさい」とまで言われてしまった。そのことに落ち込みはしたものの、彼女も妖怪の端くれ。すぐに元気を取り戻し、今はこうして低空を飛びつつ人間の里を目指しているわけである。
あの三人の人間は驚いてくれない。けれど、あの三人が異常なだけであり、他の人間ならばもう少しいい反応を見せてくれるだろう。そんな淡い期待を抱きつつ、小傘は意気揚々と里を目指していた。目指していたのだが……
「ここどこー……?」
高空から見えていた人間の里が、低空になってから見えなくなってしまった。それどころか緑色で細くて硬い樹木で形成された林に迷い込んでしまったらしく、傘を畳まざるをえなくなる。そうすると小傘は見た目ただの少女でしかない。外見が全てじゃあないとどこかの誰かが言っていた気もするが、驚かすなんて所業は9割がそれに依存してしまう。それで滑ってしまえば、あとはもう力で示すしかない。そうやって失敗したのが先日のことである。
「あっ、誰か居る」
遠く、樹林の隙間に人影を見る。それは一つではなく、二つ。どんどん近づいて行くと、その二人は外見的には人間であることが見て取れた。片方は黒くて長い髪で、艶やかだけど少々重そうな衣を身に纏っている女性。もう一人は同じく長髪の女性だが、髪の色は銀で、だぶついたブラウスともんぺっぺ。頭のリボンが博麗 霊夢とかいう巫女を連想させるが、別人であろう。
二人を外見で「人間だ」と判断した小傘は少し広い場所に出て、傘を開いた。紫色の傘に描かれた白い目と愉快な口、そして口から垂れ下がる大きな舌が二人のいる方向を向いているのを今一度確認したのち、その足で駆けだした。
「輝夜! 今日こそ決着――」
「うらめしや~」
二人の間に決まり文句をあげながら滑り込むや否や、空気が凍る。銀髪の少女が言おうとしていた言葉も後が続くことはなく、視線が左右から小傘一人に降り注いでいた。
「…………」
「え、えーっと……」
「…………」
「う、うらめしや~?」
再度決まり文句を言いつつ、傘が両者に見えるようにと、くるくる回してみせる。
「プッ……アハハハハハハハハハハハハハハハ」
銀髪の少女が唖然・呆然とする一方、輝夜と呼ばれた黒髪の少女の甲高い笑い声が林に木霊する。
「あれ? あれあれ?」
「おい、お前?」
「えっ? は、はい!」
自分でも何故こうなったか分からない小傘に、銀髪の少女が詰め寄る。
「お前、なんだ?」
「な、なんだって言われましても……」
「あぁ?」
「……!」
言葉を濁すと、まるで猛獣の如く殺気の込められた眼が小傘を睨み付けた。その眼光を受けた小傘は「えっと、あの、その……」としどろもどろになってしまい、ついには傘を落としてしまった。
「傘が、傘が泥を啜ってるわ。アハハハハハハ、ヒヒヒヒヒヒ、ヒィ、ヒィ、おかしい」
「あの、私、ふぇ……ぐすっ……」
雨が上がったばかりのぬかるんだ地面に傘が落ちてしまい、しかもその様を笑われてしまった。大切な傘なのに、私の半身なのに……落としてしまった、笑われてしまった。そう思うと、小傘の目には自然と涙が集まってきた。
「お、おい……」
「ふぇえええん、うわぁあああん」
「クヒっ、クヒっ、妹紅が子供泣かしてる。ウヒヘヘハハハハハ」
「お前は黙ってろ!」
「アハ、アベハァ!? うあぁあああ、したかんらぁ!」
妹紅と呼ばれた少女が小傘から一旦離れ、輝夜を殴りつけた。それで笑い声は止まったものの、泣き声は止まらない。
「あー、ったく……輝夜、今日のところはおしまいだ。興が削がれた」
「はにふぉいっふぇるほ、ひょうふはほれはらひょ!(何言ってるの、勝負はこれからよ!)」
「お前が何言ってんだよ。とっとと帰れ。喋れるようになってからまた来い」
「ほうはいははい!(後悔なさい!)」
謎の捨て台詞を吐いて、輝夜はどこかへ消えていった。
「うあぁああああん、ぐずっ、ひっく……」
「ほら、もう泣くな……許してあげるから」
「傘、ひっく……落としちゃったよぅ……」
「ん? あぁ、ほら、拾ってやるから。はい、ちゃんと持つんだぞ」
「ぐす……ありがとう」
妹紅から傘を受け取り、何度か開閉して表面の泥を落とす。そしてそれが終わったら、最後に舌についた分の泥も落とした。
「しっかし……変な傘だな」
「変……? うう……うぇ……ふぇーーん」
「あぁ、泣くなって! いい傘だから、すっごく素敵で可愛いから」
「ほんとに……?」
「ほ、ホントサ」
言ってからブルッと震えた妹紅を見上げながら、小傘は涙を拭い、鼻水を啜る。妹紅はめんどくさそうに髪を掻きむしりながら、溜息を吐くばかりであった。
「で、こんなところでどうした? そもそもお前、何しにここに来たんだ?」
「あのね……私、妖怪で……人間を、驚かせようと思って……」
「ふんふん、なるほどなるほど」
「でもね、大事な傘、落としちゃって……それが笑われちゃって……私、私……ぐす……」
「だから泣くなって。あいつはあとで私がヤキ入れるから。お前を笑ったこと後悔させてやるぐらい締めておくからもう泣き止め」
「……うん」
しゃくりあげるのを止めると、頭の上に温かいものが乗る。それが妹紅の掌だと分かったときには、わしゃわしゃと髪を分けつつ、少々乱暴に撫でられていた。
「でもまあ、もう私と輝夜の間に入って来ちゃだめだぞ。危ないし、それに私たちは人間じゃあないからお前の意向にそぐわないだろう?」
「うん……わかった」
「よしよし、良い子だ。えーっと……あっ、そうだ、名前は?」
「小傘。多々良 小傘っていうの」
「小傘は良い子だから、ちゃんとした人間のところに行きな。ね?」
「うん……でも、人間の里の場所わかんない……」
「そっかそっか。じゃあ私が連れてってやるよ」
妹紅に勢いよく手を引かれ、小傘はつんのめり、また傘を手放してしまった。
「うわぁあああん」
「ごめん! ごめんって」
宥められ落ち着いた小傘は、妹紅に手を引かれながら歩き出した。その道中で改めて藤原 妹紅の自己紹介を受け、小傘も自分のことを話した。捨てられた傘から生まれた妖怪であること、そして最近、三人の人間に敗れたこと。
「そりゃ駄目だ。緑のやつは知らないが、あとの二人には私も負けたことがある」
「妹紅お姉ちゃんも?」
「あぁ。あいつらは強いぞ。まあ、相手が悪かったんだと思って忘れちまいな。っと、そろそろ着くぞ」
そんな具合に話を交わしつつ林を抜けると、眼下に田畑と藁葺きの屋根の人家からなる集落が広がった。その田畑一つに男女数人がおり、それ自体がいくつもあることで規模は数十人になる。また、農村部の奥には商店や露天商が並ぶ市場があり、雨上がりということもあってか、平均以上の賑わいをみせていた。小傘が思っていたよりも広く、そして人間(であろう人型)が多い人里。里と呼ぶには少々規模が大きいかもしれないが、小傘はそれ以外の表現方法を知らない。
「さ、こっち来な」
「えっ? でもあっちに人間沢山いるよ?」
「そりゃあ沢山いるけど、今すぐ行ったら後でこわーいお姉さんに頭突きをもらうことになるからな」
「?」
再び妹紅に手を引かれ、今出てきた林に沿って歩いてゆく。そして辿り着いたのは『寺子屋』の看板がある少々大きめの家屋であった。人のいる気配はなく、ガランとした空気が流れている。
「慧音ー、いるかー」
妹紅が扉を開けてそう叫んでみても、誰かが出てくる様子はない。今の声の大きさならば、例え寝ていても目が覚めるはずだ。ということはやはり、留守なのだろう。
「うーん、いないな……」
「どうするの?」
「んー……どうしよっか」
悩んでいる妹紅を尻目に里の方へ目を向けると、誰かが畑の間の小道を通ってこちらに歩いてきているのが見えた。それを確認し、小傘は畳んでいた傘を開く。
「うらめ――」
「妹紅じゃないか。来てたのか」
「あぁ、慧音。ちょうど良かった」
「…………」
「ん? この娘は?」
「あぁ、ちょっとね。この娘のことで慧音に話があってさ」
「そうか。じゃあとりあえず上がってくれ」
慧音に誘われ、妹紅が中に入ってゆく。小傘はどうすればいいのか分からず、傘を開いたまま妹紅と慧音を何度か見比べていた。
「ほら、お前も入った入った」
「あっ、ちょっと待って」
「ん?」
「う、うらめしや~」
「…………?」
「あう……」
試しに言ってみたものの、何事かすら理解してくれない慧音。そんな状況に落胆しつつ、小傘は傘を閉じてから屋内へと歩を進めた。
「っと言うわけで、小傘はそういう妖怪なんだ」
居間にあげられ、お茶が出てくるまでの時間がおよそ20分。出された熱々のお茶を冷ましながら啜っていると、隣に座る妹紅が慧音に小傘のことを話した。
「人間を驚かせたいのか?」
「うん、人間を見返してやりたいの」
「だそうだ。ということで慧音、一つこの娘の行動を見逃してはくれないか?」
「それで、その娘がこの里で活動する許可をくれと」
今まで黙ってお茶を飲んでいた慧音が湯飲みを置き、その口を開いた。その声色は少々強張っている気がし、小傘は無意識の内に妹紅の袖を掴んだ。
「驚かすと言っても程度が分からないしなぁ……それに、里を守る私としてはあまりそういうことを許可したくはないんだが……」
「……駄目か?」
「そうだな……妹紅が目を離さないならいいかな。問題が起こったら止めてくれるのなら」
「よし、分かった」
気がつけば小傘は妹紅の後ろに隠れており、顔だけを出して慧音の様子を伺っていた。そして話がついたと判断すると、ゆっくりと自分の席へと戻った。
「良かったな小傘。慧音は人間驚かしてもいいってさ」
「ほんと?」
「ほんとほんと。だけどまあ、傷つけるようなことはするなよ?」
「うん、分かった」
妹紅は苦笑しながら小傘の頭を撫でた。その動作はやはり少々荒っぽいものの、小傘は悪い気はしない。むしろ、安心感を覚えていた。
「しっかし……妹紅が他人の面倒を見るなんて言い出すのも珍しいことな」
「ははは……なんでだろうなぁ。小傘を見てると何となくそんな気になっちゃって」
「いいことだ。その調子で、うちの悪ガキどもの面倒も見てくれると助かるんだがなぁ」
「うーん……今度考えておくよ」
湯飲みに残ったお茶を飲み干し、妹紅は一息吐いた。そして今にも駆け出しそうな小傘の手を引いて立ち上がらせ、「邪魔したな」と一言述べて寺子屋を後にした。
外に出てみると、先ほどまで残っていた雨雲が移動しており、雲の隙間からは光が降り注いでいた。温かな光の下を二人は歩き、集落の中心に辿り着く。そこで妹紅が翻り、引いていた手を離した。
「ほら、行ってこい。私はここで見てるから」
「うん、行ってきます」
妹紅は走っていく小傘を手を振って見送ってから、また身を翻して市場の方へと歩き始めた。
一方、小傘は枝を蹴った鳥が飛ぶように気持ちよさそうに走り出し、今も人間たちが仕事をしているであろう田畑を目指した。丁度一仕事終えた中年夫婦らしき二人組を確認すると、小傘は歩を緩め、傘を開いた。
「うらめしや~」
傘の目と舌を人間たちに向け、それを少し震わせることで動いてるように見せかけ、お決まりの一言。
「…………」
「…………」
「あ、あのぉ……うらめしや~」
「えっ? あぁ、なぁ?」
「えぇ? えーっと……」
出会い頭に驚かせてみたものの、二人の人間は互いの顔を見合わせ、何を言おうか迷っている。驚いている、とは言うよりもむしろ、反応に困っていると言った方が正しいだろう。
「あなた、どこの娘?」
「見かけない娘だなぁ」
「えっと、あの……私、妖怪で……」
「妖怪さんが何の用かね。悪いが、食い物になりそうなもんは持ってないぞ」
「私たちも忙しくて遊んであげられないの。ごめんなさいね」
「い、いえ……ご、ごめんなさい」
なんとなく謝ってしまい、小傘はそのままその夫婦を見送った。そしてそれが終わると、溜息を一つ。
「上手くいかないなぁ」
大人たちは忙しそうに畑仕事をしている。先ほどの夫婦も別の畑に入り、また何か作業をし始めている。これでは構ってもらえそうにないし、田畑に入ってまでやろうものならば追い出されかねないだろう。そう判断した小傘は、ターゲットを変えることにした。
「ごめんくださーい」
田畑から集落部に移り、適当な家屋の戸を叩いてみる。傘は開いたままで、扉を開けた瞬間に目や口の部分を見せてびっくりさせようという寸法だ。
「はーい。ちょっと待ってくださいねー」
一軒目は留守であったが、二軒目は反応があった。優しそうな女性の声がして、戸がガラガラと音を立てながら開かれる。
「うらめしや~」
相手が何か言う前にすぐ実行。中から出てきた年老いた女性は「あらまあっ」と、少々驚いたような声をあげた。その声を聴いて、小傘は内心、「やった」と思った。
「おやおや、可愛らしい妖怪さんだねぇ。どうしたんだい? お腹が空いたのかい?」
「えっ? いや、そうじゃ――」
「ちょっと待っててね。確かお饅頭があったはずだからあげるわ」
老婆は屋内に引っ込み、戸棚をゴソゴソと漁った。そして目的の物を見つけると、すぐに戻ってきた。
「はい、お饅頭だよ」
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして。あんまり悪さをしちゃ駄目ですよ。この里には怖いお姉さんがいるからね」
「はぁい」
「じゃあまたね」
饅頭をしげしげと見つめていると、老婆はしわがれた顔でニッコリ笑い、戸を閉じた。呆気に取られていたが我に返った小傘はもらった饅頭を囓り、その更に隣の家を目指した。
「うらめしや~」
「おお、妖怪が訪ねてくるなんて珍しいなぁ。お茶でも一杯飲んでいくかね」
「あう……」
何軒かで試してみたものの、在宅しているのは優しい老人ばかりで、驚かれるどころか行く先々で何かをご馳走になったり、可愛がられてしまう。驚かそうとしても少しばかりの反応はあれど、小傘が期待している、腰をぬかすぐらいの反応は見られない。
「そうだ……!」
それならば、もう一度ターゲットを変えよう。大人だから冷ややかな反応しか得られないのだ。だから、子供を相手にすればきっとみんなびっくり仰天してくれる、はず。そうと決めた小傘は、里を見渡せる場所を探した。そして選んだのが、里に来た時に立った林の出入り口である。田畑を通り、もう一度その場所に降り立つ。
「えーっと……あっ、いるいる」
よくよく見渡してみると、里の外れで子供数人が走り回っているのが分かった。何をしているのかはまでは分からないが、一ヶ所に数人いるのならば、一人ずつ探す手間も省けるというものである。小傘は地を蹴って飛び立ち、子供たちが集まっているその場所を目指した。しかしそこに直接下りるのではなく、少し離れた位置に着地した。
子供の数は六人で、全員男の子である。先ほど高い場所から見た時は走り回っていたのに、今は一ヶ所に集まり、何か話し合っている。彼らが小傘に気づいた様子はない。
これならいける。そう判断した小傘は、傘を閉じ、なるべく気取られないようにと歩いて彼らの方へと近づいていった。
「次何して遊ぶ?」
「鬼ごっこは飽きたしなぁ。かくれんぼはどうだ?」
「それ昨日もやっただろ」
少しずつ近づいて分かったが、子供たちは今度は何をして遊ぶかを話し合っているようだ。遊びを考えるのに夢中で、小傘の存在にはまだ気づいていないらしい。それならば、自分が遊びを提供してあげよう。ただし、遊ぶのは自分だけど。小傘はそう思い立ち、足を止めた。
「ねぇ、君たち」
「あん? なんだよお前」
リーダー格であろう子供が小傘の声に反応すると、他五人もほぼ同時に小傘の方を見た。それを好機とばかりに小傘は閉じたまま後ろに隠していた傘を前に持ってきながら開いた。
「うらめしや~」
傘が開ききり、目が子供たちの目と合い、舌が一番近い位置にいる子供の服に触れた辺りで決まり文句を一つ。そして更に今度は、気味の悪さを煽るため、傘をくるくる回してみせた。
「うわ、何その傘。だっせぇ」
「へっ?」
六人の中の誰が言ったであろうか。その言葉を聞いた小傘は、傘を回す手を止めてしまった。
「変な色だなぁ。うちのかーちゃんが捨てた茄子みたいだ」
「ほんとだ、かっこわりぃ」
「色もあれだけど、この目とか舌もだめだめだよな」
誰かが言えば、違う誰かが同調する。そしてまた別の誰かが……
「か、かっこ悪くないよ! それよりほら。私妖怪だよ? みんなのこと、食べちゃうぞー」
「妖怪~? お前みたいな妖怪なんか怖いもんか」
「そうだそうだ。慧音先生の方が100倍くらい怖いぞ」
「ううう……」
内からこみ上げてくるものを、小傘はぐっと耐えた。しかし耐えるのが精一杯であり、反論の言葉は出てこない。そもそも、彼らが言う慧音――恐らくこの里に来た時に最初に出会った寺子屋の人――は小傘自身も少し怖いと思っていた。自分が恐怖した存在と比べられてしまっては、最早どうしようもない。
「ちょっと貸してみろよ」
「あっ……」
押し黙ってしまった小傘を見て、リーダー格の子供が傘を取り上げた。
「駄目! 返してよ!」
「ほれ」
「ほいきた、受け取った」
「あー……」
取り返そうとして突っかかると、リーダー格の子供は傘を隣にいた子供に渡してしまった。
「返してー」
「やーだよ」
「おっと、こっちだよ」
「あーうー……!」
傘を持っている者に突っかかれば、その子は隣の子に渡してしまう。元々大した力もないし、傘を取られてしまった小傘では、力尽くということもできはしない。気が付けば子供たちに囲まれており、小傘が行動を起こす前に傘が移動してゆく。
「返してよーーーうぇ……ぐす……」
「ははは、こいつ妖怪のくせにベソかいてるぞ」
「俺たちを食べるんじゃなかったのかー? 妖怪さーん?」
「ふぇ……わぁああああん」
再びどうにもならない状況に追い込まれ、小傘の感情はとうとう決壊してしまった。喉からは叫び声が漏れ、目からは涙が零れてしまう。それじゃ駄目だ、泣いてはいけない。そんな考えを持っても怒濤の如く押し寄せる悲しさが押し流してしまい、歯止めが利かないでいる。
「おい、へっぽこ妖怪。泣いてないでなんとかしてみろよー」
「ぐすん……ぐすん……」
「弱っちいの。お前ほんとに妖怪かー?」
「妖怪名乗ってて恥ずかしくないのかー? っと、うわっ!?」
揃いも揃って小傘を茶化していた子供たちであったが、ある一人が持っていた傘が突然上に引っ張られ、その子は宙づりになってしまった。
「こぉら、悪ガキども。女の子いじめてんじゃない」
「げげっ、もこたんだ!」
「あぁ!? 誰がもこたんだ、こらぁ!」
「に、逃げろー!」
「あ、ま、待ってよー」
背後から突如現れた妹紅が一睨みすると、睨まれた子供は逃げてしまった。子供たちは余程統率が取れているのか、一人が逃げ出すと続け様に全員がその後を追った。
「ったく……ガキンチョはこれだから苦手だ」
「ひっく、ふぇえええん。妹紅おねえちゃあああん」
「ほら、泣くな。傘も取り戻してやったから」
「うぐ、ひっく……」
妹紅から傘を受け取り、小傘はその足を抱きしめた。それは二度と離すまいという意思表示なのか、それとも不甲斐ない自分を許してとでも言いたいのか、あるいはもっと別の感情か。それが妹紅に分かるはずもないが、何かを思い、妹紅は溜息を吐いた。
泣きじゃくる小傘は妹紅に宥められつつ里に戻り、二人で茶屋に腰を落ち着けた。お茶の一杯でも飲むと小傘も気持ちが落ち着いてきたらしく、団子を食べながらこれまでの結果を妹紅に話した。
「小傘はあれだなぁ。可愛いから駄目なんだ」
「ふぇ……?」
「見た目が可愛すぎるから、怖くないんだよきっと」
「うう……それって褒めてるの?」
「褒めてるけど、妖怪的な面では若干貶してる」
「うわぁあああん」
「だから泣くなって。まあそれを解決するためにほら、こんなものを買ってきたんだ」
言いながら、いつから持っていたのか、妹紅はとある包みを開いて見せた。そこには細い筆や白粉などを塗すためのたたきのような化粧道具、そして白粉や口紅、眉墨などの化粧品が揃っていた。妹紅曰く、市場を歩いて探してきた物らしい。
「どうするの?」
「なぁに、これでお前に化粧をするだけさ。あくまで妖怪っぽくな」
「うーん……なんだか怖いよぅ」
「心配しなくても、肌を傷つけたり痕が残るような真似はしないさ」
「じゃあ……お願いします」
「あいよ。まあここでやるのもなんだし、場所を変えようか」
小傘と妹紅は再び寺子屋を訪れ、慧音に事情を話して部屋を一つ借りることにした。
「さぁて、と。始めるか」
「よ、よろしくお願いします」
「うむ。それじゃあまず、顔をちょっと白くするか。血色が良くていいんだけど、そのおかげで穏やかに見えちゃうからな」
「は、はい」
小傘は目をグッと閉じた。化粧など今までしたことがないため、これから何をどうされ、どういう感覚が自分にもたらされるのかが分からない。そんな考えからくる恐怖を少しでも和らげようと思い、彼女は目を閉じたのだ。しかし目を閉じても怖いものは怖いらしく、刑の執行を待つ罪人さながら身体は震えていた。そうしていると、肩に何か温かい物が置かれた。
「そんなに怯えなくても大丈夫だ。別に痛いことをしようってわけじゃない。力を抜いて、楽にして」
「う、うん」
「そうだな……何か楽しいことを考えてみてくれ」
「楽しいこと……」
小傘はふっと、雨を思った。今でこそ付喪神となっているが、小傘は元々雨傘である。雨傘は何か特殊な理由がない限り、雨の日以外に使われることはない。いつもは家の中にあって相手にもされない傘だけど、雨が降れば子供も大人も老人も、みんなが使ってくれる。だから、小傘は雨が好きだった。それは妖怪となった今でも、変わることはない。
雨の日のことを考えていると肩に乗っていた温かさが消え、顔に柔らかい物が当たった。それは何度か顔に当たり、粉っぽいようなものを付着させていった。痛くはないし、恐怖も消えてゆく。ただちょっと、くすぐったいような気はした。
「白さはこれぐらいかな? 次は……目元をちょっと変えてみるか」
顔を打つ物の感触が消えたかと思うと、妹紅がそう言った。何も起こらなくなったが、その代わりにカチャカチャと音がする。今度は何をされるのだろうか。目を開いてしまえばそれはすぐに分かるのだが、そうしてしまえば、雨が止んでしまう。小傘にとって、雨は止んでほしくないものであった。
「ちょいちょいっと……」
右の瞼に、柔らかい毛がツンツンと触れる。今度は粉と違って少し滑りのあるものが付着するが、それほど苦ではない。
そんなことを気にするよりも、小傘は瞼の裏に移る雨模様とその中で踊っている自分に執着した。傘をさし、歌を口ずさみ、雨粒を全て回収しようとしているかのように動き回る自分。人間を驚かせるのも楽しいけど、やっぱり雨の日の方がもっと楽しい。
雨が続いて、人間も妖怪も、もっと自分を必要としてくれたらいいのに。そんなことを思いながら、小傘は雨音に消えていった。
「おーい、小傘。起きろ」
「ふにゅう……」
「もう目を開けてもいいぞ」
「うぅん……」
雨が止み、目がゆっくりと開かれる。目の前には銀髪の少女。藤原 妹紅と名乗っていた少女がいる。小傘にとっては、身長や見た目の年齢からしても年上で、自分に優しくしてくれることから「お姉ちゃん」と慕っている少女。そんな妹紅が持っている手鏡に夕暮れの光が写り、瞳に痛みを感じた。
「とりあえず、幽霊を参考にしてみたんだが……どうだろう」
「幽霊じゃないよー。わちきは化け傘でやんす」
「わちき……? まあとりあえず、鏡で確認してみてくれ」
「ん……?」
光を避けるために移動しながら鏡を覗き込むと、少々顔色の悪い少女が中から小傘のことを覗き返していた。
「これ誰?」
「小傘」
「私……?」
「右目を閉じてみ」
言われて、右目を閉じてみる。すると今度は、まるで物もらいでもできているかのように右瞼を腫らした少女が小傘のことをじっと見ていた。
「うひゃっ!?」
「おいおい、自分で驚いてどうする」
「だ、だって……」
これが自分だなんて、信じられない。小傘は口をパクパク動かしながら、そんなことを言おうとした。けれど寝起きということもあって事態が飲み込めなく、言葉が喉を通ることはなかった。
「まあとりあえず、それでいってみよう。右目は普段は開けてていいよ」
「う、うん」
「さ、行こう。暗くなると人間たちは家に帰っちゃうからな」
再び妹紅に手を引かれ、小傘は外へと繰り出した。妹紅の言うとおり、里の人間たちは帰り支度を始めている者がほとんどであった。今を逃せば人間たちは家に閉じこもってしまう。そうなってしまうと昼間に訪ねた家ばかりのため、顔が割れていて驚いてもらえなくなる。そもそも、家を訪問する妖怪というのもあまり聞いたことがない。夜の屋内というものはある種の絶対領域である、という印象が小傘としても強く、それを侵すのはなんとなく躊躇われた。だから、今の時間は今日の最後のチャンスに等しいとも言える。
集落の中心付近で妹紅が手を離し、目配せをして小傘を前に出す。見ててやるからやってみろ、とでも言いたいのだろう。その意思を汲み取った小傘は妹紅の前を歩き、集落から市場の方へと駆けていった。市場にはもう通行人もほとんどおらず、露天商も少なくなっている。そんな中、他の者とは違う、一際目立つ服装の人間がいた。頭にピラピラした白い布をつけ、青っぽい服を着ていて、スカートに白い前掛けをしている女性。その目立つ人間を、小傘は標的とした。
「あっ、そいつは……」
少し後ろを歩いている妹紅が何かを言おうとする。けれど、小傘にはその声は届いていなかった。今はただ、目に映る少女を驚かせたい一心であった。そして傘を開き、右目を閉じ、おきまりの言葉を一つ。
「うらめし――」
言ったはずだった。しかし言おうとした瞬間、小傘の身体は寒気に包まれた。そしてその寒気は首筋から来ている。冷たい。冷たい何かが、首に当たっている。
「私に何か?」
「あ……あうあう」
背後から聞こえてきた声は、妹紅のものではなかった。温かみが一切なく、死を連想させる冷気をもっている誰か。気が付くと、さっきまで目の前にいた少女は消えていた。そしてその代わりに背後に強烈な殺意と、刃物の冷たさを感じる。
「ちょ、ちょっと待った!」
悪寒を感じてからどれだけ時間が経っただろうか。ようやく知った声が聞こえ、小傘の身体は温度を取り戻していった。
「あら……あなたは」
「悪魔のメイドさんよ、その娘を許してやってくれ」
「別に、殺すつもりはありませんわ。ただ、私におかしな傘を広げて向かって来たから事情を聞こうと思っただけです」
「事情を訊くのにナイフを突きつけるやつっているのか?」
「不老不死はいいですわね。身の危険というものを感じなくて」
妹紅に対して皮肉を言った後、少女の殺意は消えた。それを機に、小傘はその場にへたり込んでしまった。
「ふぇ……ぐす……」
「泣くな小傘。泣いちゃ駄目だ」
「うくっ……ひっ……」
「よしよし、えらいぞ」
小傘が懸命に涙を堪えると、妹紅はそのご褒美とばかりに頭を撫でてやった。二人のその様子を、ナイフを持つ少女は冷ややかな目で眺めていた。
「一体何なんですか、その娘?」
「あ、あぁ。この娘は小傘と言って、人を驚かすことが生業の妖怪なんだ」
「妖怪、ね……てっきり旅芸人か何かかと思ったわ。あぁ、私は十六夜 咲夜よ。よろしく」
「よ、よろしくお願いします」
咲夜は自己紹介を終えてからナイフを仕舞うと、改めて小傘の顔を覗き込んだ。一方小傘は蛇か何かに睨まれた気分になり、ついつい目を逸らしてしまった。
「どうせお化粧するならもっと綺麗にすればいいのに……折角可愛いんだからもったいないわ」
「えっと、その……」
「いや……綺麗にしたら誰も驚かないだろうって思ってさ」
「呆れた……そうまでして驚かせたいの?」
「だって私、そうするしかないもん……」
咲夜は「やれやれ」とでも言いたそうに溜息を吐いた後、小傘が持っている傘と小傘を見比べてみた。そして小さな声で何かを呟いた後、もう一度小傘の方を見た。
「あなた、良ければうちのお嬢様の傘持ちをやってみない?」
「か、傘持ち?」
「えぇ。お嬢様が外出する際、日の光を受けないように傘を持つのよ。それ以外にも屋敷の掃除とかをしてもらうけど、屋敷内でそれなりに自由が利くようにしてあげるわ。どうかしら?」
それはつまり、自分が勤めているお屋敷で貴方も働かないか、というお誘いであった。咲夜が出した条件はそう悪くないと妹紅も思っていた。しかしながら、小傘の表情は明るくなるどころか一層影がさしたようにも見える。
「駄目……私の傘は雨傘だから……」
「……そう」
雨傘でも日傘の代わりには十分なりうる。けれど、小傘自身がそれを快く思っていないらしい。プライドの問題なのか、はたまた古傷でもあるのか。何はともあれ、小傘の下した決定なので、咲夜はそれ以上言及はしなかった。
「それじゃあ、私はそろそろ失礼するわ。小傘さんも、機会があったらお屋敷に遊びに来てね」
「うん、わかった」
「またね」
そう言って、咲夜は陽の残光を浴びながら里の外へと消えていった。もうすぐにも夜が来る。露天商たちもいなくなり、市場はひっそりしていた。集落の方はと言うと、夕食時なのか、家屋の中からは光が漏れ、談笑する声が聞こえる。
「私もそろそろ帰るかな……小傘はどうする?」
妹紅は背伸びをしてから両腕を後頭部で組み、小傘の方を向いてそう訊ねた。小傘はどうするかは考えていなかったらしく、また口を噤んでしまった。幻想郷の妖怪には根無し草が多い。そういうことは妹紅としても百も承知らしく、小傘の反応を確かめてから微かに頭を掻いた。
「折角だし、今日はうちに泊まっていくか?」
「いいの?」
「あぁ。ボロ屋だし、一人が二人になったって変わらないさ」
「ありがとう……妹紅お姉ちゃん」
妹紅が「たはは」と笑ったかと思うと、小傘の手が妹紅によって引かれた。夜の帳が下りようとしている時にこうやって手を繋いでいると、小傘には妹紅が本当に自分のお姉さんになったかのように思えた。今日出会ったばかりなのに、色々と面倒を見てくれた妹紅。何故だろう、どうしてだろうという考えが湧いてくる前に、嬉しさが感情を支配していた。
里に来た時とは逆に竹林に入り、その中をどんどん進んで行く。妹紅と初めに会ったのはどの辺りだったろうか。思い出そうとしても、土地勘がない小傘にはどっちを向いても同じ風景にしか見えないでいる。その上もう陽は落ちてしまい、景色は闇に覆われてしまって、本当に進んでいるのかどうかも危うくなってきた。
「ちょっと待ってな」
妹紅が指をパチンと鳴らすと、その掌には煌々とした炎が湧き上がった。その炎は天に伸びるでも広がるでもなく、妹紅の手の上でゆらゆらと揺れている。その弱い光によって周囲が照らされ、ある程度ならば視界が利くようになった。それと同時に不安も少し和らぎ、安堵の息を吐くことができるようになった。
「ん? あれは……」
視界が利くようになった妹紅が、前方に人影を見つけた。しかし、人影と言ってもその相手があくまで人型なだけであって、何者かは判断できない。側にユラユラと白い塊が浮いていることから、人間ではないのかもしれない。小傘は妹紅の後ろに隠れたが、妹紅は警戒する様子がない。それどころか、少し歩を速め、その影へと近づいた。
「いよう、久しぶり」
「あっ、どうも、こんばんは」
顔が見えるほど近づくと、その相手が刀を帯びた少女であることが分かった。すぐ傍には餅のようなものが浮いているが、それを抜きにすれば少女は人間にしか見えない。もっとも、それは傘を持たない場合の小傘にも言えることではあるため、小傘は警戒を解こうとはしない。
「こんな時間にどうしたんだ? 迷ったのか?」
「いえ、さっきまで永琳さんを訪ねていたんです。今はその帰りで」
「そうか。まあ、気を付けて帰りな」
「はい。あっ、ところでそちらの方は?」
少女はそう言って、身体を少し右に動かし、妹紅の背後を覗き込もうとする。少女のその動作に焦った小傘は反射的に傘に隠れようと考え、急いで傘を開いた。
「…………」
少女が小傘の姿を確認してから数秒遅れて傘が開かれる。また何か言われる。古くさいだの、茄子みたいだの。そう思っていたのだが、少女は傘と目を合わせたまま固まってしまった。
「お、お……」
「ん……?」
「お化けだぁぁあああああああああああああああああああ」
「へっ?」
突然の絶叫に、小傘も妹紅もたじろぎ、何事かと少女を見つめ直す。少女は鳥肌を立てながら腰を抜かし、それでいて、微かに後退していた。
「おいおい、どうしたんだ?」
事態がいまいち飲み込めない妹紅が、少女を引き起こすため、炎を持っていない手を差し伸べる。しかし、少女の目はその手よりも、妹紅の持つ炎に目がいった。
「ひぃいいい! く、来るな! 来るなぁ! よ、寄らば斬り捨て御免あそばせ!」
最早わけのわからなくなった少女は後ろに飛びながら立ち上がり、おかしな言葉を発して抜刀した。
「おおお、お化け退治も武士の情けなりぃ! かかかか、覚悟!」
「え? えっ? ちょ、ちょっと待っ――」
「せいばーーーい!」
「きゃあああああああああ」
少女がジャンプしながら放った斬撃に対し、小傘は身を竦めるばかりであった。が、妹紅が手を思い切り引っ張ることにより、小傘は一撃を回避した。
「おのれ! もののふめーーー」
「逃げろ小傘!」
暴走した少女をすぐに止めることは無理だと判断したのか、妹紅は小傘を引っ張った時の勢いに任せて反対側に投げ、大声で叫んだ。投げられた反動で草むらにひっくり返った小傘は状況が飲み込むため、すぐに立ち上がった。前を向くと、先ほどの少女が泣き顔で二本の刀を振り回しながらこっちに迫ってきている。
「ひぃいいいい」
「みょーーーん! みょーーーーん!」
小傘が背を向けて駆け出すと、少女は奇声を上げながらその後を追いかけてくる。心が恐怖に支配され、小傘はがむしゃらに走った。竹林の地理は分からないが、刀で切られるよりかは迷った方がはるかにマシである。だからとにかく走り続けた。
「うわぁあああああん、助けてーーーーーーー」
「こっちに来るなーーーー! 悪霊退散! 悪霊退散!」
来るなと言いつつも、少女の方はどんどんスピードを上げながら追ってきている。しかし刀をめちゃくちゃに振って竹を切断しつつ走っているため、自分で道を塞いだりもしているらしく、二人の距離はそれなりに開いていた。それでも、小傘の体力は限界が近づいており、息は次第に切れ、足取りもおぼつかなくなってきていた。
「はぁ……ぐずっ……助け、てぇ……」
叫んで余計に体力を消耗したらしく、小傘はとうとう走るのを止めて竹にもたれかかってしまった。呼吸が乱れ、喉からは声ではなく別のものが出てきそうな気分になる。歩みを止めてしまうことによって足には疲労が一気に襲いかかり、最早歩くこともままならなくなってしまった。だが、少女の方は止まらない。未だに奇声を上げながら、小傘へと迫っていた。
「藤原式鳳凰脚!!」
あと1メートルほどに距離が詰まったところで、突然妹紅が少女の左側から飛び出してきた。そしておかしな名前のドロップキックを少女にお見舞いし、その小さな身体を吹き飛ばした。「みょーーぐ!?」という言葉になっていない音がし、少女は闇の中へと消えていった。
「大丈夫か、小傘」
「もごうおねえぢゃぁああああん」
「よしよし……もう大丈夫だ」
抱きしめてもらうと安心が身体を突き抜け、頬が緩んで涙も止まらなくなってしまった。それぞれ色が違う小傘の瞳から、同じ無色の雫が流れ続ける。妹紅は小傘の頭を優しく撫でながら、左手に持っていた物を差し出した。
「ほら」
「あっ……」
気が付けば、小傘の手には傘が握られていなかった。妹紅に投げられた時に持っていたところまでは覚えているが、逃げ始めてからは持っていたかどうか定かではない。しかし、草むらに投げられた時に傘は開いていた。その状態で竹藪の中を走ることは無理なので、恐らくは逃げる時に置いてきてしまったのだろう。
「大事なものなんだろ。今度こそ手放すなよ」
「うん!」
妹紅から傘を受け取ると、小傘は表情に色が戻った。妹紅がもう一度「よしよし」と言って頭を撫でると、先ほどの恐怖などどこ吹く風と言うぐらい、小傘は威勢を取り戻した。
「それじゃあ、今度こそ帰ろうか」
「あ……あの娘は?」
「あぁ……ほっといても大丈夫だろ。目を覚ましてまた暴れられても大変だし」
妹紅が翻り、歩き出す。小傘もそれに続こうとする――が、足はまだ疲労困憊の状況にあり、上手く動いてくれない。気分が落ち着いてくると足の疲れもより明確になり、少し痛みも伴った。
「なんだ、疲れたのか?」
「う、うん……」
「しょうがない奴だな……」
妹紅は小傘の方に向き直り、正面まで来てからまた身を翻してしゃがみ込んだ。そして腕を動かして小傘の腕を掴んだかと思うと、それを自分の肩に回させた。肩に回した小傘の腕を首の前辺りで繋がせると手を離し、そして今度は腕を使って小傘の足を持ち上げた。
「よいしょっと……」
「わわっ」
小傘をおぶさり、妹紅は立ち上がる。立ち上がると今度は軽くジャンプして重心を安定させた。そしてそのまま、再び闇夜の竹林を歩き始めた。背負う状態では小傘の持つ傘が若干邪魔になるものの、それが大切な物であることが分かっているためか、妹紅は何も言わない。
どこまで走ってきたのか分からないが、妹紅は特に迷った様子もなく歩いて行く。まだ少し地面がぬかるんでいるのか、妹紅が足を地につけるたびに湿った土の音が鳴り、その音だけが静かに竹林に響いていた。
「……ごめんなさい」
「うん?」
その沈黙に耐えられなくなり、小傘が口を開いた。その声は先ほどまでと違ってくぐもっており、今にもまた泣き出しそうでもある。
「私がいたからあんなことになっちゃって……ごめんなさい」
「あぁ、さっきの嬢ちゃんのことを気にしてんのかい?」
「うん」
「気にするこたぁないよ。ただまあ、ちょっと驚きはしたかな」
言いながら妹紅が苦笑すると、小傘は素っ頓狂な声をあげた。
「さっきの嬢ちゃん、妖夢って名前なんだが、あいつも巫女や魔法使いと肩を並べるくらい強くてさ。私はあいつにも負けたことがあるんだ」
「そ、そうなの?」
「あぁ。だから、お前を見てあいつが腰抜かした時、私も驚いたね。そして思ったんだ。小傘もちゃんとやれるじゃないか、ってね」
「でも……あの娘、見たところ人間じゃないみたいだし……」
「ところがどっこい、あいつは人間だよ。正しくは半分人間だが……」
「半分……あんまり嬉しくないかも」
「まあいいじゃないか。半分人間とはいえ、あいつは人間的にもできた奴だ。だからそいつを驚かせたということは、人間を驚かせたというのと同じじゃないか」
「そ、そうかなぁ」
「そうだとも」
妹紅の言っていることは詭弁なのかもしれない。それでも、自分を認めてくれたという嬉しさと、妹紅の軽快な笑いが、小傘の中でそのことを肯定へと導いていった。しかし褒められ慣れていないためか、顔が赤くなり、妹紅の肩に回した腕の組み方を少々強めただけで何も言えなくなってしまう。
「曇ってるな……しばらくしたらまた一雨来そうだから、早く帰るか」
「……うん」
「帰ったらまず風呂に入ろう。化粧を落としてやるよ」
「うん」
妹紅が歩く速度をあげようとした折に、小傘は傘を上に向けて開いてみた。古くさくて不格好なのかもしれないが、雨傘には代わりない。もし今雨が降ってきても、これで妹紅お姉ちゃんを助けてあげよう。小傘はその気持ちが抑えられず、「しとしとぴっちょん、ぴっちょんちょん」と歌い始めた。
「なぁ、小傘……」
「なぁに、妹紅お姉ちゃん?」
「すまないが、傘を開くのは雨が降ってきてからにしてくれ。舌が邪魔で、前が見えにくい」
「あう……」
しかしやっぱりしょげてしまった。
ずっと雨が続けばいい。そうすれば、自分は本来の役割に戻ることができる。巫女たちに負けて以来、小傘は心の奥ではそんな思いを募らせていた。でもやっぱり、雨はたまに降る方がいい。そうすれば、雨をより楽しむことができる。それに晴れていても人間たちを驚かせられるし、妹紅のような者に出会うかもしれない。曇っていても、雨を楽しみにして待つことができる。だから、雨が降るのはたまにでいい。小傘は少し落ち込みながらもそう考え直し、妹紅の背中に頬を当てて目を閉じた。
ところで、その翌日から一週間、白玉楼という場所では庭師が風邪を引いて寝込み、「傘のお化けが追ってくるー」とうなされているとかなんとか。それはあまり関係のない話である。
<終わり>
小傘ちゃんかわいいよ小傘ちゃん
この口調だと幼女幼女しすぎてるかも…性格なんかは可愛らしくて良かったです
そしてみょんの混乱っぷりとおかしな名前のドロップキックに笑w
あと、小傘は傘だからよく泣いてしまうのだ、っていうのはなんか綺麗な表現でイイ
>妹紅やら幽香やらの力があるキャラに保護されてる様が似合うと思う
全面的に同意
ぜひレミリア紫幽香とでカサルテットを結成して一人レベルの違う小傘を色々な意味で愛でてる様を見たい
>幽香やらの力があるキャラに~
幽香と一緒に晴れの日は幽香の傘で相合傘、雨の日は小傘の傘で相合傘しながら、
「妖怪とは何たるかを教えてあげるわ!」って幽香にいろいろ叩き込まれそうだな。
まだ体験版なのに何この小傘ブーム。
ところでみょんが「おのれ!もののふめーーー」って言ってるけど「もののけ」の間違いでは?
この頃からざんねんな子だったとはw
妹紅の姉さんっぷりとか、みょんのお前がビビるなとか、いいなぁ。
>幽香~
至極同意