人里より離れた所にうち棄てられた山寺があるが、昨今どうもそこに一人の老人が住み着いているらしい。
厳つい顔に刀を帯び、死に装束のごとき白を着て山林を徘徊する姿は、亡者か物の怪か判ぜども、少なくとも見た者は複数ある。
幻想郷ではよくある類の噂話であった。
もとより怪異には事欠かぬ郷だから、こんな話はあだ花のように、生じてはまた消えていく。
従って、噂がその少女の耳に入り、彼女がまさにその山に分け入らんとしているのは、いくらかの幸運の助けによる所でもあった。
山道をゆく少女の見た目は、十に指を幾つか足した程度。
左の腰には佩刀二振り、反対側には握り飯。生業う木こり猟師は多いとみえ、道は整ったものだったが、それにしてもまるで平地を歩いているのと変わらない足取りは、日頃より鍛える少女の腰の強さの為せる業だ。
揺れる銀の髪。白玉の庭師こと魂魄妖夢である。
師であり祖父である魂魄妖忌より全てを任され、幾らかの年月を数えるも、今なお半人前の悲しさたる彼女であった。
歩けど走れど何かにつまずき、師にまみえたら問うてみようと、それをそのまま心に秘めれば、砂礫のごとく積もり積もったそれは、今では聳え立つ万丈の山とばかり。
再び師との対面が叶うなら、全てを抛ち馳せ参じぬ。
さきのような報せが舞い込んだとき、つい結びつけて考えてしまうのは、同じ境遇の者なら誰しもであろう。しかし、それだけを以って一も二もなく足を動かしてしまう愚直さが、妖夢の良い所でもあり悪い所でもあった。
主の許しはあっさり下った。そぞろ神さえ引き摺って、一路顕界への門をくぐり、妖夢はどこまでも青い山に分け入ったのだった。
先程、ふと見つけた脇道に入ったのが、どうやら正解だったようである。
空気が変わっている事に、気付くのには少し掛かったが、気付いてしまえばそれは決定的なものだった。
体感の気温が一、二度下がっただろうか。天蓋は樫の枝葉に覆われ、名も知れぬ鳥の声は遠くから聞こえる。
粟立つ肌が告げてくる。
どうやらここは、もう寺の境内。
求める者が、求めて山を切り開いた場所であると。
この径は参道だ。入口の両脇には、石が一つずつ無造作に置かれていた。山号が彫ってある様子などない、本当にただの石であったが。
景色自体は山道と代わり映えしないものの、よく注意してみると経堂の屋根の破片、ひっくり返った灯籠などが、草叢の中に散見される。
そして確かに、径は程なく本堂へと至った。
決して異物ではない、木々の間に納まった木造。
スケール感も民家とそれほど異なる所のない、ひっそりと佇む瓦葺きがあった。
こんこん。
戸を叩く音が空虚に呑まれる。
手を掛けると戸はするりと開き、立て付けの悪さなどは感じさせない。
草履を脱いで、神妙に足袋を床張りへと下ろす。
その足でこすってみるまでもなく、床板は天井の模様を照り返す程だった。
普通に捨て置かれた山寺なら、蜘蛛の巣だらけになっていて然るべきだ。もうこれだけで、少なくともこの建物だけは、現在も手入れをされている、あるいは数日以内までは手入れをされていた、という事実が確かめられた事になる。
堂自体の大きさは大した事はない。法事で人を入れるにも、恐らく40人かそこらしか入らないだろう。
扉や幕で仕切る事も特になく、堂は生活空間と繋がっていた。
住居の方も本堂と同様に綺麗なものだった。特にかまどは、使われた形跡を色濃く残している。
まだこの寺を住処にしている人物がいるとするなら、ここで待てば確実に会える。
そう思って、日がとっぷりと暮れる頃まで待ってみたのだが、噂の老人は結局現れなかった。
押入れを探れば、虫の付いていない布団はすぐ見つかった。ここで一夜を明かすのが手っ取り早いようだ。
本来、妖夢は大の怖がりである。そもそも見知らぬ古寺で一人寝るなど、並の者でもなるべくなら御免被りたいところ。しかし今日は不思議と、自分でも信じられない程に、妖夢は平穏に目を閉じる事が出来た。
懐かしい感じがしたのだ。
じじ様が、となりで寝ていたあの頃。
翌日は白玉楼へ着替えを取りに戻り、取って返す足で人里に寄って米を買い込む事に大部分を費した。
妖夢はしばらく寺に滞在する事を決めたのだった。
ここに住み着く者があるとするなら、十中八九は求道のため。
道を求め彷徨う老人。狭い幻想郷の中での話、該当する人物はそう何人もいないはずだ。確率論だが見込みはあるだろう。
一日現れなかったからといって、老人が既にここを棄てていると結論付けるのは早計だ。数日間山に籠もる、山を駆ける修行などざらにある。
よしんば既にここを棄てたとしても、もしくはその人物が祖父と違っても、それならそれで証拠が欲しい。山を探るなら数日掛かりだ。
数日間、妖夢自らも寺で寝起きするのが手っ取り早い。自然そのような結論になる。
もう一つ、もののついでを言うなれば。
せっかくなので自分でも、悟りの一つでも開いてみようか、と。
あっという間にやってきた夕刻だった。
物資調達のような仕事は一般論として、何故だか理不尽な程に体力を食う。刻限も良いとあっては、普通なら風呂の一つでも沸かしたくなるところ。
しかし妖夢は境内にあった。
全身の力を抜く。
呼気を整える。
だらりと下ろしていた左手を、腰の楼観剣の鞘に添える。
右手を柄にかける。
鯉口を切る。
一つ一つに、見る者があれば呆れるに違いない程の時間を掛け、また各々に溜めと余韻の時間も作った。
山腹に、水盤の水の如くに張られた空気に、一つも波を立ててはならないとばかり。
そして、さらに倍の時間を掛けて、鞘からその空気の中へと、楼観剣の裸身を晒していく。
ひゅう、ひゅう、と。
舞うように剣を数回振るったあと、それを鞘に納める手付きには、何時もよりも一際の感慨が込められていた。
これ以降、時が来るまで真剣は抜かない。
なりふり構わず行く者に、刃物というのは重すぎるからだ。
だから、これは特別の納刀である。
祖父を探す。祖父がいた痕跡を探す。祖父の遺したものが何かを確かめる。身をもって確かめる。
祖父の所に辿り着く。その為に自らを修める。
どれもが同じ事のように聞こえるのは、単なる言葉遊びの枠を出るものではないだろう。
それでも、そうでなければ祖父は見つからないと、妖夢の中には殆ど確信としてあった。
指摘の絶えなかった欠点を直しました。しかし、前の構えより切れ味が劣る気がします。
主の悪癖を、どのように諌めたらよいのでしょう。
さんたくらうすは、やはり実在しないようです。
静かに己と向き合う日々が始まった。
朝は日が昇るのと同じくらいに起き、竈に火を入れ朝餉を作る。
それだけをすればあとはもう、ひたすら行を重ねるだけだ。
まず始めたのが、己の足でもって山道獣道を踏破する事だった。天狗や山伏がそのような修行をしているイメージが強いが、実際それにあやかってみたという趣旨である。山を探り倒すのは当初の目的でもあるから一石二鳥だった。
だが、最初の数日を過ぎるとその頻度は大きく減った。
調べるようなものが山には殆どなかった。火山質でないから洞窟などもなく、この寺の持ち物と思われる堂もせいぜい数個、それらいずれもが朽ちていた。
結局のところ、山はどこまでも山でしかない。
三日くらいでめぼしい所は探り尽くしてしまっただろうか。もちろん人がいた形跡は隠しようもないが、それが祖父だというのを裏付ける、新たな物は何も出なかった。
寺に戻ってくるかもしれないという見込みも日を追うごとに薄くなっていくから、得るものはこの時点でほぼ無くなったといってもいい。
それでも妖夢は修行を続けた。
読経は三日坊主未満だった。理解できない言語をいくら読んだところで意味はないだろう。
それらに比べ長続きしたのが、いつも白玉楼でやっている通りの素振りだ。
木刀を一本削り出し、振るえば山全てが手応えを返す。
あるいは、祖父が手を添えてくれていた頃のようだとも思った。
しかし、それにも増して妖夢が手応えを憶えたのは、基本中の基本たる座禅である。
妖夢の座禅は半分我流だった。座蒲を引っ張り出して結跏趺坐を組めば、あとの形式は適当でも、気の通し方は心得ている。
背筋は正さねばならないが、そのせいで別の所がつっぱってしまっては意味がない。
足の組みを注意すれば目線が下がり、余計な事を意識から追い遣ろうとすればかえってそれが頭を占める。全てに均等に注意を払おうとすると、全てが散漫になる。
理想の形はイメージできる。意識は身体の何処にも置かないが、決して朦朧としたり眠ったりしている訳ではなく。全身が一つ、もといこの堂や、究極には宇宙の全てまでが自分の延長であるかのように、意識を拡大させた姿が、禅の求めるものだ。
そこに至るには何をどうするも、考える事は全て逆効果となる。無心になれとは言うが、本当に無心では何も出来ない。矛盾だらけの難題は、文字通り禅問答に近いものだ。
知識としてはあったものの、初めて本格的に取り組んでみて、これは昼夜を忘れのめり込むに相応しい事だと妖夢は知った。
日を数えるごとに、素振りすらも頻度が減り、大半の時間を、妖夢は座禅を組んで過ごすようになった。
そして、それは座禅を始めて一週間した時の事だったろうか。
居られる。
右隣、座布団一つの間を置いて。
近寄る気配の一つもなく、気付いた時にそこにあったのは、座禅を組んだ老体であった。
お師匠…‥!
心の臓が跳ね上がる。反射的に首をそちらに向けそうになるのを何とか抑え、妖夢はかろうじて瞑想の姿勢を保った。
本当か? 本当に隣に居られるのか? 近寄ってくる気配は微塵もなかった。危うく現実をシャットアウトしかけたが、隣に誰かがいるのは間違いない事だ。
殺気に近い気迫が身体を突き抜け、妖夢は自分が斬られたかと思った。
勿論それは右隣から放たれたものだ。今のは集中を乱した事に対する咎めだろう。
弾かれたように、背筋をぴんと伸ばした。
昔そのままの、師弟の関係だ。未熟さは考慮され、言外に不問になるのが常なるも、それに甘んじるなら本当に斬られる。
斬られた事はさすがに無いが、断言できる。
ごくりと唾を飲むにも、妖夢は虎の檻の中にいる心地だった。
懐かしさと、刺すような緊張感が同時に身体を駆けた。
どうする。
知れた事。
数日間確かに抜かずにいた刀は左脇、座す師とは反対側に、床に寝かせて置いてある。
目をやる事をせずにそれを確かめられる程には、妖夢は万象を自分の身体と同等に感じられるようになっていた。行は成果を出している。
ぎゃあ、と名の知らぬ獣が鳴いた。
一閃。
秀逸な抜きであった。
元来、居合いとは立ち合いの反対で、座った状態での刀の扱いの事だから、これは正しく居合いであった。
しかも相手との間に距離がなく、そのままでは刀を抜き切れない。その点を克服するために、妖夢は踏み込みではなく退き込みで抜刀を行った。左足を後ろへ大きく引き、それによって体を開く。
それでも長い楼観剣は無理だったから、拾い上げたのは白楼剣で、それを腰まで引き付けず、抜いてそのまま片手横薙ぎの一撃を放つ。
普通の踏み込み上段に比べるとどうしても練習量が劣ってしまう、このような変則的な抜刀において、それは速く、滑らかで、低かった。
理想的な一撃はしかし、空を切った。
白衣の老人、その顔がまがう事なく魂魄妖忌である事を、妖夢はこの時初めて確かめた事になるが、その低い剣閃よりもさらに低く、潜り込むような態勢であった。
右手は、柄に掛けられている。
抜く気か。
無理だ、と妖夢は思った。妖夢がこの短距離で抜刀できたのは退き込みのせいもあるが、妖忌が自分より右に座っていた、という要素がそれ以上に大きい。逆に妖忌から見れば、妖夢は左側、鞘のすぐ隣に座っている事になる。距離が一層短い。
しかも、妖忌は身体を低くしながら、大きく踏み込んでいる。
ゼロ距離だった。
相手が打つ手はないはずなのに、出所不明の悪寒が身体を支配して、妖夢は半ばがむしゃらに反射行動をとった。
幸いな事に、妖夢の左手には白楼剣の鞘があった。床の刀を拾って抜刀したので、腰に付けられていない。左逆手ながらこれを力一杯振り抜く。
がちり、と、そこにあった抜き身とかち合った。
抜き身はそこにあったのである。抜いたというよりも、何かの魔法で突然そこに出現したという方がまだ納得がいく。
ありえない抜刀だった。
形式的には、ここまでが初手の見せ合い。
深追いはなく、互いに距離を取って対峙の格好となる。
ここで初めて、妖夢の全身を震えが走った。
刀を取り落とさないだけで、必死だった。
真剣において師と相対するのは、妖夢には初めての事なのだ。
深呼吸一つで、その心地を喉の奥に飲み込んだ。格下は仕掛けなければ致し方ない。相手の顔めがけ、目くらまし代わりに鞘を放り、それを皮切りに気迫の乱打を放つ。
一つ、二つ、三つ。
呼気と筋肉の動きを同調させ、一気呵成に責め立てる。
全力で打ち込み、全力で刃を合わせる事は最低条件だ。少しでも相手に余力を与えれば、その瞬間に反撃が来る。
四つ、五つ。
手が覚えていた。
師との立ち合いは、何度もこなした。
全てはあの頃のまま。
六つ。
あの頃のまま?
変わっていないというのか。
祖父は白玉を去ってより、ずっと修行の日々にあったというのに。
七つ目に、妖忌の咎めの太刀が入った。
胴打ち、妖夢の懐内。
それを弾いたのは、床に置き放しになっていたはずの楼観剣だった。
操るのは妖夢にあらず。立ち合いを尻目に刀を拾って駆けてきた、妖夢に瓜二つの姿の半身である。
二重の苦輪。
増えた太刀に祖父の相手を任せるようにして、一方本物の妖夢は真横に小さく跳んだ。相手の視界の外に出た。はずだ。
斬れる。のか。
妖忌は想定外の方向からの一太刀に態勢を崩している。もちろん向こうの実力が実力だから、崩れたといっても些細なものだ。しかし今の妖夢なら、一発は確実に入れられる。
だがしかし。魂魄妖忌は半人半霊の特性など心得ているはずだ。こんな事で崩れるなどあり得るのか。
行くべきか。行かぬべきか。時間のやり取りは刹那の単位で、熟慮を挟む余地はなく。日々の反復練習に拠って立つ体が選び取るのは、常に愚直な回答だった。
吸い寄せられるように、台風の目へと足が踏み込む。
駄目だな、というのが結局だった。
簡単にすぎる。間違いなく、これは単に誘いに乗ってしまっただけだ。踏み出し、戻せぬ足に体重が移行していく中で、心は諦念に支配される。
妖忌の鋭い眼光がそこにあった。
妖夢の眼窩を通って頭蓋骨の裏まで突き抜ける。
そこの祖父の顔があるのは、物理法則を全く無視した、全くありえない現象のはずであったが、妖夢はそれをそういうものとして受け入れた。
やはり、駄目か。
殆んど死ぬ前の走馬灯に近く、視覚と聴覚に出鱈目な情報が駆け巡る。
くるくる周る本堂の床に天井に壁面。
たぁん。
鮮血。
うつ伏せで床に転がったまま、妖夢は胸から腹を撫で、その掌を見た。
血糊がべったり、とはならず、手は綺麗なままだった。
低い位置からでも本堂は見渡せたが、老人はいなかった。
ただ、そこには闇がわだかまるようにして、こげ茶色に赤の混じった塊が落ちていた。
目を凝らす。血に濡れた、毛皮、か?
犬。いや、狸。
ずんずんと、床板を踏む音があさっての方向からした。
老人ではない。明らかに。実際、そちらにあったのは大柄で野暮ったい姿だった。
見知らぬ男。背には火縄銃から煙の一筋。猟師か。
その男は、堂の隅に転がる妖夢には気付かないふうであった。
猟師はかんじきのような草鞋でもって、土足のままに本堂の床を踏んだ。何の気兼ねもなく、土足で狸の死骸のそばまで寄ると、それに一瞥くれる。
高揚感は見られない。男の中では獲物を得た悦びよりも、血まみれのそれを居まで持ち帰る面倒臭さが勝っているかのようだった。
ただ無造作にその死骸を拾い上げると男は尚も、自らの縄張りを過剰に主張するような足取りのままで、山道の方へと戻って行ってしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
荒れ寺に不意の客人があったのはその晩の事だった。
私は図らずとも、ホストとしてその応対をする事になった。
(なお、ホストというのはゲストの反対で、もてなしをする者の事であり、それ以上でもそれ以下でもない)
客人とは他でもない。ここ数日に渡り放置に放置を重ねる格好になってしまった、わが主こと西行寺幽々子様その人である。
「いくら古寺だからって、本当に一汁一菜だけのお膳って逆にレアだわ。妖夢ってば暫く会わない間に、なかなか味な事するようになったじゃない」
「お褒めにあずかり光栄です、と言ってしまってよろしいのでしょうか」
あるいは嫌味なのか。傍目には、美味しそうに召し上がっているように見える。
私は自分の膳から、一菜を口に運んだ。
幽々子様とは肩を並べる格好だ。六畳間は、二人で食事をするには些か広すぎるきらいがある。
山菜のごま和えは、なかなか良い味に仕上がったと思うが。
「さて、妖夢。それでは今回の報告会といきましょうか」
「それなんですが……」
報告会、とは持って回った言い回しである。しかしたとえ主従の関係が無かったとしても、一週間一人で好きな事をしていたのだから、再会したら積もる話をというのが当然ではある。
当然であるのだが、私は言葉に詰まった。
今回の件を、一体どのように語ったらいいものか。その言葉を私は持っていない。起こった事の整理が、未だ出来ていない。
「ちなみに、徒労に終わったのは聞かなくてもわかるからね」
目的を達したなら、ここにじじ様が居られるはず。
尤もだ。
「祖父には会えませんでした。会えなかったんですけど、気分的には会えたと言っていいような」
「何それ」
未整理な心情を反映して、言ってる事まで要領を得なくなってきてしまった。
こうなったら、問題な点をはっきりさせよう。
そういう思考の筋道を辿って、以下の言葉は私の口から発せられたのだった。
「幽々子様。狸というのは、本当に人を化かしますか?」
その言葉を聞いた幽々子様は何ともいえない表情になった。
「ねえ妖夢。突拍子もない質問を突然投げ掛けるのは、私の持ちネタのはずなんだけど」
「今のはネタではありません。ていうか自覚あったんですか、突拍子ないって」
「あーあー、やっぱり妖夢ってば反抗期よ。だいたい何かしらその質問。狸じゃないけど、紫のところの藍ちゃんとか、人を化かすなんて朝飯前なのは妖夢も知ってるじゃない」
「すみません、聞き方が悪かったのかもしれません。普通の狸についてです。普通の、妖力のない狸はどうでしょう」
「トートロジーね、妖力は人を化かす力の事だから。化かす狸には妖力があるし、化かさない狸には妖力はないわ」
そう言ったきり幽々子様は吸い物をすすった。すっぱりと切って捨てられた格好だ。
今この時に限って、このような現実的な事を言う幽々子様はずるいと思う。いつもは捉え所がない方のはずなのに。
その後も報告は続けたが、個々の修行の内容など、非常に断片的な話に終始した。肝心な部分は模糊としたままで、食事の時間は過ぎてしまった。
ほんとうのこと、とは、起こった事に最も「現実的」な解釈を被せて出来上がるものだと、そんなニュアンスの事を仰られたのは確か、八雲の紫様だったと思う。
本堂の扉を開け放つ。現実感を希薄にする月明かりに照らされてなお、厳然と事実はある。ここは間違いなく、最初に来た時から綺麗に手入れされた状態だった。
噂の老人が実在したのは、まず確かな事だ。
しかも普通に生活した形跡がある以上、地から涌いたモノでもなければ、この世に未練を残したモノとかそういった類でもない。
それはじじ様かも知れないし、そうでないかもしれない。それを決定する証拠は何もなかったから、裏を返せばどちらであっても事実に影響しようがない。
狸の撃たれた跡はあの後入念に掃除したが、少なくともそこだけ床板が余計に綺麗になっているという点で、形跡はしっかりと残っている。
狸は、開け放たれた本堂を通り道にしようとした。狸の習性からいってありそうな事だ。そして猟師は、草むらを通っている時よりも遮蔽物がなく狙いやすいあの状況を待って、撃った。
猟師にとっては茶飯事であり、怪異や何やらを絡めて解釈すべき要素は何もない。
最後の、あの師との手合わせは。
体験したのが私一人である事を鑑みると、最も妥当な解釈は「気のせい」となる。
つまり、私はあの場で、宗教的な瞑想を続けた際によく起こる昂揚の状態となり、幻覚の祖父と戦ったのである。
太刀筋が私の記憶のまま、私の指導をしていた時そのものだったのがその証拠だ。本物はおそらく、あんなものではない。
思えば最初にここに来た時から、私はここの雰囲気にあてられていた。
そう、よくある話なのだ。寺院は俗世から離れた雰囲気を持っていて、実際そのような場所で修行をするのは高みへと至る方策の一つなのだが、それだけにあてられ悟った気になる事は、戒められるべき事だ。
このような思い込みが愚である事を、今回身をもって確かめた。それは得たものといえると思う。
しかし、遠い。
行くべき道はどこまで続いているのか。どの道が正しい道なのか。
月明かりの中で私は手を固く握った。
「妖夢」
声とともに腕がするりと、私の肩から首に回された。
「幽々子、様」
本当に、ずるいと思う。
全部お見通しか。
「どうすれば、良いのでしょう」
漠然としすぎた問いだった。
けれど、幽々子様は間髪なく、その答えを私に寄越した。
耳元で囁かれた言葉を、私は必死に咀嚼した。
そうして。
「はい、分かりました」
言った。
そう、そういう事だ。
私のなすべき事は。
月が翳り、注ぎ込まれるように陰が堂を満たした。
この暗闇の中で灯になるようなものを私は求めない。私が求めるものは、闇が訪れればするりとその闇の中に姿を隠してしまうだろう。
幽々子様が耳元で囁いた言葉は従って、決して私を導いてはくれない。
だから、私は脳裏でその言葉をもう一度繰り返した。
◆
ちょっと語彙の選択が散漫な部分があった感じですが
妖夢の愚直さは実に愛らしい。
もっとみんな読むべき
ところでタイトルなんて読むんですか
この静謐な緊張感がステキでした。
面白かったです。
良いお話でした
でも100点入れたかったんだ。
緊迫しながらも理解のありそうな師弟関係が良い。全体的な緊張感が良い。