「えー、例年の三月三日はお休みにしていましたが、今年はお休みにはしません。
ああはいはい。不満があるのもわかるが最後まで聞いてからにしなさい。
別に授業をやろうというわけじゃない。いわゆる林間学校、もしくは遠足のようなものだ。
雛祭りだからってサボるのはダメだぞー。お昼には帰って来られるようにするし、親御さんたちにも了解をとってある。
男女とも特別な用事がなければ是非参加してほしい。
あと普段勉強に来てない子も大歓迎だからどんどん誘うように。大人数であればあるほどいいからな。
詳しくは今から配る紙に刷っておいたから目を通しておくように」
教壇の上から歯切れのよい声が響き渡る。
不満げな声を上げる子供もいたが、そこはまだ子供。何かイベントがあると聞いてプリントが配られると同時に食い入るように読み始める。
教師はその様子を見ると満足そうに一度頷き、窓の外に目をやる。
そこからは、大きな大きな山が見えた。
くーるりくーるりくるくるり。私がやらずに誰がやる、かわいいあの子にやらす気か。それくーるりくーるり――――
桃の節句。正式に言うと上巳は五節句のひとつに数えられる、季節の節目の中でも特に重要な行事が行われる日である。
だがしかし、一般的には雛祭りを行う日と言った方が通りは良いだろう。
子を持つ親と当の子供本人、後は職人連中であれば飾り付けなどの準備に追われることになるが、そうでなければ割と関係がない。
そして私はもう祝われるような年齢ではなく、また祝ってやらねばならないような幼い親戚もいない。
雛飾りは大事に取ってあるが飾ることもない。
それなのになぜ雛祭りについて考えているかというと、私の立場、役割に起因するところが大きい。
仕事柄子供と触れ合う機会の多いので、こういった行事にもやや近いのだ。
澄んだ空気とくすんだ景色、もの寂しくも落ち着きを感じる冬の色は鮮やかな梅の紅白に塗り替えられ始めており、
生命の力強さと無秩序の不安定さを匂わす春の風が近いことを予感させていた。
少し周りくどくてかなり感傷に浸りすぎか。要は紅梅と白梅がいい塩梅に咲いていてとても綺麗だ。
私は冬の空気も好きだが、ごちゃごちゃと多様な色が現れる春も好きだ。
この様子なら梅の実もたくさん取れるだろう。青梅には毒が含まれているがしっかり干すなり漬けるなりすればあたることもない。
梅干しを幾粒かに和えもの、あと焼き魚と汁物があれば立派な膳だ。
ああ駄目だ、よだれが出てきた。今晩は梅干しを食べよう。
寒気とそれによる身震いで、今考えるべきは今晩の献立ではないことに気づいた。我ながら気が抜けきっている。
もう春と言えど風が吹けば寒い。私は外での見送りを切り上げて屋内に入ると、いかにもこの季節と言った単語が耳に入ってきた。
とっくに授業は終わったというのにまだ中には数人の女生徒が残っていた。
平時なら早く帰るよう促すのだが、今日のところは多少大目に見てやろう。なんせもうすぐ雛祭り、彼女らが主役なのだ。
かく言う私もまだ完全な人間だったころに、友人たちとやれ今年は三段だの、やれ女雛を新しくこしらえてもらうだのとおしゃべりをしていた記憶がある。
もう昔の話だ。あのとき話していた彼女らはもうとっくに川を超えていってしまった。
今では彼女たちの血を引いている子供たちにものを教えているわけだが。
雛祭りと言えば古くは雛遊びから変化したと言われ、さらには節句の神事的儀式である流し雛と一緒くたにされて今の形になったと言われている。
しかし幻想郷の関係者は暇なのか伝統に大切にするのか、どちらでも変わりはないが、全てやる。
つまり雛人形を飾り付け、仲の良い友人と白酒や菱餅、あられを食し、腕利きの妖怪退治に守られながら流し雛を流すのだ。
だと言うのに妖怪を排しようという動きが一部であるのが非常に残念でならない。
慣習を大事に伝承させていく一方で、やっとつかんだ人妖のバランスのとれた平穏を崩そうというのは褒められたことではない。と言うより、愚かだ。
片一方を古いまま置いておきながらもう片方を新しくしようなどと、うまくいくわけがない。
幻想郷は今、調和のとれた状態にある。これを不自然に揺り動かそうとしたらどうなるか、やじろべえのようにまた安定してくれる保証はどこにもないのである。
まあ、あの妖怪たちをただの人間がどうにかできるとは到底思えない。
もしどうにかできるとすれば、両方が同時にうまく揺れたときだけだろう。
古きを忘れ、同時に妖怪の恐怖も忘れるのだ。
もしそれが完全にうまくゆけば私たちはめでたく「妖怪たちに見切りをつけられる」だろう。
そうなれば『この幻想郷』は崩壊する、妖怪たちは妖怪たちでまたどこかにひっそりと楽園を築くだろう。その昔、ここを外界と断ち切ったときのように。
慣れ親しんだ動作というものは多少の考え事程度では邪魔されることはない。慧音はいつのまにか帰り仕度を整え終えていた。
しかし女生徒たちは一向に帰る気配がない。話が盛り上がることを花が咲くと言うことがあるが、まさに花が咲き乱れているようだ。
単に花と言えば桜、古風に言えば梅を指すことが多いが、時節を考慮すれば桃だろうか。
桃の花が咲き乱れている。
慧音は彼女たちの気持ちがわからないではないが、自分の職務として彼女たちに帰宅を促さなければならない。
安全の保持という意味もあるが、歴史の勉強と手伝いの両立が多くの生徒たちの寺子屋に通う条件だからだ。
いや、多くの生徒たち、というと語弊があるかもしれない。
正しくは生徒たちの多く、だ。
慧音の思いとは裏腹に、生徒の数は多くない。
「気持ちはわかるが今日はもうそろそろ帰りなさい。家の手伝いだってあるでしょう」
日が伸びてきたとはいえまだ三月。時間としてはまだ早いが日は着々と高度を下げ、その光を教室に射しこませている。
白と青のつややかな髪に光を浴びながら声を掛ける。
もちろん女生徒たちからは不満の声が上がるが、慧音も慣れたものだ。軽くいなして重い腰を上げさせる。
「ああ、そういえば流し雛のときは気をつけるんだぞ? たとえポーズだけの襲撃でも怪我をするかもしれないからな。
ちゃんと大人の言うことを聞くように。なんなら私が付いて行ってもいい。普通の妖怪相手なら遅れを取ることはあまりないぞ」
女生徒たちを屋外に追い出し、戸を閉めるが、その際に施錠らしき行動はみせない。
鍵という道具はものを守るためにある。守りたいものが鍵の先にある物なのか、鍵の先に行く者なのかは時と場合に依るが、概ねそういう認識でよい。
そして慧音にとっての守りたいものは今、この扉の向こうにない。
金銭的な価値があるものなどない。資料的な価値がありそうなものは教科書くらいだが、それは無料で配布しているものだ。押し入る輩がいるとは考えにくい。
少なくとも慧音はそう分析している。
「流し雛ですか? 聞いたことありますけど、やったことありませんよ」
その女生徒は軽い世間話のつもりだったかもしれない。しかし慧音には決して小さくない衝撃を与えた。
「ない? 最近の里では流し雛をしないのか?」
「ええ、聞いたことはありますけど」
慧音は寄せた眉根を指で押さえる。彼女の知らぬ間に事態は芳しくない方へと進展していたらしい。
流し雛は、少なくともこの辺りでは、昔から続いてきた行事である。
こんな山奥でこういった雅やかな風習が根付いているのは珍しいのかもしれないが、あるものはあるのだからしょうがない。
新しいことを取り入れるのはいいことだ。しかし万が一古いものを忘れることに成功してしまったら、最悪の事態も有り得る。
慧音は内心の動揺を悟られまいと、できる限り自然に生徒たちを見送る。
果たしてそれはうまくいったのだろうか。少なくとも子供たちの足取りは軽く、おしゃべりも慧音の視界から外れるまでは続いていたように見えた。
「さて、まずは何をすべきかな。里の誰かに言ってすぐにどうこうなるようなことでもなし。
かといって妖怪に相談しても宴会になるだけだろうし……。
やっぱり、こういうときは神様にご機嫌伺いに行くのが正解、かな?」
細く噴煙たなびく山を眺め見て、慧音は深く溜息をつく。
その頭から奇妙な形の帽子がずり落ちた。
くーるりくーるりくるくるり。私がやらずに誰がやる、かわいいあの子にやらす気か。それくーるりくーるり――――
彼女、上白沢慧音は半獣である。
半獣とだけいうならば別段これといって珍しいものではない。
もちろん人間や妖怪と比べれば数は少ない。それでも人里を歩けば何人か見かけるくらいはいる。
慧音が特別視されるのはその混じった相手が故である。
なんの冗談なのかは罷り知らぬが、彼女は白沢との半獣なのである。
白沢というのは龍などと比べればさすがに格が落ちるものの、その森羅万象に対する智慧によって聖獣と呼ばれ、しばしば厄よけと、それに伴う繁栄の象徴として信仰される。
その知識は魔術や妖術にも及び、それを使う方法も破る方法も把握している。しかし理論を知っていることと使いこなすことは必ずしも合致しない。
幻想郷の中ではかなりポピュラーであり、中にはほぼ無意識に使うことができる者もいる「空中浮遊」、白沢はこれがあまり得意ではないらしい。
意識を集中すれば飛ぶこともできるようだが移動手段として使うには少々心許ない。
そしてそれは白沢の半獣である慧音も同様のようである。
何が言いたいかというと、慧音は妖怪の住処である山に向けて歩いていた。
より正確を期すと妖怪の山のふもとを目指して、になる。
人間のほとんどは存在すら知らない神様がそこにいることを慧音は知っている。
そしてその神様はまるであつらえられたかのようにこの節句にぴったりなのだ。
というより、この節句によってあつらえられたといって間違いはない。
流し雛たちの長がこの行事に関係しないわけがない。
飛行して行くのならそれほど苦にならないが、歩きで行くとなると妖怪の山というのはなかなか厄介なところにある。
それなりに長い道のりをときには草をかき分け、ときには飛びながら慧音は進む。
妖怪との遭遇頻度も山に近づくにつれ多くなってきた。だからこそ流し雛をするにも送る人間が必要だったのだが。
そしてこの険しい道から、本当に流し雛が廃れてから長い時が経っている事を実感していた。
道というのはそこにそういうものがあるのではなく、人が通る場所が道となる。
桃やすもものような魅力的なものがあれば、自然と人が集まり道ができるという故事もある。
しかし、今の人里は桃の節句だというのにその桃に集まることをしなくなった。
この荒れた道が――道の跡が――それを如実に物語っている。
そしてどうにかこうにか日が沈む前に、慧音は幼いころ彼女が雛を流した場所にたどり着いた。
「鍵山雛様はいらっしゃいますか」
慧音は軽く息を吸うと、割れんばかりの大声を山に投げかける。
すると確かに、春の息吹で目覚めた木々とは質の違うざわめきが発生した。
それも当然、ここはもうすでに妖怪たちの勢力圏だ。天狗から河童から、妖怪たちの多くが慧音の接近に気づき、警戒していることだろう。
彼女もそれを了承済みだ。知っての上の行動である。
目的の相手はとある事情で滅多なことでは人前に姿を出したがらない。これぐらいしないとすぐには見つからないだろう。
さて、後は鬼が出るか蛇が出るか。慧音は辺りに警戒の目を向ける。
しばらくは何も起きなかったが、遠くから何者かの声が聞こえてきた。
その声は非常にか細く、声量もさほどあるとは言えない。誰かに話しかけるというよりは自身に向けた呟きといった体だ。
最初は何と言っているか慧音にはわからなかったが、次第にはっきりと聞き取れるようになってきた。
「くーるりくーるりくるくるり。私がやらずに誰がやる、かわいいあの子にやらす気か。それくーるりくーるり――――」
まるで呪いの言葉のように同じ文句を繰り返し繰り返し、節を付けてまるで歌っているようだ。
やがてその声の発信源が慧音の前に姿を表した。
「こんな時間にこんな場所にわざわざ来るなんて、迷子でなければ自殺志願者かしら。私に何かご用?」
鍵山雛。
至るところにフリルが付けられた、色で言うのなら紅白の、しかしめでたさはこれっぽっちも感じられない色彩の衣装で身を包み、これまたフリルだらけのリボンで飾った姿が宙に浮いていた。
少々くどいゴスロリ調のラッピングの中には緑の髪が映える。
そして何よりも、慧音には雛の周りに漂う、緑色の靄が印象的だった。
「あら、珍しいわね。あなたにはこれがはっきり見えるの? じゃあそれ以上私に近づかない方が身のためだってわかるわね?」
雛はくるりくるりと回りながら自分の周囲にある靄を指差す。
言われるまでもなく、慧音の頭からはわずかしかない雛との距離を縮めようなどという考えは吹き飛んでいた。
ただただ呆然と見上げるだけである。
そんな様子の慧音を見て、雛が微笑みを浮かべながら声を掛ける。
「これは興味本位なのだけれど、あなたにはこの子たちが何色に見えるかしら。別に何か試してるわけじゃないの。ただ人によって違う色に見えるらしいのよ」
「……緑……です」
「そう。あなたにとって厄のイメージは緑色なのね」
慧音に合わせて高度を下げ、回転速度も落とす。しかし決して止まろうとはしない。
雛は慧音が山に入るためではなく自分に会いに来たこと、強硬な手段を取る気はないことを悟ったのか、穏やかな表情だ。
「ええと今日訪ねさせて頂いたのは――」
「そんなに固くならないでちょうだい。厄神なんて言われてるけど元を正せばただの付喪神みたいなもの。人に敬われるような立場じゃないわ」
照れたようにはにかむ。
慧音は初対面の相手に失礼のないよう敬語を使っただけなのだが、雛はあまり慣れていないらしい。
子供を相手にすることが多かったであろう流し雛だったからだろうか。
「では失礼します。小耳に挟んだのですが、ここ最近人里で流し雛をしなくなったと聞きました。何か知りませんか?」
「ええそうね、残念ながら。何かあったのかしら」
「では何もご存じでないと」
雛は目を伏せることで返事をした。その顔は本当に申し訳なさそうで、とても隠し事をしているようには見えない。
半ば予想していたが、別に厄を祓うという効果がなくなったから流し雛をやめたというわけではなさそうである。
そもそもそれなら今、彼女は存在しないだろう。
となるとどうしてだろうか。再開させること自体は非常に簡単である。
慧音にはそれなりに里の人間たちと絆を育んできたという自負がある。説得して回れば容易いだろう。
しかしそれでは意味がない。自分ひとりで無理やり進めても、伝統的な儀式としては復活しない。
そのような形骸化したものではダメなのだ。
考え込む慧音の視界のはずれにちらちらと動くものがあった。
遠心力によってゆるゆると動き続ける派手なリボンである。
「すいませんが、先ほどからどうしてそのように、ええと……回転しているのでしょうか?」
白沢の知識によれば、雛のようなタイプは元の道具に影響されやすい。
鍵山雛の場合は流し雛なので座っているか、横にせよ縦にせよまっすぐになっているかである。
からくり細工も施されていないのに回転をするというのはいささかおかしい話だ。
「ああ、コレ? 代わりよ。代わり」
慧音の疑問に、雛は隠すこともなく答える。
私が「自分は鍵山雛だ」と自覚したのはいつだっただろうか。最初から流し雛軍団の長として活動していたと思う。
それはもうだいぶ昔の話で、人間はおろか妖怪以上に永い存在であることがわかっていた私はそんなことを覚えたりはしなかった。
毎年厄を集め、神様のところへ持っていくを繰り返していた。
それに変化があったのはここ十数年、いや二十年ほど前のことだったと思う。
流し雛に訪れる人間の数が減ったと思ったら、すぐにはたと来なくなったのだ。
スペルカードルールこそなかったものの、すでに人間と妖怪の殺し合いがほとんどなかった時代。妖怪を恐れて、というのは考えにくい。
私はその役目上、その頃以前から山のふもとに住んでいた。なので情報には事欠かない。いくらでも天狗たちが押し付けてくる。
しかし手に入るのはどうでもいい情報ばかりで、肝心のことは何ひとつわからなかった。
私は、恥ずかしいことだけどあまり頭が良くない。元が流し雛だから他のことについてはあまり頭が回らない。
でも私は流し雛だから、人間が来なくなった理由を考えなければいけないということはわかっていた。
流し雛は別に子供以外がやってもいいのだけれど、いつの間にか子供の行事になっていた。雛祭りに取り込まれて禊の要素が軽視されたのだと思う。
ということは昔と違って子供の行事になってからのことを考えた方がいい。
とは言っても来なくなる前と後で何か差があったのかというと、たぶんない。
子供がメインでも大人も少しは来ていた。
となると子供の数が減ったのではないか?
妖怪たちは奇妙な噂話は大好きだけど、代替わりの激しい人間の死んだ生まれたには無頓着だ。
妖怪からでは知ることはできない類の情報である。
一度思いつけば、考えれば考えるほどそうとしか思えない。
しかし同時にそれはないのでは、とも思う。平和で暮しやすいなら子供が減ることもなく、変わらず来続けるはずだと思う。
それなのにこんな状況になっている。何か別の要因があるのだ。それも人間の手に負えないものの可能性が高い。
そしてなによりも、とてもよくないことだと思う。
私の経験上、これらの条件にぴったり当てはまるのは飢饉だ。いくら襲われる心配がなくとも食べ物がなければ生きていけない。
でもそれだけでは不十分、飢饉によって二次的に発生することの方が恐ろしい。
口減らし、その中でも特に間引きだ。
個人的に間引きという言い方はとても嫌いだ。
そしてそれの対象が子供たちだというのがなおさら気に入らない。
子宝と言ったり間引きなんて邪魔なものみたいに扱ったり、理解はできても納得はできない。
宝物を殺してしまうなんて納得できるわけがない。
「ねえあなた。こけしって漢字でどう書くか……知ってる?」
しばし物想いに耽っていたかと思うと、慧音におもむろに声をかけた。
「何を言い出すかと思えば……。一応知っていますよ。『子供を消す』と書いて『子消し』でしょう」
当然のようにすんなりと出てきた回答に、雛は満足気にうなずく。
白沢なら知っていて当然だ。
「じゃあこけしはなんのために作られるか知ってるかしら」
「流産などで生きることができなかった赤子の供養のためですね。その子がいた証にもなります」
「あら? じゃあなぜこけしのモデルは女ばかりなのかしら?」
沈黙。
辺りは日が暮れ、すっかり暗くなっている。
春の強い風が草木を激しく揺らす。
もはや山から妖怪の視線は感じない。見ていることを悟られるような低級妖怪が見なくなっただけだが。
慧音は直立不動のまま首をやや仰角に掲げ、雛を非難がましく見据える。
雛は変わらず姿勢正しくくるくると回転し、どこ吹く風と非難を受け流す。
「女は力が弱く、働き手になりにくいからです」
深く息を吐き、意を決して言葉を吐き捨てる。
その気になれば知らぬ存ぜぬで逃げ続けることもできただろうが、それではあまりにも不誠実だ。
「悲しい話よね……」
雛の声の調子が下がる、自分が慧音に言わせるように仕向けたにも関わらず。
どうしても口減らしをしなければならない状態になったとき、どの口から減らしていかというと、生産能力の低い子供か老人からとなる。
子供の場合は丁稚奉公という道もあるのだが、女児の場合はそうもいかない。
貧しい家庭の場合、生まれたのが女の子だとわかった直後に「口減らし」が行われることもあった。
「あなたは博識のようだから、こけしの首が音を立てながら回るのは知っているわね。
子消しの首が音を立てて回る。なんてわざとらしい構造なのかしら。
いい趣味してるわ」
「もしかしたら親がわざとそうなるように頼んだのかもしれませんよ。好き好んで子供の首を回そうと思う親などいるわけがありません。
生かしてやることができなかった子供への供養であると同時に、生活苦とはいえ我が子を手にかけたことに対する戒めでもあったと考えるべきでしょう。
人間は忘れやすいですが、忘れやすいなりに手をうつものです」
慧音の言葉になるほどと頷く。
確かに供養のためだけならそのような細工などいらない、むしろあってはいけない。
「あなたは聡明なのね、私とは大違い。
私は人間の味方なの。子供たちの首が回って、こけしの首が回るくらいなら私が回っておこうと思うの。
なんの気休めにもならないことは知ってるわ。私はただの流し雛、こけしとはなにも関係ないもの。
飢饉に対して何かできればそれが一番いいのだけど、私ごときがどうにかできるようなものでもないし、
ならせめてこけしの代わりに私が回ろうって。本当に馬鹿よね」
「飢饉……? い、いやちょっと待ってくれ。人里に飢饉なんて――」
静かに唇に当てられた人差し指に慧音の言葉は遮られた。
そして直後、慧音は激しい自己嫌悪に駆られた。
彼女が今何をしようとしていたのか?
それは人の間違いを訂正しようとしただけだ。
たったそれだけだ。
相手が雛でなければ本当にそれだけだ。
「この前、神社が引っ越してきたって少し騒ぎになったじゃない? そのときに様子見に来た人間がいたのよ。黒くて白いのと紅くて白いの。
面白い噂ならわりと耳にするから、スペルカードルールで弾幕ごっこをしたの。
負けちゃったから道を譲ることになっちゃったけど、追い返そうとしたのよ。
彼女たちは私を知らなかったわ。確かに人目につかないようにはしてたけど、私がなんなのか知ってる人なら警告すれば引き返してくれてたの。
流し雛に来なくなるようになってから生まれた子だったのかしらね。
ねえ、あなた。聡明なあなたなら、私を人間の味方のままでいさせてくれるわよね?」
慧音は草むらの中にいた。
空を仰げば月と星。伸びた草木と雲に邪魔されながらも、十分な光量で地上を照らしていた。
彼女はところどころでその複雑なスカートの裾を引っかけ、ときにはほつれができてしまっているのにもお構いなしに、荒々しく草をかき分けていく。
その怒りの矛先は誰でもなく、彼女自身であろう。
「何も言えなかったな……。白沢の力もこんなものなのか」
慧音はあの後、何も言えなかった。
雛を知ったのが半獣になった後とはいえ、自身も幼いころに雛に世話になったであろうという推測が慧音の口を鈍らせたのだ。
慧音は物を知っているだけでなく頭の回転も速い。
それゆえに悟ったこともあるのだろう。
人間が流し雛に来なくなった原因として、飢饉による食糧不足が起きていると思い込むことにしたこと。
雛自身、それが間違いであると気づいていること。
思い込むことにしてから休む間も惜しんで回り続けていること
これらの前には白沢の力などなんの意味もない。
結局流し雛の復活の目途など立つことはなく、解決すべき事案がふたつに増えただけだった。
いかにしてこれらを片付けるべきか、やっと人里の灯りが見えるようなところまで降りて来て、そこではたと閃いた。
独り言が口を突いて出る。
「なんだ、こんな簡単なことに今の今まで気付かなかったとは、私は馬鹿じゃないのか……? 考えるまでもないじゃないか。
神事としての理由が欲しい私と、神としての役目が必要な彼女。そうだ、考えるまでもない!」
慧音は人里へ向けて走り出す。
口からは笑いが溢れ、頭では今後の予定を組みながら、スカートのほつれなど気にしないで勢いよく。
まずは人手だ、安全な道の確保が最優先だ。
次に妖怪退治、これはなくてもいいか、なんなら妖怪に頼んでも構わない。
親御さんたちの了解も取らなければならないし、できる限り数も集めた方がいいだろう。
足取りも軽やかに慧音はかける。
しかし、夜の山から高らかに笑い声をあげつつ里に高速で接近するのは、あまり良いことではないと思われる。
三月三日。慧音は多数の子供たちを引き連れて歩いていた。
もちろん目指すは妖怪の山。より正確を期すと妖怪の山のふもとを目指して、となる。
急ごしらえで作られた道は荒く、狭い。さらに子供たちの歩みは遅いものであったが、それでも数日前の慧音の単独行よりは速かった。
「慧音先生、流し雛ってなんなの?」
当然のことかもしれないが、子供の中でも年かさの生徒は比較的慧音から離れた位置に、幼い生徒は近くにいる傾向がある。その幼い層から声が上がる。
顔を見れば質問の内容などどうでもいいのだろうと推測がつく。
行事に対する興奮と、やもすれば近所のお姉さん程度にしか見えない慧音にかまってもらいたいという気持ちが顔に書いてあるようだ。
「そうだね。神様に今年も悪いことがありませんよーにってお願いしに行くんだよ。
大きくなったらこんなに大きくなりました、ありがとうございますって言いに行くんだ」
間違いではないかもしれないが嘘だ。
禊がどうしたこうしたという答えを求めてはいないのなら、かまわないのかもしれない。
そして今回に限ってはこの嘘こそが真実だ。
「ねえみんな、とっても大事な宝物を持っていて、誰にもそれを取られたくないと思ったらどうする?
悪い人がそれを横取りしようとしていたら守らなきゃいけないよね」
今度は慧音が聞き返す。やはりというかさすがというか、彼女の声は遠くまで通る。
ある生徒が手をぶんぶんと振る。
「はいはいはい! ずっと手に持ってる。そうすれば絶対大丈夫だもん」
「そうですね、先生はそうしています。
だけど、先生の宝物は落ち着きがないのと忘れっぽいのが玉に瑕なんだよなぁ」
飛び跳ねるように近づいてきた男子生徒をぐりぐりと押しつけるようになでる。
「私なら鍵を掛けてしまっておきます。壊されたりしないようにしっかりした鍵で」
笑い声が収まったあたりで、やや遠くから女生徒の声が聞こえてきた。
慧音の求めていた答えはこちらである。
「うむ、そっちの方が現実的だな。流し雛というのはその鍵のようなものなんだ。
流す雛の一体一体にものをしまって、鍵を掛ける。神様より信頼できる金庫なんてないだろう?
金庫係の神様は人間が大好きだから、絶対に大丈夫だよ」
「みんなでまとめてやればいいのに」
「そうだな、でも人間だってたくさんいるわけだし、いろいろ事情もある。みんなまとめてなんて難しいことだ。
だから鍵、流し雛のことだな。流し雛も山のようにたくさん必要になる」
慧音は頭がいい。
このまま流し雛をしても雛は遠くから眺めるだけで、その身に纏う膨大な厄を気にして姿を表さないということが予見できているのだろう。
だからこそ少しでも雛のことを子供たちに伝えようとしていた。
それが同じものを守るべき宝と定めた、鍵の山を束ねる流し雛の長に対する礼儀であると信じているから。
それは雛に厄の色と言われた、緑混じりの髪になる白沢混じりの自分のできる、いや白沢混じりでないとできないことだと信じているから。
「先生! 川が見えてきたよ!」
遥か前方からはずんだ声が響く。
一番前は大人に歩いてもらうように頼んだはずなのに、今の声は生徒のものだ。
慧音は苦笑いを浮かべながら大声で注意する。
さて、雛から見えやすいところまでもう少しだ。
桃の節句。昨今では女の子の行事とされているが、慧音の寺子屋では、毎年三月三日に男女問わずみんなで流し雛をしにいくそうだ。
そしてその度に流し雛の由来を聞かされるとあっては、人里に再び定着するのも時間の問題だろう。
さて、こちらは余談だが、普段行かないところに連れて行かれれば周囲を探索したくなるのが子供というもの。
大人の目を盗んではあちこちに抜け出そうとしていた。
まあだいたいはその前に見つかり、ありがたく慧音の頭突きを頂戴する羽目になるのだが、数が多いので中には成功するものもいた。
その子らも後できつーく説教を食らうことになるが、脱走した内の何割かはある人影を見たという。
言うところによれば、木陰に静かに座って沢の子供たちを眺めているその姿は、フリルとリボンのたくさんついた洋服を着ているのにも関わらず、まるで女雛のように見えたそうだ。
くーるりくーるりくるくるり。あー、目が回るー。
了
そして、事実に気が付きながらも、まわり続けていたのか‥いい子だなあ。
彗音の解決方法が奇を衒わずに、しかも彼女らしくて素敵です。
滑らかな文章と所々に差し込まれた諧謔が心地よい作品でした。
欲を言えば、慧音の流し雛体験実習(?)を知った妹紅の反応も見てみたいなぁと思いました。
彼女こそもう雛祭りを祝われる様な年齢ではないわけですが、どう思うんだろうなぁと。
>芥子雛~芥子人形
たしか雛(人形)の大きさがちょうど芥子のつぼみと同じ程度だったから、というのが由来だったような……
うろ覚えです。諸説あるのかもしれないので話半分で。