地霊殿。
幻想郷の大地の下、旧地獄の一角に居を構える屋敷である。
時は夕刻。夕食の時間。
今日もまた、地霊殿の廊下では賑やかな声が響いている。
「さとり様ー、お腹が空いてぺこぺこですー」
最初に声を上げたのは、地霊殿の地獄烏、霊烏路空。通称おくう。
数ヶ月前、妖怪の山に住まう神々の手で八咫烏の能力を与えられた少女である。
「今夜のおかずは何ですかー?」
続いて声を上げたのは、空と同じく地霊殿に住まう火車の少女、火焔猫燐。通称お燐。
地霊殿の地下に存在する焦熱地獄にて、怨霊の管理を任されている少女である。
「……二人とも、思っている事と口に出している事が一字一句に至るまで同じなのね。
単純と言うか、純粋と言うか……まあ、私としてはそっちの方が助かるから良いけど」
そして、最後に口を開いたのは地霊殿の主である少女。古明地さとり。
相手の心を読む能力を持ち、妖怪にも、人間にも恐れられて地下に追いやられた少女である。
「……ちなみに、今夜の夕食は人肉のソテーと地獄烏の卵で作った出汁巻卵よ」
「…………うげっ」
「『それって共食いじゃないですかー……』ですか。成程。つまり空は夕食抜きで良いと」
「ち、違いますー! 好き嫌いせずにきちんと食べますからー!」
「『……本当は、食べたくないけど。う、嘘ですってば! 心読まないで下さい!』……成程ねぇ……」
「さ、さとり様ったらー!?」
「にゃっはっはー♪ それなら私がおくうの分も食べちゃおっかなー」
「あ、こら待てー! さとり様のお手製料理は、私の物なんだからー!」
「……やれやれ、ですね」
文字通り猫の様に壁を蹴って食堂へ向かうお燐と、バサバサと翼を鳴らしながらそれを追う空。
賑やかなペット二人が食堂に入ったのを確認した後、さとりも食堂のへと歩を進めた。
確かに、同属である地獄烏の卵を献立に加えるのは、空にとってあまり好ましくない事だろう。
たまたま地霊殿の玄関前に転がっていたのを夕食のメニューに加えただけだが、軽率な行為だったかもしれない。
これはいけない。空は地霊殿の大切な一員なのだ。
楽しい夕食が家族の絆に亀裂を入れる理由になるなんて事は、あってはならない。
さとりは思考する。
この状況に対する、適切な回答を――
――よし。明日の夕食は、猫の丸焼きを献立に加えましょう。
さとりの脳内で、明日の献立が決定した瞬間だった。
◆ ◆ ◆ ◆
食堂に入ったさとりは、ペットの二人が自分の席に着いているのを確認すると、自分の席へと腰を下ろす。
良く躾が成されている二人のペットは、主より先に食事を口にしようとはしない。
ペットであるが故に、主に対して無礼を働く事は無い。
「さとり様、早く、早く!」
「もうお腹ぺこぺこですー」
が、主を急かす事はある。
尤も、さとりにとってはそんな二人の賑やかな言葉が、毎日の食事を楽しくしてくれる要素でもあるのだが。
「はいはい。それじゃあ二人とも、夕食を頂きましょう」
「はーい!」
「いっただっきまーす!」
元気一杯に『いただきます』の挨拶をするお燐と空を見ていると、自然とさとりの口元に笑みが浮かぶ。
頭はあまり良くないけれど、家族思いで力持ちの空。
人情に熱く、死体が大好きなムードメーカーの燐。
両者とも、さとりにとってかけがえのない存在。
ペットと言うよりも、家族。
そして――
「私も食べるー!」
「……はぁ。こいし、食事の前には『いただきます』でしょう?」
「はーい……いただきまーす!」
何時の間にか、自分の席に着いていたもう一人の家族。古明地こいし。
さとりの妹にして、空と燐のもう一人のご主人様。
普段はフラフラと放浪を繰り返しているけれども、家族の事は何よりも大切に思っているさとりの妹である。
かつての苦い経験から心の眼を閉ざしてしまったけれども、何時かは再び心の眼を開いてくれる時が来る――さとりはそう、信じている。
信じるのに理由なんていらないから。
家族を信じるのに、特別な理由なんて必要無いから。
だから、さとりはこいしが心を開いてくれると信じているのだ。
「……まあ、当分は無理でしょうけどね。気長に待ちますよ」
「んー? お姉ちゃん、何ブツブツ言ってるのー?」
「何でもありません。
さあさあ、今夜はこいしの大好きな人肉ソテーですよ。どうぞ召し上がれ」
「はーい!」
こいしはナイフとフォークを両手に構え、皿の上に盛り付けられた料理を次々に口へと運ぶ。
一口味わう度にこいしは目をキラキラと輝かせ、その笑顔が食卓を明るくしてくれる。
本当に、良い家族だ。
幸せそうに食事を続ける家族を前に、さとりは静かにそう思った。
願わくば、こんな幸せな時間が、もっともっと続きます様に。
それが、地霊殿の主である少女、古明地さとりの願い。
ありふれた願いかもしれない。
けれど、かけがえの無い日常を大切にしたいと思うからこそ、さとりはそんな事を願うのだ。
何時までも――この、かけがえの無い家族四人が幸せに暮らせます様――――
――ぷぅ――
――に?
「………………………………」
最初に動いたのは燐だった。
じろり、と無言のままで自分以外の三人を見渡すと、椅子に座った体勢のままで『音のした方向』から逃れる様に身を反らしている。
その姿は、まるで何かを避けようとしている様。
そう、例えば――空気中に拡散する臭いから逃れようとしている様に見えた。
「……………………………………うにゅ…………」
続いて動いたのは空だった。
鼻をヒクヒクと動かすと、何かを感じたのだろうか、そわそわと落ち着きが無い様子である。
何か強烈な悪臭でも感じたのだろうか。その顔色は悪い。
「……………………こほん」
三番目に動いたのはさとり。
地霊殿の主として恥ずかしくない態度であろうとしているのだろうか、静かに咳払いをすると三人の家族の顔を見渡す。
第三の眼で心を読めば、誰が犯人かは分かるのだろう。
けれど、その様な事をしてはいけない。それではまるで、犯人を吊るし上げにしている様だから。
だから、さとりは誰かが謝罪してくれるのを待っていた。
仲の良い家族なのだ。
食事中の粗相くらい、笑って過ごせる仲だろう。
だから、なるべく早く粗相をした人は名乗り出て――
「うわ……お姉ちゃんの…………臭っ……
何これ? 毒ガス? 普段どんな物食べてるのよ……」
そして、最後に動いたこいしの一言によって平和な食事風景は音を立てて崩れ去る事となる。
◆ ◆ ◆ ◆
「な、何を言ってるんですか貴女は!」
頬を真っ赤に染め、こいしの言葉を否定するが燐と空の視線はさとりの方角を見据えたままだ。
主に、椅子の背もたれ側。
もっと具体的に言うならば、臀部の辺りを。
そこに何があるのだろうか。
臀部の中央に、一体何があると言うのだろうか!?
「げげっ、さっきのってさとり様のだったんですかー!?
何て言うか……強烈な香り……」
「うにゃー……強烈な臭いですにゃー…………
焦熱地獄に撒いたら、引火して火力が上がりそう……」
こいしの言葉を受け、ペットの二人も辛辣なコメントを返す。
勿論、身に覚えの無いさとりの反応は――
「ち、違います! 違いますよ二人とも!
私ではありません! ……べ、別に貴女方が犯人だと決め付けるつもりはありませんが、少なくとも私ではありません!」
自己弁護であった。
「そんな事言っちゃってー……
お姉ちゃん、嘘を吐くのは良くない事だよ? 閻魔様に怒られて地獄に落とされちゃうよ?」
「地霊殿は既に旧地獄です!
……って、そうじゃなくて……え、えっと……」
「うわっ……自分のガスで平和な食事風景が地獄になったって事ですかー……」
「違うと言っているでしょう!」
さとりは、思わずテーブルに腕を叩き付け、椅子から立ち上がってまで否定してしまった。
その姿は、客観的に見るならば『必死』の一言。
普段の姿からは想像も出来ないさとりの必死な様に、ペットの二人も異様な気配を察知し、主の制止に動く。
ペットの二人が普段は見せない様な驚きの表情だからだろうか。
さとりの心に、幾許かの焦りが現れる。
このままではいけない……とばかりに、なるべく清浄な空気を吸って深呼吸をする。
二度三度深呼吸をすると、どうにか落ち着きが取り戻された。
その過程で、嫌な臭いを多少なりとも吸ってしまったのは、さとりにとって悲しい事かもしれないが。
「さ、さとり様……とりあえず、落ち着きましょうよ……」
「そうですよー! ほら、どうせあんなオナ……ごにょごにょ、なんてバカ猫がやった事ですからー」
「誰がバカ猫だよ! 脳みそチーズフォンデュ烏のくせに!」
「あぁ!? 誰が脳みそチーズフォンデュだよ!?」
今度はペットの二人が言い争いを始めてしまった。
先程までは仲の良い二人だったのに、主を庇う余り、互いを疑ってしまったのだ。
このままではいけない――さとりの中で、一つの決断が成された。
それは、地霊殿の主としての決断である。
「二人とも落ち着きなさい!」
主を庇う余りお互いに罵倒を始めたペットを一喝すると、さとりは静かに口を開く。
「……分かりました。ならば、私がこの場の責任を取ります」
「あ、やっぱり自分が犯人だって自白するんだ」
「違います!」
妹の茶々をぴしゃりと否定しながら、さとりは胸に備えた第三の眼に手を当てる。
相手の心を読む、第三の眼に。
「……正直、やりたくない方法ですが仕方がありません。
私がお燐とおくうの心を読み、二人が潔白か……それとも、そうでないかを調べます」
「さとり様!? 私を疑って……?!」
「ち、違います! 私じゃありません!
猫は食事マナーが良いんですよぉ! 信じて下さい!」
「信じているからこそ、読むのです……
私の読心から逃れられる者はいません。だからこそ、真実を暴く事が出来る。
私は信じています。この場の誰かが食事中に粗相をしたとしても、きちんと謝れば他の全員がそれを許してあげられると。
私は家族を信じているからこそ……あえて、あえてこの能力を使います!」
「さとり様、止めて下さい!
その能力は、さとり様を地下に追いやった能力……!」
「いいえ、止めません!」
お燐とおくうの静止を振り切って、さとりは第三の眼に意識を集中させる。
第三の瞳は隠し事を許さない。
如何なる秘密であろうとも、たちどころに見破ってしまう。
相手の秘密も、トラウマも、何もかも知ってしまう。
だから、さとりは他の妖怪に忌み嫌われていたのだ。
近寄りたくない存在として忌み嫌われ、のけ者にされ、この地下深くに辿り着いたのだ。
そんな地下で築く事が出来た幸せな家庭。
かけがえの無い家族。
大切な――家族。
それは命に代えても、守りたい存在だ。
だからこそ、地霊殿の主、古明地さとりはその能力を解放する。
家族の絆を守る為に。
互いが、疑念に囚われてしまわない様に。
粗相をしたのが誰であれ、きちんと話し合えば誤解は解ける物なのだ。
その為の犯人探し。責める為ではない。打ち解ける為の犯人探しなのだ。
さとりにとっては、その為に使う手段が忌み嫌われる様な力でも構わない。
今は唯、家族の平穏の為に第三の瞳を操る事だけを考えて――
「でも、それって変だよね」
その時だ。
今までは静かだったこいしが、急に口を開いたのは。
「……何が、ですか?」
「だって、さっきまで必死に否定してたお姉ちゃんが今度は進んで犯人探しをするなんて……おかしくない?
まるで……自分の身代わりとして罪を擦り付ける相手を探しているみたい」
「……!」
「こいし様、それって……!」
「そう……お姉ちゃんは、お燐かおくうのどちらかに罪を擦り付けるつもりなのよ!」
「違う! 私は……私は、そんな事を考えていない!」
「なら、どうして第三の眼を使うなんて言いだしたの?
そんな事を宣言せずとも、お燐とおくうの思考はお姉ちゃんの頭に入るはずでしょう?」
「それは……それは、家族の考えている事を勝手に読むのは好ましくないと思っていたから、今まで意識して読まない様にしていたから……」
「違うわ。
お姉ちゃんは、二人のどちらかに罪を擦り付ける前段階として、あえて演出過多とも言える行動を取ったのよ。
地霊殿の主にあんな仰々しい前置きをされたんじゃあ、ペットの二人には、その意思に逆らう事なんて出来ないからね……
そう、例え身に覚えの無い罪を被せられたとしても!」
演説をするかの様に、こいしはその台詞を言い切った。
姉こそが、食事中の粗相の犯人だと決め付ける台詞を。
だが、さとりもすかさず反論を行う。
「言いがかりだわ……!
それに、それならこいしはどうだって言うの!?
私の眼でも貴女の心だけは読めない……だから、犯人である自分の罪を私に被せる為にこんな茶番を……!」
だが、こいしは『待っていました』とばかりにさとりの質問へ反論を行う。
「ふふっ、それこそ言いがかりね。
仮に私が食事中にそんな事をするのなら、他の三人に気付かれない様に部屋を抜け出して廊下で済ませ、残り香が無くなった辺りでそっと部屋に戻るわ!
何故なら、私にはそれが出来るから……!
家族に不快な思いをさせない為に、私ならそう言う手段を選ぶ!」
「ぐぅっ…………確かに…………」
見事な反論だった。
さとりは納得する。納得してしまう。せざるを得ない。
確かに、こいしならばその様な方法で家族の誰にも気取られる事無く、粗相を済ませる事が出来るのだ。
「……あの……さとり様もこいし様も……お食事が冷めちゃいますよ……?」
「別に誰が犯人でも、気にしませんからぁー……」
「「黙っていなさい!」」
「にゃぁー!?」
「うにゅぅー!?」
取っ組み合いの喧嘩を始めた姉妹と、その剣幕に気圧されてしまうペット。
平和な食事風景は何処へやら。
地霊殿の食堂は、文字通り地獄と化したのであった。
◆ ◆ ◆ ◆
地霊殿で壮絶な姉妹喧嘩が始まるよりも、少しだけ前の事である。
場所は、地霊殿の遥か上方へと移る。
迷い人のみが辿り着けるとされる場所、マヨイガにて。
「……ほら、橙。今日はお前の好きな鱈鍋だよ。たんとお食べなさい」
「はーい! でも、私は猫舌だからしっかり冷ましてから食べますね」
「よしよし。しっかりふーふーしてから食べなさい」
炬燵の上に置いた土鍋を術で加熱しながら、隙間妖怪の式である狐、八雲藍は自身の式である猫、橙に料理を食べさせていた。
夕食は鱈鍋。
橙の大好物である魚を主な材料とした、鍋料理である。
そして、
「藍、私にも鱈を取って頂戴」
「はいはい。紫様はお野菜が苦手ですからねぇ……多めに取っておきます」
「よしよし」
炬燵に下半身を突っ込み、寝転がった体勢のままで隙間妖怪の八雲紫も鱈鍋を楽しんでいた。
ものぐさな紫は自ら動こうとはしない。
面倒事や家事はほぼ全て藍に任せっぱなしである。
「はい、紫様の分ですよ」
「はーい。いただきまーす」
隙間を介して藍の手から器を奪い取ると、紫はもしゃもしゃと鱈鍋を口に運ぶ。
その時だ、紫の顔に、僅かな変化が現れたのは。
「んっ…………………………ふぅ…………」
「紫様?
どうかなさいましたか?」
「いやいや。ちょいと、余計な物を地下の奥深くに送っただけよ」
「……はぁ?
私には、何が何やら……」
「気にしない気にしない」
藍には、紫がした事が分からなかった。
否、気付かなかった。
紫が一瞬だけ、自分の下半身――臀部を地霊殿に送り込み、粗相を済ませた事を気付けなかった。
炬燵の中で粗相をすれば、臭いが篭ってしまう。
ならば、別の場所ですれば良い。
けれども、炬燵から出るのは嫌だ。
それなら、下半身を一瞬別の場所に移してしまえば良い。
何処に移すかは、どうでも良い。
その先で何が起ころうとも、別にどうだって良い。
それが、紫の結論である。
「藍様ー、橙が藍様の分をお取りします」
「おお! 橙は良い子だなー、よしよし」
「えへへ……橙もお手伝い、頑張ります!」
「ふふっ……本当に、我が家は良い家族ねぇ……」
こうして、マヨイガの家族団欒の時間は過ぎて行くのであった。
別の家族の団欒を、犠牲にした上で。
性格悪いなあww
まあそうでなくとも分かり易いので問題ない気もしますがw
しかしこういう時って先に大声で決めつけた方が勝ちですよねぇ……
またお前か白兜・・・じゃなくて紫ZUN帽!!
タグばれは同意。八雲家の登場は少ないですし、無くてもよかったのでは?
でも、読めてても充分クスリとさせられる内容でした。
面白かったです。
なんと哀しい一家崩壊の物語なのでしょう。おもいきり笑わせてもらいました。
なんという無駄で高度な心理戦ww
ババア自重しろ!!
くさいものを地霊殿ヘ送りつけるなんてひどすぎるダロwwwwwww
さとりんかわいいよさとりん
おもしろかったです
さとりとこいしの争いが迫真過ぎて、ドキドキしてしまいました…。
すんげえ心理戦で面白かったですwwwww
野菜食わずに肉ばっか食ってるからそんな臭いにn(スキマ
オチでしっかり笑いましたw