Coolier - 新生・東方創想話

曙光

2009/03/16 20:56:36
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 紫は思わず走りだした。
 頭に被ったヘルメットがわずかに揺れている。
 後ろに居た案内人が危ないから走るなと怒鳴ったが、紫の耳には届かない。
 昨日まで続いていた長雨により地面がぬかるみ、所々水溜りができている。泥水が跳ねてスカートの裾が汚れたが、気にせずに進み、工事現場の中央に入り周囲に建っている設備を確認する。
 右手には崖があり、離れて見るとらせん状に地面をくり抜いた露天掘りの穴になっていることが分かる。
 崖の上の一角には高炉や転炉と思われる製鉄設備が立ち並んでいる。精錬もここでやっているのか。
 その近辺には採掘した鉱石が無造作に置いてある。銅、亜鉛、それに銀鉱石も混じっているようだ。
 製鉄所から500メートルほど奥にあるのは石油のボーリング設備と思われる鉄塔。
 塔のすぐ左隣には基礎工事の終わっている区画がある。おそらく石油精製のための設備を作るつもりなのだろう。
 わずか一か月でここまで工事を進めるとは。予想を超えていた。紫は愕然とした。
 妖怪の山は確実に工業化されつつあったのだ。

「中止、中止よ! いますぐ全ての鉱物の製造を停止しなさい! 工事も中止!」

 紫は大声で叫んだ。
 声を聞きつけて、それぞれの持ち場で働いていた大勢の作業員たちが一斉に紫の方に顔を向ける。
 皆妖怪の山に住む妖怪達である。

「ちょっと、何の権利があって」

 現場指揮官と思われる天狗が一人、抗議のために紫の後ろにやってきて彼女の肩を掴んだ。
 紫は振り向いてその天狗をにらみつけると、肩に置かれた手を乱暴に払い除けた。

「いますぐ工事の責任者を連れてきなさい!」
「あんた、いったいなんなんだ。作業の邪魔しないでくれるか」

 呆れた体で天狗が問い返した時、先程の案内人がやってきて天狗に耳打ちした。

「この方はお役人さんです。査察にいらしたそうで」
「役人だと? 査察ぅ? そんなの聞いてないぞ」

 天狗は口元を歪め眉間に皺をよせて紫をにらみ返す。
 紫は懐から一枚の書類を取り出すと、それを天狗の前にかざした。
 天狗は目を細めて書類を凝視し、文章を読む。

「幻想郷文明化監査委員会会長、八雲紫?」
「そうよ! 私は全幻想郷竜神連合会会長の委任と幻想妖怪連盟体首席議長の役責により、この工事を監査し指導する権限を持っている。解った? 解ったわよね、その鳥頭でも事の次第が理解できたのなら、とっとと責任者を呼んできなさい!」

 天狗はしばらくたじろいだ後、きびすを返すと、すっとんで責任者を呼びに行った。
 まもなく、山の方角から何人か降りてきた。
 山頂の守矢神社で祀られている八坂神奈子と、取り巻きと思われる天狗が数人。それに工事のプロジェクト長である河城にとりだった。

「何の用かしら。お役人様」

 神奈子は腕を組んで仁王立ちし、紫と対峙した。
 紫は鋭い目つきでぎろりと神奈子をにらみつけた。

「あんたがこの工事を命じたのね」

 紫の言葉使いは神様に対するものとしては失礼極まりないものだった。
 神奈子は露骨に不快そうな顔を返す。

「そうだけど、何か問題あるかしら」

 神奈子が顎を上げながら、嘲笑混じり威圧気味にそう言った瞬間だった。
 鈍い音が鳴った。
 紫が神奈子を殴った。それも握り拳で。
 公衆の面前で妖怪の賢者が神様を殴るという珍事の前に、その場にいた妖怪達は皆目を白黒させる。

「あんた、前々から思ってたけどワガママすぎんのよ」

 唇が切れて血が出た。
 神奈子は殴られた頬に手を当てながら、余りの出来事に呆然としていた。

「土地神が土地を捨てて、氏子達を置き去りにして幻想郷に逃げ込む! 信仰が欲しいなんて個人的な理由で妖怪の山を工業化しようとする!」

 紫はたじろいだままの神奈子に侮蔑に等しい指摘を投げつけた。
 憤懣やる方ない。もう我慢の限界と言った形だった。
 これまでも神様のやることだから、何か深い考えがあるに違いないと考えて見て見ぬふりをしていた部分もあるのだ。それが今回の査察で、神奈子達の計画の杜撰さを目の当たりにしてしまい、紫はキレた。
 紫はスキマの術を使って手元に穴を開くと、その中から棒状のものを取り出した。そして、親神にもぶたれたことないのにと言う顔で茫然としている神奈子の前に突き出す。
 棒に見えたもの、それは一匹の川魚だった。

「食べてみなさい」
「えっ、でも生……」

 生臭い匂いが漂っているし、表面が得体の知れない油分でぬるぬるぎらぎらと光っている。
 おまけにどうやら死魚だ。

「いいから食え!」

 紫は無理矢理ねじ込むように神奈子の口元にその魚を押し付ける。
 神奈子は紫の勢いに押されて、仕方無く魚に口を付ける。
 周りの妖怪達は茫然として身動きもできず、ただ成り行きを見守っていた。

「ぶっ」

 神奈子は生魚をわずかに咀嚼した後すぐに吐き出した。
 とてつもない苦さだった。とても食べられたものではない。

「この工事現場の近くの沢から取った魚よ。死んだ魚が何匹も浮いていた。なんで死んだか分かる? ……カドミウム、鉱毒よ!」

 鉱毒、汚染。継続的な公害。
 紫の言葉の意味を察し、一瞬で神奈子の顔が真っ青になる。

「亜鉛の精錬時に副産物としてカドミウムが出るわ。精錬時に出た鉱業排水をいったいどう処理したのよ!」
「にとり……」

 神奈子はうろたえつつもにとりの方を見た。
 鉱石採掘の手順や後始末については全て責任者のにとりに一任していた。

「そのまま……捨てました」

 ぼそりとにとりはつぶやくように答えた。
 動揺と後ろめたさからか視線が泳いで宙を漂っている。神奈子よりさらに顔を青くして、もはや死体のようだった。

「毒だなんて、知らなかったので。私の読んだ本にはそんなこと書いてなかったから」

 ガツンと鈍く大きな音が工事現場に響き渡った。
 紫が右手に持っていた自分の傘を、怒りにまかせて近くにあったパイロンに叩きつけたのだ。
 衝撃にパイロンがひしゃげて潰れた後、地面で一度バウンドしてにとりの右側を跳ねて行った。
 あとに残された紫の傘は、無残に根元から折れ曲がってしまっている。紫はその傘の先端をにとりの顔面すれすれに突きつけた。

「無知、無学、無教養、無思慮、無分別、無計画! いったい何時代の本を読んだのよ?! 今時カドミウムが公害の原因になるなんて外の世界だったら小学生だって知ってるわよ!」

 矢次ばやに、火の吹くような罵声がにとりに浴びせかけられる。紫は怒りを通り越して激昂していた。
 にとりは妖怪の山にある図書館の本を参考にして採掘計画を立てたのだったが、それは明治時代の書籍だった。足尾銅山鉱毒事件やイタイイタイ病によって公害が指摘され、一般的に認知されたのはその後の時代のことだったのだ。明治初期に隔離されたまま、新しい書籍を求めてこなかった妖怪の山では古い時代の知識しか揃わなかった。
 しかし、知らなかったから、などという言い訳が通用する事態でないことはとうに解っていた。
 にとりは、事の大きさにただただうろたえ、脅えていた。
 いったいどれくらいの排水が流され、どれほどの土地が汚染されたのだろう?
 カドミウムは土壌に堆積し、長期にわたって農作物に深刻な健康被害を与える。
 妖怪は影響を受けないかもしれないが、汚染された土地で採れた作物を食べた人間達は公害病にかかる。
 鉱毒が混じった水では魚やプランクトンが死滅する。妖怪達が大事にしているはずの自然が犯されるのだ。
 それは、全てにとり達の浅慮からもたらされた事態だった。

 すぐさま全ての鉱物採掘が停止された。作業員として集められた妖怪達は帰宅するように命じられ、工事は全てストップした。現場には立ち入り禁止のテープが張り巡らされて隔離され、幻想郷文明化監査委員会の監督下で管理されることになった。
 汚染被害の範囲を調査すると言う名目だった。
 治外法権に近い幻想郷の中には政府機関に該当する組織が無いので、元々環境に対する法律がない。
 工業に対する監督は、妖怪の山産業化プロジェクト発足に少し遅れて設立された幻想郷文明化監査委員会だけがその権利を主張している。
 神奈子達は当初、この後追いの規制集団を快く思っていなかったが、委員長である紫が龍神の全権委任を受けている以上、紫の言うことに従うしかなかった。基本的に幻想郷では創世神である龍神が黒と言えば白いものでも黒くなるのだ。

 にとりは現場で紫になじられた後、ほうぼうの体で皆に工事のストップを指示すると、くらくらする足取りを支えながら地下都市にある自室に戻ってきた。そして、ベッドに顔をうずめて号泣した。
 自分の不甲斐なさ、いたら無さ、愚かさが許せなかった。
 旧地獄に発生した核融合熱を使いタービンを回して発電し、地底から妖怪の都市に電力を供給する。
 それを山の神様である神奈子の口から聞かされた時、夢のような計画だと思った。
 核融合発電により無尽蔵のエネルギーを得て、それを使って産業を育て、外の世界のように物質的に豊かになる。
 幻想郷にはすでに立派な精神的文明があるから、ここに外の世界の進んだ科学文明を取り入れ、大量生産・大量消費社会という夢を実現させる。精神的にも物質的にも両面で豊かになれるのなら、それは最高だろうと思ったのだ。江戸時代さながらの生活を続けている里の人間達は、妖怪のように魔術や方術を利用した道具を使えない者も多数いる。そういった者達にとっては、誰にでも使える科学文明の利器は手放しで歓迎されるだろう。
 神様から計画の総責任者に任命されて、にとりは感激した。いよいよ自分の力が認められたのだ。にとりははりきって工業化計画の絵図面を描いた。
 亜鉛や鉄鉱石を大量に掘り出して電池やタービンの材料にし、銅を採掘して銅線を作る。
 石油を精製して潤滑油や油圧作動油や燃料やプラスチックの材料にする。
 発電設備で得た電力で工場を自動化して、生産ラインを整備拡大し工場制機械工業による大量生産を実現する。
 今まで自分が覚えてきた外の世界の工学知識を十分に活かせると思った。
 だけど、公害についてはにとりは無知だった。
 亜鉛も銅も、精錬時に副産物が出る。どちらの副産物も、そのまま自然に放出すると鉱毒となるのだ。
 鉱物の精錬時に出る排煙には鉱毒ガスが含まれる。プラスチックは自然のサイクルの中で分解吸収されない。一部の石油化合物は不完全に燃やすとダイオキシンと呼ばれる猛毒に変化する。発電機のタービンを回すために蒸気を発生させている以上、その熱で大気が温暖化される。
 そういった自分達の行為がもたらすであろう種々の弊害について、にとりは無知だった。知ろうとすらしていなかった。浮かれていたのだ、自惚れていたのだ。自分の行動が、どれほど多くのものを犠牲にする可能性を秘めているかを、全く考えていなかったのだ。


 神奈子は神社に帰ってきて、殴られた頬を冷やしていた。
 境内から神様の千里眼を使って事の次第を眺めていた諏訪子が、氷を入れた袋を持ってきてくれた。
 
「やられちゃったね。痛む?」
「ああ」

 紫に殴られた頬は随分痛み、それに熱かった。
 神奈子は神様なのだから、この程度の傷は瞬時に治すことができる。だけどそうはしなかった。
 神奈子は自分が全面的に悪かったことを悟り、落ち込んでいた。
 天狗達に山の神として祭り上げられてのぼせていたのかもしれない。
 山を工業化したいという天狗の言い分を聞いて、八咫烏の力を使った核融合発電を提案したところ、拍手喝采で迎えられた。
 自分を誉めそやす調子の良い天狗達にまんまと乗せられてしまっていた。
 にとりの責任じゃない。
 本来なら公害については、外の世界から来た神奈子達が詳しく知っているべきだったし、調べようと思えばいくらでも調べられたのだ。
 そもそも何のために幻想郷に来たのか。
 必要性を疑問視される開発で無残に切り刻まれた山野。工場から出る排水や家庭の生活排水で澱んだ湖。
 住み慣れた諏訪の変わり果てた光景を見て、自分は悲しく思っていたはずだ。そんな世界を、自分は望んでいただろうか。幻想郷に来た時に、そこに広がる手つかずの雄大な自然を見て、ひどく懐かしく思ったはずだ。その時の気持ちをもう忘れてしまっていたのか。
 悔恨の念にかられて、尚更殴られた頬が痛んだ。自分はまた間違えてしまった。
 八百万いるという日本の神様は、決して万能の神様ではない。神様だって間違えるときはある。自分は間違えてばっかりだと神奈子はしょげる。そして同時に、自分じゃ気付かない間違いを指摘してくれる人間は大切だとも思った。祭り上げられてばっかりでは、間違いに気付かないまま終わってしまう。


 幸い汚染は小規模で済んだ。
 にとりは精錬した時に出た廃棄物を一か所に集めて捨てていた。そこにはカドミウム以外にも亜酸化鉄や硫酸等の鉱毒が蓄積されていたが、折からの長雨でそのゴミ捨て場の周囲の土砂が溶けだし、流出した排水が偶然妖怪の山にある沢の一つに流れ込んでいたのだ。廃棄物が流れ込んだ沢は妖怪の山から流れる九天の滝に注ぐ水源の一つであり、水流の関係から汚染はその小さな沢だけに留まっていた。
 すぐさま沢の出口付近に土嚢が積まれ、汚染を流出させないように流れがせき止められた。
 流れが隔離された後本流の水質検査が行われたが、鉱毒の濃度は基準値以下であった。
 幻想郷ではこれまでも銅や亜鉛の採掘が行われていたし、鉱毒汚染も気付かぬうちに起きていたのだろう。しかしこれまでの採掘は小規模のために汚染が表面化することがなかった。今回産業化のプロジェクトを推し進めるために、にとりの指示によって採掘を大規模なものにした。そのため今まで不透明だった汚染の問題が、明るみに出てきたと言うことだった。
 幻想郷文明化監査委員会会長の助手を務める藍が妖怪の山にやってきて、調査の結果と施した応急処置について伝えてくれて、神奈子やにとりはひとまず胸をなでおろした。
 しかし既に汚染されていた沢はあきらめるしかなかった。
 汚染が進行しないように、沢は土砂で埋め立てられ放棄されることが決まった。
 処置が終わった後に沢の様子を見にきて、にとりはショックを受けた。
 何度か遊びに来たこともある場所だった。苔むした岩で彩られた、起伏に富んだ清流。妖精や水妖達が遊びに来る楽園のような場所だったが、思い出のその景色は跡形もなく、川が埋め立てられ土肌が露出し殺風景ながらんとした場所に変わっていた。
 そこは妖怪の山でも風光明媚なことで知られた場所の一つだった。
 妖怪の山が誇る美しい景観の一つが失われることになったのだ。
 自分のせいでこうなったのだ。にとりはもう一度深甚に涙を流した。


 事件の当事者であるにとりのプロジェクト長という地位は、そのままで保留された。
 外の世界だったらこのような不祥事が表沙汰になれば、免職はもちろんのこと、マスコミに叩かれて一生表に出られなくなるところだったが、にとりに処分が無かったのには理由がある。そもそも幻想郷には環境汚染に対する罰則がないので、責任者を罰しようがない。また、今回の事件は被害者がいないから、刑事的に問われる責任もない。
 それに汚染を指摘した紫自身が、この件を外部に漏らすことを厳禁したということもあり、人事的に何らかの処分が行われるという事態には発展しなかった。
 代わりに幻想郷文明化監査委員会の仮設オフィスが守矢神社の境内に建てられことになった。
 これを機に幻想郷で最も技術の進んでいる妖怪の山全体を検査するつもりだという。
 妖怪の山には妖怪達の地下都市があり、そこには河童達の工場があった。良い機会だから、それも査察しておきたいと言うのだ。
 にとり主体の工業化プロジェクトは全面的に凍結されたまま、一週間が過ぎた。
 調査が落ち着いたところでプロジェクトの責任者達は委員会に呼び出された。
 仮設オフィスの狭い部屋の中に、神奈子と諏訪子、それににとりと、大天狗が数名連れてこられ、席に座って紫と対面した。
 参加者が集うと、いくつかの資料を助手の藍が一人一人の手前に置いていく。
 紫は議長の席に座り、一度出席者全員の顔を見回すと、森厳な面持ちで話し出した。

「あなた達に通告したとおり、妖怪の山の工業化はしばらくの間活動を停止していただきます」

 出席者は皆緊張しながら紫の話に耳を傾けた。

「外の世界が体験したような産業革命時の混沌、無秩序をもう一度幻想郷で再現するわけにはいきません。冥界や天界の下部を排煙の煤で染める。日本特有の美しい里山の風景に処理されていない工業廃水を垂れ流す。そんなことを許すわけにはいきません。幻想郷を産業化するというのなら、それは外の世界が体験した失敗を教訓とし、その問題点を克服した、もっと高度で統制された計画の上に進めなくてはなりません。幻想郷独自の精神文明も取り入れた、幻想郷ならではの産業革命が必要とされているのです」

 紫の論調が比較的穏やかなものであったので、出席者一同は少なからず驚いた。
 聞き間違いでなければ紫は産業革命を進行してもよい、と言っているのだ。

「私は何も進んだ工業技術の全てが害悪であると言っているわけではありません。外の世界が環境破壊に苦しんでいるのは、科学や技術のせいではないのです」

 科学や技術のせいではない。それは皆にとって、特に神奈子にとっては意外な発言だった。
 文明化に反対する論調を取っていた紫のことを、神奈子は過激なナチュラリストだと思っていた。

「科学や技術は本来人を幸せにするものとして生み出されました。科学は人間が編み出した道具に過ぎないのです。道具に罪はありません。外の世界では、道具に意志はありませんからね。誤った使い方をする人間の方に罪があるのです」

 言われてその通りだと神奈子は感じた。
 今の人間は自分達の生みだした力を制御できるほど精神的に成熟していない。そのために自分達の生んだ力に振り回されて、あげく地球環境に回復不能な程の深刻なダメージを与えてしまった。そしてそれは、先刻までの神奈子達が歩もうとしていた道と同じだった。

「だけどそれは、妖怪だって同じことです。私達だって、自分達の使える力について、正しい認識を持っていないかもしれないのですから」

 特に幻想郷の中にはあまり科学に対して造詣の深い妖怪が居ない。
 そういった教育制度も充実していない。せいぜい河童の一族が趣味で産業のかけらを拾い集めている程度だ。
 その上妖怪はもともと人間の生みだした学問を毛嫌いする傾向があるから、なおさら科学に対する理解が進まない。

「現在外の世界では環境問題の解決や工業の安全を統制するために、政府や公共機関が法律によって制限や基準を設けています。環境基本法や、各種の標準化機構がそうですね。我々もこれに習うことにします。しかし幻想郷では外の世界の基準をそのまま踏襲するわけにはいきません。忘れ去られた事物の安らぐ場所と言う幻想郷の基本理念から考えれば、むしろ、外の世界よりももっと厳しい基準が必要になるでしょう。そこで、幻想郷独自の基準を設立することにしました」

 そう言うと紫は黒板に向かっていき、チョークを取るとかつかつと文字を三つ書いた。

「FIS(幻想郷工業規格、Fantasian Industrial Standards )と呼びます。この規格を二週間後の金曜日までに制定します。以降の工業化はこの規格を満たしたものでなければ認可しないことにします。違反者には段階を踏んだ罰則を適用します。最も重い者には、幻想郷からの追放を言い渡すつもりです」

 要するに外の世界のJISに相当するものを幻想郷でも作ろうというのだが、JISよりは強い規制力が与えられるようだ。何しろこの規格には、違反者に対する制裁権限が与えられるのだ。
 罰則の一例として『追放』と言う部分を紫が強調したので、会議の参加者は一瞬顔を青くした。
 幻想郷で生まれ育った妖怪達が、いきなり外に放り出されて生きていけるはずがないからだ。
 しかし紫は笑顔を作ると、何事もなかったかのように話を続けた。

「最近では、工業製品もかなりの数が幻想入りしています。外の世界は大量消費社会ですからね。つい先日まで人気商品だった物が忘れ去られて幻想入りするサイクルも加速している。そういった物達にも安らぎを与えるのは我々幻想を司る者の使命と言えます。そのためには、外の世界程でなくともそこそこに進んだ工業技術と、それを応用するための土台、なにより科学や工業に対する幻想郷住民の正しい理解が必要となるでしょう。あなた達はそれに先鞭を付けたと言っていい。後進のモデルとなれるように心がけてください」

 大変なことになったと呼び出された一同は皆一様に頭を抱えた。
 紫は自分達に工業化の模範的なモデルになれと言って来たのだ。
 加えて紫は、二週間後に制定されるFISを元に妖怪の山産業化プロジェクトの検査を行うと通達してきた。期限は制定後一か月だと言う。それにパスできる計画案を提出できなければ、妖怪の山産業化プロジェクトは白紙に戻される。
 だがこれは、考えようによってはとても温情にあふれた措置であると言える。
 最初は完全に工業化を禁止されるものだとばかり思っていたのだ。
 テストにパスしなければプロジェクトは許可されないが、それでもチャンスを与えられたと言える。
 神奈子やにとり達の腹はおおむね一致していた。プロジェクトを続けよう。乗りかかった船から半端なところで降りたくないという意地もあるが、工業化がもたらす恩恵を少なからずまだ信じているのだ。
 にとりはさっそく外の世界の本があるという紅魔館の図書館に通いづめ、工業や公害や環境について一から勉強しなおすことにした。妖怪の山でも、人間の里に住んでいた外の世界で技術者経験のある人間を雇い入れて、技術顧問として指導してもらうことになった。



 会議の日から時が流れた。
 紫達が不眠不休で働いたため、FIS(幻想郷工業規格)は予告通り二週間と言う驚異的な速さで制定された。再度紫の特設オフィスに呼び出されたにとり達の前に、一冊がにとりの胴とほぼ同じサイズの書籍がどかどかと並べられる。
 FISは幻想郷内の基本的な工業規格の他に、環境対策や公害対策に関連した法的な規制も網羅し、さらには幻想郷独自の問題、霊的な力や、魔法的な力を工業に応用したことによって生じる問題点の指摘と対応策の提示までに及び、実に総巻数全三百冊という大ボリュームであった。紫はこれまで貯め込んできた外の世界の技術に対する見識と、幻想郷独自の精神文明の秘伝の全てをここに吐き出したのである。

「これを読んで素直に従えば、まあ水準のレベルを満たした産業化が推進できるはずよ」

 眼の下にひどいくまを作った紫が今にも死にそうなかすれ声でそう言った。
 にとりは目の前に並べられた分厚い資料を読み進めるうちに、自然に涙を流していた。
 そこには工業分野に関する精密で細部まで細かく考えられた体系が記されていた。
 文章自体は味気ない。技術関係の文書なのだから当然だ。
 余分な装飾や修辞を廃し、その道の知識があるものなら誰にでもわかるように平易な文で書いてあるだけだ。
 なのに、にとりは涙が止まらなかった。
 それは技術の素晴らしさを信仰する、にとりのようなエンジニアにだけしか分からない感動だったかもしれない。
 にとりは紫が持ってきた文書を読むうちに、それを作るためにどれほど深い工夫が必要とされるのか、それにどれほどの人の知恵が込められているのか、その奥の深さ、素晴らしさに感動していたのだ。これこそ本当のエンジニアリングだ。自分は唯の世間知らずに過ぎなかったのだとさえ考えた。

 FISの規格に従うと、規制される項目は実に多岐に及ぶ。
 二酸化炭素、メタン、フロン等の温室効果ガスを排出する工業行為の全面的規制。温室効果ガスを排出する内燃機関を用いた乗用車両、航空機、船舶の幻想郷内での使用は基本的に禁止。研究目的の使用だけが届出制の上、特例で認められる。原動機としての内燃機関も使用禁止。動力として使用が許されているのはモーターだけ。エネルギーは電力か、もしくは従来通りの天然ガス、魚油、菜種油などの天然由来成分、その他幻想郷特有の魔法力、霊力、妖力と言った超自然的な力のみ(ただし魔法力によって廃棄ガスを無害化する機構が実現できた場合はこの限りではない)。森林・山谷の開発に対する規制、工場設備は基本的に地下に作り、自然景観を壊さないように最大限配慮する。微生物によって分解されない合成化合物はいかなる用途においても使用禁止。エトセトラ、エトセトラ。
 とても厳しい、と皆思った。現在進めている工業化プロジェクトは全面的な見直しを要求されるだろう。
 しかし、閉鎖社会であり、ちょっとしたことで簡単にバランスが崩れると予想される幻想郷ではこれぐらいの厳しさは当然なのかもしれない。

 紫はにとり達に全ての資料を渡し終えた後、力尽きて倒れ、その場で眠ったまま動かなくなった。
 間もなく助手として来ていた藍と橙が紫を担架に乗せて運んで行った。
 紫のような寝ているのが常態な妖怪にとって、二週間不眠不休で働くということがどれほどの精神的苦痛であったことか。
 にとりは紫の努力を見せつけられて、俄然やる気が湧いてきた。
 心の奥底でふつふつとエンジニア魂が燃え上がってくる。
 ここまでのことをしてくれたのだから、自分達も死力を尽くすしかない。紫の姿を見てにとりはそう思った。
 中途半端な仕事はできない。環境のことも考えた、本当の意味で豊かになれる幻想郷独自の産業革命を、自分達の手で進めるのだ。
 
「私にやらせてください」

 決意を秘めた目で神奈子に訴えると、彼女も静かに肯いた。

 それからにとり達は平均睡眠時間三時間という重労働で働き続けた。
 必要な資料を集め、知識の穴を埋めるために勉強会を繰り返し、幻想郷内の地勢や環境の調査に駆けずり回った。
 見る者が思わず冷や汗を流してしまうような、馬車馬のような働きぶりだったと言う。
 そしてそのまま一ヶ月が過ぎた。
 期限ぎりぎりに近かったが、無事改定された妖怪の山産業化プロジェクトの骨子ができあがった。

 にとりは紫のオフィスに自分の手で新しい産業化プロジェクトの資料を持って行くことにした。
 寝不足でふらつく体を支えながら、守矢神社の前にある紫の仮設オフィスに立った時、緊張で胸が高鳴り、手が震えた。

「入ってください」

 ノックすると中から声が聞こえた。
 ドアを開け、整理されたオフィスの中に入り、紫の執務席の前に座る。
 にとりから資料を手渡され、紫は無表情で最初のページをめくった。
 産業化プロジェクトは全面的に見直し、まず産業に不可欠なエネルギー確保の方法から変更していた。
 資料に目を通しながら、紫はちらりとにとりの方を見た。紫の開いているページには、風車のような絵図面が描かれている。

「なるほど、風力発電ね。建材は何を使うつもりなのかしら」

 そう言った後すぐ、紫は図面に記された建材表記を見て驚く。

「CNT……カーボンナノチューブですって?」
「はい、カーボンナノチューブは炭素の同位体で、現在知られている中では最も強靭な材質です。炭素のみでできていますから、環境にも無害です」
「外の世界でも実用化されていない最新の材質よ。どうやって作るの」
「紅魔館の魔法使いさんが協力してくれることになっています。七曜の術とカーボンナノチューブは親和性があるそうで」

 ああ、六角形だからかと紫はうなずく。
 カーボンナノチューブは炭素原子が六角形に配置された炭素のシートを筒状に巻いた形をしている。
 このチューブで糸を作って編みあわせて建材を作る。
 七曜のシンボルマークは六角形なのだ。図書館の魔法使いパチュリーは賢者の石精製に代表される錬金術も得意なので、物質合成はお手の物だった。

――なるほど、科学と魔法のコラボレーションと言うわけか。

 くすり、と紫が微笑んだのをにとりは目撃した。
 紫は少し感心した。以前のように考え無しと言うわけではないようだ。

 十分ほど経った。その間紫は資料を読んでいた。にとりの持ってきた資料は、発電設備の設計図面と建設配置用の図面、それに関する論文・資料集で、数千ページに及んでいたが、紫はまるでパラパラ漫画を見ているような速度でページをめくり、最初から最後まで読み通すことを三周した時点で

「いいでしょう」

 トンと資料の角を机の上で叩いてまとめたのち、紫は机の上にあったハンコを資料集の上にぽんと押した。
 赤字で「認可」と言う文字がでかでかと押印された。
 にとりの顔が驚きで染まる。

「どうしたのよ」
「あの、それで本当にいいんですか?」

 あまりにも呆気なく認可をもらえたので、にとりは茫然としてしまった。

「発電設備に関しては問題ないわ。これで良いでしょう。妖怪の山は風力が強いから、この風力発電機を各所に取り付ければ、山の電力需要は十分に満たせるでしょう。資料を確認したところ設置個所の安全性や環境への配慮についても問題なし。ところで、核融合発電は放棄するの?」
「はい、あれを維持しようとすると、熱の発生の問題を解決できませんから。それによくよく計算してみると核融合発電が必要なほど大きなエネルギー需要があるわけじゃないので」
「ふむ。わかりました。次は具体的な建設日程について詰めて行ってください」
「あ、ありがとうございます!」
「あのね、まだ入口に立っただけよ。エネルギーの次は工場の審査があるでしょ」
「はい」
「そっちの方の審査にはもうしばらく時間をちょうだい。まあ今見た感じだと良く考えられているようだから、大丈夫だと思うけど」
「わかりました!」
「ねえ、にとり」

 金髪の妖怪はデスクの上で指を組みなおして顎をのせた後、少し微笑んだ。

「欲望というものには際限がないわ。外の世界の人間達は飽くなき欲求を満たすために、技術を発達させて今の産業化社会を築いた。自然環境や自分達の健康、その他諸々の犠牲を省みることなくね」
「はい」
「だけど、別にそれは人間に限ったことじゃない。生物は多かれ少なかれ、生きていく過程で自分の周囲の環境を破壊している。単細胞のバクテリアだって自分の排泄物で周囲の環境を汚している。だけどそれが行き過ぎれば、自滅するしかない。生きていくには常に何かを壊して何かを創っていくしかないけど、要は程度の問題なのよ。そしてそれは我々妖怪も同じ」
「はい」
「エンジニアというのは業の深い職業ね。こういうことができないかと誰かに頼まれたら、つい、やってあげたくなってしまう。これがやりたい、という想いを先行させてしまう。その結果、結構な数の後悔を残してしまう時があるわ。後先考えずに夢を追うのも考えものってことね。自分は間違っていないのだろうか、本当にこの道が正しいのだろうか。そういうことを自分自身に問いかける姿勢をいつも忘れないでいてくださいね」
「はい!」

 心なしか弾んだ足取りでにとりは紫のオフィスを後にした。
 


 工場建設計画の審査と並行する形で、にとりの考案した風力発電設備は翌日から早速建設が始まり、着工から半月で第一号機が完成した。
 地上二十メートルほどの高さがある巨大風車が妖怪の山に聳え立つことになった。
 表面は黒の無地で殺風景だったので、手先が器用と評判のアリス・マーガトロイドに依頼して、付近の景色にできるだけマッチするように装飾画を描くことにした。
 落成式の当日にはアリスと、それに建材の調達に協力してくれたパチュリーが見物に来た。
 緑の山野の中に黒々とした風車が立ち、金色の花や蔓の模様で装飾されている光景を見てアリスは満足げに笑みを浮かべた。
 
「寛永蒔絵よ。幸阿弥派の画風を参考にしたわ。景観にものの見事に調和してるでしょ」

 アリスが胸の前で腕を組みながら自画自賛して言うと

「それについては意見が分かれるところだけど。あ、にとり。カーボンナノチューブは私の母校であるマジックアカデミーに製法を伝えて、ライセンス生産してもらうことになったわ。私一人じゃ作れる量もたかがしれているからね」
「何から何まで本当にありがとうございます」
「電力が余ったら紅魔館にも分けてもらえないかしら。図書館は暗くて困ってるの。魔法で照らすのも、いつもだと疲れるし」
「神様に相談しますね。多分大丈夫だと思いますよ」

 風力発電設備はその後、妖怪の山の風が強い場所を選んで三百か所ほど建てられ、新しい山の名物となった。
 風雨の神様である神奈子のお膝元であるから、発電効率も申し分ない。
 秋が深まるころには工場も無事に審査をパスする予定だ。
 新妖怪の山産業化プロジェクトは順調に進んでいる。



 守矢神社境内にある紫のオフィス。
 妖怪の山産業化プロジェクトの検査もほぼ終盤に入り、この仮設オフィスも検査の終了と共に撤去されることが決められている。そこへ八坂神奈子が菓子折りを持って訪れた。
 
「あら、今日は打ち合わせは入ってなかったと思ったけど」
「いや、ちょっと休憩がてら挨拶にね。どうだい、一緒にお茶でも。里まで行って買って来たんだ」

 菓子折りをぶら下げながら、紫に目くばせする。

「それじゃあ、お言葉に甘えようかしら。藍、お茶お願い。あっついやつね」

 紫と神奈子は応接間に移り、そこで神奈子の持ってきたお菓子をつまんだ。
 暫く無言だったが、神奈子が切り出した。

「今回のことでは迷惑をかけたね」

 声に申し訳なさそうな響きがあった。
 紫は優しく微笑みながら、

「いえ、私も暴力を振るうなんてはしたない真似をしてしまいました。申し訳ありません」
「いいや、お前さんの一発で目が覚めたよ。いいパンチだった」

 そう言われたので、自然に笑いがこみ上げてきた。二人でしばらく笑い合う。
 これまではずっと仕事で顔を合わせてきたので緊張した関係だったが、これで少し打ち解けた。

「それにしても、あの子本当に頑張ってくれたわね。工場の方の計画書も、本当に細かいところまで気を配ったものだった。ああいうのをエンジニアの鑑って言うのね」

 紫は持っていた書類ケースの中からにとりが提出してきた計画書の一部を取り出した。
 錬金術を駆使した濾過フィルターや、八卦風水を応用した排水処理施設など、紫はにとりが考案してきた独創的な新技術の一つ一つを逐一嬉しそうに褒めた。神奈子はにこやかな顔でそれを聞いていた。

「てっきりお前さんは、にとりのこと嫌っているのかと思っていた」
「あの子、昔の友達に似てるの」
「うん?」
「彼女も科学が好きで。どっちかと言うとエンジニアというより学者寄りだったけど。人間の可能性を信じていて……科学の力で世界が豊かになるって心から信じてた。あの子と一緒でとても一生懸命な子。だから懐かしくて。それだけに、放っておけなかったのかもしれないわ……」

 そう言うと紫は目を伏せて湯呑を見た。じっと緑色の水面を見詰めながら、何かを思案しているようだ。神奈子は黙って見ていた。まるで遠い青春時代を思い返している老人のような、そんな印象を覚える。
 しばらく形容しがたい沈黙が続いた。神奈子も自然に自分の湯呑に視線をずらす。

「あのさ……」
「何?」
「いつ頃から見てたんだい?」

 神奈子は自分の湯呑を両手で構えて揺らしながら、呟くように言った。

「と言いますと?」

 紫はきょとんとした表情をする。
 少し、空気が変わった。
 神奈子は顔を上げて、無表情のまま紫の瞳をまっすぐ見ていたが、そのうち

「いや……まあいいさ。工場の企画書の最後の分、一両日中には届けさせることにする。作ってもらった規格に従って、こちらでも何度もチェックしたから大丈夫だと思うんだが」
「よろしくお願いします。期待していますわ」

 それではまた後日と言って神奈子は部屋を出た。

 神奈子が去ってしばらくして、藍がお茶の代え持って部屋の中に入ってきた。

「お疲れ様です」
「ええ、藍もありがとう。今回は皆よく働いてくれたわ」
「久しぶりの事務仕事だったので頭が疲れましたよ」
「まったくね。これ、どう? 神様が持ってきてくれた銘菓よ」
「それは御利益がありそうですね。ありがとうございます、いただきます」

 藍が席につき、しばらく二人は無言でお茶と菓子に舌鼓を打つ。

「しかし、さすがに神様は真相に気づいていたんじゃないですか?」

 藍がそう言うと、紫は視線をそらしたまま意味ありげな微笑を浮かべた。

「一度は痛い目に合わないと学ばないものよ。これで彼女達も今後は慎重に行動してくれることでしょう」

 そう言われて藍は苦笑した。
 ……汚染は紫達の自作自演だったのだ。
 鉱業廃棄物が野ざらしに放置されているのをいち早く発見した紫は、最初、それを黙って処分しようと思った。そうすれば公害は起きないはずだった。
 しかしそれでは本当の問題の解決にはならない。
 問題は妖怪の山に住む妖怪達の意識の低さにあるのだ。
 元々天狗や河童は調子に乗りやすい種族であるとはいえ、彼女達は余りにも軽薄に行動しすぎる。しかし面と向かって説教したところでどうせ聞きやしないだろう。
 紫はこの件を利用して、山の連中の頭を冷やしてやろうと考えた。
 そこで一計を案じたのだ。
 まず鉱毒を流しこむ沢を決め、にとりが鉱業廃棄物のゴミ捨て場に選んだ地点から排水を誘導する道を作る。
 そして鉱毒が沢に流れ込むのを見て見ぬふりし、自らの能力で汚染された領域と汚染されていない領域の境界を作って、汚染を沢の付近だけで隔離した。そして沢の中のみ鉱毒の濃度が危険値を超えるのを待ち、魚が死ぬまで黙って見ていたのだ。
 丁度良く査察の数日前から降り出した長雨が、紫達の偽装の痕跡を消すのを助けてくれた。
 万事整えた上で妖怪の山に査察に入り、汚染の結果を神奈子達の罪として突きつけたという次第だった。
 結果として妖怪の山のプロジェクトの規制に成功し、行きすぎた工業化に歯止めをかけることができた。
 沢を一つ犠牲にしてしまうのは紫としても辛いことだったが、断腸の想いでこれを行った。
 むき出しの土砂に埋まった沢の無残な光景を見て、妖怪達は少なくとも数年の間、事件のことを忘れないでいてくれるだろう。
 神奈子は自分達の芝居に気づいていたのだろうか。
 先程応接間で聞いた神奈子の言葉を考えると、彼女も薄々はおかしいと感じていたのかもしれない。
 しかし神奈子はそれ以上追及しなかった。

――神様も思うところがあったのだろうか。

 真実に気付いた上で、今回のことは全て自分の過失として呑み込んだのかもしれない。実際公害対策を施していなかったのは事実なのだから。

「ふむ」

 あの神様なら、それぐらいのことは計らいそうだ。

 藍が飲み終わった茶碗を下げて出て行った後、再び紫は一人になった。
 誰もいない部屋の中で一人で立っていたが、しばらくして

「理想郷への道はなかなかに厳しい」

 口元に微笑を浮かべながら、紫はそううそぶいた。

 紫は窓の傍まで歩いて行き、外の景色を眺めた。
 神社の境内からは妖怪の山が誇る美しい紅葉が見える。
 色付き始めた渓谷の景観はまさに桃源郷だった。八千代の間、彼女達が守り続けてきた場所。
 その場所に住む妖怪達が自分達の愚かさを知り、自らの行為を省みることを忘れないでいる限り、この美しい景観は保たれていくだろう。



















  
 
 作中前半でカドミウムが原因で魚が死んだかのように述べているのですが、もしかしたらカドミウムでは魚は死なないかもしれません。鉱業廃棄物の処理について調べたのですが、結局よく分からなくなって曖昧になっている部分があります。こんないい加減な作品書きやがってッ! とお怒りの方には真に申し訳ありません。公害の発生源やルートについては諸説あるようなので、作中で述べられている記述については単なるフィクションという方向でご理解いただければと思います。また、明らかにこれは間違いだッ! という箇所があれば教えていただけると嬉しいです。
nig29
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コメント



0.1440簡易評価
3.60名前が無い程度の能力削除
何て言うか薄い。
ただ、単に知識を羅列したような……。何か抜け落ちてるような。
面白いとは思うけど、楽しめなかった。
7.60名前が無い程度の能力削除
ちょっと解説に終始した感があるかな
だから薄いと感じるのかも
次回作期待してます
8.70煉獄削除
面白かったんですけど……少し人との会話が少ないと感じました。
文章で鉱毒などを出すのは良かったんですけどね。
もう少し何かが欲しかったです。
それでも地霊殿での出来事などを題材にしたこのお話しは
良かったと思いますよ。
9.100名前が無い程度の能力削除
ヘルメットかぶった紫を想像して、「ああギャグ物か」なんて思っちゃってすいません
>>エンジニアというのは業の深い職業ね
同じくエンジニアを志すものとして、ここの下りはすごく心に残った。
なんか地霊殿の「妖怪の山工業化」を聞いて以来残っていたしこりを全部持っていかれた気分です。
10.100一技術屋の魂の叫び削除
カーボンナノチューブの生産、維持コストを実用レベルにもっていっただと……?
風力発電なんて採算効率最低な代物に使用できる程に……?

にとりとパチェSGEEEEEEEEEEEEE!!!!!!!!!
今すぐこちら側の世界に来てくれ~~~~~~!!!!!!!
お前たちが欲しい~~~(技術者として)
20.90名前が無い程度の能力削除
ふと思ったんですがカーボンナノチューブを応用した物って発癌性やアスベストに似た健康被害を及ぼす可能性があった気が…

とまあそれは置いといて話自体は纏まってて面白かったですよ
21.30名前が無い程度の能力削除
残念ながらこの計画には大穴が空いていると言わざるを得ない。気になったのは発電の部分。
開発の肝(CNT)を個人生産に頼るとか冗談にしか聞こえない。工業なのに……
まあ触媒の金属粒子径を調節できるなら適任だとは思うけど。
原料の炭素ガスは、海は無いが地下水分で足りるのか?
基幹工業の電力が供給不安定とか洒落にならないんだが、狭い山国である幻想郷で十分量を賄えるの?
どうも現実味が薄くて。
内燃機関禁止とか生分解性廃棄物以外投棄禁止とかも。実は工業させる気無いだろ?と。
それと工業規格300冊で不覚にも吹いた。読めねーよ!

何だかなあ。
23.80名前が無い程度の能力削除
皆詳しいなぁ・・・。
プロジェクト○を観てるようなノリで楽しめました。
26.80名前が無い程度の能力削除
珍しい題材を上手くまとめていて面白かったです。
錬金術があったり、魔法があったりする世界のほうが科学の発展早そうですね。
31.無評価名前が無い程度の能力削除
風力発電施設三百ヶ所って、自然も(元々の)景観もずたぼろです

馬鹿なの?
34.10名前が無い程度の能力削除
これの何処が東方?幻想郷?知識自慢は(しかも間違いだらけ)結構です。煩わしい。

ああ山一つからあれだけの種類の鉱物や石油まで採れるのは現実味が無さすきて幻想郷っぽかったです。悪い意味で。
35.50削除
題材は斬新だった。登場人物の動かし方も良かった。話もそれなりに面白かった。
だが中途半端にしかも悪い意味でリアルなのがどうにも違和感。
徹頭徹尾に科学と魔法の融合を目指すか、環境問題にだけ話のシフトを置いて突き詰めた方
が良かったと思います。
プロットは良くて本文が良くなかったので50点。
次回も期待してます。
37.無評価nig29削除
ご意見ありがとうございます。勉強になります。
知識自慢とおっしゃっている方がおられますが、ちょっと申し訳ありませんがそういう作風なのですとしか返答しようがありません。
テーマとSFと言うジャンル状説明が長くなってしまうのは止むを得ないと思っていますので、このスタイルを変えるつもりはないです。
それで受け入れられないというのであれば、おそらく最初から趣味嗜好が合わない方なのだと思います。
魔法とか錬金術に頼った時点でSFじゃなくなっているような気もしますが。
○○世界が科学的に成り立つ理由を考えるスレみたいなのが結構好きなので、それのノリかもしれません。

>No.20の方
これはヤバい。これは知らなかったです。
ニュース読んでみたところ、「すぐに人体に影響があるとは特定できない」とか書いてありましたが……
反論も「先が曲がっているナノチューブなら発癌性はない」とか本当かよ、と思わせるのがちらちら。
うーむ、良くわかりません。もしこれが本当なら、幻想郷で一番高度が高いであろう山からまき散らされる発癌物質。
数年後、人間の里で癌が大流行。悪夢だ……にとり、全然反省してないじゃないの。
いいえ、どう見ても反省していないのは作者でした。

>No.21の方
会社の資料室にあったJISの本は機械分野だけで100冊ぐらいありました。
初年度にどれだけ作るのが妥当かわかりませんが……。一人で全部読む必要はなく、それぞれの専門分野で分担すればいいと思います。
炭素ガスというか、炭化水素から作る? CVD法というのが製法としてメジャーらしいですが、この材料、メタンとかアセチレンらしいので、
これは比較的簡単に合成できるんじゃないでしょうか? と言うか錬金術で作るとなるとそもそも議論するのがアレですが。
むしろ錬金術でどうやって作るかを突き詰めた方が面白かったかもしれない。
内燃機関なし、プラスチックなしでも冷蔵庫もテレビもエアコンも頑張れば作れると思います。採算……幻想郷経済が謎ですね。
44.100名前が無い程度の能力削除
こういうノリと世界観は好きだなあ。
薀蓄も流れを納得させる素材と認識してるクチなんでありかなと。
45.20名前が無い程度の能力削除
リアルな作風(具体的な物質名や法律名など)なわりにはご都合主義っぽいのがアンバランスなのだと思う。

具体的な方法とかを言い出すと自分みたいにその方法を検証したくなる人がいっぱい出てくるんだよねw

それこそエンジニアの性ということで。

むしろ社会的な要素を抜いた、にとりの技術開発史なんかは読みたいかも。
明治時代の本読んだだけで簡単に転炉とか高炉とかできてるけど、それができるまでって相当面白い紆余曲折がありそうだなあと思って。
46.90ルル削除
理系分野には詳しくないから、知識部分は「へぇ」「ほぉ」って感じに読みました。
判らん事は判らんなりに楽しむのが良い読者ですから、特にスタイルは変えなくて良いと思いますよ。

作品としては、既に指摘されてますが、やはりプロットは良いのにストーリーが残念だなぁと。
何というか、小説というよりはノンフィクションルポに近いような。
物語としての面白さに欠ける感はあるので、そういう点で少しマイナス。
この内容なら、いっそ「プロジ◯クトX」風のドラマに仕立てても良かったんじゃないかなと。

でも着想はすごく面白い。
自分もどっちかと言うと設定考えるのが好きなんで、作者様の姿勢には共感できます。
次回作を楽しみにしています。
48.80名前が無い程度の能力削除
知識云々は別として、幻想郷を真の幻想郷としておく為に産業革命は起こすべきでは無いのでしょうね。
あと紫の友人さんはU・Rさんかな?
50.40名前が無い程度の能力削除
何の為の幻想郷かという事と妖怪と人間のバランスを考えると紫が(もしくは上の大天狗とかの時点で)産業革命を許すとは到底思えないなぁ。

というか妖怪って色々いるけど妖精と同じ様に自然物から生まれる存在もいるでしょ。
妖怪の山っていうからには河童や天狗だけっていうのは無いだろうし、彼らの存在を無視したような展開には正直疑問です。
全体的に考えが浅いと思う。

そもそも知識としてあってもそれを実現させるのってものすごく困難なことなんだぜ?
51.80deso削除
SFスキーな私としては、こういうネタができちゃうのが羨ましい!
私は子どもの頃、科学万能主義者だったのす。
いつまでも科学に夢を持っていたい。そういう思いを揺り動かされました。
52.70名前が無い程度の能力削除
ううむ、ヘッドライト・テールライトがないプロジェクトXというべきか……
着想が素晴らしいだけに少々残念に思った。
53.無評価nig29削除
>No 51の方
読んでいただけるかわかりませんが、一応回答しておきますね。

 地霊殿キャラ設定.txtに「神奈子は河童のエネルギー産業革命と銘打った計画を立て、核融合発電を成功させて神社の営業活動の一環とした」旨の記述があります。これが公式設定です。それに対して地上の妖怪達は「特に危険は感じられなかったので、真相が判った後も計画を潰すような事はしなかった」と書いてあります。
 エネルギー革命の後は、エネルギーの活用方法を考える段階に入るのは当然の成り行きです。山の妖怪達が膨大なエネルギーを自分達の産業を拡張するために使うことは容易に予想できます。それでも他の妖怪達は「特に危険を感じられない」として何もしなかったのですから、おそらく産業革命がもたらす波及効果について知らなかったか、興味を抱かなかったかのどちらかなのだろうと予想しました。作中では紫は龍神と妖怪の委任を受けて行動しています。彼女だけが、産業化がもたらす危険性に気づいて事前に対応策を取っていたということです。

>何の為の幻想郷かという事と妖怪と人間のバランスを考えると紫が
 紫像に相違があると思います。
 東方香霖堂によれば紫はゲームボーイやウラニウムや石油燃料等、科学の産物を蒐集しています。単に趣味で集めているだけと言う考え方もできますが、私は彼女は文明の利器に対して理解を持っていて、その利用価値を十分に分かっているから集めているのだと考えます。紫は決して科学技術を否定しているわけではないと思います。後述しますが、私の考えでは、紫は最終的には「産業革命は起こすべき」と考えると結論付けました。

>妖怪って色々いるけど妖精と同じ様に自然物から生まれる存在もいる
 自然物の妖怪というのは例えば幽香などでしょうか。しかし彼女は年を経てしまって、余り活動が活発ではないとの記述がありました。妖怪の山の動向には無関心なんじゃないでしょうか。その他にも湖沼の化身ですとか居そうですけど、やっぱり何かあるまで動かないと思います。
 私はそもそも人間の生んだ技術と、自然物を別個にする考え方に疑問を感じます。自然崇拝と科学万能主義が相容れないという凝り固まった思考に反対します。人間は自然の一部ですから、人間の生んだ科学知識も自然の一部です。本作で紫が提唱しているのは、科学と自然の乖離ではなくて融合なのです。神様や自然に宿る霊魂を崇拝し尊敬の念を抱くのと、科学の可能性を信じることは平行してできると思っています。作中の紫も何も幽香の向日葵畑を伐採しつくしたり、水妖が住む川に汚染を垂れ流して好き勝手にやっていいと言っているのではありません。「きちんと収拾が取れて、自然に最小限の害しか与えない産業化なら止む無し」と主張しているのです。

 妖怪をどう考えるかでも意見がわかれてくると思います(人間が空想したから生まれたのか、それとも人間が生まれるずっと以前から居て、人間がいない方がむしろ平和に存続していけるのか)
 東方求聞史紀には「外の世界が力を持ち始め、妖怪の存在を否定し始めた頃、既に幻想郷は滅亡の危機に曝されていた」という記述があります。これが真実だとするなら、妖怪や妖精はやはり人間の幻想に影響を受けるのだと思います。だから私は東方の世界観は前者「人間が空想したから妖怪や妖精などの幻想が生まれた」だと思っています。
 極論すれば人間達が妖怪や妖精の存在を心から信じていれば、妖怪や妖精達は生きていけるのだと私は思います。時代が進めばそのうち、光化学スモッグの妖怪や携帯電話の九十九神なんかも幻想入りするんじゃないかと思います。そういう新しい妖怪達のために、幻想郷の中の技術も少しは進歩させておいた方がバランスが取れると思います。
 誇大妄想なんですが将来的には「科学が十分に発達して魔法と見分けがつかなくなれば、」つまり人間が十分に精神的にも物質的にも発達して幻想を許容できるほどの心の余裕ができたなら、博麗大結界もいらなくなって、幻想郷と外の世界は一つに融合できるんじゃないかと考えてます。
 以上ですが……まとまっていない上に長文の回答になって申し訳ありません。
54.80名前が無い程度の能力削除
ここは創想話、舞台は幻想郷、リアリティーに欠けるとか当然っしょ
CNTをにとり特製ヒヒイロカネ合金Xとかにすりゃいいの?
景観を損なう?光を屈折させて見えなくする説明とか加えりゃ満足なの?

登場人物の幻想郷に対する想いを見る作品なんだと思いますけどね
55.10名前が無い程度の能力削除
風力発電施設にして発電は解決としていますが
建設前・建設時・建設後の様々な問題を全て無視してるのは、そういった所を取り上げている筈の本作品の中で異質に感じました
問題を解決するために問題のある方法で解決して笑顔って・・・

他にも色々ありますが、もう一つ

汚染が進行しないように土砂で埋めた
正気を疑いますね
59.80名前が無い程度の能力削除
こういうのってワクワクするから好きだな
確かに紫がここまでの産業を許容するとは思えないが、そこはホラ、二次創作だし
61.90名前が無い程度の能力削除
紫様の幻想郷に対する愛と、にとりの科学技術と埋め立てられてしまった沢への両方向の愛が感じられて好きです。
最初のマジギレする紫様の叫びは、迫真の演技だと思うし、迫真の演技をするだけの情熱があるのだと感じられました。
主要な登場人物(紫様、神奈子、にとり)みんなが幻想郷好きなんだな、と感じるから読んでて心地よいのかな。
紫様はきっと幻想郷に住む者たちと、外の世界で滅びつつある者たちのために、いつも駆けずり回っているのでしょうね。