「うー、寒い寒い」
寒さでかじかんだ手をさすりながら、霊夢は神社の戸を開けた。
「今日は特に冷えるわねー」
幻想郷に比叡おろしは吹かないけれど今年はかなりの寒さ、博麗神社の境内の掃除をしていた霊夢の身体はすっかり冷え切っていた。
「こんな時は、おこたが頼もしいわね」
いそいそと炬燵のある居間へと向かう霊夢、その足取りはどこか軽やかだ。
炬燵(こたつ)
それは人類が寒さと戦うために生み出した決戦兵器。
ひとたび炬燵に足を踏み入れれば、寒さは吹き飛び身体は温まり、外の寒さなど忘れ去る。
また、一度炬燵に入ったが最後、居心地が良過ぎてそこから出ることができない人間を量産することから『駄目人間量産機』とも呼ばれたり、呼ばれなかったりするかもしれない。
霊夢は居間に備え付けてある炬燵の布団をめくりあげると用意した豆炭に火を点けて、それを炬燵の火床に入れた。
「あとは、身体の中から温まるものを……と」
ついでに火鉢にも火を点けると酒を取りに霊夢は台所に軽やかに向かった。
「さて、おこたで一杯……と」
両脇に一升瓶を抱えた巫女は口に湯呑みを咥えたまま、炬燵へと滑り込む。
が、
ぐに
という、柔らかい感触を足の裏に感じて顔を歪めた。
そして巫女は一升瓶と湯呑みを置くと、怪訝な顔をして炬燵に手を突っ込む。
「あんたか……」
出てきたのは一匹の猫だった。
「にゃー」
その猫は赤と黒の毛並みに覆われて二本の尻尾を生やしているという、明らかに尋常ではない猫だった。
「にゃー、じゃないわよ。勝手に家に上がり込んで」
しかし霊夢は気にせず、怪しげな猫の首根っこを掴みあげて文句を言う。
首を掴まれた猫はポワンと煙に包まれると、
「おっはー、おねーさん。どういうわけかこいつを見たら中に入りたくなっちまってねぇ」
と、赤毛の少女に変化して首を掴まれた状態で炬燵を指すと、にこやかに笑った。
そんな赤毛の少女を見て、霊夢は少し呆れたように息を吐く。
猫から変じた赤毛の少女は、火焔猫燐ことお燐。
最近、博麗神社でゴロゴロしていたり、ご飯を食べていたりする火車という妖怪だ。
「いや、まあ良いけどね。ただ、いくら暖かいからと言って、中で暖まってたら危ないわよ」
幻想郷の人間が使っている炬燵は、炭や豆炭などを熱源に使ったものが主流だ。そうした炬燵というものは熱を出す為に燃焼をしているので、中に入っていれば一酸化炭素中毒になる危険がある。
「やだなー、おねーさん。あたいは灼熱地獄跡地とかに居たんだよ? 炬燵如きで倒れたりしないよ」
そんな事を言いながら、解放されたお燐は炬燵に潜り込もうとする。
「それもそうだけど、炬燵には普通に入りなさい。行儀が悪いわ」
「はいな」
ピシっと霊夢がお燐を諭すと、彼女は素直に従って普通に炬燵に入った。
そんなお燐を見て、霊夢も炬燵に入ろうとするが、ふと気が付いたように、
「そういや、湯呑みを取って来なさいよ。あんたも呑むでしょう?」
と、台所を指差す。
霊夢の持ってきた湯呑みは一つ、このままではお燐は一升瓶からラッパ飲みすることになってしまう。
「あいよー」
お燐は炬燵から出ると、両の手を広げて『ぶーん』と言いながら台所へと走った。
元気なものである。
「さて、それじゃあ私は先に……」
お燐を見送った霊夢は、布団をまくりあげて炬燵に足を突っ込むと、
ぐに
と、また柔らかい感触を足に感じた。
一瞬、霊夢はまたお燐かと思ったが、彼女は湯呑みを取りに台所に向かっている。
霊夢は再び布団をめくりあげて炬燵に覗きこむと、
「今度は、あんたか……」
二股の尻尾を生やした猫を一匹つまみあげた。
「にゃー」
「にゃーじゃないでしょ……ええと、あんたは紫の式神の」
そこまで霊夢が言うと、猫又は首根っこを掴まれたままふるふると首を振り、ぽわんと人型に変化した。
「私は、八雲紫様の第一の式である藍様の式、橙だよ!」
炬燵に入っていたのは、スキマ妖怪の式の式、橙だった。
「あー、そんなんだった」
「放してよー なんかモゾモゾするー」
ちなみに現状、霊夢は橙の首根っこを持って捕まえているが、あまり大きくなってからこんな捕まえ方をしてはいけない。
この持ち方は体重が軽い子猫のうちなら負担はかからないが、大きくなると体重で首の皮膚に相当な付加がかかってしまうので猫に良くないのだ。
そんな事情もあって霊夢は橙を離した。
「で、どうしてあんたは炬燵に入っていたのかしら?」
「いや、近くに来たんでちょっと中を覗いたら炬燵が見えて……そしたらなぜか」
しどろもどろに橙は答えた。
どうやら、炬燵に心奪われた自分を認めたくないらしい。
「ま、別に良いけど、炬燵に潜るのは行儀が悪いから禁止、あとあんたも湯呑みを持って来なさい」
「え、いや、いいよ。帰るよ」
どこか気恥ずかしそうに橙は帰ろうとするが、
「酒は天下の回りもの、二人酒よりも三人酒よ」
結局、炬燵での酒宴に加わることになった。
「いやー、美味しいねぇ。おねーさんもう一献」
「あー、ようやく温まってきたわ」
「うーん、何でこんな事に……」
三種三様ではあるが、一升瓶は順調に減っていく。
「しかし、炬燵は良いねぇ、暖かいねぇ。お酒も美味しいし、ここは天国さ」
灼熱地獄跡地から来た火車は、嬉しそうに湯呑みに注がれたお酒をチビチビと舐めるように呑んでいる。
「一応は神様が居る場所だから、天国じゃないけどそれに近いかもしれないわね」
霊夢は、平然とした顔で湯呑みでぐいぐいと呑んでいた。
さほど、酒量は多い方ではないが、あまり呑んでいない橙や舐めるように呑むお燐に比べれば目立って見える。
「まあ、結構おいしい……かな」
そして橙は、澄まし顔をしながら呑んでいるが、二本の尻尾は喜びでクネクネとうねっていた。
「酒の肴が欲しいところね」
「良いねぇ、魚の干物とか炒り豆とか、そんなのだとあたい踊っちゃうよ?」
「干物か、そう言えば昼御飯がまだだったような……」
そう言う端から橙のお腹が、くぅ、と鳴った。
「いやー、橙は素直でいいね。身体が」
にやにやとお燐が橙を見る。
そんなお燐の視線を受けて、橙は恥かしそうに「うう……」と呻いた。
その二匹の微笑ましい様子に霊夢は優しく微笑むと、
「楽しそうなところ悪いけど、酒の肴になりそうなものは塩ぐらいしかないの」
と、告げる。
「し、塩って……」
橙は声を失った。
「後は、酒造り用の生米を齧るとか、味噌を舐めるとか、酒の肴はそんなものかしら……酒なら唸るほどあるんだけどね」
湯呑みに酒を注ぎながら、霊夢は達観したように言った。
日本酒は、米より作られる。
原材料が米である故に、大量の栄養を含んでおり、日本酒を呑んでいればある程度は食わなくても何とかなる。
飯と酒は等価なのだ(良い子は真似しないように)。
「おねーさんて、実は鬼か何かなんじゃないの?」
「失敬ね」
もしかしたら、今飲んでいるそれは昼食代わりなのかもしれない。
「まあ、酒ばかり呑んでる訳じゃないのよ」
酒を注ぎながらではあまり説得力が無かった。
ジト目で二匹に見つめられて霊夢は、
「良いから呑みなさい」
と、顔を赤くしてとりあえず酒を勧めるのであった。
結局、塩を肴に一升瓶を二本空にして、さらに適当にどぶろくなども追加されたおかげで、一人と二匹は完全に泥酔していた。
「ううー、トイレ……」
橙が寝ぼけ眼で眼を覚ます。
外はすでに暗い、どうやら随分と寝ていたようだ。
「むぅ……むそうふーいん。むにゃむにゃ……」
「あふぅ……さとりさまのそこ、やわらかいよぅ……にひひ」
何やら攻撃的な夢を見ている霊夢と、どこか怪しげな夢を見ているお燐、そんな一人と一匹を見て、橙はため息をひとつ漏らした。
「……なんていうか、生産性のない一日だったな」
たまたま、神社を除き、炬燵に潜り込んだが運のつきだった。
猫は炬燵で丸くなるのは迷信だと公言していたが、実物はいけない。身体が勝手に求めてしまう。
「っと、いけない……トイレトイレ」
尿意を思い出し、橙は立ち上がって厠に向かおうとした瞬間、
「ふぎゃっ!」
と、鳴いて橙はぶっ倒れ、
「ひゃん!」
と、お燐も鳴いて飛び上がった。
「な、なになに!?」
そんな鳴き声に霊夢も飛び起きる。しかし寝ボケている上に暗いので、ただ「なになに?」と繰り返すだけだ。
そして橙は、
「ふぇ? た、立てない?」
暗闇の中で戸惑っていた。
炬燵から出て、立ち上がろうとした。
しかし、その瞬間につんのめって、思いっきり転んでしまった。
橙はまた起き上がろうとするが、結果は同じで炬燵から出ることができずに転んでしまう。
そして、その度にお燐は向こう側で「いやん」とか「ひゃん」と悲鳴を上げている。
「ううー、いったい何なんだ?」
どうにも炬燵から出れない橙は、炬燵布団をめくりあげて中を覗き込んだ。
橙には尻尾が二本あり、お燐も尻尾が二本ある。
つまり、その尻尾の合計は四本であり、それらは炬燵の足を交えつつ完全にこんがらがっていたのだった。
「ひっ!!」
橙は、それを見て、思わず息を飲んだ。
ゴルディオスの結び目というものがある。
それは、この結び目を解いたものはアジアを制するという言い伝えを持つ伝説の結び目であり、これを一刀両断することで解いたアレクサンドロス大王は、その後アジアの覇者となった。
橙とお燐の尻尾は、ちょうどそんな状態である。
絡み合った尻尾はどうにも複雑で、簡単には解けそうには無く『これは切った方が早くない?』と言いたくなるような絡まり方をしていたのであった。
だからと言って切るわけにはいかない。
「解けない……解けないよぅ」
橙は焦りながらも、結び目をほどこうとする。
だが、
「ああぁ……漏れるぅ……」
橙の尿意は既に限界点に限りなく近い。
「霊夢! 霊夢助けて!」
橙が悲鳴を上げる。
もう、橙はなりふりなんて構っていられなかった。
「うーん、何? 見えないわよ」
しかし、猫の目を持つ橙ならいざ知らず、人間の霊夢が暗い中でさらに暗い炬燵の中を見通すことはできない。
というか、そもそも寝ぼけていて使えない。
「お、お燐、お燐助けてぇ!」
霊夢は駄目だと悟った橙は、さっき知り合ったばかりのお燐に助けを求める。
「嗚呼、さとり様ってば、そんなのは大胆すぎるよぉ」
しかし、助けを求められたお燐は泥酔していて、意味不明なことを口走るだけだった。
「起きてよ、しっかりしてよ!」
橙は懸命に絡まった尻尾をどうにか解きほぐそうとしながら、お燐を起こそうと叫ぶ。
「ああ、そんなくすぐったいですよ、さとり様。しっぽをチョメチョメしちゃ、らめぇぇぇッ」
一方、炬燵の向こう側ではお燐に起きる気配は無く、絡まった尻尾が解かれるのがくすぐったいのか、妙に色っぽい声を上げていた。
「ああ、もう! 起きないと……ひっかけるよ!」
限界突破が近い所為か、橙は凄まじいことを口走る。
しかしお燐は、
「それは、嬉しいねぇ……」
と、呟いてにやりと笑った。
一体、どんな夢を見ているのだろうか。
「あー、もう駄目だー」
顔を真っ赤にして、橙は叫ぶ。
既に橙のダムが決壊するのは時間の問題、このままでは幼年期にのみ許された世界地図が博麗神社の炬燵の中に描かれてしまうであろう。
炬燵の中の結び目は解ける様子はなく、苦しげに上気した橙の顔には『もう、我慢しなくていいよね』という、堕ちる雰囲気が濃密に漂い始めていた。
「お、堕ちる……堕ちちゃうよぉ」
ガクッ、と頭を垂れて荒く息を吐く橙の目は、既に焦点が定まっていない。
火鉢の消えた部屋の中は日も暮れたことから相応の寒さとなっているというのに、紅に染まった橙の顔からはぽたぽたと汗が垂れている。
爪が畳に食い込んだ。
それは堕ちまいという橙の意志の現れであるが、すでに尻尾を解くという、この困難から解放されて炬燵から脱出する唯一の行為を橙は放棄している。いや、絶え間なく押し寄せる衝動を堪えるために放棄せざるえなかった。
そんな波打ち際で弄ばれる無力な貝殻の如き橙が、堕ちてしまうのは時間の問題でしかない。
「ああ……」
じわじわと、橙の身体から力が抜けていく。
それは、炬燵の中に新世界が誕生する瞬間であり、橙にとっては極限からの解放の瞬間であり、何かから『堕ちて』しまう瞬間であった。
「待たせたわね!」
その時、奇跡は起こった。
虚空に現れる紫の亀裂、それは見る間に大きくなり『そこ』から一人の少女が出現する。
「紫様!」
それは、幻想郷で最も偉大な妖怪の一人である八雲紫と、
「橙! 大丈夫かい!?」
「藍様も!」
八雲紫の式であり橙の主である八雲藍だった。
橙の危機に主人とそのまた主人が揃って駆けつけたのである。
「だいたいの事情は承知しているわ!」
そういって紫は、炬燵の中にスキマを作りだすと、それに橙の下半身を呑みこませた。
「え?」
そんな紫の行動に橙は戸惑うが紫は構わず、
「さあ、そこなら大丈夫よ! 我慢せずに思いっきりすればいいじゃない!」
と、促した。
「は?」
橙は固まる。
「危ないところだったな、橙!」
藍は、危機が去ったかのように額の汗を拭く。
「んー、誰か来たのー?」
霊夢は、まだ暗闇に適応してなく。
「………………」
お燐は橙の下半身と共にスキマに呑みこまれていた。
何か言わなくては、
橙はそう思ったが、口を開こうとするも既に臨界点を超えており、
「やあー、良かった良かった」
主人は、危機を脱したと確信し、
「これで、粗相にはならないわね」
主人の主人は、万事の解決を信じ、
「ああ……」
運命を選定するゴルディオスの結び目の前に、橙は力なく呻くだけで……
そのダムは決壊し、唯一無二の世界地図がスキマの中に誕生した。
次の日、縁側で寝っ転がる赤黒い猫と、暗く落ち込んでいる橙の姿が博麗神社の縁側にあった。
神社の境内には、ひらひらとお燐の服と橙の服がはためいている。
そして、冬の柔らかな日差しを浴びている二匹の猫の尻尾は、なぜか複雑な結び目で繋がっていたという。
一部だけ抜き出して読むとかなりエロいということを発見した。俺オワタ。
今すぐ幻想郷に行きこの二匹のにゃんこの尻尾を解いてあげねば!
だがそれがいい!
おお同志よッ……!!
>ゴルディオス
二匹の尻尾の結び目を解いた者は八雲一家と古明地姉妹を制するわけですねわかります
現役なんだぜ。俺では。安上がりだしwww
格言