目を覚ましたベッドの上。
股間のあたりに違和感があったので目をやる。
そこには姉レミリア・スカーレットの顔があった。
「あら、おはようフラン」
掛け布団おまけにスカートが剥ぎ取られていたため、脚は冷えていた。だから姉の吐く息が当たって暖かい。
しかし、なぜこのような状況になっているのだろうか。なぜ私の頭の間に姉の頭が生えているのだろうか。
わからない。
私が困惑のまなざしを送ると、彼女は口の端を上げ、鋭い犬歯を見せて笑った。
「大丈夫。――じっとしていれば何も問題はないわ」
そういって私のドロワーズに手を掛けた。
反射的に両腿でレミリアの首をホールド。ブリッジの要領で自分の頭を基点に身体を跳ね上げ、腕の力で逆立ちまで上昇。向きを変え、勢いのままに両脚を姉の首もろとも床に叩きつける。
着地直後に姉の「くきっ」というおおよそ意識して出さない声を聞いたが無視する。
それから襟首を掴む。扉までの前まで引きずり、アンダースローで放り投げた。
「お前なんか犬神家みたいに湖に頭から突っ込んで死んでしまえぇっ!」
□
「レミリアが、言葉遣いが汚いって嘆いたわよ」
それが図書館を訪れた私に対するパチュリー・ノーレッジの挨拶だった。
私は笑顔を作ることができず、小悪魔が引いた椅子にどっかと座る。
不機嫌なのはさっきの出来事があったからだ。そしてその原因を作った本人に見当がついているからだ。
問う。
「ねえ、パチュリーでしょ。お姉様をけしかけたの」
パチュリーはつまらなそうに、
「いつものことよ」
いって、彼女は本に目を落とす。
私は構わず抗議の言葉を続ける。
「気を遣ってくれるのは有り難いけど、お姉さまに変なことさせないでよ」
そう、これは気遣いなのだ。うまく触れ合うことが出来なかった私たち姉妹に対する配慮。
今、私たちがふざけあえるのもパチュリーの心遣いがなければ叶わないことだったと思う。感謝してもしきれない。
――だが、最近のレミリアの行動は目に余る。
私はお姉様に朝の挨拶をしてもらえることを夢見た。股間から朝の挨拶してほしいとは願わなかった。
「――迷惑してるの?」
パチュリーに問われる。瞳が、真意を測ろうとこちらを見詰めている。
……正直にいえば、そのとおりだ。
今は姉を迷惑に思うようになっている。せめて今日のようなことは止めて欲しい。
先述の事情があって頷くことができなかったが、パチュリーは表情から読み取ってくれたようだ。本を閉じ、こちらに身体を向ける。
「何があったか知らないけど、そういうのは本人に直接いったらどうかしら」
「だって、何度いっても聞いてくれないんだもの……」
パチュリーのいうことが尤もなので私はうまく反論できなかった。触れ合うこととはそういうことなのだ――頭では理解していても、その結果に納得がいかない。
私は判らない。どうすればいいのか、レミリアに――お姉様にどうしてほしいのかが、うまく言葉に出来なかった。
そんな私を見て、彼女はただ、微笑む。
「……ま、考えておくわ」
「う、うん……」
どこか悪い気がした。
少し居心地が悪くなる。話が終わり、私が席を立ったと同時、彼女は思い出したように言葉を続けた。
「でも、そのうちにレミィが、フランのことを見なくなるかもよ?」
そんなことあるのだろうか、私は疑問する。
もしもそうなるのなら……どれほど快適になるのだろうか。
「……そうなってくれたらいいのに」
そんなことは、かつては考えなかったことだ。パチュリーの前では失言だった。
私は萎縮し、恐る恐るパチュリーに目をやる。
彼女はただ本に目を落としているだけだった。普段と変わらないように見えた。
――普段と変わらない、何かを憂えているような無表情。
私の言葉は、パチュリーに聞こえなかったのだろうか。そんなわけはないはず。
違和感を抱きながらも、すぐにその場を去りたい気持ちに押されて、私は彼女に背を向ける。
彼女の小さい声が、背中越しに聞こえた。
「――ねえ、あなたはそれでいいの?」
判らない。
ただ怖かった。
私は聞こえなかったふりをして走り出す。
彼女の呟きが、最後に聞こえたような気がした。
「後悔しても知らないわよ……」
□
私は部屋に戻った。
そこにはもう、迷惑な姉がいなくなっていたことにほっと息を撫で下ろす。待ち構えられてでもしたら面倒だ。
しかし、代わりに別の影がある。
それを見た私は、きっと目を白黒させていたに違いなかった。
「ふーらーん、あーそーぼっ!」
□
「あー、それでどうして私がお呼ばれしたのですか」
「判らないのか、古明地さとり」
レミリア・スカーレットはぶっきらぼうに答えた。
さとり――私は、心が読めるのだから理由など判る。だが、真意が判らないのだ。
しかし彼女は理由を口にする。
「経緯は簡単よ。あんたの妹である古明地こいしが、私の可愛い妹であるフランと、今夜仲睦まじく過ごそうとしているらしいじゃない」
「語弊があります。――こいしはそんな不潔な子じゃありません」
「フランもそうよ」
それから私たちは三分ほど睨みあった。レミリアの心の中には雑念が渦巻いている――主にフランが下でこいしが上。お姉ちゃんこいフラは認めません。しかし妙にリアリティがあったので止めることなく睨みあうこと三分間。
先に沈黙を破ったのはレミリアだ。
「だから、ふたりで監視しようというわけよ」
? 首を傾げる。
「……たまにあなたの考えが判らないわ」
「フフフ、さとりの力も落ちたな」
それは関係ない、と私は心の中で唱える。それから反論する。
「でも、私にも判ることがあるわ。……一つにはふたりはそんな不純な関係ではないということ。もう一つはあなたの頭はピンク色だということよ」
「それくらい私にも判るわよ」
「じゃあどうしてそんなことをするのか、答えてみなさいピンク頭」
「これは帽子よ」
レミリアは思案顔になり、唸る。
……さとりは相手の心を読むことが出来る。本来ならばこのような問答は不要なのだ。
が、私は判らない。
こいしとフランがお泊まり会をする。それは大して不自然ではないことだ。監視する必要がないのだ。
さとりは、なぜ監視する必要があるのか判らないでいた。
そしてそれは、レミリアにも判らないということを意味していた。
「強いていえば――運命を読んだまで」
「もっと強いれ」
「まあ、あれだ、なんだかそわそわしてる。何かしようとしている、そんな気がするのよ」
いわゆる勘だ。そんな不確かな理由で呼び出されたのかと思うと、溜め息が出た。
「それで今日、フランの部屋に調べに入ったのだけれど追い出されてしまってね」
「……それはまた怪しいわね」
レミリアの真剣な眼差しに物事の重要さを感じる。
そして、
「私をフランのところへ向かわせないのは……気を遣っているのね」
さとりは相手の心を読むことが出来る。つまりフランが何を考えているか判ってしまうということだ。
何よりその方が手っ取り早い。
しかし、レミリアはそれを望まない。
妹の心を勝手に読んでしまおうとすることは望まなかった。
「まあ、ね。侵してはいけない場所があるものなのよ」
不純な響きはなかった。
レミリアの気遣いが、さとりには痛いほど感じられた。そして、正しいと思った。
さとりが感心していると、レミリアは少し言葉を濁す。
「それに――お前が真相を知ったら、きっとフランに味方するから……」
さとりには、レミリアの心を渦巻く感情を読んだ。
……不安、なのねぇ。
この吸血鬼にもそんな可愛らしい部分があったのかと、さとりはくすりと笑う。
「あら、可愛い妹に理解者が増えることは良いことじゃないの」
的外れなことをいってみせると、レミリアは不機嫌そうに頬を膨らませた。
□
「これを見なさい」
レミリアは水晶の飾りの付いたイヤリングを手のひらに載せた。
「盗聴器、ただし送受信してるらしいから注意」
「――それ、ただの通信機では?」
「これしか貸してくれなかった」
それは高価なものを壊されては困る、と信頼されていないのだろうか。
それともお嬢様には扱えないだろう、と舐められているだけではないのだろうか。
――どちらにしても馬鹿にされているのではないだろうか?
「……監視っていった割には、視ることはないのですね」
「うちの技術者がいうには、映像はばれやすいらしいわ。撮る装置が大きい」
そういってレミリアは鞠ほどの大きさを手で示した。
技術者というのは、あの紫の魔法使いのことだろう、とさとりは考えた。レミリアの友人であり、何かとちょっかいしいな彼女の蒼白な顔が思い浮かぶ。何か目論見が成功したときの、不吉な微笑顔が思い浮かぶ。
「撮る装置が大きい」というのはたぶん嘘だろう。
それほどまでに紅魔館のノリが判ってしまう自分がおかしくて、とうとうそれを教えることはなかった。
□
妹達が動くのは私が寝静まってからだろう――そのレミリアの言葉通り、長く問題は起こらなかった。
レミリアが寝巻きに着替え、己の寝室へ向かう。それにさとりが続く。
ふたりは寝室に入った。
――とうとう堪えられなくなって、私は振り返る。
「……あのさあ、何で付いてくるかな」
「語弊があります。――私はそんな不潔な子じゃありません」
「私もそうよ」
さとりと睨みあった。
それから先に口火を切ったのはさとりだ。
「嫌なら盗聴器を二つ用意しておいてください」
盗聴器のイヤリングは一つしかない。そもそも私がふたりで監視しようといったのだから、必然的に一緒になってしまう。それは仕方のないことだ。すでにどちらか片方だけが妹達の様子を盗聴するという意見は、お前だけに楽しませてたまるか、と両人一致で否決されている。
だから、私たちはふたり同時に盗聴せねばならない。
それでも私は反駁する。
「私は、これから寝るんだぞ。これは、かなり耳に近づけないと聞けないし……もしかしてベッドまで付いてくるつもり?」
「それも致し方ないことだとすれば」
いってさとりは笑った。
いじわる、だと思う。相手はさとりだ。その考えも読まれたかと思うと、腹が立った。
――考えても読まれるだけだ。ならば考えていても仕方がない。私は溜め息を吐いて思考を捨てた。諦めの意味もあった。
仕方ない。
そうしてふたりはベッドに入る。なんとなく気恥ずかしい。
さとりはにやけながら呟く。
「レミリアの匂いがする」
「うるさい」
ふたりの頭の間に盗聴イヤリングを置く。そのままで、イヤリングから出る音はよく聞こえた。
ただしホワイトノイズ。今はとても静かだ。
つまり、イヤリングから出る音を聞こうと静かになっているこの寝室にも沈黙だけが流れており、ともすれば気まずい雰囲気だった。気が散って集中できない。
「こうしていると」
さとりが小さな声で、いう。
「まるで……本当の姉妹みたいね」
まさか……私は小さく息を呑む。
「……それは感傷?」
まるで服の間に何かが入ってきたような、奇妙な居心地の悪さを感じる。
私たちが本当の姉妹? そんな馬鹿な。くだらない。
大体、私とさとりが姉妹だとすれば、時折心を読まれ手玉に取られる私は、とてもじゃないが姉にならない。まさに、妹、といった感じだ。私が、妹、だと?
イメージの中で、私が瞳を潤ませて「おねえさま」と囁く。――なんだこれは。
「ぷっ」
「私より先に笑うな」
さとりは短く笑う。だが、嫌な笑いではない、と思う。
でも、もしも日常の辛いことをすべて任せられるような姉が居たら……と考える。一時だけでも、紅魔館の主としての立場を忘れられたら、どれほど楽だろうか。
「……まあ、気持ちだけ受け取っておきましょう」
「なんだ。お前が、私の代わりにすべてを背負ってくれるとでも?」
「息抜きできる相手ってこと」
さとりは珍しく爽やかな笑顔だ。不健康そうだが、穏やかな顔が、いつもよりずっと近くにあることが不思議に思える。
――さとりもこんな顔をするのか、と。
□
イヤリング――盗聴器から聞こえるノイズが大きくなり、話し声が入り始めた。
私は考えるのをやめ、耳をそばだてた。さとりも集中する。
聞こえるのは、妹達の声。
フランの声で。
『そっちの穴は違うよぉ……』
ベッドの中は戦慄した。
□
明らかな問題発言に固唾を呑む。こいしは、どっちがどっちの穴かわからないのか――じゃなくてっ!
……何をやっているの!?
次に聞こえたのはこいしの声。
『えー? こっち掘っちゃダメなの?』
素っ頓狂な声。
「掘る……掘るって、何……」
私の声は掠れる。――ああ、私の前では清楚でお淑やかで初心な少女のはずなのに、盗聴器の向こうのこいしは、何かとても黒いもののようの感じる。
対するフランの声は。
『はぁ……ん……そっちは違うから』
息が荒く、あだめいた声だった。
レミリアは空気を求めて口をぱくぱく動かしている。突然の出来事に混乱しているのが一目でわかる。
聞いている者の反応など気にせず、イヤリングは続ける。
『でもあんまりやると部屋が汚れちゃうね』
『それは、後で掃除すればいいよ』
現在フランの部屋で行われていること――こいしが上でフランが下の想像をして、レミリアは否定するようにかぶりを振る。
そんなことあるわけがない。これは何かの間違いだ。とでもいうように。
私も、にわかには信じられなかった。
『でも……本当に良かったの? 私がいい出したことだけど』
と、こいし。レミリアがうろたえた様に。
「こ、この……こいしが悪い」
「ち、違います! こいしは悪い子じゃありません!」
唾を飛ばしながら、叫ぶ。
次に盗聴器から聞こえた声は。
『だって、最初に頼んだのは私の方だよ』
と、フラン。
「ほら見なさい!」
「違うわ! フランはそんなこといわない! これは何かの間違いよ!」
とにかく。
「行くわ」と、レミリア。
「覚悟はあるの?」と、私は問う。
「私は、私の妹もさとりの妹も信じてるわ。例え今、不安が拭いきれなくても」
「酷な話ね。けれど、有り難いわ。――私も、私の妹もレミリアの妹も信じてます」
ふたりは顔を見合わせて、頷く。
そして、すっくと立ち上がると、部屋を飛び出した。
□
フランの私室の扉を蹴破ったのは、レミリアだ。飛行から体勢を変えた、突撃のような蹴りが決まる。
もちろんノックは無い。
有る礼儀は、
「飲み物持ってきたわよおおおおおぉぉ!!」
いかにも保護者らしい心遣いの叫びだ。
部屋に突入する口実には十分だ……私は息を整えながら思う。さとりの半目は無視した。
部屋を見渡す。
ベッドの上には、
「お姉様……」
突然の姉の乱入に唖然としているフランドールだけだ。
もうひとり、この部屋にいるであろうこいしは壁際。
「……あ、あはは」
壁が大きくへこんだ――穴の中にいた。
私は視線を一周させて一言。
「……はあ?」
疑問の声を上げた。
□
とりあえず私たちはベッドに正座している。レミリアは虫の居所の悪そうな顔。お姉ちゃんは責任の居場所を決めあぐねているように、片眉を下げている。横に居るフランは俯いていて、表情が読めない。
……秘密の計画だったのになあ。
私は観念して真相を語ることにする。
「気付かれることなく外に出られる通り道を掘ってたの」
フランが気兼ねなく外に出られるように。
「ああ、掘るってそっち……」
私は首を捻ったが、お姉ちゃんは手を振って否定した。
レミリアは咳払いをひとつすると、毅然とした態度で向き直る。
「で――そんなもの作ってどうするの?」
問い正す口調は厳しい。
私は見る。
フランが顔を上げ、レミリアを睨みつけているのを。その表情には、憎悪の念が込められているのを。
「ねえ、お姉様」
「……何?」
「さっき私の部屋に入ってくるとき、ノックした?」
フランは、いきなり何をいい出すのだろうか。
レミリアはフランの目を見る。彼女も視線を逸らさない。
諭すような口調で。
「今はそういう問題じゃないでしょ。部屋に勝手に穴を空けて――」
「私の部屋に入るとき、私に断りを入れるのが普通じゃないの」
フランも、話を逸らすな、というように睨み返す。
何をいっているのだろう。罪を問われているのは私たちのほうだ。今はフランに対する弾劾の時間なのだ。
だが、
「……勝手に入ってこないでよ」
「今はそういう話を――」
「勝手に私の場所に入ってこないでよ――!」
弾ける様に叫んだ。
「鬱陶しい、面倒臭い、邪魔――私にいちいちちょっかいかけないで! うざったいんだよ!」
吐き出した声は反響。
残るのは、肩で息をする音。
「出てって――」
フランは、
「出てけぇっ!!」
炸裂する。
「何で勝手に入ってきてるんだよ!? 出てけっ! さっさと出て行け!!」
「ああ判ったよ!!」
レミリアは踵を返す。
そして、足早に部屋を出て行った。
あとに残るのは、余力、慣性。フランドールは拳を振り上げ――力無く下ろした。
一連の流れを見ていたお姉ちゃんは、私に目配せをして、部屋を後にする。レミリアの後を追って。
こうして姉と妹は別れることになった。
□
「ねえ、フラン」
部屋に残ったこいしは、不安そうな声で呼ぶ。
フランは力なく俯いている。肩が小さく震えていた。
「……ごめん」
「謝る相手を、間違ってると思うよ」
ついと、こいしの胸に頭を埋める。
「……ごめん」
声も震えていた。
フランは、まるで懺悔するかのように言葉を続ける。
「このままだと、どこかに出て行っちゃうよって意思表示くらいのことだった」
うん、とこいしは頷く。
「こんな風にしたくなかった」
気持ちを、吐露する。
受けるこいしは。
「でもこれはまるで――」
気付かせるように、言葉にする。
「このままだと出て行っちゃうから、私を引き留めてっていうように見えるよ?」
フランの頭に手を置き、撫ぜる。
「本当は、そうなんじゃないかな」
否定しない。
顔を埋めたままじっとしている。それは肯定だった。
□
さとりは、レミリアの寝室の前に立っていた。
逃げるようにフランの部屋から飛び出したレミリアは、自分の寝室に飛び込んだ。
それから、沈黙。誰も近づけないような、厳しい空気が漂っている。
それでもさとりは、レミリアの寝室の前に立っていた。
――そうやって逃げ出したままでいいのかしら。
無言のまま、扉の向こうに問う。
そして、手を上げる。扉を叩くために。
だがそれは止まる。
――さっきフランはどんな言葉で彼女を拒絶したのか。
それを心に留め、三度叩いた。
「さとりよ。入っていいかしら」
しばし沈黙。
「……ええ、どうぞ」
その声は少しくぐもって聞こえた。
開けた向こう、人影は見当たらない。代わりにベッドが膨らんでいた。
その膨らみに声をかける。
――フランの心を。
「――フランが何を考えていたか、聞きたい?」
頭の方が、少し動く。それは肯定ではない。
「聞きたくない」
否定の言葉。
それでもいい。ただ、私には伝えなければいけないことがある。同じ姉として、そして認められた友人として、いわねばならないことがある。
「……あなたは判ったつもりでいた」
「でも、何も判っていなかった」
「じゃあ、どうして聞きたくないの」
それは――レミリアは答える。
「侵してはいけない場所がある。触れてはいけないものがある」
「その言葉は――今は、逃げの言葉にしか聞こえないわ」
「うるさい」
拒絶の言葉を吐かれようが、構わない。私はベッドに歩み寄る。レミリアに踏み込む。
「――もう嫌だ。触れたくない。見たくない」
「珍しく弱気になっているのね。みっともない。紅魔館の主が聞いて呆れるわ」
その言葉に反応して、毛布が飛び跳ねた。
「うるさいっていってるんだよっ! 私の心に勝手に入ってくるなよ!!」
それは、フランもいった拒絶の言葉。
レミリアは、目尻涙を溜めていた。
レミリアは、泣いていたのだ。
声を荒げる。そうして、涙が零れる。さとりに見られていることも構わず、雫が溢れる。
「……見るなあ……」
突き放すように、手を出す。
しかし、押す力は弱かった。
「私は、逃げないわ」
さとりはその手を引いた。
優しく。レミリアを抱きとめる。
「私は逃げない。かつてもそうだったように、今でもそうする」
「さとりは、強い。けれど私は――っ」
「弱くてもいいじゃない」
□
それは、妥協だと考えていた。
「そうじゃないわ。ずっと片意地張っていては疲れるでしょう?」
でも、甘えだと思う。
「甘えてもいいじゃない」
いいの? 私は心の中で問う。
紅魔館の主として、弱さを見せていいのか?
それをさとりは口に出して答えてくれる。
「例え、紅魔館の誰もが認めなくても、私が許してあげるわ」
息を呑む。それが、さとりに伝わったような気がして、少し恥ずかしくなる。それも心が読まれていては今更かと思うと、恥ずかしさが心の中を反響する。どこか居心地の悪い気分が、私を追い詰める。
するとさとりは、私の頭を撫ぜる。
その手は暖かかった。
「ん」
ゆっくりと息を吐く。
気持ちは少しずつ落ち着いていくのが判る。
まるで、まどろみの中にいるような気分だった。
私は、彼女にすべてを預けたかった。せめて、今だけでも、一時だけでも押し付けたかった。
それをさとりは許してくれた。
私は嬉しかった。
そして、どうして彼女は毅然と立っているのか、疑問に思った。地霊殿の主は、弱さを見せることはないのだろうか。
問う。
「さとりも……こうやって泣くことがあるの?」
「あら、私を血も涙も無いようなやつだと思ってたの?」
そんなことはない――私ははっと顔を上げて、さとりと目を合わせる。
それから、また恥ずかしくなった。
泣いて泣いてくしゃくしゃになった顔を彼女にまた見せることになるから。
心を読んで判っているくせに、おどけて答えた彼女にはめられたから。
悔しくて、恥ずかしい。
……いじわる。
私は紅魔館の主としてしっかりとしていなくてはならないのだ。そんな風に簡単に辱められては立つ瀬がない。
――それも全部任せていいのだろう。私は何も気にすることなく、彼女に甘えてもいいのだろう。
なら、今まで我慢してきた分すべてを取り返すように私を辱めてほしい。
――キスしてほしい。
「……へぇ」
にやにやしているさとりの顔を見て、気付く。心を読まれているのだと。
恥ずかしくなって、顔を俯かせる。すると彼女は小さく笑った。
「ふふっ――ほら」
さとりの白い手が、私の頬に触れ、細い指が、涙をすくう。
その指に力が少し篭り、私の顔がゆっくりと持ち上がる。
さとりの唇が触れた。
「――んっ」
息が荒れていた私は、堪えられず声を漏らす。
気を抜いたその隙に、さとりの舌が私の舌を絡め取る。唾液が混ざり、舌と舌が繋がって、私とさとりがひとつになったようだった。口の中と一緒に頭の中もかき混ぜられているかのように、頭の中が真っ白だった。
強く抱き寄せられた私は、身をよじり、みっともなく声を漏らすしかできない。水を打つような、しかし粘りのあるその淫靡な響きを、私とさとりが奏でているのかと思うと、顔から火が出てもおかしくない。
私は辱められている。
目をぎゅっと閉じて、その時間が早く終わってほしいと思った。
ずっとこうしていたいとも思った。
さとりは、後者を選んだ。
「んっ……ふぅ……」
永遠のような長い時間が終わり、さとりの顔が離れる。ふたりとも息が上がっていた。
しばらくはその音だけだった。
私は何もいえなかった。だから、さとりが口にする。
「――嫌だった?」
……いじわる。
私が望み、心に思い浮かべたことをされて――嫌なわけがなかった。むしろすがすがしい気分だった。
……いじわる。
さとりを睨むだけが、私の精一杯の抗議だ。それを見ても、彼女は小さく笑っただけだ。
ああ、もっとこうしていたい。
それが私の願いだった。そしてそれは口を出さずとも伝わってしまう。
「……ほら、もっと甘えてもいいわよ?」
いってさとりは、自分の膝を軽く叩いた。
それは、やはり私が望んだことで、私は呼ばれるがまま、彼女に抱きつく。
「――まるで、本当の妹みたいね」
妹、なのだろうか、今の私は。フランのように、勢力争いなど気にせず、誰かに甘えてもいい立場なのだろうか。
私はフランにそうあってほしいと願った。
――心の中では、フランを羨ましく思っていたのだろうか。
そして、今日はその立場でいてもいいのだろうか。
心の中で、問う。
いいの? と。
見上げる彼女の顔は、穏やかだ。
「いいわよ。私があなたの『おねえさま』をやっても」
それを聞いて、私は安堵の笑みが浮かぶのを止めることは出来なかった。我ながら幼い。今までどれほどの間、幼くあることが許されなかっただろうか。
私は口にする。
甘えてもいい、その喜びに打ちひしがれながら。
「――おねえさまぁっ」
□
「ねえ、何か声が聞こえるよ」
こいしがいった。私は頭を挙げ、耳を澄ます。
確かに、何か雑踏のような響きが聞こえた。
私は音源を手探りで探す。枕の下、手に何か固いものが当たり、それを引っ張り出す。
それは――水晶の飾りの付いたイヤリングだ。
そのイヤリングから声が発せられている。
何か、嫌な予感がした。
『ほら、レミリア……』
さとりの声は、どこか艶っぽかった。
対し、自分の姉、レミリアの声は。
『ん……やぁ……』
今まで聴いたこと無いような猫撫ぜ声だ。
私は、判らなかった。
どうしてこんなものがあるのか。どうして姉達の声が聞こえてくるのか。
嫌な予感がして、続きを聞きたくなかった。
ただ、こいしが聞こうとして私の手首を強く掴んでいたため、それを投げ捨てることは叶わなかった。
『何よ。あなたがしてほしいって思ったくせに』
続きを、聞きたくなかった。
『ん……あっ』
嫌だ。やめて。
やめて、やめてやめてやめて。
『おねえさまぁっ……』
鳥肌が、立った。
私は、かぶりを振る。
違う、と。
「違う……ちがうっ……!!」
お姉様が、さとりのことを、おねえさまと呼んだ。
「違う、嘘だうそだウソだっ!!」
お姉様が、お姉様なのだ。さとりはおねえさまじゃない。私のお姉様じゃないし、おねえさまじゃない。じゃあ、どうしてお姉様は、さとりのことをおねえさまと呼ぶのか。
違う。
「こんなのデタラメ……嘘だ! 違う、違うっ!!」
ああ、そうだ。例えさとりとレミリアの仲が良くたって、私には、何も、関係のないことだ。レミリアが誰と仲が良くても、私にはまったく関係ない!
頬に熱いものを感じた。
それでも私は、無理に笑おうとして。
「あ、あはははは――げほっげほっ!!」
咽る。
急に、吐き気が起こる。
どうしようもない気持ち悪さが、胃の中から喉を駆け上がってくる。
苦しさに、涙が溢れた。
涙が溢れて止まらなかった。
それでも否定の言葉を止める訳にはいかない。
「関係ないっ、関係な、い――うっ」
嗚咽。
「大丈夫、フラン!?」
こいしが私の背中をさする。
それがとてもわずらわしく思えて、私は彼女の手を振り払う。
その間も声が聞こえていた。
『――おねえさまぁっ』
違う。
――違う!
そんな風にさとりのことを呼ぶな。
そんな声を出すな。
お姉様は、お姉様は――っ!
「――っ!!」
握る手に力を込め、悪魔の声を囁くそれを握り潰す。
それは、ぐしゃり、と音を立てる。
だが声は止まなかった。
『おねえさま、おねえさま、おねえさまおねえさまおねえさまおねえさまおねえさまおねえさま』
同じ声だけを繰り返す。
吐き気は止まない。
鳥肌は収まらない。
視界が揺らぐ。
「ちが――っ! あぁっ!!」
叫ぶ。
違うと、叫ぶ。
振り払うように。壊してしまうように。
もう、何が違うのか判らなかった。
さとりと自分が違うのか、レミリアと自分が違うのか、判らなかった。
違いがないのか、違いを正せないのか、判らなかった。
頭の中がぐるぐるとかき混ぜられたようだった。
「ああぁっ! ぁああああぁっ!!」
悪魔の響きは繰り返す。
私は、違うと、繰り返す。
止まない。
声は止まない。
「あぁぁ、ぁっ、ぁああああああああああああああああああぁぁっ!!」
オチてないと思うのは私だけですかね?
できればこれ以降のスカーレット姉妹の関係とかも描いてほしかったのでこの辺で。
続きを書く予定があるのなら是非読んでみたいです
できればもう少し書いてほしかったかな
後、レミリアがなぜお姉さまなんていって甘えたのかがよくわかりませんでした
オチがちょっと釈然としないのでこの点数で。
〆にはフランちゃんの笑顔が見たい
そう思ってしまう私はきっとドロワ中毒
敢えて転落の起こり始めで止めてしまうのは悪くないかも
レミリアの台詞に多少違和感があったかな?。それともそう思うのは俺だけか。
…でもコレ良いなぁ。
これもこれで嫌いじゃないんですが、いつもの方が好きです
としか思えませんでした。
仮にこの想像が、分類に「バッドエンドでもいいのなら」と付けられた作者氏のお考えと一致するのなら、
本作をここで完結させたのはベターだったのではないでしょうか。
ただ、やはり終わり方として唐突すぎますし、作品全体に何か物足りなさを感じるのが残念なところです。
うーん、悪くはないと思いましたが……普通にギャグで終わって欲しかったです。
このあとヤンデレ化したフランちゃんがさとり様を襲ってお姉さまを奪い返すとか、
耐えられず自殺してしまうとか、いろいろ考えられる終わり方ですね
この後の展開は妄想で補います