──アリス・マーガトロイド邸にて
次の予定までに、少し時間ができてしまった。今日は何故か全ての予定が想定していたよりも早く終わってしまい、おかげでこうして暇を持て余している。次の予定は時間を早めることができない。なぜなら、人が家に来るからだ。その時間を軸として今日のスケジュールを組んだのだが、どうやらそれが良くなかったらしい。困ったことに、いまさら何かをしようという気にもなれない。仕方がない、「何もしない」をするしかない。
椅子に座って、紅茶を飲みながら、どこを眺めるでもなく、何を考えるでもない。ただ時間だけが流れていき、私はその流れを感じ取っている。これはある意味とても贅沢なことであろう。時間を存分に費やすことによって生まれる優雅さに包まれて、たまにはこういった過ごし方も悪くない、と思い始める。
気がつくと、一刻ほど経っていた。夢見心地が過ぎたのだろうか、少し体が重い。伸びをして、軽く動かしてやると錆が落ちる。飲みかけのまま冷めてしまった紅茶を空けると、頭も覚めてきた。少しの休息が予想外に疲れを取ってくれたのが嬉しく、軽やかに、客人をもてなす用意に入る。といっても、人形たちに魔力を通し、命令を伝達するだけである。私は椅子に座って目を閉じる。何をすべきか考え、彼女たちがどのように動いているかを感じ取るのだ。次に目を開けたとき、世界は私一人の為の空間から二人の為の空間へと姿を変えている。そういったことに小さな喜びを見出しているのも私ぐらいのものだろうか、などと思うのも楽しいものである。
用意が終わったところを見計らっていたかのように、ドアが音を鳴らす。
トントントン
一定のリズムできっちり三回、ドアの叩き方は人によって異なる。こういったところにも性格が出るものだが、彼女に関して言えば、毎回同じ叩き方をしてくるということが私の興味を引く。一度決めたことは、変わらない。そういった固さを持っている。もっとも、叩く音に固さはなく、むしろ柔らかさも感じさせるのが面白いところである。まったく変わらないという類のものではなく、必要に応じて変える柔軟性も持ち合わせているのだろう。ただし、この幻想郷で自分なりの世界を持っている者は、どこかしら常識にとらわれないところがあり、彼女も例外ではない。
ともかく、客人が来たようである。私はドアへと向かい、その先にいるはずの彼女に声をかけた。
「誰?」
半ば習慣になっているので聞く。わかっているので必要はないのだが、そういうことでも確認してからでないと次のステップへと進まないのは性格によるものか。
「道に迷っていたところ、偶然この家を見つけまして」
返ってきた答えは予想外のものであった。聞いたことのある声なので、明らかに嘘なのであるが、こうも悪意のない声を出されると怒る気にもなれない。
「嘘言いなさんな」
「あれ? そう言えば泊めてもらえると聞いたのですが」
「やっぱり嘘じゃないの」
「良いんですか? 道に迷って助けを求めたのに冷たくされて一晩外に放置されたと言い触らしても」
「相変わらずいい性格してるわね」
「うちの神様にもよく言われます。性格が良すぎて却って心配だと」
「うわ、猫被ってやがる」
「それで、中に入れてはいただけませんか」
本当に放置してもそれはそれで楽しいのだが、仕方ないのでドアを開けてやる。そこには、もう見慣れた緑髪の少女。東風谷早苗、守矢神社の巫女である。本人は風祝だといっているが、要するに巫女である。幻想郷では巫女という存在には馴染みがあるので、彼女はこれからも巫女と呼ばれ続けるのであろう。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。アリスさん」
早苗を家へと招き入れる。後ろに彼女を感じながら、初めて会ったときのことを思い出す。あれは、彼女らが幻想郷にやってきてしばらく経った頃であった。
ある日、人里へ買出しに出かけた折、最近新しい神が降りてきたという噂を聞いたのだ。ただし、その神自体は古くから存在していたのだという。新しくて古い神におかしさを覚えたので、その話を詳しく聞こうとすると、その日はちょうど早苗が里に来ているとのこと。それならばと里の者に仲介を頼んだのだった。
とある家の一室で待っているときは、巫女といえば霊夢しか知らなかったので、どのようなのが来るかと思っていた。ところが、初めて見る緑髪の少女は存外落ち着きのある感じで、私は安心したものである。早苗はといえば、私を見て少し驚いた風で、後で事情を聞いたところによると、里の者から人形師だと聞いていたために、一瞬人形が動いているように見えたのだという。ちなみに、そのときやたら外人外人と連呼したので、私からすれば早苗こそが外人である、と言うと、その発想はなかったと言っていた。
私と早苗との間で話がつくのは早かった。互いに情報を欲していたのだから当然である。私は外の世界の、早苗は幻想郷の。到底一日では足りないだろうから、私たちは幾度となく会う破目になる。毎度里まで出向くのも何だということで、早苗を招くことにした。今回で何度目であろうか。短期間にこれだけ同一人を家に上げたことはない。早苗の良いところは、弁えのよさである。私にとって、自分の領域に土足で踏み込んで来ようとする輩はやはり耐えがたいのであり、そういうことをしない早苗は近づけやすい。それが、私が早苗を許している一番の理由なのであろう。逆説的だが、距離を保とうとすることが結果的に距離を縮めることに繋がっている。
早苗を椅子まで案内する。椅子は早苗を感知したかのように自らを引く。原理としては人形を操るのと同じである。早苗が初めて家に来た時は、気味悪がっておずおずと腰掛けたために、上手くタイミングを合わせて座ることができなかった。今では当たり前のように座っている。きっと彼女には物事に慣れるための時間が必要なのだろう。初めてのことにも恐れずに行動して、結果としてなんとかしてしまうような芸当はできない。初見に弱いのである。ただし、反復を厭わず、習熟するに至ったならば彼女は強いはずだ。こうして私は、また一つ、早苗についての知識を積み上げてゆく。
「それで、今日は何について聞きたいの」
早苗の手には熱くない程度に温められたカップ。両手に持って、口をつけて、一息つくのを待つ。彼女がリラックスできるようにと、ハーブティを用意した。オレンジピールにローズヒップとカモミールをブレンドしたものである。そして、まずは早苗の知りたいことについて答えることにしている。相手から何かを得ようと思ったら、まず相手に与えてみる。そういった考え方は昔からのものだ。
「そろそろ、アリスさんのことを教えてもらえませんか」
早苗は一瞬考えた風だったが、はっきりとした声でそう告げた。そろそろ、ということは彼女はその言葉を発するタイミングを窺っていたということである。断ることもできたが、そうすると自分が言行不一致になると思い直し、早苗に自分のことを教えてやる気になった。幻想郷に来てからは、昔のことを思い出すことは少ない。記憶の断片を集め、組み立てながら、どのように説明していくかを考える。
しばらく、早苗は相槌を打つだけであった。魔界にいたころの話、幻想郷に来たときの話、異変解決に出向いた話、私についてのトピックを簡単に話してやる。私は自分について話をしながら、それがどのように早苗に浸透していくかについて観察を続けていた。話を全く聞かない者や、話半分にしか聞かない者、聞いていないふりをしながら要点については忘れない者とか、真面目に聞いているにもかかわらず頭の中に入っていかない者、一を聞いて十を知るがそこから下される判断が明後日の方向を向いている者もいれば、話をわざと曲解する者など、色々な輩がいるが、早苗は人の話を一度すべて自分の内に納めるタイプのようである。悪くない反応に気を良くして、ついつい話に熱がこもる。随分と入れ込んだものだ、我ながら珍しいことだと思う。
話の最後に、いま自分が取り組んでいる研究について触れる。完全な自律人形の作成、である。私が願い求め、しかし未だ辿りつけないものであることに、早苗は格別の興味を示した。そして、意外な申し出をしたのである。
「その願い、叶えてさしあげましょうか?」
「随分と簡単に言ってくれたわね」
「私は、その自律人形というものの原理などは全くわかりません。でも、結果だけなら創り出すことができます」
「できたとしたら、それは奇跡に近いわね」
その一言は、どうやら早苗の待ち望んでいた答えだったらしい。彼女は俄然勢い込んだ。
「奇跡だからこそできるんです。なんたって私は、奇跡を起こすことができますから」
正直に言って、また凄いのがきた、と思った。この年になると夢見る少女じゃいられないのであって、奇跡など軽々しく口にすべきではない、と注意しそうになってしまった。一方で、早苗が嘘をつくようにも思えない。
「信じがたいわね」
「信じてもらうしかありません。実演できる類のものではないですから」
俄かに信じられるような話ではないのだが、幻想郷という場所は理解を超えた能力の持ち主ばかりでもあるし、無碍に打ち捨てることもできない。神徳に支えられた巫女であれば、奇跡の一つや二つぐらいは起こせそうな気もする。
「奇跡、ねぇ」
「どうですか? アリスさんの望む結果が手に入りますよ」
「お前は悪魔か」
「小悪魔サナエ、悪くない響きかもしれませんね。雑誌の名前みたいで」
「全世界ナイトメア、とかそんなのに通ずるネーミングセンスね」
そんなことを言いながらも、望む結果が手に入る、という言葉の頭の中を駆け巡る。研究は途上である。視界は悪く、道があるのかどうかさえ定かではない。しかも、自分が糸口を掴んでいるのかどうかの確証もないまま時間を浪費しているという感じを抱かないでもない。ただし、私は人間とは違い、時間は豊富に持っている。それに、もっと気にかかるところがある。
「結果だけ手に入っても、ね」
「不満ですか」
「再現性がないじゃない」
「私の中の魔法使いに対するイメージを変える必要がありそうですね。まるで理系の研究者です」
「何よ、それ」
それからしばらく、私は早苗に魔法使いとは如何なる者かを説明することにした。彼女の認識を質すと、原因はカボチャが馬車になるなど研究の成果としての魔法を行使した場面しか知らないことにある、ということがわかったので、魔導書を読み聞かせ、「糸」を精製し、人形にどうやって魔力を通すかを実演することまでした。そして、魔法の威力を見せるために、人形を外まで歩行させて、爆発させてみせたのだ。ちなみに、これがヒントとなって「大江戸爆薬からくり人形」ができたのだが、それはまた別の話である。
早苗はまだ外の世界の類似したものに置き換えて考える癖があるようで、魔法と機械を同一視するかのような発言をした。結局のところ動力の違いだけであり、一定の原理をプログラミングして、何らかの方法で起動させることによって再現性のある結果を引き起こす点においては同じであるという。彼女は幻想郷においてそのような機械の研究・開発に勤しんでいる河童を知っており、今度紹介してくれるとのことである。考えれば、魔法使いと河童という一見奇妙な組み合わせは、共感できるところがあるために、存外意思の疎通は図りやすいのかもしれない。
このように脱線、いや、時間を有意義に浪費したため、話を元に戻しづらくなってしまった。そこで、ハーブティのおかわりを用意する。今度はレモングラスにタイムとローズマリーに、ペパーミントを少々。頭を軽く刺激して、もう一度、仕切り直し。もちろん、人形にやらせるのではなく、手ずから淹れるのだ。ティーポットに蓋をして、しばし蒸らしている間、私は「奇跡」について考えていた。字義だけで考えるならば、通常は起こり得ないような事象のことである。最近は、安易に奇跡という言葉が使われているため、その価値が下がりつつあるが、さて、早苗の言うところの奇跡はどうであろうか。ただ単に、起きる確率の低いことを指しているのであれば問題はない。しかし、本来であれば確率がゼロであったものを実現させるというのであれば……。
「早苗」
まだ、ハーブティは出来上がっていない。それでも、私には確かめなければならないことができてしまった。
「何でしょう」
「奇跡って、どういうものなの」
「それは、誰にとっての話でしょうか」
「誰でもいいわ。私でも、貴方でも、もっと言えば一般論でさえ」
しばし押し黙る早苗。
「……1%でも可能性のあることを実現させることは、真の奇跡ではありません。それは、人の能力の範囲内で起こせることだからです」
ここまでは予想通りである。
「じゃあ、可能性があるかどうかさえ不明な場合はどうなるのかしら」
「確証はありませんが、私の能力からして、遡ってそれは奇跡として起こし得るものであった、ということになるのではないでしょうか」
「そうすると、ここで貴方が奇跡を起こして自律人形を創り出したら、私の研究は本当に終わってしまうのね」
「そういうことに、なりますねぇ」
ここで、早苗にティーカップを差し出す。私も自分の為に一杯、香りと、次いで味を確かめる。自画自賛になるが、タイムの香りとレモンの風味が程よく合わさった、良いものだと思う。
「だったら、せっかくの申し出だけど、断らせてもらうわ。私はまだ、自分の力で成し遂げられると思っているから」
早苗も私の自信作を一口飲んで、少し表情が明るくなった。
「残念ですけど、仕方がないですね」
「何が残念なのよ」
「いえ、自律人形、一度奇跡として起こしてしまえば、アリスさんは私に頭を下げるしかなかったんでしょう」
「ま、そういうことになるわね」
「何か、いいじゃないですか。そういうの」
早苗は、見かけによらず、そういう性癖を持っているのかもしれない。何というか、やはり巫女だ。そういう感想を抱いてしまうあたりが、幻想郷という場所の異常さを表しているとも思う。ただし、残念がっていたかと思った早苗だが、すぐに言葉を継いだ。
「でも、忘れないでいてください。私が奇跡を起こせるってこと」
「別にいいけど、どうして?」
「もし、仮にですよ。アリスさんの研究が頓挫して、諦めざるを得ないにも関わらず、どうしても諦めきれないときは、私のところに来てくださいね。そのときのアリスさんは、きっと瞳に絶望を湛えながら私に縋るんです。想像するだけで、なんかこう、ゾクっときちゃいます」
何だか変なスイッチが入ってしまったようだ。おーい、早苗ー。帰って来ーい。
「はっ。私、何か変なことを……。す、すいません」
「いや、別に構わないわよ。私だって、早苗から縋りつくように懇願されたら、まぁ色々と虐めたくなるだろうし」
「うわぁ……」
「えっ、そこで引くの!?」
微妙に気まずい沈黙が流れるが、二人で顔を見合せて、吹き出してしまう。どうやら、私と早苗には似ているところがあるようだ。それを知ることにより、きっと私たちは壁を一つ、崩したんだろう。良いか悪いかは別として、これからは、楽しみが増えるような気がする。
いつの間にか、窓の外が暗くなっている。今日は楽しい気分になったので、私はもう一つ、茶目っ気を出すことにした。
「そういえば、早苗は、道に迷って偶然ここに辿り着いてしまった、と言っていたわね」
私は何とも自然な笑顔でそう言った。私の言わんとすることは、早苗にもすぐに伝わったらしい。殊勝な態度で返してきた。
「ええ。帰り道もわからないし、もう辺りも暗くなってしまって危険です」
「私は優しいから、そういう人を放っておけないの」
「それじゃあ、申し訳ないですが、今日はアリスさんの優しさに甘えちゃいますね」
そんな寸劇をやってから、二人で色々なことを語り合った。私は私がされたのと同じように早苗のことについて質問したし、また、外の世界にあるという夢と魔法の国についての話などは、特に興味深かった。そこを治めるのはネズミの姿をした者で、何でも彼の食べ物は、人々の夢だというのだ。しかも、その姿を見た女性はたちまち魅了されてしまうのだという。容姿は長いこと変化がないというので、やはり妖怪と思われるが、外の世界にそのような強力な魔法を使う妖怪がいるなどとは思ってもいなかったことである。そんな話をしていると、すぐに夜も更けていった。
なお、念のために言っておくが、二人の間には何らやましいことはなかった。例え、二人でお湯を使い、同じベッドで就寝して、朝はカーテンの隙間から陽光が差し込みスズメがチュンチュンと鳴くなかで目覚めたとしても、何にもなかったと断言できる。ただ、普段よりは、遅く起きた朝だった。
ありがとう。
システム的に100点が限界だけど心情的には10000点。
個人的には地の文に関してもう少し改行などが欲しいところではありますが、二人の間の空気が素晴らしかった。
サナアリと聞いて連想する平和さや落ち着きがよく表現できていたように思います。
ところで某ねずみはもしかしてディz……うわなにすrやmあqswでfrgtyふじこlp;@:「」
しかし、隠れSな早苗さんの、なんと素晴らしい事か。
そして朝チュンを天狗にフライデーされて色々なところと修羅場ですね、分かります。
長年求めていた物がここにあった!!!!
続編激しく期待!!!
最後のネズミーランドに吹きました
ミッ○ー…恐ろしい子!
もっと読みたい。
90点にしたのは続編を期待してるからであって他意はないw
・・・あれこんな夜中に誰だろう
しかしこれは限りなく理想に近い
ハハッ(甲高い声で)
良い味してますね……。
この二人のやり取りいいなぁ
スラスラと読めました
山や谷はあってもなくても良い。ただ二人の空気で和みたい。
四コマ漫画本みたいな感じの短編詰め合わせでも良いから書いてくれませんか。
素敵な作品にめぐり合えた。
都会派同士? の会話ですね。
早苗とアリスってイイ!
愉しませていただきました。
キャラが理想通りすぎて好きすぎる
>「風の音」
このセンスに脱帽した
描写も含め文句なく100点入れさせていただきます
もっと読みたい感じと、妙に満足した感じが入り混じったw