今日はホワイトデーだ。
まあだからといって別に僕の生活に何か影響があるわけじゃない。しいて言えば、今日は香霖堂が女性限定で通常価格より三割引、といったところか。無論客が来なければ割引も意味がない。
それでも僕はこの香霖堂の店主として来客を待たなくてはいけない。例えまだ肌寒い朝だったとしても、例えこの香霖堂が魔法の森の入り口付近にあり、来客がほとんどなかったとしても、一応利用してくれる人がいるのだ。例えば――
「おーす、香霖。暇そうだなー」
「魔理沙は違うな」
「何がだよ」
突然現れた魔理沙に、僕は思っていたことを口走る。
「魔理沙は客じゃないな、って言ったんだ」
と、僕は読んでいた本に栞を挟んで閉じながら言った。
「おいおい、そりゃどういうことだ?」
「君は物をほとんど買ったことがないじゃないか」
「一応借りてるぜ?」
「生憎うちは物の貸し出しをしていないんだよ。というわけで返してくれないか? 今まで貸したものを」
「私が死んだらな」
つまり、あと九十年くらいか。いや、もし魔理沙が人間を辞めたら更に待たなくてはならなくなる。
……まあいいか。どうせろくな物は盗られていない。
「まあ、今日は本当に客じゃないんだけどな」
「?」それはどういうことだろう?
魔理沙は混乱している僕の顔を見て言う。
「ちょっと匿って欲しいんだ。一時間くらい」
「匿う? 誰から?」
「主にアリスとかパチュリーとかから。今日はホワイトデーだからな」
ああ、と僕は大体の事情を把握した。
魔理沙は師である魅魔の元を離れてから、たくさんの人物と交友関係を持つようになった。旧知である霊夢やアリスのほか、さっき挙がったパチュリーや、紅魔館の吸血鬼の妹や、門番、永遠亭の月の兎、河童の技術者、守矢神社一同など、挙げればきりがないくらいだ。
僕の記憶が正しければ魔理沙は一ヶ月前のバレンタインデーに大量のチョコレート類をもらってはしゃいでいたような気がする。
つまり、その時のツケが今日廻ってきたわけだ。
「でも取り立てにくるとは限らないんじゃないか? 中には君にチョコを渡すだけでいい、って人もいるんじゃないか?」
「いや、現に朝飯食ってたら守矢神社の神様二人が押しかけてきた。で、相手してたら今度はアリスが、更には滅多に外に出ないはずのパチュリーまで来た。それで、相手にしていられないから今までに無いくらいの速度でここまで逃げてきたんだ。途中で博麗神社を迂回してきたからあいつら今頃霊夢んとこいると思うぜ」
ならもう一時間もしないうちに数人の少女たちがここに押しかけてくるだろう。
「いっそのこと全員分のお返しを用意すればいいんじゃないか?」
「馬鹿言うなよ。そんな事したら私は確実に破産するぞ」
どんだけ貰っているんだ君は。
「それにそんなの私らしくないじゃないか。想像できるか? 私が律儀にお返しする姿が」
「無理だな」
「即答すんなよ……」
「冗談だよ」
魔理沙は律儀ではないが割りと義理は硬い。
「じゃあ誰か特定の相手に絞って渡したらどうだ?」
「それは……できない」
魔理沙は難しい顔をして答える。
「それで誰かが傷つくくらいなら、誰も選ばない方がマシだ」
「……………」
これは魔理沙の選択肢だ。それで魔理沙自身が正しいと思っているのならそれでいい。そもそも僕が口出しできることじゃない。
「ところで――」魔理沙は話題を変える。「香霖はどうなんだ? 誰かに貰ったのかよ」
僕はふむ、と首を少し傾げてから、
「貰ったよ」
と答えた。
「は!? 嘘だろ!? ――っあ、霊夢か。霊夢から義理チョコを貰ったんだな」
「こう言っちゃ霊夢に悪いけど、彼女が誰かにチョコを渡すと思うかい?」
「……ないな」
魔理沙は苦笑して言う。
「じゃあ、誰だよ?」
僕は自分が少しほくそえんでいるのが分かった。
「藍さん」
「らん!?」
魔理沙は目をパチクリさせ、大声を上げた。おお、驚いてる。
「らんって、八雲藍か! あの八雲紫の式!」
「他に誰がいるんだい?」
僕らの知り合いに『らん』という名前の人物は彼女しかいない。
八雲藍。幻想郷の賢者・八雲紫の式である妖獣だ。彼女は冬になると定期的に香霖堂ストーブの燃料を持ってきてくれる。
「どうせ義理だろ?」
魔理沙はニヤニヤと笑いながら僕に訊く。……そんなに僕がチョコをもらえたことが珍しいことなのだろうか?
「うーん、どうだろう? 分からないな」
「どういう状況だったんだ? 詳しく聞かせろよ」
僕はその時のことを魔理沙に話した。
僕が藍さんからチョコを貰ったのはバレンタインデーの終わった翌日の朝だ。その日、藍さんはいつものように香霖堂にストーブの燃料を持ってきてくれた。
しかし、彼女の様子はいつもとは違った。いつも凛としている彼女が、その日に限って赤面し、言動もどこかおかしかった。何かあったかと訊いてみても、『なんでもない』の一点張りだった。
そして、燃料とともに白い紙で出来た箱を『紫様からだ』と言って僕に渡してきた。箱の中を覗くとチョコレートケーキが入っていた。クリームやホワイトチョコで丁寧にデコレートされていて一目見ただけでこれが相当手の込んだものだというのが分かった。
『バレンタインだからな』
それだけ言うと彼女は去って行った。
顔を赤面させたまま。
「香霖、そりゃ藍からじゃないぜ」
魔理沙は僕の話を聞き終わると笑いながらそう言った。
「どういうことだ?」
「そのまんまの意味だ。それは藍からの物じゃない。十中八九、いや、絶対に紫からだぜ」
紫さんから?
だがそれは――
「それこそ無いだろ」
「ん? どうしてだ?」
「よく考えてみろ、魔理沙。君は忘れているかもしれないが、あの人は幻想郷の賢者だ。その賢者がこんなしがない古道具屋に心動かされるわけが無いじゃないか」
「しかし香霖。お前こそ忘れてるぜ」
忘れている? 僕が何を?
「紫は幻想郷の賢者である前に、一人の女なんだぜ」
「……………」
僕は一瞬、魔理沙が何を言っているのか解らなかった。
そんなこと、見なくたって分かる。
「義理だとか本命だとかはともかく、紫はお前を気に入ってると思うぜ。結構頻繁に来てるしな。それに、まず藍からのって方があり得ないと思うぜ」
「そうか?」
「ああ、そうだ。香霖にしては冴えてない考えだ。ほら、考えてみろ。あの藍が自分の私用に主の名前を利用すると思うか?」
「……確かに」
僕にしては浅い考えだった。あの真面目な藍さんが主人を利用するはずが無い。藍さんならおそらく、そういうときには他の人の名前を使うか、潔く自分からだと言って渡しに来るだろう。
彼女が紫さんの代わりに来たのは紫さんが冬眠中だから(まあそれは考えるまでも無いが)。そして赤面していたのは、おそらく主人の代わりとはいえいわゆる“親愛の形”を渡すのが気恥ずかしかった為だろう。
なんだかだんだん分かってきたぞ。
「ありがとう、魔理沙。今日は随分冴えてるな」
「伊達に恋色の魔法使いはやってないぜ」
魔理沙は胸を張ってそう言った。
『恋色の魔法使い』ね……。
自分のことはどうにも出来ないのに何を言っているのだろう。
「――さて、最後に恋色の魔法使いである霧雨魔理沙様から一言」
魔理沙はそう言いながらニッコリと笑った。
「私の勘が正しければ、今日中に紫の奴、ここに来るぜ。どうも今年は早起きらしい」
「……本当か?」
「ああ、賭けてもいいぜ。もし来なかったら今まで借りた物、全部返してやるよ」
そう言うと魔理沙は愛用の箒に跨り、
「他の連中が来たら家に帰ったって伝えといてくれ」
と言い残して香霖堂を後にした。
その魔理沙の言付けが本当のことかどうかは、言わずとも分かるだろう。
結局その日は魔理沙を訪ねてくる少女たち以外の来客は無く、ホワイトデーサービスは無かったことにされた。
「……はあ」
疲れた。いつもに増して疲れた。来客数は過去最多だったかもしれないが、あれを客としてカウントしてもいいのだろうか?
ふと、窓の外を見る。いつの間にか日が暮れて夜になっていた。これ以上来客は望めそうにないな。そろそろ閉店にしよう。
僕はカウンターの自分専用の席を立ち、店の出入り口の鍵を閉める。尤も、こんな所に来る泥棒などいないので鍵を閉める意味は特に無い。もし泥棒が来たとしてもこんな簡単な鍵が何か役に立つとは思えない。
「夜分に失礼」
ふと、後ろから声がした。秋の終わり以来聴いていない声。苦手なんだけど少し安心できる、懐かしい声。
魔理沙、賭けはどうやら君の勝ちのようだ。
「こんばんは、霖之助さん」
僕は振り返る。
紫さんが微笑みながら立っていた。
「おはようございます。紫さん」
僕は挨拶を返す。
「あら? なぜ『おはよう』なのかしら? もう夜だというのに」
「冬眠明けだからですよ。それより、夜だと思うなら来店を控えたらどうですか?」
「迷惑だったかしら?」
「いいえ」
「そう、それはよかった」
紫さんはそう言って手に持っていた扇子で口元を隠して上品に笑った。
「ところで、今日は用があってきました」
「用?」やはりか。僕は笑いを隠しながら訊く。「買い物ですか?」
「いえ。そもそも貴方の店にあるもので私の欲しいものの大体は私の力で手に入ります」
「……ああ、そうですか」何だか少し傷ついた。
「貴方は今日が何の日かご存じないのですか?」
「今日? 今日は何かありましたっけ?」
僕は紫さんをおちょくるように惚けてみせる。
「今日はホワイトデーです。ご存知なのでしょう? 惚けても無駄ですわ」
「まさか。知りませんでしたよ」
「嘘はいけませんよ。さっき表に『ホワイトデーにつき三割引』という看板が立てかけてあるのを見てきましたから」
……………。
「……見てきたんですか。スキマを使ってうちに入ってきたくせに」
「ええ。貴方がこうして私をからかう事をあらかじめ予想していましたから」
紫さんはニコニコと笑いながらそう言った。
この人はやっぱり人のことを見透かしているようだ。
「で、今日はホワイトデーですが、それが貴女がこんな夜分に来たことと、何か関係があるのですか?」
僕はあくまで惚けようと、紫さんに訊く。
「ホワイトデーがどういう日か、ご存知でしょう?」
「……さあ?」
「貴方の薀蓄も、意外とたいしたことないのね」
僕は速攻で折れた。
「ホワイトデーと言うのは日本でバレンタインデーの風習が定着するに従って、若い世代の間でそれにお返しをしようと生まれた風潮で――」
「それだけわかっていれば十分ですわ」
「……………」
……僕は何をしているのだろう?
「というわけで私はお返しを貰いに来ました。貰っていますよね? 藍から」
「確かに貰いましたよ。でも、貴女はバレンタインデーの時期は冬眠していたはずですよね?」
「冬眠していると言っても別に四六時中眠っているわけではありませんわ」
そうなのか。僕はてっきりこの人は熊や蛙の様に春が来るまでずっと眠っているのかと思っていた。
「ということはもしかしてあのケーキは貴女が?」
「ええ。意外かしら?」
「そうですね。貴女が自ら料理をする姿は少し想像し難いですから」
「あら、失礼しちゃうわ。私だって女ですもの。こういう時くらい自分で作りますわ」
『一人の女なんだぜ』
魔理沙の言葉が頭の中でよみがえる。
ああ、そうだな。その通りだ。
「と、いいましても僕は何もお返しの準備はしていませんよ」
「あら……」
紫さんは少し考えると、ぽん、と手を叩いた。
「それなら、夕飯をご馳走してもらいましょうか」
夕食後も、紫さんはうちに居座り続けた。
もう夜も遅いと僕が言っても、紫さんは「日が変わるまではホワイトデーよ」と屁理屈を言って一向に帰ろうとしない。まあ特に無理矢理家に帰す理由も無いので僕は紫さんに風呂に入ってもらい、食事の後片付けをする。そのうち藍さんが迎えに来るだろうし、日が変われば素直に帰るだろう。着替えは……おそらくスキマを使って取り寄せるだろう。
僕の片付けが一段落付いたところで紫さんが風呂から出てくる。案の定、紫さんは寝間着らしき服に着替えていた。
「いい湯でしたわ。次、どうぞ」
僕は言う通りに風呂に入る。
風呂から出ると紫さんは縁側で晩酌していた。
「待ちくたびれましたわ。さ、隣に」
紫さんの周りには既に空になった酒瓶(うちには無かったものだ)が大量に置いてある。顔も真っ赤だ。どうやら文字通り鬼のような勢いで酒を飲んでいたらしい。
「どうしたんですか?」
僕は紫さんの隣に腰掛けて訊く。
「何が?」
「顔が真っ赤ですが」
「まさか」
紫さんはフフフと笑いながら僕にお猪口を渡した。
……駄目だ、完全に酔っている。
「ねえ、霖之助さん」
紫さんは僕に寄りかかってきた。
「……なんでしょう」
紫さんの潤んだ瞳が僕を見つめる。
心臓の鼓動が早くなる。
熱い。体温が上がっている。
おかしい、僕はまだ一口も酒を飲んでいないのに。
「霖之助さん……」
再び僕の名を呼ぶ。
「私……貴方が……」
かくん。
急に紫さんがうな垂れる。
「……………」
……へ?
「……紫、さん?」
試しに揺さぶってみるが、反応が無い。
顔を覗いてみると、紫さんは幸せそうな寝顔をしていた。
「……………」
僕は紫さんをその場に寝かせると、布団を敷きに部屋の方に這入っていった。
なぜ紫さんはこんなやけ酒をしたのか。バレンタインデーは義理だったのか、本命だったのか。ホワイトデーには何か真意があったのか。その辺の疑問はいつか本人から聞こう。
とりあえず、今は幻想郷の賢者のおそらく誰も知らないであろう一面を見ることが出来て、僕は満足だ。
式神に姿を変えて渡すとは、流石ゆかりん
意外が以外になってましたよ
決してつまらなかったわけではないので次回作に期待
紫×霖之助好きだーーー
そんな手の込んだチョコレートケーキを貰って、本命と気付かない霖之助って……。
あと、魔理沙がこんなにモテる理由が解らないんですけど。
しかも好かれていない筈のアリスとパチュリーにまで?
これからも精進して下さい。
次はもっとボリュームのあるのを期待してますねー
ですが蘊蓄で速攻で釣られているシーンは笑わせて頂きましたww
これからの作品に期待しています。
彼女の行動全てが、ほほえましく思えてきます。
「ベタ」なのは、王道と同意でそれだけたくさんの人に
支持されてきた証拠だと思いますよ。
霖之助と紫の組み合わせってけっこういいよね、魔理沙となんか兄・妹みたいな気安い関係もぐっときました。
ゆかりん、霖之助の攻略は難しいぞwww
結果だけが先行しすぎてる気がしますね。
意外が以外になってましたよ>本当ですね。修正します。
中身が薄い>まあ確かにそこは否めませんね。次はもう少し厚い内容に出来るよう精進します。
ベタ、王道>それについてはおそらく私が⑨なのが原因だと思います。ひらめきが欲しいです。
魔理沙はアリスとパチュリーに好かれていない>確かに好かれてはいないかもしれませんが、少なくとも嫌われてもいないしょう。地霊殿で組んでるくらいですから。
補足ですが、私の魔理沙のイメージは『なぜか憎めなくて誰とでも仲良くなれる、少年なのか少女なのか分からない子供』です。よってたまに『こんなの魔理沙じゃねえwww』とか『男じゃねえかwww』と思われるかもしれません。ご了承ください。
魔理沙となんか兄・妹みたいな気安い関係もぐっときました>そう思ってもらえるとすごくうれしいです。霖之助と魔理沙の会話は歳の離れた兄弟をイメージして書いているので。
ええっと、これくらいでしょうか。
この作品に眼を通してくださったたくさんの方、評価およびコメントをしてくださったたくさんの方に感謝の意を籠めたいと思います。
次回はエイプリルフールネタか花見ネタを思いついたら書きます。
え、まじで、いっちゃうの? だだだ大丈夫ッ!?
と読者が思うくらいのギリギリの後に倒れると予定調和だとしてもオチが効いてくるのでは……。
ですが所詮、素人の個人的な感想です。お気を悪くされたら申し訳ありません。
「やめてください」ww
後書きのオチに吹いたw