梅が散り、早咲きの桜に見せ場を譲る頃。
雲一つない空と頂上より少し落ちた太陽が、神社の境内に居る二人の乙女を焦がしている。
両者とも、口を動かしつつ箒も動かす。手慣れた動作は年齢の割に年期を感じさせた。
一人は、此処、博麗神社の巫女、博麗霊夢。
もう一人は、山の上、守矢神社の風祝、東風谷早苗。
頬に僅かの汗を浮かべつつ、乙女二人は、口を動かし、箒を振りあげた。
――吠え、振りかぶる。
「守矢の風祝は、伊達じゃなぁい!」
「見える、私にも見えるぞ! てやっ!」
何やってんだ。年代位は合わせて欲しい。
――早苗の縦斬りを紙一重でかわし、霊夢は横凪ぎに得物を振るう。
一撃。瞬時に戻された得物で防がれる。早苗は笑った。霊夢は、嗤った。
巫女の連続攻撃に、風祝の額はいい音を鳴らした。べっちん。
「いったぁ……!」
「ふふん、読みはいいけど、詰めが甘いわ」
勝ち誇る霊夢を、両手で額を押さえながら早苗は唸りながら見る。
「動きも重――遅かったわよ」
そして、早苗は呟いた。
「うぅ……ラストシューティング」
放たれる一筋の弾幕。同じく額に的中。
「あいたぁ!? 弾幕は禁止……って、今どこから出した!?」
「遠隔式射撃武器とか? 意思を読み取り、勝手に動いてしまったんです……!」
「思いっきり狙ってたじゃないの!? 今度から、その髪飾りも禁止。いいわね!」
どちらかと言うと、インコムに近い。
掃除を終え、遊びも終え、少女二人は互いに赤くなった額を摩りつつ、境内を後にする。ランクが落ちた。
縁側に座り、早苗は庭を見る。散りかけの梅。咲きかけの桜。
何かが頭をよぎる。漠然としたもの。
形をなす前に、嗅覚がとらわれる。
甘い匂いと渋い匂い、そして、巫女の匂い。
二つの匂いと同じようにとらえてしまった事に内心苦笑しつつ、見上げる。
其処には、絶望が待っていた。
「ま、またチョコですか……」
「どーせ美味しい美味しい言いながら食べるんだから、文句言うな。緑茶もあるでよ」
「そうですけどぉ……バレンタインからこっち、遊びに来るたびチョコと言うのも……」
先ほどの運動は是を見越しての事ではあったのだが。
霊夢は聞かず、チョコレートと湯呑茶碗がのったお盆を置き、早苗の横に腰を下ろす。
「大体ねぇ、私なんて毎朝毎昼毎晩――」
「美味しいよぉ美味しいよぉ」
「早っ!?」
少女に、眼前の甘い誘惑を断ち切ることができようか。いや、できない。
「わ、これ、桃の味もします。微妙な酸味がまた……」
「どれ? あぁ、天子のね。こっちのもいけるわよ」
「塩コンブ内蔵チョコですか」
差出人は古明地さとりとなっていた。気遣いに感謝しつつ、けれど、霊夢は思わずにいられない。
「塩コンブだけ欲しかったなぁ……」
「贅沢なことを言うんじゃありません。めっですよ」
「へーへー、わかってますよぅ、早苗おねーちゃん」
減らず口兼憎まれ口を叩く霊夢に、早苗は呟く。
「もう少し揺らしてからの方が良かったですか……」
「何の話よ。――にしても、あんたも付き合いいいわよね。あんた自身、結構、貰ってるんじゃないの?」
「チョコですか? んー……そうですね、霊夢さんほどではないですが、頂きました」
指折り数える様を見て、霊夢は息をのんだ。吐いた。そして、再び、のんだ。
「って、何時まで数えてるのよ」
「それから、永遠亭の方々、妖夢さん、えーと……あらら?」
「……と言うか、私に持ってきた連中、あんたにも渡してんじゃない?」
そうなのかもしれない。
世界は腋を求めている。
もう駄目だこの幻想郷。
二人の湯呑茶碗に、ひらりと舞い落ちる花びら。散りゆく梅の花。
なんとはなしに、霊夢は尋ねる。
「あっちでもそうだったの?」
なんとはなしに、早苗は答える。
「でもないですね。若干、意味合いが違いましたし。……貰ったのは一回くらいかなぁ」
語る記憶は、おぼろげだった。
――風が吹く。まだ少し、肌寒い。
風に導かれた梅の花びらが、二人に着く。
一方に付いたものはすぐに落ち、一方に付いたものは留まった。
記憶の中の少女を思い出しながら、早苗は優しい微笑みを浮かべる。
「あ、でも、その子も――後輩だったんですけどね――、此方での意味合いに近かったと思いますよ。
惚れたのはれたの云々では……霊夢さん?」
睨まれている。
早苗はそう感じた。
瞳に込められているものは、嫉妬だろうか――(だったら、嬉しいんですけどね)。
霊夢が口を開く。妙にかくかくとしていた。
「梅吉よぅ。何故、お前は落ちねぇんだよぅ。おいらぁ、すぐに落ちたのによぅ」
「……梅太郎、お前ぇは無理し過ぎたんだぁ。身一つで絶壁に挑むなんてよぅ」
嫉妬は嫉妬だった。どちらかと言えば、嬉しくない類。
即興劇を終え、霊夢と早苗は笑いあう。
――私達、視線だけで思いが伝わるのね。
――ええ、霊夢さん。ですので、子供が泣きそうな顔で胸を見るのは止めてください。
あはは、うふふ。
「――誰が絶壁よ!? 是でも大きくなってるわよ! 足引っかける所だってあん!?」
「あ、ほんとだ。でも、まだ包める大きさです。子ども子ども。成長期成長期」
「誰が子どもで成長――さらっと今、あんた何したぁ!?」
霊夢は顔を赤くしながら思わず立ち上がる。
一方、早苗は湯呑茶碗を持ち上げ、両手で包みながら静かに飲む。
熱さと、甘さに慣れた舌の上に広がる渋みが、実に心地よかった。
「あぁ、やっぱり、先ほど感じた匂いはどれも美味しいですねぇ……」
一瞬、激昂する霊夢の背が凍る。
何故だかは、彼女にはわからない。
確かに凍った。まるで、ラストスペルを放つ直前の緊張感。
その冷たさが、霊夢に平静をもたらした。早苗の言葉じりを捉える。
「……私の事、子どもって言うけど、あんたの方が子どもじゃないの」
「えーと、……子ども?」
「其処は成長されていますね。……胸の話じゃない!」
もう一度、熱が注がれた。二度目なだけに沸騰するのも早い。
「違うとこよ、違うとこ。なんなら、証明してあげましょうか?」
「はぁ……袴を脱げと仰る? 私、ちゃんとは」
「何の話かーっ!」
言葉を被せつつ、的確に頭をはたく。危なかった。
蒙古斑の事かと――口に手を当て笑う早苗を一睨みし、霊夢は咳払いをしてから、続ける。
「あんたさ、さっき言っていたじゃない。後輩の子に貰ったのは、惚れたはれたじゃないって」
「ええ、まぁ、言いましたね。それがどうかしましたか?」
「その子、どんな様子だった?」
尋ねられ、記憶は鮮やかになる。
少女の、硬い口調とぎここちない動作。
朱に染めた頬は、見上げられていた視線は、正しく――。
「あ……」
零れた呟きに、質問者は首を振り、更に続けた。
「ったく。
……あんたさ、ちっちゃい頃、よく子どもっぽい悪戯されなかった?
で、もうちょい大きくなってからは、声をかけられたり」
解答者は頬を掻く。
「えっと……神事を習いにきたものとばかり」
言葉を出した時には、もうわかっていた。
「私でさえ概ね面倒なのに、普通の子がそれ目当てで来る訳ないでしょうが」
呆れた口調。表情は、してやったりと謳っている。
「向けられる好意に気付かない。――ほら、あんたの方が子どもじゃない」
言い切る。
数秒しても、反論はこない。
勝った! このお話終わり! ふふんと胸を張る霊夢。
確かに、言葉は返されなかった。
早苗は見上げる。
じっとじっと、見上げる。
言葉もなく、ただ、見上げる。
視線に気付いた霊夢に見返されても、ただ、じっと、見上げる。
「何よ?」
「はぁー……」
「な、何よ、その溜息!?」
「――霊夢さんの方が、子ども、です」
確信を持って告げられた。
「なぁ!? ふっざけんじゃないわよ、なんなら此処で脱いで」
「どうぞどうぞ。是非。あ、太陽も墜としましょうか」
「……いや、やっぱいい」
軽い口調だったが、一切の冗談を感じない。
視線を遮ると言う意味か。否。
昼を夜に一瞬にして変えると言う意味か。否。
早苗の視線は、太陽へと向けられていた。ヤバイ、風祝ヤバイ。マジヤバイ。
「と、ともかく! 私が子どもってんなら、同じように証明――」
「しましたけどね。霊夢さん、お茶がなくなってしまいました」
「何時きなさいよ!?」
混じった。
「えー、でもですね、私はお客さんですよぅ? 子どもじゃないらしい霊夢さんなら、お客さんにそんな」
「うがぁぁぁ、淹れてくりゃいいんでしょ、淹れてくりゃぁ!」
向けられる湯呑茶碗を乱暴に奪い取り、霊夢は床を必要以上に踏みしめ、奥に引っ込んだ。
縁側に座り、霊夢が戻ってくるのを待つ早苗は、ぼぅと庭を見た。散りかけの梅。咲きかけの桜。
何かが頭をよぎる。漠然としたもの。
――形は、成された。
成したのは、先ほどの会話が故。蘇った記憶からの連想。
早苗は、両腕を後ろに回し畳みに手をつき体を支え、なんとはなしに独りごちた。
「そっか。あっちじゃ、もう卒業式か……」
散りかけの梅。咲きかけの桜。風に揺れる、花々。
「なに、それ?」
後ろからの声。腕が交差する。背中合わせの姿勢。
傍に置かれた新しい緑茶の香りを新鮮に感じつつ、早苗は口を開く。
「……まだ怒ってます?」
「やかまし。いいから」
「えぇと……」
語る。
「私は高校の途中で此方に来たんで中学までなんですけどね、って、私、最終学歴中学校!?」
卒業式を。
「――此方の寺子屋みたいなものです。あちらはもっと大きくて、人数の桁も違いましたが」
式に至る学校生活を。
「――あちらでは飛べませんでしたけど、家自体は近かったんで、不便には感じませんでしたねぇ」
自身が過ごしてきた、あちらでの暮らしを。
「――帰りに、偶にですけどゲームセンターとかも寄ったりしました。『死ぬがよい』なんて酷いゲームもあったものです」
思い出すたびに口にし、あっちに行ったりこっちに行ったりしながら。
語る。
おぼろげだった記憶は、しかし、思い出されたばかりであったから、霊夢にも鮮やかに映った。
「懐かしいなぁ……」
なんとはなしに、早苗は呟く。
散りかけの梅。咲きかけの桜。呟きに揺れるのは、少女一人。
散りかけの梅。咲きかけの桜。問いに揺れるのは、少女一人。
なんとはなしに、霊夢は口を開く。
「早苗さ……あっちに帰りたいんじゃないの?」
振り向こうとした早苗は、けれど、体重をより預けられた為に、そのままでいるしかなかった。
霊夢の、自身より少しだけ高い体温を感じる。
問いには、一瞬、何も考えられなかった。
なんとはなしに、霊夢は続ける。
「『コウコウ』を卒業したいんじゃないの?
大きい場所で、沢山の友達に囲まれて、一緒にいたいんじゃないの?
飛べるけど、不便なこっちの暮らしなんて、したくないんじゃないの?
『げーむせんたー』とか言う所によって、一杯一杯、遊びたいんじゃないの?」
畳みかけられる言葉。
早苗は、自身が震えていることを理解しつつ、返した。
「どう、して……急に、そんな事を……?」
「べつ、に。なんとなく、そう思っただけ、よ……」
霊夢もすぐさま、返す。違ったのは――。
「うそ……なんとなく、なら、震えませんよ……ね?」
散りかけの梅。咲きかけの桜。言葉に揺れるのは、少女二人。
「だって……! だったら、なんで、あんなに、楽しそうに、話すのよ……っ」
途切れ途切れの声。
更に返ってきた声も、やはり震えていた。
けれど、霊夢と早苗が違っていたのは――。
「なんでって……く、あは、そりゃ」
「な、何笑ってるのよ!?」
笑みによる震え、可笑しさからくる震えだったこと。
「それは――霊夢さんに、お話しているからですよ」
散りかけの梅。咲きかけの桜。風に揺れる、花々。
同じように揺れていた少女は、もう揺れていなかった。
左手に重ねられた手が、霊夢にはどうしようもなく温かく感じられる。
「な――によ、それ」
「ふふ。子どもな霊夢さんには、わかりませんかねー」
「な、な、な、あんたねぇ……!」
あげられる怒声を受け流し、なんとはなしに、早苗は続けた。
「霊夢さん。……もし、私が戻りたいって言ったら、どう思われます?」
霊夢は振り向かなかった。
早苗は体重を預けていない。
振り向こうと思えば振り向けたのに、霊夢はそうしなかった。
霊夢は博麗の巫女である。
『何者に対しても平等に見る』者。
わかっていながら、早苗は問うた。
だから、どんな答えが返ってきたとしても、受け入れようと思っていた。
なんとはなしに、霊夢は応える。
「……好きにすればいいわ。私には……私は、どっちでも構わないもの……」
散りかけの梅。咲きかけの桜。風に揺れる、花々。
「そう……ですか。じゃあ、結界ぶち破って、戻っちゃおうかな」
「な――普通に戻れ! 仕事増やすな!? 大体、神奈子と諏訪子はどうすんのよ!?」
同じように揺れていた少女はもう揺れていなかった。
「えー、霊夢さんが気にされることではないじゃないですかー」
「や、やかましい! あんたなんかさっさと戻ってしまえ!」
――左手に重ねられた手が、早苗にはどうしようもなく愛おしく感じられる。
「あ、じゃあ、私が頂いたチョコも、霊夢さんにお願いしますね。お返しも。二倍二倍」
「にばいにばーい……ふざけんなぁ! ウチを破産させる気か、あんた!?」
「返される気、あったんですね……。じゃあ、私は霊夢さんがいいなぁ」
「うがぁぁぁ、早苗なんて、戻れ、戻ってしまえーっ!」
強く握られた自身の手が、絡められた相手の指が、なんとはなしに、乙女二人の本心を告げていた――。
……少しして。早苗は、小声で霊夢に話しかける。
「――霊夢さん。『ぱぁぅわおぶらぶ』って言葉、知ってます?」
「は? えっと、何語? 英語なら少しは知ってる筈なんだけど」
「……いえ、もういいです。少し、増やさせて頂きますね」
何をよ――問う前に、振り向かされ、沈められた。胸に。
「もふぁ!?」
「体が熱い……! 力が溢れる……!!」
呟き、霊夢を開放する早苗。
目を白黒させ、巫女は風祝に問う。
「何すんのよ、いきなり!」
「これ。髪飾り。先程、勝手に反応したって言いましたよね?」
「さっき、って、あぁ、掃除の後? それが、今更どうしたのよ」
撃たれた額を摩り、霊夢はまだぼぅとした顔をしたまま、首を傾げる。
「普段はただの髪飾りなんですよ」
早苗は霊夢に笑みを浮かべ――天狗にも劣らぬ瞬発力で、板を蹴った。
「ですけど、お近くにおられますと、動いちゃうんです」
縁側。
二人が見える場所。
無限にあるかのような選択肢の答えを手繰り寄せ、早苗は空間を掴み、静かにこじ開けた。
「――途中、消えたんで帰られたと思っていたんですが……器用に気配を絶っていただけ、でしたか」
開けた先から、声が二つ、届く。
「か、神奈子、しっかりして神奈子ー!?」
「紫、大丈夫だよ! 神奈子は早苗が自分以外にチョコ渡したってだけでぶっ倒れるんだから! もう!
や、今は可愛い二人のラブシーンをぅわお、早苗!?」
「え、何の冗談……って、嘘、単体で私の隙間を見つけて、しかも開けたの!?」
「開けたのは前にもやってたよ。――ね、ねぇ、なんか、早苗の力、可笑しくない!?」
「洩矢の力と、博麗の力……う、そ、龍神、級……?」
「ちょっと待てー!? インフレし過ぎでしょ、そ――」
「諏訪子様」
「は、はいっ!?」
「――を、お借りしますね。紫さん」
「な! 友人を見捨てるなんて私には、あ、どうぞ!」
「紫ぃぃぃ!?」
「其処で見ておいてくださいな。――さぁ、諏訪子様。神遊びを始めましょう」
《文にも書けない恐ろしさ》
「――紫さん。二度と、お覗きになられぬよう」
「は、はい……」
顔を愛する式の様な色にし、それ以上に自身の名に近い色の顔をした二柱を横目に入れつつ、紫は素直に頷いた。
隙間が閉じたことを確認し、早苗は戦利品を持ち霊夢の元へと戻った。
頭を叩き、霊夢はぼんやりしていた意識を回復させる。
漸くすっきりとした頭で早苗を見上げるが――霊夢には、早苗の表情がよくわからない。
早苗は戦利品の帽子を両手に持ち、なんとはなしに、言った。
「諏訪子様です」
親とも評される二柱をのした早苗は、なんとはなしに、彼女達から卒業したのかもしれない――。
<了>
雲一つない空と頂上より少し落ちた太陽が、神社の境内に居る二人の乙女を焦がしている。
両者とも、口を動かしつつ箒も動かす。手慣れた動作は年齢の割に年期を感じさせた。
一人は、此処、博麗神社の巫女、博麗霊夢。
もう一人は、山の上、守矢神社の風祝、東風谷早苗。
頬に僅かの汗を浮かべつつ、乙女二人は、口を動かし、箒を振りあげた。
――吠え、振りかぶる。
「守矢の風祝は、伊達じゃなぁい!」
「見える、私にも見えるぞ! てやっ!」
何やってんだ。年代位は合わせて欲しい。
――早苗の縦斬りを紙一重でかわし、霊夢は横凪ぎに得物を振るう。
一撃。瞬時に戻された得物で防がれる。早苗は笑った。霊夢は、嗤った。
巫女の連続攻撃に、風祝の額はいい音を鳴らした。べっちん。
「いったぁ……!」
「ふふん、読みはいいけど、詰めが甘いわ」
勝ち誇る霊夢を、両手で額を押さえながら早苗は唸りながら見る。
「動きも重――遅かったわよ」
そして、早苗は呟いた。
「うぅ……ラストシューティング」
放たれる一筋の弾幕。同じく額に的中。
「あいたぁ!? 弾幕は禁止……って、今どこから出した!?」
「遠隔式射撃武器とか? 意思を読み取り、勝手に動いてしまったんです……!」
「思いっきり狙ってたじゃないの!? 今度から、その髪飾りも禁止。いいわね!」
どちらかと言うと、インコムに近い。
掃除を終え、遊びも終え、少女二人は互いに赤くなった額を摩りつつ、境内を後にする。ランクが落ちた。
縁側に座り、早苗は庭を見る。散りかけの梅。咲きかけの桜。
何かが頭をよぎる。漠然としたもの。
形をなす前に、嗅覚がとらわれる。
甘い匂いと渋い匂い、そして、巫女の匂い。
二つの匂いと同じようにとらえてしまった事に内心苦笑しつつ、見上げる。
其処には、絶望が待っていた。
「ま、またチョコですか……」
「どーせ美味しい美味しい言いながら食べるんだから、文句言うな。緑茶もあるでよ」
「そうですけどぉ……バレンタインからこっち、遊びに来るたびチョコと言うのも……」
先ほどの運動は是を見越しての事ではあったのだが。
霊夢は聞かず、チョコレートと湯呑茶碗がのったお盆を置き、早苗の横に腰を下ろす。
「大体ねぇ、私なんて毎朝毎昼毎晩――」
「美味しいよぉ美味しいよぉ」
「早っ!?」
少女に、眼前の甘い誘惑を断ち切ることができようか。いや、できない。
「わ、これ、桃の味もします。微妙な酸味がまた……」
「どれ? あぁ、天子のね。こっちのもいけるわよ」
「塩コンブ内蔵チョコですか」
差出人は古明地さとりとなっていた。気遣いに感謝しつつ、けれど、霊夢は思わずにいられない。
「塩コンブだけ欲しかったなぁ……」
「贅沢なことを言うんじゃありません。めっですよ」
「へーへー、わかってますよぅ、早苗おねーちゃん」
減らず口兼憎まれ口を叩く霊夢に、早苗は呟く。
「もう少し揺らしてからの方が良かったですか……」
「何の話よ。――にしても、あんたも付き合いいいわよね。あんた自身、結構、貰ってるんじゃないの?」
「チョコですか? んー……そうですね、霊夢さんほどではないですが、頂きました」
指折り数える様を見て、霊夢は息をのんだ。吐いた。そして、再び、のんだ。
「って、何時まで数えてるのよ」
「それから、永遠亭の方々、妖夢さん、えーと……あらら?」
「……と言うか、私に持ってきた連中、あんたにも渡してんじゃない?」
そうなのかもしれない。
世界は腋を求めている。
もう駄目だこの幻想郷。
二人の湯呑茶碗に、ひらりと舞い落ちる花びら。散りゆく梅の花。
なんとはなしに、霊夢は尋ねる。
「あっちでもそうだったの?」
なんとはなしに、早苗は答える。
「でもないですね。若干、意味合いが違いましたし。……貰ったのは一回くらいかなぁ」
語る記憶は、おぼろげだった。
――風が吹く。まだ少し、肌寒い。
風に導かれた梅の花びらが、二人に着く。
一方に付いたものはすぐに落ち、一方に付いたものは留まった。
記憶の中の少女を思い出しながら、早苗は優しい微笑みを浮かべる。
「あ、でも、その子も――後輩だったんですけどね――、此方での意味合いに近かったと思いますよ。
惚れたのはれたの云々では……霊夢さん?」
睨まれている。
早苗はそう感じた。
瞳に込められているものは、嫉妬だろうか――(だったら、嬉しいんですけどね)。
霊夢が口を開く。妙にかくかくとしていた。
「梅吉よぅ。何故、お前は落ちねぇんだよぅ。おいらぁ、すぐに落ちたのによぅ」
「……梅太郎、お前ぇは無理し過ぎたんだぁ。身一つで絶壁に挑むなんてよぅ」
嫉妬は嫉妬だった。どちらかと言えば、嬉しくない類。
即興劇を終え、霊夢と早苗は笑いあう。
――私達、視線だけで思いが伝わるのね。
――ええ、霊夢さん。ですので、子供が泣きそうな顔で胸を見るのは止めてください。
あはは、うふふ。
「――誰が絶壁よ!? 是でも大きくなってるわよ! 足引っかける所だってあん!?」
「あ、ほんとだ。でも、まだ包める大きさです。子ども子ども。成長期成長期」
「誰が子どもで成長――さらっと今、あんた何したぁ!?」
霊夢は顔を赤くしながら思わず立ち上がる。
一方、早苗は湯呑茶碗を持ち上げ、両手で包みながら静かに飲む。
熱さと、甘さに慣れた舌の上に広がる渋みが、実に心地よかった。
「あぁ、やっぱり、先ほど感じた匂いはどれも美味しいですねぇ……」
一瞬、激昂する霊夢の背が凍る。
何故だかは、彼女にはわからない。
確かに凍った。まるで、ラストスペルを放つ直前の緊張感。
その冷たさが、霊夢に平静をもたらした。早苗の言葉じりを捉える。
「……私の事、子どもって言うけど、あんたの方が子どもじゃないの」
「えーと、……子ども?」
「其処は成長されていますね。……胸の話じゃない!」
もう一度、熱が注がれた。二度目なだけに沸騰するのも早い。
「違うとこよ、違うとこ。なんなら、証明してあげましょうか?」
「はぁ……袴を脱げと仰る? 私、ちゃんとは」
「何の話かーっ!」
言葉を被せつつ、的確に頭をはたく。危なかった。
蒙古斑の事かと――口に手を当て笑う早苗を一睨みし、霊夢は咳払いをしてから、続ける。
「あんたさ、さっき言っていたじゃない。後輩の子に貰ったのは、惚れたはれたじゃないって」
「ええ、まぁ、言いましたね。それがどうかしましたか?」
「その子、どんな様子だった?」
尋ねられ、記憶は鮮やかになる。
少女の、硬い口調とぎここちない動作。
朱に染めた頬は、見上げられていた視線は、正しく――。
「あ……」
零れた呟きに、質問者は首を振り、更に続けた。
「ったく。
……あんたさ、ちっちゃい頃、よく子どもっぽい悪戯されなかった?
で、もうちょい大きくなってからは、声をかけられたり」
解答者は頬を掻く。
「えっと……神事を習いにきたものとばかり」
言葉を出した時には、もうわかっていた。
「私でさえ概ね面倒なのに、普通の子がそれ目当てで来る訳ないでしょうが」
呆れた口調。表情は、してやったりと謳っている。
「向けられる好意に気付かない。――ほら、あんたの方が子どもじゃない」
言い切る。
数秒しても、反論はこない。
勝った! このお話終わり! ふふんと胸を張る霊夢。
確かに、言葉は返されなかった。
早苗は見上げる。
じっとじっと、見上げる。
言葉もなく、ただ、見上げる。
視線に気付いた霊夢に見返されても、ただ、じっと、見上げる。
「何よ?」
「はぁー……」
「な、何よ、その溜息!?」
「――霊夢さんの方が、子ども、です」
確信を持って告げられた。
「なぁ!? ふっざけんじゃないわよ、なんなら此処で脱いで」
「どうぞどうぞ。是非。あ、太陽も墜としましょうか」
「……いや、やっぱいい」
軽い口調だったが、一切の冗談を感じない。
視線を遮ると言う意味か。否。
昼を夜に一瞬にして変えると言う意味か。否。
早苗の視線は、太陽へと向けられていた。ヤバイ、風祝ヤバイ。マジヤバイ。
「と、ともかく! 私が子どもってんなら、同じように証明――」
「しましたけどね。霊夢さん、お茶がなくなってしまいました」
「何時きなさいよ!?」
混じった。
「えー、でもですね、私はお客さんですよぅ? 子どもじゃないらしい霊夢さんなら、お客さんにそんな」
「うがぁぁぁ、淹れてくりゃいいんでしょ、淹れてくりゃぁ!」
向けられる湯呑茶碗を乱暴に奪い取り、霊夢は床を必要以上に踏みしめ、奥に引っ込んだ。
縁側に座り、霊夢が戻ってくるのを待つ早苗は、ぼぅと庭を見た。散りかけの梅。咲きかけの桜。
何かが頭をよぎる。漠然としたもの。
――形は、成された。
成したのは、先ほどの会話が故。蘇った記憶からの連想。
早苗は、両腕を後ろに回し畳みに手をつき体を支え、なんとはなしに独りごちた。
「そっか。あっちじゃ、もう卒業式か……」
散りかけの梅。咲きかけの桜。風に揺れる、花々。
「なに、それ?」
後ろからの声。腕が交差する。背中合わせの姿勢。
傍に置かれた新しい緑茶の香りを新鮮に感じつつ、早苗は口を開く。
「……まだ怒ってます?」
「やかまし。いいから」
「えぇと……」
語る。
「私は高校の途中で此方に来たんで中学までなんですけどね、って、私、最終学歴中学校!?」
卒業式を。
「――此方の寺子屋みたいなものです。あちらはもっと大きくて、人数の桁も違いましたが」
式に至る学校生活を。
「――あちらでは飛べませんでしたけど、家自体は近かったんで、不便には感じませんでしたねぇ」
自身が過ごしてきた、あちらでの暮らしを。
「――帰りに、偶にですけどゲームセンターとかも寄ったりしました。『死ぬがよい』なんて酷いゲームもあったものです」
思い出すたびに口にし、あっちに行ったりこっちに行ったりしながら。
語る。
おぼろげだった記憶は、しかし、思い出されたばかりであったから、霊夢にも鮮やかに映った。
「懐かしいなぁ……」
なんとはなしに、早苗は呟く。
散りかけの梅。咲きかけの桜。呟きに揺れるのは、少女一人。
散りかけの梅。咲きかけの桜。問いに揺れるのは、少女一人。
なんとはなしに、霊夢は口を開く。
「早苗さ……あっちに帰りたいんじゃないの?」
振り向こうとした早苗は、けれど、体重をより預けられた為に、そのままでいるしかなかった。
霊夢の、自身より少しだけ高い体温を感じる。
問いには、一瞬、何も考えられなかった。
なんとはなしに、霊夢は続ける。
「『コウコウ』を卒業したいんじゃないの?
大きい場所で、沢山の友達に囲まれて、一緒にいたいんじゃないの?
飛べるけど、不便なこっちの暮らしなんて、したくないんじゃないの?
『げーむせんたー』とか言う所によって、一杯一杯、遊びたいんじゃないの?」
畳みかけられる言葉。
早苗は、自身が震えていることを理解しつつ、返した。
「どう、して……急に、そんな事を……?」
「べつ、に。なんとなく、そう思っただけ、よ……」
霊夢もすぐさま、返す。違ったのは――。
「うそ……なんとなく、なら、震えませんよ……ね?」
散りかけの梅。咲きかけの桜。言葉に揺れるのは、少女二人。
「だって……! だったら、なんで、あんなに、楽しそうに、話すのよ……っ」
途切れ途切れの声。
更に返ってきた声も、やはり震えていた。
けれど、霊夢と早苗が違っていたのは――。
「なんでって……く、あは、そりゃ」
「な、何笑ってるのよ!?」
笑みによる震え、可笑しさからくる震えだったこと。
「それは――霊夢さんに、お話しているからですよ」
散りかけの梅。咲きかけの桜。風に揺れる、花々。
同じように揺れていた少女は、もう揺れていなかった。
左手に重ねられた手が、霊夢にはどうしようもなく温かく感じられる。
「な――によ、それ」
「ふふ。子どもな霊夢さんには、わかりませんかねー」
「な、な、な、あんたねぇ……!」
あげられる怒声を受け流し、なんとはなしに、早苗は続けた。
「霊夢さん。……もし、私が戻りたいって言ったら、どう思われます?」
霊夢は振り向かなかった。
早苗は体重を預けていない。
振り向こうと思えば振り向けたのに、霊夢はそうしなかった。
霊夢は博麗の巫女である。
『何者に対しても平等に見る』者。
わかっていながら、早苗は問うた。
だから、どんな答えが返ってきたとしても、受け入れようと思っていた。
なんとはなしに、霊夢は応える。
「……好きにすればいいわ。私には……私は、どっちでも構わないもの……」
散りかけの梅。咲きかけの桜。風に揺れる、花々。
「そう……ですか。じゃあ、結界ぶち破って、戻っちゃおうかな」
「な――普通に戻れ! 仕事増やすな!? 大体、神奈子と諏訪子はどうすんのよ!?」
同じように揺れていた少女はもう揺れていなかった。
「えー、霊夢さんが気にされることではないじゃないですかー」
「や、やかましい! あんたなんかさっさと戻ってしまえ!」
――左手に重ねられた手が、早苗にはどうしようもなく愛おしく感じられる。
「あ、じゃあ、私が頂いたチョコも、霊夢さんにお願いしますね。お返しも。二倍二倍」
「にばいにばーい……ふざけんなぁ! ウチを破産させる気か、あんた!?」
「返される気、あったんですね……。じゃあ、私は霊夢さんがいいなぁ」
「うがぁぁぁ、早苗なんて、戻れ、戻ってしまえーっ!」
強く握られた自身の手が、絡められた相手の指が、なんとはなしに、乙女二人の本心を告げていた――。
……少しして。早苗は、小声で霊夢に話しかける。
「――霊夢さん。『ぱぁぅわおぶらぶ』って言葉、知ってます?」
「は? えっと、何語? 英語なら少しは知ってる筈なんだけど」
「……いえ、もういいです。少し、増やさせて頂きますね」
何をよ――問う前に、振り向かされ、沈められた。胸に。
「もふぁ!?」
「体が熱い……! 力が溢れる……!!」
呟き、霊夢を開放する早苗。
目を白黒させ、巫女は風祝に問う。
「何すんのよ、いきなり!」
「これ。髪飾り。先程、勝手に反応したって言いましたよね?」
「さっき、って、あぁ、掃除の後? それが、今更どうしたのよ」
撃たれた額を摩り、霊夢はまだぼぅとした顔をしたまま、首を傾げる。
「普段はただの髪飾りなんですよ」
早苗は霊夢に笑みを浮かべ――天狗にも劣らぬ瞬発力で、板を蹴った。
「ですけど、お近くにおられますと、動いちゃうんです」
縁側。
二人が見える場所。
無限にあるかのような選択肢の答えを手繰り寄せ、早苗は空間を掴み、静かにこじ開けた。
「――途中、消えたんで帰られたと思っていたんですが……器用に気配を絶っていただけ、でしたか」
開けた先から、声が二つ、届く。
「か、神奈子、しっかりして神奈子ー!?」
「紫、大丈夫だよ! 神奈子は早苗が自分以外にチョコ渡したってだけでぶっ倒れるんだから! もう!
や、今は可愛い二人のラブシーンをぅわお、早苗!?」
「え、何の冗談……って、嘘、単体で私の隙間を見つけて、しかも開けたの!?」
「開けたのは前にもやってたよ。――ね、ねぇ、なんか、早苗の力、可笑しくない!?」
「洩矢の力と、博麗の力……う、そ、龍神、級……?」
「ちょっと待てー!? インフレし過ぎでしょ、そ――」
「諏訪子様」
「は、はいっ!?」
「――を、お借りしますね。紫さん」
「な! 友人を見捨てるなんて私には、あ、どうぞ!」
「紫ぃぃぃ!?」
「其処で見ておいてくださいな。――さぁ、諏訪子様。神遊びを始めましょう」
《文にも書けない恐ろしさ》
「――紫さん。二度と、お覗きになられぬよう」
「は、はい……」
顔を愛する式の様な色にし、それ以上に自身の名に近い色の顔をした二柱を横目に入れつつ、紫は素直に頷いた。
隙間が閉じたことを確認し、早苗は戦利品を持ち霊夢の元へと戻った。
頭を叩き、霊夢はぼんやりしていた意識を回復させる。
漸くすっきりとした頭で早苗を見上げるが――霊夢には、早苗の表情がよくわからない。
早苗は戦利品の帽子を両手に持ち、なんとはなしに、言った。
「諏訪子様です」
親とも評される二柱をのした早苗は、なんとはなしに、彼女達から卒業したのかもしれない――。
<了>
笑顔の下に哀しみを隠すヒロインという読みは見事に外されました。
ところでバレンタインの呪縛はいつ頃終わるのでしょうか。
レイサナ御馳走様でした。
霊夢が初心で鈍くて可愛いです
全体的にカオス風味でした
どう見ても百合です。ごちそうさまでした。
指を絡めて手を離そうとしないところが凄く甘かったです
言葉より態度で。いいねぇ。