僕は、子供が嫌いだ。
考えも無く、ただただ無垢で無邪気で無害な存在が嫌いだ。
彼等は、無駄に走り回り、無駄に笑い、無駄に甘えてくる。
もちろん、それは種の保存本能だ。
子供は一人では生きてはいけない。
その為に、ただただ可愛らしく生まれてくる。
「見てみろ、霖之助」
いま、僕が目にしているのは、その最たるモノ。
赤ん坊だ。
生まれて間もないこの存在は、最弱だ。
放っておけばすぐに命は終わる。
それに付け加えて、歩く事はおろか、立つ事さえ、ましてや、四つん這いで蠢く事すら出来ない。
ここまで最弱の生物が、果たして人間以外にいるだろうか。
否。
いるはずがない。
「俺の娘だ、かわいいだろ~」
そう。
だから、赤ん坊は可愛い。
丸い顔に大きな瞳。
小さな手に小さな足。
普通の人間ならば、おもわず頬が緩むに違いない。
だが、僕は騙されない。
人間でも妖怪でもない、そんな僕は、騙されない。
この小さな生物は、ただただ生き残る為の手段で、こんな愛らしい姿をしているのだ。
その種としての生存方法を確立するが故の容姿なのだ。
理屈故の可愛らしさなのだ。
「そうですね」
だけど、それをお世話になった人に向けるのは……あまりにも心がない。
僕は、破顔している親父さんを見る。
彼に子供が生まれたという事で、お祝いを持ってきたのだ。
僕が持っている中で、こういう時に真価を発揮するであろう、ポラロイドカメラを贈り物とした。
思い出を残すには、これほど便利な物はない。
かなり貴重な物だが、お世話になった霧雨の親父さんの為だ。
これくらいは、安いものだ。
決して、生まれた赤ん坊の為じゃない。
「抱いてみるかい?」
親父さんが、僕に向かって、その赤ん坊を差し出す。
僕は、おずおずとその生物を受け取った。
落としては大変だ。
なにせ最弱。
それだけでベチャリと死んでしまうだろう。
カブトムシのサナギの如く。
グシャリと、潰れるに、違いない。
「ははは、腰が引けているぞ、霖之助!」
僕のおっかなびっくりな様子に、親父さんは気楽にも笑う。
自分の娘を他人に預けていると言うのに、平気なのだろうか。
もし、いま、ここで、僕がこの子を落とせば、きっと彼は僕を攻めるに違いないのに。
「あばぁ~」
腕の中で、意味を成さない言語が聞こえてきた。
笑いもせずに、赤ん坊は僕を見つめる。
僕は、その瞳を……一片の汚れもない、澄んだ瞳を、直視できない。
「魔理沙、こいつが霖之助だぞ。変なやつだから、気をつけろよ~」
「まりさ?」
赤ん坊の名前だろうか。
親父さんはニコニコと赤ん坊の頬をつつきながら答える。
「マホウの魔、コトワリの理、さんずいに少ないの沙だ」
魔、理、沙……魔理沙か。
マのコトワリ。
そして、『沙』は確か『水に洗われる』『悪い物を捨てる』だったか。
「ずいぶん当て字っぽいですね」
「ははは、そう言うな。お前の屁理屈の被害に合わない様にだ」
その言葉に、僕は苦笑するしかなかった。
僕の脳内では、今もその名前の真意を探っている。
もしかしたら、すでに真名は隠されているのかもしれない。
この赤ん坊の名前は、すでに魔理沙という防御壁で守られているのかもしれない。
「困った事があれば、霖之助が助けてくれるぞ、魔理沙。なんだかんだ言っても、こいつはいい奴なんだから」
「やめてくださいよ。この子が本気にしたらどうするんですか」
幸せそうな親父さんは、幸せそうに笑った。
この、人間としての当たり前に、僕は目を細める。
家族なんてものは、僕には重すぎる。
それは、僕が半人半妖故の想いだろうか。
こんな幸せそうな笑みを、僕は浮かべたいとも思わない。
こんな最弱な生物を、育てたいとも思わない。
それは、僕が人間と妖怪の子供だったから、だろうか。
~☆~
雨の静かな音に、僕は目を覚ました。
夢だったか。
懐かしい昔の夢。
僕は、自然と口元が綻んだ。
まったく、どうかしている。
「ふぅ~」
外は雨の為か、薄暗く、店内は夕闇のそれに近かった。
僕は勘定台で伸びをすると共に、つまらなかった本を棚へと戻した。
カランカラン
と、そんな音をドアベルが奏でた。
こんな雨の中を、珍しくもお客さんが来たのだろうか。
「いらっしゃ……なんだ親父さんか」
「相変わらず、客商売に向いてない笑顔だな」
僕は、営業用の笑顔を消すと、親父さんを店内に通す。
そして、その後ろにいる少女に気づいた。
親父さんの足にくっ付く様にした少女は、その顔を見せようともしない。
「ほら、魔理沙、挨拶は?」
「こ、こんにちは」
少女はチラリと顔を覗かせると、また親父さんの足の後ろに隠れる。
「あの時の赤ん坊か。魔理沙、ね」
僕は少女の態度にため息を零した。
嫌われたのを嘆いた訳でも、態度を咎めているのでもない。
僕は、子供が嫌いなのだ。
「すまないが、霖之助、この子を預かってくれ」
「離婚ですか?」
「殴るぞ」
「冗談です」
親父さんは僕に耳打ちする。
どうやら、久しぶりに夫婦水入らず、をしたいそうだ。
何とも呆れた夫婦だ。
二人目が生まれない事を僕は龍神さまに祈るしかない。
「そういう訳だ。すまないが……」
「僕は別に構いませんよ。問題は魔理沙の意思です」
その言葉に、店内をキョロキョロと見渡していた魔理沙がビックリした様にこちらを向く。
そして僕と目が合ったからだろう、慌てて親父さんの後ろに隠れた。
僕はもう一度、ため息を吐いた。
「魔理沙がこんな所に居たくないと言うなら、居させるのは酷だ」
「だったら、一人で家に置いておけ、とでも言うのか?」
「どうだい、魔理沙」
親父さんの言葉を、そのまま少女に投げかける。
少女はオズオズと顔を見せると、
「ここがいい」
と答えた。
意外な言葉に、僕は顔をしかめた。
こんなに父親にべったりなのだ。
離れたくない、と言う言葉を期待したのだが……
「決まりだな、霖之助」
ニヤリと親父さんが笑う。
なるほど、教育が行き届いている。
「それじゃあ魔理沙、霖之助をよろしくな」
「うん!」
逆でしょう、という僕の言葉は、親子に届かなかった様だ。
親父さんは魔理沙の頭を撫でると、そのまま行ってしまった。
シトシトと降る、まるで霧雨にも似た霖雨。
薄暗い店内で、僕と少女は向かい合った。
色の抜けた、明るいフワフワの髪に、真っ白なワンピース。
僕という存在を、微塵も疑う事のない瞳は、あの頃より多少は汚れてくれた様だ。
今なら、直視しても、何とか大丈夫。
「いらっしゃい、僕が店主の森近霖之助だ」
「はじめまして、霧雨店の霧雨魔理沙です」
少女は丁寧に挨拶をした。
魔理沙と会うのは、二回目の僕だが、どうやら彼女は覚えていない様だ。
まぁ、当たり前と言えば当たり前だろう。
「まぁ、物を壊したり勝手に触らない限り、僕は君を叱りもしないし、注意もしない。何か用事があるなら、言ってくれればいいから」
魔理沙は首を傾げたが、うん、と返事をした。
僕としては肩を竦めるしかなかった。
それから彼女は店内を見回っている様だ。
僕は棚から新しい本を手に取ると、いつもの勘定台に座って読書に興じる事にした。
店内は薄暗いままだが、本を読むのに支障はない。
暗い所で本を読むと目が悪くなると言われるが、あれは迷信だ。
全然関係がない。
魔理沙が店内を歩き回る音をBGMに、僕は文字を読み進めていく。
それは他愛もない外の世界の小説だ。
小説というのは、嘘が描かれている。
作者の勝手な絵空事だ。
それをあたかも体験したかの様に書いてあるのもあれば、下手糞に描かれているのもある。
残念ながら、これは後者の様だが、それでも僕は読み進めていく。
ふと気づけば、魔理沙が目の前にいた。
勘定台に身を乗り出す様にして、僕が読んでいる本を覗き込んでいた。
「面白い?」
僕と目が合うと、彼女は聞いてきた。
この本が面白いかどうか。
「つまらないね。どうにも単調だ。文章に起伏がなく、オチが読めてしまう内容だし、なにより自分よがりな内容さ」
僕の正直な感想に、少女は困った顔をするだけだった。
何か気に入らないのだろうか。
「字ばっかり。絵がないよ」
「小説だからさ。この本は文字で世界を表現するんだ」
また、少女は困った顔をした。
「絵本読んで、霖之助!」
それから、突然に声を上げる。
黄色い甲高い声。
遠慮も恥も体裁もない声。
だから、子供は嫌いだ。
無邪気な笑顔に、無垢な瞳。
「絵本かい?」
僕は、諦めて、ため息を吐いて、読みかけの小説に栞も挟まずパタンと閉じた。
「うん!」
少女はそう頷くと、勢いよく勘定台から本棚へと移動した。
彼女が移動したしたのは、僕のお気に入りではなく、店内に埋もれた方の本棚だ。
外の世界からは、道具だけでなく本もやってくる。
それは忘れられた訳ではなく、神隠しの類……つまりは偶然だろう。
そんな中で取り分け多いのが子供向けの絵本だ。
僕としては、絵本なんかに興味はない。
確かに絵本にはテーマと教育が込められているが、所詮は子供向け。
今更、僕は教育される気なんて無かった。
そんな絵本は、適当に店内の本棚に埋もれている。
魔理沙は本棚の前で腕を組んで考えている。
「むむむっ!」
あぁ、霧雨の親父さんも考える時は腕を組んで声を出していたな、と僕は思い出す。
子供というのは、よく見ているものだ。
それでも、彼女の場合はただの模倣に過ぎない。
あれは考えているのではなく、考えているフリをしているのだ。
本当は読んで欲しい本など決まっている。
彼女の視線は一冊の本で止まっているのだ。
「これ!」
案の定、魔理沙はその本を手にとって、僕の元にやってきた。
僕に本を手渡すと、勝手に僕の足をよじ登り、ちょこんと膝の上に乗ってきた。
「どうして、膝の上に?」
「ん? いつもお母さんにこうやってもらってるよ」
……。
子供は、無条件で自分が愛されてると思っている。
それが、こういう行動に現れるのだろう。
「はぁ~」
僕はわざとらしく息を吐いた。
もちろん、魔理沙には通じない。
絵本を見る。
少し薄汚れたそれは、魔女についての絵本だった。
「魔女か」
「魔女って?」
どうやら魔理沙は、理解してこの本を持ってきたのではないらしい。
「魔女っていうのは、魔法を使う女の人を言うんだ」
「魔法使い?」
「そうさ。知ってるじゃないか。魔女は黒猫や蝙蝠を連れて、箒に乗って空を飛び、怪しい魔法の薬をつくるのさ」
およそ、絵本の内容もそういった魔女の紹介だった。
どこか捻くれた魔女達。
普通の人間とは正反対に振舞う、勝手気ままな魔女達。
そんな魔女の生活が描かれた絵本だ。
これから読み取れるのは反面教師というやつだろうか。
庭をめちゃくちゃにしたり、不気味なクッキーを焼いたりと、とにかく魔女達を破天荒に描いている。
絵本を読んでやると、魔理沙はキャラキャラと喜んだ。
魔女という存在は、魅力的に映ったのだろうか。
黒一色の衣装は、白一色の魔理沙の正反対。
くすんだ茶色い髪は、綺麗な黄色い魔理沙の正反対。
皺が刻まれた肌は、若い魔理沙の正反対。
「すご~い、箒で空を飛べるんだ!」
そして、地面を走り回る魔理沙は、優雅に夜空を行く魔女の正反対。
「霖之助、箒ある?」
僕は無言で店の片隅にある箒を指差した。
僕の身長にあったそれは、魔理沙の身長なんか遥かに越えている。
それでも魔理沙は箒を持って跨ると、そのまま、飛び跳ねた。
「えい! えい! えい!」
もちろん、少女がいきなり浮遊の魔法を使える訳がない。
まれに浮遊する少女はいる。
それでも無意識に浮いているだけであり、それは飛行ではない。
更に言えば、箒には概念が足りない。
彼女の意思では、まだ箒に『空を飛ぶ道具』としての概念が与えられない。
あの箒はまだ『掃除をする為の道具』なのだ。
僕の目が、その真実を伝えてくれる。
「霖之助、飛べない」
「助走が足りないんじゃないか」
なるほど、と魔理沙は箒に跨ったまま、ズリズリと店内を走り回る。
それからピョンと飛び上がるが、そのままペタンと着地しただけだった。
「霖之助、飛べない」
「格好がダメなんじゃないかな。君は白い。魔女といえば黒だよ」
なるほど、と魔理沙は店内をキョロキョロと見渡す。
もちろん黒い服などある訳がない。
魔理沙は諦めた様に、ショボンとして箒を取り落とした。
それから僕が持ったままの絵本を受け取ると、店から家の方へと入っていった。
「はぁ~」
僕は大きくため息を吐いた。
まったく……子供という生き物は嫌いだ。
騒がしく、無知で、好奇心の塊で、理想と幻想の権化だ。
現実が見えていない。
それでも僕は立ち上がる。
確か、黒い布があったはず、と。
本当に子供は嫌いだ。
どうしても、頬が、緩んでしまうのだから。
~☆~
絵本を見ながら、魔理沙は眠りに落ちてしまった様だ。
眠りに落ちる前に、彼女に何をしているのか、と尋ねると、
「空を飛ぶ為の研究」
という答えが返ってきた。
研究という言葉をどこで覚えたのだろうか。
さすがは親父さんの娘という事だろうか。
それでも、研究は長続きしなかった様だ。
僕は彼女が寝ている間に、ツバの広い、特徴的な帽子を作る。
と言っても、麦わら帽子を黒い布で覆って、改造しただけのものだ。
それでも魔女の帽子に見えなくもない。
それから、布を大きく丸く切り取ると、真ん中に首だけ出せる様に穴をあけた。
簡易式魔女衣装の完成だ。
僕はそれを魔理沙の前に置くと、店に戻り読書を再開した。
本が一冊読み終わる頃だろうか、ゴソゴソと音がすると、バタバタと慌しく魔理沙が駆け込んできた。
「霖之助!」
「どうしたんだい?」
僕はゆっくりと振り返ると、魔理沙が帽子と布を持って笑顔で立っていた。
「これ、どうしたの?」
「あぁ、さっき魔女がやって来てね。魔理沙が空を飛びたいと言ったら置いていってくれたんだよ」
凄い! と魔理沙は目を輝かせる。
嘘を疑いもしない。
どこまでも真っ直ぐな、子供。
魔理沙は早速とばかりに布を着て、帽子を被った。
上半身は黒に隠れ、下半身は白いワンピースが見えている。
これじゃ、黒白魔女だ、と僕は苦笑した。
魔理沙は箒に跨ると、また先程の様にピョンピョンと跳ね回った。
それでもやはり、浮けるわけでもなく、少女が一人暴れているだけだった。
衣装は偽物で、箒も贋物。
これで飛べるなら、彼女は魔法使いになってしまう。
飛べる訳がないのだが、それでも彼女は頑張って飛ぼうとしている。
僕に、それを止める権利はない。
だから、僕は、夕飯の準備をする事にした。
台所で味噌汁と作っていても、野菜を切っていても、ご飯が炊き上がっても、少女の声はずっと聞こえていた。
そんな物音でリズムを刻む様に、僕は夕飯を作った。
出来上がった頃には、ヘトヘトに疲れた魔理沙がいたが、ご飯は嬉しそうに食べてくれた。
子供は正直だ。
美味しい物は美味しいと言うが、不味い物にお世辞は言わない。
まだ常識と体裁を持ってない、遠慮を持っていない彼女達だから許される自由だ。
「霖之助、まだ飛べないよ」
「練習が足りないのさ。誰だって初めは飛べない。天狗だって空を飛ぶ練習をするし、河童だって泳ぐ練習をするし、魔法使いだって魔法の研究をする」
「霖之助は?」
「僕?」
「うん、霖之助は何の練習をしたの?」
練習か。
それならば、『生きる』練習をした。
僕は、ただ生きる為の練習をした。
生きていく為に、練習が必要な程に、恐らく、僕はダメだったのだから。
「お店の練習さ。君のお父さんに教えてもらったのさ」
「お店の名前は?」
「香霖堂さ。魔法の森の入り口と霧雨を合わせて霖。つまり香は転じて神となり、ここは博麗神社を表しているのさ」
僕は自慢げに少女に語るが、どうやら理解してもらえなかった様だ。
「それだと、霖之助は香霖だね」
「あぁ、僕の事を屋号で呼ぶのかい」
僕の店にお客さんは少ない。
それでも何人かいるお客さんの中には、僕を香霖堂と屋号で呼ぶお客さんもいる。
「香霖香霖」
「なんだい?」
「私、空、飛べるかなぁ」
彼女はぼ~っと、霖雨が降り続ける窓の外を眺める。
「飛べるさ。人間だって空を飛べる。博麗神社の子は空を飛んでるって聞くよ」
「え、誰、それ」
「さぁ、何と言ったかな? あそこは少々危険だから、今度連れていってもらうといい」
人間の里から少し離れた所にある博麗神社。
博麗大結界を司る神社で、最近になって少女がひとり巫女になったと聞く。
その少女が空を飛ぶ程度の能力を持っているそうだ。
その事を魔理沙に説明してやると、彼女は目を輝かせた。
どうやら、魔理沙は完璧に空に囚われた様だ。
それが悪い事なのか良い事なのか、僕に判断する権利もない。
魔理沙とは他人なのだ。
そして、僕の嫌いな子供だからだ。
「博麗神社かぁ。今度連れてってもらう!」
~☆~
木を削り、丸みを帯びさせていく。
正確には流石の僕にも無理だが、出来るだけ真円に近づくように、丁寧に丁寧に削っていく。
そして概念を間違えない様に。
僕は今、箒を作っている。
外は丁度、雪が降っていた。
これはチャンスとばかりに今朝から製作を開始したのだ。
『雪』という字は『雨』と『彗(ほうき)』から成り立っている。
雪には『掃き清める』という意味があるのだ。
それにあやかり、雪の日に集中しながら箒を作り始めたのだ。
ただし、これはただの箒ではない。
『掃除する為の道具』ではなく、『空を飛ぶ為の道具』という概念を植えつけながら作っているのだ。
そうすると、箒は『空を飛ぶ道具』という概念を持つ。
マジックアイテムの初歩の初歩。
イデアの植え付けだ。
認識する事によって万物は存在する。
この箒を『魔女の空飛ぶ箒』と認識する事によって、これは空を飛ぶのだ。
もちろん、これだけで空を飛べる訳ではない。
然るべき魔法を然るべき方法で運用して初めて魔法使いは空を飛ぶ。
だが、普通の箒と違って、かなりの補助となるはずだ。
ただの掃除用の箒より、遥かに飛びやすくなっている。
「うわぁ~~~!」
店の外に、最近ではおなじみの声が聞こえてきた。
それと共に、地面を削る痛々しい空気の震え。
しばらくすると、涙を浮かべた魔理沙が入ってきた。
カランカランと響くドアベルもどこか哀しげだ。
「痛いよぅ」
箒を片手に、魔理沙は肘をこちらに見せる。
また着地に失敗したのだろう、擦りむいて、血が滲んでいた。
人間に比べて長寿である僕の一日と、短命である彼女達の一日には遥かな差があるらしい。
魔理沙は、いまでは身長が伸びて、絵本を読んでやった時とは比べ物にならない位に成長している。
ただし、まだまだ子供には違いがない。
それでも一日一日と、価値ある日々が彼女を成長させていた。
ふと、気づく。
肘の怪我とは別に、頬の引っかき傷が気になった。
「その顔はどうしたんだい?」
「う……」
僕が聞くと、彼女は泣くまいと我慢していた涙を、ポロポロと零し始めた。
「霊夢が、霊夢が~」
「またケンカかい?」
僕が呆れた様に声をかける。
魔理沙は言葉が紡げない様で、必死に頷くだけだった。
また空を飛ぶ事で霊夢に負けたのだろう。
魔理沙の年齢で、ただの人間が空を飛べるということ事態、素晴らしい努力だというのに。
それでも才能は努力を駆逐する。
そして、子供は残酷だ。
純粋な残酷さ。
どんなに凄かろうが、勝てなければ、負けてしまっては、そんなものは無に等しい。
バカにして、バカにされて、魔理沙は霊夢に暴力で襲い掛かったのだろう。
それで勝っても意味がないだろうに。
それで負けても意味がないだろうに。
「香、霖、っく、ほう、き、まだ……う、っく」
僕は魔理沙に約束をした。
霊夢に勝たせてあげる、と。
君に、君専用の箒を作ってあげる、と。
僕が君を魔女にしてあげよう、と。
その前に、僕は彼女に魔女の帽子を贈った。
黒一色ではなく、彼女に似合う白のリボンをあしらった。
そして魔女の衣装を贈った。
黒一色ではなく、彼女に似合う白のエプロンドレスをあしらった。
そして黒白魔女が完成した。
半人前の魔女には丁度良い。
完璧な魔女に成り下がるには、彼女はまだ早い。
どちらにも属していない、どちらにも属している、陰陽対極図。
明るくて元気だけど、見えない所で努力をする。
陰と陽を兼ね備えた黒と白の魔女。
それはとてもとても、彼女らしい。
「あぁ、丁度、出来たところだ」
僕は、最後にシュっと箒の柄を削った。
これで、完成だ。
ほぼ真円に近づいた柄を、魔理沙に持たせる。
魔理沙が大人になっても使えるようにと、大きめに作った箒は、僕の身長くらいある。
「えへへ~」
魔理沙は涙を拭きながら笑う。
裏表のない、笑顔。
なんとも現金なものだ。
魔理沙は箒を確かめる様に地面を掃いてみる。
しかし、埃はおろか砂一つ動かせない。
その不可思議な現象に、魔理沙は驚いた様子でこちらを見る。
「当たり前さ。何せ、空を飛ぶ為の箒なんだ。掃除するには向いてない」
「さ、さっそく乗ってみる!」
待ちきれないという様子で魔理沙はドアベルを再び鳴らし、外へと飛び出した。
僕もそれを追いかける様に、外に出る。
チラチラと降っていた雪は、魔理沙を味方する様に、降るのを止めたみたいだ。
雲の切れ目から、青い空が見える。
雪を踏み、魔理沙は箒に跨った。
フワリ、と雪が舞い上がったかと思うと、渦を巻くように吹き飛ばされた。
魔力の流れが、足元から彼女の服をはためかせる。
スカートは翻り、髪が吹き上げられ、ビリビリとした魔力が溢れ出している。
「落ち着け、魔理沙」
「う、うん!」
今までの箒と同じ感覚だったのだろう。
余剰エネルギーが溢れ出して逆流し始める。
それをなだめる様に、魔理沙は一つ息を吐いた。
そして、トン、と地面を蹴る。
その刹那、
「~~~~~~~~ぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
という情けない悲鳴をあげながら彼方まで吹っ飛んでいく魔理沙。
「制御の失敗か。だが、幻想郷最速も夢ではないな」
僕はそれを、おもしろおかしく笑って見送ったのだった。
~☆~
霧雨が降っているある日。
雨音すら無い、希薄な雨粒。
静かに濡れていく世界で、僕はいつもの様に読書に興じていた。
そこに珍しくもドアベルが鳴った。
滅多に客が訪れない店ではあるが、雨の日に訪れる者など皆無に等しい。
僕は油断していた為、あわてて本から顔をあげた。
そこにいたのは、お客さんではなく、魔理沙だった。
霧雨と言えど、こんな中を飛んで来ては濡れるに決まっている。
彼女は濡れそぼってしまった帽子を脱いで、いつもの壺の上に腰をかけた。
「どうしたんだい?」
僕が声をかけると、彼女は困った様に「あ~」とか「う~」と言って言葉を捜す。
どうやら、何と言うべきか、何を言うべきか、迷っているらしい。
そして、やっと見つかった様に意味ある言葉を出した。
「勘当されたぜ」
突然の言葉に、僕は言葉を失う。
そんな僕を見てか、少しだけ悲しげに、魔理沙は笑った。
僕は一言、
「そうか」
と声をかけて、そして座りなおした。
僕は深く呼吸をした。
そして、僕も迷う様に言葉を探り当てていると、魔理沙の方から言葉を投げてくれた。
「やっぱりマジックアイテムは扱うべきだぜ」
「そうかい?」
「そうさ。ただの道具だけじゃなくてマジックアイテムもあればもっと売れるだろ?」
「そうかい?」
「そうさ。そしたら、お客さんも増えるし、みんなも喜ぶ」
「そうかい?」
「そうさ。きっと……そうさ」
霧雨の中を飛んできたのは、涙を隠す為だったのだろうか。
それとも彼女は泣いてないのだろうか。
それとも彼女は泣く必要など無いのだろうか。
人間じゃない僕には分からない。
分からないけど、理解は出来る。
考えて、想像する事は出来る。
けど、他人の心なんて、分かるはずがない。
だから、僕は、別の言葉を紡ぐ。
「なんにしても、これで一人前だな」
「え?」
「親を失くした。つまり君は、これで一人前というわけさ」
僕の言葉に、魔理沙はゆっくりと頷いた。
子供は親に頼ればいい。
それが子供の生きる手段だ。
親は全力で子供を生かしてくれる。
子供は全力で甘えればいい。
だけど。
親がいないのならば、子供は子供に成れない。
子供のままでいられない。
『子供』は『大人』に成らざるをえない。
じゃないと、生きていけないから。
「魔理沙、君は名前を変えてもいいし、その生き方を変えてもいい」
「ん……名前か」
僕は、名前を変えて、生き方を変えた。
全てが全て、すぐに変わる訳ではないが、そうする事で救われる事もある。
「私は、魔理沙でいいよ。……そうだな、今日は霧雨が降っているし、『霧雨魔理沙』でいいぜ」
魔理沙はニヤリと笑った。
「なるほど。今日から君は霧雨店の魔理沙じゃなく、霧雨の日に生まれた魔理沙な訳か」
なんかカッコイイぜ、と彼女は笑う。
名前の音は同じだが、中身はぜんぜん違うという訳だ。
いまここでこの瞬間に、霧雨店の魔理沙はいなくなった。
これよりここでこの瞬間に、霧雨魔理沙は生まれた。
ならば、お祝いしなくてはならない。
新しい命には祝福しなくてはならない。
命は生まれると同時に、死という呪いを受ける。
その呪いとと相反する生を祝福しないと、割りに合わないのだ。
僕は昔に使っていた火炉を思い出した。
「君に、また贈り物をしよう。そうだな、一週間後に出来上がるだろう」
「お、何かくれるのか?」
「秘密にしておいた方が楽しみが増すだろ。どこか泊まる所はあるかい?」
「あぁ。霊夢にお世話になるぜ」
ケンカばかりしていたのに、今は仲良くなったようだ。
その代わり、僕が霊夢に巫女装束を作らされたりしている訳だが。
「それじゃ、香霖」
「もう行くのかい?」
魔理沙はぐっしょりと濡れた帽子を被り、箒に跨った。
フワリと店の中で浮き上がる。
着地が苦手だったり、新しい箒に振り回されたりと、決して才能あるなんて言えなかったが、今では立派に空を飛ぶ才能がある、と言える。
「霊夢に早いとこ風呂を沸かせてもらうよ。じゃあな、香霖」
「あぁ、またな、魔理沙」
僕がかけた言葉に魔理沙は嬉しそうに微笑んだ。
「香霖が『またな』って言ってくれたの初めてだ」
「僕は子供が嫌いなんだ。会いたくもない。だけど、今日から君は大人だ」
「なるほど。変なヤツだな、香霖」
「君もだ。勘当されて平気な人間を見るのは初めてだ」
僕の言葉に、少しだけ言葉を詰まらせたけど、魔理沙は笑った。
「またな、香霖」
「あぁ、また会おう、霧雨魔理沙」
大人になった彼女に素敵な贈り物をしよう。
色々な機能を備えた、便利なミニ八卦炉を。
そして、美味しい酒を振舞ってやろう。
さようなら、霧雨魔理沙。
もう二度と会う事がない子供の魔理沙。
おめでとう、霧雨魔理沙。
これから僕に迷惑をかけるであろう大人の魔理沙。
僕は早速とばかりにミニ八卦炉の製作に取り掛かった。
霖雨幻想曲おしまい♪
香霖と魔理沙の馴れ初めは明らかになっていない分
こういった話でニヤニヤできるのが至福です。
難点をあげるとすれば、魔理沙の口調がどういった経緯を経て
変わったのかが描かれていないのは残念でした
最後に誤字らしきものががありましたのでご報告します
>>イデアの植え付けだ。
おそらく「ア」が抜けているかと
焼かれている魔理沙の関係が微笑ましかったです。
話が静かに流れていく感じがして良かったと思います。
面白かったですよ。
これってツンデレってやつかい?(・∀・)ニヤニヤ
そんな優しい兄貴分、とても良かったです
ちなみにイデアとは物事の本質の事ですね
そういう存在であるという事、みたいな
氏の書く物語は俺の頬を緩ませる能力がある!
これからも楽しみにしています・e・
100点以外あり得ないッ!
いい関係だよな、この2人は。
ちっこい魔理沙可愛いなぁ、子供は可愛いよなぁ
その後に続く話、も今の魔理沙と今後の魔理沙にかかわる霖之介の話読みたいです。
やっぱ愚痴を言いながら根っこは優しいんだなぁ。良い二人だ。
端から見ればデレデレだよな。
子供好きすぎるだろw
歳の離れた幼なじみっていいよな。
やっぱり、魔理沙のこういう努力している姿は良いなぁ。
素晴らしい「霧雨魔理沙」の誕生をありがとうございます。
>きっと彼は僕を攻めるに違いないのに
責める、かと。いや、霧雨の親父さんが霖之介に殴りかかるってなら別ですが。
とりあえず、ご馳走様でした。美味ーー・・・・・・。
魔理沙よりも森近にニヤニヤするとは思いませんでした。