ある種凄惨とも言えなくない光景に、僕はため息を漏らした。
中有の道の奥にある無縁塚は結界が緩くなっており、その所為で塚には外の世界から様々なものが流れ着く。
それは本だったり、コンピューターという外の世界の式神だったり、幻想郷では貴重な紙だったりと様々で、無縁塚を無秩序に散らかしている。
そんな外から幻想郷に流れ着くものの中には死体も含まれる。
今日の死体は大漁だった。
流れついた死体の数は四つ。
それらに外傷は無く、眠るように死んでいる。
僕に医学の心得は無いので死因は特定できないが、壮年らしき死体たちは寿命で死んだようには見えなかった。
「……埋葬、するんだよなぁ」
死体を放置しておけば、色々と具合が悪い。
腐敗すれば衛生面で悪影響が出るし、場合によっては妖怪になることもあるし、最悪の場合は、妖怪に取られて怨霊になることもある。
何より野ざらしは道義的に問題があった。
死体の近くには、おそらく同時期に流れ着いた外の世界の本だとか機械だとかが散乱していた。
個人的衝動に従うなら死体の埋葬を後にして、落ちているものを保護しておきたいものだが、表向きに僕は墓参りに来ている。そんな人間が、死体を放置して宝探しなど許されるものではない。
僕はこれでも信心深く道徳的な善人なのだ。
涙を飲んで、僕は死体を埋葬する準備に取り掛かる。
最近、里では死体が盗まれるという事件が頻発しているそうだ。盗まれた死体がどうなるのか、想像の域を出ないが少なくとも褒められた事には使われていないだろう。
死体はさっさと荼毘に付して、埋葬してしまうに限る。
このところ雨は降っていないおかげで、焚き木には事欠かない。
柴を集め火を焚き、僕は火葬の準備に取りかかる。
「あああーッ!」
突然、背後から声がした。
振りかえれば、そこには、猫車を押した赤毛の女の子が立っている。
「えーと、君は?」
「ねぇねぇ、お兄さん!」
とりあえず名前を聞こうと思ったのだが、赤毛の女の子は構わず、猫車を押して僕の前に走って来て、
「そこの死体、あたいにくれないかな?」
と、傍に置いておいた死体を指差した。
「……ええと」
目を輝かせて赤毛の女の子は、物欲しそうに僕を見上げる。
見れば、その頭にはピョコピョコと獣の耳が動いていた。
どうやら彼女は妖怪か妖獣の類であるようだ。
それなら、死体を欲しがるのも分からなくは無い。
きっと食用にしたり、仲間を増やすのに使ったり、コレクションにしたりとロクでもない事に使うのだろう。
「うーん、困ったなぁ」
そもそも、僕が無縁塚の死体を埋葬しているのは、彼女のような妖怪から死体を守るためなのだ。それに無縁塚に来れば死体が手に入るなどと思われては、ここは妖怪のたまり場になってしまう。
ここは毅然とした態度で臨まなくてはならない。
「ねぇねぇ、くれるのかい?」
キラキラと目を輝かせて、赤毛の妖怪は僕におねだりをする。
……これで欲しがっているものが死体でなければ可愛いのだが。
「残念だけど、あげることはできないね」
「えー」
赤毛の妖怪は果てしなく残念そうな声を上げながらも、意外なほど簡単に死体を諦めてくれた。
「あたいの名前はお燐。お兄さんは?」
「……何で帰らないんだい?」
死体を要求した妖怪……お燐は、要求を却下したにも関わらず無縁塚に居座っていた。
「いいじゃないのさ。旅は道連れ世は情け、ってね」
「別に旅じゃないだろう」
「あっはっは、細かいことは気にしてたら禿るよ、お兄さん。それにもしかしたら、お兄さんが死体から目を離して、あたいが死体を持って帰れるかもしれないじゃないか」
「なるほど、じゃあ死体から目を離さないようにしよう」
なかなか疲れる妖怪だった。
もっとも、幻想郷の連中など大抵は自分勝手な奴ばかりなので、この程度なら大して気にならない。
「ところで、お兄さんの名前はなんていうんだい?」
「香霖堂の店主、森近霖之助だ」
名乗られた以上は、こちらも名乗らないわけにはいかない。
「へぇー、リンノスケ……じゃあお兄さんも『お霖』って呼ばれてる?」
「まさか」
そんな益体も無いことを話している間に荼毘の準備が整った。
「しかし、この死体は妙な恰好をしているねぇ」
「外の世界の人間だからね」
お燐は不思議そうに死体を眺めている。
四つの死体は壮年の男達だった。
外の世界では一般的な衣服である男性用紳士服……通称スーツを着て、主君への絶対忠誠の証である『ネクタイ』を身につけている所から、企業戦士あるいはサラリーマンと呼ばれる、昔で言うところの武士階級にある人々であることは容易に想像が付く。
腕には機械仕掛けの腕時計、眼には眼鏡をかけている。
幻想郷には眼鏡をかけた人間は少ないが、外の世界の人間には眼鏡をかけているものが多い。
きっと僕のような勉強家が多いのだろう。
懐が大きく膨らんでいるのは財布や手帳の為と思われる。
いつも通りの、よく流れ着く死体だった。
「こんなのを首に巻いていて苦しくないのかね?」
お燐はネクタイに興味があるらしい。
「慣れれば問題は無いらしい。それに彼らはネクタイでもコミュニケーションをしていたらしく、外すわけにはいかないんだよ」
サラリーマンの戦術指南書である『ビジネス書』には『ネクタイで自己主張』やら『失敗しないネクタイ選び』や『ネクタイで仕事が決まる』などといったネクタイに関する蘊蓄で溢れていた。
きっとサラリーマンにとってのネクタイは、動物にとっての尻尾のような意味があるのだろう。
「じゃあ、手首に巻いたこれは?」
「それは腕時計だね。これほど小型で性能の高い時計は、外の世界特有のものだ」
幻想郷でも腕時計は存在するが、ねじ巻き無しで何年も稼働する腕時計など、望むべくもない。
正直、腕時計ぐらいは葬儀代として死体から徴収したいところだが、そんな事をしては功徳を積むどころか地獄に落とされるだけなので、泣く泣くそのままだ。
その後もお燐は物珍しそうに、死体を見ている。
「……そろそろ火を付けるぞ?」
好奇心に溢れているのはいい事だけど、そろそろ荼毘に付した方が良い。
なにより、早く死体を埋葬しないと、お燐に持って行かれそうで怖い。
「んー、最後に良いかな?」
振り返ったお燐は、しかめっ面をしていた。
その顔は、今までの素朴な疑問を抱いた者の顔ではなく、全く腑に落ちない難題に出会った者の顔だ。
「まあ、僕が答えられる範囲だったらね」
どうやら、お燐は死体を観察していて随分と悩ましい問題に突き当たったようだ。
彼女は、頭をカリカリ掻きながら、
「この四人だけなのかも知れないけど、どうして外の世界の人間は……足が短いの?」
と、聞いてきた。
その問いを聞いて、正直なところ僕は驚嘆した。
なぜなら、僕ですらそれはつい最近になって抱いた疑問だったからだ。
そんな疑問を今日初めて外の世界の人間を見たお燐が気が付くなんて、驚愕としか言いようがない。
これは賞賛に値する観察力である。
「どうしたの、お兄さん。突然プルプル震えて」
「いや、少し感動してね。で、お燐はどう思う?」
「ええ、と……どう思うって、足が短いのはなんでかってこと?」
戸惑ったように耳をピョコピョコさせてお燐が聞き返す。
「そう、なぜ足が短いか……僕は外の世界から流れついた人間の遺体を埋葬してきたのだけど、確かに外の世界の人間は、足が短い。これは実際に何十体もの死体の足を測って調べた事なので間違いない」
死体の足に違和感を覚えた僕は、それからしばらく外の世界の人間の足を調べた。
その結果、個体差は存在したが統計学的に言って、外の世界の人間の足は幻想郷の人間に比べて短いという結論に達したのだ。
「ふんふん」
「だから、ここで逆にお燐に聞きたい。幻想郷の外の人間はどうして足が短いのかな?」
「えー、あたいが考えるの?」
不満げにお燐が鳴いた。
考えるのが嫌いなのか、早く答えを知りたいのか分からないが、僕に答えを要求する。
「自分なりの答えを考えるのは重要だと思うけどね」
「むー、めんどくさいなぁ…………そうだねぇ、猫は色々な毛並みの猫が居る。それと同じように人間もいろんな人間が居て、たまたま幻想郷の外には足の短い人間が居て、中には足が長い人間が居ただけ……って、どう?」
まあ、即興で考えたにしては悪くない回答だった。
「でも、それじゃあ、何でたまたま幻想郷の人間の足が長くて、外の人間が短いかという説明にはならないな」
「うーん、まあそうだねぇ。だったら答えは何さ?」
お燐は少し考え込んだが、すぐに僕に答えを求める。できれば、もう少し自分で考えてくれた方が好ましいのだが、まあ、仕方がない。
少なくとも考えてくれるだけ、どこぞの紅白や白黒に比べてマシというものだ。
僕はお燐に、どうして外の世界の人間は足が短いのかを説明しはじめた。
「外の世界の人間といえども所詮は生物だ。つまり、生物学は外の世界の人間に対しても使う事が出来る。ところでお燐、君は生物の身体には必要とされない器官が縮小、消失するという現象が起こる事を知っているかい?」
例えば、一生を洞窟で過ごすトカゲには目が無い。
これは、洞窟内という光が差さないという『眼が必要ではない状況』に置かれた所為で、目が消えてしまったのだ。
これを生物学では退化という。
「人間だってトカゲと変わらない。必要とされない器官は『退化』していってしまう。つまり、外の世界の人間は『足が必要ではない状況』に置かれたので、足が消えつつあるんだよ」
「ええーッ!」
お燐が声を上げた。
まあ、無理もない。外の世界の人間の足が消えつつあるなんて、いや……人間から足が消えつつあるなんて想像もつかないだろう。
しかし、それを証明する資料は幾らでもある。
一つは、実際に外の人間の足が短いということ。
一つは、外の世界の本から推測できる外の世界の交通機関の極度な発達。
特に僕を驚愕させたのは『セグウェイ』という乗り物だった。それは人の移動を革命する乗り物と呼ばれていたらしく、どうやら外の世界の交通事情を一変させてしまったようである。
普通であれば徒歩で移動するような状況でも、外の人々は『セグウェイ』を使って移動しているのだと言う。
つまり、世界の人々は全く足を使わない生活を送っているようだ。
そして、極めつけは『これが未来人だ』という題名が付けられた外の世界の予言書である。
そこに描かれたのは、手足が退化して四肢が指一本しか残っておらず、頭が極度に発達した人間の姿だった。
「あれを見た瞬間に確信したよ。外の世界の人々の四肢は退化を始めている……その始まりとして足が短くなっているんだ、ってね」
「ひえぇ……怖い話だねぇ」
まったくだ。
人々は便利さを求める。
しかし、利便性の代償というのは実はひどく大きいのかもしれない。
まるで身体を動かさなくても済む世界、その代償がまるで動けない身体というのは、ある種の喜劇にすら思える。
僕は、荼毘に付される外の世界の人達を眺めながら、物質的豊かさの代償について改めて考えた。
「ああー燃えちゃったねぇ」
残念そうにお燐が呟く。
どうやら、ずっと隙を窺っていたらしい。
「さあ、帰った帰った。まさか、灰になった死体でも欲しいとか言わないよな?」
「さすがに灰じゃ欲しくないねぇ」
そんな事を言って、お燐は僕に背を向ける。
埋葬は終わり、死体を狙っていた妖怪は帰ろうとしていた。
これでようやく宝探しができる。
僕は、近くに落ちていた金属の長い箱を開ける。
中に入っていたのは黒光りする金属の塊、恐らくそれは、外の世界の武器のようで、あまり僕の趣味ではなかった。
金属の箱に見切りを付けた僕は、散乱するゴミの奥にあるお宝に狙いを……
「そう言えばさ、お兄さん」
「ん?」
お燐が振り返り、僕に声をかける。
「いま、ふと考えたんだけどさ。もしかして幻想郷に居る人間達って、外の世界で幻想になっちゃった人達って考えられない? で、その人達は、足の長い一族だったから、幻想郷の人たちの足は長くて、そんなお兄さん達から見た外の世界の人の足は短く見えるって可能性は無いかな?」
「何を言って……」
「ちょっと、思いついただけだよ。それじゃあね」
幻想になった人間たち?
「…………あ」
一つ、気が付いたことがある。
外の世界のある本に記された『山に住む足の長い民』に関する記述、為政者によって歴史から消された人々の話。山や洞穴に追われて消えたとも、今の日本人に同化して消えたとも書かれていた人々について思い出した。
彼らが幻想郷の人間の祖先としたら、外の人間と僕達の足の長さが違う説明ができるかもしれない。
「…………最も、確証は無いか」
幻想郷には歴史が無い。
日々の生活に追われる人間は、自分たちの歴史を記す余力が無かった。
だから、幻想郷の始まりを語れる人間はいない。それを語るのは妖怪であり、その視点はどうしても妖怪の物となってしまう。
だが、幻想郷の歴史を人間の視点から検証する術は無い。
妖怪は人間の細かい変化など気にしないだろうし、お燐の言ったことが正しいかどうかを検証する術は何もないのだ。
「……まあ、良いか」
これ以上考えても仕方がないので、僕は考える事を止めた。
そんな事よりも、眼の前のお宝である。
「……お燐の説を正しいとするならば」
この足の長さをご先祖に感謝するべきなのかな。
そんな事を考えながら、僕は散乱するゴミを華麗に跨いで、お宝のもとへと急いだ。
中有の道の奥にある無縁塚は結界が緩くなっており、その所為で塚には外の世界から様々なものが流れ着く。
それは本だったり、コンピューターという外の世界の式神だったり、幻想郷では貴重な紙だったりと様々で、無縁塚を無秩序に散らかしている。
そんな外から幻想郷に流れ着くものの中には死体も含まれる。
今日の死体は大漁だった。
流れついた死体の数は四つ。
それらに外傷は無く、眠るように死んでいる。
僕に医学の心得は無いので死因は特定できないが、壮年らしき死体たちは寿命で死んだようには見えなかった。
「……埋葬、するんだよなぁ」
死体を放置しておけば、色々と具合が悪い。
腐敗すれば衛生面で悪影響が出るし、場合によっては妖怪になることもあるし、最悪の場合は、妖怪に取られて怨霊になることもある。
何より野ざらしは道義的に問題があった。
死体の近くには、おそらく同時期に流れ着いた外の世界の本だとか機械だとかが散乱していた。
個人的衝動に従うなら死体の埋葬を後にして、落ちているものを保護しておきたいものだが、表向きに僕は墓参りに来ている。そんな人間が、死体を放置して宝探しなど許されるものではない。
僕はこれでも信心深く道徳的な善人なのだ。
涙を飲んで、僕は死体を埋葬する準備に取り掛かる。
最近、里では死体が盗まれるという事件が頻発しているそうだ。盗まれた死体がどうなるのか、想像の域を出ないが少なくとも褒められた事には使われていないだろう。
死体はさっさと荼毘に付して、埋葬してしまうに限る。
このところ雨は降っていないおかげで、焚き木には事欠かない。
柴を集め火を焚き、僕は火葬の準備に取りかかる。
「あああーッ!」
突然、背後から声がした。
振りかえれば、そこには、猫車を押した赤毛の女の子が立っている。
「えーと、君は?」
「ねぇねぇ、お兄さん!」
とりあえず名前を聞こうと思ったのだが、赤毛の女の子は構わず、猫車を押して僕の前に走って来て、
「そこの死体、あたいにくれないかな?」
と、傍に置いておいた死体を指差した。
「……ええと」
目を輝かせて赤毛の女の子は、物欲しそうに僕を見上げる。
見れば、その頭にはピョコピョコと獣の耳が動いていた。
どうやら彼女は妖怪か妖獣の類であるようだ。
それなら、死体を欲しがるのも分からなくは無い。
きっと食用にしたり、仲間を増やすのに使ったり、コレクションにしたりとロクでもない事に使うのだろう。
「うーん、困ったなぁ」
そもそも、僕が無縁塚の死体を埋葬しているのは、彼女のような妖怪から死体を守るためなのだ。それに無縁塚に来れば死体が手に入るなどと思われては、ここは妖怪のたまり場になってしまう。
ここは毅然とした態度で臨まなくてはならない。
「ねぇねぇ、くれるのかい?」
キラキラと目を輝かせて、赤毛の妖怪は僕におねだりをする。
……これで欲しがっているものが死体でなければ可愛いのだが。
「残念だけど、あげることはできないね」
「えー」
赤毛の妖怪は果てしなく残念そうな声を上げながらも、意外なほど簡単に死体を諦めてくれた。
「あたいの名前はお燐。お兄さんは?」
「……何で帰らないんだい?」
死体を要求した妖怪……お燐は、要求を却下したにも関わらず無縁塚に居座っていた。
「いいじゃないのさ。旅は道連れ世は情け、ってね」
「別に旅じゃないだろう」
「あっはっは、細かいことは気にしてたら禿るよ、お兄さん。それにもしかしたら、お兄さんが死体から目を離して、あたいが死体を持って帰れるかもしれないじゃないか」
「なるほど、じゃあ死体から目を離さないようにしよう」
なかなか疲れる妖怪だった。
もっとも、幻想郷の連中など大抵は自分勝手な奴ばかりなので、この程度なら大して気にならない。
「ところで、お兄さんの名前はなんていうんだい?」
「香霖堂の店主、森近霖之助だ」
名乗られた以上は、こちらも名乗らないわけにはいかない。
「へぇー、リンノスケ……じゃあお兄さんも『お霖』って呼ばれてる?」
「まさか」
そんな益体も無いことを話している間に荼毘の準備が整った。
「しかし、この死体は妙な恰好をしているねぇ」
「外の世界の人間だからね」
お燐は不思議そうに死体を眺めている。
四つの死体は壮年の男達だった。
外の世界では一般的な衣服である男性用紳士服……通称スーツを着て、主君への絶対忠誠の証である『ネクタイ』を身につけている所から、企業戦士あるいはサラリーマンと呼ばれる、昔で言うところの武士階級にある人々であることは容易に想像が付く。
腕には機械仕掛けの腕時計、眼には眼鏡をかけている。
幻想郷には眼鏡をかけた人間は少ないが、外の世界の人間には眼鏡をかけているものが多い。
きっと僕のような勉強家が多いのだろう。
懐が大きく膨らんでいるのは財布や手帳の為と思われる。
いつも通りの、よく流れ着く死体だった。
「こんなのを首に巻いていて苦しくないのかね?」
お燐はネクタイに興味があるらしい。
「慣れれば問題は無いらしい。それに彼らはネクタイでもコミュニケーションをしていたらしく、外すわけにはいかないんだよ」
サラリーマンの戦術指南書である『ビジネス書』には『ネクタイで自己主張』やら『失敗しないネクタイ選び』や『ネクタイで仕事が決まる』などといったネクタイに関する蘊蓄で溢れていた。
きっとサラリーマンにとってのネクタイは、動物にとっての尻尾のような意味があるのだろう。
「じゃあ、手首に巻いたこれは?」
「それは腕時計だね。これほど小型で性能の高い時計は、外の世界特有のものだ」
幻想郷でも腕時計は存在するが、ねじ巻き無しで何年も稼働する腕時計など、望むべくもない。
正直、腕時計ぐらいは葬儀代として死体から徴収したいところだが、そんな事をしては功徳を積むどころか地獄に落とされるだけなので、泣く泣くそのままだ。
その後もお燐は物珍しそうに、死体を見ている。
「……そろそろ火を付けるぞ?」
好奇心に溢れているのはいい事だけど、そろそろ荼毘に付した方が良い。
なにより、早く死体を埋葬しないと、お燐に持って行かれそうで怖い。
「んー、最後に良いかな?」
振り返ったお燐は、しかめっ面をしていた。
その顔は、今までの素朴な疑問を抱いた者の顔ではなく、全く腑に落ちない難題に出会った者の顔だ。
「まあ、僕が答えられる範囲だったらね」
どうやら、お燐は死体を観察していて随分と悩ましい問題に突き当たったようだ。
彼女は、頭をカリカリ掻きながら、
「この四人だけなのかも知れないけど、どうして外の世界の人間は……足が短いの?」
と、聞いてきた。
その問いを聞いて、正直なところ僕は驚嘆した。
なぜなら、僕ですらそれはつい最近になって抱いた疑問だったからだ。
そんな疑問を今日初めて外の世界の人間を見たお燐が気が付くなんて、驚愕としか言いようがない。
これは賞賛に値する観察力である。
「どうしたの、お兄さん。突然プルプル震えて」
「いや、少し感動してね。で、お燐はどう思う?」
「ええ、と……どう思うって、足が短いのはなんでかってこと?」
戸惑ったように耳をピョコピョコさせてお燐が聞き返す。
「そう、なぜ足が短いか……僕は外の世界から流れついた人間の遺体を埋葬してきたのだけど、確かに外の世界の人間は、足が短い。これは実際に何十体もの死体の足を測って調べた事なので間違いない」
死体の足に違和感を覚えた僕は、それからしばらく外の世界の人間の足を調べた。
その結果、個体差は存在したが統計学的に言って、外の世界の人間の足は幻想郷の人間に比べて短いという結論に達したのだ。
「ふんふん」
「だから、ここで逆にお燐に聞きたい。幻想郷の外の人間はどうして足が短いのかな?」
「えー、あたいが考えるの?」
不満げにお燐が鳴いた。
考えるのが嫌いなのか、早く答えを知りたいのか分からないが、僕に答えを要求する。
「自分なりの答えを考えるのは重要だと思うけどね」
「むー、めんどくさいなぁ…………そうだねぇ、猫は色々な毛並みの猫が居る。それと同じように人間もいろんな人間が居て、たまたま幻想郷の外には足の短い人間が居て、中には足が長い人間が居ただけ……って、どう?」
まあ、即興で考えたにしては悪くない回答だった。
「でも、それじゃあ、何でたまたま幻想郷の人間の足が長くて、外の人間が短いかという説明にはならないな」
「うーん、まあそうだねぇ。だったら答えは何さ?」
お燐は少し考え込んだが、すぐに僕に答えを求める。できれば、もう少し自分で考えてくれた方が好ましいのだが、まあ、仕方がない。
少なくとも考えてくれるだけ、どこぞの紅白や白黒に比べてマシというものだ。
僕はお燐に、どうして外の世界の人間は足が短いのかを説明しはじめた。
「外の世界の人間といえども所詮は生物だ。つまり、生物学は外の世界の人間に対しても使う事が出来る。ところでお燐、君は生物の身体には必要とされない器官が縮小、消失するという現象が起こる事を知っているかい?」
例えば、一生を洞窟で過ごすトカゲには目が無い。
これは、洞窟内という光が差さないという『眼が必要ではない状況』に置かれた所為で、目が消えてしまったのだ。
これを生物学では退化という。
「人間だってトカゲと変わらない。必要とされない器官は『退化』していってしまう。つまり、外の世界の人間は『足が必要ではない状況』に置かれたので、足が消えつつあるんだよ」
「ええーッ!」
お燐が声を上げた。
まあ、無理もない。外の世界の人間の足が消えつつあるなんて、いや……人間から足が消えつつあるなんて想像もつかないだろう。
しかし、それを証明する資料は幾らでもある。
一つは、実際に外の人間の足が短いということ。
一つは、外の世界の本から推測できる外の世界の交通機関の極度な発達。
特に僕を驚愕させたのは『セグウェイ』という乗り物だった。それは人の移動を革命する乗り物と呼ばれていたらしく、どうやら外の世界の交通事情を一変させてしまったようである。
普通であれば徒歩で移動するような状況でも、外の人々は『セグウェイ』を使って移動しているのだと言う。
つまり、世界の人々は全く足を使わない生活を送っているようだ。
そして、極めつけは『これが未来人だ』という題名が付けられた外の世界の予言書である。
そこに描かれたのは、手足が退化して四肢が指一本しか残っておらず、頭が極度に発達した人間の姿だった。
「あれを見た瞬間に確信したよ。外の世界の人々の四肢は退化を始めている……その始まりとして足が短くなっているんだ、ってね」
「ひえぇ……怖い話だねぇ」
まったくだ。
人々は便利さを求める。
しかし、利便性の代償というのは実はひどく大きいのかもしれない。
まるで身体を動かさなくても済む世界、その代償がまるで動けない身体というのは、ある種の喜劇にすら思える。
僕は、荼毘に付される外の世界の人達を眺めながら、物質的豊かさの代償について改めて考えた。
「ああー燃えちゃったねぇ」
残念そうにお燐が呟く。
どうやら、ずっと隙を窺っていたらしい。
「さあ、帰った帰った。まさか、灰になった死体でも欲しいとか言わないよな?」
「さすがに灰じゃ欲しくないねぇ」
そんな事を言って、お燐は僕に背を向ける。
埋葬は終わり、死体を狙っていた妖怪は帰ろうとしていた。
これでようやく宝探しができる。
僕は、近くに落ちていた金属の長い箱を開ける。
中に入っていたのは黒光りする金属の塊、恐らくそれは、外の世界の武器のようで、あまり僕の趣味ではなかった。
金属の箱に見切りを付けた僕は、散乱するゴミの奥にあるお宝に狙いを……
「そう言えばさ、お兄さん」
「ん?」
お燐が振り返り、僕に声をかける。
「いま、ふと考えたんだけどさ。もしかして幻想郷に居る人間達って、外の世界で幻想になっちゃった人達って考えられない? で、その人達は、足の長い一族だったから、幻想郷の人たちの足は長くて、そんなお兄さん達から見た外の世界の人の足は短く見えるって可能性は無いかな?」
「何を言って……」
「ちょっと、思いついただけだよ。それじゃあね」
幻想になった人間たち?
「…………あ」
一つ、気が付いたことがある。
外の世界のある本に記された『山に住む足の長い民』に関する記述、為政者によって歴史から消された人々の話。山や洞穴に追われて消えたとも、今の日本人に同化して消えたとも書かれていた人々について思い出した。
彼らが幻想郷の人間の祖先としたら、外の人間と僕達の足の長さが違う説明ができるかもしれない。
「…………最も、確証は無いか」
幻想郷には歴史が無い。
日々の生活に追われる人間は、自分たちの歴史を記す余力が無かった。
だから、幻想郷の始まりを語れる人間はいない。それを語るのは妖怪であり、その視点はどうしても妖怪の物となってしまう。
だが、幻想郷の歴史を人間の視点から検証する術は無い。
妖怪は人間の細かい変化など気にしないだろうし、お燐の言ったことが正しいかどうかを検証する術は何もないのだ。
「……まあ、良いか」
これ以上考えても仕方がないので、僕は考える事を止めた。
そんな事よりも、眼の前のお宝である。
「……お燐の説を正しいとするならば」
この足の長さをご先祖に感謝するべきなのかな。
そんな事を考えながら、僕は散乱するゴミを華麗に跨いで、お宝のもとへと急いだ。
足が退化…ですかぁ。 実際にこの先あるかと思うとちょっと怖いね。
発展して便利になった代償……ではあるのでしょうけど。
最後のお燐の考えも面白いと思いました。
面白かったですよ。
マンアフターマンみたいな世界にはなって欲しくないと願うも、その頃には俺達はいないんだよな
虫垂とか何のためにあるの?ですし
アメリカでは生まれたと同時に切るみたいですね
一方で生理学的問題で人間はこれ以上頭を大きくすることができない
骨格の関係上、膣道をこれ以上押し広げることができないからなんだが
いやはや進化する余地が残されていないのに退化してしまうというのはなんとも
ところで幻想郷の人、魔理沙とかを見てるとなんだか外国人も普通にいそうですよね
日本の在来種に金髪を持つ人はいません、しかし秋田美人関連で秋田の祖は欧州の白人説があるそうです
退化といえば白血球の異常反応である花粉症
あれは世の中が清潔になり、医療が発達して病気にかかりにくくなったがために
本来反応するはずが無い花粉に防衛機能が働いてしまっている結果ですが
逆に言えば白血球がわざわざ防がなくてもいいものをあえて防せごうとしなければ
防衛機能を維持できないとしたら、とても恐ろしいことに思えます
いつの日か滅菌された部屋でした生きていないような生物になってしまうかもしれませんね
考えさせられる。