その日の私は、カフスボタンの糸のほつれているのに気付いているのに直さずに歩いているような、小さな苛立ちを引きずっていた。無視できなくもないが理由さえ分かれば早急に解決して気分をスッキリさせたい、というような。もちろん、ストレスのまったくない時間などありはしないということは重々承知しているし、ストレスのない人生などシナモンのない紅茶ほどにも愛する価値がないと思っているが、このときの私の苛立ちは、そういった常態における私の人生との付き合い方からも遠いところにあった。
もちろん今までのは喩えであって、私はカフスがほつれたまま他人の前に立つことなどない。だからこそ完全とか瀟洒とか呼ばれるのだ。しかしそれは決してカフスがほつれることがない、という意味での完全さではなく、ほつれれば他人の目に付かないうちに直してしまえるというだけのことである。
つまり、私の「完全さ」とは徹頭徹尾欠けるところのない存在という絵空事ではなく、雑多なほころびを、ほころびの小さなうちに誰の目にもつくことなく処理してしまうという、当たり前の行為の繰り返しの成果をそう呼んでいるに過ぎないのだ。完全さを愛することとは、日常を愛することに繋がる。
日常とは何か、と問われれば、乱暴に言ってしまえば、ルーティンワークの集積と答える。あらゆる欲望も愛憎も詩情も、ルーティンの重ね合わせの上に立っている。夢のない考え方だ、と言われたことがある。しかし、私はそういった現実に夢を見出しているだけであって、ありもしない曖昧な観念に仮に夢と名前をつけている人種にはどう思われようと気にしないことにしている。ただ、そっとして置いてくれればよろしい。
そうして、日常を愛する私は、あるべきものを、時間通りに、あるべき形に調えること、つまりルーティンをこなしていたのであって、ティータイムの準備もその一環だったのだ。正体不明の苛立ちは私のこめかみの辺りを腐った果実にたかるハエのように這い回ったが、解決する見込みのない問題を優先してルーティンを崩すなどということは私の美学に反していた。美しいことは、正しい。正しいことが常に美しいとは限らないが。
地下へと続く階段は他と同じくランプで照明がされているが、どことなく陰気な感じがする。あるいは単に私の思い込みかもしれないが。壁紙はきれいに磨き上げた頭蓋骨のように白く、一面にしかれた紅い絨毯は踏みしめるたびに私のヒールを柔らかく受けとめる。目にする光景がいつもどおりなのに安堵し、しかし私は苛立ちを拭い去ることが出来ない。あるものはあるものとして放置するしかない。
妹様の部屋の扉は小ぢんまりとしていて、しかしオーク製の、細かい意匠の入った品である。葡萄の蔓が複雑に絡み合った彫刻はのびのびとした雰囲気とは程遠く、その仕事を成した人間の神経質さが文字通り浮き彫りにされていて、私の好みではない。しかし私の好む好まないに関わらず、扉としての役目を果たし妹様を庇護の下においている点に関しては評価しなくてはならない、と思う。だから私は、それを陶製の皿の具合を確かめるような繊細さで叩いた。
返事はなかった。そしてそれはいつも通りだった。だから私は決められたとおりの手つきでノブを回して中に入る。
「失礼します」
野苺の甘酸っぱい香り。部屋では香が炊かれ空気が煮詰めたジャムのような粘性を帯びている。真新しいシャンデリアで明かりのとられた室内は赤と白以外の色のものがほとんどない。壁紙は処女雪のように白い。絨毯は廊下のものと同じく紅く、肥えた草食動物の毛並みのようにつややかだ。紅いソファ、ガラスのテーブル、ミルク色をした天蓋付きベッド、そして香炉。家具はそれだけである。しかしそれらは、ここにある家具はそれ以上でもそれ以下でもいけないという風に行儀良く、慎重に、あるべきものがあるべきところに納まっている。不必要を毛嫌いするかのようなその様は排他的ですらある。私はこの部屋を見るたびに、清潔だ、と思う。一と欠片の穢れも許さない、神経質な清潔さ。
「お茶をお持ちしました」
私の声に反応して、天蓋から垂れるミルク色のカーテンの向こうから、羽毛布団の動く気配がする。私はこめかみにまとわりつく苛々を飼いならすことだけを意識して、ガラスのテーブルに盆からティーセットを移してゆく。セットは支那製のアンティークらしく、和柄とも洋柄ともつかない唐草模様が藍で描かれている。私はそれをソーサー、カップ、スプーン、ジャム壜、ポット、最後にスコーンを盛った皿、という順番でテーブルに載せた。
「うん」
カーテンをくぐって妹様が出てくる。私は蒸らし時間きっかりに時を止めたポットから、カップにお茶を注ぐ。ゴールデンドロップまで注いでから、ポットを置き、ジャム壜の蓋を開ける。ジャムは紅より紅いジャムだ。これがなければお嬢様たちのティータイムは始まらない。
「ねえ」と言いながら、妹様はスコーンを手にとって食べ始める。「……何を言おうとしたのか忘れちゃった。スコーン美味しいねぇ」
「それは良かったですわ」私は言った。
「うん、美味しいのは好き」
「お茶もどうぞ」
「う、く。ねえ、そう、思い出した。さっきからね、お姉さまのことを考えていたの」
「お姉さま?」
「お姉さま。お姉様はお散歩に出かけるでしょう。そうしたら、私がお屋敷の中で遊ぼうと思ってもいないの。でも、あいつがいなければ私だって気持ちがいいの、いちいちうるさいし」
「ああ、わかる」
「お嬢様はフランドール様のことを考えておいでですわ」
妹様はジャムをスプーンですくって舐め、お茶を飲んだ。
「咲夜は、お姉さまのこと、好き?」
「もちろん」
私は妹様の口の周りを拭いて差し上げる。
「だから私は、お散歩に行くお姉さまを殺さなくちゃいけないわ。だって、そうでしょう、お姉様が性悪なのは、いつものことだけれど、お屋敷にお姉さまがいない日はつまらなくて仕方がないの」
「私もお姉ちゃん好きだな」
「何を言ってるの」
「だって、お姉ちゃんったら意気地の無いくせして強がってるのが丸見えなの。あんなに弱いのに、私はお姉ちゃんに守られてばかり」
「その内、フランドール様にもお出かけの許可が下りるでしょう」
私は希望的観測を口にしてみた。私にとっては、こういうことは珍しいことだった。
「でも……私がお散歩に出たら、お屋敷がつまらなくならないかしら?咲夜の作る料理は美味しいけれど、冷めたら台無しよ。だから私、別にお散歩に行きたいのではないわ」
「それなら、何か冷める心配の無い軽食をバスケットでお持ちしますわ。サンドイッチなどが良いでしょう」
「うふふ、ピクニック、ピクニック」
「ところで、あんた、誰」
妹様はお茶を飲み干し、スコーンを平らげた。私はそれらの空いた容器を片付けて、盆の上に乗せた。
「私、こいし」
「ふうん」
「それでは、失礼します」
神経質な飾り扉をくぐって退出すると、廊下のランプがひとつ切れ掛かっているのを見つけて、代えなければいけないと思う。これくらいなら妖精メイドに任せて問題ない、と見切りをつけたところで、私はさっきまでこめかみを万年筆で引っかくようにさいなみ続けていた苛立ちが不思議になくなっているのを感じた。理由は分からなかったが、好ましいものは好ましいものとして受け入れるのに、理由は要らない。
まばたきをいくつかして、今後の仕事をどう片付けるか、と考え始めた私は、そのとき、後ろでガラスの割れる高い音を聞いた。
なんというか、わかりづらかったです。
咲夜には二人の会話が全く聞こえてないのか、
いつもの気のふれたフランの独り言として深く考えずに
ルーチンワークとして相槌をうってるのか。
村上春樹も解釈自在な不可解な文章が特徴的ですが、
もうちっと咲夜の視点に固定してどう見えたか、
を描写してくれたほうが想像しがいがあったかなと思いました。
自分も村上春樹ワールドのような日常的でありながら掴み所のないような世界観は好きなので、紅魔館とあわされた雰囲気を楽しめました。
次回作に期待します。
こいしとフラン、さとりとレミリア
うん、いい感じだ。
一応突っ込んでおくと、これは間違った方法。
まあ美味しいからいいんだけど、本当はジャムは別に舐めながら紅茶を飲むのが元祖ロシア式ですよ。
入れたとしても、素の果実や砂糖漬けが入るくらいです。
おぜうさまの紅魔館で紅茶まで日本式?はちょっと違和感を感じました。
細かすぎた、さーせんwwwwww
>>10. 名前が無い程度の能力様
素で間違ってました。無知蒙昧をさらけだしてしまって顔に火がつく思いですギャー。
色々考えましたが意地を張ってそのままを通さなければ作品を損なう、というようなことも無かったので、加筆修正しました。ご助言痛み入ります、ありがとうございます。