妖怪の山はいわゆる里山とは違い、人の手入れとは無縁のものである。
さらに、住んでいる妖怪達は主に飛んで移動するので、歩いて登る山道はほとんど整備されていない。ましてや冬はなおさらで、獣道と合体している程度の道が一、二本というありさまである。
そんな妖怪の山にある数少ない山道を、橙達は歩いて登っていた。
メンバーは、先頭に立つ橙とチルノ、そして後ろにつくリグルと、大きな闇に身を包んだルーミアである。
山登りの目的は、当然のことながら、
「青、大丈夫?」
「うん、大丈夫」
ルーミアが鈍いだみ声で返事をした。
宵闇の妖怪であるルーミアは、その中にいる『青』の頭の上に乗っており、彼の大きな頭と体を自身の闇で隠しているのであった。
青は、一昨日に橙が出会った、妖怪のようなそうでないような、よくわからない存在である。
もともと記憶喪失であった青は、山の妖怪に侵入者扱いされていたのだが、色々あって橙の『式』となり、レティの家で数日暮していた。
だが、青が今朝に思い出した記憶によれば、彼は『外の世界から来た式』だというのである。
彼女らの山登りの目的は、青を『元の世界の主』の元に帰すことなのであった。
『こっちの世界での主』である橙は、最初は猛反対であったのだが、青が元の主を思う気持ちを知ってからは、考えを改めて全面的に協力することにした。
そこでまずは、青がこの幻想郷にやってきた時に通ったという『謎の穴』だったり、山で今何が起こっているのかとかを知るために、とある河童に相談しにいくことにしたのであった。
「にとりさん、河の下に潜っていないといいけど……」
雪に埋まりかけた青に手を貸しながら、橙はつぶやいた。
もともと橙は河童や天狗の知り合いが少ない。この二つの種族は山の中腹から頂上付近にかけて、高度かつ閉鎖的な社会を築いており、山に住む橙にも知らないことが多いのだ。
だから、今のところ頼りになる知り合いは、去年の秋に友達となった、『河城にとり』しかいなかった。そのにとりと初めて出会った場所を、今橙達は目指している。
「でも、本当に良かったの橙?」
リグルが橙の後ろから、小声で聞いてきた。
「うん、私は大丈夫。ちゃんと青を、元の主さんの所に、送り届けるよ」
「それもだけど、そうじゃなくて……」
心配そうな声のリグルに、橙は振り向いた。
「橙の主の……藍さんに相談しなくていいの?」
「……………………」
リグルの指摘はもっともだった。
結界の外からやってきた青を、山の妖怪の目をすり抜けて送り返す。それは簡単な作戦とは程遠い。
なにせ相手は幻想郷でも指折りの妖怪である天狗達である。その神通力は計り知れないし、数も多いだろう。
対して橙達は、いずれも妖怪としては小物である上に、青を含めて五人しかいないのだ。
この様な時に主の八雲藍が協力してくれたら、どんなに心強いことか。頭は橙よりもはるかに回るし、実力も天狗達にひけをとらぬ九尾の大妖怪である。そしてそれ以上に彼女は、八雲紫が寝ているこの季節は、外界と境界の管理者の一人であるはずなのだ。
橙としては、尊敬する主にこの件を相談しないというだけで、罪悪感に悩まされる。
しかし、橙が藍に協力を頼めない理由は、もっと不安に思うことがあるからなのだ。
「……うん。大丈夫」
橙は力少なく返事をした。
「本当に大丈夫?」
「本当だって。もうすぐ、山を流れる川の支流に着くよ。そこで、にとりさんを探そう。青が見つからないように注意してね、みんな」
橙は努めて、明るくふるまった。
暗い顔をしていても、いい結果は生まれないというのが信条なのだ。
でもそれは、そもそも、主から教わったことだったのだけど……。
○○○
青が飛べないために時間がかかったが、やがて五人は無事に、橙がにとりと出会った川にたどりついた。
河原もそこに生えている木々も、雪が積もっていて白一色である。
さらに川は、表面に薄い氷が張っていた。
「わー、冬にここまで来たのは初めてだねー」
「うん」
ルーミアとリグルは、興味深そうに、音を立てない川を見つめている。
橙はその間、あたりを見渡した。
やはり河の下にいるのか、にとりの姿は見当たらない。
なるべく、他の河童に見つからないようにしたいのだが。
「おい! そこのお前達!」
と考える間に、橙達は見つかってしまった。
呼び止めてきたのは河童だったが、顔見知りのにとりではなかった。
長い髪を後ろで束ね、長槍を手にした女の河童である。他に姿は見当たらない。
「こんなところで何している」
「なによ、遊んでるだけよ! 文句ある?」
先頭に立つチルノが、大威張りで言い返した。
河童はふむ、と橙達一人一人の顔を確認するように見た。
「そうだ、お前達。ここら辺で……そうだな確か……青いタヌキのような妖怪を見なかったか」
(タ、タヌキじゃ……ムグムグ!)
妙な声を出した黒い球体に、橙とリグルが同時に手を突っ込んだ。
その不思議な行動に、河童の目が向けられた。
「か、彼女は宵闇の妖怪で、タヌキが大好きなんですよ」
「そうなのか」
とっさに思いついた橙の言い訳に、河童は特に疑わしげなそぶりを見せずに納得してくれた。
厳しい表情を解いて、長槍を短く縮める。どうやら収縮自在の槍らしい。
「驚かせて悪かった。実はここら辺は今、山への侵入者が確認されている危険な領域なんだ。私ともう一人の河童が、この辺を見回っている」
「そ、そうなんですか」
「うん。だけど、ここで遊ぶのはかまわないよ。私の目の届くところでやってくれればね」
そう言って河童は、ニッと笑った。どうやらこの河童、子供が好きなようである。
が、逆に橙は焦った。強気だったチルノも当惑している。
相手がこの前会った嫌な河童だったり、敵愾心むき出しでやってくるというなら、こちらもファイトが湧いてくる。
だが、意外にもこの河童は、親切な人なようであり、この場合はそれが話をややこしくしてしまう。
奥に行きたいといえば怪しまれるだろうし、遊ぶふりをしても見張られていては、うかつに動けない。
どうしよう、どうしよう、と皆で顔を見合わせていると、
「あ、あんた達!」
助け舟がやってきた。橙の知っている河童の声だ。
「にとりさん!」
「『にとりさん!』じゃないよ、まったく!」
叱り声の正体は透明人間……ではなく、光学迷彩スーツを着た河童であった。
水色のおさげ二つに緑の帽子。迷彩を解いて姿を現した河城にとりは、隣の河童にぺこぺこと謝っている。
「す、すみません。この子らが何かしましたか?」
「ああ、違うよ。ここらで遊んでいただけだとさ。そうだ。にとりの知り合いなら、あんたが面倒を見ててくれないか。私は向こうの警備に戻るから」
「は、はい。わかりました」
どうやら親切なお姉さん河童は、にとりの上司だったらしい。
じゃあまたね、と手を振って、その河童は去っていった。
リグルはその後ろ姿を見ながら、
「びっくりしたなー。山の妖怪でも、ああいう人なら仲良くなれそうね」
「でしょ、でしょ? 山も悪い人ばっかりじゃないんだよ」
その意見に嬉しくなって、橙は何度もうなずいた。
横に立つチルノは、ふんと鼻を鳴らした。
「……河童にもいいやつがいる、ってことは認めてやるわ」
「チルノもありがとう!」
「妖怪にも悪ガキがいるってことを認めたいね、私は」
「に、にとりさん……」
険悪な声に、橙はたじろいだ。
じろり、と河城にとりが『四人』を睨んでくる。
橙はあらためて、ぺこりとお辞儀した。
「にとりさん。あけましておめでとうございます」
「ああおめでとうおめでとう。頭がめでたいのばかりで困ってるよ本当に」
「……ひょっとして、今日のにとりさん、機嫌が悪い?」
「まあね。でも本音はあんた達のせいじゃないよ」
そこに北風が吹き、ひゅいっ、と声を漏らして、にとりは両腕で体を抱きしめた。
リグルはポンと手を打って、
「あ、わかった。寒いのが苦手なんだ。私と一緒だ」
「そうだよ! この寒いのに河の下から引っ張り出されて、下っ端は辛いんよ」
がたがたと震えながら、にとりは泣き言を漏らした。
「まあ組んだのが嫌なやつじゃなくて、あの人でよかったけど。あー寒い寒い。あ、そこに私も入らせて」
橙とリグル、そしてルーミアの黒い球体の間に、にとりは体を滑り込ませてきた。
隠れている青に気づくんじゃないか、と橙はどきりとしたけど、そうはならなかった。
にとりは、あーぬくいね子供は、と満足気に息をついただけだった。
「あの、にとりさんは、どうして見回っているんですか?」
「こっちこそ聞きたいわね。どうしてあんたたちがこの雪が深い時に、わざわざ山道を通って現れたんだか」
「ミスチーがいじめられたからよ!」
橙が適当な言い訳を思いつく前に、チルノがにとりの頭の上から叫んだ。
「ミスチーって?」
「あ、私たちの友達です。川にヤツメウナギを獲りに行った際に、天狗から攻撃を受けて、今は別の友達の家で休んでいるんです。一方的に大勢から攻撃されたみたいで……」
橙は話すにつれて、だんだん腹が立っていき、最後はつかみかからんばかりの剣幕で、
「ひどくありませんか、にとりさん!? どういうことか説明してください!」
対するにとりは、それを聞いて、苦い顔で、
「ごめん、それは悪いことをした。私はその現場にはいなかったけど、話は聞いているわよ」
「どうしてこんなことになってるんですか? 山は今、そんなに危険なんですか? 教えてください、にとりさん」
「実は……よく知らないんだよ。私らが天狗様から受けた命令は、二日前に山に現れた侵入者をできるだけ無傷で捕獲すること」
「え……」
「それ以外の山への侵入者は、速やかに撃退すること、それだけだから。上からの命令なんて、いつもそんなもんだよ」
じゃあミスティアは、『それ以外の侵入者』、ということで攻撃されたのか。
ますます腹立たしい話だったが、橙にとっては、青が『無傷で』捕獲されようとしている、というのは意外な情報だった。
それは、いったいどういうことだろうか。
「いくらなんでも無茶な命令だと私たちも思ってるんだけど。天狗様の中でもかなり偉い、大天狗様の命令だからね。逆らえやしない」
「大天狗?」
「そう。確か鞍馬という名前の天狗様だったかな。もっとも実際に動いているのは、その鞍馬様の側近を含めて十名ほどらしい。あとは、直属の私ら河童からも数名駆り出されているんだよ。……このクソ寒い時期に」
にとりは最後に不平を付け加えるのを忘れなかった。
「そもそも、その侵入者がどこから現れたか、私らには教えてくれないしね、天狗様は」
「じゃあ、天狗の人たちは、青……じゃなかった、侵入者がどこからかやってきたか知っているんですね?」
「ん、まあたぶんね。でもさすがにこっちから聞くわけにはいかないし、なんかすごくピリピリしているんだよ、あの天狗様連中。でも私にも、怪しい場所の見当がついてるんだな、これが」
「え、本当に!?」
「うん。もっと奥に入ったところに、岩だらけの場所があってね。おおかた、そこで行っていた『例の実験』が原因じゃないかと……」
「例の実験?」
「と、しゃべりすぎた!」
にとりはそこで立ち上がった。
「ほら、子供は帰った帰った。いくら私が見ていても、ここらで遊ぶのは危険すぎる。ましてやこの先の天狗様達は、子供だからって容赦なんてしてくれないよ。友達には悪いことをしたと思ってるけど……」
橙はそこまで聞いて決心した。
「ルーミア。闇を解いて」
「遊ぶなら麓に戻って、子供らしく平和に雪だるまでもつく……って……」
にとりの声は消えていき、口だけがパクパク動いていた。
闇を解いたルーミアの下には、困った顔をした青が……、
まさに、にとり達が捜している『侵入者』が立っていた。
「こんにちは、ぼく青です」
「あの、にとりさん。落ち着いて聞いてね」
「たあああいへっ! ………………むぐむぐ!!」
いきなり大声をあげようとしたにとりに、橙達は慌てて飛びかかり、六つの手で口をふさいだ。
にとりは、じたばたと暴れる。
「にとりさん! 大声ださないで!」
「むぐむぐむぐううう!!」
「落ち着いて話を聞いてください!」
「むぐぐぐぐ、ぐぐ!?」
「この子は青っていうの。私達の友達なんです」
「むぐー!!」
「色々あって、私の式になって、今から外の世界に帰そうと」
「むぐぐぐ、むぐむぐう!!」
「あー、うるさい河童ね! 凍らせるわよ!」
「むぐ……」
チルノが寒さで脅すと、にとりはおとなしくなった。
そこで、橙達は互いに協力して、これまでの経緯をかいつまんで説明した。
「……というわけです。私たち、青を元の世界に返したいんです。ちゃんと見届けたいんです」
「……………………」
「だから、にとりさんが知っていることを、少しでも教えてください。あとは私たちで何とかしますから」
「……………………」
「お願いします!」
「お願いします~」
五人は頭を下げる。
その間も、橙は右手でにとりの口を押さえていた。
橙たちの必死な説得を、にとりはしばし動かずに聞いていた。
が、やがて、諦めたように、ぱたぱたと手を振ったので、それを合図に、橙達は押さえつけていた手を放した。
にとりは静かに立ち上がった。もう騒ぐ様子はなかったが、非常に暗い顔をしている。
「橙。私はここで何も聞かなかった」
「え……」
「そしてあんた達は、ここで遊ぶのをやめて麓に帰ったんだ。いいね」
「にとりさん……」
有無をいわさぬその口調に、橙はしょんぼりと尻尾を垂らした。
やはり無理な相談だったか、と。
にとりは髪をかきむしりつつ、もう片方の手でリュックから大きな赤い布地を取り出し、その場に放り捨てた。
意外な行動だったが、続く言葉はさらに意外であった。
「そして、なぜか私はここで、新開発の『光学迷彩シート』を落としてしまった」
「………………?」
「あと、そこに見えている山道をまっすぐ行った先の岩窟にだけは、絶対に近づけるなとだけ天狗様から聞いていた。……と、なぜか独り言がでてしまった」
「にとりさん!?」
「あとは知らない」
「助けてくれるんですね! ありがとう!」
「…………私は見てない聞いてない言ってない」
にとりが耳をふさいでうずくまってる間に、わーい、と五人は大きな赤いシートを広げる。
すぐにそれは、シビビと音を立てて透明になり、手触りだけになった。
その下に体を寄せ合って隠れてみたが、どうしても一人、外に余ることになった。青の体が大きすぎたのだ。だが、青は一番隠れていなくてはならないので、誰か一人、外に出なくてはならない。
チルノがいいんじゃないか、と案を出したのはルーミアだった。
「だって、一番ここでうろうろしてても怪しまれそうにないしー」
「あ、そうか。チルノは妖精だもんね」
「えぇー!? あたいだけ仲間はずれなの!」
チルノがものすごく不機嫌な顔になった。
彼女は妖精ということで仲間はずれにされることをもっとも嫌う。
それを誰よりも知っていたので、橙は急いで言った。
「違うよ。チルノじゃなきゃ案内できないの。すごく大事な役目だよ」
「え、本当に?」
「うん、さすがチルノだね。みんなの先頭に立って」
「よーし、最強のあたいについてきて!」
チルノは一転、ご機嫌で行進しはじめた。
それに皆は続いて……足を止めた。
振り向いて五人でお礼をいう。
「にとりさん、ありがとうございましたー!」
「うるさい! 私は何も聞いていない! とっとと行け!」
きゃー、と駆け出す五つの背中に向かって、にとりは怒鳴り声を浴びせた。
やがて、子供妖怪達はシートに隠れてその姿は見えなくなり、気配も消えていった。
四人の足音が完全に聞こえなくなってから、にとりは嘆息した。
「あーあ、やっちゃったよ」
立派な命令違反である。
上司にバレたらクビじゃすまないだろう。よくて追放、悪くて極刑だ。
あとは橙達が、何とかバレずにうまくやってくれることを祈る他はない。
どうも去年から橙には、厄介事ばかり頼まれているようだったが……。
と、そこに彼女の上司が戻ってきた。
「にとり、あの子達は? 何だか怒鳴ってたけど」
「あ、すみません。聞き分けが悪かったんで、きつく叱ってから帰らせました」
にとりの口から、さらりと嘘が出た。
「そうか。ちょうどいい、今しがた、天狗様の一人がやってきた。もしかしたら私らも、詳しい事情が聞けるかもしれない」
「天狗様が? だー、惜しい。もう少し早ければ……」
「は?」
「い、いや、なんでもないです」
不審げな顔をする上司に対し、にとりは冷や汗を流しつつ、笑ってごまかした。
が、後に天狗から真相を聞かされると、にとりは血相を変えた。
○○○
案内のチルノを先頭にして、橙達は光学迷彩シートをかぶって、山道を進む。
一人だけ前を飛ぶチルノは何度も振り返った。橙たちの姿が見えないのが気になるらしい。
「すごい仕掛けだねー」
と、シートの下の皆は感心した。
河童の技術力は幻想郷で右に出るものはなく、にとりも優秀なエンジニアの一人なのだ。
橙は他にも、にとりが作ったり修理した、すごい機械を見せてもらったことがあった。
「にとりさんが協力してくれて良かった~」
「あの河童さん……ぼくのために」
「青は気にしなくていいよ。私があとでちゃんと、何かお礼を考えるから」
「橙の人脈が役に立ったってことね。どうせなら、大天狗にも友人がいたら、話がスムーズに行くんだけど」
「ふふふ。今度頑張ってみるから」
もし本当にそれが実現したのなら、とても愉快なことになりそうだった。
相手が大天狗となれば、さすがに無理だと思わないでもないが。
「あ、誰かいる」
先頭のチルノが指をさした。
山道をふさぐような格好で、白い犬の耳を生やした白狼天狗が一人立っていた。
つまり、ここから天狗の領域に入るということだ。河童よりも攻撃的で、はるかに危険な相手である。
見つからないですむ方法がないか、早速シートの下で作戦会議が始まった。
「どうやって通ろうか」
「横を通り抜けられないかなー」
「雪に足跡がついちゃうから、だめだと思う」
「青を持って飛ぶとかはどう?」
「それだと四人で協力しなきゃいけないよ」
「ごめん、ぼくが重たいせいで」
「あ、そんな意味で言ったんじゃないのよ青。ごめんなさい」
「どちらにせよ、これ以上近づくと、さすがに姿が見えなくても、気づかれちゃうかもしれないし……」
「あたいにまかせて!」
一際でかい声は、シートの外にいる氷精のものだった。
「ち、チルノ……! 大声出しちゃだめだって」
「大丈夫! 最強のあたいにかかれば、天狗なんてけちょんけちょんよ!」
チルノの声に気がついたらしく、白狼天狗が近づいてきた。
迷彩シートの下の四人は、会議をやめて慌てて口を閉じる。
だがチルノだけは、その天狗に向かって、堂々と歩いて向かっていった。
「ちょっとあんた!」
「なんだ。やかましい声がするかと思ったら、妖精か」
「妖精だったら何なのよ」
「シッシッ。あっちに行け」
「虫みたいに追い払うんじゃないわよ! 私はリグルじゃないわ!」
シートの下で、当のリグルは憮然とした表情になった。
「あたい達は……じゃなかった、あたいはここを通るの! あんたは邪魔だからどっか行きな!」
「それは私の台詞だ。私はここで侵入者が来ないか見張りをしているんだ。邪魔なのはお前だ」
「どうせあんた達なんかに見つけられないんだからいいじゃん!」
「なんだと! 妖精のくせに生意気な!」
職務に真面目らしいその天狗は、乱暴な口調でチルノに怒鳴っている。
が、チルノも負けていない。キンキン声で罵詈雑言を浴びせている。
それを見る青は、シートの下でおろおろしていた
「あらら、喧嘩になっちゃった」
「チルノ……目的ちゃんとわかってるのかな」
「ときどき理屈に合わないことをするのがチルノだからね」
シートの下で、橙とリグルはげんなりした顔になった。
ところが、激昂した若い天狗が刀を抜き出したので、緊張感がはね上がった。
「いい加減にしろ! お前にかまってる暇はない! この刀が目に入らないのか!」
「そんな刀、怖くないよ! やれるもんならやってみな!」
これはまずい。
無謀なチルノを助けようと、橙は飛び出しかけた。
と、そこに風が吹いたため、四人は慌ててシートが飛ばされないようにしがみついた。
「あやややや。誰かと思えばチルノさんじゃないですか」
「あー! 天狗のしゃめいまるあや!」
黒髪に黒い翼、やはり黒の短いスカート。鴉天狗の新聞記者、射命丸文だった。
白狼天狗は文を見て、すぐに抜いた刀をしまった。
「文さんのお知り合いで?」
「まあ、そんなもんね。椛はどうしてここに?」
「それが、上からの命令でして」
「ああ、例の侵入者騒ぎか」
「はい。ですから私は、ここで見張りをしています。私の目なら、絶対に見つけ出せる」
その自信を聞いて、橙は山の見張り役である、白狼天狗の噂を思い出した。
千里先まで見通すことの出来る、ものすごい視力を持っているそうだ。
このシートが無ければ、自分達もあっという間に見つかって捕まっていただろう。
橙はあらためて、心の中でにとりに感謝した。
現れた射命丸文はチルノに向かって、いかにも人懐っこい、しかし裏がありそうな笑顔をみせた。
「ところでチルノさん。何か面白いネタはありませんか」
「なんにもないわよ!」
「ところが、私のブンヤの勘が告げているんですよ。チルノさんが何か情報を持っているとね」
手帖を取り出した文は、しゃがみこんで聞いてくる。
「そうですねぇ。この季節になって現れた、太った怖い妖怪を知りませんか。私達天狗は、それを探しているんです」
「うっ……!」
「あ、やっぱり何か知ってますね」
「知らないってば!」
「隠さなくてもいいんですよ。大丈夫、チルノさんに迷惑はかけません」
「うう……」
強気だったチルノの表情に、迷いがでてきた。
天狗は狡猾で口が上手い、だから油断してはいけないと、橙は主から聞いている。
今すぐチルノに、それを伝えに行きたかったが、それだと青も見つかってしまうおそれがあった。
したがって、シートの下の四人は、沈黙したまま、心の中でチルノを応援するしかない。
――頑張って、チルノ!
「それは我々の山どころか、幻想郷にとっても危険な妖怪なのです。ですから、我々はすぐに見つけて、しかるべき対処を取る必要があるのです」
「……………………」
「チルノさんが情報を提供してくだされば、誰もが貴方に感謝しますよ。そして最強と認められること間違い無しです」
「……………………」
チルノが言い返さなくなったために、橙は不安になった。
まさか、このまま説得されてしまうんだろうか。
橙としてはチルノを最後まで信じたいが……。
「ですから、教えていただけませんか?」
「……………………」
「大丈夫。そんなに悪いようにはしませんから」
「………………うん」
チルノは小さくうなずいた。文の笑みが深くなる。
橙達は息を呑み、いつでも逃げ出せるよう身構えた。
「…………湖の側に、家があって、今はそこにいる」
それは、演技とは思えないほど真剣な口調だった。
「そうですか。ありがとうございます」
文は立ち上がり、傍らを見て、うなずいた。
白狼天狗の方も、思わぬ情報に色めきたっている。
「すぐに向かいましょう」
「ええ。そのかわり、記事は私のものよ」
文と椛はチルノに礼をいって、あっという間に飛び去っていった。
どうやら湖の側の家、つまりレティの家に向かったようだ。
シートの下の四人は、ほっと息をついてから、立ち上がって、
「すごいよチルノ! 天狗を騙しちゃうなんて!」
「もう駄目かと思ったー」
全員が口々に褒めるなか、チルノだけは、浮かない顔をしていた。
「レティ……大丈夫かな」
「大丈夫。レティなら上手くごまかして、引き止めてくれると思うよ」
「でもレティが捕まって、春まで閉じ込められちゃったら……」
「そんなことないよ。確かレティは、あの射命丸さんと知り合いだし」
「レティがそんな危険な妖怪だなんて、あたい知らなかった。でもレティは大抵は優しくて……」
「チルノ?」
何だかチルノとの会話がかみ合ってなかった。
もしかして……と橙は思って、聞いてみた。
「あのー、チルノ。天狗が言ってた『この季節になって現れた、太った怖い妖怪』って、誰のことだかわかってる?」
「だから……レティ」
しょんぼりした顔で、チルノはつぶやいた。
どうやら彼女は、本気で文の話を勘違いしていたようだった。
「チルノ。その話が、青のことだって、思わなかったの?」
「え、青?」
全く意外な指摘だった、とでも言いたげな顔で、チルノは青を見た。
「だって青は、怖くないじゃないの。でもレティは怒ると怖いし……」
そこまで聞いて、全員が腹を抱えて大笑いした。
「な、なんでみんな笑うのよ!」
「あはははは! だって! だって!」
「これ、絶対レティに聞かせられないよ! はははは!」
「あー! また、あたいが馬鹿だと思ってるんでしょ!」
「あはは、ち、違うよ! チルノは天才だよ!」
「ほんとほんと! 誰も思いつかないよね! さすがチルノ!」
「チルノは天才だー」
「そ、そう?」
「ありがとうチルノちゃん~」
「なんで青も礼を言うのよ」
「ボクが怖くないって、言ってくれたから」
そこで橙は、ハッとした。
やはり青は、自分が危険な妖怪じゃないか、ということを気にしていたのだ。
しかし、チルノは難しく考えないことにしたようだった。
「まあね! 最強のあたいにかかれば、こんなもんよ!」
うん、と思わず橙は、素直に認めてしまった。
単純だけど、芯は曲がっていない。チルノは本当に最強だと思った。
○○○
だが、橙達のその様子を見ていた白狼天狗もいたのであった。
「侵入者……本当それ?」
「間違いない。仲間の一人が確認した。妖精だと思ったが、集団で隠れてこっちに向かっているそうだ」
「その中に、例のアレがいるって?」
「ああ。どうする?」
「もちろんあの穴まで行かせるわけにはいかないだろう。お前と私、あとそいつと他二人ほどで捕らえよう」
「その前に、鞍馬様に報告しなくていいか?」
「いいさ。封印がされているなら、私達だけで十分だ。……いや待て、何でここまで奥に来るまで見つからなかった。まさか、鞍馬様の封印が」
「いや、どうやら、河童の光学迷彩を使っているようだ。おそらく盗み出したんだろうよ」
「まったく、物の管理を徹底させておかなくてはな。じゃあ、さっそく向かうか。待ち伏せは、例の崖の近くにしよう」
「わかった。俺は他の三人を呼んでくる」
二人の白狼天狗はそこで会話を終え、それぞれの目的へと飛んでいった。
○○○
何とか天狗との戦闘が回避できた橙達は、やがてとある崖の近くまで到達していた。
坂はますますけわしくなり、空気も鼻を刺すような冷たさに変わってきている。
木々が少なくなり、雪の中に岩肌が目立ってきたが、にとりのいう岩窟はまだ見えなかった。
五人は山道の脇で、休憩することにした。
「あーあ、まだつかないんだ」
飛びながら先導していたチルノは、退屈そうに足を空中でぶらぶらさせていた。
橙は、返事しようかどうか、一瞬迷った。他の三人も、疲労がたまっているようだ。
山を、ましてや冬の山を、飛ぶのではなく、視界を隠して歩いて登る経験など、めったにない。
毎日のように山を駆け回っている橙ですら、足に鈍い痛みを感じているのだ。同じく歩いている三人はなおさらだろう。
特に冬に弱いリグルと、足を動かすのが苦手な青が心配だった。
ただそこは、休憩するにはよい場所だった。
まず見晴らしがよい。
「いい眺めだねー」
「そうだね。お弁当を用意しとけばよかったね」
シートの下に隠れているために、よく見えないが、崖の向こうに、小さくなった霧の湖が確認できる。
他にも人里だったり、迷いの竹林だったり。
そのはるか先には博麗神社、霧に隠れた八雲一家の屋敷もあるだろう。
幻想郷の冬景色が、この場所から一望できた。
しかし、こんな山の奥から青は、あの橙達の遊ぶ麓まで下りてきたのだからすごい。
おそらくこの崖を転がって逃げてきたのだろうが……。
――あれ? でも何でだろう
橙は不思議なことに気がついた。青がこの世界に来た原因についてである。
彼女の主の主である八雲紫が開いたスキマでやってきたということは有り得ない。なぜなら、彼女は今冬眠の真っ最中であり、活動していないのだ。
他にも、博麗神社や無縁塚など、外との境界が薄い場所も存在はする。
しかし青はいきなり『謎の穴』とやらを通って『妖怪の山』に現れ、その山の妖怪に危険な侵入者扱いされている。
橙にとっては、不思議な話であった。
――どうしてだろう。まさか結界に異常が? そういえば、にとりさんが『例の実験』がどうのとか……
考え込む橙は、後ろからぽんぽんと肩をたたかれた。
青の丸い手だった。
「橙、疲れてなぁい?」
「青……」
心配をしてくれる式に、橙は微笑んだ。
「私は平気よ、ありがとう。青の方こそ大丈夫なの?」
「うん、大丈夫」
「なんか青、楽しそうだね」
そういえば、青はこうして山を登っている間も、ずっと楽しそうであった。
橙はその理由に心当たりがある。それも、面白くない心当たりが。
「あーそっか、元の主に会えるのが、そんなに嬉しいんだ」
「ええ?」
青は大口を開けて、面白いくらいにうろたえていた。
「いいなぁその人が羨ましい……」
「ち、違うよ橙」
「違わないでしょ。いいもん。どうせ私は、ちょっとしか主じゃなかったですよ。青の一番じゃありませんよーだ」
「そうじゃないんだってば~」
本気にした青が慌てるのが、ちょっぴり愉快だった。
橙はわざと意地悪な質問をして、青を困らせてみたのだ。
しかし、青の言い分は予想外のものだった。
「そうじゃなくて、昔を思い出したからだよ」
「昔?」
「うん。よくこんなふうに、五人で冒険してたから」
「……五人で冒険?」
「うん。過去に行ったり、宇宙に行ったり、海に潜ったり……」
と、そこまで言って、青の表情が消えていく。
橙もびっくりして、
「青! また、何か思い出したの?」
「昔……五人で……何度も……」
「他には? ねえ青」
橙は揺さぶって聞く。
だが、青が頭を押さえて、苦しそうにうめいているのを見て、すぐに手を引っ込めた。
「青、ごめん。無理しないで。辛いなら聞かないから」
「……うん」
青の表情は落ち着いたのを見て、橙はホッとした。
正直な話、前の世界の青の記憶にはすごく興味がある。けれども、本当に全部記憶が戻ってしまうのも怖かった。
ひょっとして、自分達のことを忘れてしまうんじゃないか、みんなの知る青じゃなくなっちゃうんじゃないか、と思って。
河童の噂、青が凶悪な妖怪であるという噂を信じてはいない。けれども、せめて、青が元の世界に帰るまでは、青は自分たちの知る青のままでいてほしかった。
橙はそこで気を取り直して、
「よし。それじゃあ出発しよっか。あ、リグルも疲れてない?」
「………………」
「リグル?」
リグルは返事をしない。真剣な顔で、音を集めるように、両耳に手をそえていた。
「どうしたの?」
「……橙、みんなも気をつけて」
「え?」
「嫌な予感がする」
脅かすような口調に、橙の背筋がヒヤリとした。
「ど、どういうこと?」
「ごめん、うまくいえないけど、誰かが近くにいる」
「つまりそれって……」
「うん、私達を狙ってる」
橙の耳には、外は静かなままだったが、リグルの勘は仲間一鋭い。
全員に緊張が伝わった。
「みんな、声を立てないで」
橙は口に人差し指を当てつつ、シートの下から、そっとチルノに声をかけた。
「チルノ。誰かいる?」
「ううん。いないわよ」
チルノはきょろきょろと、あたりを見回している。
「ちょっと探ってみる」
「気をつけてね」
「あたいは平気よ」
シートの下の四人を残して、チルノはふわりと空中に浮いた。
そのまま、少し離れた上空を八の字に見回っていると、
「危ない!」
青が叫んだ。
間一髪、チルノは身をかわす。
その横を去っていくのは、妙な皮袋であった。
同時に、とこからともなく飛んできた光弾が、皮袋に衝突する。
「な、なに!?」
袋は破け、真っ黒な液体が飛び散る。
それは、四人が隠れる『光学迷彩シート』を、墨色に染めてしまった。
そのねらいに気がついた時には、もう遅い。
「しまった! ばれてる!」
橙はシートを払った。
広がる視界の上部では、チルノが複雑な動きで飛んでいた。
弾幕をかわしているのだ。
その周囲を影が二つ、高速で飛行しているのがわかった。
白狼天狗だ。
しかも手に武器を持っている。
「月符『ムーンライトレイ』!」
橙の後ろで、ルーミアがスペルカードを発動させた。月の光に似た二つの青い光線が、チルノの周囲をなぎ払う。
それをかわした天狗達の注意が、こちらに向いた。
橙も黙ってはいられない。
「リグル! 青と援護をよろしく! 私はチルノの加勢に行くから!」
「うんわかった!」
というその返事を待たずに、橙は飛び出した。
地を蹴って、空へと向かう。
剣と盾を装備した天狗に、正面から向かっていく。
「このお!」
高く飛んで天狗の頭上をとった橙は、鋭い爪を出した。体を伸ばし、頭を下にして右手を振りぬく。
だが、橙の爪は、手ごたえ無しで空を切った。
それどころか、いつの間にか背後を取られている。
驚愕しつつも、振り下ろされる剣を、橙は空中で前転しながらギリギリでかわした。
背中に熱が走った。
「橙ー!」
下で青とリグルが叫ぶ声がする。
だが、橙が斬られた傷は浅かった。この程度なら、妖怪にとっては傷のうちに入らない。
それでも、精神的には、少なからずショックがあった。
――こいつ……!
天狗の攻撃は止まらない。
盾を前に出しながら、啄木鳥のように、次々と剣を突き出していく。
猫の柔らかさを生かし、上下左右に体をくねらせて、橙はそれをかわし続ける。
だが、いくら後退しても、間合いを詰められてしまう。
――私よりも速い!
橙は相手のスピードに驚いていた。
橙の武器はスピードである。今まで、速さで負けたことはあまりない。しかし、天狗の空を飛ぶ速さはそれを上回っていた。
鴉のような鳥の動きとも全く違い、むしろ予測不能の風の動きに近い。だが、普通の風は、敵意も武器も持っていない。
つまり、闘う相手としては、危険極まりないということだ。
反対側では、チルノがでたらめに、スペルカードを連発していた。
攻撃しているようにみえて、実際は防御の型になっている。
やはりチルノも、天狗のスピードにはついていけず、闇雲にしか攻撃できないのだ。
天狗もそれにかぶせるように弾幕を発生させ、安全圏にいるチルノを炙り出そうとしている。こちらも捕まるのは時間の問題だった。
と、そこで、天狗の攻撃が一瞬止んだ。
ルーミアが地上から、弾幕で援護してくれたのだ。
「橙、チルノ! 空じゃ危ないよ!」
リグルの声に従い、橙は身を翻して、地上を目指した。
地面に降り立ったところで、ひゅんっ、と天狗が回り込んてくる。
構えた大盾で、橙の頭部に殴りかかってきた。
「まぁてぇ!!」
そこに突進してきたのは、なんと青だった。
巨体を生かした捨て身の体当たりは、しかし天狗にひらりとかわされた。
その先は崖。
「って危ないでしょ青!」
危うく崖から落ちそうになった青の腕を、橙はつかんだ。
重たい体を、遠心力を利用して一回転。リグルの場所へと投げる。
絶好の隙ではあったが、天狗はそれ以上追撃してこようとしなかった。
橙はリグル達の元へと、素早く駆け戻った。
上空に向かって呼びかける。
「チルノも早く降りてきて!」
「こんなの平気よ! 最強のあたいにかかれば……わわわ!」
高速で剣を振るってくる白狼天狗に、チルノは慌てて橙たちのもとに逃げ出した。
それを見送って、天狗は一度旋回してから、空中で足を止めた。
その横に、橙と戦っていたもう一人がつく。二人はいずれも、山の警備を任されている白狼天狗に間違いなかった。
その片方が、高圧的な声で、
「ガキ共。その青い太った奴をこちらに引き渡せ。さもなくば、次は本気でやるぞ」
「冗談!」
チルノがそれに、腰に手を当てて怒鳴り返した。
「天狗の脅しなんて怖くないわ! かかってきな!」
橙も全く同じ気持ちで言った。
「乱暴な人たちには、青は渡さないよ!」
「ほざけ!」
天狗は左右に分かれて、橙達を囲みにかかった。
「みんな! 青を守るよ!」
「おー!」
中心の青を背にして、四人はそれぞれ別々の方向に身構えた。
二人の天狗は互いに位置を入れ替えながら、隙をうかがっている。
時折、頭上を剣で、掠めるようにして攻撃してくる。
チルノはそれに、ひゃあ、と頭を下げた。
やはり近接戦闘の経験の無い皆は、慣れない戦いにてこずっているようだ。
橙はなるべく全方位をカバーしたかったが、位置取りが難しい。
一方から飛んできた天狗に立ち向かい、左右の爪撃で追い払う。
「あれー!」
反対側から悲鳴が聞こえた。
ルーミアが天狗の一人に、髪を掴まれている。
「ルーミア!」
だが、天狗にさらわれる前に、青がすかさず割って入ったので、ルーミアは危機一髪で助かった。
その間も、もう一方から別の天狗が、しつこく頭上を脅かしてくる。
――落ち着かなきゃ! こんな時、藍様ならどうするか!
場を大局的に見つつ、瞬時に考え行動すべし。
主の教えを胸中で反芻する。
向こうの数は二人、こちらは青を抜かして四人。数では有利だけど、相手は天狗だ。
このままかすり傷程度で切り抜けられるとは思えない。
現にさっきの橙も、今のルーミアも、青が助けに入らなければ……
青が助けに入らなければ?
そこで橙は気がついた。
さっきの攻撃も、今の攻撃も、青が割って入ることで中断したのだ。
そして、青が近くにいある間は、天狗は攻撃をしかけてこない。
弾幕で一斉に攻撃しようともしてこない。
にとりからの情報が、頭をよぎった。
天狗はできるだけ、青を『無傷』で生け捕りにしようと考えて……
「みんな! 作戦変更! 青の後ろに隠れて!」
「は!? 何考えてるの橙!」
「いいから早く!」
橙達は大急ぎで近くの大木を背にし、青を正面に立たせた。
とたんに、天狗達はひゅんひゅんと飛ぶばかりになった。
攻撃の手が完全に止まっている。やはり迷っているのだ。
リグルが目を丸くして、
「橙! これって、どういうこと?」
「あの天狗達、青を捕まえたいけど、傷つけたくないみたい。つまり、青の後ろにいれば私達は」
「大丈夫ってことね! よーし、『アイシクルフォール easy』!」
チルノが前に出て、スペルカードを放つ。
左右から曲線的に放たれた氷弾は、天狗の一人の退路を絶った。
「ってチルノ! それは……」
天狗は下がるのをやめ、剣を振りかざして接近戦を挑んでくる。
チルノの『アイシクルフォール easy』は、放ったチルノの正面が隙だらけなのだ。
なので、張り付かれたら一貫の終わりである。
一対一では。
「さぁかかって来い!」
チルノが引っ込む前で、青が前進し、短い手足を精一杯伸ばして盾となった。
想定外の盾の出現に、天狗がたたらを踏む。
その隙を逃さずに、
「リグルキィーック!!」
青の脇から、稲妻のごときリグルの飛び蹴りが放たれる。
不意をついたその一撃は、見事に天狗の顔面に突き刺さった。
天狗は一瞬停止した後、ふらふらと地面に崩れ落ちた。一人倒すことができたのだ。
「やった! 大成功!」
「いいよ青! その調子で、みんなの盾になって!」
「うん!」
主の橙の命令に、青は力強く請け負った。
「おのれ!」
仲間をやられた天狗が形相を変えて、飛びながら青の後ろに回り込もうとする。
橙達はきゃーきゃー叫びながら、青を中心にして、四方八方に逃げまわった。
「待てこの!」
「こっちこっちー!」
「ちょこまかと逃げおって!」
「やーい、鬼さんこちらー」
子供妖怪の動きは、毎日の鬼ごっこで鍛えられている。
おまけに、動きは鈍いとはいえ、攻撃できない青という盾があるために、若い白狼天狗は狙いを定めることができない。
焦った天狗は、いつの間にか地上付近まで誘われていることに、気がつけなかった。
「今だ!」
そこで橙達が、わっと攻めかかった。
四方から同時に飛びかかり、天狗の武器を持った手と体を押さえつける。
最後に、青がその背中に、よいしょと乗っかり、天狗は目を回して気絶した。
チルノが勝利の喚声を上げる。
「やったあ! 天狗に勝ったよ、あたい達!」
「油断しないで! まだ他にも隠れているかもしれない」
橙達は身構えたまま、周囲を警戒した。
だが、しばらく待っても、援軍が来る気配はしなかった。
どうやら戦いは終わったようだ。
チルノは腕を組んで、
「最強のあたいと青がいれば、天狗なんてけちょんけちょんよ!」
「そうだった! 青、大活躍だったよ!」
「いやぁ、それほどでも」
橙に褒められて、青は舌を出して照れ笑いしている。
リグルだけは浮かない顔をしていた。
「ねぇ橙。にとりさんのシートが汚れちゃったから、もう隠れられないよ」
「うん、そうだね」
橙は青の頭を撫でつつ、気を引き締めなおした。
「でも、目的地はきっと近いよ。絶対に青を、送り返してみせる。行くよみんな!」
「おー!」
橙達は気絶した天狗二人を放っておいて、山道を出発した。
当初、他に潜んでいた天狗は三名いた。
だが彼らは、いずれも何者かによって気絶させられていた。
橙達は誰も、それに気がつけなかった。
○○○
「どうやら、ここのようね」
一方その頃、射命丸文と犬走椛は、チルノの情報にあった、湖の側の一軒家に来ていた。
「どうしますか? 相手は危険な妖術を使うと聞いていますが」
「天狗にかなう妖怪が、そうそういるとは思えないけど。私が交渉役になるから、怪しい動きがあったら、椛が捕らえて」
「わかりました」
段取りを決めてから、文は玄関の扉を、コンコンとノックした。
はぁ~い、とのんびりした返事が、中から聞こえる。
開いた扉の向こうでは、意外な人物が立っていた。
「あれ? 貴方は確か……」
「今年の冬は珍しいお客さんばかりね~」
「レティ・ホワイトロックさんですよね。以前取材をさせていただいた、射命丸文です」
「ええ。天狗の記者さんね。お久しぶり~」
レティは文の後ろを覗き込んだ。
「もう一人は、はじめましてね。立ち話もなんだから、二人とも、中でお茶でもいかが?」
「え、ええ。それではいただきます」
「どうぞ~」
レティは奥に消えていく。
文は後ろを向いて、椛と目を合わせ、
「?」
と互いに疑問符を浮かべて、肩をすくめた。
文と椛は、レティの家の居間にある、木製の四角いテーブルに案内された。
二人はその六つある椅子の二つに、とりあえず腰を落ち着ける。
テーブルにはレティの手により、二人の分の紅茶のカップが用意された。
「それで、本日はどのようなご用件?」
「突然お邪魔してすみませんでした。ぜひ聞きたいことがありまして」
早速文は、レティから情報を得ようとした。
「実は私達は、ある不審な妖怪を求めて、お宅にやってきたのです。チルノさんの案内で」
「あら、チルノがここに案内したの?」
「ええ、そうです」
文は言いながら、手帖と羽ペンを取り出す。
そして前置き無しで、いきなり本題に入った。
「単刀直入に聞きますが、ここにその妖怪はいるんですか?」
「ふふふ、どう思う?」
「隠してもためになりませんよ。教えてください」
レティは紅茶を一口飲みながら、
「いるわ」
と、静かにうなずいた。
文の表情は変わらなかったが、椛はぎょっとして、あたりに素早く視線を走らせている。
レティはその様子をおかしそうに眺めながら、文に別のことを聞いた。
「私からも聞きたいんだけど、チルノからどうやってここを聞き出したのかしら」
「普通に質問しただけですよ。素直に答えてくれました」
「なんて聞いたの?」
「えーと、『この季節になって現れた、太った怖い妖怪を知らないか』と」
何かが割れる音がした。
レティの持つカップに、小さなヒビが入っている。
だが、それを持つレティの表情は変わらなかった。
「私が知っている情報は、それくらいでしたので」
「……………………」
「どうかしましたか」
「……いいえ。でも、そういうことだったのね」
「その妖怪がいる家が、レティさんの住む家だったとは、思ってもみませんでしたがね。それで、どこに隠れているんですか?」
「その前にもう一つ聞いて良いかしら」
「お断りします。情報交換はフェアが原則ですからね」
「向こうにね」
レティが奥の部屋を指差した。
「私の大切な夜雀の友人が、怪我をして眠っているの。それも、天狗に攻撃されて」
「天狗の領地に、無断で入ったんでしょう。当然、その程度の覚悟はするべきです」
「でもあまりにも一方的だわ。多勢に無勢。それにはたして、スペルカードルールも守らない攻撃が許されるのかしら? いくら天狗といえども」
文にとっても、それは寝耳に水であった。
思わず横の椛に問う。
「どういうことなの、椛」
「いえ、私もその件については、話に聞いているだけです。おそらく、鞍馬様の側近の所業ではないかと」
「鞍馬様……」
「はい。私の見張りの命令も、鞍馬様からのものでした。ですが、末端の私には、詳しい目的は知らされていないんです。ただ、侵入者を捕らえろというだけで」
「そう。それは何だかきな臭いわね。あとで調べてみなくちゃ」
「その『くらま』というのは誰かしら~?」
二人だけの話題に、レティが口を挟んだ。
「あいにく、山の身内の情報について明かすことは許されませんよ」
「たった今、きな臭い、とかいう言葉が出た気がするんだけど」
「いえいえそんなことは。鞍馬様は、大天狗の一人です。ただ天狗の中でもかなりの武闘派でしてね」
「武闘派……つまり荒っぽいってこと?」
「人気がある方ですよ。側近の方々は、お馬鹿さんばかりですが、鞍馬様自身は、力こそが絶対と考える、きわめて妖怪らしいお方です。スペルカードルールに、最後まで反対した方ですし」
「それは怒らせると怖そうね~」
「そうですね。ただ私は鞍馬様と違って、新聞から生み出される情報、世論こそが『力』と考えますが、鞍馬様は……」
「文さん」
「おっと失礼。しゃべりすぎは悪い癖でして」
文はもとの笑顔に戻って、手帖をしまった。
「さて、そろそろ教えていただけませんか、レティさん? 貴方が隠していると思われる、その妖怪の居所を」
「嫌だといったら~?」
「天狗に逆らうのは無謀ですよ。もっとも私はルールを守るタイプです」
文はそう言って取り出したのは、スペルカードだった。
横の椛は、黙って成り行きを見守っている。
レティはふふふ、と笑って、
「地下室に隠れているわ。ここから連れて行ってもらえるかしら」
「わかりました。ご協力感謝します。さっそく案内してください」
「こっちよ~」
レティは文と椛を、床に備え付けられた鉄の扉に案内した。
「この下の氷室にいるわ。彼は寒いところが大好きで、居座って困ってるのよ。私一人じゃ手におえないし……」
「では我々が行きましょう。椛」
「はい。私が先頭に立ちます。レティさんはここで待っていてかまいませんよ」
「ありがとう」
椛は剣を片手に氷室の扉を開け、中を警戒しながら入り込んだ。
文も滑るような動きでそれに続く。
「……えい」
レティはすぐに扉を閉めた。
さらに頑丈な閂を二重にかけ、素早くその上にベッドを運んで重石にした。
おまけに氷室の温度を、マイナス20℃ほどにした。
「橙達が無事に帰ってくるまで、そこで二人で我慢していてね~」
地下から聞こえるわめき声に対し、レティはのんびりと笑顔で言った。
○○○
いよいよ景色に木々がなくなってきた。
今さら姿を隠してもしょうがないので、橙達は堂々と山道を行進していた。
「あーたいチルノー♪ バーカじゃないー♪ てーんかむーてきのようせいよー♪」
チルノは先ほどの勝利がよほど嬉しかったらしく、変な歌まで歌いながらご機嫌に行進している。
ここまで能天気にはなれないが、橙もいい気分だった。二人だけだったとはいえ、天狗達に一泡吹かせることができたのだから、疲れも吹き飛ぶ。
だが、その天狗達の姿が、一向に見当たらないのが不気味だったが。
「もっとすぐに襲ってくるかと思ったけど、全然来ないね」
リグルは先ほどから、怪しい気配がしないかと、びくびくしていた。
「そうだね。何事もなければ、それでいいんだけど……」
橙も浮かれすぎないよう、慎重に進むことにした。
そのうち、視界が開けてきた。
急だった山道もなだらかになり、平地とほとんど変わらない。
その先を抜けて、四人がたどりついたのは、大きな広場だった。木は一本も生えていないが、妙な形をした岩がたくさんある。雪がかぶさったそれぞれの岩は、天然の雪像と化していた。
「わー、ここで遊んだら楽しそうだねー」
ルーミアのいうとおり、かくれんぼや鬼ごっこには最適な場所に思える。
もちろん、今はそんなことをしている場合ではないが。
岩だらけの場所……橙は思いだした。
「そっか。にとりさんが言ってた場所って、ここかな」
だけど、そこには橙たちの他に、誰もいなかった。天狗の姿も見当たらない。
隣のチルノは、遠くに見える山肌にぽっかりと開いている、洞窟を指差した。
「橙、あの穴が怪しいわよ」
確かに、その洞窟のまわりだけ、不自然なほど雪が無くなっていた。
つまり、あそこで何らかの作業が行われていた可能性がある。にとりの情報にあった、近づけてはならない岩窟とは、あれに違いない。
「青、どう思う?」
「うん。きっとぼくは、あそこから来た!」
「よーし、行くわよー!」
「あ、待って~」
と、チルノが元気に飛んでいくのを、ルーミアが追う。
遊んでる場合ではないとはいえ、やはりこんな場所では、鬼ごっこ気分になってしまうようだった。
「ちょっと二人とも! 危ないよ!」
とリグルもそれを追う。
だけど、一番鬼ごっこが好きな橙と、その式の青は、あの洞窟まで走る気にはならなかった。
一度ぐっと深呼吸する。青もそれに習うように、大きく息を吸って吐いていた。
「はぁ。ようやくここまで来れたね」
「うん……」
「よかったね青。きっと、もうすぐ帰れるよ」
「うん。橙、本当にありがとう。ぼくの我儘を聞いてくれて」
「……いいよ。だって式の頼みだもんね」
素直にそれが言えるようになった自分が、ちょっと好きになれた。
「うう、ありがとう~」
「ってすぐに泣かないの」
青は最後まで、感激屋さんであった。
ハンカチを取り出そうとして、橙はスカートのポケットの中に、大切に忍ばせていたものを思い出した。
「あ、そうだ青。私、あとで青に渡すものがあって……」
そこで尻尾が何かに触れ、びくっ、と橙の体が反応した。
後ろには誰もいないはずなのに、耳元で誰かが囁いた。
(橙、そいつを連れて、ここから逃げろ!)
切羽詰ったその声は、
「にとりさん?」
橙は驚いて振り向こうとした。
「あー、なにすんのよ!」
だが、その前に、甲高い罵声が聞こえた。
遠くで、突然空中に現れた投網に、チルノが捕まっている。
羽や足に絡まったそれを、何とか振りほどこうとしていた。
「チルノー!」
と、それに駆け寄ろうとするリグルが、不意に転んだ。
その横の空間が、不自然にゆらめいている。ぐにゃぐにゃとしたその形は、透明な人の姿をしていた。
橙はその正体に思い当たった。まさか、
「河童!?」
と橙が叫ぶと同時に、リグルの体が、空中に持ち上がった。間違いない、姿を消した河童が、彼女の首をつかんでいるのだ。
その見えない敵に向かって、ルーミアがそれー、とぶつかっていった。
操り糸が切れたかのように、リグルが地面に落ち、透明だった襲撃者の全身が、バチバチと音を立てて色を取り戻していく。
現れたのは、一昨日に橙達に警告をした河童だった。
「ちぃっ!」
その舌打ちを合図にして。
突如、誰もいなかったはずの広場に、次々と天狗が姿をあらわしていった。
それも空から舞い降りるのではなく、空間に突然色がついて現れるのだ。
橙は肝をつぶした。
「ゆ、幽霊!?」
「違う橙、さっきの道具だ!」
「あ!」
青のおかげで、橙は状況を理解した。
にとりが橙達に貸してくれていた、光学迷彩シートだ。天狗達はその下に隠れていたのだろう。
橙達の目標がここにあることを知って、待ち伏せされていたのだ。
しかも、数は十名近く。いつのまにか橙達は周囲を囲まれており、チルノにいたっては捕まっている。
まず今なすべきことは、
「青、チルノを助けよう! さっきと同じ作戦で行くよ!」
「うん!」
橙が後ろに一歩下がり、青を前に立たせる。
それを盾にする形で、橙は前方に弾幕を撃った。
狙いはチルノを囲む河童と天狗である。
案の定、投網を押さえていた河童は反撃できずに退いた。
天狗の方はこちらを向き、弾を出しかけてやめる。
やはり青を攻撃できないのだ。
その間、リグルとルーミアも態勢を整えることができた。
先ほどとは相手にする数が違うが、目指す洞窟はもう目の前である。
あそこまで、何とか青を連れていけば。
――よし! まずは目の前の敵を!
走り出す青の後ろから、橙が一人の天狗に狙いをさだめようとすると、
「オン キリキリ キャクウン」
それは低い歌声に聞こえた。
冬の山の静寂を、さらに深めたような声。
しかし、それが次にもたらしたのは、悲鳴だった。
「ぎにゃああ!!」
青の体が突然放電した。
後ろにいた橙が、わぁっ、と急停止する前で、青はふらふらと倒れていく。
「青!?」
橙は抱きとめようとしたが、その体は重く、地面に倒れこむにまかせるしかない。
雪の上に横たわる青を、橙は揺さぶった。
「青! しっかりして!」
「ううん…………」
青は完全にのびた状態だった。
さっきの不思議な呪文が聞こえてから、急に倒れてしまったのだ。
はっ、と橙は気がついた。
青のお腹に貼られた御札、剥がそうとしてもびくともしなかった御札が、今は怪しげな光を放っている。
橙が手をかざすと、痺れるほど強い妖力が感じられた。
まさかこれが原因で?
「ここまでご苦労だった。だが、遊びはもう終わりだ」
背後からかけられた声に、橙の背筋が粟立った。
後ろを向いて、その姿を見上げる。
そして、口を開けて固まった。
橙の三倍はあろうかという身長。組まれた丸太のような太い腕。彫りの深く、朱色に塗られた、厳しい顔つき。
全身の筋肉を覆い隠す山伏姿の服装に、背中に生えているのは白い翼。
見た目からして、普通の天狗とは格が違うことがわかった。
だが何よりも、その妖気が圧倒的だった。そこにいるだけで場を制してしまうほどの威圧感をともなっている。
橙の中にある妖怪としての本能が、畏敬とも恐怖ともつかない感情を訴えていた。
やっと口から出たのは、その名前だった。
「大天狗……」
「いかにも」
見上げる巨人は無表情で、口だけ動かして返答した。
「八雲の式の式よ。我こそは護法魔王尊、大天狗鞍馬である」
○○○
呆然とする橙を、大天狗鞍馬は冷たい瞳で、じっと見下ろしていた。
その間に、チルノもリグルもルーミアも、他の天狗に捕まってしまっていた。
青は地面に仰向けに倒れたままだ。唯一動けるはずの橙は、蛇ににらまれた蛙のごとく、大天狗の視線から逃れることができない。
絶対絶命である。
「んん……」
青が身じろぎしたために、橙の呪縛が軽くなった。
彼女の式は、半分閉じた目で、体を少し起こしている。まだ意識はぼんやりしているようだったが、体に異常はないようだ。
いきなり火花を放ったときは、どうなることかと思ったが。
「…………あっ!」
そこで橙は気がついた。
青のお腹に貼られていた、御札の正体についてだ。
大天狗をきっと睨み付ける。
「この御札を貼ったのは、貴方ね!」
大天狗鞍馬は頷いた。
「どうして!?」
「その妖怪の妖術を封印するためだ」
橙はそれで理解した。やはり、青は妖術を使えたのだ。
そして、使えなくなっていたのには理由があった。
この大天狗によって、封印されていたのだ。
「どうしてこんなひどいことするの! 青はいい妖怪だよ! そして私の式なの!」
「否」
大天狗はたった一言で、橙の訴えを、山を置くように踏み潰した。
「青と名をつけたのか。しかしそいつは妖怪ではない。お前の式でもない。そいつは異世界から迷い込んできた、機械人形だ」
「……機械人形?」
聞いたことの無い名称に、橙は眉をひそめた。
「はじめから説明しよう。八雲の式よ。お前達は思い違いをしている」
大天狗は腕を組んだまま、部下に目配せをした。
その合図で、橙の仲間達は、押さえつけられていた体を解放された。
しかし、リグルもルーミアも、チルノですら、文句を言ったり暴れたりする様子をみせなかった。
誰もが知りたがっているのだ。青が何者なので、どうしてここに来たのか、ということを。
皆の視線を集める中で、大天狗は語り始めた。
「六日前のことだ。我々はある実験を完成させようとしていた。河童の進めた研究の成果を実践するための実験、すなわち異世界へと通じる新たな道を開くというものだ」
「異世界へと通じる道……」
それがおそらく、にとりが言っていた『例の実験』ということなのだろう。
そのにとりは、この場でルーミアの側についていた。橙たちを捕らえる側に回って、心苦しそうな顔で、大天狗の話を聞いている。
「結論からいえば、我々が行った実験は半分成功で、半分失敗に終わった。予定とは異なり、異世界への道はほんの一瞬で、そのほとんどを閉じてしまった。しかし、その一瞬を通じて、そやつ、青がその異世界から、この山に迷い込んできたのは間違いない。この幻想郷の『引力』によって、引きこまれたことにより、な」
「引力……」
「そう。幻想入りしたということだ」
橙は青の顔を見た。
青は厳粛な面持ちで、大天狗の説明に耳をかたむけている。
彼自身も気になっていたのだろう、自分の出生を。
「事態が深刻になったのはここからだ。そいつは現れるなり、恐るべき妖術で暴れだした」
「えっ」
「それは天狗の我々ですら、驚嘆すべき妖術だった。使い方しだいでは、幻想郷をも滅ぼしかねないほどの強力な」
「そんな……」
「そのために、我がその妖術を封印した。それがその札だ」
その話は、橙が一番初めに聞いた、青の噂と一致していた。しかし、ここ数日でその噂は、全く信じられなくなっていた。一緒に暮していて、青がそんな危険な存在だとは到底思えなかったからだ。
しかし、それも大天狗によって、妖術が封印されていたからだとしたら。
揺れ動く橙の心情をよそに、大天狗の説明は続く。
「封印したはいいものの、運悪くその機械人形には逃げられてしまった。しかし、そやつの存在は放っておくには危険すぎる。したがって、一刻も早く見つけ、元の世界に戻す必要があった。妖術無しでは山を降りることなどできぬと思ったが、まさかお前達に保護されているとは思わなんだ」
「じゃあ……」
「そうだ八雲の式の式よ。もともと、我々の目的は同じであったということだ」
そこまで言って、大天狗は大きな手を、こちらに差し出した。
「異世界への穴は、まだ完全に閉じきっているわけではない。今なら元の世界に帰せる。その青を引き渡せ」
大天狗の口調は穏やかであったが、嫌とはいえない力をはらんでいた。
その山の平和に対する義務的な姿勢が、主の姿と重なった。
――やっぱり……藍様も……
橙がここまで藍に頼めなかった理由が思い出された。
それは、自分の行動を主に反対されたらどうしよう、ということだった。幻想入りした存在を、勝手に外に返してしまう、それも山の妖怪と険悪な関係になる可能性もあるのにだ。はっきりいって、橙の一存で解決していいレベルの話ではなかった。
だけどもし、主に反対されれば、橙はそれに従うしかない。そうなれば橙は傷つき、青の件も自分の手の届かないところで、『大人たち』の都合で解決されてしまう。橙はそれがどうしても嫌だったのだ。
しかし、今の大天狗の、すなわち『大人たち』の話では、橙の目的も天狗の目的も同じだということであった。おそらく幻想郷の平安を望む、主の藍も賛成するであろう。
そして何よりもそれは、青の願いが――向こうの世界の主と再び会えるという願いが、かなうということでもあった。
あとは、橙の願いは一つだ。
「……私達に青を、そこまで見送りさせてくれませんか」
「それはできん。機密なのでな。ここで別れをすませてもらう」
大天狗はやはり強い口調で、橙の願いを退けた。
橙はため息をついた。
「……橙」
「……青」
不安そうな青の瞳が、橙をみつめている。
橙はあえて、優しい眼差しで握手した。
「ここでお別れだね」
「……うん」
「元気でね、青。見送ることはできなくなっちゃったけど」
「うん。橙もお元気で」
仕方が無い。
ここで我儘をいっては、ますます主の藍を悩ますことになってしまう。
子供の自分達にも、妥協のしどころがきた、ということであった。
橙はここに来た仲間達に目を向けた。
チルノは悔しそうに唇をかんでいた。が、抵抗する感じはなかった。
リグルはうつむいて、残念そうだった。
いつも明るいルーミアも、珍しく諦めの表情をみせている。
橙も彼女達と同じ気持ちではあったが、やがてみんなも納得してくれるだろうと、何とか思いを振り切った。
そうして皆の顔を確認する中で、先ほど声を聞いた、にとりと目があった。
…………?
その顔は、橙の仲間や青、山の天狗や河童、ここにいる誰とも異なる表情であった。
にとりは何かを訴えていた。
口には出さずに、目だけで「やめろ」と、橙に忠告している。
そこで橙は、先ほどから感じていた、わずかな違和感に気がついた。
何だろう? 何か引っかかる。
思い出したのは、ここにたどり着いたときの、にとりの行動だった。
(橙、そいつを連れて、ここから逃げろ!)
そうだ。なぜあの時、にとりは自分達を、いや青と自分を、密かに逃がそうとしたのだろうか。
青を元の世界に戻すという、橙と天狗に共通する目的を知っていたはずなのに。
いや待て。
天狗と橙の目的は同じではない。
なぜなら、彼らはここに青を連れてくるな、という主旨の命令を、にとりに頼んでいたというではないか。
なぜ?
――天狗、異世界、穴、実験、河童、機械人形、すごい妖術、無傷で捕らえる、冬……
橙の頭の中で、ぐるぐると混ざった単語が一つの鍵となり、ある結論へと導く扉に、ぴたりと当てはまった。
その扉の向こうの真相を見たとき、橙の顔から、血の気が引いていった。
なんてこと。大天狗達の……真の目的は。
「さあ来い、青」
大天狗鞍馬が伸ばした手に、青は素直に向かう。
しかし、その青を、ぐっと引き止める手があった。
主の橙の手だった。
「どうした式の式。何をためらっている」
「青は渡せない」
橙は鞍馬を睨みつけながら、きっぱりと言い切った。
わずかに前傾姿勢になり、尻尾の毛を逆立てて、糾弾する。
「貴方達は、青を外の世界に帰すつもりなんてないんだ! じゃなきゃ、ここに近づけたくなかった理由がわからない! 本当は青を、帰したくないんでしょ!」
天狗達が、ざわめいた。
あやうく、彼らの計略に騙されるところだった。
「私わかったもの、どうしてこの冬に、異世界へと通じる実験を行ったのか。紫様の目から逃れるためでしょ」
「……………………」
「異世界に穴を開けようとしたのは、自分達の力を強めるため! だからこそ、やってきた青がすごい機械人形だから、自分たちのものにして、調べようとしたんでしょ! 自分たちの力にするために! それがあんた達の本当の目的だ!」
「根拠の無い一人合点だな」
「根拠ならあるよ!」
「ではなぜ、そう思う」
「決まってる! 青がいい妖怪だからよ! 青は理由なく暴れたりなんてしない! それこそ無理やり、天狗の命令で、河童に分解でもされようとしない限り!」
口に出してから、その行為のおぞましさに吐き気がした。
青もはっきりと怯えている。そして友人達も顔色を失っている。
対して、大天狗の配下の天狗や河童達は、あからさまに動揺していた。
その中でにとりが、注意しなければ気づけないほどわずかに、こくりとうなずく。
そこで橙は確信し、決意が固まった。
「青は渡せない!」
青の腕を引っ張って、胸に抱きかかえる。
周囲の野心に満ちた視線から守るようにして。
大天狗は無表情でその様子を眺めていたが、やがて一言命令した。
「捕らえろ」
大天狗の短い声に、周囲の天狗が飛びかかろうとした。
その時、
「凍符『マイナスK』!」
「夜符『ナイトバード』!」
「『季節外れのバタフライストーム』!」
橙の友人達が、一斉に周囲に向けて、スペルカードを放った。
そして叫ぶ。
「橙! 青! 逃げてー!」
その言葉に押されるように、仲間を置いて、橙と青は走り出した。
「オン キリキリ キャクウン」
また大天狗の呪文が聞こえてくる。
青の体が再び放電し、斜めに跳ねた。
「青!」
後ろから天狗が迫ってくる。
青はふらふらと、急な坂道へと倒れこんでいく。
「危ない!」
坂を転がりはじめた青を、橙は追いかけた。
背後から迫るプレッシャーを追われながら。
助けてくれた仲間の想いに、引き止められそうになりながら。
○○○
転がる青は、すごい勢いで山の斜面を下っていく。
それを超えるスピードで、橙は坂を駆け下りていった。
前へ、前へと全速力で急ぐ。
だがそれよりもさらに速い影が三つ、橙と並走していた。
天狗だ。
白狼天狗が二人と鴉天狗が一人。
「じゃまだ小娘!」
男の白狼天狗がふるった棍棒を、橙はさっとかわした。
かわしつつも速度を落とさない。
目はあくまで、先を転がっていく青に向けている。
青はだんだんと、大きな雪だるまとなっていった。
雪がかぶった岩肌を乗り越えて、木々が深い場所へと入る。
そこで天狗の部隊が分散した。
青の雪だるまは次々と木にぶつかりながらも、止まらないで山を降りていく。
だが速度は遅くなったので、橙はようやくその雪だるまに追いついた。
そして、すぐにスペルカードを取り出す。
口にそれをくわえ、小さな手で印を結んだ。
「……消えました」
「なんだと?」
女の白狼天狗の報告に、鴉天狗は目をむいた。
「ですから、消えました。まっすぐ追っていたはずなんですが……」
「ふざけるな! あれほどの巨体で、見逃すはずがないだろう!」
「は、はい。しかし、確かに林に入った時までは、目で追っていたのです。ですがふと木の陰に入ったと思ったら、姿が無くなっておりまして」
「ふん、馬鹿な」
そこに、もう一人の白狼天狗がやってきた。
「すみません。見逃してしまいました。追っていたはずなんですが、なぜか突然姿を消してしまって」
「……待てよ」
鴉天狗は思い当たり、白狼天狗を連れて、その式と機械人形が消えた場所へと向かった。
そこで、ある痕跡を発見した。
「…………ふん。どうやら化かされたようだな」
「ま、まさか。あんな子供が術を?」
「子供とはいえ、八雲の式の式だ。使えても不思議ではない」
顔に赤みがさす白狼天狗に、鴉天狗はニヤリと笑った。
「生意気なガキだな。あの夜雀と同じく、少々お仕置きしてやろう。探せ。そう遠くには行っていないはずだ」
橙と青は、林に入った場所から、東に離れた地点にいた。
『奇門遁甲』が上手く作用したのだ。自然界を走る地脈に働きかけ、別の場所へと道をつなげる術。
橙にとってはあまりに高度な術であり、使えるかどうかは一か八かだった。だが、青を助けようと必死で印を結び、主の真似をすることで、何とか成功することができた。
あとはこれからどうするかだ。
「青……」
雪だるまの状態から救い出した青は、揺すっても目を覚まさなかった。
こうなったらとりあえず、可哀想だがもう一度青を雪に隠して、何とかあの三人を救いにいかなくてはいけない。
青を無理に起こしたとしても、あの場に連れて行くのは危険すぎる。
――そうだ、藍様に!
今こそ主の手を借りる時だった。
あとで長い説教を受けることになるだろうが、今さらなりふりかまっている状況ではない。
すぐに助けてもらわなければ、幻想郷が大変なことになる。
(藍様!)
橙は、覚えたての念話を使って、主を呼んだ。
(藍様! 助けてください!)
しかし、反応が無い。
この山から、遠く離れた場所で仕事している可能性があった。
いや、橙が助けを呼べば、きっと主は来てくれる。
どんな場所にいたって。今までは、そうだった。
「藍様ー!」
思わず出た実の声が、山にこだました。
だがやはり、主の返事もなければ、姿も見えなかった。
橙の心に、すごく嫌な不安が増していった。もしかしたら、藍はわざと、自分を助けてくれないのではないか。勝手に行動して、山の天狗と戦う自分に、幻滅しているのではないか。あるいは山との関係をこじらせないために、青を見殺しにするのでは。
――そんな、そんなことない!
胸中で懸命に否定するが、目頭が熱くなってくる。
「藍様! 謝りますから! 許してください! 青を、チルノ達を助けて! みんな大切な、友達なんです! お願いします!」
がさり、と音がして、橙はハッと振り向いた。
「主は来てくれないのかい? お嬢ちゃん」
早くも、天狗に見つかってしまった。
○○○
「『奇門遁甲』とは、なめた真似をしてくれたな。だが所詮は子供の浅知恵」
「くっ……!」
橙は青を背にして、精一杯身構えた。
大天狗がいないとはいえ、天狗の数は三体。
男女の白狼天狗が二人、鴉天狗が一人。
橙一人で相手をするには、あまりにも手強い戦力差だった。
だが無論、橙に引く気はない。
「大人しくそいつを渡せ。さもなくば痛い目にあうぞ」
「やだ!」
「ならば、仕方がない。先の礼もしなくてはな」
鴉天狗が言い終わるやいなや、白狼天狗が構えた棍棒で、殴りつけてくる。橙はさっと横によけた。
今度は背後から、別の白狼天狗が襲ってくる。これも橙は飛び上がってかわし、空中で一回転して、木の上に登った。
がつん、と背中を蹴られた。先回りしていた鴉天狗だ。
よろめいた橙は、枝から滑り落ちた。
逆さまになりながらも、スペルカードを発動させる。
「式符『飛翔晴明』!」
空中を素早く五芒星の形に移動しながら、弾幕と爪撃をお見舞いする技だ。天狗は散開して、それを避ける。
地面に着地した橙は、振り下ろされる棍棒を転がりながらかわした。
やはり天狗は、青をできるだけ無傷で回収したいらしい。
流れ弾が当たる可能性のある、弾幕のスペルカードは使ってこない。
だがそれでも三対一では不利であった。
橙も接近戦は得意であったが、相手は最速の天狗である。
地上戦ならともかく、空中に逃げられたら全く追いつけない。
襲ってくるたびに無我夢中で爪を振るうも、天狗はあざ笑いながら、上に飛んで逃げてしまう。
「卑怯だぞ! 降りて勝負しろー!」
「馬鹿め。闘いに卑怯も何もない。お前が我ら天狗より弱いだけだ。そおれ!」
それは鴉による狩りそのものだった。
上空から一人が攻撃を誘い、もう一人が獲物の背後を狙って攻撃する。後の一人は後詰となって、様子を窺う。
これでは天狗に攻撃してもされても、橙の傷が増えていくだけであった。
「ははは、無様だな」
「まだだ! 私は負けない!」
だが、橙は青を背にして離れなかった。
歯を食いしばって攻撃に耐え、懸命に攻撃しながら、にらみつけ続けた。
体力が失われていく中、女天狗の鞭がひるがえった。
それは橙の右腕をしたたかに打ち、骨まで痛みを響かせる。
橙のうめき声は長かった。
「折れたか?」
「っ~! 折れてなんかいないぞ! まだまだ!」
「やはり生意気だな。お前も、あの夜雀と同じ目にあわせてやろう」
……なんだと!?
痛みをこらえていた橙の顔が、さっと青ざめた。
「お前達が……ミスチーを!」
「弱い奴はやられて当然。鞍馬様も同じお考えでいらっしゃる」
「よくもおおおお!!」
橙は我を忘れて、その白狼天狗に飛びかかった。
そして、その顔を思いっきり引っかく。
「がぁ!? この!」
白狼天狗が殴り返してくるが、橙は鼻血を出しつつも離れなかった。
許さない。ミスティアの痛みは、こんなもんじゃなかった。
もう一度、と思ったとき、横からの攻撃によって、橙は吹き飛ばされた。
「…………おのれぇ! 化け猫の分際で!」
女天狗が顔を血まみれにした悪鬼の表情になる。
鴉天狗は、橙の首根っこをつかみ、地面に引きずり倒している。
「潔く諦めて、そいつを引き渡せ!」
「やだー! 青は私の式だ! お前達に渡すもんか!」
橙は地面に押さえつけられたまま、泣きじゃくった。
天狗に負けてしまう自分が、悔しくてたまらない。ミスティアの敵を討つだけの力があれば、こんなことにはならないのに。
そして、青を守れない自分も悔しい。せっかく最愛の主のもとに帰れるはずが、天狗達にいいように扱われるなんてひどすぎる。
「絶対にこんなの許せない! こんな非道、私が、藍様が許すはずがない!」
「何を馬鹿なことを」
「え?」
「お前ら八雲も、私たちと変わらないさ。式としてそいつを利用することに変わりは無い」
「な」
橙は絶句した。
頭を上に向けると、天狗が下卑た笑みを浮かべていた。
「もとはお前も山の妖怪だろう。スキマや九尾の化け物どもに飼われる身となって、何か得たものがあったか。なんなら我ら天狗の仲間になったらどうだ。そいつは、お前にはよく懐いているようだしな」
「………………」
「今なら幻想郷を変えることができる。それだけの力が、その機械人形にはある我々天狗の下に入れば、その力を手にすることができるのだよ。使われるだけの八雲の式よりも、よっぽど魅力的だと思わないか」
橙の心に、本気で火がついた。
悲しみが残らず、燃える怒りに塗り替えられた。
自分が最も憧れ、最も敬う『その名』を貶められるのだけは、我慢ならなかった。
噛んだ土を吐いて、橙は咆哮した。
「青を利用しようとするだけのお前らが、『八雲』を口にするなぁ!」
橙の体は、なおも天狗によって、万力のように押さえつけている。
ひっくり返すこともできずに、地べたでわめくことしかできない。
しかし、橙は諦めなかった。
八雲はこんなことで諦めたりしないはずなんだ。
絶対に式の前で弱音を吐いたり、負けたりしてはいけないはずなんだ。
そして、
「主を守るのは、式の役目! その逆も然り! それが、私の主から教わったことで……」
そこで橙は気がついた。
この場を切り抜ける方法を。
「それが我が主、八雲藍の『命令』だー!」
叫んだ橙の両目の色が光り、妖気で髪がざわめいた。
背中に乗っていた天狗が、不穏な気配にさっと飛びのいた。
橙の体から、莫大な妖気が生み出されていき、それが体に残ったダメージを、みるみる回復させていった。
橙の『式』が発動したのだ。
式は主の命令に従うことで、主の力を受け継ぐことができ、通常の何十倍もの力を出すことができる。
それこそが八雲の式神の秘法だった。
ここにはいない主の力が、確かに息づいている。それが、橙に勇気を与えた。
「鬼符『青鬼赤鬼』!」
赤と青、主からもらった二つの玉が、天狗を周囲から追い払った。
天狗がひどく鈍い口の動きで、何事かを叫んでいる。
いや、鈍く見えるのだ。
橙の頭脳が高速で回転を始め、周囲の状況を次々に演算しているのだ。
その目が、青のお腹に止まった。
大天狗による封印の御札が貼られている。
橙はすかさず、その札に手をかざして、
頭の中で、声がした。
橙の不安をかきたてる、不吉な声が。
(そいつは強力な妖術を扱う、『危険』な妖怪なのだ)
――違う。青はそんな子じゃない。私は青を信じる!
橙は勇気を出して、その声を立ち切った。
「青、目を覚まして!」
お腹に貼られたその札を、橙は一気に引き剥がした。
御札の下から、純白の『ポケット』が現れた。
天狗達はその光景に、度肝を抜かれた。
「ば、馬鹿な! 化け猫ふぜいが、鞍馬様の封印を解くなんて!?」
ううん、とうめいて、青の両目が開いていく。
そしてその体がむくりと起き上がった。
「いかん! 奴を止めろ!」
取り乱した三つの天狗が、同時にスペルカードを発動する。
ルール無用の密集した弾幕が、三方向から二人を襲った。
橙は青をかばおうと、その前に立とうとした。
しかし、立ち上がった青は、さらにその前に移動した。
「青、危ない!」
橙が悲鳴をあげる前で、青はしっかりと立ったままだった。
ポケットに手を突っ込み、取り出したのは赤い布だった。
頼りなげに揺れるその布を、青は両手で強く振る。
その目には、もう怯えの影はない。
「防符『ひらりマント』ぉ!」」
視界を埋め尽くしていたはずの弾幕が、青がはらったマントで……あっさりと周囲に散らされてしまった。
後ろにいる橙の体には、傷一つつかなかった。
誰しも、橙も天狗も呆然としていた。
何が起こったのか、よくわからなかったのだ。
絶対にかわせないタイミングで放たれた、複数の天狗による強力な攻撃が、いとも簡単に防がれてしまった。
青が封印されていたポケットから取り出した、不思議なマントによって。
「…………うそ」
橙は目の前で、自分を守った式を見つめた。
寸詰まりの体も、短い足も、橙の知る青と変わらない。
しかしその後ろ姿のなんと力強いことか。
橙は知る由もなかったが、それは幾多の命がけの冒険を乗り越えた背中だった。
何度となく、主の窮地を救い、仲間を守ってきた背中だった。
その背は今、橙を守ろうとしている。
青はもう一度、その赤いマントを振って、
「橙をいじめるやつは、ぼくが許さない!」
それはまさに、橙が手に入れた、最強の式であった。
対する天狗達は完全に浮き足立っていた。
「どうしますか! 鞍馬様に報告を!?」
「う、うろたえるな! 多少傷つけてもかまわん! 弾幕が効かんなら、武器で動けなくしろ!」
すぐに反応した白狼天狗が、棍棒を構えた。
だが、青はそれよりも速く準備していた。
次にポケットから取り出したのは、薄緑色をした細長い筒だった。
「小符『スモールライト』!」
筒からでた光が、天狗達に浴びせ掛けられる。
天狗達はわめきながら見る間に小さくなっていき、ついには羽虫ほどの大きさになってしまった。
三つの小さな天狗は、聞き取れないくらい甲高い声で飛び回る。
しかし、やがて冬の風に吹き散らされて消えてしまった。
「…………す」
すごい。
残された橙は、青の実力に驚愕していた。
信じられないほどすごい妖術だ。天狗達を抵抗もさせずに、あんなに小さくしてしまうなんて。
これが青の本当の力……。
「青……」
橙は不安に揺れる声で、その名を呼んだ。
大天狗が言っていた、青が強力な妖怪だということは、正しかった。
あとはもう一つ。青が凶悪な妖怪であるか、ということであったが……
青は道具を片手に持って、橙に背を向けたまま、立ち尽くしている。
「青、全部思い出したの?」
「…………うん」
青はうなずいた。
橙はそれ以上、怖くて聞けなかった。
次の瞬間、青が凶暴な顔をして、橙に妖術をかけてしまうのでは、と思って。
だけど、青は道具をしまった。そして、ちゃんと言ってくれた。
振り向いて、橙のよく知る笑顔で、
「橙、行こう」
「行こうって……?」
「チルノちゃん達を助けなきゃ。みんなの危険が危ない!」
「…………青!」
橙の鼻声に、青は大きくうなずいた。
「みんなはボクを助けてくれた。今度はボクが助ける番だ!」
「うん! そうだね!」
橙は涙をぬぐった。
杞憂だったのだ。やっぱり、青は凶悪でもなんでもない。記憶が戻っても、青は優しい青で、橙達の仲間だった。
そう橙の不安が消えたとたんに、猛然とやる気がわいてきた。
「よし急ぐよ青! 早く戻らないと、みんなが心配だから。……あ、」
そこで橙は、青が飛べないことを思い出した。
橙の体ではまだ式が発動していたが、青を背負って飛んでいくとなると、
「どれくらいかかるかな……」
「ふふふ」
もどかしく考える橙を見て、青はふくみ笑いをした。
「青、何か考えがあるの?」
「おまかせください」
青はそういって、また両手をポケットに入れて……。
次に起こったことで、橙はまた、腰を抜かすほど驚いた。そして、理解した。
青は間違いなく、大妖怪で。
それもなんと、主の主と同じ、『スキマ妖怪』だったのだ!
○○○
天狗達は、坂に消えた橙と青を、仲間が連れて帰るのを待っていた。
「遅いですな……」
鞍馬の側近である鼻高天狗は苛立っていた。
大天狗の鞍馬は無言。腕を組んで、式と機械人形が消えた坂をじっと見ている。
すぐに部下が捕らえて戻ってくるかと思ったが、意外なほど時間がかかっている。
何か問題が起こったと考えるのが普通だった。
「……………………」
「あいつら、もしやまた遊んでいるのか。どうも若い連中は、戦闘と私刑を勘違いしているようで」
「……………………」
と、鞍馬は組んだ腕を解き、顎を撫でた。
鼻高天狗はそれに気がついて、
「鞍馬様?」
「……きやつにかけていた封印が解けた」
「なっ、封印が!? まさか、有り得ません」
「間違いない。解いたのは……あの猫又か。式の式とはいえ、八雲は八雲ということだな」
鞍馬は野太い笑みを浮かべた。
側近は青ざめて、
「いかがなされますか」
「放っておけ。どの道、奴らの目的はここにある。さらに、おまけも三ついる」
そういって、鞍馬は親指で後ろを指した。
その奥にはチルノ、ルーミア、リグル。縄で縛られた三人組がいた。
「あーもう腹立つやつらね本当に!」
「橙と青は大丈夫かなー」
「ぐすっ、二人とも……ぐすっ、無事でいて」
そして、それを見張るもう一人。
「えーと、みんな。縄は痛くない? きついようなら、少しゆるめてあげるから」
「何よ、うらぎりものー!」
「そうだー、裏切りものー」
「くすん、ひどいよ……。橙も青も悪くないのに。裏切り者~」
「ちょ、ちょっと、裏切り者って。人聞きの悪いことを言うんじゃない」
「いい河童だと思ったのに!」
「思ったのにー」
「くすん……橙の友達だったんじゃないんですか?」
「これはだから、しょうがなかったんだって」
氷精が怒鳴り、宵闇が不満そうな顔で、蟲の妖怪はメソメソと泣きながら、それぞれ不満をぶちまけていた。
それをなだめているのは、河童のにとりである。
彼女は三人から攻撃、というか『口撃』を受けていた。
弁解するも、子供たち三人の恨めしげな目つきは変わらない。
にとりは仕方なく、上司に聞かれないように声をひそめて、
「……いいかい。私だって最初は助けようとしたんだよ、できなかっただけで。私にとっても、橙は盟友だ。この山では天狗様に逆らったら生きていけないのに、命がけであの二人救おうとしたんだ。本当だってば」
「そうですか……にとりさんも辛いんですね」
「うんうん私も辛いんだよ。さっきまでは、通りすがりの正義の味方だったはずなのに。いまじゃすっかり悪役だよ、とほほ」
「まあ……そういうことなら、とりあえず許してやるわ」
「うっう、ありがとう妖精よ。今日からお前も盟友、いや心の友だ」
リグルとチルノの優しさに、にとりは目をこすりながら感謝する。
「あれー。本当は後で橙に頼んで、青を調べるのを独り占めしようとしてたんじゃないのー?」
ぎくり。
ルーミアの指摘に、にとりは露骨に反応した。
リグルとチルノの顔色が変わった。
「そうなんですか、にとりさん!?」
「何よ! やっぱり河童は河童ね! 天狗とおんなじ!」
「ご、誤解だって! 私はあの青を、分解しようとまでは考えてなかったし! ……ただ、ちょーっと調べさせてもらってもいいかなー、なんて」
「やっぱり抜け駆けしようとしてたんじゃないですか!」
「どこが心の友なのよ! あとで橙に言いつけてやる!」
「ああああ、それは勘弁して!」
「わはー」
その騒ぎを遠くに聞いていた鼻高天狗は、苦い顔をして、
「騒がしいですな。黙らせましょうか」
「必要ない。来るぞ」
「え?」
突然だった。
坂の近くの何もない空間に、薄桃色をした『ドア』が現れた。
「な、なんだこれは!」
近くにいた鴉天狗の一人がうろたえるなか、ドアはゆっくりと開いていく。
その向こうから、ここからかなりの距離にいたはずの、橙と青が現れた。
「みんなー! 無事ー!?」
「橙ー!!」
ちゃっかりにとりも含めた、四人の驚きと喜びの混じった歓声が起こった。
「い、今、どうやって現れたの二人とも!?」
「『どこでもドア』です」
リグルに向かって、青が得意満面で説明する。
鞍馬は冷静に、その青のお腹の御札が、はがされていることを確認した。
あのドア……スキマで空間を移動して、ここまでやってきたらしい。
ますます興味深い能力だった。
「大天狗鞍馬! みんなを解放して、青を元の世界に帰させてもらうよ!」
「ほう……」
小生意気にも、式の式は自信満々で、大天狗を指差してくる。隣に立つ、機械人形の青も同様の顔つきである。
二人とも、坂から落ちた時とは、別人のようだった。
怯えも無力感もない。宿敵を見る目、相手が大天狗であろうと引かぬ目をしている。
そうした目こそ、鞍馬が求めていたものであった。後は実力が、それにともなうか、だ。
「八雲の式の式、それに機械人形の青」
「ぼくは二十二世紀の猫……じゃなかった。今は橙の式、青だ!」
「……式の式の式の青か」
天狗は片頬をゆがめた。
「ならば力で従わせてみせろ。それが妖怪の古くからの慣わしだ」
大天狗は片手を上げて、合図した。
すぐに配下の天狗達が戦闘態勢をとる。
白狼天狗が四人、鴉天狗が二人、鼻高天狗も一人。
奥のにとり以外の河童も二人、光学迷彩で姿を消した。
だが、橙と青も、すでに準備はしていた。
「青、行くよ! 作戦通りにね!」
「うん! 橙も気をつけろ!」
これまでにない式の頼もしさに、橙の元気がみなぎってきた。
すぐにスペルカードを発動させる。
「童符『護法天童乱舞』!」
発動と同時に、橙はスタートした。
弾幕をばらまきながら、地上と空中を高速で移動する。
その激しさたるや尋常ではない。『式』の力が働いているために、速さと威力がはるかに増している。
さらに、空間をいっぱいに使って、全ての天狗を標的にしているため、鞍馬の配下の天狗達も、一時は回避に徹するしかなかった。
「ぐはっ!」
とそこで、天狗の一人が、何かにぶつかったかのように倒れた。
「な、どうしぶはっ!」
また一人、また一人と、橙の弾幕はかわしているはずなのに、次々と天狗が倒れていく。
「どっかーん!」
その正体は青にあった。
青は右手に灰色の筒のようなものを装着していた。
空気砲。
そこから放たれる透明の弾が、天狗を次々と打ち負かしているのだ。
見えない空気の弾を。
「そ、そんな。見えない弾なんて、反則だろう! ……おぶふっ!」
橙の見える攻撃をかわした隙に、青の見えない射撃が飛んでくる。
戦闘に長けた天狗達も経験したことの無い、恐るべき戦術パターンであった。
「あいつだ! あいつをまず押さえろ!」
鼻高天狗の命令に、二名の白狼天狗が、青へと向かった。
その機械人形が飛べず、動きが鈍いことはわかっている。
空中から挟み撃ちにかかるが、青は両手をポケットに突っ込んで、小さな竹とんぼを取り出した。
「翔符『タケコプター!』」
青の体が浮き上がった。
そのまま唖然とする天狗から距離を置いて、空を舞う。
「あ、青が飛んでるー!!?」
ありえない光景に、縛られた子供妖怪達が叫んだ。
そしてそれは、てっきり青が固定砲台だと思っていた天狗達も同じ心境であった。
唖然として見上げるその隙に、橙が疾風のごとく突っ込んでくる。
「てやああああ!」
「ぐえ!」
「がはっ!」
妖力の乗った爪の一撃は、二人の天狗の意識を鮮やかに刈り取った。
天狗達の隊列は乱されるばかりだった。
「すごい! やっちゃえ橙ー! ミスチーの敵討ちだー!」
「橙がんばれー! 青もがんばれー!」
「あ、そこ危ない! 二人とも気をつけてー!」
「河童は攻撃するなー、あとが恐いからー」
「何勝手なこといってんのよ、あんた!」
縛られている三人組+1は、ノリノリで応援する。
それを受けて、橙と青は士気を上げながら、天狗を上回る連携で圧倒していく。
「そおれそれそれー!!」
「ぐはぁ!」
「ごふぅ!」
高速で移動する橙の弾幕で、白狼天狗が次々と倒されたり、
「『桃太郎印のきびだんご』~!」
「あ、青さん。僕とお友達になってください!」
「な、何をしている貴様!」
青の投げた団子を口にした鴉天狗が、青に懐いたりして。
あっという間に、天狗達は全員地面に這いつくばっていた。
総大将の大天狗一人を除いて。
橙はその鞍馬に向かって、腕を組んで仁王立ちした。
「どうだ、大天狗鞍馬!」
鞍馬はその橙と同じ姿勢で立っていた。
「……お前達が主と式であることは間違いないようだ」
「もちろん!」
「いいぞー橙! いいぞー青ー!」
「えへへ」
「いやあ、それほどでも」
仲間の応援に、主と式は、二人そろって同じポーズで照れた。
「さあ、もう貴方一人だよ。降参しないの?」
「言うまでも無い」
「そっちの仲間はみんなやられちゃってるのに?」
「お前達の力が、あの未熟者どもを上回った。それだけのことだ。だが我は違う」
大天狗は、橙の動きと青の妖術の凄さを目にしても、あくまで落ち着き払っていた。
仲間の天狗が戦っている間も、橙と青の戦いを値踏みするように見ていただけだった。
「いくら主の力を借りようと、面妖な術を使おうと、しょせんは小妖怪。我に膝をつかせるどころか、傷一つつけることもかなわぬわ」
「うわぁ……すごい自信」
「本当だね……」
驚く青に、橙も多少気後れした声で、同意した。
これほど余裕ぶった態度は、なかなか見たことがなかった。
傲岸不遜というしかない。まさに天狗である。
「我は子供に使う拳を持たぬ。今その青を引き渡すのなら、お前の友人達ともども見逃してやる。どうだ」
「なっ! 今さらそんな条件飲むわけないでしょ! 私達はみんな、青を元の世界に送り届けるために、この山を登ってきたんだよ!」
「やはりか。ならば気の済むまでやるがいい。我を倒さなければ、そいつは元の世界に帰せんぞ」
「なら、倒すまで!」
闘いの基本は、先手必勝。
橙は自慢のスペルカードを発動させた。
「鬼神『飛翔毘沙門天』!」
橙は高速で回転をはじめる。
十分にエネルギーが充填された後、鞍馬の周囲を残像つきで跳ねまわった。
狙いは全方位からの爪撃。しかも回転することによって、威力は上がっている。
だが、
「これが毘沙門だと!? ぬるいわ!」
鞍馬は急所狙いの一撃を、右腕で難なく受け止めた。
鋼鉄を打ったような感触に、橙は驚く。
それは、その光景を見ているもの達も同じであった。
「うそっ、橙の爪が……!」
「受け止められた!?」
次に鞍馬は、おもむろにひょいっと、橙の二つの尻尾をつまんで、ゴミでも放るかのように投げた。
「うにゃあああああ!?」
恐るべき馬鹿力に、成す術もなく横一直線に飛んでいく。そして、途中からごろごろと転がって、青の側に鎮座していた大岩に叩きつけられて止まった。
「ああああでで……」
「ちぇ、橙! しっかり!」
「……だ、大丈夫だよ、青」
と言いつつも、橙の瞳の中で、青の姿はぐるぐると回っていた。
「よくも橙をやったなー! 『空気砲』~!」
青が鞍馬に向かって、腕につけた短い大砲を撃った。
それは狙いたがわず顔面に命中したが、鞍馬は少し頭を振っただけで、やはりまるでこたえた様子がなかった。
「あらら……」
「風の砲弾ということか。ならばこれはどうだ!」
大天狗は、両手で印を結び、真言を唱える。
「オン ベイシラマンダヤ ソワカ!」
思わず二人は目をつぶった。
刹那、左横を猛烈な突風が過ぎ去っていくのが分かった。
やがて静かになり、おそるおそる目を開けると、
「……え、ええええ!?」
岩が無い。
先ほど橙を受け止めたばかりの大岩が、土に跡を残して消えてしまっていたのだ。
体重のある青三つ分くらいはありそうだったのに。
さすがにこの妖力には、二人とも愕然としてしまう。
「……この程度で驚くか? だが、我ほど強い妖怪など、この幻想郷には数多くいる。無論、天狗の中にも多くな」
ひゅるるるるる……
と、飛ばした大岩が落ちてくる。
鞍馬はそれを目視もせずに、ぴたっと片手で受け止めた。
呆れかえっていた橙と青を、小馬鹿にした目で見ながら、大天狗はその岩を無造作に放り捨てた。
ずん。と、震動が足に来て、橙と青はよろめいた。
「それが不当にも闘いの場を奪われ、このような狭い山に閉じ込められている。おかしいと思わないか」
「この山が……狭い?」
意外だったので、橙は聞き返した。
「そうだ。かつての我々の住処は、この山どころではない。もっと大きく、豊かな場所だった。そこでは力こそがルールであり、酒を片手に喧嘩三昧。妖怪達は毎晩のように力を振るい、互いに競い合った……」
おそらく、橙が生まれるよりもずっと前の話なのだろう。
大天狗はそれを思い出すように、遠くを見ていた。
「だが……それが今となっては、鬼は消え、天狗は本来の力を見失い、河童の科学技術をあてにして、矮小な誇りを満たすばかり。さらには、お遊びによってしか決着をつけることができない、ぬるいルールまでできてしまった」
言いながら、鞍馬が懐から取り出したのは、スペルカードだった。
武骨な手の中で、そのカードはめらめらと燃え崩れ、灰になって落ちた。
「しかし、我は認めん。純粋な力で奪う、あるいは奪われる。そうでなくては納得ができない。力こそが我々にとって絶対であり、戦闘こそが妖怪の本質だ」
落ちた灰を踏みにじり、鞍馬は橙に視線を移した。
「だから我は力で主張する。お前の主にもな」
「藍様を知ってるの?」
「知っているとも。誇り高き、想像を絶する妖力を持つ、九尾の一族。我々天狗ですら敬うべき、鬼にも引けをとらぬ、『暴力』の芸術家だ。それが今となってはただの飼い犬。軟弱なルールをかたくなに守る、愚かな存在に成り下がってしまった」
ぱきき、と握られた大きな拳が鳴った。
大天狗はわずかに犬歯を見せながら、
「我慢ならん。だからこそ、この冬に異変を起こし、奴と決着をつけ、鬼を呼び戻し、再び力の時代を到来させるのが我の目的だ。我はきっとお前の主を倒し、その機械人形の力によって更なる高みへと進み、幻想郷は真の妖怪の楽園となるであろう」
「訂正する。貴方は、藍様を知らない」
「なに?」
橙は鞍馬の目的を、ふんと鼻で笑った。
「私の知っている藍様は、本気で暴力なんてふるわないよ。平和が大好きで、とっても優しい藍様だもの。だからきっと人違いね」
「お前は知らぬのだ。純粋な力と技で練られた、強さの美しさを」
「藍様は美人だし、弾幕も綺麗だけど、やっぱり知らないのは鞍馬さんだと思う。藍様の強さはそんなんじゃないって、私知ってるから」
橙は真っ直ぐに視線をぶつけた。
大天狗はそれを受けて、意外そうに片眉をあげた。
「まだやる気か」
「もちろん。幻想郷の平和を乱すものを倒す、それが八雲一家の仕事だもの」
主に誇れるように、隣に立つ式の手を、青の柔らかい手を握りながら、
「藍様の強さは、主、式、友達、みんなとの絆の強さ。私はそれを教わった。だから、貴方にも教えてあげる」
その時だった。
大天狗の表情が、はっきり怒りへと変わった。
誇り高い天狗にとって、技や真理を誰かに教わるというのは、もっとも屈辱的な行為であるのだ。
ましてや相手は、鞍馬から見ればはるかに幼き化け猫と、強力な道具を使うとはいえ鈍重な人形である。
膨れ上がる大妖怪の怒気に、周囲の天狗達は残らず震え上がった。
「よかろう八雲の式ども……せいぜいあがくがいい!」
橙の肌がピリピリとしびれる。
それは、今まで生きていて、はじめての緊張感だった。自分と式の命を、同時にあずかる覚悟。
しかし、互いを守ろうとする意志は変わらない。
それが主から受け継いだ力であり、誇りだった。
「青! 私は貴方を守る! だから、貴方も力を貸して!」
「うん、まかせろ橙!」
橙と青の、真の闘いが始まった。
○○○
「『飛翔毘沙門天』!」
橙は再び、鞍馬に向かっていった。
「効かぬといったはずだ!」
鞍馬はやはり、回転する橙のその一撃を受け止めて、
「……むうっ!?」
その予想外の重さに、わずかに体勢を崩した。
橙は両手に、先ほどははいてなかった『手袋』をしていた。
「青の貸してくれた『スーパー手袋』だ!」
「それも異世界の妖術か! 面白い!」
鞍馬はその細腕に手をやり、関節を支点にひねりあげた。
橙は甲高い声をあげた。
「だが戦闘の素人には変わらん!」
そのまま飛んできた方向に投げつける。
そこでは、青がこちらに向かって、緑色の筒を構えていた。
「スモールライ……」
「させるか!」
鞍馬の起こした風によって、青の手からそれは撥ね退けられてしまった。
さらにそれは岩に当たって砕け散る。
「しまった! スモールライトが~!」
「ふん! 道具に頼るだけが妖術ではないわ!」
鞍馬が言いながら、印を結ぶ。
轟音とともに、地面の大雪がいっせいに吹き上がった。
大地がぐにゃぐにゃと隆起していき、巨大な土の手が形作られる。
それは橙と青を逃げる間もなく捕らえ、あっさり握りつぶした。
見守る子供妖怪達は息を呑んだ。
「どうだ!」
しかし、突然その手の横に、丸い輪っかと大穴が開いた。
そこから橙と青が飛び出してくる。
「び、びっくりした~」
「『通り抜けフープ』~!」
「やるな!」
大天狗は滅多に無い妖術合戦に、楽しそうに笑った。
飛び降りた橙は、前にダッシュした。
さらに、地面をでたらめに蹴って、複雑に方向転換しながら、間合いを詰める。
視力に優れた天狗達の目にも、橙の姿は分身しているかのように映った。
橙は低く飛び込み、無防備だった鞍馬のスネを、両足で思いっきり蹴った。
だが、鞍馬は痛がる様子を見せずに、それを蹴り上げる。
ボールのようにはね上がった橙は、方向転換して、大天狗の大きな背中に飛び乗った。
そして、首筋に思いっきり爪を立てる。
「どうだあああ!!」
「……ふん、その程度か。痒いものよ」
「……………………」
「どうした?」
「…………こちょこちょ」
「ぐはははははははは!!」
それまで無愛想だった大天狗は、目をひんむいて大笑いしだした。
橙が脇腹をくすぐっているのだ。
「どう、降参する!? 」
「ぐはははははふざけるな!!」
鞍馬は背中の橙を器用につまんでぶん投げた。
そこで青が、大天狗に向かって、
「大天狗、これでもくらえー!」
青が放り投げたものを、鞍馬は片手で受け止めた。
「ふん、これがなんだというのだ」
どかん
「ホンワカパッパー、ホンワカパッパー!!」
突如、鞍馬はわけのわからないことを言って踊りだした。
身の丈、九尺を超えるいかつい大天狗が、ひょっとこ顔で踊り狂う姿は、奇怪極まりない舞踊だった。
「えーと、馬鹿『時限バカ弾!』」
「あはははは! 青、最高だよ!」
橙はお腹を押さえて笑った。
危険な戦いが青の妖術で、楽しい遊びに変わってしまった。大天狗と遊べる日が来るなんて、誰が想像しただろうか。
子供妖怪達も、命知らずのにとりも、大天狗の踊りに地面をのた打ち回って爆笑している。
倒れていた天狗達も、普段は有り得ぬ鞍馬の姿に、呆気に取られていた。
「おちょっくてるのか、きさまらぁああああ!!」
強靭な精神力で正気に戻った大天狗は、怒髪が天をついていた。
血走った眼は、思わず身を引いてしまうほど怖い。
「大変! 怒らせちゃった! まずいかも!」
「えーと、怒ったのをなだめる道具は……!」
「覚悟しろ餓鬼ども!」
大天狗は大きく息を吸い込んだ。
その口から出たのは風ではなく、灼熱の炎だった。
「わあ!」
橙は慌てて青の手を掴み、後退する。
鞍馬の出した炎は、橙達を焼き尽くそうと追ってきたが、途中で引き返した。どうやら射程は一定距離のようである。
だが、炎が壁となっているために、橙も向こうにいる鞍馬に飛び込んでいくことはできなかった。
そして何より問題なのは、
「攻撃が効かないよ! 私の爪も弾幕も!」
「『スーパー手袋』でも!?」
「うん……悔しいけど!」
例え威力は上がっても、橙自身の技術がついていかない。
手加減してくれる主の組み手とは訳が違う。
秘策のくすぐりも、わずかな効果しかなかった。
「だから、もっと強い攻撃じゃないと!」
「…………強い攻撃」
「うん! もっと強い爪とか、大きい弾幕とか」
「それならいい考えがある! でも当たるかどうかは……」
その時だった。炎が二つに割れた。
矢のような勢いで、何かが飛んでくる。
『御札』だ。
「あれは……」
「危ない、青!」
橙は青に体当たりして、再びポケットが封印されるのを守った。
しかし橙はそれをかわすことができなかった。
御札が足に張り付くと同時に、あの呪文が聞こえてくる。
「オン キリキリ キャクウン」
「痛っ!」
足に強烈な痺れが走って、橙は一度跳ねてから転倒した。
「橙!」
「だ、大丈夫! 今外すから!」
すかさず橙は、その術式の演算にかかる。
そこで炎が、周囲の雪を融かしつくしてからおさまった。
向こう側で、大天狗鞍馬が仁王立ちしてこちらを見ていた。
「調子に乗るなよ八雲の式ども! この我が、式の弱点を知らぬと思うてか!」
大天狗の瞳が光った。
先ほどの炎で融けた雪が、ごぽごぽと波打つ。それは突如、空中を走る水流となって、橙と青の周囲をまわりだした。
水しぶきが顔に飛んできて、橙は縮み上がった。
「あ、青! 大変!」
「どうしたの橙!?」
「私、水が弱点なの!」
「えーっ!?」
いくら橙が強くなろうとも、それはあくまで『式』から生み出される妖力が源である。
もし水を浴びてしまえば『式』が外れ、通常よりもずっと力が落ちる。勝ち目は完全に消えてしまうだろう。
大天狗が印を結び、呪文を唱えた。
「オンアビラウンケンソワカ!」
水流の勢いが増した。橙と青を取り囲み、水柱となって、どんどん高くなっていく。
これで、逃げ場所がすべてふさがれてしまった。
橙は横にいる青に助けを求めた。
「あ、青! 何とかできないこれ!?」
「えーと、あれでもないこれでもない!」
青はポケットから次から次へと道具を取り出し、放り出す。
「えーと、えーと」
「あ、青! 落ち着いてってば!」
だけど青は見ていてじれったくなるほど、慌てている。
いったいどこにそんなに入るのか、無限に出てくるような不思議なポケットで……。
「……そうだ!」
橙は一か八かの作戦を思いついた。
うまくいくかどうかは分からないが、迷っている暇はない。
そこでついに、水の大蛇が鎌首をもたげ、橙達の空間に突っ込んできた。
「橙―――ん!!」
子供妖怪達が叫ぶも、青と橙は水に飲み込まれてしまった。
高速で回る水流によって、水の竜巻ができあがり、やがてそれは崩れて、坂へと流れていった。
あとには、溶かされた雪にまみれて、青だけが残っていた。
鞍馬はそれを見下ろして、
「…………ふん。体の重さで助かったか。だが、お前の主は流されてしまったようだな」
橙の気配は消えていた。
鞍馬は勝利を確信して、残った式に近づいていく。
青はうずくまって、猫のように唸っていた。
「お前一人ならどうとでも料理できる。これで勝負あったな」
「…………」
「どうした?」
「…………」
「何を言っている」
「…………よくも橙をぉ!」
青はがむしゃらに、天狗に向かって突っ込んできた。
「愚かな!」
大天狗は青の頭突きを、たやすく受け止めた。
「妖術を使わんお前の動きなど、止まって見える」
「ニャー!」
「やかましいぞ! 負けを認めろ!」
大天狗は封印術を施すため、青のポケットに手をかざした。
しかし、青の猫声は、ただ自暴自棄になったわけではない。
それは作戦を練った上での、攻撃の『合図』だ。
青のポケットがふくらむのを見て、大天狗の手が止まった。
「な、なんだと!?」
そこから道具ではなく、『橙の顔』が現れた。
水流を避けて、青のポケットの中に隠れていたのである。
つまり、橙は水に浸かっておらず、『式』は外れていない。橙はまだ強さを失っていない。
「食らえ大天狗ー!!」
驚愕する鞍馬に向かって、橙は飛びこんでいく。
そして、スペルカードを発動した。
「鬼神『鳴動持国天』!」
至近距離での集中的な弾幕。
だがそれだけでは、鞍馬を倒すには足りない。
間髪いれず、それに向けて、青が二の矢を放った。
ポケットからオレンジ色の筒を取り出す。
「『ビッグライト』!」
スペルカードから生まれる弾幕に向けて、光が当てられる。
橙の生み出した弾幕が、みるみる大きくなっていく。
それは二人だけで通じる猫語があってこその、二重の策だった。
巨大化した弾幕が、鞍馬の体を直撃した。
「ぐ……おおおおおお!!」
大天狗はその弾幕を、力づくで押さえつけようとしたが、
「があああああああ!!」
ついに耐え切れずに、後ろに吹き飛んだ。
○○○
閃光が止んだ時には、すでに勝負はついていた。
大天狗鞍馬は、雪の上に大の字になって倒れていた。
そして、橙と青は互いに肩を貸しながらも立っていた。
「やったぁ! 橙と青が勝った!」
「まさか、鞍馬様が!?」
「信じられない……」
地面で動けない鞍馬の配下達が、さらに士気を落としていく。
橙と青も、勝利の笑みを浮かべた。
だが鞍馬は目を開けた。
口から細い血の糸を垂らしつつも、頭を振って立ち上がる。
「…………むぅ」
おおおおおという天狗の喚声と、チルノ達のため息が広がった。
「あくまで互いを守り、力を合わせて戦うか……」
だが、鞍馬の姿は、満身創痍というにふさわしかった。わずかに体をふらつかせており、表情にも憔悴の色が見える。
橙と青の最後の攻撃は、確実に大きなダメージを与えていた。
「……見事だ。八雲の式達よ。この我が倒れるとは、果たしていつの日以来か」
ざらざらした声で言いながら、大天狗は背中の剣を抜いていく。
不思議な光沢のあるその剣を見て、橙は金縛りにあった。
冷気が背中を通り抜けていく。
「そして謝らなくてはならぬ。汝らを見くびっていたことを。あらためて、汝らを強敵と認め、そのつもりで戦う」
手負いの大天狗の目が、鷹のように鋭く絞られた。
誰もが、その殺気に震え上がる。橙と青も同様である。
大天狗の顔には、すでに慢心のかけらもない。本気で橙達を切り刻むつもりだ。
そして、橙と青はすでにもう体力が残っていなかった。
鞍馬はそれに、傷と恥をこらえるような苦い顔つきで、
「…………すまぬ。お前達を巻き込んでしまったのは我の野望のため。だが、振られてしまった賽は元に戻すことはできん。謀反を起こした以上、我々にはもう進む道しか残されておらんのだ」
「はたしてどうかな?」
その声に、大天狗の動きが止まった。
橙の金縛りは解け、振り向いた。
泰然自若、それでいて涼風のように透き通った声音。
強さと優しさを内に秘めた、橙をもっとも安心させてくれる声、そして誰よりも待ち望んだ声だった。
その声の持ち主が、堂々と立っている。
橙は声を弾ませて、その名を呼んだ。
「藍様!」
「えっ、あの人が?」
「うん! 私達の主だよ!」
それは九尾の式、八雲藍だった。
背丈は普通の天狗と変わらなかったが、その身にまとう気配は、手負いの大天狗を凌いでいる。
「私の式が……いや、式達がお世話になったようで」
藍は縛られたチルノ達に目を配り、傷ついた天狗達を確認し、そして最後に、橙と青に目を向けた。
「橙、そして青」
「えっ!」
「『二人』とも、遅くなって悪かった。よく頑張ったね。もう安心だよ」
「ら、藍様! それって……!?」
「うん」
藍は微笑してうなずいた。
それだけで、橙の胸がいっぱいになった。
主は自分達を助けにきてくれただけじゃない。橙だけじゃなく、青も『式』として認めてくれているのだ。
橙は嬉しさと安堵で、思わず足から力が抜けそうになったが、しっかりと立った。
それにもう一度、藍は柔らかく微笑んでから、神刀を抜いたままの大天狗に顔を向けた。
「……久しいな護法魔王尊」
「九尾……ついに姿を見せたか」
配下と違い、大天狗は苦しげな顔をしていても、藍を恐れてはいなかった。
「貴様が現れたということは、いよいよ我らにとっては、生きるか死ぬか、か」
「……………………」
「だがそれもまた覚悟の上! さあ、剣を取れ!」
鞍馬と藍の間の空間が歪み、暴風が唸り声をあげる。
辺りに充満した妖気が一斉に帯電し、余波に巻き込まれた天狗が一人、打たれたように昏倒した。
見ている橙達は、風圧に吹き飛ばされないようにと必死で大地にしがみついた。
「橙! その子を連れて、穴へと走るんだ!」
「は、はい藍様! わかりました!」
橙の身に、再び『式』が発動した。
倒れていた青を引っ張り起こし、洞穴へと走る。
鞍馬はその気配を放置した。あくまで、袖を前で揃えて立ったままの藍を睨んでいた。
「なぜ剣を抜かぬ……九尾!」
大天狗鞍馬の瞳は、怒りに燃えていた。
対する藍の顔は涼しげなままだ。
「剣無しで手負いの我を倒せるという慢心か!」
「……………………」
「それとも平和ゆえの甘さか!? 反吐がでるわ!」
鞍馬が大音声を放った。
と同時に、その全身から妖力が爆発する。
無造作に鞍馬が振り下ろした神刀に向かって、藍は右手を突き出した。
結界が発動し、それを受け止める。
閃光。
周囲一帯の雪が巻き上げられ、岩が鳴動した。
寝ていた天狗達はその余波に吹き飛ばされた。
遠く離れていた子供妖怪達は、にとりの必死の防御が間に合ったこともあり、何とか耐えられた。
そして、洞窟へと走った橙と青は、
「えっ?」
洞窟に入った橙と青は、入り口の方から巨大な妖力が迫ってくるのを見た。
「大変! 青、伏せて!」
二人は急いで身を低くした。
すぐに、暴威が洞窟内を駆け巡る。静かだったはずの部屋に、台風が飛びこんだようであった。
大地も揺れるようで……いや、本当に揺れている。
そして天井も。
上から岩のかけらが、ぱらぱらと降ってくる。
「もしかして……!?」
「崩れる!?」
「わああああ!」
悲鳴をあげる二人の上に、土砂が降り注いだ。
鞍馬は洞窟が崩れた音を聞いた。
おそらく、橙と青は下敷きになっている。
目の前の藍としては、一刻も早く助けに行きたいところだろう。
しかし、藍が背中を見せれば、大天狗は迷わず斬るつもりであった。幸いにして、藍は隙を見せずに、目の前にいる大天狗の様子を窺っている。
「どうだ。これでもまだ剣を抜かぬか」
鞍馬は得物を藍に向けたまま、傷の痛みをこらえて、虚勢を張った。
「式を救いたくば、我と闘え! この地を守る妖怪なら、それがなすべきことであろう、九尾!」
「…………ふ」
藍はそこで、鞍馬ですらぞくりとするような、凄絶な笑みを浮かべた。
聞くものの不安をあおる、九尾の大妖怪の声で。
「大天狗鞍馬よ。私がなぜこの場に『遅参』したのか。その理由、まだ分からんのか?」
「む……?」
「最善の策を準備するのに、少々手間取ったのだ。ここに来る前に、もうすでに話はつけた」
鞍馬はハッとして、崩れた洞窟の方を見た。
「気がついたか。頼もしい『助っ人』のおかげで、私の式は助かる。そして、あの御方の力により、まもなく異界と通じる穴はふさがる」
藍がこれほど落ち着いている理由。彼女が話をつけた相手が一体誰なのか。
鞍馬はその正体に気がついていた。
彼女の最善の策とは、異界への穴を閉じ、青を送り返し、
「……我々を完全に葬るということか」
大天狗はそこで自らの、そして部下の命運が尽きたことを悟った。
だがそれも、闘いに生きたものの宿命でもある。
「悔いはない。むしろ感謝しよう。九尾と『鬼』を一度に相手にできるのなら、冥土の土産には十分すぎる」
決死の覚悟で、改めて鞍馬は剣を構えた。
それに藍は、肩をすくめただけだった。
「いや、私は式とその友人を連れて帰らせてもらうよ。これで目的はすんだわけだし」
「な、なんだと?」
鞍馬は困惑する。九尾の妖狐が、あっさり怒りの面を外し、世間話でもするかのような、気楽な笑みを浮かべていたのだ。
張り詰めていたはずの空気まで、いつの間にか消え失せている。
「勘違いなさるな、鞍馬殿。我々八雲は、貴方がたを葬ろうなどとは考えていない」
「…………?」
「私があの御方に頼んだのは、異界への道を閉じることだけ。そして、それは果たされ、貴殿らに利用されることなく来訪者は主の元に去る。冬に結界を預かる私としては、それでめでたしめでたし。切り札を失ってしまった天狗にとっても、これ以上無益に戦う理由はないはずだ。まあ、式をあずかる主としての私は、腹が立たないわけでもないが……」
そこで藍は、ちらりと、あたりの様子に目をやった。
橙と青との闘いで、そして大天狗の術の余波によって、天狗たちはいずれも無残な姿になっていた。
「まあ、それも、私の式達自身で、こてんぱんにしてしまったので、良しとしよう。大天狗の貴殿まで、自慢の鼻を折られてしまったようだし。ルールを破った者としては、相応のいい薬になったのではないか。あとは皆が納得してくれれば、万事解決というわけだ」
「なぜだ」
鞍馬の困惑はおさまっていない。
「なぜだ。なぜ、わざわざあの御方を呼んで穴を閉じようとせずに、我々を実力で消し去ろうとしなかったのだ。なぜ今この場で剣を振るわずに、説得などと回りくどいことをするのだ。九尾の持つ誇りなら、それが許せぬはずだ」
「決まっている。私の好きな『理想』、幻想郷のため」
その一言は、見事大天狗鞍馬を斬り伏せた。
「……正直、貴殿の気持ちもわからんでもない。力で主張が通る時代が去ってしまったこと。好きなように強さを振るうことができた毎日、我々はなんと自由だったことか。しかし、今の幻想郷はそれほど広くも、ましてや頑丈でもない。ゆえに、いたずらに戦闘を行われては困るし、天狗に強大な力をまかせることも許せん。だが……」
そこで藍は、にっこりと笑った。
「しかし、欠くことも許せない。貴方がた天狗も、この地のバランスを担う大切な存在であり、私にとって『守るべき存在』なのだから。ルールを無視した暴力を用い、私情で葬り去るなど、もっての他。ここは平和な幻想郷。誰一人死ぬことなく、争う理由も消え、闘いを止めさせることができれば、それすなわち最善の策。ご理解いただけたかな」
「……………………」
鞍馬は瞠目して聞いていた。
藍の説教は続く。
「まだ不満があれば、それも結構。体制に疑念を抱くのも結構。八雲紫が式、この八雲藍が、いつでも決闘にて、貴方がた天狗の悩みをお受けする。正直私も、日頃から鬱憤はたまっているのでね。ただし……」
九尾の式は胸元から、ひょい、と小さなカードを取り出した。
それは、必要以上に傷つけることなく、決着をつけることができるルール。
当代の天才巫女が考えた、動きと知恵と美しさを競う、お遊戯ともいえる決闘法、『弾幕ごっこ』用のスペルカードだった。
藍は片目をつぶりながら、
「その際も、『ここ』のルールでお願いできれば、とね」
大天狗はしばらく呆然としていた。
だがやがて、長いため息をついた。
「……聞かせろ。いつからこの段取りを用意していたのだ。もしや初めから」
「まさか。優秀な式が見事に暴いてくれなければ、私も騙されるところだった。正直計画を聞いて仰天したよ。私だけでは手に負えぬ事態だと思ったので、あの御方を探すのに幻想郷中を飛び回るはめになったんだ。苦労を察してくれ」
「あの御方も、同じお考えだったのか?」
「快く引き受けてくれた……と言いたいところだが、それからの説得にもかなり時間がかかった。やはり戦い好きの鬼だしね。そのせいで、目を離している隙に、式が危ういことになっていて肝を冷やしたが」
「つまりそれまでは、最初から」
「もちろん、ずっと見守っていた。私の式だからね」
「それが今のお前の生き方ということか」
「そういうこと」
藍は朗らかに笑った。
そこで鞍馬は、すでに自分の知っている、好戦的で誇り高き妖狐はもういないと悟った。
天狗としての誇りが、鞍馬の強さの源である。
そしてそれが、例えあの『九尾』が相手だとしても、決して負けはせぬという自信に繋がってもいた。
しかし、目の前にいる『八雲の式』は、すでに新たな時代に生きていた。彼女にとって何より大切な家族、それだけじゃなく、それ以上のものを守る者として、さらなる誇りと強さを手に入れていたのだ。
「……八雲藍殿」
式にはその自信を折られ、主には道理を説かれる。おまけに謀反を起こしながらも、天狗としての生活を約束された。
鞍馬の完全な敗北であった。
何百年ぶりかに、大天狗はその頭を軽く下げた。
「かたじけない。我も部下も頭が冷えたようだ。以後は山で大人しくするとしよう。願わくは、山と八雲の間、これからも変わらぬ付き合いを」
「こちらこそ。今後とも、幻想郷をよろしくお願いします。それと、山に暮らすうちの式もよろしく」
「承った。しっかりと面倒をみさせてもらう。」
鞍馬は苦笑した。
主にかわって調停する式、そして我が子をお願いする保護者に対して。
「……そうだ。それに加えて、式とその友人達にも、山で自由に遊ぶ権限を与えよう。せめてもの償いだ」
「ほほう。それは何よりのご褒美となるでしょうね」
「ふん。我々があの子らに、力で負けたということだ。ならば従うしかあるまい」
最後の鞍馬の台詞は、天狗の意地だった。
○○○
目を覚ますと、闇が広がっていた。
「ん……」
広がっている闇の正体は、石でできた天井だった。
背中の硬い感触は、ごつごつした石の床だった。
そこで橙は思い出した。
青と一緒に洞窟に入ろうとして、急に崩れてきて、
「私……生き埋めになって……」
しかし、橙の体には傷一つなかった。
何かに押さえつけられているわけでもない。
頭がはっきりしていくにつれて、そこが広い空間になっていることがわかる。
土砂崩れの後だというのに、空気も埃っぽくなくて、気温も暖かい。
そして、奥からほのかな光が差し込んでいるのに気がついた。
「ん、起きたかな」
唐突に声をかけられて、橙はそちらを向いた。
暗闇の中にぼんやりと影が見える。
よく見ると、瓢箪を片手に、岩に腰掛けている少女だった。
「面白かったわよ。お前の主の頼みを聞いた甲斐があった。天狗の頼みなら一発殴って忘れるつもりだったけど」
「誰?」
「やっぱり、わかんないか。山に住むとはいえ、まだ若いからねぇ」
外見は年下に見えるその妖怪に若いといわれて、橙は少し驚いた。
そこで橙はよく観察した。
冬だというのにかなりの薄着。身につけた鎖についている不思議な模型達。妙に酒臭い少女の、その頭に生えた二つの角は……
「鬼……」
「そう、鬼」
鬼。
その名を知らぬ子供はいない。
妖怪の山からはいなくなったはずの、天狗ですら頭が上がらないという妖怪の親玉だ。
しかし、底知れぬ気配はあっても、その鬼は大天狗と対峙したときのような恐さはなかった。
だから、橙は素直に聞いていた。
「貴方が助けてくれたんですか?」
「うん。いいものを見せてもらった礼だよ」
その鬼は、ふらふらと揺れる指で、天井を指差した。
「落ちてくる土砂の『密度』を変えたんだよ。もうちょっとで生き埋めだったけどね。ああ、酸素は十分に萃まっているから、しばらくは呼吸の心配もないわ」
「………………そうだ、青は!」
橙は、あの瞬間に自分が守ろうとし、自分を守ろうとしてくれた式を探した。
洞窟の奥に、ピンク色のもやもやした光が集まっているのがわかった。
そして、その前に一人で立っている者がいる。
橙が探していた存在だ。
「青……」
橙の式は、その明るい煙と、じっと向き合っていた。
何かを見ているようでもあり、何かを聞いているようでもあった。
「あの穴は、この幻想郷と別の世界との境目が、薄まったことで偶然開いた穴。それを濃くして塞ぐのが、お前さんの主の頼み。紫と違って力技だから面倒だけど、放っておいたら厄介だしね」
「………………」
「それじゃ、あとはごゆっくり」
そこで鬼の姿は、薄くなって消えた。
どうやら、二人っきりにしてくれたらしい。
橙は静かに、青の側に近づいていった。
「青、主さんの声が聞こえる?」
「……うん」
青はもやを見たまま、うなずいた。
「ぼくの主だけじゃない。ぼくの友達も、他にも色んな人達が、みんなぼくを呼んでいる」
「そっか。青は人気者なんだね」
「うん。橙とおんなじだよ」
「……私に似たってことかな」
そんなわけないのに、橙は言った。
でも青がやっぱりうなずいてくれたので、すごく嬉しくて、少し照れくさかった。
「私のこと、忘れちゃうのかな」
なんとなく、そんな気がしたから。
青がこちらを向いた。
「忘れないよ」
「本当に?」
「うん、本当だよ。橙のことも……チルノちゃんのことも、リグルのことも、ルーミアのことも、レティさんのことも。ちょっとしか会えなかったけど、藍様のことも」
やっぱり、青ののんびりしたしわがれ声で言われると、本当に思えてくるから不思議だった。
聞くものを安心させてくれる音色、自分は一生覚えていることだろう。
橙はスカートについたポケットから、あるものを取り出した。
「これ、渡そうと思ってたの」
取り出したのは、橙の宝物だった。
それは古びた、手の中におさまる、緑色がかった銀の鈴だった。
「昔、私がもらって、大事にしていたもの。私に初めて式ができたら、それをつけてあげようって大切にしていたの」
言いながら、橙はしゃがんで、青の首にある、赤い首輪にそれをつけた。
もともとそこには金ぴかの鈴がついていたために、これで鈴は二つになった。
「ちょっと、アンバランスかな」
「ううん、そんなことないよ」
青はそう言って、不思議なポケットから何か取り出した。
それは同じく金ぴかの鈴であった。
「橙。これをもらって」
「え? でも、いいの」
「うん。それも昔から僕が大切にしていて、ずっと持っていた鈴なんだ。今はもう少し壊れちゃってるけど」
「……ありがとう」
橙はそれをもらいうけた。
小さなその鈴を、大事に握り締める。
そこで耐え切れず、橙は青の胸に飛び込んだ。
青の前で張っていた虚勢もかなぐり捨てて、しがみついて泣いた。
橙の額も式の涙で濡れた。
青が機械人形なんて嘘だ。だって、こんなに涙が温かいのだから。
「青は……私の式でもあるんだからね……!」
「……うん!」
「友達でも……あるんだからね……!」
「……うん!」
「青が忘れちゃっても……私は覚えているからね……絶対にこの鈴を、無くさないからね!」
「……うん!」
「だから、青もその鈴を無くさないでね。私を忘れないように、大切にしてね!」
「……うん!」
さよならだけは、言わなかった。
いつかまた会える日がきっと来るのを信じて。
だけど、それだけじゃない。
離れていても、主と式は一緒なのだと、わかっていたから。
さよならは言う必要はないのだ。
さよならに、さよならだ。
そのかわり、もやに消えていく青の背中に向かって、橙は最後に、一番気になっていたことを聞いた。
青が寂しくならないように、思いっきり大きな声で、その背中を送り出してあげるのだ。
それが、主である自分の、最後の役目だ。
「青ー! あなた、本当はなんて名前なのー!?」
薄くなっていく青は、ゆっくりと振り向いた。
大きな笑顔で、お団子状の片手をあげる。
そして、橙の好きなあの声で、大きく返事した。
「ぼくドラえ……」
○○○
「……それで、青はいなくなっちゃいました」
八雲一家の屋敷の居間。時刻は昼になっている。
橙は主の主に、冬にあった出来事を、全て話し終えた。
八雲紫は、式の式の涙を、そっとぬぐってあげた。
「そう。橙は私が寝ている間、すごい冒険をしていたのね」
「はい」
目をしょぼしょぼとさせて、橙はうなずいた。
「青は……スキマで移動して、スキマから不思議な道具を出してました。とっても強くて優しかったです。……だから私、まるで紫様みたいだって思ったんです」
「ああ、そういうことだったの。ふふふ」
納得して、紫は微笑んだ。
「紫様……」
「ん?」
「私のやったことは、正しかったんでしょうか」
見上げてくる橙は、不安そうな顔をしていた。
「青はちゃんと、向こうで受け入れてもらえたでしょうか」
式の式は、心の底に残っていた懸念を、誰かに解きほぐしてもらいたがっている。
それに気づいた主の主は、首を振った。
「たとえどれほどの数の道筋を、先まで覗けたとしても、それはあくまで結果という可能性。そこに普遍の正しさを求めるなんて、私にもできやしない」
「……………………?」
「それを判断するのは、橙自身ということよ」
「……そうです、よね」
橙は気を取り直すように笑った。しかしどことなく残念な様子であった。
紫はそれに胸中で苦笑しながら、ぽつりと言った。
「でも橙。なんで貴方は、青を外に帰すことに成功したのかしらね」
「え?」
意外な顔で、橙は紫を見上げた。
「大天狗鞍馬が勝つ可能性があった。藍の助けが遅くなる可能性もあった。それこそ、青が途中で壊れてもおかしくなかった。そもそも青が貴方に出会わなければ、青は元の世界に帰れなかった。これが、どれほど凄い偶然か、考えてみたかしら? 少々出来すぎだと思うわ」
「じゃあ、どうして……」
紫はそこで、橙の瞳をのぞきこむ。
そして、種明かしをするかのように、
「こうは考えられないかしら、橙。青がまだ、幻想入りするべき存在じゃなかったとしたら?」
「えっ?」
「まだ忘れられていなくて、だから、元の世界に帰ることができたとしたら?」
その言葉の持つ意味を、橙は飲み込んでいく。
やがてそれが終わって、その顔に、ぱあっと日が差していった。
「紫様! きっと、青は向こうの世界でも幸せですよね!? 主と一緒に!」
橙はあらためて、紫の腰に抱きつきながら言った。
「あら、そう思うの?」
「きっとそうです! 私わかるんです! 離れていても、主と式はいつも一緒ですから!」
「そうかしら?」
「そうですよ! 紫様と藍様みたいに……ってああ! 藍様!」
橙は大事なことを思い出した。
藍は先ほど紫の怒りに触れて、スキマに食われたままだった。
橙は申し訳無さそうにスキマの主を見るが、紫は、そんなのもいたわねぇ、とうそぶく。
「紫様」
「なにかしら」
「藍様を許してあげてくれませんか」
「あんなアイスクリームみたいな式は、放っておきなさい」
「アイスクリーム?」
「私には冷たくて、橙には甘いでしょ」
「…………………………」
「あら、橙にはまだレベルが高かったかしら」
「もー、誤魔化さないでください。藍様は紫様のことも大好きなんですよ」
「あらそう」
「本当ですってば。さっきだって言ってたし、紫様が冬眠してる間も、たまに寂しそうな顔になって……」
「はいはい」
力説しはじめる式の式を、紫は面倒臭くあしらった。
「心配しなさんな。藍はちょっと、お使いに行ってるだけよ。おやつを買いにね」
「おやつ、ですか?」
「そう。おやつ」
「戻ってきますよね?」
「もちろん。私の式だもの。式と主はいつも一緒、なんでしょ?」
「そうです!」
膝にじゃれつく橙の背中を撫でながら、紫はふと思い出した。
「そうだ、橙。貴方、青から鈴をもらったと言っていたわよね」
「え、はい。もらいました」
「見せてもらえるかしら」
橙はポケットから、金に輝く鈴を取り出して見せた。
紫はそれをじっくりと検分してから、
「……これを後で、お友達の河童の所に持っていって、直してもらいなさい」
「え?」
「青からの素敵なプレゼントよ。橙は『猫の里』の猫と仲良くなりたいんでしょう? 役にたつわ」
「あの、紫様。ひょっとして、青のことを知っているんですか?」
「ふふふ。さあてね」
紫は意味深に笑うだけで、何も言わなかった。
橙は不思議そうな顔で、返してもらったその鈴を手の中で転がした。
八雲紫は、春の訪れを待つ庭を見た。
幻想郷に現れた、不思議な青い雪だるまは、寝ている間に溶けて消えてしまっていたようだ。
自分は会えずじまいだったが、それも何かの縁であろう。
異世界のスキマ妖怪……青か。
「さてと。藍がドラ焼きを買ってくるまで、もう一眠りすることにしますか」
幻想郷のスキマ妖怪は、欠伸を一つした。
(おしまい)
さらに、住んでいる妖怪達は主に飛んで移動するので、歩いて登る山道はほとんど整備されていない。ましてや冬はなおさらで、獣道と合体している程度の道が一、二本というありさまである。
そんな妖怪の山にある数少ない山道を、橙達は歩いて登っていた。
メンバーは、先頭に立つ橙とチルノ、そして後ろにつくリグルと、大きな闇に身を包んだルーミアである。
山登りの目的は、当然のことながら、
「青、大丈夫?」
「うん、大丈夫」
ルーミアが鈍いだみ声で返事をした。
宵闇の妖怪であるルーミアは、その中にいる『青』の頭の上に乗っており、彼の大きな頭と体を自身の闇で隠しているのであった。
青は、一昨日に橙が出会った、妖怪のようなそうでないような、よくわからない存在である。
もともと記憶喪失であった青は、山の妖怪に侵入者扱いされていたのだが、色々あって橙の『式』となり、レティの家で数日暮していた。
だが、青が今朝に思い出した記憶によれば、彼は『外の世界から来た式』だというのである。
彼女らの山登りの目的は、青を『元の世界の主』の元に帰すことなのであった。
『こっちの世界での主』である橙は、最初は猛反対であったのだが、青が元の主を思う気持ちを知ってからは、考えを改めて全面的に協力することにした。
そこでまずは、青がこの幻想郷にやってきた時に通ったという『謎の穴』だったり、山で今何が起こっているのかとかを知るために、とある河童に相談しにいくことにしたのであった。
「にとりさん、河の下に潜っていないといいけど……」
雪に埋まりかけた青に手を貸しながら、橙はつぶやいた。
もともと橙は河童や天狗の知り合いが少ない。この二つの種族は山の中腹から頂上付近にかけて、高度かつ閉鎖的な社会を築いており、山に住む橙にも知らないことが多いのだ。
だから、今のところ頼りになる知り合いは、去年の秋に友達となった、『河城にとり』しかいなかった。そのにとりと初めて出会った場所を、今橙達は目指している。
「でも、本当に良かったの橙?」
リグルが橙の後ろから、小声で聞いてきた。
「うん、私は大丈夫。ちゃんと青を、元の主さんの所に、送り届けるよ」
「それもだけど、そうじゃなくて……」
心配そうな声のリグルに、橙は振り向いた。
「橙の主の……藍さんに相談しなくていいの?」
「……………………」
リグルの指摘はもっともだった。
結界の外からやってきた青を、山の妖怪の目をすり抜けて送り返す。それは簡単な作戦とは程遠い。
なにせ相手は幻想郷でも指折りの妖怪である天狗達である。その神通力は計り知れないし、数も多いだろう。
対して橙達は、いずれも妖怪としては小物である上に、青を含めて五人しかいないのだ。
この様な時に主の八雲藍が協力してくれたら、どんなに心強いことか。頭は橙よりもはるかに回るし、実力も天狗達にひけをとらぬ九尾の大妖怪である。そしてそれ以上に彼女は、八雲紫が寝ているこの季節は、外界と境界の管理者の一人であるはずなのだ。
橙としては、尊敬する主にこの件を相談しないというだけで、罪悪感に悩まされる。
しかし、橙が藍に協力を頼めない理由は、もっと不安に思うことがあるからなのだ。
「……うん。大丈夫」
橙は力少なく返事をした。
「本当に大丈夫?」
「本当だって。もうすぐ、山を流れる川の支流に着くよ。そこで、にとりさんを探そう。青が見つからないように注意してね、みんな」
橙は努めて、明るくふるまった。
暗い顔をしていても、いい結果は生まれないというのが信条なのだ。
でもそれは、そもそも、主から教わったことだったのだけど……。
○○○
青が飛べないために時間がかかったが、やがて五人は無事に、橙がにとりと出会った川にたどりついた。
河原もそこに生えている木々も、雪が積もっていて白一色である。
さらに川は、表面に薄い氷が張っていた。
「わー、冬にここまで来たのは初めてだねー」
「うん」
ルーミアとリグルは、興味深そうに、音を立てない川を見つめている。
橙はその間、あたりを見渡した。
やはり河の下にいるのか、にとりの姿は見当たらない。
なるべく、他の河童に見つからないようにしたいのだが。
「おい! そこのお前達!」
と考える間に、橙達は見つかってしまった。
呼び止めてきたのは河童だったが、顔見知りのにとりではなかった。
長い髪を後ろで束ね、長槍を手にした女の河童である。他に姿は見当たらない。
「こんなところで何している」
「なによ、遊んでるだけよ! 文句ある?」
先頭に立つチルノが、大威張りで言い返した。
河童はふむ、と橙達一人一人の顔を確認するように見た。
「そうだ、お前達。ここら辺で……そうだな確か……青いタヌキのような妖怪を見なかったか」
(タ、タヌキじゃ……ムグムグ!)
妙な声を出した黒い球体に、橙とリグルが同時に手を突っ込んだ。
その不思議な行動に、河童の目が向けられた。
「か、彼女は宵闇の妖怪で、タヌキが大好きなんですよ」
「そうなのか」
とっさに思いついた橙の言い訳に、河童は特に疑わしげなそぶりを見せずに納得してくれた。
厳しい表情を解いて、長槍を短く縮める。どうやら収縮自在の槍らしい。
「驚かせて悪かった。実はここら辺は今、山への侵入者が確認されている危険な領域なんだ。私ともう一人の河童が、この辺を見回っている」
「そ、そうなんですか」
「うん。だけど、ここで遊ぶのはかまわないよ。私の目の届くところでやってくれればね」
そう言って河童は、ニッと笑った。どうやらこの河童、子供が好きなようである。
が、逆に橙は焦った。強気だったチルノも当惑している。
相手がこの前会った嫌な河童だったり、敵愾心むき出しでやってくるというなら、こちらもファイトが湧いてくる。
だが、意外にもこの河童は、親切な人なようであり、この場合はそれが話をややこしくしてしまう。
奥に行きたいといえば怪しまれるだろうし、遊ぶふりをしても見張られていては、うかつに動けない。
どうしよう、どうしよう、と皆で顔を見合わせていると、
「あ、あんた達!」
助け舟がやってきた。橙の知っている河童の声だ。
「にとりさん!」
「『にとりさん!』じゃないよ、まったく!」
叱り声の正体は透明人間……ではなく、光学迷彩スーツを着た河童であった。
水色のおさげ二つに緑の帽子。迷彩を解いて姿を現した河城にとりは、隣の河童にぺこぺこと謝っている。
「す、すみません。この子らが何かしましたか?」
「ああ、違うよ。ここらで遊んでいただけだとさ。そうだ。にとりの知り合いなら、あんたが面倒を見ててくれないか。私は向こうの警備に戻るから」
「は、はい。わかりました」
どうやら親切なお姉さん河童は、にとりの上司だったらしい。
じゃあまたね、と手を振って、その河童は去っていった。
リグルはその後ろ姿を見ながら、
「びっくりしたなー。山の妖怪でも、ああいう人なら仲良くなれそうね」
「でしょ、でしょ? 山も悪い人ばっかりじゃないんだよ」
その意見に嬉しくなって、橙は何度もうなずいた。
横に立つチルノは、ふんと鼻を鳴らした。
「……河童にもいいやつがいる、ってことは認めてやるわ」
「チルノもありがとう!」
「妖怪にも悪ガキがいるってことを認めたいね、私は」
「に、にとりさん……」
険悪な声に、橙はたじろいだ。
じろり、と河城にとりが『四人』を睨んでくる。
橙はあらためて、ぺこりとお辞儀した。
「にとりさん。あけましておめでとうございます」
「ああおめでとうおめでとう。頭がめでたいのばかりで困ってるよ本当に」
「……ひょっとして、今日のにとりさん、機嫌が悪い?」
「まあね。でも本音はあんた達のせいじゃないよ」
そこに北風が吹き、ひゅいっ、と声を漏らして、にとりは両腕で体を抱きしめた。
リグルはポンと手を打って、
「あ、わかった。寒いのが苦手なんだ。私と一緒だ」
「そうだよ! この寒いのに河の下から引っ張り出されて、下っ端は辛いんよ」
がたがたと震えながら、にとりは泣き言を漏らした。
「まあ組んだのが嫌なやつじゃなくて、あの人でよかったけど。あー寒い寒い。あ、そこに私も入らせて」
橙とリグル、そしてルーミアの黒い球体の間に、にとりは体を滑り込ませてきた。
隠れている青に気づくんじゃないか、と橙はどきりとしたけど、そうはならなかった。
にとりは、あーぬくいね子供は、と満足気に息をついただけだった。
「あの、にとりさんは、どうして見回っているんですか?」
「こっちこそ聞きたいわね。どうしてあんたたちがこの雪が深い時に、わざわざ山道を通って現れたんだか」
「ミスチーがいじめられたからよ!」
橙が適当な言い訳を思いつく前に、チルノがにとりの頭の上から叫んだ。
「ミスチーって?」
「あ、私たちの友達です。川にヤツメウナギを獲りに行った際に、天狗から攻撃を受けて、今は別の友達の家で休んでいるんです。一方的に大勢から攻撃されたみたいで……」
橙は話すにつれて、だんだん腹が立っていき、最後はつかみかからんばかりの剣幕で、
「ひどくありませんか、にとりさん!? どういうことか説明してください!」
対するにとりは、それを聞いて、苦い顔で、
「ごめん、それは悪いことをした。私はその現場にはいなかったけど、話は聞いているわよ」
「どうしてこんなことになってるんですか? 山は今、そんなに危険なんですか? 教えてください、にとりさん」
「実は……よく知らないんだよ。私らが天狗様から受けた命令は、二日前に山に現れた侵入者をできるだけ無傷で捕獲すること」
「え……」
「それ以外の山への侵入者は、速やかに撃退すること、それだけだから。上からの命令なんて、いつもそんなもんだよ」
じゃあミスティアは、『それ以外の侵入者』、ということで攻撃されたのか。
ますます腹立たしい話だったが、橙にとっては、青が『無傷で』捕獲されようとしている、というのは意外な情報だった。
それは、いったいどういうことだろうか。
「いくらなんでも無茶な命令だと私たちも思ってるんだけど。天狗様の中でもかなり偉い、大天狗様の命令だからね。逆らえやしない」
「大天狗?」
「そう。確か鞍馬という名前の天狗様だったかな。もっとも実際に動いているのは、その鞍馬様の側近を含めて十名ほどらしい。あとは、直属の私ら河童からも数名駆り出されているんだよ。……このクソ寒い時期に」
にとりは最後に不平を付け加えるのを忘れなかった。
「そもそも、その侵入者がどこから現れたか、私らには教えてくれないしね、天狗様は」
「じゃあ、天狗の人たちは、青……じゃなかった、侵入者がどこからかやってきたか知っているんですね?」
「ん、まあたぶんね。でもさすがにこっちから聞くわけにはいかないし、なんかすごくピリピリしているんだよ、あの天狗様連中。でも私にも、怪しい場所の見当がついてるんだな、これが」
「え、本当に!?」
「うん。もっと奥に入ったところに、岩だらけの場所があってね。おおかた、そこで行っていた『例の実験』が原因じゃないかと……」
「例の実験?」
「と、しゃべりすぎた!」
にとりはそこで立ち上がった。
「ほら、子供は帰った帰った。いくら私が見ていても、ここらで遊ぶのは危険すぎる。ましてやこの先の天狗様達は、子供だからって容赦なんてしてくれないよ。友達には悪いことをしたと思ってるけど……」
橙はそこまで聞いて決心した。
「ルーミア。闇を解いて」
「遊ぶなら麓に戻って、子供らしく平和に雪だるまでもつく……って……」
にとりの声は消えていき、口だけがパクパク動いていた。
闇を解いたルーミアの下には、困った顔をした青が……、
まさに、にとり達が捜している『侵入者』が立っていた。
「こんにちは、ぼく青です」
「あの、にとりさん。落ち着いて聞いてね」
「たあああいへっ! ………………むぐむぐ!!」
いきなり大声をあげようとしたにとりに、橙達は慌てて飛びかかり、六つの手で口をふさいだ。
にとりは、じたばたと暴れる。
「にとりさん! 大声ださないで!」
「むぐむぐむぐううう!!」
「落ち着いて話を聞いてください!」
「むぐぐぐぐ、ぐぐ!?」
「この子は青っていうの。私達の友達なんです」
「むぐー!!」
「色々あって、私の式になって、今から外の世界に帰そうと」
「むぐぐぐ、むぐむぐう!!」
「あー、うるさい河童ね! 凍らせるわよ!」
「むぐ……」
チルノが寒さで脅すと、にとりはおとなしくなった。
そこで、橙達は互いに協力して、これまでの経緯をかいつまんで説明した。
「……というわけです。私たち、青を元の世界に返したいんです。ちゃんと見届けたいんです」
「……………………」
「だから、にとりさんが知っていることを、少しでも教えてください。あとは私たちで何とかしますから」
「……………………」
「お願いします!」
「お願いします~」
五人は頭を下げる。
その間も、橙は右手でにとりの口を押さえていた。
橙たちの必死な説得を、にとりはしばし動かずに聞いていた。
が、やがて、諦めたように、ぱたぱたと手を振ったので、それを合図に、橙達は押さえつけていた手を放した。
にとりは静かに立ち上がった。もう騒ぐ様子はなかったが、非常に暗い顔をしている。
「橙。私はここで何も聞かなかった」
「え……」
「そしてあんた達は、ここで遊ぶのをやめて麓に帰ったんだ。いいね」
「にとりさん……」
有無をいわさぬその口調に、橙はしょんぼりと尻尾を垂らした。
やはり無理な相談だったか、と。
にとりは髪をかきむしりつつ、もう片方の手でリュックから大きな赤い布地を取り出し、その場に放り捨てた。
意外な行動だったが、続く言葉はさらに意外であった。
「そして、なぜか私はここで、新開発の『光学迷彩シート』を落としてしまった」
「………………?」
「あと、そこに見えている山道をまっすぐ行った先の岩窟にだけは、絶対に近づけるなとだけ天狗様から聞いていた。……と、なぜか独り言がでてしまった」
「にとりさん!?」
「あとは知らない」
「助けてくれるんですね! ありがとう!」
「…………私は見てない聞いてない言ってない」
にとりが耳をふさいでうずくまってる間に、わーい、と五人は大きな赤いシートを広げる。
すぐにそれは、シビビと音を立てて透明になり、手触りだけになった。
その下に体を寄せ合って隠れてみたが、どうしても一人、外に余ることになった。青の体が大きすぎたのだ。だが、青は一番隠れていなくてはならないので、誰か一人、外に出なくてはならない。
チルノがいいんじゃないか、と案を出したのはルーミアだった。
「だって、一番ここでうろうろしてても怪しまれそうにないしー」
「あ、そうか。チルノは妖精だもんね」
「えぇー!? あたいだけ仲間はずれなの!」
チルノがものすごく不機嫌な顔になった。
彼女は妖精ということで仲間はずれにされることをもっとも嫌う。
それを誰よりも知っていたので、橙は急いで言った。
「違うよ。チルノじゃなきゃ案内できないの。すごく大事な役目だよ」
「え、本当に?」
「うん、さすがチルノだね。みんなの先頭に立って」
「よーし、最強のあたいについてきて!」
チルノは一転、ご機嫌で行進しはじめた。
それに皆は続いて……足を止めた。
振り向いて五人でお礼をいう。
「にとりさん、ありがとうございましたー!」
「うるさい! 私は何も聞いていない! とっとと行け!」
きゃー、と駆け出す五つの背中に向かって、にとりは怒鳴り声を浴びせた。
やがて、子供妖怪達はシートに隠れてその姿は見えなくなり、気配も消えていった。
四人の足音が完全に聞こえなくなってから、にとりは嘆息した。
「あーあ、やっちゃったよ」
立派な命令違反である。
上司にバレたらクビじゃすまないだろう。よくて追放、悪くて極刑だ。
あとは橙達が、何とかバレずにうまくやってくれることを祈る他はない。
どうも去年から橙には、厄介事ばかり頼まれているようだったが……。
と、そこに彼女の上司が戻ってきた。
「にとり、あの子達は? 何だか怒鳴ってたけど」
「あ、すみません。聞き分けが悪かったんで、きつく叱ってから帰らせました」
にとりの口から、さらりと嘘が出た。
「そうか。ちょうどいい、今しがた、天狗様の一人がやってきた。もしかしたら私らも、詳しい事情が聞けるかもしれない」
「天狗様が? だー、惜しい。もう少し早ければ……」
「は?」
「い、いや、なんでもないです」
不審げな顔をする上司に対し、にとりは冷や汗を流しつつ、笑ってごまかした。
が、後に天狗から真相を聞かされると、にとりは血相を変えた。
○○○
案内のチルノを先頭にして、橙達は光学迷彩シートをかぶって、山道を進む。
一人だけ前を飛ぶチルノは何度も振り返った。橙たちの姿が見えないのが気になるらしい。
「すごい仕掛けだねー」
と、シートの下の皆は感心した。
河童の技術力は幻想郷で右に出るものはなく、にとりも優秀なエンジニアの一人なのだ。
橙は他にも、にとりが作ったり修理した、すごい機械を見せてもらったことがあった。
「にとりさんが協力してくれて良かった~」
「あの河童さん……ぼくのために」
「青は気にしなくていいよ。私があとでちゃんと、何かお礼を考えるから」
「橙の人脈が役に立ったってことね。どうせなら、大天狗にも友人がいたら、話がスムーズに行くんだけど」
「ふふふ。今度頑張ってみるから」
もし本当にそれが実現したのなら、とても愉快なことになりそうだった。
相手が大天狗となれば、さすがに無理だと思わないでもないが。
「あ、誰かいる」
先頭のチルノが指をさした。
山道をふさぐような格好で、白い犬の耳を生やした白狼天狗が一人立っていた。
つまり、ここから天狗の領域に入るということだ。河童よりも攻撃的で、はるかに危険な相手である。
見つからないですむ方法がないか、早速シートの下で作戦会議が始まった。
「どうやって通ろうか」
「横を通り抜けられないかなー」
「雪に足跡がついちゃうから、だめだと思う」
「青を持って飛ぶとかはどう?」
「それだと四人で協力しなきゃいけないよ」
「ごめん、ぼくが重たいせいで」
「あ、そんな意味で言ったんじゃないのよ青。ごめんなさい」
「どちらにせよ、これ以上近づくと、さすがに姿が見えなくても、気づかれちゃうかもしれないし……」
「あたいにまかせて!」
一際でかい声は、シートの外にいる氷精のものだった。
「ち、チルノ……! 大声出しちゃだめだって」
「大丈夫! 最強のあたいにかかれば、天狗なんてけちょんけちょんよ!」
チルノの声に気がついたらしく、白狼天狗が近づいてきた。
迷彩シートの下の四人は、会議をやめて慌てて口を閉じる。
だがチルノだけは、その天狗に向かって、堂々と歩いて向かっていった。
「ちょっとあんた!」
「なんだ。やかましい声がするかと思ったら、妖精か」
「妖精だったら何なのよ」
「シッシッ。あっちに行け」
「虫みたいに追い払うんじゃないわよ! 私はリグルじゃないわ!」
シートの下で、当のリグルは憮然とした表情になった。
「あたい達は……じゃなかった、あたいはここを通るの! あんたは邪魔だからどっか行きな!」
「それは私の台詞だ。私はここで侵入者が来ないか見張りをしているんだ。邪魔なのはお前だ」
「どうせあんた達なんかに見つけられないんだからいいじゃん!」
「なんだと! 妖精のくせに生意気な!」
職務に真面目らしいその天狗は、乱暴な口調でチルノに怒鳴っている。
が、チルノも負けていない。キンキン声で罵詈雑言を浴びせている。
それを見る青は、シートの下でおろおろしていた
「あらら、喧嘩になっちゃった」
「チルノ……目的ちゃんとわかってるのかな」
「ときどき理屈に合わないことをするのがチルノだからね」
シートの下で、橙とリグルはげんなりした顔になった。
ところが、激昂した若い天狗が刀を抜き出したので、緊張感がはね上がった。
「いい加減にしろ! お前にかまってる暇はない! この刀が目に入らないのか!」
「そんな刀、怖くないよ! やれるもんならやってみな!」
これはまずい。
無謀なチルノを助けようと、橙は飛び出しかけた。
と、そこに風が吹いたため、四人は慌ててシートが飛ばされないようにしがみついた。
「あやややや。誰かと思えばチルノさんじゃないですか」
「あー! 天狗のしゃめいまるあや!」
黒髪に黒い翼、やはり黒の短いスカート。鴉天狗の新聞記者、射命丸文だった。
白狼天狗は文を見て、すぐに抜いた刀をしまった。
「文さんのお知り合いで?」
「まあ、そんなもんね。椛はどうしてここに?」
「それが、上からの命令でして」
「ああ、例の侵入者騒ぎか」
「はい。ですから私は、ここで見張りをしています。私の目なら、絶対に見つけ出せる」
その自信を聞いて、橙は山の見張り役である、白狼天狗の噂を思い出した。
千里先まで見通すことの出来る、ものすごい視力を持っているそうだ。
このシートが無ければ、自分達もあっという間に見つかって捕まっていただろう。
橙はあらためて、心の中でにとりに感謝した。
現れた射命丸文はチルノに向かって、いかにも人懐っこい、しかし裏がありそうな笑顔をみせた。
「ところでチルノさん。何か面白いネタはありませんか」
「なんにもないわよ!」
「ところが、私のブンヤの勘が告げているんですよ。チルノさんが何か情報を持っているとね」
手帖を取り出した文は、しゃがみこんで聞いてくる。
「そうですねぇ。この季節になって現れた、太った怖い妖怪を知りませんか。私達天狗は、それを探しているんです」
「うっ……!」
「あ、やっぱり何か知ってますね」
「知らないってば!」
「隠さなくてもいいんですよ。大丈夫、チルノさんに迷惑はかけません」
「うう……」
強気だったチルノの表情に、迷いがでてきた。
天狗は狡猾で口が上手い、だから油断してはいけないと、橙は主から聞いている。
今すぐチルノに、それを伝えに行きたかったが、それだと青も見つかってしまうおそれがあった。
したがって、シートの下の四人は、沈黙したまま、心の中でチルノを応援するしかない。
――頑張って、チルノ!
「それは我々の山どころか、幻想郷にとっても危険な妖怪なのです。ですから、我々はすぐに見つけて、しかるべき対処を取る必要があるのです」
「……………………」
「チルノさんが情報を提供してくだされば、誰もが貴方に感謝しますよ。そして最強と認められること間違い無しです」
「……………………」
チルノが言い返さなくなったために、橙は不安になった。
まさか、このまま説得されてしまうんだろうか。
橙としてはチルノを最後まで信じたいが……。
「ですから、教えていただけませんか?」
「……………………」
「大丈夫。そんなに悪いようにはしませんから」
「………………うん」
チルノは小さくうなずいた。文の笑みが深くなる。
橙達は息を呑み、いつでも逃げ出せるよう身構えた。
「…………湖の側に、家があって、今はそこにいる」
それは、演技とは思えないほど真剣な口調だった。
「そうですか。ありがとうございます」
文は立ち上がり、傍らを見て、うなずいた。
白狼天狗の方も、思わぬ情報に色めきたっている。
「すぐに向かいましょう」
「ええ。そのかわり、記事は私のものよ」
文と椛はチルノに礼をいって、あっという間に飛び去っていった。
どうやら湖の側の家、つまりレティの家に向かったようだ。
シートの下の四人は、ほっと息をついてから、立ち上がって、
「すごいよチルノ! 天狗を騙しちゃうなんて!」
「もう駄目かと思ったー」
全員が口々に褒めるなか、チルノだけは、浮かない顔をしていた。
「レティ……大丈夫かな」
「大丈夫。レティなら上手くごまかして、引き止めてくれると思うよ」
「でもレティが捕まって、春まで閉じ込められちゃったら……」
「そんなことないよ。確かレティは、あの射命丸さんと知り合いだし」
「レティがそんな危険な妖怪だなんて、あたい知らなかった。でもレティは大抵は優しくて……」
「チルノ?」
何だかチルノとの会話がかみ合ってなかった。
もしかして……と橙は思って、聞いてみた。
「あのー、チルノ。天狗が言ってた『この季節になって現れた、太った怖い妖怪』って、誰のことだかわかってる?」
「だから……レティ」
しょんぼりした顔で、チルノはつぶやいた。
どうやら彼女は、本気で文の話を勘違いしていたようだった。
「チルノ。その話が、青のことだって、思わなかったの?」
「え、青?」
全く意外な指摘だった、とでも言いたげな顔で、チルノは青を見た。
「だって青は、怖くないじゃないの。でもレティは怒ると怖いし……」
そこまで聞いて、全員が腹を抱えて大笑いした。
「な、なんでみんな笑うのよ!」
「あはははは! だって! だって!」
「これ、絶対レティに聞かせられないよ! はははは!」
「あー! また、あたいが馬鹿だと思ってるんでしょ!」
「あはは、ち、違うよ! チルノは天才だよ!」
「ほんとほんと! 誰も思いつかないよね! さすがチルノ!」
「チルノは天才だー」
「そ、そう?」
「ありがとうチルノちゃん~」
「なんで青も礼を言うのよ」
「ボクが怖くないって、言ってくれたから」
そこで橙は、ハッとした。
やはり青は、自分が危険な妖怪じゃないか、ということを気にしていたのだ。
しかし、チルノは難しく考えないことにしたようだった。
「まあね! 最強のあたいにかかれば、こんなもんよ!」
うん、と思わず橙は、素直に認めてしまった。
単純だけど、芯は曲がっていない。チルノは本当に最強だと思った。
○○○
だが、橙達のその様子を見ていた白狼天狗もいたのであった。
「侵入者……本当それ?」
「間違いない。仲間の一人が確認した。妖精だと思ったが、集団で隠れてこっちに向かっているそうだ」
「その中に、例のアレがいるって?」
「ああ。どうする?」
「もちろんあの穴まで行かせるわけにはいかないだろう。お前と私、あとそいつと他二人ほどで捕らえよう」
「その前に、鞍馬様に報告しなくていいか?」
「いいさ。封印がされているなら、私達だけで十分だ。……いや待て、何でここまで奥に来るまで見つからなかった。まさか、鞍馬様の封印が」
「いや、どうやら、河童の光学迷彩を使っているようだ。おそらく盗み出したんだろうよ」
「まったく、物の管理を徹底させておかなくてはな。じゃあ、さっそく向かうか。待ち伏せは、例の崖の近くにしよう」
「わかった。俺は他の三人を呼んでくる」
二人の白狼天狗はそこで会話を終え、それぞれの目的へと飛んでいった。
○○○
何とか天狗との戦闘が回避できた橙達は、やがてとある崖の近くまで到達していた。
坂はますますけわしくなり、空気も鼻を刺すような冷たさに変わってきている。
木々が少なくなり、雪の中に岩肌が目立ってきたが、にとりのいう岩窟はまだ見えなかった。
五人は山道の脇で、休憩することにした。
「あーあ、まだつかないんだ」
飛びながら先導していたチルノは、退屈そうに足を空中でぶらぶらさせていた。
橙は、返事しようかどうか、一瞬迷った。他の三人も、疲労がたまっているようだ。
山を、ましてや冬の山を、飛ぶのではなく、視界を隠して歩いて登る経験など、めったにない。
毎日のように山を駆け回っている橙ですら、足に鈍い痛みを感じているのだ。同じく歩いている三人はなおさらだろう。
特に冬に弱いリグルと、足を動かすのが苦手な青が心配だった。
ただそこは、休憩するにはよい場所だった。
まず見晴らしがよい。
「いい眺めだねー」
「そうだね。お弁当を用意しとけばよかったね」
シートの下に隠れているために、よく見えないが、崖の向こうに、小さくなった霧の湖が確認できる。
他にも人里だったり、迷いの竹林だったり。
そのはるか先には博麗神社、霧に隠れた八雲一家の屋敷もあるだろう。
幻想郷の冬景色が、この場所から一望できた。
しかし、こんな山の奥から青は、あの橙達の遊ぶ麓まで下りてきたのだからすごい。
おそらくこの崖を転がって逃げてきたのだろうが……。
――あれ? でも何でだろう
橙は不思議なことに気がついた。青がこの世界に来た原因についてである。
彼女の主の主である八雲紫が開いたスキマでやってきたということは有り得ない。なぜなら、彼女は今冬眠の真っ最中であり、活動していないのだ。
他にも、博麗神社や無縁塚など、外との境界が薄い場所も存在はする。
しかし青はいきなり『謎の穴』とやらを通って『妖怪の山』に現れ、その山の妖怪に危険な侵入者扱いされている。
橙にとっては、不思議な話であった。
――どうしてだろう。まさか結界に異常が? そういえば、にとりさんが『例の実験』がどうのとか……
考え込む橙は、後ろからぽんぽんと肩をたたかれた。
青の丸い手だった。
「橙、疲れてなぁい?」
「青……」
心配をしてくれる式に、橙は微笑んだ。
「私は平気よ、ありがとう。青の方こそ大丈夫なの?」
「うん、大丈夫」
「なんか青、楽しそうだね」
そういえば、青はこうして山を登っている間も、ずっと楽しそうであった。
橙はその理由に心当たりがある。それも、面白くない心当たりが。
「あーそっか、元の主に会えるのが、そんなに嬉しいんだ」
「ええ?」
青は大口を開けて、面白いくらいにうろたえていた。
「いいなぁその人が羨ましい……」
「ち、違うよ橙」
「違わないでしょ。いいもん。どうせ私は、ちょっとしか主じゃなかったですよ。青の一番じゃありませんよーだ」
「そうじゃないんだってば~」
本気にした青が慌てるのが、ちょっぴり愉快だった。
橙はわざと意地悪な質問をして、青を困らせてみたのだ。
しかし、青の言い分は予想外のものだった。
「そうじゃなくて、昔を思い出したからだよ」
「昔?」
「うん。よくこんなふうに、五人で冒険してたから」
「……五人で冒険?」
「うん。過去に行ったり、宇宙に行ったり、海に潜ったり……」
と、そこまで言って、青の表情が消えていく。
橙もびっくりして、
「青! また、何か思い出したの?」
「昔……五人で……何度も……」
「他には? ねえ青」
橙は揺さぶって聞く。
だが、青が頭を押さえて、苦しそうにうめいているのを見て、すぐに手を引っ込めた。
「青、ごめん。無理しないで。辛いなら聞かないから」
「……うん」
青の表情は落ち着いたのを見て、橙はホッとした。
正直な話、前の世界の青の記憶にはすごく興味がある。けれども、本当に全部記憶が戻ってしまうのも怖かった。
ひょっとして、自分達のことを忘れてしまうんじゃないか、みんなの知る青じゃなくなっちゃうんじゃないか、と思って。
河童の噂、青が凶悪な妖怪であるという噂を信じてはいない。けれども、せめて、青が元の世界に帰るまでは、青は自分たちの知る青のままでいてほしかった。
橙はそこで気を取り直して、
「よし。それじゃあ出発しよっか。あ、リグルも疲れてない?」
「………………」
「リグル?」
リグルは返事をしない。真剣な顔で、音を集めるように、両耳に手をそえていた。
「どうしたの?」
「……橙、みんなも気をつけて」
「え?」
「嫌な予感がする」
脅かすような口調に、橙の背筋がヒヤリとした。
「ど、どういうこと?」
「ごめん、うまくいえないけど、誰かが近くにいる」
「つまりそれって……」
「うん、私達を狙ってる」
橙の耳には、外は静かなままだったが、リグルの勘は仲間一鋭い。
全員に緊張が伝わった。
「みんな、声を立てないで」
橙は口に人差し指を当てつつ、シートの下から、そっとチルノに声をかけた。
「チルノ。誰かいる?」
「ううん。いないわよ」
チルノはきょろきょろと、あたりを見回している。
「ちょっと探ってみる」
「気をつけてね」
「あたいは平気よ」
シートの下の四人を残して、チルノはふわりと空中に浮いた。
そのまま、少し離れた上空を八の字に見回っていると、
「危ない!」
青が叫んだ。
間一髪、チルノは身をかわす。
その横を去っていくのは、妙な皮袋であった。
同時に、とこからともなく飛んできた光弾が、皮袋に衝突する。
「な、なに!?」
袋は破け、真っ黒な液体が飛び散る。
それは、四人が隠れる『光学迷彩シート』を、墨色に染めてしまった。
そのねらいに気がついた時には、もう遅い。
「しまった! ばれてる!」
橙はシートを払った。
広がる視界の上部では、チルノが複雑な動きで飛んでいた。
弾幕をかわしているのだ。
その周囲を影が二つ、高速で飛行しているのがわかった。
白狼天狗だ。
しかも手に武器を持っている。
「月符『ムーンライトレイ』!」
橙の後ろで、ルーミアがスペルカードを発動させた。月の光に似た二つの青い光線が、チルノの周囲をなぎ払う。
それをかわした天狗達の注意が、こちらに向いた。
橙も黙ってはいられない。
「リグル! 青と援護をよろしく! 私はチルノの加勢に行くから!」
「うんわかった!」
というその返事を待たずに、橙は飛び出した。
地を蹴って、空へと向かう。
剣と盾を装備した天狗に、正面から向かっていく。
「このお!」
高く飛んで天狗の頭上をとった橙は、鋭い爪を出した。体を伸ばし、頭を下にして右手を振りぬく。
だが、橙の爪は、手ごたえ無しで空を切った。
それどころか、いつの間にか背後を取られている。
驚愕しつつも、振り下ろされる剣を、橙は空中で前転しながらギリギリでかわした。
背中に熱が走った。
「橙ー!」
下で青とリグルが叫ぶ声がする。
だが、橙が斬られた傷は浅かった。この程度なら、妖怪にとっては傷のうちに入らない。
それでも、精神的には、少なからずショックがあった。
――こいつ……!
天狗の攻撃は止まらない。
盾を前に出しながら、啄木鳥のように、次々と剣を突き出していく。
猫の柔らかさを生かし、上下左右に体をくねらせて、橙はそれをかわし続ける。
だが、いくら後退しても、間合いを詰められてしまう。
――私よりも速い!
橙は相手のスピードに驚いていた。
橙の武器はスピードである。今まで、速さで負けたことはあまりない。しかし、天狗の空を飛ぶ速さはそれを上回っていた。
鴉のような鳥の動きとも全く違い、むしろ予測不能の風の動きに近い。だが、普通の風は、敵意も武器も持っていない。
つまり、闘う相手としては、危険極まりないということだ。
反対側では、チルノがでたらめに、スペルカードを連発していた。
攻撃しているようにみえて、実際は防御の型になっている。
やはりチルノも、天狗のスピードにはついていけず、闇雲にしか攻撃できないのだ。
天狗もそれにかぶせるように弾幕を発生させ、安全圏にいるチルノを炙り出そうとしている。こちらも捕まるのは時間の問題だった。
と、そこで、天狗の攻撃が一瞬止んだ。
ルーミアが地上から、弾幕で援護してくれたのだ。
「橙、チルノ! 空じゃ危ないよ!」
リグルの声に従い、橙は身を翻して、地上を目指した。
地面に降り立ったところで、ひゅんっ、と天狗が回り込んてくる。
構えた大盾で、橙の頭部に殴りかかってきた。
「まぁてぇ!!」
そこに突進してきたのは、なんと青だった。
巨体を生かした捨て身の体当たりは、しかし天狗にひらりとかわされた。
その先は崖。
「って危ないでしょ青!」
危うく崖から落ちそうになった青の腕を、橙はつかんだ。
重たい体を、遠心力を利用して一回転。リグルの場所へと投げる。
絶好の隙ではあったが、天狗はそれ以上追撃してこようとしなかった。
橙はリグル達の元へと、素早く駆け戻った。
上空に向かって呼びかける。
「チルノも早く降りてきて!」
「こんなの平気よ! 最強のあたいにかかれば……わわわ!」
高速で剣を振るってくる白狼天狗に、チルノは慌てて橙たちのもとに逃げ出した。
それを見送って、天狗は一度旋回してから、空中で足を止めた。
その横に、橙と戦っていたもう一人がつく。二人はいずれも、山の警備を任されている白狼天狗に間違いなかった。
その片方が、高圧的な声で、
「ガキ共。その青い太った奴をこちらに引き渡せ。さもなくば、次は本気でやるぞ」
「冗談!」
チルノがそれに、腰に手を当てて怒鳴り返した。
「天狗の脅しなんて怖くないわ! かかってきな!」
橙も全く同じ気持ちで言った。
「乱暴な人たちには、青は渡さないよ!」
「ほざけ!」
天狗は左右に分かれて、橙達を囲みにかかった。
「みんな! 青を守るよ!」
「おー!」
中心の青を背にして、四人はそれぞれ別々の方向に身構えた。
二人の天狗は互いに位置を入れ替えながら、隙をうかがっている。
時折、頭上を剣で、掠めるようにして攻撃してくる。
チルノはそれに、ひゃあ、と頭を下げた。
やはり近接戦闘の経験の無い皆は、慣れない戦いにてこずっているようだ。
橙はなるべく全方位をカバーしたかったが、位置取りが難しい。
一方から飛んできた天狗に立ち向かい、左右の爪撃で追い払う。
「あれー!」
反対側から悲鳴が聞こえた。
ルーミアが天狗の一人に、髪を掴まれている。
「ルーミア!」
だが、天狗にさらわれる前に、青がすかさず割って入ったので、ルーミアは危機一髪で助かった。
その間も、もう一方から別の天狗が、しつこく頭上を脅かしてくる。
――落ち着かなきゃ! こんな時、藍様ならどうするか!
場を大局的に見つつ、瞬時に考え行動すべし。
主の教えを胸中で反芻する。
向こうの数は二人、こちらは青を抜かして四人。数では有利だけど、相手は天狗だ。
このままかすり傷程度で切り抜けられるとは思えない。
現にさっきの橙も、今のルーミアも、青が助けに入らなければ……
青が助けに入らなければ?
そこで橙は気がついた。
さっきの攻撃も、今の攻撃も、青が割って入ることで中断したのだ。
そして、青が近くにいある間は、天狗は攻撃をしかけてこない。
弾幕で一斉に攻撃しようともしてこない。
にとりからの情報が、頭をよぎった。
天狗はできるだけ、青を『無傷』で生け捕りにしようと考えて……
「みんな! 作戦変更! 青の後ろに隠れて!」
「は!? 何考えてるの橙!」
「いいから早く!」
橙達は大急ぎで近くの大木を背にし、青を正面に立たせた。
とたんに、天狗達はひゅんひゅんと飛ぶばかりになった。
攻撃の手が完全に止まっている。やはり迷っているのだ。
リグルが目を丸くして、
「橙! これって、どういうこと?」
「あの天狗達、青を捕まえたいけど、傷つけたくないみたい。つまり、青の後ろにいれば私達は」
「大丈夫ってことね! よーし、『アイシクルフォール easy』!」
チルノが前に出て、スペルカードを放つ。
左右から曲線的に放たれた氷弾は、天狗の一人の退路を絶った。
「ってチルノ! それは……」
天狗は下がるのをやめ、剣を振りかざして接近戦を挑んでくる。
チルノの『アイシクルフォール easy』は、放ったチルノの正面が隙だらけなのだ。
なので、張り付かれたら一貫の終わりである。
一対一では。
「さぁかかって来い!」
チルノが引っ込む前で、青が前進し、短い手足を精一杯伸ばして盾となった。
想定外の盾の出現に、天狗がたたらを踏む。
その隙を逃さずに、
「リグルキィーック!!」
青の脇から、稲妻のごときリグルの飛び蹴りが放たれる。
不意をついたその一撃は、見事に天狗の顔面に突き刺さった。
天狗は一瞬停止した後、ふらふらと地面に崩れ落ちた。一人倒すことができたのだ。
「やった! 大成功!」
「いいよ青! その調子で、みんなの盾になって!」
「うん!」
主の橙の命令に、青は力強く請け負った。
「おのれ!」
仲間をやられた天狗が形相を変えて、飛びながら青の後ろに回り込もうとする。
橙達はきゃーきゃー叫びながら、青を中心にして、四方八方に逃げまわった。
「待てこの!」
「こっちこっちー!」
「ちょこまかと逃げおって!」
「やーい、鬼さんこちらー」
子供妖怪の動きは、毎日の鬼ごっこで鍛えられている。
おまけに、動きは鈍いとはいえ、攻撃できない青という盾があるために、若い白狼天狗は狙いを定めることができない。
焦った天狗は、いつの間にか地上付近まで誘われていることに、気がつけなかった。
「今だ!」
そこで橙達が、わっと攻めかかった。
四方から同時に飛びかかり、天狗の武器を持った手と体を押さえつける。
最後に、青がその背中に、よいしょと乗っかり、天狗は目を回して気絶した。
チルノが勝利の喚声を上げる。
「やったあ! 天狗に勝ったよ、あたい達!」
「油断しないで! まだ他にも隠れているかもしれない」
橙達は身構えたまま、周囲を警戒した。
だが、しばらく待っても、援軍が来る気配はしなかった。
どうやら戦いは終わったようだ。
チルノは腕を組んで、
「最強のあたいと青がいれば、天狗なんてけちょんけちょんよ!」
「そうだった! 青、大活躍だったよ!」
「いやぁ、それほどでも」
橙に褒められて、青は舌を出して照れ笑いしている。
リグルだけは浮かない顔をしていた。
「ねぇ橙。にとりさんのシートが汚れちゃったから、もう隠れられないよ」
「うん、そうだね」
橙は青の頭を撫でつつ、気を引き締めなおした。
「でも、目的地はきっと近いよ。絶対に青を、送り返してみせる。行くよみんな!」
「おー!」
橙達は気絶した天狗二人を放っておいて、山道を出発した。
当初、他に潜んでいた天狗は三名いた。
だが彼らは、いずれも何者かによって気絶させられていた。
橙達は誰も、それに気がつけなかった。
○○○
「どうやら、ここのようね」
一方その頃、射命丸文と犬走椛は、チルノの情報にあった、湖の側の一軒家に来ていた。
「どうしますか? 相手は危険な妖術を使うと聞いていますが」
「天狗にかなう妖怪が、そうそういるとは思えないけど。私が交渉役になるから、怪しい動きがあったら、椛が捕らえて」
「わかりました」
段取りを決めてから、文は玄関の扉を、コンコンとノックした。
はぁ~い、とのんびりした返事が、中から聞こえる。
開いた扉の向こうでは、意外な人物が立っていた。
「あれ? 貴方は確か……」
「今年の冬は珍しいお客さんばかりね~」
「レティ・ホワイトロックさんですよね。以前取材をさせていただいた、射命丸文です」
「ええ。天狗の記者さんね。お久しぶり~」
レティは文の後ろを覗き込んだ。
「もう一人は、はじめましてね。立ち話もなんだから、二人とも、中でお茶でもいかが?」
「え、ええ。それではいただきます」
「どうぞ~」
レティは奥に消えていく。
文は後ろを向いて、椛と目を合わせ、
「?」
と互いに疑問符を浮かべて、肩をすくめた。
文と椛は、レティの家の居間にある、木製の四角いテーブルに案内された。
二人はその六つある椅子の二つに、とりあえず腰を落ち着ける。
テーブルにはレティの手により、二人の分の紅茶のカップが用意された。
「それで、本日はどのようなご用件?」
「突然お邪魔してすみませんでした。ぜひ聞きたいことがありまして」
早速文は、レティから情報を得ようとした。
「実は私達は、ある不審な妖怪を求めて、お宅にやってきたのです。チルノさんの案内で」
「あら、チルノがここに案内したの?」
「ええ、そうです」
文は言いながら、手帖と羽ペンを取り出す。
そして前置き無しで、いきなり本題に入った。
「単刀直入に聞きますが、ここにその妖怪はいるんですか?」
「ふふふ、どう思う?」
「隠してもためになりませんよ。教えてください」
レティは紅茶を一口飲みながら、
「いるわ」
と、静かにうなずいた。
文の表情は変わらなかったが、椛はぎょっとして、あたりに素早く視線を走らせている。
レティはその様子をおかしそうに眺めながら、文に別のことを聞いた。
「私からも聞きたいんだけど、チルノからどうやってここを聞き出したのかしら」
「普通に質問しただけですよ。素直に答えてくれました」
「なんて聞いたの?」
「えーと、『この季節になって現れた、太った怖い妖怪を知らないか』と」
何かが割れる音がした。
レティの持つカップに、小さなヒビが入っている。
だが、それを持つレティの表情は変わらなかった。
「私が知っている情報は、それくらいでしたので」
「……………………」
「どうかしましたか」
「……いいえ。でも、そういうことだったのね」
「その妖怪がいる家が、レティさんの住む家だったとは、思ってもみませんでしたがね。それで、どこに隠れているんですか?」
「その前にもう一つ聞いて良いかしら」
「お断りします。情報交換はフェアが原則ですからね」
「向こうにね」
レティが奥の部屋を指差した。
「私の大切な夜雀の友人が、怪我をして眠っているの。それも、天狗に攻撃されて」
「天狗の領地に、無断で入ったんでしょう。当然、その程度の覚悟はするべきです」
「でもあまりにも一方的だわ。多勢に無勢。それにはたして、スペルカードルールも守らない攻撃が許されるのかしら? いくら天狗といえども」
文にとっても、それは寝耳に水であった。
思わず横の椛に問う。
「どういうことなの、椛」
「いえ、私もその件については、話に聞いているだけです。おそらく、鞍馬様の側近の所業ではないかと」
「鞍馬様……」
「はい。私の見張りの命令も、鞍馬様からのものでした。ですが、末端の私には、詳しい目的は知らされていないんです。ただ、侵入者を捕らえろというだけで」
「そう。それは何だかきな臭いわね。あとで調べてみなくちゃ」
「その『くらま』というのは誰かしら~?」
二人だけの話題に、レティが口を挟んだ。
「あいにく、山の身内の情報について明かすことは許されませんよ」
「たった今、きな臭い、とかいう言葉が出た気がするんだけど」
「いえいえそんなことは。鞍馬様は、大天狗の一人です。ただ天狗の中でもかなりの武闘派でしてね」
「武闘派……つまり荒っぽいってこと?」
「人気がある方ですよ。側近の方々は、お馬鹿さんばかりですが、鞍馬様自身は、力こそが絶対と考える、きわめて妖怪らしいお方です。スペルカードルールに、最後まで反対した方ですし」
「それは怒らせると怖そうね~」
「そうですね。ただ私は鞍馬様と違って、新聞から生み出される情報、世論こそが『力』と考えますが、鞍馬様は……」
「文さん」
「おっと失礼。しゃべりすぎは悪い癖でして」
文はもとの笑顔に戻って、手帖をしまった。
「さて、そろそろ教えていただけませんか、レティさん? 貴方が隠していると思われる、その妖怪の居所を」
「嫌だといったら~?」
「天狗に逆らうのは無謀ですよ。もっとも私はルールを守るタイプです」
文はそう言って取り出したのは、スペルカードだった。
横の椛は、黙って成り行きを見守っている。
レティはふふふ、と笑って、
「地下室に隠れているわ。ここから連れて行ってもらえるかしら」
「わかりました。ご協力感謝します。さっそく案内してください」
「こっちよ~」
レティは文と椛を、床に備え付けられた鉄の扉に案内した。
「この下の氷室にいるわ。彼は寒いところが大好きで、居座って困ってるのよ。私一人じゃ手におえないし……」
「では我々が行きましょう。椛」
「はい。私が先頭に立ちます。レティさんはここで待っていてかまいませんよ」
「ありがとう」
椛は剣を片手に氷室の扉を開け、中を警戒しながら入り込んだ。
文も滑るような動きでそれに続く。
「……えい」
レティはすぐに扉を閉めた。
さらに頑丈な閂を二重にかけ、素早くその上にベッドを運んで重石にした。
おまけに氷室の温度を、マイナス20℃ほどにした。
「橙達が無事に帰ってくるまで、そこで二人で我慢していてね~」
地下から聞こえるわめき声に対し、レティはのんびりと笑顔で言った。
○○○
いよいよ景色に木々がなくなってきた。
今さら姿を隠してもしょうがないので、橙達は堂々と山道を行進していた。
「あーたいチルノー♪ バーカじゃないー♪ てーんかむーてきのようせいよー♪」
チルノは先ほどの勝利がよほど嬉しかったらしく、変な歌まで歌いながらご機嫌に行進している。
ここまで能天気にはなれないが、橙もいい気分だった。二人だけだったとはいえ、天狗達に一泡吹かせることができたのだから、疲れも吹き飛ぶ。
だが、その天狗達の姿が、一向に見当たらないのが不気味だったが。
「もっとすぐに襲ってくるかと思ったけど、全然来ないね」
リグルは先ほどから、怪しい気配がしないかと、びくびくしていた。
「そうだね。何事もなければ、それでいいんだけど……」
橙も浮かれすぎないよう、慎重に進むことにした。
そのうち、視界が開けてきた。
急だった山道もなだらかになり、平地とほとんど変わらない。
その先を抜けて、四人がたどりついたのは、大きな広場だった。木は一本も生えていないが、妙な形をした岩がたくさんある。雪がかぶさったそれぞれの岩は、天然の雪像と化していた。
「わー、ここで遊んだら楽しそうだねー」
ルーミアのいうとおり、かくれんぼや鬼ごっこには最適な場所に思える。
もちろん、今はそんなことをしている場合ではないが。
岩だらけの場所……橙は思いだした。
「そっか。にとりさんが言ってた場所って、ここかな」
だけど、そこには橙たちの他に、誰もいなかった。天狗の姿も見当たらない。
隣のチルノは、遠くに見える山肌にぽっかりと開いている、洞窟を指差した。
「橙、あの穴が怪しいわよ」
確かに、その洞窟のまわりだけ、不自然なほど雪が無くなっていた。
つまり、あそこで何らかの作業が行われていた可能性がある。にとりの情報にあった、近づけてはならない岩窟とは、あれに違いない。
「青、どう思う?」
「うん。きっとぼくは、あそこから来た!」
「よーし、行くわよー!」
「あ、待って~」
と、チルノが元気に飛んでいくのを、ルーミアが追う。
遊んでる場合ではないとはいえ、やはりこんな場所では、鬼ごっこ気分になってしまうようだった。
「ちょっと二人とも! 危ないよ!」
とリグルもそれを追う。
だけど、一番鬼ごっこが好きな橙と、その式の青は、あの洞窟まで走る気にはならなかった。
一度ぐっと深呼吸する。青もそれに習うように、大きく息を吸って吐いていた。
「はぁ。ようやくここまで来れたね」
「うん……」
「よかったね青。きっと、もうすぐ帰れるよ」
「うん。橙、本当にありがとう。ぼくの我儘を聞いてくれて」
「……いいよ。だって式の頼みだもんね」
素直にそれが言えるようになった自分が、ちょっと好きになれた。
「うう、ありがとう~」
「ってすぐに泣かないの」
青は最後まで、感激屋さんであった。
ハンカチを取り出そうとして、橙はスカートのポケットの中に、大切に忍ばせていたものを思い出した。
「あ、そうだ青。私、あとで青に渡すものがあって……」
そこで尻尾が何かに触れ、びくっ、と橙の体が反応した。
後ろには誰もいないはずなのに、耳元で誰かが囁いた。
(橙、そいつを連れて、ここから逃げろ!)
切羽詰ったその声は、
「にとりさん?」
橙は驚いて振り向こうとした。
「あー、なにすんのよ!」
だが、その前に、甲高い罵声が聞こえた。
遠くで、突然空中に現れた投網に、チルノが捕まっている。
羽や足に絡まったそれを、何とか振りほどこうとしていた。
「チルノー!」
と、それに駆け寄ろうとするリグルが、不意に転んだ。
その横の空間が、不自然にゆらめいている。ぐにゃぐにゃとしたその形は、透明な人の姿をしていた。
橙はその正体に思い当たった。まさか、
「河童!?」
と橙が叫ぶと同時に、リグルの体が、空中に持ち上がった。間違いない、姿を消した河童が、彼女の首をつかんでいるのだ。
その見えない敵に向かって、ルーミアがそれー、とぶつかっていった。
操り糸が切れたかのように、リグルが地面に落ち、透明だった襲撃者の全身が、バチバチと音を立てて色を取り戻していく。
現れたのは、一昨日に橙達に警告をした河童だった。
「ちぃっ!」
その舌打ちを合図にして。
突如、誰もいなかったはずの広場に、次々と天狗が姿をあらわしていった。
それも空から舞い降りるのではなく、空間に突然色がついて現れるのだ。
橙は肝をつぶした。
「ゆ、幽霊!?」
「違う橙、さっきの道具だ!」
「あ!」
青のおかげで、橙は状況を理解した。
にとりが橙達に貸してくれていた、光学迷彩シートだ。天狗達はその下に隠れていたのだろう。
橙達の目標がここにあることを知って、待ち伏せされていたのだ。
しかも、数は十名近く。いつのまにか橙達は周囲を囲まれており、チルノにいたっては捕まっている。
まず今なすべきことは、
「青、チルノを助けよう! さっきと同じ作戦で行くよ!」
「うん!」
橙が後ろに一歩下がり、青を前に立たせる。
それを盾にする形で、橙は前方に弾幕を撃った。
狙いはチルノを囲む河童と天狗である。
案の定、投網を押さえていた河童は反撃できずに退いた。
天狗の方はこちらを向き、弾を出しかけてやめる。
やはり青を攻撃できないのだ。
その間、リグルとルーミアも態勢を整えることができた。
先ほどとは相手にする数が違うが、目指す洞窟はもう目の前である。
あそこまで、何とか青を連れていけば。
――よし! まずは目の前の敵を!
走り出す青の後ろから、橙が一人の天狗に狙いをさだめようとすると、
「オン キリキリ キャクウン」
それは低い歌声に聞こえた。
冬の山の静寂を、さらに深めたような声。
しかし、それが次にもたらしたのは、悲鳴だった。
「ぎにゃああ!!」
青の体が突然放電した。
後ろにいた橙が、わぁっ、と急停止する前で、青はふらふらと倒れていく。
「青!?」
橙は抱きとめようとしたが、その体は重く、地面に倒れこむにまかせるしかない。
雪の上に横たわる青を、橙は揺さぶった。
「青! しっかりして!」
「ううん…………」
青は完全にのびた状態だった。
さっきの不思議な呪文が聞こえてから、急に倒れてしまったのだ。
はっ、と橙は気がついた。
青のお腹に貼られた御札、剥がそうとしてもびくともしなかった御札が、今は怪しげな光を放っている。
橙が手をかざすと、痺れるほど強い妖力が感じられた。
まさかこれが原因で?
「ここまでご苦労だった。だが、遊びはもう終わりだ」
背後からかけられた声に、橙の背筋が粟立った。
後ろを向いて、その姿を見上げる。
そして、口を開けて固まった。
橙の三倍はあろうかという身長。組まれた丸太のような太い腕。彫りの深く、朱色に塗られた、厳しい顔つき。
全身の筋肉を覆い隠す山伏姿の服装に、背中に生えているのは白い翼。
見た目からして、普通の天狗とは格が違うことがわかった。
だが何よりも、その妖気が圧倒的だった。そこにいるだけで場を制してしまうほどの威圧感をともなっている。
橙の中にある妖怪としての本能が、畏敬とも恐怖ともつかない感情を訴えていた。
やっと口から出たのは、その名前だった。
「大天狗……」
「いかにも」
見上げる巨人は無表情で、口だけ動かして返答した。
「八雲の式の式よ。我こそは護法魔王尊、大天狗鞍馬である」
○○○
呆然とする橙を、大天狗鞍馬は冷たい瞳で、じっと見下ろしていた。
その間に、チルノもリグルもルーミアも、他の天狗に捕まってしまっていた。
青は地面に仰向けに倒れたままだ。唯一動けるはずの橙は、蛇ににらまれた蛙のごとく、大天狗の視線から逃れることができない。
絶対絶命である。
「んん……」
青が身じろぎしたために、橙の呪縛が軽くなった。
彼女の式は、半分閉じた目で、体を少し起こしている。まだ意識はぼんやりしているようだったが、体に異常はないようだ。
いきなり火花を放ったときは、どうなることかと思ったが。
「…………あっ!」
そこで橙は気がついた。
青のお腹に貼られていた、御札の正体についてだ。
大天狗をきっと睨み付ける。
「この御札を貼ったのは、貴方ね!」
大天狗鞍馬は頷いた。
「どうして!?」
「その妖怪の妖術を封印するためだ」
橙はそれで理解した。やはり、青は妖術を使えたのだ。
そして、使えなくなっていたのには理由があった。
この大天狗によって、封印されていたのだ。
「どうしてこんなひどいことするの! 青はいい妖怪だよ! そして私の式なの!」
「否」
大天狗はたった一言で、橙の訴えを、山を置くように踏み潰した。
「青と名をつけたのか。しかしそいつは妖怪ではない。お前の式でもない。そいつは異世界から迷い込んできた、機械人形だ」
「……機械人形?」
聞いたことの無い名称に、橙は眉をひそめた。
「はじめから説明しよう。八雲の式よ。お前達は思い違いをしている」
大天狗は腕を組んだまま、部下に目配せをした。
その合図で、橙の仲間達は、押さえつけられていた体を解放された。
しかし、リグルもルーミアも、チルノですら、文句を言ったり暴れたりする様子をみせなかった。
誰もが知りたがっているのだ。青が何者なので、どうしてここに来たのか、ということを。
皆の視線を集める中で、大天狗は語り始めた。
「六日前のことだ。我々はある実験を完成させようとしていた。河童の進めた研究の成果を実践するための実験、すなわち異世界へと通じる新たな道を開くというものだ」
「異世界へと通じる道……」
それがおそらく、にとりが言っていた『例の実験』ということなのだろう。
そのにとりは、この場でルーミアの側についていた。橙たちを捕らえる側に回って、心苦しそうな顔で、大天狗の話を聞いている。
「結論からいえば、我々が行った実験は半分成功で、半分失敗に終わった。予定とは異なり、異世界への道はほんの一瞬で、そのほとんどを閉じてしまった。しかし、その一瞬を通じて、そやつ、青がその異世界から、この山に迷い込んできたのは間違いない。この幻想郷の『引力』によって、引きこまれたことにより、な」
「引力……」
「そう。幻想入りしたということだ」
橙は青の顔を見た。
青は厳粛な面持ちで、大天狗の説明に耳をかたむけている。
彼自身も気になっていたのだろう、自分の出生を。
「事態が深刻になったのはここからだ。そいつは現れるなり、恐るべき妖術で暴れだした」
「えっ」
「それは天狗の我々ですら、驚嘆すべき妖術だった。使い方しだいでは、幻想郷をも滅ぼしかねないほどの強力な」
「そんな……」
「そのために、我がその妖術を封印した。それがその札だ」
その話は、橙が一番初めに聞いた、青の噂と一致していた。しかし、ここ数日でその噂は、全く信じられなくなっていた。一緒に暮していて、青がそんな危険な存在だとは到底思えなかったからだ。
しかし、それも大天狗によって、妖術が封印されていたからだとしたら。
揺れ動く橙の心情をよそに、大天狗の説明は続く。
「封印したはいいものの、運悪くその機械人形には逃げられてしまった。しかし、そやつの存在は放っておくには危険すぎる。したがって、一刻も早く見つけ、元の世界に戻す必要があった。妖術無しでは山を降りることなどできぬと思ったが、まさかお前達に保護されているとは思わなんだ」
「じゃあ……」
「そうだ八雲の式の式よ。もともと、我々の目的は同じであったということだ」
そこまで言って、大天狗は大きな手を、こちらに差し出した。
「異世界への穴は、まだ完全に閉じきっているわけではない。今なら元の世界に帰せる。その青を引き渡せ」
大天狗の口調は穏やかであったが、嫌とはいえない力をはらんでいた。
その山の平和に対する義務的な姿勢が、主の姿と重なった。
――やっぱり……藍様も……
橙がここまで藍に頼めなかった理由が思い出された。
それは、自分の行動を主に反対されたらどうしよう、ということだった。幻想入りした存在を、勝手に外に返してしまう、それも山の妖怪と険悪な関係になる可能性もあるのにだ。はっきりいって、橙の一存で解決していいレベルの話ではなかった。
だけどもし、主に反対されれば、橙はそれに従うしかない。そうなれば橙は傷つき、青の件も自分の手の届かないところで、『大人たち』の都合で解決されてしまう。橙はそれがどうしても嫌だったのだ。
しかし、今の大天狗の、すなわち『大人たち』の話では、橙の目的も天狗の目的も同じだということであった。おそらく幻想郷の平安を望む、主の藍も賛成するであろう。
そして何よりもそれは、青の願いが――向こうの世界の主と再び会えるという願いが、かなうということでもあった。
あとは、橙の願いは一つだ。
「……私達に青を、そこまで見送りさせてくれませんか」
「それはできん。機密なのでな。ここで別れをすませてもらう」
大天狗はやはり強い口調で、橙の願いを退けた。
橙はため息をついた。
「……橙」
「……青」
不安そうな青の瞳が、橙をみつめている。
橙はあえて、優しい眼差しで握手した。
「ここでお別れだね」
「……うん」
「元気でね、青。見送ることはできなくなっちゃったけど」
「うん。橙もお元気で」
仕方が無い。
ここで我儘をいっては、ますます主の藍を悩ますことになってしまう。
子供の自分達にも、妥協のしどころがきた、ということであった。
橙はここに来た仲間達に目を向けた。
チルノは悔しそうに唇をかんでいた。が、抵抗する感じはなかった。
リグルはうつむいて、残念そうだった。
いつも明るいルーミアも、珍しく諦めの表情をみせている。
橙も彼女達と同じ気持ちではあったが、やがてみんなも納得してくれるだろうと、何とか思いを振り切った。
そうして皆の顔を確認する中で、先ほど声を聞いた、にとりと目があった。
…………?
その顔は、橙の仲間や青、山の天狗や河童、ここにいる誰とも異なる表情であった。
にとりは何かを訴えていた。
口には出さずに、目だけで「やめろ」と、橙に忠告している。
そこで橙は、先ほどから感じていた、わずかな違和感に気がついた。
何だろう? 何か引っかかる。
思い出したのは、ここにたどり着いたときの、にとりの行動だった。
(橙、そいつを連れて、ここから逃げろ!)
そうだ。なぜあの時、にとりは自分達を、いや青と自分を、密かに逃がそうとしたのだろうか。
青を元の世界に戻すという、橙と天狗に共通する目的を知っていたはずなのに。
いや待て。
天狗と橙の目的は同じではない。
なぜなら、彼らはここに青を連れてくるな、という主旨の命令を、にとりに頼んでいたというではないか。
なぜ?
――天狗、異世界、穴、実験、河童、機械人形、すごい妖術、無傷で捕らえる、冬……
橙の頭の中で、ぐるぐると混ざった単語が一つの鍵となり、ある結論へと導く扉に、ぴたりと当てはまった。
その扉の向こうの真相を見たとき、橙の顔から、血の気が引いていった。
なんてこと。大天狗達の……真の目的は。
「さあ来い、青」
大天狗鞍馬が伸ばした手に、青は素直に向かう。
しかし、その青を、ぐっと引き止める手があった。
主の橙の手だった。
「どうした式の式。何をためらっている」
「青は渡せない」
橙は鞍馬を睨みつけながら、きっぱりと言い切った。
わずかに前傾姿勢になり、尻尾の毛を逆立てて、糾弾する。
「貴方達は、青を外の世界に帰すつもりなんてないんだ! じゃなきゃ、ここに近づけたくなかった理由がわからない! 本当は青を、帰したくないんでしょ!」
天狗達が、ざわめいた。
あやうく、彼らの計略に騙されるところだった。
「私わかったもの、どうしてこの冬に、異世界へと通じる実験を行ったのか。紫様の目から逃れるためでしょ」
「……………………」
「異世界に穴を開けようとしたのは、自分達の力を強めるため! だからこそ、やってきた青がすごい機械人形だから、自分たちのものにして、調べようとしたんでしょ! 自分たちの力にするために! それがあんた達の本当の目的だ!」
「根拠の無い一人合点だな」
「根拠ならあるよ!」
「ではなぜ、そう思う」
「決まってる! 青がいい妖怪だからよ! 青は理由なく暴れたりなんてしない! それこそ無理やり、天狗の命令で、河童に分解でもされようとしない限り!」
口に出してから、その行為のおぞましさに吐き気がした。
青もはっきりと怯えている。そして友人達も顔色を失っている。
対して、大天狗の配下の天狗や河童達は、あからさまに動揺していた。
その中でにとりが、注意しなければ気づけないほどわずかに、こくりとうなずく。
そこで橙は確信し、決意が固まった。
「青は渡せない!」
青の腕を引っ張って、胸に抱きかかえる。
周囲の野心に満ちた視線から守るようにして。
大天狗は無表情でその様子を眺めていたが、やがて一言命令した。
「捕らえろ」
大天狗の短い声に、周囲の天狗が飛びかかろうとした。
その時、
「凍符『マイナスK』!」
「夜符『ナイトバード』!」
「『季節外れのバタフライストーム』!」
橙の友人達が、一斉に周囲に向けて、スペルカードを放った。
そして叫ぶ。
「橙! 青! 逃げてー!」
その言葉に押されるように、仲間を置いて、橙と青は走り出した。
「オン キリキリ キャクウン」
また大天狗の呪文が聞こえてくる。
青の体が再び放電し、斜めに跳ねた。
「青!」
後ろから天狗が迫ってくる。
青はふらふらと、急な坂道へと倒れこんでいく。
「危ない!」
坂を転がりはじめた青を、橙は追いかけた。
背後から迫るプレッシャーを追われながら。
助けてくれた仲間の想いに、引き止められそうになりながら。
○○○
転がる青は、すごい勢いで山の斜面を下っていく。
それを超えるスピードで、橙は坂を駆け下りていった。
前へ、前へと全速力で急ぐ。
だがそれよりもさらに速い影が三つ、橙と並走していた。
天狗だ。
白狼天狗が二人と鴉天狗が一人。
「じゃまだ小娘!」
男の白狼天狗がふるった棍棒を、橙はさっとかわした。
かわしつつも速度を落とさない。
目はあくまで、先を転がっていく青に向けている。
青はだんだんと、大きな雪だるまとなっていった。
雪がかぶった岩肌を乗り越えて、木々が深い場所へと入る。
そこで天狗の部隊が分散した。
青の雪だるまは次々と木にぶつかりながらも、止まらないで山を降りていく。
だが速度は遅くなったので、橙はようやくその雪だるまに追いついた。
そして、すぐにスペルカードを取り出す。
口にそれをくわえ、小さな手で印を結んだ。
「……消えました」
「なんだと?」
女の白狼天狗の報告に、鴉天狗は目をむいた。
「ですから、消えました。まっすぐ追っていたはずなんですが……」
「ふざけるな! あれほどの巨体で、見逃すはずがないだろう!」
「は、はい。しかし、確かに林に入った時までは、目で追っていたのです。ですがふと木の陰に入ったと思ったら、姿が無くなっておりまして」
「ふん、馬鹿な」
そこに、もう一人の白狼天狗がやってきた。
「すみません。見逃してしまいました。追っていたはずなんですが、なぜか突然姿を消してしまって」
「……待てよ」
鴉天狗は思い当たり、白狼天狗を連れて、その式と機械人形が消えた場所へと向かった。
そこで、ある痕跡を発見した。
「…………ふん。どうやら化かされたようだな」
「ま、まさか。あんな子供が術を?」
「子供とはいえ、八雲の式の式だ。使えても不思議ではない」
顔に赤みがさす白狼天狗に、鴉天狗はニヤリと笑った。
「生意気なガキだな。あの夜雀と同じく、少々お仕置きしてやろう。探せ。そう遠くには行っていないはずだ」
橙と青は、林に入った場所から、東に離れた地点にいた。
『奇門遁甲』が上手く作用したのだ。自然界を走る地脈に働きかけ、別の場所へと道をつなげる術。
橙にとってはあまりに高度な術であり、使えるかどうかは一か八かだった。だが、青を助けようと必死で印を結び、主の真似をすることで、何とか成功することができた。
あとはこれからどうするかだ。
「青……」
雪だるまの状態から救い出した青は、揺すっても目を覚まさなかった。
こうなったらとりあえず、可哀想だがもう一度青を雪に隠して、何とかあの三人を救いにいかなくてはいけない。
青を無理に起こしたとしても、あの場に連れて行くのは危険すぎる。
――そうだ、藍様に!
今こそ主の手を借りる時だった。
あとで長い説教を受けることになるだろうが、今さらなりふりかまっている状況ではない。
すぐに助けてもらわなければ、幻想郷が大変なことになる。
(藍様!)
橙は、覚えたての念話を使って、主を呼んだ。
(藍様! 助けてください!)
しかし、反応が無い。
この山から、遠く離れた場所で仕事している可能性があった。
いや、橙が助けを呼べば、きっと主は来てくれる。
どんな場所にいたって。今までは、そうだった。
「藍様ー!」
思わず出た実の声が、山にこだました。
だがやはり、主の返事もなければ、姿も見えなかった。
橙の心に、すごく嫌な不安が増していった。もしかしたら、藍はわざと、自分を助けてくれないのではないか。勝手に行動して、山の天狗と戦う自分に、幻滅しているのではないか。あるいは山との関係をこじらせないために、青を見殺しにするのでは。
――そんな、そんなことない!
胸中で懸命に否定するが、目頭が熱くなってくる。
「藍様! 謝りますから! 許してください! 青を、チルノ達を助けて! みんな大切な、友達なんです! お願いします!」
がさり、と音がして、橙はハッと振り向いた。
「主は来てくれないのかい? お嬢ちゃん」
早くも、天狗に見つかってしまった。
○○○
「『奇門遁甲』とは、なめた真似をしてくれたな。だが所詮は子供の浅知恵」
「くっ……!」
橙は青を背にして、精一杯身構えた。
大天狗がいないとはいえ、天狗の数は三体。
男女の白狼天狗が二人、鴉天狗が一人。
橙一人で相手をするには、あまりにも手強い戦力差だった。
だが無論、橙に引く気はない。
「大人しくそいつを渡せ。さもなくば痛い目にあうぞ」
「やだ!」
「ならば、仕方がない。先の礼もしなくてはな」
鴉天狗が言い終わるやいなや、白狼天狗が構えた棍棒で、殴りつけてくる。橙はさっと横によけた。
今度は背後から、別の白狼天狗が襲ってくる。これも橙は飛び上がってかわし、空中で一回転して、木の上に登った。
がつん、と背中を蹴られた。先回りしていた鴉天狗だ。
よろめいた橙は、枝から滑り落ちた。
逆さまになりながらも、スペルカードを発動させる。
「式符『飛翔晴明』!」
空中を素早く五芒星の形に移動しながら、弾幕と爪撃をお見舞いする技だ。天狗は散開して、それを避ける。
地面に着地した橙は、振り下ろされる棍棒を転がりながらかわした。
やはり天狗は、青をできるだけ無傷で回収したいらしい。
流れ弾が当たる可能性のある、弾幕のスペルカードは使ってこない。
だがそれでも三対一では不利であった。
橙も接近戦は得意であったが、相手は最速の天狗である。
地上戦ならともかく、空中に逃げられたら全く追いつけない。
襲ってくるたびに無我夢中で爪を振るうも、天狗はあざ笑いながら、上に飛んで逃げてしまう。
「卑怯だぞ! 降りて勝負しろー!」
「馬鹿め。闘いに卑怯も何もない。お前が我ら天狗より弱いだけだ。そおれ!」
それは鴉による狩りそのものだった。
上空から一人が攻撃を誘い、もう一人が獲物の背後を狙って攻撃する。後の一人は後詰となって、様子を窺う。
これでは天狗に攻撃してもされても、橙の傷が増えていくだけであった。
「ははは、無様だな」
「まだだ! 私は負けない!」
だが、橙は青を背にして離れなかった。
歯を食いしばって攻撃に耐え、懸命に攻撃しながら、にらみつけ続けた。
体力が失われていく中、女天狗の鞭がひるがえった。
それは橙の右腕をしたたかに打ち、骨まで痛みを響かせる。
橙のうめき声は長かった。
「折れたか?」
「っ~! 折れてなんかいないぞ! まだまだ!」
「やはり生意気だな。お前も、あの夜雀と同じ目にあわせてやろう」
……なんだと!?
痛みをこらえていた橙の顔が、さっと青ざめた。
「お前達が……ミスチーを!」
「弱い奴はやられて当然。鞍馬様も同じお考えでいらっしゃる」
「よくもおおおお!!」
橙は我を忘れて、その白狼天狗に飛びかかった。
そして、その顔を思いっきり引っかく。
「がぁ!? この!」
白狼天狗が殴り返してくるが、橙は鼻血を出しつつも離れなかった。
許さない。ミスティアの痛みは、こんなもんじゃなかった。
もう一度、と思ったとき、横からの攻撃によって、橙は吹き飛ばされた。
「…………おのれぇ! 化け猫の分際で!」
女天狗が顔を血まみれにした悪鬼の表情になる。
鴉天狗は、橙の首根っこをつかみ、地面に引きずり倒している。
「潔く諦めて、そいつを引き渡せ!」
「やだー! 青は私の式だ! お前達に渡すもんか!」
橙は地面に押さえつけられたまま、泣きじゃくった。
天狗に負けてしまう自分が、悔しくてたまらない。ミスティアの敵を討つだけの力があれば、こんなことにはならないのに。
そして、青を守れない自分も悔しい。せっかく最愛の主のもとに帰れるはずが、天狗達にいいように扱われるなんてひどすぎる。
「絶対にこんなの許せない! こんな非道、私が、藍様が許すはずがない!」
「何を馬鹿なことを」
「え?」
「お前ら八雲も、私たちと変わらないさ。式としてそいつを利用することに変わりは無い」
「な」
橙は絶句した。
頭を上に向けると、天狗が下卑た笑みを浮かべていた。
「もとはお前も山の妖怪だろう。スキマや九尾の化け物どもに飼われる身となって、何か得たものがあったか。なんなら我ら天狗の仲間になったらどうだ。そいつは、お前にはよく懐いているようだしな」
「………………」
「今なら幻想郷を変えることができる。それだけの力が、その機械人形にはある我々天狗の下に入れば、その力を手にすることができるのだよ。使われるだけの八雲の式よりも、よっぽど魅力的だと思わないか」
橙の心に、本気で火がついた。
悲しみが残らず、燃える怒りに塗り替えられた。
自分が最も憧れ、最も敬う『その名』を貶められるのだけは、我慢ならなかった。
噛んだ土を吐いて、橙は咆哮した。
「青を利用しようとするだけのお前らが、『八雲』を口にするなぁ!」
橙の体は、なおも天狗によって、万力のように押さえつけている。
ひっくり返すこともできずに、地べたでわめくことしかできない。
しかし、橙は諦めなかった。
八雲はこんなことで諦めたりしないはずなんだ。
絶対に式の前で弱音を吐いたり、負けたりしてはいけないはずなんだ。
そして、
「主を守るのは、式の役目! その逆も然り! それが、私の主から教わったことで……」
そこで橙は気がついた。
この場を切り抜ける方法を。
「それが我が主、八雲藍の『命令』だー!」
叫んだ橙の両目の色が光り、妖気で髪がざわめいた。
背中に乗っていた天狗が、不穏な気配にさっと飛びのいた。
橙の体から、莫大な妖気が生み出されていき、それが体に残ったダメージを、みるみる回復させていった。
橙の『式』が発動したのだ。
式は主の命令に従うことで、主の力を受け継ぐことができ、通常の何十倍もの力を出すことができる。
それこそが八雲の式神の秘法だった。
ここにはいない主の力が、確かに息づいている。それが、橙に勇気を与えた。
「鬼符『青鬼赤鬼』!」
赤と青、主からもらった二つの玉が、天狗を周囲から追い払った。
天狗がひどく鈍い口の動きで、何事かを叫んでいる。
いや、鈍く見えるのだ。
橙の頭脳が高速で回転を始め、周囲の状況を次々に演算しているのだ。
その目が、青のお腹に止まった。
大天狗による封印の御札が貼られている。
橙はすかさず、その札に手をかざして、
頭の中で、声がした。
橙の不安をかきたてる、不吉な声が。
(そいつは強力な妖術を扱う、『危険』な妖怪なのだ)
――違う。青はそんな子じゃない。私は青を信じる!
橙は勇気を出して、その声を立ち切った。
「青、目を覚まして!」
お腹に貼られたその札を、橙は一気に引き剥がした。
御札の下から、純白の『ポケット』が現れた。
天狗達はその光景に、度肝を抜かれた。
「ば、馬鹿な! 化け猫ふぜいが、鞍馬様の封印を解くなんて!?」
ううん、とうめいて、青の両目が開いていく。
そしてその体がむくりと起き上がった。
「いかん! 奴を止めろ!」
取り乱した三つの天狗が、同時にスペルカードを発動する。
ルール無用の密集した弾幕が、三方向から二人を襲った。
橙は青をかばおうと、その前に立とうとした。
しかし、立ち上がった青は、さらにその前に移動した。
「青、危ない!」
橙が悲鳴をあげる前で、青はしっかりと立ったままだった。
ポケットに手を突っ込み、取り出したのは赤い布だった。
頼りなげに揺れるその布を、青は両手で強く振る。
その目には、もう怯えの影はない。
「防符『ひらりマント』ぉ!」」
視界を埋め尽くしていたはずの弾幕が、青がはらったマントで……あっさりと周囲に散らされてしまった。
後ろにいる橙の体には、傷一つつかなかった。
誰しも、橙も天狗も呆然としていた。
何が起こったのか、よくわからなかったのだ。
絶対にかわせないタイミングで放たれた、複数の天狗による強力な攻撃が、いとも簡単に防がれてしまった。
青が封印されていたポケットから取り出した、不思議なマントによって。
「…………うそ」
橙は目の前で、自分を守った式を見つめた。
寸詰まりの体も、短い足も、橙の知る青と変わらない。
しかしその後ろ姿のなんと力強いことか。
橙は知る由もなかったが、それは幾多の命がけの冒険を乗り越えた背中だった。
何度となく、主の窮地を救い、仲間を守ってきた背中だった。
その背は今、橙を守ろうとしている。
青はもう一度、その赤いマントを振って、
「橙をいじめるやつは、ぼくが許さない!」
それはまさに、橙が手に入れた、最強の式であった。
対する天狗達は完全に浮き足立っていた。
「どうしますか! 鞍馬様に報告を!?」
「う、うろたえるな! 多少傷つけてもかまわん! 弾幕が効かんなら、武器で動けなくしろ!」
すぐに反応した白狼天狗が、棍棒を構えた。
だが、青はそれよりも速く準備していた。
次にポケットから取り出したのは、薄緑色をした細長い筒だった。
「小符『スモールライト』!」
筒からでた光が、天狗達に浴びせ掛けられる。
天狗達はわめきながら見る間に小さくなっていき、ついには羽虫ほどの大きさになってしまった。
三つの小さな天狗は、聞き取れないくらい甲高い声で飛び回る。
しかし、やがて冬の風に吹き散らされて消えてしまった。
「…………す」
すごい。
残された橙は、青の実力に驚愕していた。
信じられないほどすごい妖術だ。天狗達を抵抗もさせずに、あんなに小さくしてしまうなんて。
これが青の本当の力……。
「青……」
橙は不安に揺れる声で、その名を呼んだ。
大天狗が言っていた、青が強力な妖怪だということは、正しかった。
あとはもう一つ。青が凶悪な妖怪であるか、ということであったが……
青は道具を片手に持って、橙に背を向けたまま、立ち尽くしている。
「青、全部思い出したの?」
「…………うん」
青はうなずいた。
橙はそれ以上、怖くて聞けなかった。
次の瞬間、青が凶暴な顔をして、橙に妖術をかけてしまうのでは、と思って。
だけど、青は道具をしまった。そして、ちゃんと言ってくれた。
振り向いて、橙のよく知る笑顔で、
「橙、行こう」
「行こうって……?」
「チルノちゃん達を助けなきゃ。みんなの危険が危ない!」
「…………青!」
橙の鼻声に、青は大きくうなずいた。
「みんなはボクを助けてくれた。今度はボクが助ける番だ!」
「うん! そうだね!」
橙は涙をぬぐった。
杞憂だったのだ。やっぱり、青は凶悪でもなんでもない。記憶が戻っても、青は優しい青で、橙達の仲間だった。
そう橙の不安が消えたとたんに、猛然とやる気がわいてきた。
「よし急ぐよ青! 早く戻らないと、みんなが心配だから。……あ、」
そこで橙は、青が飛べないことを思い出した。
橙の体ではまだ式が発動していたが、青を背負って飛んでいくとなると、
「どれくらいかかるかな……」
「ふふふ」
もどかしく考える橙を見て、青はふくみ笑いをした。
「青、何か考えがあるの?」
「おまかせください」
青はそういって、また両手をポケットに入れて……。
次に起こったことで、橙はまた、腰を抜かすほど驚いた。そして、理解した。
青は間違いなく、大妖怪で。
それもなんと、主の主と同じ、『スキマ妖怪』だったのだ!
○○○
天狗達は、坂に消えた橙と青を、仲間が連れて帰るのを待っていた。
「遅いですな……」
鞍馬の側近である鼻高天狗は苛立っていた。
大天狗の鞍馬は無言。腕を組んで、式と機械人形が消えた坂をじっと見ている。
すぐに部下が捕らえて戻ってくるかと思ったが、意外なほど時間がかかっている。
何か問題が起こったと考えるのが普通だった。
「……………………」
「あいつら、もしやまた遊んでいるのか。どうも若い連中は、戦闘と私刑を勘違いしているようで」
「……………………」
と、鞍馬は組んだ腕を解き、顎を撫でた。
鼻高天狗はそれに気がついて、
「鞍馬様?」
「……きやつにかけていた封印が解けた」
「なっ、封印が!? まさか、有り得ません」
「間違いない。解いたのは……あの猫又か。式の式とはいえ、八雲は八雲ということだな」
鞍馬は野太い笑みを浮かべた。
側近は青ざめて、
「いかがなされますか」
「放っておけ。どの道、奴らの目的はここにある。さらに、おまけも三ついる」
そういって、鞍馬は親指で後ろを指した。
その奥にはチルノ、ルーミア、リグル。縄で縛られた三人組がいた。
「あーもう腹立つやつらね本当に!」
「橙と青は大丈夫かなー」
「ぐすっ、二人とも……ぐすっ、無事でいて」
そして、それを見張るもう一人。
「えーと、みんな。縄は痛くない? きついようなら、少しゆるめてあげるから」
「何よ、うらぎりものー!」
「そうだー、裏切りものー」
「くすん、ひどいよ……。橙も青も悪くないのに。裏切り者~」
「ちょ、ちょっと、裏切り者って。人聞きの悪いことを言うんじゃない」
「いい河童だと思ったのに!」
「思ったのにー」
「くすん……橙の友達だったんじゃないんですか?」
「これはだから、しょうがなかったんだって」
氷精が怒鳴り、宵闇が不満そうな顔で、蟲の妖怪はメソメソと泣きながら、それぞれ不満をぶちまけていた。
それをなだめているのは、河童のにとりである。
彼女は三人から攻撃、というか『口撃』を受けていた。
弁解するも、子供たち三人の恨めしげな目つきは変わらない。
にとりは仕方なく、上司に聞かれないように声をひそめて、
「……いいかい。私だって最初は助けようとしたんだよ、できなかっただけで。私にとっても、橙は盟友だ。この山では天狗様に逆らったら生きていけないのに、命がけであの二人救おうとしたんだ。本当だってば」
「そうですか……にとりさんも辛いんですね」
「うんうん私も辛いんだよ。さっきまでは、通りすがりの正義の味方だったはずなのに。いまじゃすっかり悪役だよ、とほほ」
「まあ……そういうことなら、とりあえず許してやるわ」
「うっう、ありがとう妖精よ。今日からお前も盟友、いや心の友だ」
リグルとチルノの優しさに、にとりは目をこすりながら感謝する。
「あれー。本当は後で橙に頼んで、青を調べるのを独り占めしようとしてたんじゃないのー?」
ぎくり。
ルーミアの指摘に、にとりは露骨に反応した。
リグルとチルノの顔色が変わった。
「そうなんですか、にとりさん!?」
「何よ! やっぱり河童は河童ね! 天狗とおんなじ!」
「ご、誤解だって! 私はあの青を、分解しようとまでは考えてなかったし! ……ただ、ちょーっと調べさせてもらってもいいかなー、なんて」
「やっぱり抜け駆けしようとしてたんじゃないですか!」
「どこが心の友なのよ! あとで橙に言いつけてやる!」
「ああああ、それは勘弁して!」
「わはー」
その騒ぎを遠くに聞いていた鼻高天狗は、苦い顔をして、
「騒がしいですな。黙らせましょうか」
「必要ない。来るぞ」
「え?」
突然だった。
坂の近くの何もない空間に、薄桃色をした『ドア』が現れた。
「な、なんだこれは!」
近くにいた鴉天狗の一人がうろたえるなか、ドアはゆっくりと開いていく。
その向こうから、ここからかなりの距離にいたはずの、橙と青が現れた。
「みんなー! 無事ー!?」
「橙ー!!」
ちゃっかりにとりも含めた、四人の驚きと喜びの混じった歓声が起こった。
「い、今、どうやって現れたの二人とも!?」
「『どこでもドア』です」
リグルに向かって、青が得意満面で説明する。
鞍馬は冷静に、その青のお腹の御札が、はがされていることを確認した。
あのドア……スキマで空間を移動して、ここまでやってきたらしい。
ますます興味深い能力だった。
「大天狗鞍馬! みんなを解放して、青を元の世界に帰させてもらうよ!」
「ほう……」
小生意気にも、式の式は自信満々で、大天狗を指差してくる。隣に立つ、機械人形の青も同様の顔つきである。
二人とも、坂から落ちた時とは、別人のようだった。
怯えも無力感もない。宿敵を見る目、相手が大天狗であろうと引かぬ目をしている。
そうした目こそ、鞍馬が求めていたものであった。後は実力が、それにともなうか、だ。
「八雲の式の式、それに機械人形の青」
「ぼくは二十二世紀の猫……じゃなかった。今は橙の式、青だ!」
「……式の式の式の青か」
天狗は片頬をゆがめた。
「ならば力で従わせてみせろ。それが妖怪の古くからの慣わしだ」
大天狗は片手を上げて、合図した。
すぐに配下の天狗達が戦闘態勢をとる。
白狼天狗が四人、鴉天狗が二人、鼻高天狗も一人。
奥のにとり以外の河童も二人、光学迷彩で姿を消した。
だが、橙と青も、すでに準備はしていた。
「青、行くよ! 作戦通りにね!」
「うん! 橙も気をつけろ!」
これまでにない式の頼もしさに、橙の元気がみなぎってきた。
すぐにスペルカードを発動させる。
「童符『護法天童乱舞』!」
発動と同時に、橙はスタートした。
弾幕をばらまきながら、地上と空中を高速で移動する。
その激しさたるや尋常ではない。『式』の力が働いているために、速さと威力がはるかに増している。
さらに、空間をいっぱいに使って、全ての天狗を標的にしているため、鞍馬の配下の天狗達も、一時は回避に徹するしかなかった。
「ぐはっ!」
とそこで、天狗の一人が、何かにぶつかったかのように倒れた。
「な、どうしぶはっ!」
また一人、また一人と、橙の弾幕はかわしているはずなのに、次々と天狗が倒れていく。
「どっかーん!」
その正体は青にあった。
青は右手に灰色の筒のようなものを装着していた。
空気砲。
そこから放たれる透明の弾が、天狗を次々と打ち負かしているのだ。
見えない空気の弾を。
「そ、そんな。見えない弾なんて、反則だろう! ……おぶふっ!」
橙の見える攻撃をかわした隙に、青の見えない射撃が飛んでくる。
戦闘に長けた天狗達も経験したことの無い、恐るべき戦術パターンであった。
「あいつだ! あいつをまず押さえろ!」
鼻高天狗の命令に、二名の白狼天狗が、青へと向かった。
その機械人形が飛べず、動きが鈍いことはわかっている。
空中から挟み撃ちにかかるが、青は両手をポケットに突っ込んで、小さな竹とんぼを取り出した。
「翔符『タケコプター!』」
青の体が浮き上がった。
そのまま唖然とする天狗から距離を置いて、空を舞う。
「あ、青が飛んでるー!!?」
ありえない光景に、縛られた子供妖怪達が叫んだ。
そしてそれは、てっきり青が固定砲台だと思っていた天狗達も同じ心境であった。
唖然として見上げるその隙に、橙が疾風のごとく突っ込んでくる。
「てやああああ!」
「ぐえ!」
「がはっ!」
妖力の乗った爪の一撃は、二人の天狗の意識を鮮やかに刈り取った。
天狗達の隊列は乱されるばかりだった。
「すごい! やっちゃえ橙ー! ミスチーの敵討ちだー!」
「橙がんばれー! 青もがんばれー!」
「あ、そこ危ない! 二人とも気をつけてー!」
「河童は攻撃するなー、あとが恐いからー」
「何勝手なこといってんのよ、あんた!」
縛られている三人組+1は、ノリノリで応援する。
それを受けて、橙と青は士気を上げながら、天狗を上回る連携で圧倒していく。
「そおれそれそれー!!」
「ぐはぁ!」
「ごふぅ!」
高速で移動する橙の弾幕で、白狼天狗が次々と倒されたり、
「『桃太郎印のきびだんご』~!」
「あ、青さん。僕とお友達になってください!」
「な、何をしている貴様!」
青の投げた団子を口にした鴉天狗が、青に懐いたりして。
あっという間に、天狗達は全員地面に這いつくばっていた。
総大将の大天狗一人を除いて。
橙はその鞍馬に向かって、腕を組んで仁王立ちした。
「どうだ、大天狗鞍馬!」
鞍馬はその橙と同じ姿勢で立っていた。
「……お前達が主と式であることは間違いないようだ」
「もちろん!」
「いいぞー橙! いいぞー青ー!」
「えへへ」
「いやあ、それほどでも」
仲間の応援に、主と式は、二人そろって同じポーズで照れた。
「さあ、もう貴方一人だよ。降参しないの?」
「言うまでも無い」
「そっちの仲間はみんなやられちゃってるのに?」
「お前達の力が、あの未熟者どもを上回った。それだけのことだ。だが我は違う」
大天狗は、橙の動きと青の妖術の凄さを目にしても、あくまで落ち着き払っていた。
仲間の天狗が戦っている間も、橙と青の戦いを値踏みするように見ていただけだった。
「いくら主の力を借りようと、面妖な術を使おうと、しょせんは小妖怪。我に膝をつかせるどころか、傷一つつけることもかなわぬわ」
「うわぁ……すごい自信」
「本当だね……」
驚く青に、橙も多少気後れした声で、同意した。
これほど余裕ぶった態度は、なかなか見たことがなかった。
傲岸不遜というしかない。まさに天狗である。
「我は子供に使う拳を持たぬ。今その青を引き渡すのなら、お前の友人達ともども見逃してやる。どうだ」
「なっ! 今さらそんな条件飲むわけないでしょ! 私達はみんな、青を元の世界に送り届けるために、この山を登ってきたんだよ!」
「やはりか。ならば気の済むまでやるがいい。我を倒さなければ、そいつは元の世界に帰せんぞ」
「なら、倒すまで!」
闘いの基本は、先手必勝。
橙は自慢のスペルカードを発動させた。
「鬼神『飛翔毘沙門天』!」
橙は高速で回転をはじめる。
十分にエネルギーが充填された後、鞍馬の周囲を残像つきで跳ねまわった。
狙いは全方位からの爪撃。しかも回転することによって、威力は上がっている。
だが、
「これが毘沙門だと!? ぬるいわ!」
鞍馬は急所狙いの一撃を、右腕で難なく受け止めた。
鋼鉄を打ったような感触に、橙は驚く。
それは、その光景を見ているもの達も同じであった。
「うそっ、橙の爪が……!」
「受け止められた!?」
次に鞍馬は、おもむろにひょいっと、橙の二つの尻尾をつまんで、ゴミでも放るかのように投げた。
「うにゃあああああ!?」
恐るべき馬鹿力に、成す術もなく横一直線に飛んでいく。そして、途中からごろごろと転がって、青の側に鎮座していた大岩に叩きつけられて止まった。
「ああああでで……」
「ちぇ、橙! しっかり!」
「……だ、大丈夫だよ、青」
と言いつつも、橙の瞳の中で、青の姿はぐるぐると回っていた。
「よくも橙をやったなー! 『空気砲』~!」
青が鞍馬に向かって、腕につけた短い大砲を撃った。
それは狙いたがわず顔面に命中したが、鞍馬は少し頭を振っただけで、やはりまるでこたえた様子がなかった。
「あらら……」
「風の砲弾ということか。ならばこれはどうだ!」
大天狗は、両手で印を結び、真言を唱える。
「オン ベイシラマンダヤ ソワカ!」
思わず二人は目をつぶった。
刹那、左横を猛烈な突風が過ぎ去っていくのが分かった。
やがて静かになり、おそるおそる目を開けると、
「……え、ええええ!?」
岩が無い。
先ほど橙を受け止めたばかりの大岩が、土に跡を残して消えてしまっていたのだ。
体重のある青三つ分くらいはありそうだったのに。
さすがにこの妖力には、二人とも愕然としてしまう。
「……この程度で驚くか? だが、我ほど強い妖怪など、この幻想郷には数多くいる。無論、天狗の中にも多くな」
ひゅるるるるる……
と、飛ばした大岩が落ちてくる。
鞍馬はそれを目視もせずに、ぴたっと片手で受け止めた。
呆れかえっていた橙と青を、小馬鹿にした目で見ながら、大天狗はその岩を無造作に放り捨てた。
ずん。と、震動が足に来て、橙と青はよろめいた。
「それが不当にも闘いの場を奪われ、このような狭い山に閉じ込められている。おかしいと思わないか」
「この山が……狭い?」
意外だったので、橙は聞き返した。
「そうだ。かつての我々の住処は、この山どころではない。もっと大きく、豊かな場所だった。そこでは力こそがルールであり、酒を片手に喧嘩三昧。妖怪達は毎晩のように力を振るい、互いに競い合った……」
おそらく、橙が生まれるよりもずっと前の話なのだろう。
大天狗はそれを思い出すように、遠くを見ていた。
「だが……それが今となっては、鬼は消え、天狗は本来の力を見失い、河童の科学技術をあてにして、矮小な誇りを満たすばかり。さらには、お遊びによってしか決着をつけることができない、ぬるいルールまでできてしまった」
言いながら、鞍馬が懐から取り出したのは、スペルカードだった。
武骨な手の中で、そのカードはめらめらと燃え崩れ、灰になって落ちた。
「しかし、我は認めん。純粋な力で奪う、あるいは奪われる。そうでなくては納得ができない。力こそが我々にとって絶対であり、戦闘こそが妖怪の本質だ」
落ちた灰を踏みにじり、鞍馬は橙に視線を移した。
「だから我は力で主張する。お前の主にもな」
「藍様を知ってるの?」
「知っているとも。誇り高き、想像を絶する妖力を持つ、九尾の一族。我々天狗ですら敬うべき、鬼にも引けをとらぬ、『暴力』の芸術家だ。それが今となってはただの飼い犬。軟弱なルールをかたくなに守る、愚かな存在に成り下がってしまった」
ぱきき、と握られた大きな拳が鳴った。
大天狗はわずかに犬歯を見せながら、
「我慢ならん。だからこそ、この冬に異変を起こし、奴と決着をつけ、鬼を呼び戻し、再び力の時代を到来させるのが我の目的だ。我はきっとお前の主を倒し、その機械人形の力によって更なる高みへと進み、幻想郷は真の妖怪の楽園となるであろう」
「訂正する。貴方は、藍様を知らない」
「なに?」
橙は鞍馬の目的を、ふんと鼻で笑った。
「私の知っている藍様は、本気で暴力なんてふるわないよ。平和が大好きで、とっても優しい藍様だもの。だからきっと人違いね」
「お前は知らぬのだ。純粋な力と技で練られた、強さの美しさを」
「藍様は美人だし、弾幕も綺麗だけど、やっぱり知らないのは鞍馬さんだと思う。藍様の強さはそんなんじゃないって、私知ってるから」
橙は真っ直ぐに視線をぶつけた。
大天狗はそれを受けて、意外そうに片眉をあげた。
「まだやる気か」
「もちろん。幻想郷の平和を乱すものを倒す、それが八雲一家の仕事だもの」
主に誇れるように、隣に立つ式の手を、青の柔らかい手を握りながら、
「藍様の強さは、主、式、友達、みんなとの絆の強さ。私はそれを教わった。だから、貴方にも教えてあげる」
その時だった。
大天狗の表情が、はっきり怒りへと変わった。
誇り高い天狗にとって、技や真理を誰かに教わるというのは、もっとも屈辱的な行為であるのだ。
ましてや相手は、鞍馬から見ればはるかに幼き化け猫と、強力な道具を使うとはいえ鈍重な人形である。
膨れ上がる大妖怪の怒気に、周囲の天狗達は残らず震え上がった。
「よかろう八雲の式ども……せいぜいあがくがいい!」
橙の肌がピリピリとしびれる。
それは、今まで生きていて、はじめての緊張感だった。自分と式の命を、同時にあずかる覚悟。
しかし、互いを守ろうとする意志は変わらない。
それが主から受け継いだ力であり、誇りだった。
「青! 私は貴方を守る! だから、貴方も力を貸して!」
「うん、まかせろ橙!」
橙と青の、真の闘いが始まった。
○○○
「『飛翔毘沙門天』!」
橙は再び、鞍馬に向かっていった。
「効かぬといったはずだ!」
鞍馬はやはり、回転する橙のその一撃を受け止めて、
「……むうっ!?」
その予想外の重さに、わずかに体勢を崩した。
橙は両手に、先ほどははいてなかった『手袋』をしていた。
「青の貸してくれた『スーパー手袋』だ!」
「それも異世界の妖術か! 面白い!」
鞍馬はその細腕に手をやり、関節を支点にひねりあげた。
橙は甲高い声をあげた。
「だが戦闘の素人には変わらん!」
そのまま飛んできた方向に投げつける。
そこでは、青がこちらに向かって、緑色の筒を構えていた。
「スモールライ……」
「させるか!」
鞍馬の起こした風によって、青の手からそれは撥ね退けられてしまった。
さらにそれは岩に当たって砕け散る。
「しまった! スモールライトが~!」
「ふん! 道具に頼るだけが妖術ではないわ!」
鞍馬が言いながら、印を結ぶ。
轟音とともに、地面の大雪がいっせいに吹き上がった。
大地がぐにゃぐにゃと隆起していき、巨大な土の手が形作られる。
それは橙と青を逃げる間もなく捕らえ、あっさり握りつぶした。
見守る子供妖怪達は息を呑んだ。
「どうだ!」
しかし、突然その手の横に、丸い輪っかと大穴が開いた。
そこから橙と青が飛び出してくる。
「び、びっくりした~」
「『通り抜けフープ』~!」
「やるな!」
大天狗は滅多に無い妖術合戦に、楽しそうに笑った。
飛び降りた橙は、前にダッシュした。
さらに、地面をでたらめに蹴って、複雑に方向転換しながら、間合いを詰める。
視力に優れた天狗達の目にも、橙の姿は分身しているかのように映った。
橙は低く飛び込み、無防備だった鞍馬のスネを、両足で思いっきり蹴った。
だが、鞍馬は痛がる様子を見せずに、それを蹴り上げる。
ボールのようにはね上がった橙は、方向転換して、大天狗の大きな背中に飛び乗った。
そして、首筋に思いっきり爪を立てる。
「どうだあああ!!」
「……ふん、その程度か。痒いものよ」
「……………………」
「どうした?」
「…………こちょこちょ」
「ぐはははははははは!!」
それまで無愛想だった大天狗は、目をひんむいて大笑いしだした。
橙が脇腹をくすぐっているのだ。
「どう、降参する!? 」
「ぐはははははふざけるな!!」
鞍馬は背中の橙を器用につまんでぶん投げた。
そこで青が、大天狗に向かって、
「大天狗、これでもくらえー!」
青が放り投げたものを、鞍馬は片手で受け止めた。
「ふん、これがなんだというのだ」
どかん
「ホンワカパッパー、ホンワカパッパー!!」
突如、鞍馬はわけのわからないことを言って踊りだした。
身の丈、九尺を超えるいかつい大天狗が、ひょっとこ顔で踊り狂う姿は、奇怪極まりない舞踊だった。
「えーと、馬鹿『時限バカ弾!』」
「あはははは! 青、最高だよ!」
橙はお腹を押さえて笑った。
危険な戦いが青の妖術で、楽しい遊びに変わってしまった。大天狗と遊べる日が来るなんて、誰が想像しただろうか。
子供妖怪達も、命知らずのにとりも、大天狗の踊りに地面をのた打ち回って爆笑している。
倒れていた天狗達も、普段は有り得ぬ鞍馬の姿に、呆気に取られていた。
「おちょっくてるのか、きさまらぁああああ!!」
強靭な精神力で正気に戻った大天狗は、怒髪が天をついていた。
血走った眼は、思わず身を引いてしまうほど怖い。
「大変! 怒らせちゃった! まずいかも!」
「えーと、怒ったのをなだめる道具は……!」
「覚悟しろ餓鬼ども!」
大天狗は大きく息を吸い込んだ。
その口から出たのは風ではなく、灼熱の炎だった。
「わあ!」
橙は慌てて青の手を掴み、後退する。
鞍馬の出した炎は、橙達を焼き尽くそうと追ってきたが、途中で引き返した。どうやら射程は一定距離のようである。
だが、炎が壁となっているために、橙も向こうにいる鞍馬に飛び込んでいくことはできなかった。
そして何より問題なのは、
「攻撃が効かないよ! 私の爪も弾幕も!」
「『スーパー手袋』でも!?」
「うん……悔しいけど!」
例え威力は上がっても、橙自身の技術がついていかない。
手加減してくれる主の組み手とは訳が違う。
秘策のくすぐりも、わずかな効果しかなかった。
「だから、もっと強い攻撃じゃないと!」
「…………強い攻撃」
「うん! もっと強い爪とか、大きい弾幕とか」
「それならいい考えがある! でも当たるかどうかは……」
その時だった。炎が二つに割れた。
矢のような勢いで、何かが飛んでくる。
『御札』だ。
「あれは……」
「危ない、青!」
橙は青に体当たりして、再びポケットが封印されるのを守った。
しかし橙はそれをかわすことができなかった。
御札が足に張り付くと同時に、あの呪文が聞こえてくる。
「オン キリキリ キャクウン」
「痛っ!」
足に強烈な痺れが走って、橙は一度跳ねてから転倒した。
「橙!」
「だ、大丈夫! 今外すから!」
すかさず橙は、その術式の演算にかかる。
そこで炎が、周囲の雪を融かしつくしてからおさまった。
向こう側で、大天狗鞍馬が仁王立ちしてこちらを見ていた。
「調子に乗るなよ八雲の式ども! この我が、式の弱点を知らぬと思うてか!」
大天狗の瞳が光った。
先ほどの炎で融けた雪が、ごぽごぽと波打つ。それは突如、空中を走る水流となって、橙と青の周囲をまわりだした。
水しぶきが顔に飛んできて、橙は縮み上がった。
「あ、青! 大変!」
「どうしたの橙!?」
「私、水が弱点なの!」
「えーっ!?」
いくら橙が強くなろうとも、それはあくまで『式』から生み出される妖力が源である。
もし水を浴びてしまえば『式』が外れ、通常よりもずっと力が落ちる。勝ち目は完全に消えてしまうだろう。
大天狗が印を結び、呪文を唱えた。
「オンアビラウンケンソワカ!」
水流の勢いが増した。橙と青を取り囲み、水柱となって、どんどん高くなっていく。
これで、逃げ場所がすべてふさがれてしまった。
橙は横にいる青に助けを求めた。
「あ、青! 何とかできないこれ!?」
「えーと、あれでもないこれでもない!」
青はポケットから次から次へと道具を取り出し、放り出す。
「えーと、えーと」
「あ、青! 落ち着いてってば!」
だけど青は見ていてじれったくなるほど、慌てている。
いったいどこにそんなに入るのか、無限に出てくるような不思議なポケットで……。
「……そうだ!」
橙は一か八かの作戦を思いついた。
うまくいくかどうかは分からないが、迷っている暇はない。
そこでついに、水の大蛇が鎌首をもたげ、橙達の空間に突っ込んできた。
「橙―――ん!!」
子供妖怪達が叫ぶも、青と橙は水に飲み込まれてしまった。
高速で回る水流によって、水の竜巻ができあがり、やがてそれは崩れて、坂へと流れていった。
あとには、溶かされた雪にまみれて、青だけが残っていた。
鞍馬はそれを見下ろして、
「…………ふん。体の重さで助かったか。だが、お前の主は流されてしまったようだな」
橙の気配は消えていた。
鞍馬は勝利を確信して、残った式に近づいていく。
青はうずくまって、猫のように唸っていた。
「お前一人ならどうとでも料理できる。これで勝負あったな」
「…………」
「どうした?」
「…………」
「何を言っている」
「…………よくも橙をぉ!」
青はがむしゃらに、天狗に向かって突っ込んできた。
「愚かな!」
大天狗は青の頭突きを、たやすく受け止めた。
「妖術を使わんお前の動きなど、止まって見える」
「ニャー!」
「やかましいぞ! 負けを認めろ!」
大天狗は封印術を施すため、青のポケットに手をかざした。
しかし、青の猫声は、ただ自暴自棄になったわけではない。
それは作戦を練った上での、攻撃の『合図』だ。
青のポケットがふくらむのを見て、大天狗の手が止まった。
「な、なんだと!?」
そこから道具ではなく、『橙の顔』が現れた。
水流を避けて、青のポケットの中に隠れていたのである。
つまり、橙は水に浸かっておらず、『式』は外れていない。橙はまだ強さを失っていない。
「食らえ大天狗ー!!」
驚愕する鞍馬に向かって、橙は飛びこんでいく。
そして、スペルカードを発動した。
「鬼神『鳴動持国天』!」
至近距離での集中的な弾幕。
だがそれだけでは、鞍馬を倒すには足りない。
間髪いれず、それに向けて、青が二の矢を放った。
ポケットからオレンジ色の筒を取り出す。
「『ビッグライト』!」
スペルカードから生まれる弾幕に向けて、光が当てられる。
橙の生み出した弾幕が、みるみる大きくなっていく。
それは二人だけで通じる猫語があってこその、二重の策だった。
巨大化した弾幕が、鞍馬の体を直撃した。
「ぐ……おおおおおお!!」
大天狗はその弾幕を、力づくで押さえつけようとしたが、
「があああああああ!!」
ついに耐え切れずに、後ろに吹き飛んだ。
○○○
閃光が止んだ時には、すでに勝負はついていた。
大天狗鞍馬は、雪の上に大の字になって倒れていた。
そして、橙と青は互いに肩を貸しながらも立っていた。
「やったぁ! 橙と青が勝った!」
「まさか、鞍馬様が!?」
「信じられない……」
地面で動けない鞍馬の配下達が、さらに士気を落としていく。
橙と青も、勝利の笑みを浮かべた。
だが鞍馬は目を開けた。
口から細い血の糸を垂らしつつも、頭を振って立ち上がる。
「…………むぅ」
おおおおおという天狗の喚声と、チルノ達のため息が広がった。
「あくまで互いを守り、力を合わせて戦うか……」
だが、鞍馬の姿は、満身創痍というにふさわしかった。わずかに体をふらつかせており、表情にも憔悴の色が見える。
橙と青の最後の攻撃は、確実に大きなダメージを与えていた。
「……見事だ。八雲の式達よ。この我が倒れるとは、果たしていつの日以来か」
ざらざらした声で言いながら、大天狗は背中の剣を抜いていく。
不思議な光沢のあるその剣を見て、橙は金縛りにあった。
冷気が背中を通り抜けていく。
「そして謝らなくてはならぬ。汝らを見くびっていたことを。あらためて、汝らを強敵と認め、そのつもりで戦う」
手負いの大天狗の目が、鷹のように鋭く絞られた。
誰もが、その殺気に震え上がる。橙と青も同様である。
大天狗の顔には、すでに慢心のかけらもない。本気で橙達を切り刻むつもりだ。
そして、橙と青はすでにもう体力が残っていなかった。
鞍馬はそれに、傷と恥をこらえるような苦い顔つきで、
「…………すまぬ。お前達を巻き込んでしまったのは我の野望のため。だが、振られてしまった賽は元に戻すことはできん。謀反を起こした以上、我々にはもう進む道しか残されておらんのだ」
「はたしてどうかな?」
その声に、大天狗の動きが止まった。
橙の金縛りは解け、振り向いた。
泰然自若、それでいて涼風のように透き通った声音。
強さと優しさを内に秘めた、橙をもっとも安心させてくれる声、そして誰よりも待ち望んだ声だった。
その声の持ち主が、堂々と立っている。
橙は声を弾ませて、その名を呼んだ。
「藍様!」
「えっ、あの人が?」
「うん! 私達の主だよ!」
それは九尾の式、八雲藍だった。
背丈は普通の天狗と変わらなかったが、その身にまとう気配は、手負いの大天狗を凌いでいる。
「私の式が……いや、式達がお世話になったようで」
藍は縛られたチルノ達に目を配り、傷ついた天狗達を確認し、そして最後に、橙と青に目を向けた。
「橙、そして青」
「えっ!」
「『二人』とも、遅くなって悪かった。よく頑張ったね。もう安心だよ」
「ら、藍様! それって……!?」
「うん」
藍は微笑してうなずいた。
それだけで、橙の胸がいっぱいになった。
主は自分達を助けにきてくれただけじゃない。橙だけじゃなく、青も『式』として認めてくれているのだ。
橙は嬉しさと安堵で、思わず足から力が抜けそうになったが、しっかりと立った。
それにもう一度、藍は柔らかく微笑んでから、神刀を抜いたままの大天狗に顔を向けた。
「……久しいな護法魔王尊」
「九尾……ついに姿を見せたか」
配下と違い、大天狗は苦しげな顔をしていても、藍を恐れてはいなかった。
「貴様が現れたということは、いよいよ我らにとっては、生きるか死ぬか、か」
「……………………」
「だがそれもまた覚悟の上! さあ、剣を取れ!」
鞍馬と藍の間の空間が歪み、暴風が唸り声をあげる。
辺りに充満した妖気が一斉に帯電し、余波に巻き込まれた天狗が一人、打たれたように昏倒した。
見ている橙達は、風圧に吹き飛ばされないようにと必死で大地にしがみついた。
「橙! その子を連れて、穴へと走るんだ!」
「は、はい藍様! わかりました!」
橙の身に、再び『式』が発動した。
倒れていた青を引っ張り起こし、洞穴へと走る。
鞍馬はその気配を放置した。あくまで、袖を前で揃えて立ったままの藍を睨んでいた。
「なぜ剣を抜かぬ……九尾!」
大天狗鞍馬の瞳は、怒りに燃えていた。
対する藍の顔は涼しげなままだ。
「剣無しで手負いの我を倒せるという慢心か!」
「……………………」
「それとも平和ゆえの甘さか!? 反吐がでるわ!」
鞍馬が大音声を放った。
と同時に、その全身から妖力が爆発する。
無造作に鞍馬が振り下ろした神刀に向かって、藍は右手を突き出した。
結界が発動し、それを受け止める。
閃光。
周囲一帯の雪が巻き上げられ、岩が鳴動した。
寝ていた天狗達はその余波に吹き飛ばされた。
遠く離れていた子供妖怪達は、にとりの必死の防御が間に合ったこともあり、何とか耐えられた。
そして、洞窟へと走った橙と青は、
「えっ?」
洞窟に入った橙と青は、入り口の方から巨大な妖力が迫ってくるのを見た。
「大変! 青、伏せて!」
二人は急いで身を低くした。
すぐに、暴威が洞窟内を駆け巡る。静かだったはずの部屋に、台風が飛びこんだようであった。
大地も揺れるようで……いや、本当に揺れている。
そして天井も。
上から岩のかけらが、ぱらぱらと降ってくる。
「もしかして……!?」
「崩れる!?」
「わああああ!」
悲鳴をあげる二人の上に、土砂が降り注いだ。
鞍馬は洞窟が崩れた音を聞いた。
おそらく、橙と青は下敷きになっている。
目の前の藍としては、一刻も早く助けに行きたいところだろう。
しかし、藍が背中を見せれば、大天狗は迷わず斬るつもりであった。幸いにして、藍は隙を見せずに、目の前にいる大天狗の様子を窺っている。
「どうだ。これでもまだ剣を抜かぬか」
鞍馬は得物を藍に向けたまま、傷の痛みをこらえて、虚勢を張った。
「式を救いたくば、我と闘え! この地を守る妖怪なら、それがなすべきことであろう、九尾!」
「…………ふ」
藍はそこで、鞍馬ですらぞくりとするような、凄絶な笑みを浮かべた。
聞くものの不安をあおる、九尾の大妖怪の声で。
「大天狗鞍馬よ。私がなぜこの場に『遅参』したのか。その理由、まだ分からんのか?」
「む……?」
「最善の策を準備するのに、少々手間取ったのだ。ここに来る前に、もうすでに話はつけた」
鞍馬はハッとして、崩れた洞窟の方を見た。
「気がついたか。頼もしい『助っ人』のおかげで、私の式は助かる。そして、あの御方の力により、まもなく異界と通じる穴はふさがる」
藍がこれほど落ち着いている理由。彼女が話をつけた相手が一体誰なのか。
鞍馬はその正体に気がついていた。
彼女の最善の策とは、異界への穴を閉じ、青を送り返し、
「……我々を完全に葬るということか」
大天狗はそこで自らの、そして部下の命運が尽きたことを悟った。
だがそれも、闘いに生きたものの宿命でもある。
「悔いはない。むしろ感謝しよう。九尾と『鬼』を一度に相手にできるのなら、冥土の土産には十分すぎる」
決死の覚悟で、改めて鞍馬は剣を構えた。
それに藍は、肩をすくめただけだった。
「いや、私は式とその友人を連れて帰らせてもらうよ。これで目的はすんだわけだし」
「な、なんだと?」
鞍馬は困惑する。九尾の妖狐が、あっさり怒りの面を外し、世間話でもするかのような、気楽な笑みを浮かべていたのだ。
張り詰めていたはずの空気まで、いつの間にか消え失せている。
「勘違いなさるな、鞍馬殿。我々八雲は、貴方がたを葬ろうなどとは考えていない」
「…………?」
「私があの御方に頼んだのは、異界への道を閉じることだけ。そして、それは果たされ、貴殿らに利用されることなく来訪者は主の元に去る。冬に結界を預かる私としては、それでめでたしめでたし。切り札を失ってしまった天狗にとっても、これ以上無益に戦う理由はないはずだ。まあ、式をあずかる主としての私は、腹が立たないわけでもないが……」
そこで藍は、ちらりと、あたりの様子に目をやった。
橙と青との闘いで、そして大天狗の術の余波によって、天狗たちはいずれも無残な姿になっていた。
「まあ、それも、私の式達自身で、こてんぱんにしてしまったので、良しとしよう。大天狗の貴殿まで、自慢の鼻を折られてしまったようだし。ルールを破った者としては、相応のいい薬になったのではないか。あとは皆が納得してくれれば、万事解決というわけだ」
「なぜだ」
鞍馬の困惑はおさまっていない。
「なぜだ。なぜ、わざわざあの御方を呼んで穴を閉じようとせずに、我々を実力で消し去ろうとしなかったのだ。なぜ今この場で剣を振るわずに、説得などと回りくどいことをするのだ。九尾の持つ誇りなら、それが許せぬはずだ」
「決まっている。私の好きな『理想』、幻想郷のため」
その一言は、見事大天狗鞍馬を斬り伏せた。
「……正直、貴殿の気持ちもわからんでもない。力で主張が通る時代が去ってしまったこと。好きなように強さを振るうことができた毎日、我々はなんと自由だったことか。しかし、今の幻想郷はそれほど広くも、ましてや頑丈でもない。ゆえに、いたずらに戦闘を行われては困るし、天狗に強大な力をまかせることも許せん。だが……」
そこで藍は、にっこりと笑った。
「しかし、欠くことも許せない。貴方がた天狗も、この地のバランスを担う大切な存在であり、私にとって『守るべき存在』なのだから。ルールを無視した暴力を用い、私情で葬り去るなど、もっての他。ここは平和な幻想郷。誰一人死ぬことなく、争う理由も消え、闘いを止めさせることができれば、それすなわち最善の策。ご理解いただけたかな」
「……………………」
鞍馬は瞠目して聞いていた。
藍の説教は続く。
「まだ不満があれば、それも結構。体制に疑念を抱くのも結構。八雲紫が式、この八雲藍が、いつでも決闘にて、貴方がた天狗の悩みをお受けする。正直私も、日頃から鬱憤はたまっているのでね。ただし……」
九尾の式は胸元から、ひょい、と小さなカードを取り出した。
それは、必要以上に傷つけることなく、決着をつけることができるルール。
当代の天才巫女が考えた、動きと知恵と美しさを競う、お遊戯ともいえる決闘法、『弾幕ごっこ』用のスペルカードだった。
藍は片目をつぶりながら、
「その際も、『ここ』のルールでお願いできれば、とね」
大天狗はしばらく呆然としていた。
だがやがて、長いため息をついた。
「……聞かせろ。いつからこの段取りを用意していたのだ。もしや初めから」
「まさか。優秀な式が見事に暴いてくれなければ、私も騙されるところだった。正直計画を聞いて仰天したよ。私だけでは手に負えぬ事態だと思ったので、あの御方を探すのに幻想郷中を飛び回るはめになったんだ。苦労を察してくれ」
「あの御方も、同じお考えだったのか?」
「快く引き受けてくれた……と言いたいところだが、それからの説得にもかなり時間がかかった。やはり戦い好きの鬼だしね。そのせいで、目を離している隙に、式が危ういことになっていて肝を冷やしたが」
「つまりそれまでは、最初から」
「もちろん、ずっと見守っていた。私の式だからね」
「それが今のお前の生き方ということか」
「そういうこと」
藍は朗らかに笑った。
そこで鞍馬は、すでに自分の知っている、好戦的で誇り高き妖狐はもういないと悟った。
天狗としての誇りが、鞍馬の強さの源である。
そしてそれが、例えあの『九尾』が相手だとしても、決して負けはせぬという自信に繋がってもいた。
しかし、目の前にいる『八雲の式』は、すでに新たな時代に生きていた。彼女にとって何より大切な家族、それだけじゃなく、それ以上のものを守る者として、さらなる誇りと強さを手に入れていたのだ。
「……八雲藍殿」
式にはその自信を折られ、主には道理を説かれる。おまけに謀反を起こしながらも、天狗としての生活を約束された。
鞍馬の完全な敗北であった。
何百年ぶりかに、大天狗はその頭を軽く下げた。
「かたじけない。我も部下も頭が冷えたようだ。以後は山で大人しくするとしよう。願わくは、山と八雲の間、これからも変わらぬ付き合いを」
「こちらこそ。今後とも、幻想郷をよろしくお願いします。それと、山に暮らすうちの式もよろしく」
「承った。しっかりと面倒をみさせてもらう。」
鞍馬は苦笑した。
主にかわって調停する式、そして我が子をお願いする保護者に対して。
「……そうだ。それに加えて、式とその友人達にも、山で自由に遊ぶ権限を与えよう。せめてもの償いだ」
「ほほう。それは何よりのご褒美となるでしょうね」
「ふん。我々があの子らに、力で負けたということだ。ならば従うしかあるまい」
最後の鞍馬の台詞は、天狗の意地だった。
○○○
目を覚ますと、闇が広がっていた。
「ん……」
広がっている闇の正体は、石でできた天井だった。
背中の硬い感触は、ごつごつした石の床だった。
そこで橙は思い出した。
青と一緒に洞窟に入ろうとして、急に崩れてきて、
「私……生き埋めになって……」
しかし、橙の体には傷一つなかった。
何かに押さえつけられているわけでもない。
頭がはっきりしていくにつれて、そこが広い空間になっていることがわかる。
土砂崩れの後だというのに、空気も埃っぽくなくて、気温も暖かい。
そして、奥からほのかな光が差し込んでいるのに気がついた。
「ん、起きたかな」
唐突に声をかけられて、橙はそちらを向いた。
暗闇の中にぼんやりと影が見える。
よく見ると、瓢箪を片手に、岩に腰掛けている少女だった。
「面白かったわよ。お前の主の頼みを聞いた甲斐があった。天狗の頼みなら一発殴って忘れるつもりだったけど」
「誰?」
「やっぱり、わかんないか。山に住むとはいえ、まだ若いからねぇ」
外見は年下に見えるその妖怪に若いといわれて、橙は少し驚いた。
そこで橙はよく観察した。
冬だというのにかなりの薄着。身につけた鎖についている不思議な模型達。妙に酒臭い少女の、その頭に生えた二つの角は……
「鬼……」
「そう、鬼」
鬼。
その名を知らぬ子供はいない。
妖怪の山からはいなくなったはずの、天狗ですら頭が上がらないという妖怪の親玉だ。
しかし、底知れぬ気配はあっても、その鬼は大天狗と対峙したときのような恐さはなかった。
だから、橙は素直に聞いていた。
「貴方が助けてくれたんですか?」
「うん。いいものを見せてもらった礼だよ」
その鬼は、ふらふらと揺れる指で、天井を指差した。
「落ちてくる土砂の『密度』を変えたんだよ。もうちょっとで生き埋めだったけどね。ああ、酸素は十分に萃まっているから、しばらくは呼吸の心配もないわ」
「………………そうだ、青は!」
橙は、あの瞬間に自分が守ろうとし、自分を守ろうとしてくれた式を探した。
洞窟の奥に、ピンク色のもやもやした光が集まっているのがわかった。
そして、その前に一人で立っている者がいる。
橙が探していた存在だ。
「青……」
橙の式は、その明るい煙と、じっと向き合っていた。
何かを見ているようでもあり、何かを聞いているようでもあった。
「あの穴は、この幻想郷と別の世界との境目が、薄まったことで偶然開いた穴。それを濃くして塞ぐのが、お前さんの主の頼み。紫と違って力技だから面倒だけど、放っておいたら厄介だしね」
「………………」
「それじゃ、あとはごゆっくり」
そこで鬼の姿は、薄くなって消えた。
どうやら、二人っきりにしてくれたらしい。
橙は静かに、青の側に近づいていった。
「青、主さんの声が聞こえる?」
「……うん」
青はもやを見たまま、うなずいた。
「ぼくの主だけじゃない。ぼくの友達も、他にも色んな人達が、みんなぼくを呼んでいる」
「そっか。青は人気者なんだね」
「うん。橙とおんなじだよ」
「……私に似たってことかな」
そんなわけないのに、橙は言った。
でも青がやっぱりうなずいてくれたので、すごく嬉しくて、少し照れくさかった。
「私のこと、忘れちゃうのかな」
なんとなく、そんな気がしたから。
青がこちらを向いた。
「忘れないよ」
「本当に?」
「うん、本当だよ。橙のことも……チルノちゃんのことも、リグルのことも、ルーミアのことも、レティさんのことも。ちょっとしか会えなかったけど、藍様のことも」
やっぱり、青ののんびりしたしわがれ声で言われると、本当に思えてくるから不思議だった。
聞くものを安心させてくれる音色、自分は一生覚えていることだろう。
橙はスカートについたポケットから、あるものを取り出した。
「これ、渡そうと思ってたの」
取り出したのは、橙の宝物だった。
それは古びた、手の中におさまる、緑色がかった銀の鈴だった。
「昔、私がもらって、大事にしていたもの。私に初めて式ができたら、それをつけてあげようって大切にしていたの」
言いながら、橙はしゃがんで、青の首にある、赤い首輪にそれをつけた。
もともとそこには金ぴかの鈴がついていたために、これで鈴は二つになった。
「ちょっと、アンバランスかな」
「ううん、そんなことないよ」
青はそう言って、不思議なポケットから何か取り出した。
それは同じく金ぴかの鈴であった。
「橙。これをもらって」
「え? でも、いいの」
「うん。それも昔から僕が大切にしていて、ずっと持っていた鈴なんだ。今はもう少し壊れちゃってるけど」
「……ありがとう」
橙はそれをもらいうけた。
小さなその鈴を、大事に握り締める。
そこで耐え切れず、橙は青の胸に飛び込んだ。
青の前で張っていた虚勢もかなぐり捨てて、しがみついて泣いた。
橙の額も式の涙で濡れた。
青が機械人形なんて嘘だ。だって、こんなに涙が温かいのだから。
「青は……私の式でもあるんだからね……!」
「……うん!」
「友達でも……あるんだからね……!」
「……うん!」
「青が忘れちゃっても……私は覚えているからね……絶対にこの鈴を、無くさないからね!」
「……うん!」
「だから、青もその鈴を無くさないでね。私を忘れないように、大切にしてね!」
「……うん!」
さよならだけは、言わなかった。
いつかまた会える日がきっと来るのを信じて。
だけど、それだけじゃない。
離れていても、主と式は一緒なのだと、わかっていたから。
さよならは言う必要はないのだ。
さよならに、さよならだ。
そのかわり、もやに消えていく青の背中に向かって、橙は最後に、一番気になっていたことを聞いた。
青が寂しくならないように、思いっきり大きな声で、その背中を送り出してあげるのだ。
それが、主である自分の、最後の役目だ。
「青ー! あなた、本当はなんて名前なのー!?」
薄くなっていく青は、ゆっくりと振り向いた。
大きな笑顔で、お団子状の片手をあげる。
そして、橙の好きなあの声で、大きく返事した。
「ぼくドラえ……」
○○○
「……それで、青はいなくなっちゃいました」
八雲一家の屋敷の居間。時刻は昼になっている。
橙は主の主に、冬にあった出来事を、全て話し終えた。
八雲紫は、式の式の涙を、そっとぬぐってあげた。
「そう。橙は私が寝ている間、すごい冒険をしていたのね」
「はい」
目をしょぼしょぼとさせて、橙はうなずいた。
「青は……スキマで移動して、スキマから不思議な道具を出してました。とっても強くて優しかったです。……だから私、まるで紫様みたいだって思ったんです」
「ああ、そういうことだったの。ふふふ」
納得して、紫は微笑んだ。
「紫様……」
「ん?」
「私のやったことは、正しかったんでしょうか」
見上げてくる橙は、不安そうな顔をしていた。
「青はちゃんと、向こうで受け入れてもらえたでしょうか」
式の式は、心の底に残っていた懸念を、誰かに解きほぐしてもらいたがっている。
それに気づいた主の主は、首を振った。
「たとえどれほどの数の道筋を、先まで覗けたとしても、それはあくまで結果という可能性。そこに普遍の正しさを求めるなんて、私にもできやしない」
「……………………?」
「それを判断するのは、橙自身ということよ」
「……そうです、よね」
橙は気を取り直すように笑った。しかしどことなく残念な様子であった。
紫はそれに胸中で苦笑しながら、ぽつりと言った。
「でも橙。なんで貴方は、青を外に帰すことに成功したのかしらね」
「え?」
意外な顔で、橙は紫を見上げた。
「大天狗鞍馬が勝つ可能性があった。藍の助けが遅くなる可能性もあった。それこそ、青が途中で壊れてもおかしくなかった。そもそも青が貴方に出会わなければ、青は元の世界に帰れなかった。これが、どれほど凄い偶然か、考えてみたかしら? 少々出来すぎだと思うわ」
「じゃあ、どうして……」
紫はそこで、橙の瞳をのぞきこむ。
そして、種明かしをするかのように、
「こうは考えられないかしら、橙。青がまだ、幻想入りするべき存在じゃなかったとしたら?」
「えっ?」
「まだ忘れられていなくて、だから、元の世界に帰ることができたとしたら?」
その言葉の持つ意味を、橙は飲み込んでいく。
やがてそれが終わって、その顔に、ぱあっと日が差していった。
「紫様! きっと、青は向こうの世界でも幸せですよね!? 主と一緒に!」
橙はあらためて、紫の腰に抱きつきながら言った。
「あら、そう思うの?」
「きっとそうです! 私わかるんです! 離れていても、主と式はいつも一緒ですから!」
「そうかしら?」
「そうですよ! 紫様と藍様みたいに……ってああ! 藍様!」
橙は大事なことを思い出した。
藍は先ほど紫の怒りに触れて、スキマに食われたままだった。
橙は申し訳無さそうにスキマの主を見るが、紫は、そんなのもいたわねぇ、とうそぶく。
「紫様」
「なにかしら」
「藍様を許してあげてくれませんか」
「あんなアイスクリームみたいな式は、放っておきなさい」
「アイスクリーム?」
「私には冷たくて、橙には甘いでしょ」
「…………………………」
「あら、橙にはまだレベルが高かったかしら」
「もー、誤魔化さないでください。藍様は紫様のことも大好きなんですよ」
「あらそう」
「本当ですってば。さっきだって言ってたし、紫様が冬眠してる間も、たまに寂しそうな顔になって……」
「はいはい」
力説しはじめる式の式を、紫は面倒臭くあしらった。
「心配しなさんな。藍はちょっと、お使いに行ってるだけよ。おやつを買いにね」
「おやつ、ですか?」
「そう。おやつ」
「戻ってきますよね?」
「もちろん。私の式だもの。式と主はいつも一緒、なんでしょ?」
「そうです!」
膝にじゃれつく橙の背中を撫でながら、紫はふと思い出した。
「そうだ、橙。貴方、青から鈴をもらったと言っていたわよね」
「え、はい。もらいました」
「見せてもらえるかしら」
橙はポケットから、金に輝く鈴を取り出して見せた。
紫はそれをじっくりと検分してから、
「……これを後で、お友達の河童の所に持っていって、直してもらいなさい」
「え?」
「青からの素敵なプレゼントよ。橙は『猫の里』の猫と仲良くなりたいんでしょう? 役にたつわ」
「あの、紫様。ひょっとして、青のことを知っているんですか?」
「ふふふ。さあてね」
紫は意味深に笑うだけで、何も言わなかった。
橙は不思議そうな顔で、返してもらったその鈴を手の中で転がした。
八雲紫は、春の訪れを待つ庭を見た。
幻想郷に現れた、不思議な青い雪だるまは、寝ている間に溶けて消えてしまっていたようだ。
自分は会えずじまいだったが、それも何かの縁であろう。
異世界のスキマ妖怪……青か。
「さてと。藍がドラ焼きを買ってくるまで、もう一眠りすることにしますか」
幻想郷のスキマ妖怪は、欠伸を一つした。
(おしまい)
そしてO山ボイスが頭から出てくるのに暫くかかった自分に愕然とした
夜が明けたらちょっとゲオ行ってくる
ビッグライトは興奮した。実に大長編だ素晴らしい。
こんな長編が読めるとは・・・ありがとうございました。
違和感なく面白く書かれていて、凄いです
このワクワク感、感動はまさに古き良き大長編ドラ…
最後は意外な使い方で勝利するのは王道ですな。悪党と言い切れない鞍馬もいい味出してました。
しかし、青と能力が一緒だから紫も狸だって……よく考えると酷いこと言ってるな。
猫語で通じ合った仲じゃなかったのかよw
ほんと幻想から帰ってきてくれないかなぁだみ声のD、、、、
東方、と言うよりはドラ長編を読んでいるような気分でした。
見事なまでに纏められていますね。
戦闘や橙などの感情など見所が多く、とても良かったです。
面白いお話でした。
良いお話でした。
素敵な作品をありがとうといいたいです。きっと向こうの世界では主たるのんびり少年がいつもの
言葉を叫んでいたんでしょうね。さぁ冒険は始まる!
藍様かっこかわいいよ藍様
いや、このネタでここまで面白くなるのかと目からウロコです。
堪能させていただきました。
あり得ない組み合わせだけど成り立ってたのが凄い
昔のビデオ探してみよう
頑張って貰わなきゃ。
それにしてもこの藍様。痺れるようなカリスマだ。
「こんなこといいな~♪できたらいいな~♪」の歌詞はまさにドラえもんの誕生・存在理由そのものですよね。未来の世界からやって来たロボットが様々な道具を使って未来ではこんなことが出来るようになると夢を思い描かせてくれる、そんな科学に対する未来への「ドラえもん」という名の幻想が、その科学によって幻想にされてしまった者達が集う幻想郷に来たというのも考えさせられるものがありますね。
ドラえもんという夢は現実になるか幻想になるかは未だ分かりません。
ただ、「ドラえもん」が現実となったとき果たしてそれはもはや幻想なのではないでしょうか、それならば・・・
いやはや、その境界はどうなっているのでしょうね、あらゆる境界を操る者の気分しだいなのでしょうか。
声優さんが代わってから全然見てないんですよねーwww
どうにもしっくりこなくて
藍が自分の手に負えない事態になったら普通は主の紫を起こすのでは?
何処にいるかも分からない萃香に助けを求めるのは確実性が低いのでは?
何故紫じゃなくて萃香に助けを求めたのかが良く分からない…主の手を
煩わせたくない? でも幻想郷の重要度からするとちょっと…
これぞ二次創作、というのもおこがましいでしょうか。
しかし、ドラえもんがそこに普通に「いる」光景って、
かなり幻想のものになりつつあるような気がして寂しくなりました。
しかし……ドラちゃんすげえな!
まさしく大長編でした。
誤字:「アイシクルフォール(eaay→easy)」
しかしドラの戦闘能力は異常ですね。そりゃ幻想郷のバランスも根底から
覆るわなw
橙がこのまま順調に成長したら、バカルテットと遊ばなくなっちゃうのかな、と
ちょっとしんみり。
Dの能力は…スキマだと思われてもおかしくないなw
声が変わったときは無性に悲しかったものです。
素晴らしい、満点以外考えられないです
懐かCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCC!!!!!!
ドラえもんと橙の共闘なんかはまさに大長編のノリですごく熱かったし、大天狗も筋の通った悪役でいい感じでした。
それにやっぱり藍様がかっこいい。前編ではひどい目に遭った藍様ですが、さすが締める所はきっちり締めてくれますね。
できれば椛と文のその後や、チルノが帰ってきたときのレティとのやりとりなんかも見たかったですが、あとがきまで含めてすごく良い読後感でした。良い作品をありがとうございました。
誤字報告:もとおと記憶喪失であった青は→もともと記憶喪失であった青は
まさか橙に受け継がれていたとは…
実にすばらしい作品でした
素敵な作品をどうもありがとう。
な、なんd(ry
兎に角面白かったです。
上手なクロスオーバーだったのではないかと思います。
アンタ、最高だ、
小さな子が力を合わせて頑張る姿は心が洗われるな。
お母さんなレティと藍様も◎。
しかし今回悪役寄りではありますが、文と椛がどのあたりで脱出出来たかきになりますね。
まぁ、橙の式は猫以外がいいなぁ。
だが何気にプレイボーイな彼はどれだけ猫のハートを掴めば気がすむんだwww
なぜならドラえもんの存在そのものが、人類の夢だから
とても面白い作品でした
見せ場はたくさんありますが鈴を交換するシーンには特にヤられました。お見事です。
難度の高いクロスオーバーをこれほど良い作品に仕上げた力量に感服です。
いい作品に出会えました。
金曜の七時といえばこれだった… 小さい頃から見てたしなぁ。
エンディングを見ると心なしか切なくなったものだよ。
成長するにつれて見なくなったけど、今思うと、毎日見てたかけがえのない日々が目に浮かぶようだ
すごく良い作品でした。
戦闘シーンもワクワク感満載で、迫力が伝わってきます。ビッグライトの使い方が上手い。
とても素晴らしいクロスオーバーでございました。
ところで文と椛、大丈夫かしら?
こんな大作になるなんて・・!!
ちなみにやっぱりDはあの声ですよね
話の内容は面白いわ熱い展開だわいい話だなぁってか面白いなぁ
続きが気になってどんどん読めた
あとこれはどうでもいいが昔から気になってることなんだけど
ドラえもんが焦ってあれでもないこれでもないで投げ捨てたり放置したまんまの通りぬけフープとかどうなっちゃうんだろう
と思ってしまうような作品でした。乙です
懐かしさで一杯です。
せっかくなのでルーミアの「まかされよー」も聞きたかったw
この後のチルノの運命が気になるw
レンタルビデオ屋で大長編巡りとでも行きますかね…
「"できたらいいな"を叶える程度の能力」
に違いない。
もしもボックスの存在が頭を離れない俺は汚れてしまったんだなぁ
素敵なssをありがとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!
よい映画を拝見しました。ありがとうございます。
これはマジで名作。文句なしに満点!
あと全編通じてレティさんのおかあさんぶりがツボでした。
やっぱ自分はドラ好きだったんだなぁと思い出しました
東方とこれ程までに相性がよかったとは驚きです
いいものをありがとうございました
まさしく大長編、最近の過去作品を改悪しただけのものよりこれを劇場で流すべき
これはもう100点を付けざるを得ない。
本当に楽しめました!
いろいろ思い出しちゃったじゃないか…
ああもう! いいねたまらんね!
覚えてる人間は涙無くては見られない
多くの人が既に書いてますが、ヒラリマントから
始まる反撃なんて懐かしさと涙と鳥肌が(´д⊂
最高でした
あと『この季節になって現れた、太った怖い妖怪』
でお茶吹きました
ひどいよチルノw
これはもう、100点を付けざるを得ないです。
ドラちゃんサイコー。
というかかなり自然に出てるから、幻想郷だと勝手に補正掛かるんでしょうか?
でも馬鹿「時限バカ弾」はふいたwwww
ネコ集め鈴は元々壊れてて確か大長編の何がしかでカメラに変えてた記憶があったけど、
その設定をあえて使うことによって冒頭の橙の問題の解決に繋がるとか上手すぎます。
今思えば冒頭の橙が藍様の元に飛んでくるシーンもいつもののび太パターンだw
それと最後のピンクの靄は…アニマルプラネットのあれですか?wwww
よかったです。
また作品読ませてください
幻想入りさせてたまるもんかい!
ちょっと押入れからワンニャン時空伝出してくるわ
願いをかけましょう 夢日和・・・・・・
気付いたら完全に引き込まれてました、凄い! それにしても遊んでますねw
どうでもいいことに気付いた。
たぬき→きつね→ねこ つまり橙の式はこぶたなんだよ!! ナ、ナンダt(ry
らんしゃま最高です。
鈴をカメラに変えたのは丁度アニマルプラネットの時ですね。
すごく面白かったです!
いやはや本当に脱帽であります。お見事でした。
wwちょww
笑って、切なくて、タグの大長編に偽りなしですね
素晴らしい作品をありがとうございました。
登場するすべてのキャラが魅力的に描かれていて、
クロスオーバーでも違和感なく読めました。
いい作品だ。
あまりにも丁寧に書かれていて違和感なんてまるで感じませんでした。
いやぁ~、素晴らしい時間をありがとうございました。
ついにきたドラの反撃に興奮と懐かしさと嬉しさが一緒になってやってきました。
ドラが懐かしすぎてここで何故か泣きそうになってしまった。
心暖まる作品でした。
そしてドラえもんかわいいよドラえもん
いまだにあのダミ声が頭から離れない。
そうですよね、彼はまだ幻想入りしちゃいけない。
CV:大山○ぶ代で脳内再生される位に、どっぷりとハマってしまいました。
最後の「ぼくドラえ・・」は・・・もう、反則(褒め言葉)
素晴らしい時間をありがとうございました。
青とのやり取りも楽しかったけど、チルノがレティを教えた理由なんて爆笑物ですw
橙と青との友情に乾杯っ
昔の思い出がよみがえり素敵なひと時をすごせました。
本当にありがとうございます。
勉強させてもらいました。
精一杯の感謝を
しかし、戦闘場面や、二人の別れの場面などはもう、読んでいて鳥肌が立ちました。鞍馬も最後はわかってくれたようで何よりです。
きっと、橙達の人生にとってかけがえのない体験になったでしょうね。ありがとうございました。
自然とあの藤子F画風の橙が思い浮かびましたw
幻想郷の中にあってドラえもんの存在に違和感を感じなかった・・・それどころか妙にハマッて見えるのは、どちらの作品も宇宙・異世界・タイムワープまで、あらゆる超常的テーマを受け入れるだけの土壌があるからというのもあるし、ドラえもんという存在のある意味での「クセのなさ」というのもあるのかも
おもしろかったです
やっぱり『子供(?)達が冒険』って言うのが大長編シリーズのキモだよね
チルノやリグル、るみゃを加えたいかにも冒険って感じが素敵でしたわぁ
それにしても青(チン)だと思ってたけど青(あお)って呼んでたのか…
素晴らしいSSをありがとうございます。
どのキャラもいい味出してました
猫繋がり、虹色繋がり、感動しました
後鞍馬天狗は自分より強い天狗いるって言ってたけど
天魔様の次のTOP2くらいでもおかしくないだろと思います
色んな意味で理想の幻想郷なはなしでした
振り向いて一斉の、いかにもなお礼、まさに大長編あるあるですよね!
他にもいたる所に、”らしさ”が散りばめられていて、作品への愛情を感じました。
大長編は、、、やっぱり笑って、 泣いちゃう・・・!
紫さんはご存知なんですねw
たけどその後の青のセリフ、「危険が危ない」で
ふいてしまった
いやあ素晴らしいSSでした
貴方天才ですわ
語り継がれるべき名作はやっぱりいつの時代になっても変わりませんなあ
まだまだ彼は幻想入りしないでしょう