* * * * *
「また負けたぁ~」
結果は案の定というか、やっぱりというか、そりゃそうだろというか。
木陰に全身傷だらけとなって大の字で倒れている穣子は、ボタボタと涙を流していた。
穣子は体力を使い切ってしまったようで、立ち上がることは愚か、上体を起き上がらせることも出来なかった。
「だいじょうぶ?」
そんな穣子の顔を、「寂しさと終焉の象徴」との二つ名で呼ばれる神様が微笑みながら覗き込む。
瞳の色は柔らかい夕焼け色だが、髪は穣子と同じ色。帽子は被っておらず、髪には橙色と赤に染まった楓が二枚重なった髪飾りをしていた。
「ぅう……お姉ちゃぁ~ん。また負けちゃったよぉ~」
えぐえぐと泣く妹を見て、姉、静葉は「よしよし」と頭を撫でてあげた。
静葉は穣子の傍に腰を下ろすと、穣子の頭を膝の上に乗せた。いわゆる、膝枕というやつだ。
ボロ負けした後の穣子をこうして介抱し、慰めてあげるのが静葉の役目。静葉は濡らしてきたハンカチで、土埃やら涙やらで汚れている穣子の顔を拭いてやる。冷たい感触が気持ち良いのか、姉の膝が心地良いのか、優しく拭いてくれる手が嬉しいのか。穣子は涙を引っ込めて徐々に大人しくなっていった。
「よく頑張ったねぇ」
「うん。あたし頑張った。でも、負けちゃった……」
よっぽど悔しいのか、穣子はまたぐずりそうになる。その様子を見て、静葉はそっと苦笑した。
穣子の自殺行為を止めずに、ただ見守っていただけだったので、静葉もちょっと心苦しいところはあった。でも、あぁやって切磋琢磨(穣子が幽香に一方的に苛められているだけなので、果たしてこの四文字熟語が正しく当てはまるかはさておき)することは、きっと必要なことなのだ。
静葉はそう思うから止めずに見守る。
(というか、風見さんって別に夏を司ってるわけでも何でもないのよね……)
ぶっちゃけ幽香は四季に何も関係がない。
穣子が幽香にぶつかっていくのは、もう何百年もの間ずっと続いている。いつからどうやって始まったのかはよく分からないが、穣子は毎年毎年残暑の中で幽香に一方的に突っかかっていくのだ。
幽香は苛めて遊んでいるだけだし、穣子はこうして力をフルに使い果たしてヘロヘロになる。でも、実質的にそれは穣子の力を高めることに繋がっている。
だから、これは必要なこと。
静葉はそう一人で納得している。
穣子にはそういう理屈は必要ないから言っていない。妹はただ、秋を想って無邪気でいればいいのだから。
「あたしだって、一応神様なのに……」
「そうだねぇ」
不貞腐れる妹の頭を撫でる。暑いだろうから帽子は取ってあげて。
穣子の体は少し熱い。まだ幽香との戦闘の余韻が完全に去っていないようだった。
子供みたいな体温に、自然と笑みが零れる。
影を作ってくれている木の葉が風に揺れ、擦れて、静かに歌った。
「気持ちぃ~」
火照った体を撫ぜていく風に、穣子が小さく呟く。
穣子は大きく息を吸って、力を抜きながらゆっくりと吐いて、目を閉じた。
「……うん」
静葉は相槌を打って、穣子の真似をして大きく息を吸ってみた。
夏の匂いがした。
蒸し暑さから若干解放された、夏の薫り。
それは薄い薄い秋の匂い。
ミンミン泣く蝉の声に混じって、遠くからは蜩の声が聞こえてくる。
もう少ししたら、秋が来るだろう。
「待っていても、いなくても、四季は巡るよ?」
頭を撫でながら呟くように話しかける。
穣子から返事はない。どうやら寝てしまったようだ。
静葉は、汗で額に張り付く穣子の前髪を指先でどけてやった。
あどけない寝顔に、静葉は穏やかに笑んだ。
季節は巡る。
雪はいずれ溶けてしまうように。
桜は散ってしまうように。
葉が紅く色づいていくように。
もみじが舞い散るように。
外の世界には、こうやって四季がない場所もある。と、某スキマ妖怪から聞いたことがある。それを昔穣子に話してやったら、大きな声で「うっそぉ!!?」叫んだ。あまりにも大きな声を出すものだから、耳がキンキンしたのを今でも覚えている。
四季の中で、一番好きなのが秋。でもそれは他の季節が嫌いだというのと同義じゃない。
春が訪れ、夏が来て、秋が巡って、冬となる。冬はまた春を迎える。季節とはそういうものだ。
春に芽が出て、梅雨にてたっぷりの水を吸い、夏にてたくさんのお日様を浴び、綺麗な花を咲かせ、秋にて立派な実を生らせ、冬にて散り行き土に還るように。
小さな変化が幾重にも重なり合わさって、過ぎていく。
「ん~。お姉ちゃん、おかわりぃ……」
むにゃむにゃと口を動かしながら、穣子が声を発する。
幸せそうな寝顔を眺めて、静葉は愛おしい妹の頬を突いた。
きっと美味しいものをたくさん食べている夢を見ているんだろう。
静葉も秋に想いを馳せた。
獲れ立ての新鮮な秋刀魚の塩焼きに、蓮根と里芋の煮物と、椎茸のお吸い物。それから極上の新米。
炒った胡桃をつまみに芋焼酎で乾杯して、望月を愛でる。
晦(つごもり)の月。淡い光に照らされる紅葉を眺めながら、葡萄酒を飲み干す。
青蜜柑のスゥーっとした香りを嗅いで、甘くなれ、美味しくなれと祈る。
もぎたての姫橘(ひめきつ)は、水洗いしてそのまま齧り付こう。
檸檬のすっぱさに驚いたら、無花果と石榴の甘さに癒してもらおう。
今年はかぼちゃの餡子が入った大福を作ってみようか。
まるめろを蜂蜜と砂糖で漬けて、美味しいお酒も作りたい。
金木犀の誘うような甘い香りには、逆らわずに誘われよう。
楓の葉が舞うのに合わせて踊って、疲れたのなら桃を頬張って休むことにしよう。
椿も梔子も愛おしいから、いつまでも見ていよう。
甘い林檎と瑞々しい梨で両頬をいっぱいにしたら、また秋を愛でにいこう。
小腹がすいても困らないように、焼き芋を持って。
秋桜(あきざくら)がゆっくりと揺れるのを、うとうとしながら眺めて夕暮れまで過ごそう。
家に帰る前に、赤蜻蛉の目を回してちょっとだけ寄り道するのもいい。
遊んでお腹がすいたら、栗ご飯に、炒った胡麻を振り掛けていっぱい食べよう。
薄(すすき)が夜風と一緒にさわさわと歌ったら、鯊の刺身でまた一杯。
歌い始める螽斯(キリギリス)と蟋蟀(コオロギ)に合わせて、鈴虫と松虫も声も響かせる。
少し遅れた馬追がすいっちょすいっちょと鳴いたら、轡虫もがちゃがちゃ鳴き始める。
虫たちの唄を聞きながら、鹿と猪と一緒にゆるりとまどろむ。
静葉は、お腹いっぱい食べて、酒を飲んで踊る穣子の楽しそうな顔を浮かべて笑う。
もう少ししたら、人里で収穫祭が行われる。そうなったら穣子は引っ張りだこで忙しくなって、姉妹揃ってこんな風にのんびりとはしてられない。
秋は大好きだが、秋を愛でるのに忙しくて。そして穣子も秋を楽しむのに忙しくて、姉妹だけの時間となるとなかなか取れない。
次の季節が来てしまうのはいつも名残惜しい。けれど一時の間だけ、あの雪女に逢う事が出来るから。
冬は、二人でくっついてれば寒くないから嫌いじゃないよ。
春は、あったかくてのんびり出来るから好きだよ。
夏は、このギラギラしてる太陽だって嫌いじゃないよ。
「もうちょっと待ってくれないかな……」
静葉は、寝言でも秋の到来を急く妹に苦笑を一つ零す。
大好き大好きで堪らない秋。
でも、その秋に愛おしくてしょうがない妹を独り占めされてしまうから。
だから、もうちょっとだけこの夏に残っていて欲しい。
姉バカだなぁ~。なんて静葉はまた苦笑を零し、徐々に終わりを迎えようとしている夏を見守った。
桜は散り際が一番美しいのは、春を惜しむから。
暑い熱い日差しがないと向日葵は輝けないのは、真夏の太陽に焦がれるから。
深緑がそっとそっと染まっていくのは、実りの喜びを知らせる為。
残雪の溶け際が眩しいのは、新しい春を呼ぶため。
惜しみ、嘆き、憂い、喜び。
しかし誰もそれを止めようとはしない。止めることはできない。
季節は巡る。
重なり合う様々な色で。
呼び合うように、惹かれあうように。
愛おしく、巡る。
END
カオスかギャクなオチが多い気がするんですが、
これはしんみりしたあたたかい雰囲気ですね
これからの作品も楽しみにしています。