静かな昼下がり。
彼女はずっとそうしてた。
どれだけの間か分からない。
けれどそれは、
きっと死ぬまで。
――――穏やかな昼下がりのことだった。
◆ ◆ ◆
巨大な桜。
決して咲かない桜。
妖怪桜、西行妖。
幽々子はそれを見ていた。何をするでもなく、桜の正面に立っていた。
表情はない。
いや、ないように見える。
涙を堪えているようにも見える。
彼女はその感情が何なのか知らない。自分が何故、そんな感情をこの大木に抱いているのか知らない。
「――――……」
ふらりと一歩。
彼女は桜に近づいた。
ゆったりとした動作で、もう一歩。
根本まで近づいて、その節くれた幹に指を這わす。硬質な、けれど柔らかい、樹の感触だ。
ふと見上げると、咲くことを拒むように蕾の付いた裸の枝が瞳に映る。大きな、大きな枝だ。その向こうに
空が見える。青い空、白い雲。きっとそこだけ生きている。
蜘蛛の巣みたいに、無数に分かれた枝が、冥界を覆い、空を隠す。
ざぁ――と風が吹いた。
風が駆ける。
幽々子の薄桃色の髪の毛が風に踊る。
西行妖も、周りの桜も、皆々が踊る。
幽々子は髪を右手で帽子ごと押さえる。
着物の裾が風に靡く。
揺れる。
揺れる。
無数の桜が揺れる。
妖怪桜が軋みをあげる。
ざぁざぁと冥界中が音をたてる。
桜の花びらが舞う。赤、白、桃、まだまだ沢山の色がある。
そうして消えていく。
風は冥界中を駆け抜けて、また何処かへ行ってしまった
余韻のように、風を惜しむように、桜が小さく揺れた。
静かな冥界が一瞬だけ、とても騒がしかった。
幽々子は、ふっ、と微笑んだ。此処は冥界。死者の居場所。自分は既に死んでいて、この桜達だってもちろん死んでいる。いや、妖夢は半分くらい生きてたかしら。
ならば先ほどの風は、何処から来て、何処へ行くのだろうか?
答えの出ない、愚にもならない疑問。
どうでもいいような疑。
疑うことが、すでに愚のようなこと。
考える自体が既に無粋なのだろうが、そんなことが、少しだけ気になった。
だからこそ、幽々子は問いかけたのだ。
「――――ねぇ」
はっきりした声で幽々子は尋ねる。
消え入りそうな声で幽々子は尋ねる。
桜の下には、何が眠るのだろうか?
桜の下に封印されているのは、いったい誰なのか?
西行妖は黙りだ。
当然、話すことなどない。ありはしない。それでも知りたかった。
この桜は、何故此処にあるのだろうか?
この桜の下には、誰が夢見ているのか。
視線は西行妖の幹に固定されたまま。置かれた左手を離しもせず。じっとしている。
「――――ねぇ」
静かな問い。
透明な、透き通った声が響く。その声は届かない。西行妖は答えない。
声は消えていった。
何処にも届かない声はいったい何処に消えるのだろうか。
そんなことが一瞬、頭を過ぎった。
「ねぇ――――」
―――――あなたは、誰?
西行妖は、答えない。
その身は永久に変わらない。桜の木は散れども、散ることはない。西行妖は永久に変わらない。
例え幾ら物事を尋ねようと応えは返ってこない。静かに佇むのみだ。
つ、っと静かに瞳から水が垂れた。
空は晴れていたというのに。
◆ ◆ ◆
どれだけの間、そうしていただろう。もう夕方だ。茜色の空が瞳に映る。
す、っと彼女は手を幹から離した。
一息を吐く。
そのまま西行妖を見上げた。
昼間と変わらないそれは、紅色の夕陽を受けて、紅色に染まっていた。
幽々子は呆けたようにそれを眺めた。
表情はない。
「幽々子様」
と声がした。
振り向くと、妖夢がそこにいた。
白銀の髪を夕陽に照らして、佇んでいた。
妖夢は、ゆったりとした動作で近づいてきた。
そして問う。
「何をしていたのですか?」
「ううん。何でもないの」
幽々子は、ペろりと舌を出して誤魔化した。
妖夢は、はぁ、と息を吐いた。
「どうしたの?」
「何でもないです」
そして妖夢は思い出したかのように言った。
「そろそろ夕飯の時間ですよ」
「わぁ! 本当!?」
幽々子の顔が明るくなった。
花を散らしたような表情に、妖夢は苦笑する。
「えぇ。それと、このような寒い時に長い間外にいたら、風邪を引きますよ?」
「大丈夫よ」
幽々子は振り向いて桜に目を移した。
巨大な西行妖も。
冥界を瞳に映した。
特に何も思わない。
思わなかったけれど。
「幽々子様」
「なぁに? 妖夢」
「何故、そんなに哀しそうなのですか?」
「――――」
幽々子の目に、涙をなかった。
顔は、何かを堪えるような表情だった。
幽々子は、ゆっくりと首を振った。
「何でもないわ」
「そうですか。では帰りましょう。何時までもそうしていると、お体に触りますよ?」
「えぇ。それと、そんなに心配しなくても大丈夫よ」
憂いを帯びた表情。
幽々子は言った。
「だって私は――――」
西行妖を振り向いた。
相も変わらず、咲かない桜。
桜の下の誰かは、生きているの?
それとも死んでいるの?
答えは、一匹の妖怪の中。
幽々子は答えを知らない。
「――もう、死んでいるのだもの」
ざぁ、と風が吹いた。
桜が一枚、二枚、無数。
吹雪となって、散っていく。
妖夢は、静かに微笑んだ。
「――――知っていますよ」
二人は歩き出す。
何処へ?
何処かへ。
白玉楼へ。
[終]
言葉は少ないけど、幽々子が西行妖に語りかけたりとか
とても魅力的な場面だったと感じました。
面白かったですよ。
なんかもやっとする。