1
真夏の日差しを浴びながら、私は守矢神社へと飛んでいた。
鳥居をくぐると、管理者の性格を表すような、綺麗に掃き清められた境内に迎えられた。
守矢の巫女が掃き掃除をしている。この照りつける日差しの中、律儀なことだ。
巫女たるもの汗などかきませんとでも言うように、きっちり巫女装束を着こみ、背筋をぴんと伸ばし丁寧に丁寧に境内を清めている。
こちらに気づいた巫女が私にお辞儀をしてくる。
「こんにちは、にとりさん」
「暑いなか御苦労だね」
「夏だからといって掃除をしないわけにもいきませんから」
と穏やかに微笑む守矢の巫女、東風谷早苗。
正確には風祝。
出会ったころは巫女と呼ぶと毎回訂正されたが、最近ではしてこなくなった。
何度言ってもきかないので呆れて諦めたのかと聞いてみたところ、発言者の指している内容が一緒なら、語句にまでは拘らないことにしたのだという。
出会ったころの張りつめた雰囲気がなくなり、穏やかで親しみやすく、それでいて柔らかな強さを感じさせるようになった。
里での信仰も鰻上りらしい。さもありなんだ。
信仰集めの結果が出ているから自信が出たのかも。いや相乗効果というのが正しいか。
「今日はどのようなご用件で?」
「巫女さんあなたにちょっとお話が」
「そうですか、ではお茶を入れてきますね」
「いやいや、お気遣いなく」
「いえ、私も掃き掃除がひと段落して、これから休憩に入るところでしたから」
と小走りで建物の中に入っていく。そんなに急がなくていいのに、見ているこちらが暑くなるよ。
裏手に回って社務所の縁側に座って待っていると、
「お待たせしました」
早苗はお盆にお茶と、里で評判のお饅頭も載せてやってきた。
実に気がきく。良いお嫁さんになるだろう。
里人が血迷って妖怪の山を登って来たら、天狗に撃退される前に優しく返してやらないとなあ。
「で、どんなお話ですか?」
「近々河童の発明大会があってね。私も参加するから何を出品するかそろそろ考え始めないといけないんだ。で、妖怪の山唯一の人間、東風谷早苗さんの意見を聞こうとね」
「わたしは機械のことはずぶの素人なので、意見なんて求められても何も答えられませんよ?」
何でまた私に?と顔に書いてある。
「発明についてのアドバイスなんて求めてないよ。こんなものがあると便利だな、発明されたらいいなってものを教えてほしいんだよ」
「うーん、急にそういわれても」
あごに手を当てむむむと唸り出した。
確かにいきなりぽんっと出て来るものではないか。
それでも、真剣に考えてくれているのは有り難い。根が真面目なのだろう。
「困ったな。人間の欲しいものが分からないと、作り始められないんだよなー。締切が近いので助けると思って考えてみてよ」
すると、早苗は不思議そうな、それでいて興味深そうな瞳で問いかけて来た。
「自分で作りたいものでは駄目なんですか?もしくは河童のお友達が欲しがるものとか。なぜ人間の欲しがるものじゃないと駄目なんです?」
なるほど、そこに引っかかりますか。
「私は、発明品は河童以外の人妖の求めているもので、かつ自分でつくりたいと思うものを作るのを信条にしているんだよ」
「ふむ、発明家のこだわりってやつでしょうか。でも、それは何故?」
何やらさらに興味津々だ。これは全部説明しないと収まりそうもなさそうだ。
「話すと長いよ?」
私が長話の覚悟を決めたのが分かったらしく、早苗の顔がほころんだ。
「丁度暇していたところなんで、お話相手を探していたんです。お茶もお饅頭もお代わりは何度でも出ますよ?」
ふむ、意外と話好きらしい。ではたっぷり昔話をしてあげよう。
これで何か欲しいものが浮かんでくれるといいんだけれど。
「なら遠慮なく」
2
あれは巫女さんなどまだ生まれてさえいない昔、今と同じく夏の発明大会も間近の頃。
一つのことに夢中になると周りのことが見えなくなる性質の私は、掃除も思いついた時に一挙にするので、掃除直後以外は工房も雑然としている。さらに夏は、日が差すと余計に暑苦しいので明かりも取らない。そんな暗くて埃っぽい場所で、私は作業台に突っ伏していた。
暑さに負けているのと、出品作品の構想がまるで決まらない苛立ちで少しふて腐れ気味に、あからさまに不健康な風体で、蝉の鳴き声と家の裏に流れる川の音を聞いていた。
そんな他人は好んで過ごしたいとは思わないであろう部屋に、一人の河童が入って来た。
また勧誘か。俺達の研究会に入れ、一緒に優勝を目指そうというのだろう。
年に一度の発明大会で優勝することは、河童にとって非常に名誉なことだ。周りの見る目も変わり、河童社会での地位は飛躍的に上昇する。一挙に名士の仲間入りだ。それ故、優勝を目指す河童も多い。
共同研究をするための集団も出来た。情報を共有し、制作の効率化を図る。資金力もアップするし、材料も手に入りやすくなる。
そういった研究集団の派閥ができ、有望な人材を集めて自分の集団から優勝者を出そうと躍起になるようになっていった。
そんな中、自分の作りたい作品を自由気ままに発表していた私は、昨年個人参加で入賞を果たし、人材獲得競争の格好の標的となってしまっていた。
「なあ、そろそろ決断してくれないか?入ってくれるなら、河城の研究成果もうちの研究に組み込みたい。そのための時間ももうだいぶ限られてきたじゃないか。他の研究会だってそうそう時間に余裕があるわけじゃないだろう?頼むよ」
入って来た青年は、とある研究会のリーダーだった。中々のやり手で若くして優勝を狙えるところまで来ているらしい。わたしについても、去年入賞という結果を出す前から誘いを受けていたぐらいだから、人材獲得に熱心で、見る目のある奴だ。だから人材も揃ってきているだろう。
悪い奴じゃあないし、もし研究会に入るならこいつのところだと決めている。
ただ、こいつの研究会に入るということは、優勝を目指す為に確実に評価点を取れる作品を狙っていくということだ。それがいまいち面白くないのだ。
大会の形式が、河童の技術者が互いに評価点を入れていく形式のため、玄人好みで粗の少ない技巧を凝らした作品が評価されやすい。
装甲がいくら薄くなったとか、耐久性が○○上がったとか。成し遂げるためにどれだけの困難を乗り越えたかと、技術者の端くれとして感嘆せざるをえないのだが、使う側からしたらそれって何が変わるのってレベルのことに血道を上げねばならない。
それは、私の作りたいものとは違うのだ。
ただ、じゃあお前は何をどうしたいんだと聞かれると答えられない中途半端な体たらく。
それが私のイライラを加速していた。
結局その日も明快な答えを出せなかった。
奴も首をやれやれと振って、帰って行った。
作りたくないものは判っても、何を作りたいかは皆目見当がつかなかった。
結果、研究会に入る決断も、入らないという決断もできず、中ぶらりんなことになっていた。周囲の奴等もさぞ迷惑だったことだろう。
3
他の研究会からの誘いもはぐらかし数日が過ぎた。
結局なにを作りたいのかは見つからないままだった。自らの半端さに情けなさが募る。
扉を乱暴に開けると、工房の裏手に回る。裏がすぐ川だった。というか水音がしない場所だと落ち着かないから河童は基本的に水辺に住む。
河童を二人縦に重ねたくらいの高さから川に飛び込んだ。とぷんと音がして体が水に包まれる。冷たさが心地よい。
心が乱れ、頭が働かなくなった時は、川に流されることにしている。
ただ、流れに身を任せ、力を抜き、ひたすら流される。そうすると、だんだん心の中が水のように澄んでくる気がするのだ。
頭を空っぽにして流されたら危険じゃないかと人間は驚くらしい。浅瀬や岩に引っかかったり、滝に飛び込んでしまったりしそうで怖くないのかと。だが、そんなことで怪我をする河童なんていやしない。
河童の本能といったらいいのか、どんなに気を抜いていても、体が自然と深いほう、安全な方へと進んでしまうのだ。水の流れを皮膚で感じているのか、脳がそう感じているのか、生まれた時から出来るので、なぜ出来るのかは説明できないけれど。人が歩き方や呼吸の仕方を説明できないのと同じようなものじゃなかろうか。
ひたすら流されて、徐々に頭が澄んできた頃、どうやら里の近くの渓流釣りポイントに辿りついたようだった。
ああ、ここは水の流れが遅い淵で、鯉の生息地だったっけ。
釣り針を放り込む音がする。餌の感じからして大物狙い。
しかし、音で分かるが素人だ。これじゃあここの鯉は釣れないだろう。
おバカな奴から釣られていくのが魚の世界。ここの魚がなぜ大きいか。
大物ほど、賢い魚だということだ。
と思っていたが、この淵の主が餌に食らいついた。ははーん、素人組みし易しとみたか。
大きめの餌にくらいつき、ぐいぐいと引っ張る。主は餌を奪い取り、悠々と泳ぎ去っていった。
どぼん、と少年が落ちて来た。まだ身の丈は私の胸ほどまでしかないだろう。生まれて10年はいっていないに違いない。この背格好でこの釣り場の大物を狙うのは無謀というものだ。
人間は河童の盟友だ。助けぬわけにもいかない。速やかに泳ぎ寄り、背後から抱えて川っぺりの岩の上に少年を横たえた。
「か、かっぱ!!!」
少年は驚愕で口と目を目一杯に開いている。
小さな体に緊張が走り、すぐさま逃げ去りそうな体勢だ。
軽いショックを受ける。河童は人間を盟友と思っていても、もう人間はそう思ってはくれないのだろうか。一応溺れそうなのを助けてやったというのに。
だがしかし、河童側から人間への交渉は絶えて久しいから、人間の子供が河童に怯えてもしかたないかと思いなおす。これからまた友好的な関係を築けばいいさ。
「取って食いやしないよ」
取りあえず害意は無いと声をかけておく。
まだ若干怯えているようだが、走り去りはしなかった。
着物が水に濡れたままだが、この日差しの中だ。すぐに乾くことだろう。
「ここの魚は大きい。少年にはまだちょっと荷が重いよ。もうちょっと下流なら小型魚がいるからそっちで釣るといい」
すると、無反応だった少年が急にかっと目を剥いた。
「いやだ!ここの魚を釣るんだ」
「少年、相手の力量を測るのも技量のうちだよ」
「……」
歯を食いしばり、足を踏ん張り、全身で不満であるとの気を発している。
「なんでここの魚にこだわるんだい?」
「父ちゃんが、お前にゃ無理だって」
「そりゃ、父ちゃんが正しいよ。父ちゃんと一緒に釣ればいい」
少年はやせっぽっちで明らかに非力そうだ。まだ幼いし、最低でも数年早い。
「父ちゃんはこのまえ村のお医者さんに手術してもらったばっかりで、家で寝てるんだ。先生が安静にしてればもう大丈夫って言ってたから安心だとは思うけど、里のみんなは家族が病気になったらここで釣りをするんだ。ここの鯉を食べたら精がついてすぐに元気になるからって。うちの男は俺と父ちゃんだけだから、俺が釣ってくるっていってるのに母ちゃんも父ちゃんも……」
懸命に涙を堪えている。なるほどねー、健気だねー。お姉ちゃん家族思いの少年は嫌いじゃないよ。
永遠亭の名医が大丈夫って言ってるなら、間違いなく安心だろうけど不安は不安だろう。
でも無理なものは無理だ。
「お姉ちゃんが釣ってあげるから、持ってお帰りよ」
「……」
体全体から悔しさが湯気のように湧き出ているのが見えるようだ。
自分で釣って見せたいのだろう。
「駄々をこねてたってどうしようもない。力もなけりゃあ工夫もしてない。それじゃあ釣れっこないよ」
「工夫?」
「そう、頭を使うのさ」
「どうやるの?」
「それは自分で考えな」
少年はなんとこの河童は理不尽なことを言うのかといいたげな表情で、
「場所も考えたよ。餌も調べた。釣りあげるタイミングも覚えたよ!でも、最後に釣り糸を切られてしまうんだ。工夫だってしてるよ!お姉ちゃんは妖怪で力が強いからわからないんだ!」
と言い放つ。ふむ、少年なりに工夫も努力もしているようだ。ますます気に入った。
ただ世の中、周りと自分を納得させる為の、見せるための努力をしている奴が多すぎる。そうじゃない頭を使った実りある努力が出来るようになって欲しい。
将来有望そうな少年に、河童流の努力を伝授してあげよう。
「いーや、たとえ私が少年と力も背格好も同じくらいだとしても、私は魚を釣ってみせる。なぜなら河童には道具を発明する力がある。発明は生身の体ではできないことを可能にするんだ」
「発明?」
「河童はね、水の中以外では人間と力は大差ないのさ。でも、妖怪たちとやりあえてるのはなんでだと思う?力がなくても、体が小さくても大丈夫なように、頭を使って道具を作っているからさ。力がなくて、場所や餌を工夫しても釣りあげられないなら、大きな魚を釣り上げられるような道具を作ればいい。そうやって河童は生きて来た。いいかい、一週間後にまたおいで、あんたでも釣れるような道具を持ってきてやるさ。だから今日のところは帰りな。お母さんが心配してるよ」
もう太陽も西へ傾き、日差しの強さも弱まって来ている。そろそろ少年が里の外にいて良い時間ではない。
まだ不満気だった少年もきちんと妖怪の怖さは教育されているらしく、里に帰ることに不承不承同意した。
「河童のお姉ちゃん。俺、父ちゃんに魚を釣って見せたいんだ。一週間後に本当に来るからね?」
夕焼けに染まりながら、真っ直ぐな瞳で語りかけてくる。
眉もきりっとしていて凛々しい。十年後が楽しみだ。
「ああ、一人で釣りをするのは危険だから、一週間ここで釣りをするのを我慢すると約束するなら、お姉ちゃんがきっちり少年でもここの魚を釣れる道具を作ってきてやるよ」
はてさて、困った。発明大会も間近だというのに、こんな約束をしてしまって。しかし盟友が困っているのは見過ごせない。大見栄を切ってしまったし河童の名に懸けて、少年でも釣れる道具を作ってみせるさ。
4
少年が大きな鯉を釣ろうとするときに、一番避けねばならないのは、引っ張り負けて水に落とされてしまうことだ。
それを避けるのは簡単だ。竿を固定する道具を作ればいい。
あとはそれでどう釣り上げるかが問題だ。固定する台に竿を引っ張り上げる装置を組み込むか。いや、そんな機械を作っても、少年が釣り上げたことにならないし……。
工房の作業台で釣竿を台に固定しながら自問自答していると、また奴が研究会の勧誘にやって来た。
「河城、お前なに作ってるんだ?」
おいおいとちょっと呆れ気味の感情が声音に表れている。
「釣り道具」
顔も向けずに答える。いや、向けられないと言った方が正確か。
「釣り道具?」
おそるおそるそちらを見ると、何考えてるんだこいつ、と顔に書いてあった。
「まさか、発明大会には出ないことにしたってことか?」
声が尖っている。そりゃあ怒るよねー。これだけ引っ張ったんだもの。
私は怒りの感情を向けられるのは苦手なんだよなあ。根が臆病者だから。
でも、断るなら早めにきっぱりと断らないとね。ここまで引っ張っといて今更だけど。
「ごめん、発明大会には出ようとは思ってるんだけど、個人で参加しようと思ってる」
あからさまに不審というか、理解できないという顔をしている。
まあ、こいつの価値観では理解出来ないだろうなー。上昇志向の塊だからねえ。
でも、技巧に凝りに凝って、粗を少なくし、玄人好みで発明大会での評価を狙ったものをつくっても、それを喜んで使ってくれる人が居なかったら私はつまらないって思うんだよ。
発明大会では評価されないとしても。少なくとも少年一人だけは最高の笑顔をみせてくれるであろう道具を作っている方が私の性に合っているって気づいたんだ。
奴は大きなため息をついた。
「まあ、何となくこんな感じになるかもとは思っていたよ。ただ、断るならさっさと断ってほしかったぜ」
一言憎まれ口をきくだけで、さほど責めもせず呆れて帰っていった。
ありがとう、そして待たせてごめん。
どこか研究会に入るとしたらあんたのところに入るつもりだったよ。罪滅ぼしにはならないだろうけど、やつの研究会の優勝を願っておくよ。
さて、ここまでしたんだ。河童の名誉もかかっていることだし、是が非でも少年に大物を釣って貰わねば。
少年が水に落ちないように、かつ釣竿も持っていかれないようにする。これは少年を固定する道具と、釣竿を固定する道具を作ればいい。土台の装置はやめた。せっかくだ、自分で釣ったと少年が誇れるものにしたい。木にくくり付けるロープのようなものにしよう。
問題は、どう釣り上げるかだ。少年が釣り上げようとしている鯉は、大の大人だって釣り上げようと思ったら相当苦戦する代物だ。どうしたものか……。
全自動で釣り上げちゃうような装置作ってしまえば簡単なんだけど、それは却下だ。少年が釣り上げたことにならない。煮詰まってきた。
こういうアイデアに詰まった時は、自分の作ろうとしているものとはまるで別系統の道具を見て回ると良いと思う。一見無関係ではあるが、優れた道具を生み出す感性に触れていると、新たな着想が沸いてきたりする気がするのだ。
よし、散歩がてら材料の買い出しに行こう。あと資料室にもよることにした。
河童は基本全員技術者だ。
あまり分業が進んでいない。
それでも得意不得意があるから、道具屋じみた存在もいたりする。お互いが得意な道具や材料を物々交換で融通しあったりしていて、自然発生したものだ。
そんな道具屋や材料屋をやっている仲間の工房を回っていると、微妙に売り渋られたり、愛想が悪かったりした。あーはいはい、単独で発明大会に参加するから、もう仲間じゃないってかー。もっと言えば敵ですもんなあ。あいつのように心が広い奴ばっかりじゃないよね。
でも小さい、小さすぎる。
いったん発明大会に出ないと吹っ切ってから、なんだか今まで悩んでいたのが凄いちっぽけなものに思えるようになった。
すっと、狭い世界から抜け出れたような不思議な感覚だった。
仲間内だけで評価されるものを作って、互いに褒め合ってたって何になるって言うのか。
使われてこその道具、喜ばれてこその発明じゃないか。
何だか色々なものが急に馬鹿らしくなってしまった。
釣りの道具では大会に勝てないだろう。でも、それがなんだって言うのさ。
鯉が釣れたら少年は間違いなく喜ぶだろう。それ以上の何が発明に必要なのか。
私は人の喜ぶものを、私の作りたいものを作っていけばいい。
その結果、河童に評価されれば良し、されなくたってこまりゃあしない。そんな単純なことにやっと気づけて、心が軽くなった気がする。
資料室に行き、様々な発明品関係の文書を漁る。
私は理論より実践。文書よりまずばらしてみるタイプなので、書面を読むのは苦手なのだけれど、今回はいつになく集中力と持続力が増した気がする。
人の喜ぶものと自分の作りたいものが一致したからだろうか。
あとは、釣り上げる道具の算段をどうするかだ。様々な文書に読みふけり、糸車の文書にたどりついた時、最後の歯車がカチリとかみ合った音がした。
これで少年に鯉を釣らせることができる。
5
一週間後、約束の淵にいくとすでに少年が待っていた。
ぎらぎらと日が差していて、蝉も騒がしい。水から出たくなくなるような陽気だったがそうもいっていられない。
岩場に上がると道具の入った防水性の袋をみて、少年の目が期待に輝く。
「やあ、おまたせ。約束通り少年でもここの鯉が釣れる道具を作ってきたよ」
岩から滑り落ちないように、びだっと岩場に張りつくゴム底靴。
釣竿をすべり落とさないように、かつ手を痛めないように薄手の革手袋。
体に竿を固定する拘束具を巻き付け、その拘束具の背中からは木へと結びつけるべくロープが伸びている。
「ほら、さっさと身につけて」
若干戸惑い怯えている少年を有無を言わさず拘束していく。
「さあ、これで鯉との綱引きに負けて川に落ちたり、竿を落としたりする危険はなくなった。心置きなく鯉と格闘してくれたまえ」
飛んだり跳ねたり、ロープに体重をかけたりして、効果を実感したようだ。
きらきらした目でこちらを見て来る。
「さて、釣竿も特注だよ。釣り糸も切れにくい素材を使っているし、さらになんと巻き取り式だ!釣竿の横に輪っかについてる持ち手をまわしてごらん。糸を巻き取る仕掛けになっているんだ」
素直に回してみる少年。釣り針がするすると釣竿の先の方へ引っ張られていく。
なるべく大きめの輪っかにしているので不格好ではあるが、少年の力でも巻き取れるようにバネ仕掛けで少年の回す力を補助するようになっているすぐれものだ。逆回転もしないようにしたので、持っていかれる心配もない。
まあ、それでも少年が全力で回しても鯉とかなりいい勝負になってしまうだろうけど、それはそれ。楽に釣れちゃあ少年が釣ったことにならないしね。
「わかった。ありがとうお姉ちゃん。釣ってみる」
「礼にはまだ早いよ。これでも正直厳しいくらいだ。あとは少年、お前さんの根性次第さ」
上がり気味の眉も凛々しく、きりっとした表情でうなずいた。
少年は慎重に釣り糸を垂らす。
私はタモを持って待機する。
なかなか食いつかないが、イライラしたら負けだ。のんびりいこう。
一回目は、あっさりと餌を持っていかれた。
二回目もしばらく粘ったけれど、上手く逃げられた。
少年の表情に焦りと苛立ちが見える。ほらほら、少年。焦りは禁物だよー。そうそう大物が簡単に釣れてたまりますかっての。中々釣れないからこそ大物に育つわけなんだから。
「ほれ、口あーん」
素直に開いた少年の口に、水筒から出た管を差し込む。
「水分補給、水分補給。汗をいっぱいかいてるんだから小まめに取らないと」
少年が何これっと言いたげに顔を歪める。軽く涙目だ。
「失礼な。せっかくにとりさん特製のきゅうりジュースを分けてあげてるのに。もっと美味しそうに飲みなさいよね」
むう、切なげな目で睨まれた。不評ですか、そうですか。美味しいのになあ。
でも、少年の顔からは先ほどまでの苛立ちが消えていたので良しとしておこう。
徐々に日も傾いて来たころ、グイっと釣竿が引っ張られる。引き方からして中々の大物の予感がする。
正念場だ。
「よーし、少年、三度目の正直だ。腰を落ち着けて粘り強くいきな」
こくりと頷く。真剣そのものの表情だ。
少年と鯉の力関係から考えて、一気に釣り上げるのは難しい。
少年が音を上げるか、鯉が力尽きるかの持久戦になるだろう。
じりっじりっと巻き付ける。
良し、糸巻きから着想を得た、釣り糸巻き機は有効に働いている。
少しずつ、少しずつ着実に巻いていけば、最後には大物に届くはず。
右に左に揺さぶられるが、ロープで固定されているから水に引き摺り込まれる心配はない。たまによろめくが立て直す。
「頑張れ!勝負は頭脳と根性だ。あたしの頭脳がついてるんだ、あとは少年、あんたの根性次第だ。負けるんじゃないよ!」
あっちにふらり、こっちにふらりとよろめきながらも、じわりじわりと釣り糸を巻いていく。徐々に徐々に魚影が見えてきた。
「おお、これは大きいよ、大物だよ。これを釣ったら父ちゃんも母ちゃんも少年を見直すよー。かっこいいよー。頑張んな!」
額に大粒の汗が光る。
「飲みな。水分補給しないと力が出なくなるよ」
一瞬ためらったが、素直に飲む少年。若干しかめ面。そんなに不味いかねー。
鯉の方も最後の死力を振り絞ったのか、少年が急激に振り回される。前のめりに倒れかけるが、木から伸びたロープのおかげで転落は免れた。
竿も飛んで行きそうになったが、拘束具と一体になっているので無事だった。
我が発明品の効果的な働きぶりに自画自賛してしまう。
横の大きな岩にぶつかりそうになって、一瞬私は手を出しかけたが、岩を蹴るようにして少年は踏みとどまった。
あぶないあぶない。手出ししちゃうところだった。
ああ、手伝いたい。今すぐ後ろから支えたい。一緒に釣り糸をガシガシ巻き取りたい。
なんてもどかしいんだろう。でも、手伝っちゃ水の泡。
もう、私に出来るのは応援だけだ。
「頑張れ!」
声を出しながら、タモを持って出来る限り魚影に近づく。
「もう少し!」
少年の腕がぷるぷると震えている。表情も歪んでいる。限界なのかい?あともう少しなのに。
「父ちゃん口では無理だって言ってても、実はきっと少年が鯉を釣ってくるの楽しみに待ってるよ!」
その時、少年は最後の踏ん張りをみせた。まるで相撲のうっちゃりのような体制で竿をしならせる。
鯉が水面すれすれまで浮上した。私は一瞬のタイミングを逃さずタモで鯉を掬いあげた。
少年は急に軽くなった釣竿にバランスを崩し、後ろに尻もちをつく。
少年が一瞬状況をつかめずおろおろとしていたが、私の手元のタモを見て全身で歓喜を表してみせた。
「おめでとう。これが君の釣った鯉だよ。お父さんお母さんに胸を張って自慢すると良い」
タモのなかで見事な鯉がぴちぴちと跳ねていた。
鯉を少年が抱えると、顔が隠れて見えなくなる程の大物だ。勢いよく跳ね廻り、少年の父親だって取り押さえるのを苦労しそうな生きの良さだ。
これを食べたら父ちゃんきっとすぐに元気になるよ。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
少年が誇らしさと感謝の気持ちで一杯の、凛々しくもさわやかな笑顔で答えてくれた。
これだよこれ。今までの苦労が、この瞬間最高に報われた。
私はこれからもこの表情を求めて発明を続けて行くだろうとその時感じたんだ。
「なあに、河童と人間は盟友なんだ。礼には及ばないよ」
6
ということがあったのさ。
早苗は聞き上手だ。あまりに楽しげな反応をし、興味深そうに聞くもんだから、随分真剣に話し込んでしまった。
「というわけで、私が発明する時には、何かを求めている人が必要なんだ」
「なるほど、自分のためじゃなくて、誰かの為に作るんですね」
うんうん、と感慨深げに頷く早苗。
や、やめてよ。そう直接的に表現されると物凄く照れくさいんですけど。
それにそれだと正確じゃない。誰かの必要なもの、喜んでくれるもので、私が作ってて楽しいものを作りたい。
自分が楽しそうって思えるものを作る。
それが、一番良い結果をもたらしてくれるから。
どう話題を転換しようかなと思っていたら、早苗の方から話題を振って来た。
「そういえば、発明大会の結果はどうだったんですか?」
あ、言ってなかったっけ。
「奴の研究会は、その年は優勝を逃したよ。天才河城にとり様の抜けた穴はやっぱり大きかったってわけさ。ただ、数年後にきっちり優勝してみせた。転んでもただでは起きないタイプだからねー。たくましいもんさ」
恐る恐るといった表情で言葉を重ねる早苗。
「にとりさんはどうだったか聞いてもいいですか?」
「ああ、一応釣りセットで大会には出てみたけど、やっぱり入賞はしなかった。でも、それからも人の欲しがるもので、私の作ってて楽しいものを毎年作り続けていたら、それが河童受けするものと重なるときだってあるし、そういう時は入賞したりもしたよ」
「そうですか、きちんと評価してくれる河童さんもいるんですね」
早苗が我が事のように喜んでいる。いらぬ心配をかけたらしい。
「誤解をしてるようだけど、別に私は河童の中で孤立したりはしていないよ?徐々にわたしと同じように、河童に向けてじゃなく他の人妖に向けて発明をしようって奴等も出て来た。あの例の研究会の奴等もね。ただ、人間よりも寿命が長いから、巫女さんからしたら緩やかな変化かもしれないけど、着実に河童の社会も変わっていってるのさ」
「さ、私のことはもういいだろ、そろそろ発明してほしいものを教えてくれ」
そうそう、それが目的なんだから。えらく寄り道してしまった。
また長考に入った早苗だったが、ふと思いついたように呟いた。
「え、えーと、じゃあ暑いからクーラーですかねー」
「クーラー?それは何?どんなもの?どんな原理で動くの?何に使う道具?」
新しい単語が出て来たので、つい興奮して速射砲のように質問してしまった。
いきなり矢継ぎ早の質問だったせいか、早苗はおろおろと困惑した表情で汗をぬぐう。
「あ、暑いじゃないですか、最近。そんなときに外の世界ではクーラーという機械で冷たい空気を出して部屋を冷やすんです」
おおおおお、それは凄い。人間たちは妖怪に比べて暑さに弱い。
もしそんな機械を作れたら、暑さに苦しむ人間たちはこの河城にとり様を神の如く崇めて感謝することだろう。
「で、どんな機械?」
わくわくした気持ちを抑えきれず問い詰めるように質問する。
「えーと、電気でブワワーと冷たい空気の出る機械です」
早苗はいたく自信なさげに、すまなそうな表情で答えた。
「……」
「……」
二人の間を蝉の鳴き声だけが響いている。
私の表情は今、能面のようになっているだろう。
「げ、原理は?」
「……」
「……教える気ないでしょ?」
「ち、違いますよ。そ、外の機械もこっちの河童さんみたいに、それ専門の人がいるんで、普通に暮らしてても仕組みの分からないものがいっぱいいっぱいあるんです!」
早苗はあたふたと必死に抗弁している。ちょっと可哀想になるくらい慌てている。
ふう、面白そうな発明が出来そうだったのにな。
と、諦めかけて、自分の考えが発明家にあるまじきものだと気づいた。
別に外の世界での原理が分からなくたって、私が独自に作ればいいじゃないか、この河城にとり、河童の名にかけて、クーラーという機械作って見せようじゃないの!
まるで理屈が分からないから、きっと完成までは平坦な道じゃあないだろう。
でも、完成したらきっと盟友たちは大絶賛するに違いない。想像するだけで楽しくなってきた。
この河城にとり、艱難辛苦を乗り越えて見せましょう。
喜ぶ顔がみたいから。
やっぱり谷河童はひと味違うね。
電化製品がこれからどんどん妖怪の山で作られ浸透していくとなると素晴らしいと思いつつも幻想郷はどーなるんだろうかと不安になりますな
それにしても早苗さん、クーラーの原理くらいは中学生でも知っている知識ですよ・・・
クーラーの原理は俺も知らんです…(´・ω・`)
なんだか小説を作るうえでも忘れてはいけない精神かな、と思いました。
あとクーラーの原理は私もわかんないです…(´・ω・`)
あ、俺もクーラーの原理わかんない…(´・ω・`)
フロンが幻想入りしてたらそれはそれで色々問題になりそうですがそんな世知辛い幻想郷は勘弁。
がんばれにとり、早苗さんの幸せの為に!
さすが「人間は盟友」というだけのことはありますね。
にとりの職人魂がいい味だしていますね!
社会を形成すると人間に近づいていくのかもしれないですね
調べたけど8割ぐらいしかクーラーの原理わかんない…(´・ω・`)
あとクーラーの原理俺もわかんない……(`・ω・`)
頭をうまく使えばちゃんと結果が出せるってことを知ったんだから
ところでクーラーってヒートポンプの原理つかってるんだっけ
なぜ入力よりも多い出力を得られるのか理屈がわからんw
まぁ中学生にゃ理解できんわw
どの河童も上昇志向でいいなあ。
にとりならいつかクーラーだって作れる筈!
原理なんか知って無くてもコンセントをつなげば使えるじゃん?
見てみたいです。(続きが読みたいが本音
クーラーって電気とガスがあるけど・・・
私もクーラーの原理わかんない…(´・ω・`)
あと、クーラーの原理は、半分しか覚えてないな。