春の気配を感じた。
冬が終わろうとしている。
冬の終わり――それは、あの賑やかで楽しい氷の妖精とのしばしの別離を意味していた。
もうすぐ桜が咲き乱れる命の季節、そして私にとっては眠りにつく季節。
そして、別れの季節。
季節の変わり目に、私は自分が『冬の妖怪』なんだな、という自覚を促される。
里の人々は、だんだんと春が近づく事に浮かれ、寒く厳しい冬の終わりを祝う。一方、私は暖かくなれば動けなくなるので、次の冬まで休んでいられるように、おこもりの準備をする。
少し気温が上がってきている所為で、少しだけ身体はだるい。
今年は、少々悠長だったのかもしれない。
名残惜しさから、眠りの準備を先送りにしたツケが回ったという事か。
「とりあえず隠れ家を冷やすための氷は用意できたから、もう少し食べ物と……それから暇つぶしになりそうな物もあった方が良いわね」
四季の内、四分の三も眠り続けるのは退屈だろうと言われるが、その通り。
実際、退屈なのだ。
どうも冬以外は姿を隠しているので、私が熊のように冬まで寝続けていると人は勘違いするが、実際にはリスなどの冬こもりに近い。
動くのがおっくうなのでかなり長い時間を隠れ家で寝て過ごしているが、目が覚めている時間もそれなりにある……あくまで目が覚めているだけで、動けやしないが。
だから、暇潰しの用意は重要なのだ。
まあ、基本的に寝てるわけだけど。
「パズル系統も飽きたし、適当な学術書あたりが適当かしら」
それなりに難易度が高くなければ、暇つぶしに不適当だ。
そういえば、少し前に紫に聞いたが、外の世界の道具には暇つぶしに特化しているものが多いのだそうだ。ならば、外の道具を扱っているという香霖堂に寄ってみるのも良いのかもしれない……が。
「あのストーブは苦手なのよねぇ……」
あの店はやたら暖かくてだるくなってしまうので、ちょっと遠慮したい。
「紫が居てくれれば……」
最も、彼女は冬眠をするのであまり冬は見ない。つまり必然的に私と紫が顔を合わせる事は少ない。
彼女に会えれば、色々と面白い暇潰しの道具を融通してくれるのだが……
「まあ、適当に買っていきましょうか」
そのように、手慰みになりそうなものを見つくろっていると、
「あー、レティだ!」
と、やたらと元気の良い声が聞こえてきた。
「あら、チルノ。今日も元気ね」
霧の湖の妖精チルノ、氷の妖精ということで冬の妖怪の私と相性が良く、私になついてくれている妖精だ。
「今日もあたいは絶好調だよ!」
そう言ってチルノは両腕を振りまわした。
少し身体がだるい私には羨ましい話である。
「そっかそっか、それは何よりね」
私は、身体の不調を隠し、精一杯の笑顔でチルノの頭を撫でた。
柔らかくて冷たいチルノの髪を手で梳くと、くすぐったそうにチルノは笑う。
……その笑顔は、しばらくの間は見られなくなる。
毎年、行われている事がある。
「ねえ、チルノ」
「なにー?」
チルノと私の間で行われている、二人だけの決まったやりとりが。
「もうすぐね、私――」
「ふんふん」
秋が終わる頃、私たちは再会した。
「眠らなければいけないの」
そして、春が始まる頃には、別れなければならない。
「……え?」
幸福な冬の終わり、私は無垢な氷の妖精にそれを告げた。
率直に言うと、チルノは頭を使う事が得意ではない。
「そんな、まだ寒いじゃん!」
冬が、もう終わることに毎年気が付かない。
だから、こうして私が冬の終わりを、別れの時を教えなくてはならないのだ。
「もうすぐ春は来るわ。寒気がなければ私は活動できない。そろそろ眠る準備をしなくちゃいけないの」
「だったら、あたいが……あたいがずっとレティの傍にいるよ! レティが眠くならないように冷やし続ける!」
必死に、チルノは私を説得しようとする。
でも、これも毎年繰り返していること。
忘れちゃってるのね、本当におばかさんなんだから。
「駄目よ、それは『自然なことではない』から、ただでさえ貴方は妖精の癖に不自然なんだから、これ以上、普通の妖精から外れたらいけないわ」
「別に良いよ! あたいはレティと……」
それ以上、言わせないように私は指でチルノの口を塞ぐ。
「チルノ、貴方は妖精、私は妖怪。貴方には妖精の世界があり、私にも妖怪の世界がある……それに良いの? きっとそれはあなたの大切なお友達を悲しませるわ」
そう言ってチルノの口から指を離すと、チルノは黙ってしまった。
本当に、毎年同じなのだ。
繰り返される出会いと別れ。
でも、その別れは永遠じゃない。
「冬が来れば私たちはまた会える……だから、笑ってお別れしましょ? 最後に見たチルノの顔が泣き顔なんて悲しいわ」
私の言葉を聞いたチルノは、私の顔を見続けて考え込み、
「……わかったよ、あたいはレティと笑ってお別れする。そうじゃないとレティも辛いもんね」
涙ぐみながら私に向って笑ってくれた。
「ありがとう、チルノ……」
その笑顔に、言葉につまった。
氷の妖精と過ごす最後のひと時、時間はもうあまり残っていない。
でも、私たちはいつも通り、ゆっくりと里の市を回った。
「レティ、これ持って行くと良いと思うよ!」
里の市でチルノが手にしたのはトコロテンを作る道具、天突きだった。
「なるほど、それがあればいつでもトコロテンが食べられるわね」
黒蜜をかけても、三倍酢でも、冷えたトコロテンは美味しい。
せっかくチルノが選んでくれたのだし、それに食事の選択肢にトコロテンが増えるのは悪くない。
特に夏ともなれば、涼しい隠れ家に居ても、身体はだるくて仕方がない。
ツルツルして食べやすいトコロテンはそんな時に最適だろう。
「ありがとね、チルノ」
私がお礼を言うとチルノは嬉しそうに氷の羽をパタパタさせる。
「あとは、暇潰しになりそうなものはあるかしら?」
私が辺りを見回すと、
「これとかどうかな?」
チルノは金物屋に陳列されていたペンチを指差した。
なるほど、そう来たか。
「それで暇を潰せば良いというわけね?」
「うん!」
なかなか難易度が高い事をチルノは要求する。
「そっか、でもこれじゃあ簡単に暇が潰せるでしょう? できればもう少し暇潰しを楽しめる物が良いわね」
「ああー、そういう方向性か! じゃあ、これはどうかな?」
納得してチルノは、金物屋を見渡すと、一枚の銅の板を指差した。
チルノ的には、それならペンチと違って潰すのを楽しめると思ったのだろう。
ふむ、銅の板……なるほど銅版画というのは悪くない。
手慰みにちょうど良いかも知れない。
「良い感じに暇を潰せそうね」
「それは、なによりだね!」
銅板を何枚かに、銅版画の道具。他にも、日持ちのする食糧などを買い込んで、おおよその買い物は終わった。
「レティ、重くないの?」
「大したことは無いわ」
本当は結構重い。
しかし、重いとか言えばチルノはきっと「あたいも手伝うよ!」と言い出すだろう。
それはとてもありがたい申し出なのだが、チルノは妖精。基本的に非力だ。
持ったとたんにペシャンと潰れてしまうだろう。
まあ、それはそれで可愛いけど。
里の喧噪が消えていく、そろそろ里の外に出る。
そこで、チルノは足を止めた。
「ん? どうしたの?」
私が尋ねると、チルノは思い詰めたような顔でじっと私の顔を見つめている。
何かを堪えるように……いや、何を堪えているのかは、明白だ。
チルノは、別離の悲しみ、そして涙を堪えているのだ。
「レティはさ……」
チルノが口を開く。
「うん」
私は、頷いてチルノが続けるのを待つ。
「レティは、一人っきりで、次の冬まで過ごすんでしょ?」
「そうね、一人でおこもりね」
「……寂しくない?」
寂しくないと言えば嘘になる。
特に調子が良く、意識が鮮明な時など、人恋しくなったりもする。
でも、大丈夫だ。
「平気よ。だって、今年もチルノからたくさんの思い出を貰ったんだから」
それがあれば、寂しさなど消えてなくなる。
だから、寂しくなんかない。
「…………思い出」
その言葉を噛みしめるようにチルノは呟く。
「そう、思い出。チルノと一緒に雪だるまを作ったり、お茶をしたり、里に出かけたり……色々な記憶、出来事、それらすべてが思い出となって、私の寂しさを埋めてくれるのよ」
そう言って私はチルノをぎゅっと抱きしめる。
「……うん」
小さな妖精は、ただ静かに私に抱かれていた。
「じゃあね、チルノ」
私はとびっきりの笑顔で別れの挨拶をし、
「うん。またね、レティ」
チルノも『良き思い出』となるように、とても良い笑顔で私に手を振ってくれた。
花びらが一枚、ふわりと肩に舞い落ちる。
もうすぐ、春が来る。
冬が終わろうとしている。
冬の終わり――それは、あの賑やかで楽しい氷の妖精とのしばしの別離を意味していた。
もうすぐ桜が咲き乱れる命の季節、そして私にとっては眠りにつく季節。
そして、別れの季節。
季節の変わり目に、私は自分が『冬の妖怪』なんだな、という自覚を促される。
里の人々は、だんだんと春が近づく事に浮かれ、寒く厳しい冬の終わりを祝う。一方、私は暖かくなれば動けなくなるので、次の冬まで休んでいられるように、おこもりの準備をする。
少し気温が上がってきている所為で、少しだけ身体はだるい。
今年は、少々悠長だったのかもしれない。
名残惜しさから、眠りの準備を先送りにしたツケが回ったという事か。
「とりあえず隠れ家を冷やすための氷は用意できたから、もう少し食べ物と……それから暇つぶしになりそうな物もあった方が良いわね」
四季の内、四分の三も眠り続けるのは退屈だろうと言われるが、その通り。
実際、退屈なのだ。
どうも冬以外は姿を隠しているので、私が熊のように冬まで寝続けていると人は勘違いするが、実際にはリスなどの冬こもりに近い。
動くのがおっくうなのでかなり長い時間を隠れ家で寝て過ごしているが、目が覚めている時間もそれなりにある……あくまで目が覚めているだけで、動けやしないが。
だから、暇潰しの用意は重要なのだ。
まあ、基本的に寝てるわけだけど。
「パズル系統も飽きたし、適当な学術書あたりが適当かしら」
それなりに難易度が高くなければ、暇つぶしに不適当だ。
そういえば、少し前に紫に聞いたが、外の世界の道具には暇つぶしに特化しているものが多いのだそうだ。ならば、外の道具を扱っているという香霖堂に寄ってみるのも良いのかもしれない……が。
「あのストーブは苦手なのよねぇ……」
あの店はやたら暖かくてだるくなってしまうので、ちょっと遠慮したい。
「紫が居てくれれば……」
最も、彼女は冬眠をするのであまり冬は見ない。つまり必然的に私と紫が顔を合わせる事は少ない。
彼女に会えれば、色々と面白い暇潰しの道具を融通してくれるのだが……
「まあ、適当に買っていきましょうか」
そのように、手慰みになりそうなものを見つくろっていると、
「あー、レティだ!」
と、やたらと元気の良い声が聞こえてきた。
「あら、チルノ。今日も元気ね」
霧の湖の妖精チルノ、氷の妖精ということで冬の妖怪の私と相性が良く、私になついてくれている妖精だ。
「今日もあたいは絶好調だよ!」
そう言ってチルノは両腕を振りまわした。
少し身体がだるい私には羨ましい話である。
「そっかそっか、それは何よりね」
私は、身体の不調を隠し、精一杯の笑顔でチルノの頭を撫でた。
柔らかくて冷たいチルノの髪を手で梳くと、くすぐったそうにチルノは笑う。
……その笑顔は、しばらくの間は見られなくなる。
毎年、行われている事がある。
「ねえ、チルノ」
「なにー?」
チルノと私の間で行われている、二人だけの決まったやりとりが。
「もうすぐね、私――」
「ふんふん」
秋が終わる頃、私たちは再会した。
「眠らなければいけないの」
そして、春が始まる頃には、別れなければならない。
「……え?」
幸福な冬の終わり、私は無垢な氷の妖精にそれを告げた。
率直に言うと、チルノは頭を使う事が得意ではない。
「そんな、まだ寒いじゃん!」
冬が、もう終わることに毎年気が付かない。
だから、こうして私が冬の終わりを、別れの時を教えなくてはならないのだ。
「もうすぐ春は来るわ。寒気がなければ私は活動できない。そろそろ眠る準備をしなくちゃいけないの」
「だったら、あたいが……あたいがずっとレティの傍にいるよ! レティが眠くならないように冷やし続ける!」
必死に、チルノは私を説得しようとする。
でも、これも毎年繰り返していること。
忘れちゃってるのね、本当におばかさんなんだから。
「駄目よ、それは『自然なことではない』から、ただでさえ貴方は妖精の癖に不自然なんだから、これ以上、普通の妖精から外れたらいけないわ」
「別に良いよ! あたいはレティと……」
それ以上、言わせないように私は指でチルノの口を塞ぐ。
「チルノ、貴方は妖精、私は妖怪。貴方には妖精の世界があり、私にも妖怪の世界がある……それに良いの? きっとそれはあなたの大切なお友達を悲しませるわ」
そう言ってチルノの口から指を離すと、チルノは黙ってしまった。
本当に、毎年同じなのだ。
繰り返される出会いと別れ。
でも、その別れは永遠じゃない。
「冬が来れば私たちはまた会える……だから、笑ってお別れしましょ? 最後に見たチルノの顔が泣き顔なんて悲しいわ」
私の言葉を聞いたチルノは、私の顔を見続けて考え込み、
「……わかったよ、あたいはレティと笑ってお別れする。そうじゃないとレティも辛いもんね」
涙ぐみながら私に向って笑ってくれた。
「ありがとう、チルノ……」
その笑顔に、言葉につまった。
氷の妖精と過ごす最後のひと時、時間はもうあまり残っていない。
でも、私たちはいつも通り、ゆっくりと里の市を回った。
「レティ、これ持って行くと良いと思うよ!」
里の市でチルノが手にしたのはトコロテンを作る道具、天突きだった。
「なるほど、それがあればいつでもトコロテンが食べられるわね」
黒蜜をかけても、三倍酢でも、冷えたトコロテンは美味しい。
せっかくチルノが選んでくれたのだし、それに食事の選択肢にトコロテンが増えるのは悪くない。
特に夏ともなれば、涼しい隠れ家に居ても、身体はだるくて仕方がない。
ツルツルして食べやすいトコロテンはそんな時に最適だろう。
「ありがとね、チルノ」
私がお礼を言うとチルノは嬉しそうに氷の羽をパタパタさせる。
「あとは、暇潰しになりそうなものはあるかしら?」
私が辺りを見回すと、
「これとかどうかな?」
チルノは金物屋に陳列されていたペンチを指差した。
なるほど、そう来たか。
「それで暇を潰せば良いというわけね?」
「うん!」
なかなか難易度が高い事をチルノは要求する。
「そっか、でもこれじゃあ簡単に暇が潰せるでしょう? できればもう少し暇潰しを楽しめる物が良いわね」
「ああー、そういう方向性か! じゃあ、これはどうかな?」
納得してチルノは、金物屋を見渡すと、一枚の銅の板を指差した。
チルノ的には、それならペンチと違って潰すのを楽しめると思ったのだろう。
ふむ、銅の板……なるほど銅版画というのは悪くない。
手慰みにちょうど良いかも知れない。
「良い感じに暇を潰せそうね」
「それは、なによりだね!」
銅板を何枚かに、銅版画の道具。他にも、日持ちのする食糧などを買い込んで、おおよその買い物は終わった。
「レティ、重くないの?」
「大したことは無いわ」
本当は結構重い。
しかし、重いとか言えばチルノはきっと「あたいも手伝うよ!」と言い出すだろう。
それはとてもありがたい申し出なのだが、チルノは妖精。基本的に非力だ。
持ったとたんにペシャンと潰れてしまうだろう。
まあ、それはそれで可愛いけど。
里の喧噪が消えていく、そろそろ里の外に出る。
そこで、チルノは足を止めた。
「ん? どうしたの?」
私が尋ねると、チルノは思い詰めたような顔でじっと私の顔を見つめている。
何かを堪えるように……いや、何を堪えているのかは、明白だ。
チルノは、別離の悲しみ、そして涙を堪えているのだ。
「レティはさ……」
チルノが口を開く。
「うん」
私は、頷いてチルノが続けるのを待つ。
「レティは、一人っきりで、次の冬まで過ごすんでしょ?」
「そうね、一人でおこもりね」
「……寂しくない?」
寂しくないと言えば嘘になる。
特に調子が良く、意識が鮮明な時など、人恋しくなったりもする。
でも、大丈夫だ。
「平気よ。だって、今年もチルノからたくさんの思い出を貰ったんだから」
それがあれば、寂しさなど消えてなくなる。
だから、寂しくなんかない。
「…………思い出」
その言葉を噛みしめるようにチルノは呟く。
「そう、思い出。チルノと一緒に雪だるまを作ったり、お茶をしたり、里に出かけたり……色々な記憶、出来事、それらすべてが思い出となって、私の寂しさを埋めてくれるのよ」
そう言って私はチルノをぎゅっと抱きしめる。
「……うん」
小さな妖精は、ただ静かに私に抱かれていた。
「じゃあね、チルノ」
私はとびっきりの笑顔で別れの挨拶をし、
「うん。またね、レティ」
チルノも『良き思い出』となるように、とても良い笑顔で私に手を振ってくれた。
花びらが一枚、ふわりと肩に舞い落ちる。
もうすぐ、春が来る。
こういった話はとても好きです
だがいい雰囲気でした!ごちそうさま