Coolier - 新生・東方創想話

2009/03/01 21:48:17
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「地獄だ、地獄だ!」
コンラッド『闇の奥』より




 












 (私はおくうだ(あ、それ)。
  私はからじゃない。頭からっぽとか言わないで(うとう)。
  私はおくうだ(もういっちょ)。
そらじゃないよ。おそらのようにお気楽だなんて言わないで)

 

 おや、何か陽気な歌が聞こえてきますね。何故か合いの手も。

 火炎地獄が暴走しないか、見張っているのがお空の仕事です。

 彼女は火力を見極めるための、天賦の眼力を持っています。火力の均衡点を読み取る感覚を、生まれながらに有しているらしいのです。

 やれやれ、もしこの才能を他の物事に敷衍する器用さがあれば、お空はもっと出世するのですが。

 烏の宿痾ともいえる、酷い物忘れが手伝って、どちらかというとからかわれたり、笑われたりする立場にありました。

 地底。
 忘れ去られた地獄跡には、ある種の空気が渺茫と、わたくし達の肌に纏わりついております。それは、地上の交流を阻む、階級的にわたくし達を拘束する、コンプレックスの棘であり、わたくし達の心象を蝕み、暗澹を生み出しております。

 わたくし、さとりの妖怪の中にも、その棘は存在しております。心を読む種族の妖怪にまず居場所なんてありませんから。

 ですが、お空には、その暗黒をあまり感じません。原罪のように地底の住民を放さないその暗闇を、お空も確かに持っていますが、それに負けないほどの明るく剽悍とした、別の何かを胸に抱いています。
 その欣喜雀躍とした心象は、ここ最近、強さを増したような感じがします。

 それを忖度する暇も無く、早速厄介ごとが舞い込んできたのは、その日のお昼過ぎのことでした。

「お花屋さんですか?」
 お空が不思議そうな顔を、わたくしに向けます。

(お花。菜の花。テンプラ)

 テンプラ?菜の花をテンプラですか。やっぱりお空は変わっているかも。

「ええ。地底に無い花の種を分けてもらいたくて。そこでお空、貴方にお使いに行って頂きたいのです」
「お使い?」
「はい。里のお花屋さんまで行ってもらえないかしら。花屋さんには手紙で連絡してあります」
「判りました。お安い御用で」
 わたくしはお金をお空のポケットに入れました。

 わたくしはこの時何故、他のペットに頼まなかったのか、今も疑問に感じております。

 三時間たっぷり、お茶を飲みながら待っていると部屋の扉を勢い良く開けてお空が入ってきます。

「さとり様。ビッグ・ニュースですよ」
「貴方、お使いを忘れましたね」

(ドキッ!)

 お空が言うには、里に着くと、俄かに里の中が喧騒に包まれていたそうです。
 近くの人間に話を聞くと、最近里のきこりが言うところによると、里から少し離れた叢林に、奇妙な家が建っていたそうです。里はその家をどうするかで、揉めていたそうです。

(壊してしまおう。山賊の住処だとやっかいだ)
(万が一、強力な妖怪だの、魔女だのの家だったらどうする。今は残しておこう)

 家は平屋建ての小さなものらしいです。お空の心象の写実画だと、全体をレンガが覆い、何と窓が一つも無い不気味なものでした。

「さとり様、心を読みましたね」

 結果的にお空の存在はさらに騒ぎを大きくしました。

(私の主人なら、貴方達の不安を取り除くことが出来るよ)
(ほう、それは頼もしい。是非あの家の中を調査していただきたい)

 僭称もいいところです。わたくしは便利屋でもなければ、里の保安官でもありません。

 ですが、お空の企図が一緒にわたくしの精神に流れ込んできました。これをお読みの貴方は、お空が力任せにそのレンガの家を壊さなかったか、疑問に思ったでしょう。

 つまりお空は私に花を持たせ、里の人たちと交流のきっかけを作ろうとしているのです。わたくしの心を読まれたようで、忸怩たるものがこみ上げました。

「判りました。案内しなさい」
(なんだろう。少し怒っていらっしゃる?)

 
 空に掛かる流霞を眺めながら、わたくしはお空に抱きかかえられ、郷の空を飛んでおります。
 やがて件の家をを俯瞰する位置までやってきました。

 それはレンガ造りの、大きな箱のようでした。地上に降りて周りを見渡してみましたが、窓一つ、入り口や勝手口もありません。完全に外界との交流を遮断しているのでした。如何にも頑強で、泰然自若と、レンガの塊は地上に自身の質量を預けていました。

 不可思議なのは、その中から、何らかの思念が伝わってくることでした。

 わたくしは早速そのレンガの塊を通り抜けてくる、何かの強い情念を掴みます。それはあまりにも明瞭としたものでした。
文脈から察するに議論のようですね。ざっとこんな感じです。

(あぁ、大変大変)
(逃げ出しやがった)
(おかしい、この《Ⅸ式迷宮》から奴が抜け出せるわけがない)
(でも、でも現にいないではないか)
(どうしたものか)
(餌で釣りましょう)
(そんな単純な手に引っかかるような輩ではないさ……)

「いかがいたします、さとり様。ぶっ壊しましょうか?」
 お空がそわそわと、落ち着かないのは何故でしょうか?一刻も早くここを離れたいと心が悲鳴を上げております。

 まぁ破壊というのも一つの手ではありました。しかし、それは中に潜んでいる何かにいらない刺激を与えてしまうことになります。それでつまらない諍いに発展するのは、私にとっても、部落の人々にとっても、望むところではありません。

 わたくしは以前、ある河童の悩みを聞いてやったことがあります。
 その時わたくしは一つの発見をしました。私の忌むべき能力は、今まで一方的に相手の心象を読み取ることしか出来ないと考えていたのですが、ある条件が整えば、心象レベルでの交流が可能であるということが判ったのです。

 わたくしは、精神から見えない腕を伸ばします。
 レンガを突き抜け、わたくしの透明な腕は、その内部に侵入しました。

(やや、何奴だ)
(ご心配無く。貴方達の敵ではございません(お、成功しましたね))
(信用ならねぇ)
(それよりも、貴方達。早くここを引き取ったほうが宜しいですよ。里の人たちが不気味がっていますから。このままでは貴方達ごと、このレンガの家を壊さない勢いなのです)

(それは頗る困る!)
(全く困る、と言われてもねぇ。せめて里の人に説明したほうがいいのでは?)
(……実はこの小屋はね、一種の矯正施設なのだ)
(然り然り。これは重犯罪者を懲らしめるための、刑務所である)
(逃げたのは、その犯罪者ですか)
(どうりでおかしいと思ったんだ!こいつ、さとりの妖怪だ。おぉ恐ろしい。俺達の会話を聞いていたな)

(待て待て。ねぇ、お嬢さん。私らだって里の人には申し訳ないと思っていない訳ではない。貴方の口から彼等に、私達が無害であることを伝えてもらえないだろうか。何しろ、私どもがいないと、世界が大変なことになる)
(その逃げた罪人とやらは、相当な罪を犯したようですね)
(然り。詳しいことは言えないが、大変な犯罪者だ。それが今日の昼、突然逃げ出したのだ。あれが世界に放たれると大変だ)

(ねぇ、さとり様。さっさとここなら出て行きましょうよ)
(あれ、お空。まさか、貴方も悟りの妖怪だったの)
(いたー!)
(そこにいたー!)
(出あえ、出あえ!)
(ところが和尚様、私どもはここから出られませんよ……)
(失念しとった……)

 わたくしは暫く、お空の姿を見つめていました。小春日和の陽光を浴びて、うっすらと汗をかいて健康的に輝いていました。首を傾げ、わたくしの眼をじっと見つめています。
「お空、ちょっと」とわたくしは彼女の胸に耳を押し当てます。
「あっ。さとり様、こんな所で。いやん」

 お空の精神の深窓の声を聞きました。
(さとり様。ここ怖いですぅ)
(あなた、どなた?)
(お空です。貴方の僕の、お空です)
(じゃあ、夕べの晩御飯は何だったっけ?)
(肉じゃがです。さとり様お手製の)
(だから誰なの?嘘ついたらただじゃ置かないわ)
(……何故あたしが偽者だとわかった。確かにこの娘は、昨日肉じゃがを食っていたはず。脳にも確かにそう記録されている)
(本物のお空は、今日のお昼だって思い出せないわ。自分の記憶を上手く扱えないのよ)
(何と、難儀な娘に取りついてしまった!)



 地霊殿。里でこの次第を告げた後、わたくし達は一旦根城に帰りました。

「それで、私はどうなったのですか?」
「簡単に言うと、お空。貴方には良くない何か、が取り付いています」
「お化け!」
「いいえ。貴方の中にいる人は、死んでいません。だからお化けでは無いわ。でも、魂の概念に近いかもしれない」
「たましい……?」


 不思議なことです。
《彼女》、と仮に呼んでおきましょうか。彼は確かに生きているのです。わたくしの他者の精神への介入は、幽霊や亡霊の類にも働いてしまうのですが、生を持つ者と、死を経験した者とには、絶対的な間隙が存在するのです。彼女の放つ感覚は、生の躍動を持っていました。息遣いというか、黙々とした気配というか。

「でも、何で私なのですか」
「それはね……」

 恐らく、お空の性格によるものが大きいでしょう。
 つまり、忘れっぽいという、その性癖にお空は付けこまれたのです。

「いずれにしても、早く貴方と引き離さないと。貴方が彼女に支配されてしまう」
「どうすればいいのですか?」
「どうしましょうか……」
 途方に暮れてしまったお空とわたくしは、半時間、部屋の中で、あれこれと考えたり話し合ったりしました。その間、耳障りは彼女の声がずっと響いていました。
(自由だ、自由だ!)

 やっかいですが、お空と《彼女》との精神の微妙な攪拌が起こっておりました。そのため《彼女》の思索は、相当言語化を執り行うのは困難なものにしていました。
 
 
 今はまだ、お空の自我が保たれているようです。
ですが、時折、彼女がお空の口を借りてわたくしの前に姿を現します。
「確かにこの子は、頭が少し弱いかもしれない」
「貴方は何の罪を犯したの?」
「復讐だよ。あいつ等はそれが気に食わなかったのさ」
「誰に復讐したのですか」
「誰だっていいじゃないの。でも、頭の出来は兎も角、この子の体はとても立派に発育しているね。健康で、おっぱいもそこそこだ。さとりさんは立派な親御さんだ」
「そうかなぁ」

 お空と《彼女》を引き離すため、わたくしは過去の文献を探っていたのですが、そもそもこのような事態をわたくしの眷属は予想できたでしょうか。わたくし達のさとりの妖怪はその性質上、心理学の分野において並々ならぬ功績を残しておりますが、このような異常なケースを記したものは、何一つ発見できませんでした。


(彼女をお空から分離したいのですが、あなた方の意見を聞きたいわ)
(正直、難しいであろうね。寧ろ我々には、この事件を終息させる力が無い。我々は、最早システムとしての寿命を迎えたのかもしれない。残念だが、貴方はこれを宿命として、受け入れるほかない)


 その日の夜更け、眠りにつくこともできなかったので、ベッドの中でわたくしは、考えを巡らせています。

 何とかお空を救う手立ては無いのでしょうか。
 寝室の扉が静かに開く音が響きます。わたくしは戸に背を向けて横になっていましたが、それがどこか激しい理念を放っているのを、ひしひしと感じました。
 お空だ、とわたくしは判りました。ただし、お空は眠っています。中にいるのは《彼女》です。
 正直に白状しますと、わたくしはその時、恐ろしさで震えておりました。それほどの情念を孕みながら、そのお空の形をしたもの、《彼女》は寝室の静寂にかき乱し、鬱屈と性欲を抑えきれず、焦燥たる感情をむき出しにして、わたくしの姿を見つめているらしいのです。

 やがて、《彼女》は毛布をめくり、ベッドの中に潜り込みました。
 お空の体温を背中で感じます。お空の石鹸の匂いが鼻腔をちくちくと刺激します。それは喉の奥から喘ぐように、呼吸を乱しています。
《彼女》の手がわたくしのネグリジェに伸びて来ました。一番上の、ボタンの感触を楽しむようにして、《彼女》はゆっくりと外しました。
 
 わたくしはその手を掴みますが、悖ろうとするわたくしを窘めるように、別の手が強く、わたくしの腕を握りました。お空は鼻を鳴らし、鼻息がわたくしの髪を揺らしました。

 恐怖がしだいに込み上げ、わたくしはベッドから跳ね起きて逃げ出すように離れます。顔を火照らせたお空がベッドの中でしなだれかかっています。翼をだらしなく広げ、先端を床に垂らしています。

「どうして拒むのさ、さとり様」
 それは舌で唇を湿らせて、そうのたまいます。
「お前はお空じゃない。そんな言葉遣いをするな」
「違うよ。わたしはお空だよ。さとり様は私をどうして拒むの?」
「私は貴方なんか欲しくない」
「嘘を付け」
 気が付くとわたくしの寝間着は、前が殆どはだけてしまっていました。目の前のお空の形をした《彼女》は唇を撓め、続けました。

「嘘を付け。お前は誰よりも求めているじゃないか」
「……何を言っている?」
「誰よりも孤独で、その上寂しがりやで、でもとても頭がいいから誰にも施しを求めることが出来ないでいる、可愛そうな人。だって施しを受ければ受けるほど、貴方は相手を傷つけてしまうから」
「貴方に何が判るの」
「でもね、私は貴方の求めに応じてあげることが出来るわ。どんなことでもね。どんな事だって。私は貴方の心と交流できたんですもの」
 お空が自分の服に手をかけました。
 駄目だ、とわたくしが叫びました。 
「このお空だって、貴方のことを愛しているわ。貴方は色んなものに愛されているけれども、貴方の機微を察して、彼等は決して貴方には近づかなかったのよ」
「出て行って、出て行きなさい!」
 お空はわたくしを見つめ続けていましたが、溜息を一つ漏らすと、脱いだ服をつけて颯爽と部屋を出て行きました。

 
 この日の出来事で、幸いだったのは、お空が眠っていたことでした。しかし確実に、お空を《彼女》は蝕み続けました。


 ある日、猫のお燐が狼狽した様子でわたくしの部屋に入ってきました。床に姿勢を正して座り込みました。
「最近、お空の様子がおかしいんです」
「そうなの……」
「何だか頭が良くなったような、顔つきも変わってしまったし」
 お燐はお空の大事な友達ですから、何となく異常を見抜いたのかもしれません。


 時間はありませんでした。わたくしは再び、レンガの塊へ赴きました。

 人々がレンガの塊を取り囲んでいます。わたくしは近くの人に話を聞きました。
「とうとう壊したのさ。盗賊が出て気やしないか冷や冷やしたよ。ところが出てきたのはゴミとか、訳の判らないお札とかでね。誰もいなかったし、家の中もおかしい事になってた」

 それは全部で九つの部屋に分かれていたそうです。部屋には調度も無ければ、そもそも人の住んでいた気配すら窺えなかったとのことでした。

 
 そのときは来たのです。お空を助けるため、動かなくては成りません。

 一時間後、お空はわたくしの部屋にやってきます。

 九つの部屋、お空、復讐。その言葉がわたくしの頭の中を回り続けます。
 わたくしは、一族の中で俗に《ロード》と呼ばれている、呪術を執行するにあたり、いくつかの道義的ルールを破らなければなりません。

《ロード》とは、あらゆる知を集つめることが出来る、禁断の術です。

 わたくしの魔の手が、地底のあらゆる方角へ、伸びていきます。知を捜し求め、貪欲なまでに地底の住人達の頭に侵入し、捜し求める情報を探り続けます。
 
 地底の住人の陋劣な考えが浮かび、そしてわたくしの前頭葉に、先日のお空のいやらしい姿が浮かび、必死にわたくしは頭を振りました。

(ここには無い)

 わたくしは範囲をさらに広汎へと展開します。外へ、地上の生命の豊饒へ。

(何故、お空なの)

 膨張する知識の質量に向かって、わたくしは進んでいきます。
 


 




 


Ⅰ.昔一人の僧が、一人の幽霊に出会った。それは、陸奥の国の外の浜に生まれた猟師であった。幽霊は静かに語りだす。

 生前猟師は自身の子供を伴い狩の最中、世にも珍しい鳥の子を捕まえた。

 親鳥は子供を取り戻そうと親子に向かい、空で「うとう、うとう」と鳴き続けた。
 
 猟師親子は峠を越える途中、激しい吹雪に襲われた。なおも親鳥は「うとう、うとう」と鳴き続ける。

 吹雪が収まる。麓の村人達が探しにくると、泣き続ける子供と、わが子に覆いかぶさり死んだ猟師の姿があった。

 その傍らには、助けを求めるように鳴き続ける小鳥とそれに覆いかぶさる親鳥の死骸がある。村人達はその鳥が善知鳥であることを知った。

 村人達は猟師と善知鳥を手厚く葬り、彼等の行いを忘れることは無かった。



Ⅱ.猟師の霊は、自分の形見である簑笠と麻衣の片袖を、残された妻子に渡して欲しいと僧に頼む。僧は外の浜へ急ぐ。


Ⅲ.外の浜の猟師の自宅を訪ね、妻子にことの次第を伝える僧。託された片袖と、妻が持っていた形見の衣はぴたりと合う。


Ⅳ.善知鳥は、鳥の中でもとりわけ、親子の情が深いといわれていた。
   

Ⅴ.猟師は地獄で、善知鳥に追われ、責め苦を味わっていた。


Ⅵ.地獄の中、男はただひたすら、懺悔する。


Ⅶ.僧が形見を供養していると、突然猟師の霊が現れた。


Ⅷ.猟師の霊の前に、驚きながらも涙を流し、それに縋り付こうとする。


Ⅸ.猟師の霊は、地獄で善知鳥に追われ続ける様子を描き出し、そこに佇む全ての者を震撼させた。










 何となく、判りました。
 何故お空なのか。
 あそこにいたのは、僧と女と亡霊か。

 あとはどう、お空と《彼女》を引き剥がすかですが。しょうがない。地獄の住民がどれだけの暗澹を背負っているか、試してみましょうか。
 

「さとり様、どうやら決心がついたようですね」
「そうね、確かに貴方が言っていたことだって、間違ってない。私は本当は、貴方を求めていたのかもしれないわね」
「……いやにあっさりと認めるのですね」
「悪いの?」
「悪くない」
 相好を崩して、《彼女》はわたくしの身体に腕を回します。
「貴方が何を考えているか判らないけれども、もうね、貴方の知っているお空は消えたわ」
 耳元で、静かに囁きます。
「大丈夫、私がいるからね」
「そうね、でも貴方には一つ、試して頂きたいことがあります」
「なぁに?」


















 
 今考えると、あのレンガの窓無き家は確かに、一種の監獄であったのでしょう。監獄と言っても、何らかの理由で、外の世界からやってきた特殊な矯正施設ですが。

 あの、《彼女》が消滅する間際、鋭い叫びを放ったのです。それには他の世界に関する記録でした。
《彼女》はその世界で、人を殺め、罰をうけました。死刑の存在しないその国での最高刑、肉体との離別を宣言されたのです。

 精神は矯正を施されるため、あのレンガ小屋に押し込められたのです。けだし目的は、自分の侵した罪を繰り返させることで、何らかの啓発を惹起させるのでしょう。

 或いは、人口の地獄と言ったところでしょうか。

 その後、お空にいつ、どうやって接触を図ったのか、良くわかりません。

 

 ただ、お空に取り付いたのは、彼女の朗らかさに引かれたのでしょう。多分ですが。復讐とか、憎しみとか無縁の、明朗快活さに。地底の誰もが欲しがる、本当の太陽のような心に引き寄せられたのではないでしょうか。
 

 








 お空の形をしたものは、泣きじゃくり、部屋の隅にうずくまっています。
 わたくしは記憶を、幼少のときの自分の記憶を少しだけ《彼女》に、与えてやりました。

「お前、お前、お前はなんという人生を送ってきたんだ……」
「貴方では、埋めれないわ」
「そんな……」
「埋めてくれるのは、ここにいる動物達よ。そうでなくては無理なのよ……」

 お空から《彼女》の精神が離れて行きます。叫び、涙を流しながら。




 
Ⅸ.猟師の霊は、地獄で善知鳥に追われ続ける様子を描き出し、そこに佇む全ての者を震撼させた。

 成程、《彼女》から見たら、わたくしは宛ら、善知鳥に追われ続ける猟師の霊ですか。忌むべき能力も、生きるために鳥を殺すのも、原罪のようなものですから。
 原罪を認識して尚、わたくしは生き続けなくてはなりませんけれどもね。わたくしにはわたくしの、生き方を見つけました。
 

 どっちにしたって、《彼女》には善知鳥の役割を背負うには、瑣末な人間でした。

 
 昔、恋人に捨てられ、その恋人を手にかけた可愛そうなその《彼女》は、完全に消失しました。今では女であったか、そもそも人間だったのかよく判らないのですが。
 
 お空を布団に寝かせます。今はお燐が看病をまかせ、わたくしは部屋に引き取りました。

 わたくしは暫く、安楽椅子に身を預け、何も考えず、ただ虚空を、何もないはずの空間に、わたくしは視線を泳がせます。


 もし、わたくしが、《彼女》の施しを受け入れていたら、どうなっていたかを考えました。

 まぁどうもなっていない、とわたくしは考えることにしています。

 わたくしには、他の道は用意されておりません。ここで生きるしかないのです。でもそれは、苦痛ではありません。断じて。
 
 気が付くと、時間はすっかり立って、夜の帳が下りていました。濃密な闇が地底の世界を、嘗めていました。
 



 数日後。
 お空の体調が回復し、病臥から、ばね仕掛けみたいに飛び出して、火炎地獄の作業に戻りました。またいつもの地霊殿が戻ってきたようでした。
 扉をノックする音とともに、お空が入ってきます。
「こんちはーっ。さとり様」
「はい、こんにちは」
 わたくしは書物から目を離して、取り敢えずお空を席に座らせました。
「体具合は平気?」
「はい、ばっちりです」
「よかったわ」
 無論、先日の扇情的な様子は、全く見えませんでした。少しどきどきしながらも、わたくしは安寧したのです。

「本当に良かった」
「はぁ」

 地底は今日も、活気に満ちておりますが、それはやはりある暗さを孕んだものでした。

「そういえば、さとり様。相談があるのですよ」
「何?」
「最近、また記憶力が弱くなりましてねぇ」
 恥ずかしそうに笑って、お空が頭をかきました。
「あらら」
「どうすればいいでしょう?」
「そうねぇ」

 施しは今のところ、多分いりません。

「ちょっと覗かせてごらんなさい」
 わたくしは、お空の胸にそっと耳を預けます。
 わたくしは、今のところ救済なんていらないのです。

 何故だと思いますか。

 それより、自分のペットの助けになったり、支えになれる今の関係が、本当に楽しいからです。
 それが、わたくしの生き方だし、余り邪魔されたくないわたくしの世界です。
 
「取り敢えず、お燐との約束を忘れちゃいけませんね」

 私のプレゼントを買いに行くのでしょう、とは無論言わないでおきましたがね。

 














 

 暫くして、お空とお燐がプレゼントを持ってきたのは、お昼を過ぎたあたりでした。
 
 包装された腕時計と一緒に、花の種も包みに入っておりました。



 地霊殿当主殿へ
 この度は、件のレンガ小屋に調査していただき誠に有難うございます。
 これはささやかながら、お礼でございます。お受け取り下さい。
 
 里の花屋より






 わたくしも、こんなことで感激するようでは、まだまだかもしれません。
                    

               

 
 
 
 

 
①感想お待ちしております。また原作を無視していると怒られるかもしれませんが。でもこれを書きたかったから、まぁいいか。

②棟方志功
青森県を代表する版画家。
本作に登場する版画は氏の最高作(個人的に)《勝鬘譜 善知鳥版画曼荼羅》である。
この版画は、世阿弥の能楽『善知鳥』をテーマに、志功が彫り上げた畢生の作。機会があったら是非鑑賞していただきたいと思います。

また本作に登場する謡曲『善知鳥』は、一部筆者の解釈による描写をしました。だから間違っているかもしれません。


③神保町は楽しい。東京に行くたびに、寄ってしまう場所です。本がスキー。




 それでは失礼します。
佐藤厚志
簡易評価

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コメント



0.940簡易評価
4.100名前が無い程度の能力削除
すばらしい。
いや、すばらしい。
6.100名前が無い程度の能力削除
地底においては太陽のようなお空は
地霊殿に不可欠な存在なのでしょう、それと
色んな過去があっても変わらぬ、さとりの本質の優しさが描かれていると思いました
優しい二人ですね
9.100名前が無い程度の能力削除
これは良いさとり様ですですね

誤字
けだし目的は、自分の→ただし目的は、自分の
13.80名前が無い程度の能力削除
お空がいちいち可愛い
さとりって探偵役が似合いますよね


けだし→「多分、おそらく、大方」
14.100名前が無い程度の能力削除
闇の奥をなぜ引用したのかは分かりませんでしたが、
作品は面白かったです。
19.無評価名前が無い程度の能力削除
悟り→覚りでは?
20.80三文字削除
お空に迫られたら俺の煩悩メルトダウン!
・・・うん、ごめんなさい。
さとり様の優しさとお空の愛らしさがとてもよかったです。
21.無評価さとうあつし削除
レスです。読んで下さってありがとう!

4さんへ
貴方こそ素晴らしい。僕の小説に100点を付けてくださったから。

6さんへ
今回は、前と違って、さとりについて、というより一つの生き方を僕は書きたかったのかもしれません。太陽のような存在は、誰にだって必要なんでしょう。

9さんへ
けだし、というのは多分みたいな意味なんですって。100点有難うございます。

13さんへ
そうですね。さとりは探偵で、お空はどこか無垢な感じ、で書きました。次はどんなさとりを書こうか、迷っております。空想は楽しい。

14さんへ
闇の奥は僕の大好きな本でして。ある人物が死ぬ間際この台詞を叫ぶのですが、これがこの小説の《彼女》と何となくと重なったので、使いました。

19さんへ
誤字指摘ありがとうございます。
でも確かめてみたところ、地霊殿の登場人物の紹介文には「さとり」と平仮名であったので、そちらを表記しました。

三文字さんへ
もう、フュージョンしちゃいましょう!
24.50名前が無い程度の能力削除
なにこれ?ネタ元しらないとわからない仕様?
そのつもりがないならもう一度見直した方がいいかも。わかりづらすぎる。
29.90名前が無い程度の能力削除
なんかえろい。だがそれがいい!
31.100名前が無い程度の能力削除
元となった版画を知らんが、この話が格好良いことはわかる。
33.100名前が無い程度の能力削除
勝手に読んで、勝手に暖かくなりました。
35.80名前が無い程度の能力削除
空からっぽじゃないですか! やだー!
おくうの本質が宇宙のようながらんどうの方にあるのか太陽のような超重力の方にあるのかでいったらたぶんその両方で、よって仮におくうの人格が破壊されたとしてもおそらく関係性の中で似た位相を作り上げる気がする。太陽系をぐるぐる回る彗星みたいに、引力を釣り合わせないと人は生きてないのだし、意志もまた地球の周りをぐるぐる回る衛星と同じように位置を保つから存続するのだし。ましておくうを必要とするさとりがいたわけだし。
それだけ揃えば、案外地獄も生きていけるんでしょうね。うーん。でも、版画のことはよく解りませんね