Coolier - 新生・東方創想話

虹色有頂天

2009/02/27 22:38:29
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 天人にならなかったら、怪盗になっていたかもしれない。黒い魔法使いよりも狡猾な。天界の蔵に忍び込みつつ、そんなことを思った。
 四方を壁に囲まれた、暗い封印庫の中。天球儀や巻物を脇に寄せて、大つづらを三つ跳び越えて、目的の品に手を伸ばした。
 黒塗りの鞘に守られた、一振りの宝剣。僅かに鞘をずらすと、夕陽色の刀身が覗いた。炎のような激しい光が漏れて、深夜の蔵を照らした。天界の道具、緋想の剣だ。
 先の地震異変の後、私は父と名居様にきつく叱られた。人間の模範たる天人が騒ぎを起こすとは何事か、力では人の心は掴めないぞ、慢心は損にしかならない、云々云々。全て、神妙な面持ちで聞き流した。私は異変を起こして満足している。痛い目も見たけれど、最終的に幻想郷の面子には受け入れられた。ずっと欲しかった悪友が手に入った。これからも好きにやるつもりだ。やりたいようにやらなければ、つまらない。

「あんたもそう思わない?」

 異変の相棒となった剣に、語りかけた。私は時折蔵に侵入しては、こうして緋想の剣を抜いている。外に持ち出して振ることもある。人の気質を見て遊ぶのだ。最終的に蔵に戻しておけば、問題はない。
 刀の光を受けてにやついていたら、

「いけないんだ」

 いきなり背後で声がした。実りたての桃のような、薄甘い声だ。

「どっちが」

 振り返ると、予想通りの人物がいた。
 天女達より小さな背丈と、大きな幼い瞳。どこか虚ろに瞬いている。柔らかそうな銀髪に、菜の花色のリボンをつけた黒帽子。リボンと同色の上着。その左胸で揺れる、闇色の閉じた眼球。そこから伸びた導線が、両足に絡み付いている。
 古明地こいし。最近できた、地上の友人だ。いや、地下の友達と言ったほうが正確か。
 彼女は座っていた竹のつづらから下りるなり、私を指差して言った。

「道具泥棒」

 私も剣を向けて言い返す。

「天界不法侵入」

 睨み合って、緊張の一瞬を演出して、子供みたいに笑った。どちらからともなく。



 初めて彼女と会ったのは、二月ほど前だったか。今夜と同じように、緋想の剣に会いに行ったときだった。耳元で突然「悪い子」と囁かれて、悲鳴を上げた。忌々しい境界の妖怪の再来かと驚いた。びくつく胸を押さえて相手を見れば、可憐な顔立ちの童女。何者か、どうして来たのか、どうやって気配を絶っていたのか。次々と疑問が生まれた。酒を呑ませて問い詰めた。
 こいしは、心を読める妖怪『さとり』なのだという。読めてもつまらないので、覚りの瞳を閉ざしたそうだ。その結果、誰にも気付かれずに動けるようになったのだとか。住まいは地下深くの洋館で、姉とペットと暮らしているらしい。
 あれこれ訊いた後に、「友達になって」と手を握られた。「貴方は馬鹿っぽくて面白そうだから」と。膝に蹴りを入れてから頷いてやった。悪友は何人いてもいい。それに、彼女の在り方には何故か惹き付けられた。彼女は目を閉ざした、不完全な『さとり』。私は修行せずに天に至った、不完全な天人。霞んだ鏡を見ているような気がした。



 酒瓶を数本抱えて、天界の外れに繰り出した。黄色い小菊、なずな、柴桜、撫子、蒲公英、有頂天には四季の花が揃っている。今夜の宴席には、春らしく立坪菫の密集地を選んだ。仄かな紫の花弁が五枚、淑やかに散らばっている。「お姉ちゃんの髪の色みたい」と呟いて、こいしは小さく正座した。私は隣に腰を下ろし、だらしなく足を伸ばした。ハート型の葉を幾つも下敷きにした。
 宴会の明かりは、月と数多の星座。月は新月から目覚めたばかりで、細い曲線にしか見えなかった。星々は今が出番とばかりに、威張って輝いていた。いつものことだ。
 地底暮らしのこいしには、本物の空が珍しいのだろう。両腕を伸ばして、星空を掻き回していた。温い夜風も回る。夢見るような、無邪気な笑い声が響く。

「手に掴めそうね」
「あんたも馬鹿っぽいわ」
「合わせてあげてるんだよ」
「言うわね」

 瓶に直接口をつけて、中身を呷った。甘い。桃を蜂蜜で煮詰めたように、甘ったるい。一片だけ、鉄錆のような苦味がある。舌、内頬、触れた先から酔っていく。熱い。熟れきった果実のような、濃密な香りが広がった。何百年物か。
 横目で見ると、こいしは水のように軽々と古酒を飲み干していた。表情は変わっていない。声だけが、若干浮かれて高くなっていた。
 私の左腕に寄りかかって、こいしは「ねえ」と呼びかけた。

「天子、あれやって」
「また?」
「だって綺麗だもの」

 緩く波打つ銀髪を擦り付けて、ねだってくる。こいつの姉さんは絶対に苦労しているだろう。甘え上手め。
 私は瓶をこいしに預けると、緋想の剣を左手に握って立ち上がった。横に構えて鞘を引く。菫の絨緞が橙の光に染まった。
 輝く刀身に右手を添え、想いを載せていく。感情は何でもいい。神社を地震でぶち壊す爽快感でも、天界生活の味気なさでも、どんなものでも。心の形、気質さえ伴っていれば、剣は色を変えていく。暮れ行く夕陽色から、始まりの緋色へと。
 十分に緋の光を溜めてから、剣を振り上げた。星の煌めく天空目掛けて。鮮やかな光球がひとつ放たれ、空の幕に吸い込まれた。
 大気の唸り声が聴こえる。
 夜空に波紋が生じた。湖に小石を投げ込んだときのように。
 揺らぎの中から、次第に色彩の光が顔を出した。赤、橙、黄、緑、青、菫、紫。虹の七色と、その中間の微細な色。山吹色や、紫陽花色、足元の立坪菫の色も。彩りの光が帯となって、星の世界に伸びていく。常識知らずな私の気質、極光だ。天女の羽衣のようだと、こいしは褒めてくれた。まともに見たことなどない癖に。

「私からはまだ出ない?」

 虹のカーテンを眺めながら、こいしが訊いた。蜜柑色に戻った剣の、切っ先を顔に向けてやった。

「駄目ね」

 念じさせても祈らせても、刀身に変化がない。
 彼女は自分の天気を知りたいらしく、私に会う度に緋想の剣を求める。興味から私も応じてやっている。けれども、何度試しても剣は目覚めない。彼女の第三の瞳のように、色変わりを拒んでいる。
 剣の応えない理由は、わかっている。

「ずるいなぁ、皆は出るんでしょ」

 こいしからは、気質が流れてこないのだ。喜怒哀楽はあるけれど、中身は空っぽ。心の底から溢れ出るものがない。感情の水源に、幾重にも封がされている。きっと、覚りの瞳を閉ざしてしまったからだ。彼女を彼女たらしめているものが、途切れてしまった。自業自得だ。

「あんたも目を開けば出るようになるわ」
「んー」
「難しいの? 閉じたものをまた開くって」

 つばの広い帽子と俯き顔のせいで、どんな顔をしているのかわからなかった。こいしはちんまりとした両手を、眠れる眼球に被せた。

「このへんがぎゅーって止まる」
「死神のお迎え的に?」
「身体は少しも痛くないよ」

 膝を抱えて、こいしは一層小さくなった。彼女は主張が足りない。掴めない。自己の薄さゆえか。死神のように雄弁になれとは言わないけれど、大事なことは話してほしい。もどかしい沈黙は嫌いだ。抜き身の剣で肩を二度叩いて、続きを促した。
 彼女は顔を上げた。嘘がばれた子供のような、ぎこちない笑顔を見せた。

「考えてること、視られたら嫌でしょ?」

 眼の奥で、虹が震えていた。

(ああ)

 そういうことか。
 読めてもつまらないから、瞳を閉ざしたと彼女は言っていた。でも本音は違って。

(目を開いたら、また読めるようになる)

 内側を見透かされて嬉しい奴なんて、そうそういない。欲を捨てたとのたまう天人だって、『さとり』を前にして平気でいられるかどうか。邪心や秘密を読まれたくない人々は、彼女を疎むだろう。彼女自身の振る舞いに関係なく。だからこいしは覚りの瞳を閉ざしたのだ。
 彼女に惹き付けられた訳が、わかった。

(こいしは、私だ)

 似ているのは、不完全な立場だけではない。
 親の上司の功績が認められて、天界に迎えられて。待っていたのは天人達の冷ややかな視線。歌舞音曲をこなしても、なっていない、これだから七光りはと囁かれた。私の振る舞いに関係なく、見下された。私の意思で天人になったのではないのに。苛立ちと自己否定と退屈で、幾度境遇を怨んだことか。地上人に戻れないかと思って、事件や暴力沙汰も起こした。家出もした。

(でも、私は天人のまま)

 『さとり』が目を閉ざすように、容易くは変われない。
 悩んで、剣や花を振り回して、数百年過ごした。

「天子も、嫌でしょ? 読まれたら」
「嫌ね」
「やっぱり」

 残念そうにうな垂れるこいしの膝に、寝転んで頭を載せた。緋想の剣を傍らに置いて、両の手足を伸ばした。花弁や葉が肌をくすぐる。いじけた顔に触れて、頬を抓ってやった。

「えぐ」
「心を読まれるのは嫌。でもね、背後からいきなり声かけられるのも嫌」
「それじゃ全部駄目じゃない。どうすればいいの」

 時代の詰まったお酒を啜って、歌うように教えた。

「何やったって嫌う奴は嫌うのよ。堂々としてればいいじゃない」

 荒れた日々を経て、私の至った結論だ。中傷に怒るのも、非難に畏縮するのも馬鹿馬鹿しい。心が擦り切れる。踏みつけられて止まっては、何も残せない。開き直る方が賢明だ。
 目を丸くするこいしの後ろで、星彩と色彩が交わっている。カラーシロップを滅茶苦茶に溶かした、炭酸水のよう。緋想の剣は好きだ。誰にどう言われようと怯まない、根の部分を映してくれる。『さとり』が心を読むように、私の剣は心を描き出す。

「わがままね、天子は」

 頬にある私の手を握って、こいしが笑った。小鳥の羽根のように柔らかく、温かだった。

「何年不良天人やってると思ってるの。あんたとは格が違うのよ」



 発現させた極光が、夜闇に呑まれていく。

「そろそろ帰らなくちゃ。お姉ちゃんにまた怒られちゃう」
「もう門限破ってない?」

 私が頭を退けると、こいしは浮き上がった。薔薇模様のスカートに、ハート型の葉がへばりついている。取り払う様子はない。裾を摘んで、面白がっている。私の帽子の桃に手を出して、

「持って帰っていい? お土産にするの」
「味は保証しないわよ」

 一つもいでいった。
 肴も音楽もない宴だ。片付けるものは空の瓶と剣のみ。酒瓶を二人で分けて持って、比那名居邸の裏手まで運んだ。屋敷の中から、古歌を吟ずるしわがれた声が聞こえる。ここに帰ると思うと、気が重い。
 一回目の宴会の後、こいしは地霊殿に来ないかと誘ってくれた。行けないと断った。天人の在るべき場所は、清浄な天界。地上に長居すると、身体に苦痛が生じる。数百回の家出経験で、嫌というほど思い知っている。地上でさえ辛いのだ、地底に行ったらどうなることか。
 私はいつだって見送る側だ。堂々と、元気よく。気軽に来てもらえるように。湿っぽい空気は作らない。
 妖怪の山の方面まで案内した。山は天狗と河童の縄張りだけれど、こいしなら微風のように下りていけるだろう。心配はない。

「じゃあね、不良『さとり』」
「最近はいい子だもん」

 鞘に収めた緋想の剣を握って、手を振った。彼女の姿が見えなくなるまで。
 後は、剣を蔵に封じて、吟詠会の最中の家に帰って、眠る。
 次の異変の夢を見て、また明日。
 気侭に、賑やかに、迷惑に、鈍感に。
 もっと呑んでおけばよかった。酒宴の終わった天界は、広過ぎる。感覚と感情が狂うまで、酔えばよかった。

(馬鹿馬鹿しい)

 回れ右。無限の花畑を踏みつけて、歩き出した。さっさと剣を返しに行こう。鈴蘭の茎が曲がっても、花が潰れても、どうでもいい。どうせ幾らでも生えてくる。
 唇を噛んだ。
 途端、首筋に人の腕が回った。締め付けはしない。重荷にならない程度に、優しく抱き締めてくる。
 背中に布越しの体温が伝わってきた。よく知らない行為に戸惑っていたら、

「淋しいときはこうするといいって、お姉ちゃんが言ってた」

 甘い声が咲いて、遠ざかった。
 一時、呼吸を忘れた。
 「淋しい」。胸中で蠢く感情を言い当てられて、吃驚した。第三の瞳が、うっすら瞼を上げたのだろうか。
 空虚さごと包み込まれて、悔しいけれど泣きたくなった。格好悪いことはしたくないのに。やりたいようにやるのは、難しい。
 緋想の剣を抜いて、星の空に振り下ろした。脆さを払うように。

(あれ)

 縦に下ろした瞬間、ごく淡い光の球が出た。刀身は杏色のままだ。気質を込めた覚えはない。それなのに、浅い緋色の小球が撃ち出されて、夜空に潜った。
 春風が一鳴きして、真新しい月が揺らめいた。
 雲海の下から、光が走った。目を凝らさないと見つけられないほど、存在感のない朧な光だ。色は白だと思う。光線は空高く飛んで弧を描き、月と交差した。

(単色の、虹?)

 生まれて初めて見る天気だ。天気とは呼べないかもしれない。余りにも地味で、無垢。草木にも人にも影響を与えない。間違いない、これは彼女の気質だ。

「こいし」

 おどけた返事はなかった。山を下り始めているのだろう。気付いただろうか。雑木林の隙間から、見えやしないか。
 彼女の瞳が、心が、開きかけている証拠だ。今は星に負けているけれど、いつか。堂々と、開き直ることができたなら。
 剣の柄を握る両手が、彼女に抱かれていた身体が、期待で熱くなった。自分のことのように嬉しい。彼女は、もう一人の私だから。
 想いを描く剣を、胸に抱いた。


 地底と天界を繋ぐ虹を、私はいつまでも見守っていた。
 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
 無意識の存在に、緋想の剣はどう作用するのか。こいしに気質があるとしたら、どのようなものなのか。想像して、天子とこいしの会話を綴ってみました。
 一度、本物の極光と月虹を見てみたいです。
深山咲
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コメント



0.4300簡易評価
4.100喉飴削除
実に無駄の無い描写で、素直に美しいと感じました。
特に色の描写部分が個人的に大好きです。
内容も面白いですし、とても良い短編でした。
11.100名前が無い程度の能力削除
これは新しい組み合わせですね、非常に面白かったです。
15.100名前が無い程度の能力削除
一方で対照的な立場の二人が一方では同じ立場を共有している。
なんだか面白くも切ないしんみりとしたお話だと感じました。
というか意外とこの二人の組み合わせは良いね。
19.90三文字削除
こいしが可愛い!テンコも可愛い!
相変わらず綺麗な文章でした。
二人の気質の天気が美しい・・・
20.90名前が無い程度の能力削除
こいしと天子が可愛い。
境遇は決して安穏とはいえないけれど、支え合って歩んで行く二人の未来が見えるよう。
短編の完成度としては、個人的にとても満足です。ありがとうございました。
25.100名前が無い程度の能力削除
おー、これはいい。
本編からは予想も付かない新たな関係と反応を作り出すことこそ、二次創作の醍醐味。
29.100名前が無い程度の能力削除
ああ綺麗だなこれ。
36.100名前が無い程度の能力削除
すごい。原作では何の関連も無い二人をここまで。
話を彩る描写も一つ一つがとてもキレイで、しかも無駄なく話の筋を写し出して。
すばらしいです。これほどのお話を読めたことに感謝したいくらい。
37.100名前が無い程度の能力削除
いい感じの流れで、ほのぼのとはちょっと違った
暖かいお話で読んでて楽しかったです。
39.100名前が無い程度の能力削除
組み合わせに疑問を覚え
ほのぼの感に安堵し
最後の虹を見てみたいと思った。
How wonderful!
40.100名前が無い程度の能力削除
これはよかお話たい
41.100名前が無い程度の能力削除
>>「えぐ」
ノックアウト。

地底と天上、いつか見たかった組み合わせでした。
純朴な気質として月虹を持ってくるとはね。普通思いつきませんよ。
文章がすっきりしてしかも温かい、いいものです。
43.100名前が無い程度の能力削除
美しい。実に美しい……
44.100名前が無い程度の能力削除
すごいなぁ……ここまで詰め込まれてかつ綺麗にまとまっている素晴らしさ。
45.100名前が無い程度の能力削除
余計な部分が無い、美しい物でした。
50.無評価深山咲削除
あたたかいご感想、ありがとうございます。嬉しくて、何度も読み返しました。
天界の天子と、地底のこいし。本編では接点のない二人ですが、ゲームそのものや設定、絵に触れて、何か話を書きたいと思うようになりました。
白い月虹は、すっと心に浮かびました。『緋想天』の天気雨時の虹と被るかな、と少し躊躇いましたが、直感を通すことにしました。イメージと違っていたら、ごめんなさい。
色遊びをするように、楽しんで形にしました。一片でも皆様の心に残るものがあれば、幸いです。
63.100名前が無い程度の能力削除
また読みたい組み合わせです
気が向いたら是非もう一度書いてください
67.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです
83.100名前が無い程度の能力削除
うーむ、これはよい
87.90名前が無い程度の能力削除
天子ちゃん好きになった
100.100名前が無い程度の能力削除
この二人の組み合わせもありだな
101.100名前が無い程度の能力削除
お見事です。