射命丸文にとって、空とは即ち庭である。
人が大地を歩くように、天狗は空を飛ぶ。ゆえに天狗にとっての大地とは人にとっての空であり、人にとっての大地とは天狗にとっても大地である。
幼き頃より、文は空という大地を駆け回ってきた。雨や雪が降りでもしない限り、毎日のように空と接してきたのだ。
今や、文より速い天狗はいない。そして、幻想郷中を見渡しても自分より速い奴などいないと豪語できる。
最速とは文の為に生まれてきた言葉であり、その名を冠する以上は誰にだって速さで負けるわけにはいかない。
なのに。
文は後ろを振り返る。鬼をも取って喰らいそうな形相で、文に迫る早苗の姿があった。
何ということだろう。よもや、たかが巫女に恐怖を覚えてるだなんて。
鬼すら震えあがらせる形相に怯えているわけではない。天狗を脅かすような速さ。文が恐怖を覚えているとしたら、ただその一点だ。
先程までは仲良く談笑していたというのに、僅か数分で速さ比べをする羽目になろうとは。
どうして、早苗がそんな勝負を挑んできたのかはわからない。
そもそも、勝負をしようと言ってきたわけでもないのだ。いきなり、恐ろしい形相でこちらへ向かって飛んできた。
あるいは、何か文句があるのかもしれない。早苗はかなり錯乱してたし、そうなるだけの質問もぶつけた。別れた時は落ち着いていたようだけど、思いだし笑いがあるように、思いだし怒りで文を追いかけているのではないか。
ならば飛ぶことをやめて、素直に止まれば全ては解決だ。きっと、早苗もそれを望んでいる。
だが、文の矜持がそれを拒んだ。
早苗の速さは尋常ではないのだ。このまま勝負を続ければ、あるいは負けるかもしれない。
いいのか、文。勝負をやめて。
自身の内より湧いてきた疑問に、挑戦的な笑みで答える。
やめてたまるか、幻想郷最速の座は誰にも渡さない。
黒い魔法使いだろうと、鬼だろうと。速さというステージにおいて文に敗北は許されないのだ。
背後からの気配に息を飲みつつも、前だけを向いて加速する。
勝負はまだ、始まったばかりだ。
守矢神社における最大の問題点とは、参拝客が来ないことだ。神社としてはかなり致命的な部類の問題であり、ともすれば神様達の存在すら危ぶまれる。もっとも、妖怪の信者はそれなりに数を増していた。神様の飲み友達を、信者と称するならばの話だが。
おかげで、外の世界にいた頃よりかは信仰も増えた。神奈子も満足そうだったし、早苗としても申し分はない。
とはいえ、やはり参拝客は欲しい。掃除をする毎日というのも楽ではあるのだが、どこか寂しさを覚えるのだ。
だから、早苗は文からの取材を二つ返事で了承した。これが里からの参拝客を増やす呼び水になればとの思いからであったが、よくよく考えれば文々。新聞を愛読しているのは一部の妖怪共である。大概の人間は気味悪がって捨てるか、薪の代わりに燃やしている。そんな新聞に載ったからといって、参拝客が増えるはずもなかった。
しかし一度引き受けた以上は、無碍に断るわけにもいかない。仕方なく早苗は取材を受ける羽目になり、己の判断力の甘さを呪うこととなった。
「どうもどうも。それじゃあ、早速お話を伺ってもいいですかね?」
「ええ、構いません。なるべく美人に書いてくださいね」
「はいはい、守矢神社の風祝は目も当てられないような顔でしたと。それで、ですね」
冗談の通じない天狗である。いや、通じているのに敢えて惚けているのか。尚更、タチが悪い。
ただでさえ立地が絶望的な守矢神社。そこの巫女さんが醜女という噂が広まろうものなら、最早ここへ訪れる人間など一人もいないだろう。信心深いお年寄りならば顔の善し悪しも気にしないやもしれないが、老体に妖怪の山はきつい。
顔の件は訂正させておいた。
「では気を取り直して訊きたいのですが、早苗さんはサラシ派ですか? それともブラジャー派ですか?」
「……は?」
「ああ、もしも何もつけていないというのなら黙って両手を挙げてください」
それだと見える。挙げる気は無いけれど。
「ちょっと待ってください。一体、何の質問をしてるんですか」
「何のと言われましても、訊いた通りの意味ですが」
至極真面目な顔で言われる。逆に早苗がおかしいと言わんばかりの態度だ。
しかし騙されたりはしない。
「そんな質問をして何の意味があるんです。それよりももっと、人々が知りたいような謎を問いかけてきてくださいよ」
「そう言われましても、里の男性を対象にアンケートを実施したところ、この質問がダントツの一位でしたので。それで私も仕方なくやってるんです」
何を考えているのだろうか、里の男共は。そして、どう見ても文の顔は嫌々やっているようには見えない。前から訊こうと思っていたけれどタイミングが掴めず、思わぬ所で好機がやってきたという顔だ。
「それで、どうなんですか。サラシですか? ブラジャーですか? それとも生まれたままの自然主義ですか!」
少なくとも最後のは違う。
「うぅ……」
ただの取材だと聞いていたのに、まさかこんな恥辱プレイを受ける羽目になろうとは。こんな時こそ神頼みと行きたいところだが、生憎と神様は不在。もっとも、仮にいたとしても笑顔で文の側につくだろう。むしろ、いない方が助かった。
なれば、残されたのは己が力で切り抜けるのみ。円のドルフィンが脳内を駆けめぐり、一介の風祝だった早苗に天恵とも言うべき道を指し示す。
『どう思いますか、さなAさん』
『どうもなりませんね、さなBさん』
『誤魔化してはどうでしょうか』
『それを見抜けぬ天狗じゃないでしょう』
『じゃあいっそ素直に告白しては?』
『ああ、それがいい。ということで、私。サラシ派ですか? ブラジャー派ですか? それとも生まれたばかりのバンビちゃんですか?』
……あれ、脳が裏切った。
まさかのトロイの木馬である。真の敵は本能寺でなく、自らの脳内に巣くっていたらしい。
外堀を埋められ、内部を攻略され。最早、どこにも逃げ道は無かった。
歯を噛みしめ、目を閉じる。
そう、何を恥ずかしがる必要があったのか。たかだか下着の趣味だ。別に此処で下着を手渡すわけではない。ただ、言うだけだ。それなのに、何を躊躇う必要がある。
確かに大っぴらに言うことではない。こんな事を里の通りで叫んでいたら、すぐさま慧音がやってきて御用だ。勝負するわけでもないのにカツ丼を出され、辛いことがあったら言ってくれと妙になま暖かい目で見られるに違いない。
だが、これは取材の一環。しかも多くの人間が望んだ質問。これに答えたからといって、早苗に何か不利益があるわけではない。いやむしろ、これで参拝客が増えるかもしれない。ご老体には厳しい道程だが、童貞なら越えられる道程だ。何を考えてるんだろう。早苗はちょっとだけ我に返って、逃げたくなった。
相手が幻想郷最速を誇る文でなかったなら、きっと逃げ出していただろう。まったく、どうして取材に来たのが文なのか。恨めしくもあるが、そもそも文でなければ取材に来ない。そう、取材を引き受けた時点で早苗の敗北は既に決まっていたのだ。
そうして早苗は一人で納得して、一人で敗北して、一人で涙した。
「分かりました……お答えします」
「いやあの、さすがに泣かれると私も困るんですが。まぁ、答えてくださるのなら構いませんけど」
ふふふ、と乾いた笑いで澱んだ感情をはき出す。文が気味悪そうに離れていくが、もう逃げる気にはなれなかった。
「それで、早苗さん。あなたはどちら派なんですか?」
虚ろな瞳で早苗は答えた。
「サラシ派です。当然ですよね、だって幻想郷にはブラジャーがあまりありませんもの。サイズだって限定されてますし、デザインなんて選ぶ方が野暮とばかりにバリエーションが無いんですから。そんな環境に置かれていたら、誰だってサラシ派になりますよね。まぁ、向こうにいた頃から包帯をサラシみたいに巻いていたこともありましたけど。こっちに来てからちゃんとしたサラシを頂き、それで着ける頻度が増えたというか、殆どサラシになりました。いいですか、もう私喋らなくていいですか。ていうか、死んでいいですか。わかりました、死にます」
言うや否や、早苗は服の上から器用にサラシを外して、己の首に巻き付けた。
「ちょっ! 落ち着いてください早苗さん!」
慌てて文が止めに入るも、早苗の錯乱は治まるところを知らない。
「良いんです! 私のようなサラシ少女は、あの世で閻魔様にサラシを巻いて、判決よりも胸を出せと暴れてるのがお似合いなんです!」
意味不明な事を言いながら、暴れる早苗。
離せ殺せの押し問答を続けていくうちに、ようやく早苗の感情も静まり始めていた。それはそれで、今度は後悔という感情が顔をのぞかせてくるのだが、真正面から顔を合わせるとまた混乱しそうだったので、ストーカーのように影からこっそりと覗いておく程度に止める。
よほど自由に暴れていたのか、文の顔にも疲れの色があった。天狗を疲れさせるほどの力があることは誇っていいのかもしれないが、振るった動機があまりにも馬鹿らしすぎる。これを語る機会があったとしたら、せいぜい三途の川で死神に話すぐらいだ。現世で話したらまたパニックになる。
早苗も文も深呼吸を繰り返し、ようやく落ち着いた頃には代わりにやる気がなくなっていた。
他にも色々と訊きたいことはあったのだろう。しかし文は肩を落としながら、メモ帳のような本を閉じる。
「また混乱されても困りますので、今日のところはこれで引き上げてさせて貰います」
今日は、と言ったか。
どうやら、また来るつもりらしい。疲れていても、そこは文。抜け目がない。
反論する体力も精神力も無い早苗は、わかりました、とおざなりに返した。
「あの、出来ればさっきの見苦しい場面は……」
「大丈夫です。写真も撮れてなかったことですし、記事にはしませんよ」
撮れたらするのか。おそろしい天狗だ。
今度はカメラのチェックも怠ってはいけないなと心に刻みつつ、飛び立つ文を見送る早苗。さすがは最速。疲れた顔をしていても、その速度も尋常ではない。
見事なまでの飛びっぷりを見ていると、こちらの胸も心地よい感触に包まれる。そう、まるで直接地肌と服が擦れ合うような。
……ような?
早苗は己の胸を見下ろした。襟元から、ちょっとばかり中を確かめる。
無かった。
胸ではない。サラシが無かった。
妖しい狐がイリュージョンしたわけでもあるまいし、着けていたサラシが無くなるはずもない。いや、サラシは元から着けていなかった。先程の混乱で、自分から外していたではないか。
とすれば、どこかに落ちているのか。あの混乱だ。どこにあっても不思議ではない。
どこにあっても不思議では。
早苗はふと、空を見上げた。飛び立っていく文の襟元に、何故かサラシが巻き付いていた。
マフラーかよ。幻想郷一のツッコミ上手と誉れ高い秋穣子ならば、そのようにストレートなツッコミを入れただろう。
だが早苗にツッコミの技術はなく、尚かつそれどころではなかった。大地を踏みしめ、大砲のように勢いよく飛び立つ。
彼女の瞳に映るのは、文が巻いたサラシのみ。
それが故意か、はたまた奇跡的な偶然か。そんな事はどちらでも良かった。とにもかくにも、あれを取り戻さないことには、早苗が両手を挙げられる日が来ない。
それでは、意見があったときに何のアクションもとれないではないか。神様達が意見し合っているのを、ただただ見つめるだけの食卓。そんな寂しい光景、早苗には我慢できなかった。
「待ちなさーい!」
早苗の辞書に、替えのサラシと、今日のところは見逃してやるという台詞は載っていなかったのだ。
自惚れていたわけではない。油断はしていたかもしれない。
だが、今となっては自信を持って言える。
これが射命丸文の全力なのだと。
何人も追いつく事を許さず、永遠に引き離されるだけの距離。三途の川の死神でも無ければ、この距離を縮めることは叶わない。
一部の人外には危うく負けそうになった事もあるけれど、それでも勝利を収めてきた。
だからもう、自分に敵うような奴はいない。
そう思っていたのだ。
今日という日まで。
「くっ……!」
どれだけ力を籠めようとも、どれだけ前を向こうとも、後ろからの圧迫感はどんどんと増していく。
まさか抜かれる事を恐れる日が来ようとは。
軽い自嘲の笑みが零れるものの、すぐさま真剣な顔に取って代わった。
一瞬の油断が命取りとなる現状で、暢気に笑みを浮かべている暇などない。
速さを武器にする天狗が、たかだか風祝如きに負けるわけにはいかないのだ。
文が背負っているのは、己の矜持だけではなかった。ひいては天狗達全員の矜持であり、種族としての誇りがあった。
吸血鬼が敗北を良しとしないように、天狗が速さ比べで負けてはいけない。
決意を新たに胸へ刻みこみ、文は己の限界を突破した。
平素の早苗なら、まず文が全力を出した時点で諦めていた。当然だ。どこの世界に天狗より速い人間がいようか。例え博麗の巫女だって、速度という点においては圧倒的に天狗に劣る。
神奈子や諏訪子だって、神力を注ぎ込んでも追いつくことは不可能だろう。
ならば諦めた方が良い。限界を突破しても勝てないのならば、最初から勝負を捨てることも戦略の一つである。そんなことを言って、間違いなく神社へと戻った。
そう、平素の早苗ならば。
人参をぶら下げられた馬が速度をあげるように、尻を叩かれた馬が速度をあげるように、人も何か大事なものを賭けられた時に諦めるという選択肢が消える。そして頭の中に残るのは、それを取り戻すという思いだけ。
いわゆる火事場のくそ力というやつか。極限まで力を引き出せば、人間が天狗に匹敵することも不可能ではない。ましてや早苗は奇跡を操る風祝。具体的に説明できない物理現象が奇跡的に発揮され、どういう原理かは誰にも理解できないけど速度を増すことだってある。
全力の天狗をも脅かす速度で迫る早苗だったが、しかしここで種族の差が出てきた。
限界を突破した文が、距離を離しにかかってきたのだ。
「………………」
無言で距離を縮めにかかるが、健闘空しく文の姿が少しずつ小さくなっていく。
ここまでか。微かに、そんな思いが頭をよぎった。
そもそも、サラシはまた作ればいいだけのこと。こんな無理をしてまで、取り返さなくてはならないものだったろうか。
一度諦めの念が湧き出すと、まるでそれに釣られるように心を支配していく。早苗の速度は徐々に落ち、文との距離も離れる一方だ。
「そうですね……サラシはまた作ればいい……」
寂しげに呟いて、早苗はゆっくりと止まろうとした。
その時だった。空に謎の人影が浮かび上がったのは。
『いいのかい、諦めて?』
懐かしい声がする。はっと早苗は声のする方を見た。
空に笑顔は死亡フラグでしかないが、そんな事は知ったことじゃないねとばかりに、二人の影が浮かび上がる。
早苗の目尻に涙が滲む。
若干の鼻声になりながらも、最も親しい二人の名前を呼んだ。
「八坂様! 諏訪子様!」
『あー、ごめんなさい。秋静葉です』
『妹の秋穣子です』
神違いだった。
早苗は別の意味で泣いた。
「なんでお二方がそんな演出で登場されるんですか!」
『いえね、逆境の時に神託を下す神様が花粉症が酷いから代わってくれって言われて、それで仕方なくこうしてバイトをやってるのよ』
『どうせ家に居ても、鬱になってるだけだからね』
身も蓋もない話である。そもそも、あれって代わっていいものだったのか。神様に対する見方が色々と変わりそうだ。
「それで、お二人は何のために出てきたんですか?」
『そうだったわ。早苗、あなたはこんな所で諦めていいの?』
バイトの癖に、なかなか鋭いところを突く。
『サラシはまた作るからいいですって? 守矢の巫女ともあろうものが、よくもそんな事をおめおめと言えたものだと、ある意味では感心するわ』
「ですけど、サラシは所詮サラシですし……」
『早苗の馬鹿っ!』
『痛い! なんで私を殴るのよ、姉さん!』
赤く染まった頬を撫でながら、姉に抗議をする穣子。しかし聞き入れて貰えず、すごすごと引き下がっていく。
『確かにサラシなんて、たかだか布きれかもしれないわ。でも、あなたが巻いてるのは果たしてただの布きれだったかしら!』
「っ!」
静葉の一言で、早苗は思い出す。
あのサラシは、こちらに来てから神奈子と諏訪子が作ってくれたものだった。そんな腋丸出しの格好じゃ恥ずかしいだろうとの計らいに、早苗は人知れず涙したものだ。二柱はそんな早苗を見て、まるで親のように微笑ましく笑ってくれた。
あれはいわば、二柱との思い出。そして絆。
ただの布きれではないのだ。
早苗は、それを思い出した。
「すっかり忘れていました。私は、罰当たりな巫女ですね……」
『いつも身に着けていたから、それが当たり前になってしまった。人も神も妖怪も、基本的には愚かな生き物なのよ。失いそうになって、初めてその物の価値が分かる。私もたまに穣子の存在を忘れるわ』
『妹なのに!?』
軽く姉妹喧嘩が勃発しそうな二柱はさておき、早苗は決意した。
「まったくその通りです。ありがとうございます、静葉さん、穣子さん。おかげで、私は大事な事を思い出しました」
『追いかけるのね……』
文の姿は遙か遠くだ。早苗が速度を落としたことを察知したのか、合わせるように速度を落としているものの、追いつくことは最早絶望的。諦めたって、誰も責めない距離がある。
だけど早苗は諦めない。
ゴールテープ代わりのサラシを取り戻す為に、再び早苗は空を蹴った。
『行きなさい早苗! そして己の手で勝利のサラシを掴みゅ!』
噛んだ。良いところで噛んだ。
『っくぅ……もう、穣子の馬鹿!』
『何でも私に押しつけないでよ……』
最悪の捨てぜりふを残して、バイトの神様は空から消えた。
だが、早苗はそんな事にも気付いていない。
彼女の目が捉えるのはただ一つ。文が巻いてる、サラシのみ。
ここに再び、風祝と烏天狗の速さ比べが再開されたのである。
この光景を誰が信じられるだろうか。
風祝が天狗に追いつこうとしている。しかも、風祝は一度失速しているのだ。そこから立ち直るのがどれほど難しいことか、文はよく知っていた。
かつて、開かれた天狗の速さ比べ大会。まだ幼かった文は誤って一度だけ失速してしまい、そこから一気にペースが崩れた。あれよあれよと順位と落とし、最終的には最下位という屈辱を味わったのだ。
他の天狗と会うたびに鈍足の称号を送られ、一つ増えるごとに泣いた数も増していった。そして己自身を責め、自殺ともとられかねないハードな修行をこなしたのだ。その甲斐あって、次の大会では優勝することが出来た。
以来、文に速さで勝てる者はいなくなった。
そんな文だからこそ知っている。失速した者が追いついてくるなど、悪夢でしかないということを。
あんな細い身体に、どれだけの体力が残っていたのか。妖怪とは違うのだ。人間は見た目に相応した力しか持っていない。早苗ぐらいの体格であれば、失速と同時に気を失っても不思議ではないのだ。
だというのに、どうして追いついてこれるのか。
何が彼女をそこまで速くさせるのか。
分からない。分からないけれど、負けるわけにはいかない。
しかし、文は既に限界を突破している。これ以上の速さを求めるのならば、相応の代償が必要となるのだ。
ここ数十年間、リミッターを解除した事はなかった。以前に解放したのは、確かレミリアと勝負した時か。吸血鬼の割に彼女の飛行速度は天狗よりも速く、文はリミッターを解除せざるを得なかった。
その時の勝敗は言うまでもあるまい。ただレミリアは大層悔しがって、しばらくは速く飛ぶ特訓をしたのだとか。まぁ、今は飽きて別のことをしているようだけど。
「まったく、末恐ろしい風祝ね」
自嘲じみた笑みを浮かべ、文はスカートのホックに手を伸ばした。
「だけど、私にも意地ってもんがあるのよぉ!」
そして勢いよくそれを外し、風の流れでスカートが脱げる。
鳥が脱皮したかのように黒色のスカートがなくなり、代わりに緑と白のストライプが姿を現す。
何もスカートをバナナのように使い、相手の足止めをしようというわけではない。
これは、己に課したリスク。
パンツ一丁の状態で速度を落とそうものなら、その姿は幻想郷中の者達にお見せすることになる。新聞記者の文にとって、それは最も恥ずべきことだった。
これを防ぐには、誰の目にも止まらぬスピードで飛び回る他ない。
動体視力を上回る速度が出せればいい。
いや、出すしかない。
己の恥辱を賭けた文。
その決意が後押しをするように、ぐんぐんと加速していく。
もうこれ以上の手はない。
正真正銘、文は全力を出し切って早苗に挑む。
首にサラシを巻き付けたまま。
表現するならば、ロケットがいらない部分を捨てて発射されたような。
文がスカートを脱ぐ光景を、早苗はそう表現した。
しかしながら、それが彼女に一体どんな効果を与えたのだろう。徐々に縮まっていた距離が、死神の力を使っているかのごとく離れていく。
早苗の体力ももう限界だ。これ以上離されては、精神力が保っても体力が保たない。
ならばいっそ、早苗も真似して袴を脱いでみるか。そうも思ったが、文の気持ちがわからない限り、それはただのストリップだ。物理的な法則が働くのならともかく、おそらくあれは精神的なもの。察するに馬の尻を叩く部類だと思うが、確証はない。
ちなみに空には『閉店』の二文字が浮かんでおり、神様に頼ることも不可能ときた。
後はただ、離れていく距離を眺めるばかりか。
早苗の心に諦めの気持ちはない。だが、無情にも文はどんどん先へと行ってしまう。
頬をきる風も冷たい。
もう、早苗一人だけではどうすることもできなかった。
そう、早苗一人だけでは。
「八坂様……諏訪子様……」
困った時の神頼み。
人が頼むように、現人神だって同じように頼む。
だが、滅多に神は応えてくれない。
あちらにだって事情はあるし、むやみやたらに加護は与えていいものでもない。時には挫折する事が後に繋がる事もあれば、折れる事を学ぶ場面だって存在するのだ。
だから人は強くなる。
神に頼らなくとも、強くなっていくのだ。
ただ、神様だって人のような心はある。
親身になって接してくれる相手を、無碍に見捨てる真似はしない。
早苗の背中を押すように、不思議な力が湧いてくる。
ピンチの主人公が突如として不思議な力に目覚めるだなんて、なんて在り来たりなストーリー。
しかもそれが神様の力だというのだから、最早単なる笑い話だ。
だけど、そうしないと取り戻せない物があるのなら。
早苗は、喜んで笑われ者になる覚悟があった。
「いっけぇぇぇぇぇっ!」
その速さを表現するとすれば、まさに神速。
開きつつあった二人の距離は、一気に縮まり。
そして渾身の思いで伸ばした手の先に、微かな感触を覚えた。
握りしめた拳の中にあったものは、果たしてサラシか。
神との絆か。
翌日、早苗は見事に寝込んだ。
当然だ。風祝とはいえ体力は人間と変わらない。それが天狗と速さ比べをしたのだから、筋肉痛どころの騒ぎではなかった。
布団に蹲りながら、うんうん、と唸っている。
「いやぁ、何というんですか。一応私にもプライドというものはありまして」
布団の横を、妙に笑顔の文が陣取っていた。
看病するでもなく、さりとて取材するわけでもなし。
ただただ見守りながら、早苗に語りかけている。
「天狗としましても、このまま負けっ放しというわけにもいかないんですよ」
ちなみに神様達は今日も不在だ。早苗が寝込んだと聞いたときは心配もしたけれど、無茶しすぎて身体が悲鳴をあげてるだけと分かって、安心して出て行ったのだ。薄情なように思えるけど、あれはあれは心配しているのだろう。
ついでに永琳のところに寄って、よく効く湿布を貰ってきてやると約束してくれたのだ。
「ですから、出来れば早く身体を治してですね、万全の状態で私と再戦して頂きたいのです」
横では相変わらず、文が何か言っていた。
しかし早苗の鼓膜はそれを音として捉えたがらない。
脳も、それを意味のある言葉として理解したがらない。
要するに、聞きたくなかったのだ。そんなおぞましい挑戦状。
こんな思いをするのは、もう沢山だった。頼まれたって、もう二度と天狗とは速さ比べなんてしないだろう。競うことがあるとすれば、もう将棋でいいじゃないか。そういう気分だった。
ただ、文は納得いかないらしい。
笑顔のまま、手を少し震わせつつ、言葉を続ける。
「嫌だと言っても無駄ですよ。あなたがあれほどの力を発揮した原因。もう分かっちゃいましたから」
うなり声がピタリと止まる。
身体は痛い。だがしかし、唸るほどの痛みではなかった。
恐る恐る、早苗は身体をひっくり返す。
そして布団をはぐり、悪戯を思いついた子供のような表情の文と視線が合う。
「秋姉妹ですね」
どうだと言わんばかりの文の笑顔。
早苗は少しだけ迷って首を振った。
「ど、どうしてその事を……」
心の中で。勿論、横に。
おれも力(サラシ)が欲しいww
でもあややのリミッターのほうがずっと強力な気もするw(恥辱的な意味で)
全部脱げばもっと速くなれるのに。
パチェ筋のときにのりきれなかったのりに、今回はのれた気がする。
秋姉妹がお気に入りになりました。妹わすれんなみゅ!
>11
さすが言うことが違うな!
その意見には全面的に賛同したい。
本文にも笑ったがコメントにも笑った
早苗さん何考えてんだwww
碌な神様いねえなww
>11
どんなコメントしてもあんたには敵わねえw
真面目な地の文と内容のギャップに笑いました。
神奈子様あぁ!!俺に、俺に力をぉぉ!!!
それ、受け周りとか効くのかよwww
早苗さんはサラシなしで高速飛行したんですよね?
なら風圧でこすれたり張り付いたりで早苗さん的に色々大変なんじゃないかと思うんですが
なぜその辺りの詳しい描写がないのでしょうか。
がっかりです。
文さんに速さで勝つなんて…
サラシすげぇ…
早苗さんに文さんを越える速さを与えるなんて…
文さんすげぇ…
スカート脱ぎ捨てるとスピードアップできるなんて…
しかし文さんのスカートはどこに?
> そして、幻想郷中を見渡しても自分より早い奴などいないと豪語できる。
早い→速い
> 相手が幻想郷最速を誇る文でなかったから、きっと逃げ出していただろう。
なかったから→なかったなら
> だが早苗さんにツッコミの技術はなく、尚かつそれどころではなかった。
地の文で何故かここだけ「早苗さん」なんですけど……。
> だからもう、自分に適うような奴はいない。
適う→敵う
> 人も何かを大事なものを賭けられた時に諦めるという選択肢が消える。
何かを大事なものを→何か大事なものを
面白かったです。
秋姉妹、バイトなのに良い仕事をしますねw
ただ、オチが少し弱いかな。
バイトがやっていいもんなんだアレ・・・
ところで脱げたスカートは誰が持ってますか
動体視力を上回る速度を出せばいい。