藍が味噌汁を三人分運んできたのを最後に夕食の準備が整い、紫は読みかけの新聞を畳んだ。
「いただきます」
三人は同時に箸を取り、食事を始めた。
食卓の上には前述の味噌汁に加え、高菜の漬け物、油揚げ、焼き魚、茶碗蒸し。
油揚げは午前の内に、橙と紫が白玉楼まで貰いに行ってきたのである。
白玉楼の油揚げは旨い。使っている油がいい。だから旨い。
「藍様」
「ん?」
「油揚げ美味しいですか」
藍は油揚げを飲み込んで、頷いた。
「うん。旨いよ。お使いありがとな」
「隙間で行ったから、楽だったわよねえ」
紫が言うと、藍は「気持ちの問題ですよ」と笑った。
橙も笑った。
橙は白身魚の身をほぐしつつ、「イワナ」と首肯した。
「イワナなんて、どこで取ってきたの」
紫は不思議そうに首を傾げた。
それもそのはずで、近場にイワナはいない。
藍は自分の後ろの方を指さした。
「ほら、妖怪の山の方の川で」
「ああ。あの河童の?」
「はい」
その時、橙が「あ」と声を上げた。
「お。どうした。橙?」
「そう言えば、今日、気になったことがあるんです。藍様や紫様なら知ってるだろうと思って」
紫は箸を止めて、身を乗り出した。
「何々? 何でも聞いてみて」
「ん」
「はい、今日、幽々子様が紫様に言ってたことなんですけど」
橙は目の前に字を描くような動作をした。
藍も箸を止めて頷く。
「インランって何ですか?」
笑い声が途絶え、紫と藍の顔が微笑を浮かべたまま固まった。
橙はえへへ、と笑った。
「よく、意味が分からなくて」
えへへへへ。
藍の尻尾が上と下を行ったり来たりした。
紫は更に微笑んだ。
「そんなこと、言ってたかしら」
「はい。言ってましたっ。本当はその場で聞こうと思ってたんですけど、忘れちゃって」
藍の顔が赤くなり、紫は青ざめた。
藍は思い出したように手を叩いた。
「そうだ、橙。今日、お前泊まっていくんだよな」
「はい。それ、昼間も言いましたよ」
沈黙。橙の尻尾が揺れた。
橙は身を乗り出した。
「インランって何なんですか? 知ってるんでしょう?」
「インラインの間違いじゃないかしら」
紫が言った。
「いいえ、確かにインランって言いました」
「そうね、インランね」
紫は素直に頷いた。
藍は紫を睨んだ。
「橙、早く食ってしまえ。冷めるぞ」
藍は味噌汁を啜り始めたきり、うつむいた。
自己責任だというのである。
紫は藍の顔を見て、歯ぎしりしてから口を開いた。
「えっと、その、よく分からないわ。幽々子の言ってることってたまに難しいから。うふふ、忘れちゃった」
「じゃあ、慧音先生か誰かに聞いてみます」
藍は味噌汁を噴き出した。
「待ちなさい。やっぱり知ってるわ。ちょうど思い出した。うん」
紫は机の下で藍に太ももをつねられながら、頷いた。
「よかった。どんな意味なんですか?」
「それは、その」
藍は一層、つねる指に力を込めつつ助け船を出すべく口を開いた。
「美しいって意味だよ」
「え、そうなんですか」
紫は藍の指を掴みながら、頷いた。
「そうなの。インランっていうのは美しい大人の女性のことなの。でも、自分から美しいなんて言う人はいないでしょう、だから、その、恥ずかしいっていうか」
「紫様は謙遜していらっしゃったんですねっ」
橙が目を輝かせながら、叫んだ。
「そうなのっ、そうなのよっ」
紫も大きく頷いた。
「よしっ、解決。もう忘れろ。ご飯を食べろ」
橙は箸を持った。
「はい。でも」
「紫様も藍様もすごくインランですよね」と言いかけた橙は言葉を押し込んで、味噌汁を啜り始めた。
翌朝、朝食の時間になっても紫は居間に降りてこなかった。
橙は二人きりの朝食を取りつつ、聞いた。
「紫様、降りてきませんね?」
「放っておけ」
「でも、さっき起こしにいったら、体中が痛いって。布団から出てきませんでした」
「無い頭を使って、お疲れになったのだろう」
「藍様は本当に何も知らないのですか?」
「知らない」
「泣いてるみたいですよ。痛いって」
「それよりも、今日はどこかへ遊びに行くんじゃなかったのか?」
橙は思わず、立ち上がった。
「そうでしたっ。忘れるところでした」
橙が湖へ急ぎ飛んでいくと、霧がかった空中に三人分のシルエットが見えた。
「おうい、遅れてごめん」
すると、霧の中から声が返ってきた。
「早く来なよ」
チルノの声であった。
「うん、今行く」
ずっと真っ白の霧中を飛んできた橙はにわかに安心して速度を上げる。
そして、三人に迫った時、橙は声を上げた。
そこには確かにチルノと大妖精がいた。
しかし、三人目は馴染みの薄い妖怪だった。
「こんにちは」
赤い髪に緑の帽子を被っており、白い背景にそのコントラストが際立っている。
紅美鈴である。
橙は戸惑った後、頭を下げた。
「この人、クッキーを届けに来てくれたんだ」
大妖精がバスケットを差し出した。
中には白黒のバタークッキーが、山盛りに入っている。
少し離れた所からでも、香ばしい匂いが感じられた。
「あ、ありがとうございます」
橙は頭を下げた。
大妖精はチルノの肩を突く。
「ほら、チルノちゃんもお礼」
美鈴はうんざりしたように、手を振った。
「いい、いい。これ、メイドの作った余り物で食べきれなくなったやつだから。ウチにあっても、どうにもならないのよね」
美鈴は伏し目がちに辺りを見回した。
「というわけで、食べちゃってね。それじゃまた」
美鈴は長い脚で空中を蹴ると、スリットの入った裾を翻して飛び立った。
チルノが「またな、美鈴」と叫ぶと彼女は振り返らず、二度後ろ向きに手を振って霧の中に消えた。
「貰っちゃった」
大妖精が山盛りのクッキーが入ったバスケットを持って、呟いた。
「私達はいくらあっても、足りないぐらいだよね」
橙は喉を鳴らした。
「食べちゃおうか」
「賛成」
チルノが勢いよくクッキーの頂上に手を伸ばした。
「美鈴さん、かっこよかったね」
湖畔の太い木の枝に腰を下ろしながら、三人はクッキーをつまんでいた。
「そう? 私はいつも見てるし」
チルノは首を傾げる。
「そうだよ、見た? あの脚、すっごい長かった。あのドレスも格好良いな」
「人民服ってやつ?」
「今、何て言った?」
「何も言ってない」
大妖精は溜息を吐いた。
「でも、格好良かったよね。あれで料理とかも出来るんでしょ?」
チルノは他人が褒められるのが全く持って面白くないので、黙ってクッキーを頬張っている。
「インランだよね」
橙が言うと、二人は首を傾げた。
「は?」
「何? インラン?」
橙は慌てて、訂正した。
「あ、ごめん。何かね。あんな感じの綺麗な大人のことをインランって言うんだって」
「へえ、インランねえ」
「へええ」
チルノはつまらなそうに息を吐いた。
そして、クッキーに手を伸ばした。
「橙ちゃんのご主人様って、インランだよね」
橙は途端に気恥ずかしくなって、頭を掻いた。
「そうかな?」
確かに藍や紫は飛びっきりのインランであったが、他人から改めてインランなどと言われるとおかしな気分になるものである。
「で、でも、インランな人は一杯いるよね?」
「レティ」
チルノは短く答えた。
「レティはインランだよね」
「そうだね、インランだね」
チルノからすると姉代わりのようなレティは紛れもなくインランなのである。また、大妖精や橙から見ても母性溢れるレティはとてもインランであった。
「あと、あそこのメイド長見たことある?」
チルノが聞くと、大妖精は首を横に振った。
「何かね、すごく、インランだよ。銀髪とか、短いスカートとか」
チルノがインランと言うからには、それは凄いインランなのであろう。
大妖精はとてつもないインランを想像した。
「博麗の巫女は?」
「ああ、うん。インラン」
「インランじゃないの? よくは知らないけど」
チルノは数度撃ち落とされているためか、不機嫌を露わにした。
「あと、インランっていうと」
「慧音先生」
「あっ、そうそう。慧音先生の授業出たことあるんだけどねえ」
橙は叫んだ。
彼女は数度、慧音の模擬授業に付き合ったことがあるのだ。
「どうだった?」
「うん、あのね、すごく、その、うん、インランだったよ」
慧音の授業ぶり、真剣なまなざし、女教師独特のそれはまさにインランそのものであった。
思い出すだけでも、インランである。橙は首肯する。
「慧音先生とよく一緒にいる人、いるよね」
チルノは「ほら、あの、リボンに銀髪の人」と言うと、大妖精は即座に「あの人はすごくインランっ」と叫んだ。
「え? そんなにインランな人いるの?」
大妖精は激しく首を縦に振る。
「この間、竹林で道に迷った時、案内してもらって仲良くなったの」
「へえ」
もはや、三人はクッキーそっちのけで話しに夢中になっている。
「で、その人はすごく優しいし、格好良くて、とんでもなくインランなの。慧音先生と二人でいる時なんかすっごくインランなんだから」
「竹林にそんなにインランな人がねえ」
他にインランと言うと、誰が居たであろうか。橙は即座に一人の人物に行き当たった。今回の元凶、幽々子である。
彼女に比べれば、他のインランなど霞んでしまうほどのパーフェクト、インラン亡霊。扇子を動かす動作、着物の端を動かす動作、挙げ句の果てには他人をからかう動作の一つ一つが例えようもなくインランなのである。それこそ、インランの権化のような存在であった。
そのインランな行動、振る舞いの一つ一つを思い出している内に、橙は黙って溜息を吐いてしまった。
自分の未熟さが嫌になってしまったのである。
「何かさ、インランな人一杯いるよね」
よく考えてみれば、自分の周りにいる人物は魔理沙も騒霊三姉妹も阿求も文も萃香も呆れるくらいのインランであった。
「そうだねえ。インランばっかりだね」
チルノは再び、頬を膨らませてクッキーを頬張っていた。
「私もインランになれるかな?」
「大丈夫だよ。橙ちゃんの周りはインランばっかりだもの。橙ちゃんはそんなに可愛いんだから、絶対インランだよ」
橙は笑顔を取り戻した。
「うん。なりたいな、インラン」
と、その時、上方から声が聞こえた。
橙達は空を見上げる。
そこには、ルーミアが両手を広げて浮いていた。
「ずっと、探したよお。霧が凄くてさあ」
「あ、遅かったね」
橙はクッキーを指さした。
「これ、美鈴さんに貰ったんだ」
「そうなのかあ」
チルノはぶすくれたまま、クッキーをつまんだ。
ルーミアも手を伸ばすべく、近寄ってくる。
「今ね、すごい盛り上がってたんだよ」
「へえ、そうなのかあ」
大妖精は頷いた。
「橙ちゃんは将来、インランになるって話しでね」
「何だと」
橙「幽々子様がゲイ、インラン? ……片方は分かるんだけど……」
「そっ…それはね。かっこいい男の人のことを(ry
なんだかインランがよく分からなくなってきた。ひでぇww
ルーミアの「何だと」で止めを刺されましたwww
こいつはひでぇwww間違いなく幻想郷の危機だwww
あなたのファンになりました。
これがてゐとか魔理沙あたりだったら、ここまで破壊力は上がらなかったと思うw
やられましたw
ルーミアの「何だと」がまた素晴らしいですw
ありがとうございますwww
ルーミアwwww
子供の頃家族そろって洋画をみてたら濃密なラブシーンに出くわしてしまった時のチャンネル変えたくなる感がひしひしと伝わってきた。
インランの間違った使い方が広まってしまい紫と藍オワタwwww
シュールすぎるwww
yuzさんらしい作品ですね
>>42
なんかよく分かるw
って聞いた記憶がよみがえってきた
親めっちゃ困ってたなぁ……
腹筋が崩壊しました
とりあえずインランがゲシュタルト崩壊した。
あれ、インランって何だっけ?
気まずくてお茶を濁したら余計ひどくなったいい例ですね。
ゆかりしゃまと藍しゃま頑張った!
ただ報われなかった。切ねぇ。
>112様
すみません。あの衣装が何なのか分からなくて、結局スカートと書いてしまいました。
とりあえず着物として訂正しておきます。ドレス……、ネグリジェ、かな。
これは良い意味で期待裏切られたwwwwwwww
最後でキタwwwwww
「何だと」って、ルーミアがっっっっっ
このインパクトはスゴイっ
ただ、マイナスの言語をプラスの意味合いで教えるのはどうかと思ったのと、
少し物足りなかった点が残念。
じわじわくるなこれは……w
まじルーミアの「なんだと」がwww
「探したよお」が「探したお」に見えたのはおれだけだろうか。
ゲシュタルト崩壊ww
みんなスゴいインランだよ
しかしいつも通りのいい作品でしたw
「何だと」の破壊力はハンパないっす。
腹筋が吹っ飛んだよwwwwwww
うん、何も問題は無いんじゃないかな。
自分が来る前のも読み返そうと思えた、ありがとう
俺もあったよ、そういうこと。
「なんだと」wwwwwww