一口すくい、口に含めばほんのりとした酸っぱさが味わい深く、二口すくい、口に含めば甘く舌を包み込む。三口目をすくい、喉越し芳醇にて嚥下したるに、噂に聞く天然の蜂蜜のようだ、とメリーは思った。
合成甘味料よりも甘く、ねっとりと喉に絡みつくその言葉を、蓮子が紡ぐまでは。
夜の活動が主体となるサークル、秘封倶楽部では活動前の打ち合わせに最近オープンしたこのカフェを使用することが多い。駅前だから移動に便利だという点と、24時間いつでも開いているという点が、秘封倶楽部の心を鷲掴みにし、おのずと活動の本拠地たらしめているのである。蓮子は店内BGMがクラシックなのも大きなポイントだと言う。今日も蓮子と一緒に待ち合わせをしながら活動前の腹ごしらえをするメリーであった。曰く、空腹だと結界が視えにくいの、らしい。味気ない無人のドリンクバーからティーパックで淹れた紅茶と、自動販売機で購入したショートケーキをテーブルに並べたメリーは、いつものように美味しそうにパクつきながら蓮子の話を聞いていた。
思えば……蓮子がおもむろに取り出したゼリーのデザートに違和感を覚えなかったのがいけなかった。冷静になってよくよく考えてみれば、彼女が自らすすんで料理などするはずが無いのだ。メリーは何の疑いもせず、蓮子の取り出したるゼリーをショートケーキのデザートと認定してスプーン入刀する。時折蓮子が顔をほんのり赤らめながら「ねぇ、メリー、味はどう? おいしい?」なんて聞いてくるものだから、メリーは甘酸っぱいそのデザートをじっくり味わっている余裕なんて無かった。
「実はね、ちょっと面白いものを見つけたのよ。あっ、食べながらで良いから聞いて」
言いながら蓮子はゼリーに引き続き一冊の本を取り出した。表紙は日焼けしていてタイトルも定かではない、埃っぽい、どちらかというと古文書に分類されそうな、いかにも古めかしい本だ。メリーは「なあにそれ?」とゼリーをスプーンで掬いながら聞いた。
「実家の近くの図書館に眠っていた本なのよ。タイトルはもう読めないけれど、貸出登録されていた名前は『蓬莱抄』」
「蓬莱沙……って、藤原の?」
「重隆のとは別よ。アレは作法本だもの。これも藤原の眷族が書いたものなのかは分からないけどね」
胡散臭い。メリーは眉をひそめながら蓮子の話を聞く。
「大学の文献漁ってもこっちの蓬莱抄に関する記述は見つからないし。歴史のどこかで散逸してしまったモノだとは思うんだけど。謂れなんかよりも内容が重要。文学サークルの知り合いにね、薬学部の子の情報と引き換えに解読してもらったの」
「……可哀想に」
「解読してもらった文章の中に興味深い一文があったわ。ええと、このページ」
埃っぽい本をパラパラとめくり、あるページを開いた。ミミズの這ったような字でなにやら書いてあるが、メリーにはさっぱり理解できなかった。蓮子もそれは同じようで、カンペのノートを取り出しながら開かれたページに書いてあることを読み始めた。
「妙薬、以下の秘儀を用いて精製す、即ち『蓬莱の薬』也」
「うっわ……。胡散臭さここに極まれり、だわ」
「材料とつくり方も解読してもらったのよ」
「蓮子。まさかとは思うけど、貴女。作ろうとした?」
「常世の石に在らず。日の光を湛え、黄金よりも鮮く、手を伸ばせば遠のくばかり」
「突然なあに?」
「薬の材料よ。徐福もコレが揃えられなくて薬を作れなかったと書いてあるわ」
「手をのばせば遠のくばかり。なんだか、水面に映ったお肉みたいね」
「ん、ちょっと正解に近いかも」
「お肉が!?」
その後も様々な答えをだすが結局正解に至らなかったメリー。口でスプーンを咥え、上下に動かしながらむーむーと唸っている。メリーの頭からぷしゅーと煙がふき出してきそうになったところで蓮子は自慢げに携帯のストラップを見せびらかした。
「ほら、月の石。存在自体が夢物語のような昔ならともかく、現在はその辺のお店でも売ってるもの。簡単に手に入れることができたわ」
「お肉近く無いじゃない……!」
「食欲が思考を阻害したのね。いつものメリーなら水面に映ったって所で水月だって気が付くはずだわ! ほら、私が処分してあげるからよこしなさい」
「いやー!」
ゼリーに蓮子の魔の手が忍び寄る。メリーはいやいやをしながら蓮子の猛攻を凌いだ。
「まぁ、万事そんな感じでね。最初は作る気なんかさらさら無かったんだけど、いつの間にか材料が揃っちゃったのよ」
メリーは嫌な予感がした。蓮子に対する嫌な予感というものは的中率が異常に高い。的中率が4割を超えると占い師として生活できるようになる、とメリーはどこかで聞いたことがあるが、蓮子の嫌な予感専門の占いならば、そこらの占い師よりもよっぽど信頼性が高かった。いっそのこと蓮子占いでも開業しようかしら、なんて密かに思ってたりもする。
「薬学部の友達に、文学サークルの子の情報と引き換えに精製してもらったの」
「蓮子……。貴女いつか友達無くすわよ」
「秘封倶楽部があるから平気よ」
「それで……宇佐見蓮子さん、その精製した蓬莱の薬とやらは一体何処に?」
「伝承どおりだと富士の山……って言いたいところだけど。残念ながら、可愛い女学生、マエリベリー・ハーンの白いぽんぽんの中よ」
ゴクリ、と甘いゼリーを嚥下したところで蓮子が口を開いた。メリーことマエリベリー・ハーンは何の誇張も、冗談も無く、陸上の、それもカフェの一席という何の変哲も無い場所で、溺れた。
「げ、げほっ! ぺぺぺっ」
「もう遅いわよ」
メリーは確信した。コイツはいつか友達を全て失ってしまうに違いないと。にわかに身体の中の不老不死度が上昇していく気がした。
「もちろん、私は真っ先に服用したわよ。効能、不老不死、死せる幻想の園。おいでませネクロファンタジア。……けどね。なんてことは無い、その薬、成分を精査してもらったら、精力増強、滋養強壮、疲れ目、肩こり、筋肉痛、生理痛に効く複合栄養剤。それも、市販の方がマシなレベル。どう、メリー。興奮してきた? 疲れが取れてきた?」
「余計に疲れてきましたわ」
メリーは、はぁ、と深いため息をついた。蓮子はメリーの様子に満足したようで話を再開する。
「ねぇ、メリー。私が作った蓬莱の薬は間違いなく、本物だと確信してる。この本が信憑性に足りうるものならば、ね。じゃあ何故、私達は不老不死にならないか。問題は服用した人間の違い。昔の文献では、人間が酔っ払うには玉露で事足りたの。玉露よ、玉露。お酒でもなんでもなく、お茶の玉露。たくましい想像力、強烈な思い込みこそが、蓬莱の薬を蓬莱の薬たらしめたと、私、宇佐見蓮子は考察するわ。昔の人間は今よりもずっと幻想に近い存在だったのよ。雷が鳴れば鵺の仕業。朝起きて枕がひっくり返っていれば妖怪枕返しの仕業。襖の間から視線を感じたら隙間婆の仕業。今の世の中、妖怪が居るとすれば、それには科学という名前がついているのかもしれない」
「妖怪の名前はともかくとして、今までに死ななかった人間なんて、聞いたことも無いわよね」
そこまで言ってメリーは死なない人間が人間と呼べるものなのかどうか、疑問に思った。普通の人間は皆、死ぬ。じゃあ、死なない人間は普通の人間ではない。さしずめ蓬莱人とでも言ったところだろうか。
「だからね、メリー。思い込みって大事だと思うのよ。ほら、病も気からって言うじゃない」
「気のせいよ、きっと」
死せる幻想の夢が一つ潰えたというのに蓮子はあっけらかんとしていた。
◇ ◇ ◇
「気のせいじゃないのか。全く……蓬莱人のクセに何で風邪なんかひくんだか……」
慧音は自宅に転がり込んできた妹紅を看病しながら文句を言った。
「全裸でチルノと遊んでたら風邪ひくに決まってるだろ!!」
「なんでもこはそんなに偉そうに言うんだよ!」
ペチッ、と額に濡れタオルを投げる。妹紅はへくちんっとクシャミをしながら続けて言った。
「ああ、寒い。寒いわ。凍えて死んでしまいそう」
「いっそ死んだ方が楽かもしれないぞ」
「うっさい! けーねのばか!」
ぷちん、と慧音の中で何かが切れた。
「バカで結構。おバカな上白沢慧音は妹紅を部屋から追い出します。何故なら、バカだから」
「ごめんなさい、すみません。わたしが悪かったです。だから部屋から追い出すのだけは堪忍してぇ」
「分かればよろしい。ほら、これでも飲んで」
慧音は妹紅を起こすとその背中をさすりながら湯のみを差し出した。妹紅は湯のみを両手で抱えながらコクコクと喉を鳴らせて中の液体を飲みこむ。
「……にっが、何これ?」
「お茶に少しばかり、煎じた薬を混ぜてある。風邪の特効薬でな。良く効くぞ」
「ありがとうけーね。何だかわたし、心なしか元気になってきたよ!!」
「ふふ、そうか」
「よっし、もう大丈夫! けーねの作ってくれた薬は抜群だ!!」
部屋を元気に飛び出した妹紅。慧音は濃く淹れすぎてしまったお茶を片付けながら、思い込みって偉大だな、と実感するのであった。
◇ ◇ ◇
「メリー。蓬莱の薬の効果が間違いなく本物で、私達が不老不死になっていたとしたら、それでもメリーはメリーなのかしら?」
「愚問ね。あっ、でも……」
今よりももっと、『今』を大事にするようになるでしょうね。どこかの誰かさんみたいに、とメリーは笑いながら答えた。何しろ、今まで生きてきた歴史の価値観がひっくり返ってしまうのだ。膨大な過去と、過去になる未来と、無限の先。だとしたら確かなものなんて、今、この瞬間しか無い。
笑いながらメリーはしばらくすると黙り込む。沈黙の後、零れ落ちてゆく過去を繋ぎとめるために日記を書くようになるかもしれない、あるいは過去の重さに耐え切れず、全てを忘れてしまうかもしれないわ、とメリーは悲しそうに言うのだった。
不意にカランカラン、とカフェの鈴が鳴った。二人が待っていた人物がやってきたのだ。
「うー、寒。相変わらずココのBGMはやかましいわね。アレって今風って言うのかしら」
ブツクサと独り言を呟きながら一人の少女が蓮子とメリーの元までやってくる。静かに歩く様はとてもじゃないけど急いでいるようには見えなかった。
「おまたせっ。二人ともー。へ、へくちんっ」
「遅いわ! 遅すぎる!! 17分43秒の遅刻!! 時は金なり。失われた時間は二度と戻ってこないのよ!!」
「蓮子だって、6分11秒遅刻してたじゃない。私にとっては二人とも同罪よ」
「あははは、ごめんごめん。あら、何それ?」
少女はテーブルの上に置かれていた本とカップの容器を見て問いかけた。
「蓬莱の薬」
蓮子はぷんすかと怒りながらも少女の問いに答える。少女は艶やかな髪を弄びながら、ふぅん、とつまらなそうに視線を投げやった。
「永遠の憧れかぁ。形の無いものに名前をつけるのって昔からよくあるわよね。隙間しかり、エーテルしかり、心に、永遠。何でみんな、そんな形の無いものに焦がれるのかしらね。ああ無情」
「形の無い、見えないものだからこそ、輪郭に手を伸ばそうとする、境界を探ろうとするんじゃない。重力レンズよ、重力レンズ。メリー観測員、頼む」
「私はアインシュタイン博士の助手じゃありません」
「メリー観測員、お前もか!」
冗談を言いながら蓮子はパパパっとテーブルの上の本と空容器を片付けて鞄にしまいこむ。秘封倶楽部のメンバーが揃ったのだ。こんな所で井戸端会議に華を咲かせている場合ではない。メリーは蓮子が片付けている間に会計を済ませていた。このチームワークこそが、秘封倶楽部が秘封倶楽部たる所以。
「全く……。永遠なんて在るのか無いのかも分からないのに。どうせ探すなら結界よ、結界! メリーには視えてるんだから存在は絶対よ! 一分、一秒だって無駄にはできないわ。蓮子、メリー、私達がこうやって楽しく居られる時間は一瞬の瞬き、それこそ須臾! さぁ、今日も元気にひっ、ひっふー! 秘封倶楽部を始めましょう!!」
「だったら何で遅刻してくるのよ、アンタは……」
「蓮子、貴女もね」
違和感のなくなってきた三人の秘封倶楽部も悪くない、とメリーは蓮子と少女のやりとりを眺めながら思うのだった。カフェの鈴を鳴らし、外に出ると強い北風が秘封倶楽部を襲う。
「さーむーいー!」
蓮子がガチガチと歯を震わせながら叫ぶ。
「だったらお手手繋ぐ? 腕を組む? 蓮子とメリーがどうしてもって言うならやってあげても良いわ」
「うぐぐ、なんか高圧的!」
「私は少女、私は少女、私は少女、私は少女」
「何言ってるのメリー?」
「蓬莱の薬を飲んだんだもの、強く想えばもしかしたらもしかするじゃない。妄想……もとい、夢想するのに遠慮はいらないわ」
「そっか……そうよね!! 強く願えば想いは叶う! 夜は短し歩けよ秘封。さぁ、メリー、輝夜。行くわよ! 私達で今度こそ幻想の尻尾をつかまえてやるんだから!!」
輝夜と呼ばれた少女は蓮子の声に笑顔で答え、手をさしのばす。月の光を湛えた髪が夜風にフワリと靡いていた。
蓮子はメリーと輝夜の手を握った。メリーの手は冷たく、輝夜の手は温かい。陰と陽と、そして中庸。今くらいがちょうど良い。今くらいでちょうど良い。吐く息がくゆりと夜の闇に溶けて消えてゆく。帳の降りきった天幕にぽっかりと穴の空いたまあるい月。自然の星と、人工の星が飛び交う紫色の夜空。何一つ確かなモノの無いこの世界で、両手に伝わる感覚は本物で――。
現実と、虚無と、ほんの少しの幻想が支配する冥い街の中。世界に封じられた秘密を暴く為に、蓮子は駆け出した。
-終-
これは新しいですね
いずれにしても不思議な感じの作品でした。
コレは新しい斬新な発想、続きが見てみたい。
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ご指摘有難うございます。
キャー何でこんな間違いを、と悶えながら甘さで誤魔化しました。
ちょっと不思議な3人の秘封倶楽部、今回だけと思ってたら妄想が膨らむこと膨らむこと。時々続きを投稿できたらいいなと思います。
ひっひっふーで吹いたのは内緒。
勢力増強 は誤字かな
こういうのがあるから秘封倶楽部はやめられない