――ひっ…ぐす……、うわぁぁぁん…
静まり返った夜に、幼い少女の泣き声が響く。
――こんばんは、お嬢ちゃん。
――…ぐすっ……、だれ…、おねえちゃん…?
――突然で悪いけど、あなたの人生を少しだけ、皆の為に使わせてもらいますわ。
それが、始まりの出会い。そして――……隠された記憶。
◆
「おっす霊夢、魔理沙さんが来てやったぜ」
「別に頼んでない」
「まあそう言うなって。とりあえずお茶でもくれないか?」
「はいはい、ちょっと待ってなさい」
ブツクサ言いながらもちゃんとお茶出してくれるんだよな。たまにご飯つくってくれたりもするし、
霊夢はやっぱりいいやつだぜ。やっぱり持つべきものは友達だな、うん。
霊夢がお茶を持って来てくれるまで特にすることもないので、縁側に腰掛けてぼんやりと境内を眺め
てみる。相変わらず寂れた神社だが、掃除だけはキチンとこなしているようで、境内には落ち葉一つ見
当たらない。適当なようで結構マメなんだよな、霊夢って。
ぼーっとしていたら、鳥居のさらに向こうの空から何やら影が近寄って来た。私以外にこんな神社に
用事のあるやつなんているのか、とか考えてたらその影は境内に着地。なんだ、誰かと思ったら、
「アリスか。どうしたんだよ、何か用か?」
「アリスか、とは随分なご挨拶ね。別に、フラッと立ち寄っただけよ。あなたはどうなのよ?」
「私も似たようなもんだ」
「それなのに我が物顔なんだから、呆れてものも言えないわね」
「まあそう言うなって」
まったく、相変わらずというか何というか、つっけんどんな性格だな。私はもう慣れたけど、初対面
の人間がこれ聞いたらかなり尻込みすると思うんだ。なまじ可愛らしい外見なだけに中身は結構キツイ
からな。おっと、外見の見栄えでは私も負けちゃいないぜ。
「それで、家主がいないみたいだけど?」
「今はお茶を淹れてるぜ、私の為に」
「やっぱり我が物顔ね」
「なあに、魔理沙。誰か来たのー?」
「ああ、キツイ性格の魔法使いが一人ご来店だぜ」
「ご来店って、ここは神社なんだけど…。それより誰が来たって?」
「魔理沙は後でとっちめるとして…、しばらくぶりね、お気楽巫女さん」
しばらくぶりなんだ、霊夢とはあんまり会ってないみたいだな。アリスって都会派とか気取ってる癖
に社交性はないんだよな。そんなだから友達少ないとか言われるんじゃないのか? ま、アリス自身で
決めることだし私には関係ないな。
ん…? なんだか霊夢の様子が変だな。アリスの顔を見て頻りに首を傾げてるけど、どうしたんだ?
「なにやってるんだ、霊夢。首が据わらなくなったのか?」
「んなわけあるか。そうじゃなくって、あなた。えーと…」
「私がどうかしたの?」
「どうかしたとかでもなくって…、うーん」
「本当にどうしたんだよ。人を指さしたらいけないんだぜ、いくら相手がアリスでも」
「ちょっと、それどういう意味よ?」
「そう! アリス、アリスだったわね!」
霊夢は謎が氷解したかのように何度も繰り返し『そうだそうだ、アリスだった』と言っている。
なんだろう。もしかしてというか、もしかしなくても――
「――こいつの名前、忘れてたのか?」
「ちょっと魔理沙、とんでもないこと言わないでよ。いくらこいつがお気楽だからってそれは――」
「えーと……あはは…」
「え、本当なの?」
「そうじゃないのよ? ただ、ちょっと……その…、ごめんね?」
「そんな…、これでも結構長い付き合いなのに…」
「あははは! こいつは傑作だ! 偶にしか顔見せないからこんなことになるんだぜ?」
「魔理沙うるさいわよ」
「ははは! …あー、腹痛い」
「いいもんいいもん…。私には沢山のお人形さんがいるもん…」
「そんな気落ちしないでよ。えーと…アリス?」
「その疑問符を外さない限り慰めにならないのよ…」
「ぷ……っ!」
こいつはいい、本当に傑作だ。こんなに沈んだアリスは初めて見た。珍しいもん見せてもらったぜ。
これは霊夢に感謝しないとな。惚けたやつだとは前々から思ってたけど、こんなファインプレーかまし
てくれるなんて…、やっぱり霊夢は面白いな。
今だって現在進行形でアリスをなんとかフォローしようとしてるけど、それがことごとく空振りに終
わってアリスはさらに暗い影を落としていって、それがまた面白くって笑いが止まらないぜ。
「と…とりあえず、一人増えたならもう一つ湯呑持ってこないとね」
「いいのよ…、そんな気を遣わなくたって…。どうせ私なんて…」
「そんな卑屈になるなよ。霊夢だって悪気があったわけじゃないだろうし。な、霊夢?」
「そりゃそうよ。悪気なんてこれっぽっちもないわ。ただ純粋に忘れてただけよ」
「うふふ…、それがフォローになると本気で思っているのかしら…?」
「ああ! 悪かったから! 謝るからそんな陰気臭い空気出さないでよ!」
「もうダメだ…腹が捩れる…」
霊夢は私を殺すつもりなのだろうか。まあ、そんなつもりは毛頭ないんだろうけどな。げに恐ろしき
は天然、ということだな。アリスなんてしゃがみこんでブツブツ言いながら地べた弄ってるし。はっき
り言って不気味以外の何ものでもないぜ。
しかし困ったな。こいつがこんな風になるのを見るのなんて初めてだからなぁ、どう対処したもんだ
ろうか。霊夢も分かりやすいくらい困り顔してるな。つくろい笑顔が不自然なくらい引き攣ってるぜ。
ここは私が何とか助け船を出してやらないといけないな。
「ほらアリス、いつまでもいじけてるなよ。いつものふてぶてしいお前はどこにいったんだ?」
「いつもふてぶてしいあんたに言われたくない」
「お、ちょっとだけいつもの調子に戻ったな。とりあえずお茶でも出してやれよ、霊夢」
「そうね。今持ってくるから少し落ち着いたらいいわ」
「ええ、お願い。私みたいな得体の知れない来訪者にもお茶をくれるなんて、巫女さんは優しいわね」
「おい霊夢。こいつの相手は私がしとくから、早く行ってこいよ」
「よろしく」
まったく、いつもはさばさばした性格なのに何だってこんなに粘着質になるかなあ。いい加減しつこ
いぜ。そもそも忘れられた原因は神社に顔を出さないこいつなんだから、自業自得なんじゃないか?
「おいアリス、いつまでうじうじしてるんだよ。もう許してやればいいじゃないか」
「あなたは分かってない。顔馴染みだと思ってたのに『あんた誰だっけ?』と言われる辛さを」
「そりゃあ私は覚えられてるから」
「うふふ…、それは羨ましいわね。私がどれだけ惨めな思いをしたか…」
「だからそれはもういいって。霊夢だってそんな直接的な事言ってなかっただろう?」
「あんなの言われたも同然よ。さすがの私も鬱になったわ」
「はいはい、分かった分かった。だからいい加減に機嫌直せって。相手はお気楽者の霊夢だぜ?」
「…まあ、言われてみればそうね。頭が春のあいつの言うことに拘ってたらキリがないわ」
なんとか持ち直したみたいだな。こいつの珍しい顔が見れたから楽しくて仕方なかったけど、こんな
に面倒な一面があるとは思わなかったぜ。今後アリスを下手に刺激するのはやめとこう。厄介すぎる。
しかし未だに陰気な空気を放ち続けるこいつと二人でいるのはさすがの私もしんどい。早く戻ってく
れ、霊夢…。
「お待たせ、お茶よ…って、どうしたの魔理沙? 随分やつれたんじゃない?」
「遅いぜ…。やつれた理由は察してくれ」
「無理、わからん。ほら、アリスにもお茶よ」
「ありがと……はぁ、たまには日本茶もいいわねぇ…」
「…納得できん。なんで私だけが疲れてるんだ?」
いつの間にやら霊夢もアリスもケロッとした顔してやがる。まるでさっきまでの事をすっかり忘れた
みたいだぜ。むぅ、私が考え過ぎなのがいけないのだろうか…。
あまりにも落差が激しすぎて、こいつらがグルになって私を苛めてるんじゃないかとさえ思えてきた。
いやでもなぁ…、アリスはともかく霊夢がそんなことするとは思えない。
だとすると、一人で勝手に疲れてる私が悪いのか? なおさら納得がいかないぜ。
「…もういいや、深く考えないようにしよう」
「何わけの分からないこと言ってんのよ。キノコの食べ過ぎで気でも触れた?」
「馬鹿言うなよ、アリス。私はただ浮世を嘆いてただけだぜ」
「余計に意味が分からないわね」
「別に分かってもらおうとも思わないな。ただの独り言だし」
独り言に誰かの理解を求めてどうするんだって話だ。この気持ちは私以外には分からないのさ。
はぁ…、熱めのお茶が染み渡るぜ…。
「たまにはこんな風にのんびりするのもいいわね…」
「何言ってるのよ。霊夢はいつだってのんびりでしょうに」
「それは同感だな」
「そう? 私ってそんなにのんびりしてるかしら」
「自覚がないのがいい証拠よ。さて、と…」
「どうしたんだ、アリス?」
「お茶も頂いたことだし、そろそろお暇するわ」
「もう帰るの? 随分とせっかちね」
「休憩がてら立ち寄っただけだからね、長居するつもりはなかったわ。
それに私はあんたらみたいに暇じゃないし、やることが一杯なのよ。それじゃ、またね」
あんたら、って私も含むのか。失礼なやつだぜ、全く。まあ確かに今は暇だけどな。
アリスは去り際に『もう私の名前、忘れないでよ』と念を押していったけど、やっぱりまだ気にして
たんだな。忘れられたくないんだったら今度から名札でも付けてくればいいのに。そうだ、今度プレゼ
ントしてやろう。思いっきり皮肉をこめて。
それだったら名札よりも襷の方がいいな。なによりも派手で目立つし。あいつどんな顔するかな…?
今から楽しみでしょうがないぜ。
別に霊夢と同列の暇人に認定されたことの腹いせじゃないぞ。ちょっとムカッときたけど。
「しかし休憩しに来たって言ってたけど、結局へこんでお茶飲んで帰っただけだったな」
「結果だけ見るとそうね」
「頼むから私の名前は忘れないでくれよ?」
「アリスの名前も忘れるつもりはなかったんだけどね。なんか出てこなかったわ」
「そのおかげで面白いもん見れたぜ。疲れたりもしたけど」
「面白いものって?」
「こっちの話だ。多分霊夢に言っても分かんないな」
「ふーん…」
霊夢はもう興味を失くしたのか、お茶をすすってほぅっと一息。見事なまでに顔が緩んでやがる。そ
んな顔見せられると、霊夢の体には血じゃなくてお茶が流れてるんじゃないか――なんて、よくわから
ない考えまで芽生えちまうぜ。
おいおい霊夢、いつの間に人間やめたんだよ。こうなったら私も対抗して人間やめるしかないな。
「やめてないわよ、人間」
「なんでわかった!?」
「なんとなく。何か変なこと考えてるなー、って思ったから」
「すごいな。まるで地霊殿のあいつみたいだ」
「地霊殿の…あいつ?」
「いたじゃないか、人の心を読むやつが。さとり、だったか」
「あ…あぁ、そういえばいたわね。そんなやつが」
「まさかとは思うけど…、あいつの名前も忘れてたのか?」
「うーん……、私ってこんなに忘れっぽかったかなぁ」
「あんな嫌なやつ、そうそう忘れるもんじゃないと思うけど」
他人に関心がない霊夢らしいと言えばらしいのかな。忘れられる側からすればちょっと酷かもしれな
いけど、まあ私には特に関係ないな。なんたって覚えられてるんだから。
しかしいい天気だ。ポカポカしてて気持ちがいいし、なによりお茶が美味い。出涸らしだろうけど。
「平和だな…」
「幻想郷はいつだって平和よ」
「確かに」
結局その日は、日没が近くなるまで神社でのんびりして、晩飯を一緒に食べてそのまま一泊した。
こんな生活がずっと続いたら霊夢みたいに頭が春になるんだろうか? でも、たまにならそんな日が
あってもいいんじゃないかと思う。
だけど今にして思えば、この日が始まりだったのかも知れない。
◆
翌日、目を覚ましたら知らないようでいて知ってる天井が目に入った。
「そうだった…、神社に泊まったんだったな…」
頭を覚醒させて起き上がる。寝ぼけ眼を擦りながら客間を出て、居間に入るともう霊夢が起きていた。
私だってそんなに寝坊したわけじゃない。むしろ結構早く起きたほうだと思うのに、霊夢はもう朝食
を食べていた。朝のすきっ腹がご飯とみそ汁のいい香りに刺激されて、猛烈に空腹を訴え始めたので、
早速食事を請求することにしよう。耐えられないぜ。
しかし霊夢さん。どうして私を見て固まっているのですか? 何かおかしなところでもあるのかと思っ
て体を見渡してみても、特に異常は見られない。そんなことよりも今はとにかく朝飯だ。
「霊夢~、私にもご飯くれ~…」
「魔理沙…? どうしてこんな朝から神社にいるの?」
「なに言ってるんだよぉ、昨日はここに泊まったんじゃないか~…」
「そうだっけ?」
「他にどんな理由があるんだよ。とりあえず朝飯プリーズ」
「ちょ…ちょっと待ってて。今用意してあげるから」
「早くしてくれよ~…」
お腹が空いた上に眠い。これじゃあ何かを考える気力も湧かないぜ。
とりあえず卓袱台に向かって、力尽きるように倒れ込む。これ以上動く気にもならない。一瞬だけ、
霊夢の朝飯を頂いてやろうかという考えが頭をよぎったけど、それはさすがに意地汚いし、何より霊夢
が激怒しそうだから止めた。
止めてあげたから早くご飯を持って来てくれ、れいむ~…。
「お待たせ。簡単なものだけど」
「待ってたぜ。簡単なものっぽいけど、とりあえずサンキュー」
「相変わらず図々しいやつね」
「私らしくていいだろ?」
「らしく…ねぇ」
「どうした?」
「いえ…、別に何でもないわ。ご飯食べましょうか」
「そうだな。いただきます」
みそ汁を一口啜ってご飯をパクリ。
ん~! 質素で簡単だけどこれぞ日本人の朝、って感じだな。一気に活力が湧いてきたぜ! 今日も
元気だご飯が美味い、って意味もなく叫びたくなるな。叫ばないけど。
とりあえず農家の人たちとご飯を作ってくれた霊夢に感謝しよう。南無阿弥陀仏~…、は違うか。
「何を唸ってんのよ。ご飯くらい静かに食べたら?」
「これはこれは、何を仰いますか霊夢さん。私はいつだって淑やかだぜ」
「だったら『だぜ』をやめたら? 昔みたいに『うふふ…』とか笑ったら信じるわ」
「ふ…古い話を持ち出しやがって…。いいじゃないか、元気一杯を表現できて」
「そう感じるかどうかは人に依るわね。ま、あんたの好きにしたらいい」
「そうするぜ」
やっぱり私といえばこの口調だぜ。いきなり元に戻そうものなら異変になりかねないな。気をつけよ
う。霊夢とガチンコ弾幕ごっこなんて…、久しぶりにやってもいいかも。月人たちの異変の時以来そん
なことやってないし、たまには霊夢と真剣勝負、なんてな。
ま、今はいいや。最近地底の異変が終わったばっかりだし、ドンパチはしばらくお休みだ。
「ごちそうさま。あんたも早く食べなさい、一緒に片付けるから」
「そう急かすなって。もうすぐ終わるからさ………、ごちそうさま。美味かったぜ」
「お粗末様。どうせあんたもお茶飲むでしょ?」
「分かってるじゃないか。さすが私の嫁」
「アホらし」
軽く流されたぜ。真に受けられても困ってただろうけど、これはこれで虚しいものがあるな。
しかし霊夢は気が利くなあ。何て言うか、至れり尽くせりだ。ここに住みついたらずっとこんな生活
できるのかな? よし、いつかこの神社を私の本拠地にしてやる。そして霊夢を私の従者にするんだ。
素晴らしきかな、神社ライフ。これで私の老後も安泰だな。ラッキーだぜ。
さて、そうなるとどうやって乗っ取るかが問題だな。どうしよう………。そうだ、少しずつ私物を持
ち込んで、いつの間にか引っ越し完了作戦でいこう。まずは衣装箪笥あたりから始めよう。次は大量の
本棚でその次は……、色々あり過ぎて困るな。徐々に浸食していこう。霊夢ならきっと気付かない。
「ふふふ…、待ってろよ。私がここを占領する日も近い…」
「なに不穏なこと言ってんの。お茶ぶっかけてやろうか」
「おお霊夢や、真人間の私にいきなりそんな台詞はあんまりだぜ」
「白々しい。はいお茶。感謝しなさい」
「ありがたや~」
「気持ちがこもってないわ」
「何を仰いますやら」
食後にお茶を飲んで一息つく。これもまた日本人ならでは…というわけでもないか。とりあえず緑茶
美味い。カテキン最高。やっぱりここに住めば楽な生活ができるな。
あれかな、紫とかレミリアとか、あの辺の奴らもこんな楽々ライフ送ってんのかな。そう思うと少し
だけ羨ましい。ずるいぜ、私もいつかは必ず…!
「ところであんた、いつ帰るの?」
「この神社を手中に収めるまでは帰れない」
「帰れ。今すぐ」
「え~、ご飯食べたばっかりなんだからさぁ。もうちょっとゆっくりさせてくれよ~ぅ」
「そんなこと言って、お昼ご飯まで催促するつもりなんでしょ」
「分かってらっしゃる」
そう言うと盛大なため息が返ってきた。ため息を一つ吐くと幸せが一つ逃げていくんだぜ。だからと
いう訳じゃないけど、そんな呆れ顔しないでほしい。ちょっとやるせなくなるから。
でも霊夢の言う通り、昼過ぎくらいまでは居座るつもりだったさ。その後はちゃんと帰るよ。いくら
私でもそこまで図々しくない。いや、確かに神社を手に入れるとか言ってたけど、あれはちょっとした
ジョークであって本気でそんなつもりはあったりなかったりするんだぜ。
「とにかくさ、昼飯食ったら帰るから。それまでよろしく」
「なにがよろしく、よ。今しがた朝ご飯食べたばっかりなのに」
「それは言わぬが華だぜ」
「意味が分からない」
「すいませーん。霊夢さんはいらっしゃいますかー?」
「お、お客さんみたいだぜ。私と問答している場合じゃないな」
「終わったら問い詰めてやる」
「怖いこと言うなあ」
まったく、小さいことに拘るやつだ。もっと私みたいに大雑把になればいいのにな。その結果が我が
家の惨状なのかも知れないけど。まあ、気にしたら負けってやつだ。
それよりも誰が来たんだろうな。昨日も言ったけど、こんな寂れた神社に用のあるやつなんて私以外
にいるもんかね。いや、私だって特に用事があって来てる訳じゃないけどな。友達の家にフラフラっと
意味もなく立ち寄る気持ちなんだよ。アリスなんかはそれが無いから名前を忘れられたんだな、きっと。
まあそれはいいとして、とりあえず付いて行こう。ちょっと気になるぜ。
「すいませーん」
「はいはい、どちら様かしら?」
「あ、いたいた。お早うございます、霊夢さん」
境内にいたのは、緑を基調とした服を着込み、燃えるような赤いロングヘアーが特徴的な、紅魔館の
門番長だった。ここに来訪者っていう段階で珍しいのに、これまたさらに珍しい客だな。
こいつがここに、というか霊夢に用事……。駄目だ、さっぱり見当がつかないぜ。まさか…
「門番、クビにでもなったのか?」
「不吉なことを言わないで。私はお嬢様の伝言を知らせに来ただけよ」
「冗談だぜ。あまり本気にするなよ」
「ねえ魔理沙」
「なんだ?」
「この人のこと、知ってるの?」
「はあ? いやいや、紅魔館の門番じゃないか。名前は確か……、私も知らない」
「二人して酷い! 確かにそんな重要な役柄じゃないけど、私だって精一杯に慎ましく生きてるのに!」
その慎ましく、が問題の様な気がするけどな。だって仕方無いじゃないか。こいつが自分から名乗ら
ないのが悪いんだから、知らなくたって無理はない。しかし霊夢、確かに名前は知らないかもしれない
けど、こんな明るい色のやつまでよく忘れられるな。少し感心しちまったぜ。
でもまあこいつの用事ってのが分かったな。要はただの使いっ走りだろう。門番長って肩書があって
も、やっぱりあんまり偉くないんだなぁ。ちょっと哀れになってきた。
「いたかなぁ、こんな人…?」
「いるのよ! 私の名前は紅美鈴よ! ほ・ん・め・い・り・ん!」
「そんな大声出さなくても聞こえるわよ、美鈴さんとやら。それで、伝言って?」
「とやらって……コホンッ、まあいいや。今からちょうど一週間後が満月なのは知ってるわよね?」
「そういえばそうだな。それがどうしたんだ?」
「お嬢様がその日に紅魔館で酒宴を催すと仰るので、お客さんを招待して回っているのよ」
「ふーん、それで私の所へ?」
「そうよ。はいこれ、招待状。無くても入れるけど、一応持っといてね」
「私には無いのか?」
「あるわよ。一緒にいてくれて手間が省けたわ。はい、どうぞ」
そう言って自称美鈴から手渡されたのは、そこそこ豪奢な作りの書状だった。さすが紅魔館だな、こ
ういうところに力を入れてくる。なんて言うか格式ばってるんだよな。そうやって威厳を保とうとして
るのかどうかは知らんが、主があんな子供じゃなあ。何だか精一杯背伸びしてるおしゃまさん、って言
葉がぴったりなんだよ。確かに強いけどさ。
「ちなみに、内容はお嬢様の手書きらしいわよ。とにかく、確かに渡したからねー」
もう行っちまった。あいつも気忙しい奴だぜ。しかし手書きとは、それはまた几帳面だな。
早速封を開いて中を読んでみると、そこには丁寧な文体で詳細が記されていた。なるほどなるほど、
あいつもやればできるもんだと感心しながら最後まで読むと、そこですごいガッカリして、納得した。
「なあ、この…『代筆 十六夜咲夜』って…」
「そんなもんでしょ。気にしてたらキリがないわ」
確かにそんなもんか。そもそも、あのレミリアがこんな小まめに手紙を書く姿が想像できない。代筆
とか書いてあるけど、実際は内容も咲夜が考えたんだろうな。瀟洒だぜ。
だけど、なんでこんなこと書いたんだろう。こんなところで自己主張しなくてもいいんじゃないだろ
うか。もしかして、投げっ放しの主に対するささやかな反抗の表れなのか? でもそんなことあいつに
直接聞いても否定するだろうし、真相は闇の中、だな。
「で、どうする?」
「なにが?」
「行くのか?」
「そりゃ行くわよ。あそこの料理美味しいし」
「だよな。一週間後か」
当面の楽しみが出来たぜ。待ち望んだ日があると、それだけで毎日が楽しくなるってもんだ。
しかし来客も去った今、これ以上ここにいても仕方ないな。
「とりあえず中に戻ろうぜ」
「そうね、お茶も淹れなおさないと」
そう言えばそうだった。お茶を飲もうとしてたんだったな。
もう食後のお茶って感じの気分じゃないなあ。くそうあの門番め、今度会ったらとりあえずマスター
スパークだな。私の至福のひと時を妨げたのだ、それ相応の覚悟はしてもらおうか。
なんだか悪役っぽい台詞だな。あんまり少女らしくないし、自重しよう。
「さて、さっきの続きだけど」
「何の話だ?」
「あんたがいつ帰るのかって話よ」
「げ、まだ覚えてやがった。人の名前は覚えてない癖にそんな事は忘れないんだな」
「あの娘の名前はあんただって知らなかったじゃない」
「それはそれ、これはこれさ。昼飯食ったら帰るから、そうせっつくなよ」
「本当に?」
「だぜ」
「ならいいけど、いつまでも居座られても困るからね」
「やけに突っかかるな?」
「親しき仲にも、ってやつよ。本当はあんたが意識してないと意味ないんだけど」
こいつは手厳しい。きっと私たちの場合、親しくなりすぎて礼儀とかどこかに行っちまったんだろう。
しかしそれを霊夢に言ったところで、こいつが取り合ってくれるとも考えられないな。下手したら追い
出されかねない。私だったら間違いなくそうするからな。
霊夢の昼ご飯を頂いて、昨日と合わせ技一本で博麗神社の食事をコンプリートだぜ。それを達成する
までは帰らないぜ。まあ、そんな大層な飯は出ないけど、一人より二人で食った方が美味いんだ。
「これから気をつけるよ」
「期待はしないでおく」
「酷いぜ」
「まだ慈悲深い方よ」
軽口を言い合いながら屋内に入っていく。これはこれで居心地のいい関係だ。友達って感じがする。
きっとこいつとはこれから先も、ずっとこんな風に付き合ってくことになるんだろうな。腐れ縁って
言葉がピッタリだ。それでも、どんな呼び方でも、こいつと友達でいられるなら悪くない。
これからもきっとこんな関係が続いて、さらに腐れた縁になるんだろう。ところで、ただでさえ腐れ
縁なのに、これ以上腐ったらなんて言うんだろう。どうでもいいけど。
その後は特に何もなく、昼飯を頂戴してお茶を飲んで帰った。
去り際に、一週間後に会おうぜ、と伝えて、霊夢が頷くのを見てから飛び去った。
紅魔館で宴会が開かれるまでの間、私は神社には訪れなかった。だから、次の舞台はそこからだ。
◆
美鈴から招待状を受け取った日から一週間が経過し、今の時刻は夜だ。満月が空を支配している。
招待されたということもあって、珍しく弾幕による歓迎を受けずに紅魔館に入れた。こんな風にすん
なり入れることは滅多にないし、疲れなくていいんだけど、なんだか不完全燃焼だぜ。意味もなく暴れ
てみたくなる。本当に意味はないけどな。
会場は紅魔館の広大な庭園の一角で、広い空間を思いっきり利用してテーブルが並び、その上にはい
かにも豪華といった感じの料理が所狭しと並べられていた。くそう、まだ手が付けられないのが悔しい。
「少しぐらいならつまみ食いしても…」
「駄目よ。乾杯の音頭がすんでからにしなさい」
「げ、咲夜」
「挙動不審な白黒がいると思って様子を見ていれば、案の定だったわね」
「なんだよー、私ばっかりターゲットにすんなよー。
ほら、あそこの大食い亡霊なんかどうだ? 私よりよっぽど見張り甲斐があるぜ?」
「あれはあれで礼儀は弁えてるから。問題は弁えないあんた」
「失敬な。私をどんな目で見てるんだ」
「礼儀を弁えないやつね。宴会が始まればあんたの好きにしたらいいわ」
「暴れようが何しようが?」
「喧嘩も宴会の華、ってね。誰かの得になる喧嘩だったらどうぞ」
そんな喧嘩ってあるのか? 要するに面倒事は起こすなって言ってるんだな。大人しくしてるか。
しかし随分たくさん招待したみたいだな。主だった奴らは殆ど来てるぜ。今言った亡霊の姫にその従
者、永遠亭の奴らにお山の神社連中、天狗もいるな。お、八雲一家もお出ましか。おいおい、あの死神
までいるぜ。またサボってるんじゃないだろうな、と思ったら閻魔もいた。どうやら上司公認みたいだ
な。よく見たら地霊殿の連中も揃い踏みか。
それに加えて紅魔館の妖精メイドやらなんやらもわんさかいるから、だだっ広い庭園は大勢の人妖で
ごった返してる。人混みで酔うってのはこういう状況で起きるんだろうな。
しかしあの門番、随分多くの場所を回ったみたいだな。
「どうしたのよ、きょろきょろして。さらに挙動不審ね」
「いやあ、色んな奴を呼んだんだなって思っただけさ」
「これがお嬢様の器量だわ。あのお方が一声かければ、これだけ集まるのよ」
「頑張ったのはあの門番だろう。それに、代筆した誰かさんとか」
「何のことかしらね」
やっぱり白を切ったな。こいつに何を聞いても知らぬ存ぜぬを貫くだろう、たとえ明確な証拠があっ
たとしても。未だにこいつの性格がよく分かんないぜ。
ところで一体いつになったら始まるんだ? いい加減待ちくたびれたし、腹も減った。
「なあ~、まだ食べられないの~?」
「もう少し我慢しなさい。今からお嬢様が挨拶するから。ほら」
『えー、テステス…。只今マイクのテスト中。本日は晴天なり…』
「マイクテストなんてのは本番前にやっとくべきじゃないのか?」
「気にしたら駄目よ」
『御来賓の魑魅魍魎ども、ようこそ紅魔館へ。
私はレミリア・スカーレット。当然あんた等は知ってるでしょうけど、この紅魔館の主よ。
今日は私が主催するパーティーにこれだけ大勢お集まりいただき、誠に嬉しく存じますわ。
まったく、餌に釣られた愚かな獲物とも知らずにね…。いえいえ、何でもありませんわ。こっちの話。
本当に何でもないのよ? ただちょっとそれっぽい雰囲気を出したかっただけなんだからね?
だから無言で帰ろうとしないで。ちょっと泣けてきたから。
コホンッ……、それでは堅苦しい挨拶は抜きにして、思う存分今宵を満喫してちょうだい。乾杯!』
なんとも慇懃無礼な挨拶だろうか。それに、威厳が有るのか無いのかよく分からない挨拶だったぜ。
あんな気の抜けるやつが主人で、よく紅魔館が存続するもんだと感心するほどだ。
あれも持ち味というやつなんだろうか。私がここで働く身だったら不安で仕方ないな。
「なあ咲夜」
「言いたい事は分かるわ。でも、あんな所がいいのよ」
「そうか」
「そうよ」
なんというか予想通りの返答だったぜ。伊達でメイド長をやってないってことか。
まあ確かに好きな部分がないとメイドなんて仕事できないし、続かないよな。とりあえず私が紅魔館
で働くことだけはあり得ない、ということが判明したぜ。レミリアには悪いけど、なんか尊敬できない
んだ。それに、悪魔に仕えるような人間は咲夜一人で十分だと思う。
「あら魔理沙、ようこそ紅魔館へ」
「おう、招待されたから来たぜ、レミリア」
「今日ぐらいは歓迎するわ。楽しんでちょうだい。ところで、私の挨拶はどうだった?」
「聞くなよ」
「パーフェクトでしたわ、お嬢様」
「ありがとう、咲夜。まあ当然の事だけどね」
そりゃあこいつはそう言うよな。私にはツッコミしか思い浮かばなかったぜ、残念ながら。
「魔理沙ぁー」
「お、フランじゃないか」
「ていや!」
「おっと…。おいおい、いきなり飛びつくなんて行儀が悪いぜ」
「あはは、ごめんね。ねえ魔理沙、遊ぼうよ」
「弾幕ごっこか?」
「もちろん!」
「残念、今日はここの料理を食べに来ただけなんだ。また今度な」
「えー」
「そう言うなって。ほら、飲んで食って騒ぐだけでも十分楽しいぜ」
「あら、誰かの得になる喧嘩だったらいいのよ、魔理沙?」
「きーこーえーなーいー」
あれはもしかしてそういう意味で言ってたのか…?
まったく、余計なことを口にしないでもらいたいもんだ。別に今日は暴れに来たわけじゃないんだか
ら、わざわざのんびりできる時に弾幕ごっこはさすがの私でも遠慮願いたい。やるんだったら酔いがま
わって宴会が盛り上がってからだな。もしやるとしたらだけど。
「妹様、魔理沙はさっき暴れようとしていましたよ」
「え、遊んでくれるの?」
「また今度にしよう、本当に」
性質の悪いメイド長が一緒にいたら本当にやらされそうだ。冗談で言ったって分かってる癖に、こん
な形で話をぶり返すなんて性悪にも程があるぜ。さすが悪魔の犬だな。
とにかく、このままこの場所にいたら本気でフランの相手をさせられかねない。ここは一時撤退すべ
きか?
「フラン、今日は私が主催のパーティーよ。あまりお客に無様な姿を見せたらダメ」
「それってつまり?」
「大人しくしてなさい」
「えー、つまんない…」
よし、なんとか回避できた。この場限りレミリアに感謝だ。
「神社で開かれてたなら私も何も言わないけどね。そういえば霊夢は来ていないの?」
「ん、そういえば見てないな。行くって言ってたし、そのうち来るんじゃないか?」
「相変わらずのんびりね。私のスピーチを聞かせられなくて残念だわ」
「はいはい」
わざわざ聞かせたいと思う程のものでもなかったろうに、その自信はどこから来るのやら。あれか、
レミリアってやつは自意識過剰なのか。本気の発言だとするなら月人の所に通院した方がいいぜ。主人
完全肯定の奴が傍にいたらこんな風になっちまうのかもな。
しかし霊夢はどうして来てないんだろうか。本来だったら私より速く来て料理に目を光らせていて然
るべき奴だというのに、開催しても来ないなんて奇妙極まりないぜ。でも…、
「まあ、霊夢ですから」
「咲夜の言う通りね。霊夢だし、そのうち来るでしょ」
「だな。とりあえず私はそろそろ移動するぜ」
「魔理沙、また後で遊ぼうねー」
「気分が乗ればなー」
さて、そうは言ったもののどこへ行ったもんだろうか。所狭しとテーブルが並べられ、その上には普
段お目にかかれないような豪奢な料理が用意されているのだから、目移りしてしまうのも無理はない。
辺りを観察していると、少し離れた所に見慣れた金髪と紫髪を発見した。とりあえず接近だな。
「よう、パチュリー。それとアリスも呼ばれてたのか」
「私をついで扱いしないでよ」
「それは仕方ない。なんたってお前は霊夢に忘れられるようなやつだからな」
「…思い出させないでよ」
「そうそう、あの襷は付けてこなかったのか?」
「やっぱりあんたが犯人か! なにが『ワタシ アリス コンゴトモヨロシク』よ! 嫌がらせか!?」
「はっはっは、何を殊更」
「うぎぎ、憎しみで人を殺せるなら…!」
いやはや、予想通りのリアクションで嬉しい限りだぜ。アリスは血の涙でも流さんばかりに私を睨み
つけていて、正直な話かなり不気味だ。人外って言われて納得するくらいの怨念をまき散らしていやが
る。私たち三人を中心にしてドーナツ化現象が起きてるのが手に取るように分かるな。
さすがアリス。本当に呪い殺されそうだぜ。
「何の話をしているの、二人とも?」
「それはだな、実はアリスが霊夢に――」
「――名前を忘れられたのよ! ああ、忌まわしい記憶だわ…」
「ふーん…、で?」
「いや、でって言われても、それだけなんだが」
「襷の件が残ってるわよ」
「おお、それは私がアリスに名前を刺繍した襷を贈呈してやったんだ。もう名前を忘れられないように、
っていう私の気遣いだったんだけど、どうもこいつはお気に召さなかったらしいな」
「へぇ、そういうこと。それは大層な嫌がらせね」
「でしょ!? それをこいつは気遣いだなんて…、よくもそんな言葉が吐けるもんだわ」
「皮肉に決まってるだろ」
「相変わらずいい性格してるわ」
「褒めるなよ」
「褒めてないわよ」
わかってるけどな。いくら私でもそれを褒め言葉と捉えるほど楽観的じゃない。
それにしてもアリスさん、いい加減その恐ろしい目をやめて頂けないでしょうか。先ほどから異様な
までの寒気が私を襲っていて、正直気分が悪くなってきたぜ。
何とかしてこいつの気を逸らさないと精神がもたない。いや本当に。
「ほーらアリス、そんなしけた面してたら折角の飯が不味くなるぞ。スマイルスマイル」
「あんたの顔見てる方が不味く感じるわね」
「酷いこと言うぜ。なあ、パチュリー?」
「残念だけど、アリスに同意するわ」
「こいつは手厳しい」
両手をあげて首を左右に振り、お手上げのジェスチャーをとっておどけてみる。それでもアリスの突
き刺さるような視線は止まない。
どうやらこの場に私の味方はいないみたいだ。なんとなく分かってたことだけどな。まったくこいつ
らときたら、私なりのジョークを理解しようとしないんだから困ったもんだぜ。からかいとも言うけど。
こうなったらあれだな。戦略的撤退というやつだ。このままここにいたらマズイという私の第六感が
警鐘を鳴らしている。なので大人しくそれに従うとしようじゃないか。
「それじゃ、私はこれで」
「あ、待ちなさい! あんたにはまだまだ言いたい事があるのよ!」
「待てと言われて従うほど私は素直じゃないぜ?」
「まぁ、そうでしょうね」
「さすが、パチュリーさんは良く分かってらっしゃる。その言いたい事とやらはまた今度聞いてやるぜ」
さらば、とだけ残してその場を後にする。アリスが後ろで騒いでいるのが聞こえるが、今この状況で
捕まろうもんなら宴会を楽しむどころじゃないな。きっと延々とお小言を聞かされるに違いない。そん
な厄介なキャラはどこぞの閻魔一人で十分だ。
「おや、貴方はいつぞやの魔法使い。きちんと自分の生活を見つめ直していますか?」
「げ、噂をすれば…」
「人の顔を見るなり、なんですかその態度は。
今一度お灸をすえる必要がありそうですね…。そこに直りなさい。説教して差し上げます」
「死んでも御免だぜー!」
「あ、逃げた」
「いやー、すごい逃げ足ですね」
「仕方ありません。今日の説教は小町で我慢しておきましょう」
「何故ですか!?」
死神、哀れなり。私の代わりに死んでくれ。
しかし驚いた。いきなりあんなのに出くわすなんて思ってなかったし、いきなり説教されそうになる
とも思わなかった。レミリアもあんな地雷みたいなやつ呼ぶなよ。物騒極まりないぜ…。
ところで、さっきから私は逃げてばかりの様な気がするな。でも相手が悪いんだからしょうがない。
ついでに言うと、あんまり飯も食べてない。私は何しに来たんだろう。
どこか落ち着けそうな場所を探そうと周囲に目をやると、永遠亭の連中を発見。因幡たちを大勢引き
連れており、その一角だけ兎小屋みたいになっている。
「あれじゃ落ち着けないな。パス」
そもそもあそこの連中ってなんか絡み難いんだよ。独特の空気を持ってるっていうか何と言うか…。
詐欺師にマッドな医者にその弟子、極めつけには生粋のお姫様ときたもんだ。何て濃い連中だ。後の三
人なんて宇宙人だし、扱い方が未だに分からない。下手に刺激したら何が起こるか分かったもんじゃな
い。危険だし、あんな兎がひしめき合うところで落ち着けるほど私は無神経じゃないのである。
他にいい場所はないものかとあたりを探ると、なぜか一ヶ所だけ妙に開けたスペースを発見した。さ
っきのアリスみたいに陰湿なオーラでも放ってるやつがいるのかと思い、その場所に足を踏み入れてみ
ると、そこにいたのは八雲家一同だった。
なるほど、確かにこいつら相手じゃそこらの妖精は近寄れないだろう。格が違い過ぎる。チルノくら
い考え無しなら平気で突っかかるんだろうけどな。とりあえず落ち着けそうだし近寄ってみよう。
「よう、一家お揃いだな」
「あら魔理沙。こんばんは、ご機嫌いかがかしら?」
「ぼちぼちだぜ。お前たちはどうなんだよ?」
「悪くないわ。ねぇ、藍?」
「はい、こういった趣の宴会も偶にはいいものかと思います」
「もうお腹一杯です~…」
「橙、お前はもう少し自制を覚えなさい」
ああ、なんか急に落ち着いた空気が流れるなぁ。こいつらだって厄介なことには変わりないのに、ど
うして他の連中とここまで差が出るのだろうか。
よし、暫くここにいるとしよう。せっかく呼ばれたんだから食わないと損だぜ。
「それにしても…むぐ、あれだな…もぐ」
「はしたないわよ。ちゃんと飲み込んでから話しなさいな」
「むぐ……ゴクン、よく招待されたな、お前たち」
「あら、どういう意味かしら?」
「いやいや、お前たちの住み家なんて何処にあるのか分からないのに、よく招待状が届いたな、と」
「それは橙が外で遊んでいる時に、たまたま私たちの分も併せて受け取ったんだ」
「なるほど、偶然か」
「さてそれはどうかしらね。もしかしたら運命だったかもしれませんわ」
「運命…? それって、レミリアか?」
「さあ?」
「さあ、って…」
「お生憎様、私に真実を見通す目はないわ。可能性の話をしただけ。
ただ、多忙な閻魔様まで易々と招待できたのは少しだけ不自然、とだけ言っておきましょうか」
紫の言を手繰るなら、レミリアは指示を出しただけじゃなくてきちんと仕事をしたということになる
のだろうか。確かにあの堅物閻魔なら宴会より仕事を優先させそうだ。そう言われると少しだけ信憑性
があるな。なんだ、投げっ放しじゃなかったんだ。ちょっと感心したぜ。
「閻魔様まで来ているというのに、呼ばれなくても来てそうなあの子がいないようだけど?」
「ん、子鬼の事か?」
「萃香はさっき見かけたわ。いつも通りお酒ばかり飲んでたわね。そうじゃなくて、霊夢よ」
「おお、まだ来てないみたいだな。相変わらずマイペースなやつだぜ」
「その点は貴方も負けてないわ。一緒には来なかったの?」
「ガキの使いじゃあるまいし、わざわざ二人で来ることもないだろ」
「ちょっと遅すぎないかしら? 招待はされているのでしょう?」
「まぁ、確かにな。もしかしたら…いやいや、こと宴会に限ってそれは…」
「心当たりでも?」
「いや、もしかしたら忘れてるのかなー、なんて思っただけだぜ。
あいつ最近物忘れが激しいような気がしたからさ」
自分で言って馬鹿らしくなる。霊夢が宴会の約束をすっぽかす姿が想像できないからだ。
タダ飯、タダ酒に釣られないほど霊夢は聖人じゃない。それどころか率先して参加しに来るだろう。
そんなあいつが今日の事を忘れるなんて、天変地異の前触れでしかないな。
「霊夢に限ってそんなこと有り得ないな。だったら他に何か……、紫?」
ふと正面に目をやると、紫が何事か深く考えている素振りが見えた。私の呼びかけも聞こえていない
ようで、口元に手をあてたまま黙り込んでいる。
「どうし――」
「魔理沙」
「――ひゃあっ」
不審に思って顔を覗きこもうとしたら、突然紫が口を開いたものだから驚いてしまった。それはもう
盛大に、普段上げないような声まで上げて驚いてしまった。恥ずかしいぜ。
「な、なんだよ」
「詳しく話してちょうだい」
「何を?」
「物忘れの激しい霊夢の話よ」
「あ、あぁ…、これが傑作でな。実は先週の話になるんだけど、私が神社に遊びに行ったんだよ」
「過程の話はいいから、何が起こったかだけを教えて」
…詳しくって言ったくせに。せっかく私が面白おかしく話を進めてやろうと思ったのに、興ざめだぜ。
「まあいいや。結論から言うとだな、霊夢がアリスの名前を忘れたのだった」
「…それだけ?」
「えーっと、あとはここの門番の事を綺麗さっぱり忘れてたな。私も名前は知らなかったんだけど」
「他には何かある?」
「他にぃ…? うーん、そうだなぁ。強いて言えば私の朝食を用意してくれてなかったことか」
「それはそうでしょう。なんで霊夢が貴方の朝食を作るのよ」
「いやいや、その日は神社に泊まったんだよ。
それで、起きたら霊夢は自分だけご飯を食べていた、と。こういう訳だ」
あの時はしんどかった。極限の空腹状態だったのに目の前の飯を食えないというジレンマに襲われて
いたからな。別に食べちゃっても良かったんだけど、烈火のごとく激怒する霊夢が目に見えていたから
さすがに自重したのを今でも覚えてる。生殺しっていうのはまさしくあの状況の事を言うんだろうな。
ただ、辛抱してからの朝食はとても美味かったとだけ付け加えておこう。
「そう…。そんなことがあったの」
「あったんだぜ。物忘れというかお惚けというかって感じだな」
「わかったわ、話してくれてありがとう。藍、私は今から神社に行くわ」
「かしこまりました」
「おいおい、もしかしたらこっちに向かってる最中かも知れないぜ?」
「私なら一瞬で着くわ。それに、霊夢はきっと神社にいる」
「随分と自信ありげだな。根拠でもあるのか?」
「根拠はあるわ。貴方が言ったように、忘れてるんでしょう」
いや、あれは冗談のつもりだったんだけど。まさかここまで真剣に受け止められるとは思わなかった。
なんだか紫は深刻な顔してるし、そんなに霊夢の物忘れが心配なのだろうか。
「もしかして、霊夢は若年性健忘症にでもかかったか?」
「性質の悪い冗談ね。まあ、それはない、とだけ教えておくわ。それじゃあ、行くわね」
「おう、さっさと忘れん坊を連れてきてやれよ。飯がなくなるぞ、ってな」
「――――……」
軽口を叩いて紫を送り出すが、当の本人は私の言葉に返事をすることもなくスキマに潜ってしまった。
私に対する返事はなかったけれど、紫は去り際に妙な言葉を残していった。
「なあ、『早すぎる』ってどういう意味だ?」
「結論は紫様が下してくれるさ」
「結論? 何に対する?」
「私の口からはなんとも。そら、いつまでもここにいていいのか?」
「駄目なのか?」
「駄目とは言わんが、向こうから金髪の魔女さんがお前の名前を呼びながら接近中だぞ」
げ、アリスの事かよ。あいつもしかしてずっと私を探してたんじゃないだろうな…?
恐るべき執念だな。このままここにいたら捕まってあいつの愚痴を聞かされること必至だぜ。そんな
面倒でつまらないことはない。
「貴重な情報感謝するぜ。それじゃ、私はこれで」
「ああ、気をつけなさい……。どこに隠れようとしているんだ…」
「お前の尻尾だが、何か?」
「隠れきれると?」
「案外いけると思う」
「そうか…、だがそこには既に――」
「――ここ私の場所。ダメ、絶対」
先客もとい橙が尻尾にくるまっていました。
さっきから姿を見ないと思ってたらこんな所に…。まったく、やれやれだぜ。これじゃあ私の逃げ場
が無いじゃないか。どうしたもんかなぁ。
「魔理沙発見! 行きなさい、上海!」
そうこうしている内に見つかってしまった。しかも問答無用かよ。
あっという間に私の周囲はアリスお手製の人形たちに囲まれて、今にも弾幕を展開せんばかりに魔力
が込められている。一方の私は片手にフォーク、そしてもう片方には取り皿ときたもんだ。こいつはま
いったぜ、どうしよう。
「ふふふ…、追い詰めたわよ。貴方は一度痛い目に遭った方がいいわ」
「体罰は感心しないぜ」
「痛くなければ憶えないでしょう? この私の恐ろしさをね!」
げ、本当に撃ちやがった。まったく、非常識極まりないぜ。
しかしアリスらしくないな。怒り心頭で冷静さを失ってるとでも言うのか、前後左右に逃げ場を与え
ない点では完璧なんだが――
「――上を忘れてるぜ!」
人形から放たれた弾幕が私のいた場所に着弾し、辺りが土煙に包まれる。発射から着弾、その刹那に
私は箒で上空へと飛びあがり八卦炉に魔力を込める。
さあ、反撃だ。しかし地面を見下ろしてもアリスは見当たらない。一体どこに――ッ!?
「そんなのは、お見通しよ!」
これは非常にマズイ。アリスは私と同時に飛び、既に次なる攻撃の準備をしていたのだ。
上空に逃げ道を残したのはわざとで、そして私はまんまとその罠に引っ掛かった鼠という訳だな。こ
のままでは撃墜は必至。アリスが勝ち誇り、私を見下ろす未来が目に浮かぶ。
このまま何もしなければそうなる。だけど――
「――こっちだって、攻撃できるんだよッ!」
私とアリスが同時に打ち出した砲撃が空中で衝突し、炸裂する。凄まじい閃光が辺りを包み、目を開
けていられない程だ。爆風で帽子が飛んで行きそうになるのを必死で押さえながら空を飛ぶ。
「きゃああッ! 突然なんなのよ!?」
「飛ばされるー!」
「ああ、サニーが! ルナ、手伝って!」
ようやく目が開けられるようになった頃には風もおさまり、私とアリスは静かに睨み合う。
「…やってくれるじゃない。さすがに素直にやられてくれないか」
「お前こそやってくれるぜ。まさかいきなり撃ってくるとは思わなかった」
「悪い魔法使いは退治される運命なのよ。大人しくお縄に付きなさい」
「それはこっちの台詞だぜ――……ん?」
「魔理沙ー! 私も混ぜてー!」
ヤバイ、非常にヤバイ。私の名前を叫びながら向こうからやってくるのは、なんとフランお嬢様では
ありませんか。
この状況はとても危険だ。何が危険って、このままだとアリスとフランを同時に相手しなくてはいけ
なくなる。そんなことした日には、果たして私は五体満足で帰れるのかどうか危うい。
なんとかしてフランの参戦を止めなくてはッ!
「ふ、フラン? レミリアがさっき言ってたじゃないか。
『あまりお客に無様な姿を見せたらダメ』って」
「『私の宴会で暴れる不届き者と遊んでいらっしゃい』って言ってたよ」
主人公認かよ!
どうしよう。今度ばっかりは本当にどうしよう。さすがの私も逃げ道が見当たらない。こうなったら
もう、色々と難癖付けて全責任をアリスに押し付けるしかないじゃないか。
「ふふん、いい気味ね。普段の行いが悪いからそんなことになるのよ」
「いいかフラン、よく聞け。
全ての発端はアリスがいきなり私を襲ったことだ。私は犠牲者なんだ。アリスだけ狙え」
「何とんでもないこと言い始めるのよ!? あんたの素行の悪さが招いた結果でしょ!」
「お前だってわざわざこんな時に仕掛けなくてもいいじゃないか! お前が悪い!」
「こ…こいつ…。フランちゃん、魔理沙と遊びたいんでしょ?
私は邪魔しないから二人で心行くまでじっくりとやり合ってちょうだい」
「んー…。でもお姉さまは『宴会で暴れる不届き者』って言ってたよ」
「だから魔理沙を――」
「――お姉ちゃんも暴れたよね?」
むしろアリスが先に暴れたと声を大にして言いたい。だけどそれが無駄だということはなんとなく分
かっている。フランは既にやる気満々で、とてもいい笑顔だから。それとフランの最後の台詞の、お姉
ちゃん『も』、という件…。無理だ、逃げられない。
一方のアリスは滝のような汗を流している。多分あいつは満月の晩に吸血鬼と対決することの意味を
私よりも知っているんだろう。
んー、あれだ。今回の一件を一言でまとめると、
「悲しい事故だったんだよ」
「なに冷静に締めてんのよ!? なんとかしなさい!」
「無理無理。精一杯抵抗しようぜ?」
「ああもうっ! なんでこんな事に!?」
「運命ってやつじゃないか?」
「じゃあいくよ。まずは『スターボウブレイク』からね。えいやー」
「ちょ、軽――!」
その後の事は良く覚えてない。とりあえず、宴会が盛り上がったらしいということだけ追記しておく。
というのも、気付いたら紅魔館のベッドだったからだ。ついでに言うと夜も明けていて、宴会はとっく
に終わっていた。
後に藍に聞いた話だが、宴会の晩に紫は戻らず、結局は霊夢も来なかったらしい。
◇
――……ここは…?
少女は目を覚ました。その場所は見覚えなど無いのに、知っている場所だった。
そして、自分が何者であるか、何をするべきなのかを漠然と理解していた。
混乱はなく、冷静な心で寝床を後にする。緩慢なその動作は、まるで長い夢から醒めた様だった。
――…お腹すいた。ご飯の支度しないと。
混乱はなかったが、違和感はあった。
それはまるで、何かがすっぽり抜け落ちてしまったかのような錯覚。
その何かが少女には分からず、探しても答えなど見つからなかった。
いつしか少女はそれを考えることを忘れ、日々を生きるようになる。
夢から醒めて見る現実は、少女にとってどこか実感がなかった。
◆
それは紅魔館での宴会が終わり、数日が経った、ある晴れた日の事だった。
特にすることもなく暇を持て余していた私は、とりあえず霊夢に会いに行くことにした。
神社に着くと、霊夢は縁側に座っていた。いつもの見慣れた光景だ。毎度の如くお茶でも飲んで休憩
でもしているのだろうと思い、境内に降り立って近寄ってみると、私の予想はものの見事に外れていた。
「何やってるんだ、霊夢?」
「ああ、魔理沙か。特別なことはしてないけどね。ほら、これよ」
「それは……、なんて名前だっけ?」
「祓串よ。正確には、祓串だったものね」
霊夢の言葉通りそれは柄の部分が中ほどでポッキリ折れてしまっていて、使い物にならないという程
ではないのだろうが、非常に使いづらそうな状態になっていた。何より格好がつかないし、神聖な道具
だというのにありがたみも感じられない。
「ご臨終か」
「そうね。でも、折れた所を補強すれば使えそうじゃない?」
「無理じゃないだろうけど、そんなんでいいのか?」
「大丈夫でしょ、形さえ整ってれば」
「随分いい加減なんだな」
「気にしたら駄目よ。古い仏閣だって補強とかしてるんだもの。これが駄目だってことないでしょ」
「そりゃまあ、その理屈だとそうだけどさ。
それってそこまでしなくちゃいけないもんだっけ?」
「全然。消耗品に近いし、愛着もないわ。
それにご臨終したんだから、本当はきちんと供養してあげないと駄目なのよね」
「だったら…」
だったら何故そうしないのか、そう問いかけようとしたら霊夢が立て続けに口を開いた。
「魔理沙の言いたい事は分かるけどね、生憎と今は替えが無いのよ」
「おかしなこと言うやつだな。替えが無いなら用意すればいいじゃないか」
「そうなんだけど、今までどうやってこんなもの用意してたのかが分からないのよ。
私がこれを作ったとも考えられないし、作れるとも思わないのよねぇ」
ついでに言うと霊夢が夜なべしてこれを作ってる姿も想像できない。途中で投げ出しそうだ。「こんな
もん作れるかー!」とか言って。
はて、そうなるとどこかで仕入れていたことになるけどそれは何所だったろうか。私は霊夢がそれを
手に入れる光景を何度か見かけたことがあるような気がするんだけど。それも割と近場で……、ああ。
「香霖堂で貰ってくればいいじゃないか。いつもツケで持っていってるんだろ?」
「……はぁ?」
「おっと、惚けたって無駄だぜ。お前が律儀に金を払っているとは思えないからな。
まあ、私も人の事言えないけどな。なんでだろうな、あいつの顔見てると払う気が起きないのは」
「…何の話をしているの?」
「だから香霖の事だよ。あんなところで商売してて、どうやって生活してんのか疑問だぜ。
なあ、霊夢もそう思わな――」
「――香霖って、誰?」
思わず自分の耳を疑ってしまった。霊夢は今、何と言った?
「さっきから何の話をしているの、魔理沙?」
「い、いや…、香霖だって。私はそう呼んでるけど、森近霖之助っていう店主がいるだろうが」
「……記憶にないわ」
「おいおい…、金を払いたくない気持ちは分かるけど、さすがにそんな言い方は哀れだぜ?」
「だって分からないんだもの。私はそんな人知らないわよ」
「…冗談にしちゃきついぜ?」
「知らないものは知らないわ。冗談じゃなく」
霊夢の言葉に嘘や冗談は感じられない。こいつは真剣に、香霖の事を知らない、と言っている。
そんなことがあるはず無い。だって霊夢と私は何度も一緒に香霖堂を訪れている。そこら辺の店屋な
らいざ知らず、相手はあの辺鄙な場所に店を営む香霖だ。しかもあいつは半妖というおまけ付き。これ
だけの条件が揃っていて忘れるなんて、いくらなんでもあり得ない。考えられない。
しばし呆然と立ち尽くしたまま霊夢を見やると、壊れた祓串を真剣な表情で見つめながら唸っている。
本気で香霖堂のことは頭に無いようだ。
何が起こっているのか私には理解できなかったけど、何かが狂い始めていることは理解できた。
その時の私にできたことと言えば、フラフラと力無く家路につくことだけだった。
静まり返った夜に、幼い少女の泣き声が響く。
――こんばんは、お嬢ちゃん。
――…ぐすっ……、だれ…、おねえちゃん…?
――突然で悪いけど、あなたの人生を少しだけ、皆の為に使わせてもらいますわ。
それが、始まりの出会い。そして――……隠された記憶。
◆
「おっす霊夢、魔理沙さんが来てやったぜ」
「別に頼んでない」
「まあそう言うなって。とりあえずお茶でもくれないか?」
「はいはい、ちょっと待ってなさい」
ブツクサ言いながらもちゃんとお茶出してくれるんだよな。たまにご飯つくってくれたりもするし、
霊夢はやっぱりいいやつだぜ。やっぱり持つべきものは友達だな、うん。
霊夢がお茶を持って来てくれるまで特にすることもないので、縁側に腰掛けてぼんやりと境内を眺め
てみる。相変わらず寂れた神社だが、掃除だけはキチンとこなしているようで、境内には落ち葉一つ見
当たらない。適当なようで結構マメなんだよな、霊夢って。
ぼーっとしていたら、鳥居のさらに向こうの空から何やら影が近寄って来た。私以外にこんな神社に
用事のあるやつなんているのか、とか考えてたらその影は境内に着地。なんだ、誰かと思ったら、
「アリスか。どうしたんだよ、何か用か?」
「アリスか、とは随分なご挨拶ね。別に、フラッと立ち寄っただけよ。あなたはどうなのよ?」
「私も似たようなもんだ」
「それなのに我が物顔なんだから、呆れてものも言えないわね」
「まあそう言うなって」
まったく、相変わらずというか何というか、つっけんどんな性格だな。私はもう慣れたけど、初対面
の人間がこれ聞いたらかなり尻込みすると思うんだ。なまじ可愛らしい外見なだけに中身は結構キツイ
からな。おっと、外見の見栄えでは私も負けちゃいないぜ。
「それで、家主がいないみたいだけど?」
「今はお茶を淹れてるぜ、私の為に」
「やっぱり我が物顔ね」
「なあに、魔理沙。誰か来たのー?」
「ああ、キツイ性格の魔法使いが一人ご来店だぜ」
「ご来店って、ここは神社なんだけど…。それより誰が来たって?」
「魔理沙は後でとっちめるとして…、しばらくぶりね、お気楽巫女さん」
しばらくぶりなんだ、霊夢とはあんまり会ってないみたいだな。アリスって都会派とか気取ってる癖
に社交性はないんだよな。そんなだから友達少ないとか言われるんじゃないのか? ま、アリス自身で
決めることだし私には関係ないな。
ん…? なんだか霊夢の様子が変だな。アリスの顔を見て頻りに首を傾げてるけど、どうしたんだ?
「なにやってるんだ、霊夢。首が据わらなくなったのか?」
「んなわけあるか。そうじゃなくって、あなた。えーと…」
「私がどうかしたの?」
「どうかしたとかでもなくって…、うーん」
「本当にどうしたんだよ。人を指さしたらいけないんだぜ、いくら相手がアリスでも」
「ちょっと、それどういう意味よ?」
「そう! アリス、アリスだったわね!」
霊夢は謎が氷解したかのように何度も繰り返し『そうだそうだ、アリスだった』と言っている。
なんだろう。もしかしてというか、もしかしなくても――
「――こいつの名前、忘れてたのか?」
「ちょっと魔理沙、とんでもないこと言わないでよ。いくらこいつがお気楽だからってそれは――」
「えーと……あはは…」
「え、本当なの?」
「そうじゃないのよ? ただ、ちょっと……その…、ごめんね?」
「そんな…、これでも結構長い付き合いなのに…」
「あははは! こいつは傑作だ! 偶にしか顔見せないからこんなことになるんだぜ?」
「魔理沙うるさいわよ」
「ははは! …あー、腹痛い」
「いいもんいいもん…。私には沢山のお人形さんがいるもん…」
「そんな気落ちしないでよ。えーと…アリス?」
「その疑問符を外さない限り慰めにならないのよ…」
「ぷ……っ!」
こいつはいい、本当に傑作だ。こんなに沈んだアリスは初めて見た。珍しいもん見せてもらったぜ。
これは霊夢に感謝しないとな。惚けたやつだとは前々から思ってたけど、こんなファインプレーかまし
てくれるなんて…、やっぱり霊夢は面白いな。
今だって現在進行形でアリスをなんとかフォローしようとしてるけど、それがことごとく空振りに終
わってアリスはさらに暗い影を落としていって、それがまた面白くって笑いが止まらないぜ。
「と…とりあえず、一人増えたならもう一つ湯呑持ってこないとね」
「いいのよ…、そんな気を遣わなくたって…。どうせ私なんて…」
「そんな卑屈になるなよ。霊夢だって悪気があったわけじゃないだろうし。な、霊夢?」
「そりゃそうよ。悪気なんてこれっぽっちもないわ。ただ純粋に忘れてただけよ」
「うふふ…、それがフォローになると本気で思っているのかしら…?」
「ああ! 悪かったから! 謝るからそんな陰気臭い空気出さないでよ!」
「もうダメだ…腹が捩れる…」
霊夢は私を殺すつもりなのだろうか。まあ、そんなつもりは毛頭ないんだろうけどな。げに恐ろしき
は天然、ということだな。アリスなんてしゃがみこんでブツブツ言いながら地べた弄ってるし。はっき
り言って不気味以外の何ものでもないぜ。
しかし困ったな。こいつがこんな風になるのを見るのなんて初めてだからなぁ、どう対処したもんだ
ろうか。霊夢も分かりやすいくらい困り顔してるな。つくろい笑顔が不自然なくらい引き攣ってるぜ。
ここは私が何とか助け船を出してやらないといけないな。
「ほらアリス、いつまでもいじけてるなよ。いつものふてぶてしいお前はどこにいったんだ?」
「いつもふてぶてしいあんたに言われたくない」
「お、ちょっとだけいつもの調子に戻ったな。とりあえずお茶でも出してやれよ、霊夢」
「そうね。今持ってくるから少し落ち着いたらいいわ」
「ええ、お願い。私みたいな得体の知れない来訪者にもお茶をくれるなんて、巫女さんは優しいわね」
「おい霊夢。こいつの相手は私がしとくから、早く行ってこいよ」
「よろしく」
まったく、いつもはさばさばした性格なのに何だってこんなに粘着質になるかなあ。いい加減しつこ
いぜ。そもそも忘れられた原因は神社に顔を出さないこいつなんだから、自業自得なんじゃないか?
「おいアリス、いつまでうじうじしてるんだよ。もう許してやればいいじゃないか」
「あなたは分かってない。顔馴染みだと思ってたのに『あんた誰だっけ?』と言われる辛さを」
「そりゃあ私は覚えられてるから」
「うふふ…、それは羨ましいわね。私がどれだけ惨めな思いをしたか…」
「だからそれはもういいって。霊夢だってそんな直接的な事言ってなかっただろう?」
「あんなの言われたも同然よ。さすがの私も鬱になったわ」
「はいはい、分かった分かった。だからいい加減に機嫌直せって。相手はお気楽者の霊夢だぜ?」
「…まあ、言われてみればそうね。頭が春のあいつの言うことに拘ってたらキリがないわ」
なんとか持ち直したみたいだな。こいつの珍しい顔が見れたから楽しくて仕方なかったけど、こんな
に面倒な一面があるとは思わなかったぜ。今後アリスを下手に刺激するのはやめとこう。厄介すぎる。
しかし未だに陰気な空気を放ち続けるこいつと二人でいるのはさすがの私もしんどい。早く戻ってく
れ、霊夢…。
「お待たせ、お茶よ…って、どうしたの魔理沙? 随分やつれたんじゃない?」
「遅いぜ…。やつれた理由は察してくれ」
「無理、わからん。ほら、アリスにもお茶よ」
「ありがと……はぁ、たまには日本茶もいいわねぇ…」
「…納得できん。なんで私だけが疲れてるんだ?」
いつの間にやら霊夢もアリスもケロッとした顔してやがる。まるでさっきまでの事をすっかり忘れた
みたいだぜ。むぅ、私が考え過ぎなのがいけないのだろうか…。
あまりにも落差が激しすぎて、こいつらがグルになって私を苛めてるんじゃないかとさえ思えてきた。
いやでもなぁ…、アリスはともかく霊夢がそんなことするとは思えない。
だとすると、一人で勝手に疲れてる私が悪いのか? なおさら納得がいかないぜ。
「…もういいや、深く考えないようにしよう」
「何わけの分からないこと言ってんのよ。キノコの食べ過ぎで気でも触れた?」
「馬鹿言うなよ、アリス。私はただ浮世を嘆いてただけだぜ」
「余計に意味が分からないわね」
「別に分かってもらおうとも思わないな。ただの独り言だし」
独り言に誰かの理解を求めてどうするんだって話だ。この気持ちは私以外には分からないのさ。
はぁ…、熱めのお茶が染み渡るぜ…。
「たまにはこんな風にのんびりするのもいいわね…」
「何言ってるのよ。霊夢はいつだってのんびりでしょうに」
「それは同感だな」
「そう? 私ってそんなにのんびりしてるかしら」
「自覚がないのがいい証拠よ。さて、と…」
「どうしたんだ、アリス?」
「お茶も頂いたことだし、そろそろお暇するわ」
「もう帰るの? 随分とせっかちね」
「休憩がてら立ち寄っただけだからね、長居するつもりはなかったわ。
それに私はあんたらみたいに暇じゃないし、やることが一杯なのよ。それじゃ、またね」
あんたら、って私も含むのか。失礼なやつだぜ、全く。まあ確かに今は暇だけどな。
アリスは去り際に『もう私の名前、忘れないでよ』と念を押していったけど、やっぱりまだ気にして
たんだな。忘れられたくないんだったら今度から名札でも付けてくればいいのに。そうだ、今度プレゼ
ントしてやろう。思いっきり皮肉をこめて。
それだったら名札よりも襷の方がいいな。なによりも派手で目立つし。あいつどんな顔するかな…?
今から楽しみでしょうがないぜ。
別に霊夢と同列の暇人に認定されたことの腹いせじゃないぞ。ちょっとムカッときたけど。
「しかし休憩しに来たって言ってたけど、結局へこんでお茶飲んで帰っただけだったな」
「結果だけ見るとそうね」
「頼むから私の名前は忘れないでくれよ?」
「アリスの名前も忘れるつもりはなかったんだけどね。なんか出てこなかったわ」
「そのおかげで面白いもん見れたぜ。疲れたりもしたけど」
「面白いものって?」
「こっちの話だ。多分霊夢に言っても分かんないな」
「ふーん…」
霊夢はもう興味を失くしたのか、お茶をすすってほぅっと一息。見事なまでに顔が緩んでやがる。そ
んな顔見せられると、霊夢の体には血じゃなくてお茶が流れてるんじゃないか――なんて、よくわから
ない考えまで芽生えちまうぜ。
おいおい霊夢、いつの間に人間やめたんだよ。こうなったら私も対抗して人間やめるしかないな。
「やめてないわよ、人間」
「なんでわかった!?」
「なんとなく。何か変なこと考えてるなー、って思ったから」
「すごいな。まるで地霊殿のあいつみたいだ」
「地霊殿の…あいつ?」
「いたじゃないか、人の心を読むやつが。さとり、だったか」
「あ…あぁ、そういえばいたわね。そんなやつが」
「まさかとは思うけど…、あいつの名前も忘れてたのか?」
「うーん……、私ってこんなに忘れっぽかったかなぁ」
「あんな嫌なやつ、そうそう忘れるもんじゃないと思うけど」
他人に関心がない霊夢らしいと言えばらしいのかな。忘れられる側からすればちょっと酷かもしれな
いけど、まあ私には特に関係ないな。なんたって覚えられてるんだから。
しかしいい天気だ。ポカポカしてて気持ちがいいし、なによりお茶が美味い。出涸らしだろうけど。
「平和だな…」
「幻想郷はいつだって平和よ」
「確かに」
結局その日は、日没が近くなるまで神社でのんびりして、晩飯を一緒に食べてそのまま一泊した。
こんな生活がずっと続いたら霊夢みたいに頭が春になるんだろうか? でも、たまにならそんな日が
あってもいいんじゃないかと思う。
だけど今にして思えば、この日が始まりだったのかも知れない。
◆
翌日、目を覚ましたら知らないようでいて知ってる天井が目に入った。
「そうだった…、神社に泊まったんだったな…」
頭を覚醒させて起き上がる。寝ぼけ眼を擦りながら客間を出て、居間に入るともう霊夢が起きていた。
私だってそんなに寝坊したわけじゃない。むしろ結構早く起きたほうだと思うのに、霊夢はもう朝食
を食べていた。朝のすきっ腹がご飯とみそ汁のいい香りに刺激されて、猛烈に空腹を訴え始めたので、
早速食事を請求することにしよう。耐えられないぜ。
しかし霊夢さん。どうして私を見て固まっているのですか? 何かおかしなところでもあるのかと思っ
て体を見渡してみても、特に異常は見られない。そんなことよりも今はとにかく朝飯だ。
「霊夢~、私にもご飯くれ~…」
「魔理沙…? どうしてこんな朝から神社にいるの?」
「なに言ってるんだよぉ、昨日はここに泊まったんじゃないか~…」
「そうだっけ?」
「他にどんな理由があるんだよ。とりあえず朝飯プリーズ」
「ちょ…ちょっと待ってて。今用意してあげるから」
「早くしてくれよ~…」
お腹が空いた上に眠い。これじゃあ何かを考える気力も湧かないぜ。
とりあえず卓袱台に向かって、力尽きるように倒れ込む。これ以上動く気にもならない。一瞬だけ、
霊夢の朝飯を頂いてやろうかという考えが頭をよぎったけど、それはさすがに意地汚いし、何より霊夢
が激怒しそうだから止めた。
止めてあげたから早くご飯を持って来てくれ、れいむ~…。
「お待たせ。簡単なものだけど」
「待ってたぜ。簡単なものっぽいけど、とりあえずサンキュー」
「相変わらず図々しいやつね」
「私らしくていいだろ?」
「らしく…ねぇ」
「どうした?」
「いえ…、別に何でもないわ。ご飯食べましょうか」
「そうだな。いただきます」
みそ汁を一口啜ってご飯をパクリ。
ん~! 質素で簡単だけどこれぞ日本人の朝、って感じだな。一気に活力が湧いてきたぜ! 今日も
元気だご飯が美味い、って意味もなく叫びたくなるな。叫ばないけど。
とりあえず農家の人たちとご飯を作ってくれた霊夢に感謝しよう。南無阿弥陀仏~…、は違うか。
「何を唸ってんのよ。ご飯くらい静かに食べたら?」
「これはこれは、何を仰いますか霊夢さん。私はいつだって淑やかだぜ」
「だったら『だぜ』をやめたら? 昔みたいに『うふふ…』とか笑ったら信じるわ」
「ふ…古い話を持ち出しやがって…。いいじゃないか、元気一杯を表現できて」
「そう感じるかどうかは人に依るわね。ま、あんたの好きにしたらいい」
「そうするぜ」
やっぱり私といえばこの口調だぜ。いきなり元に戻そうものなら異変になりかねないな。気をつけよ
う。霊夢とガチンコ弾幕ごっこなんて…、久しぶりにやってもいいかも。月人たちの異変の時以来そん
なことやってないし、たまには霊夢と真剣勝負、なんてな。
ま、今はいいや。最近地底の異変が終わったばっかりだし、ドンパチはしばらくお休みだ。
「ごちそうさま。あんたも早く食べなさい、一緒に片付けるから」
「そう急かすなって。もうすぐ終わるからさ………、ごちそうさま。美味かったぜ」
「お粗末様。どうせあんたもお茶飲むでしょ?」
「分かってるじゃないか。さすが私の嫁」
「アホらし」
軽く流されたぜ。真に受けられても困ってただろうけど、これはこれで虚しいものがあるな。
しかし霊夢は気が利くなあ。何て言うか、至れり尽くせりだ。ここに住みついたらずっとこんな生活
できるのかな? よし、いつかこの神社を私の本拠地にしてやる。そして霊夢を私の従者にするんだ。
素晴らしきかな、神社ライフ。これで私の老後も安泰だな。ラッキーだぜ。
さて、そうなるとどうやって乗っ取るかが問題だな。どうしよう………。そうだ、少しずつ私物を持
ち込んで、いつの間にか引っ越し完了作戦でいこう。まずは衣装箪笥あたりから始めよう。次は大量の
本棚でその次は……、色々あり過ぎて困るな。徐々に浸食していこう。霊夢ならきっと気付かない。
「ふふふ…、待ってろよ。私がここを占領する日も近い…」
「なに不穏なこと言ってんの。お茶ぶっかけてやろうか」
「おお霊夢や、真人間の私にいきなりそんな台詞はあんまりだぜ」
「白々しい。はいお茶。感謝しなさい」
「ありがたや~」
「気持ちがこもってないわ」
「何を仰いますやら」
食後にお茶を飲んで一息つく。これもまた日本人ならでは…というわけでもないか。とりあえず緑茶
美味い。カテキン最高。やっぱりここに住めば楽な生活ができるな。
あれかな、紫とかレミリアとか、あの辺の奴らもこんな楽々ライフ送ってんのかな。そう思うと少し
だけ羨ましい。ずるいぜ、私もいつかは必ず…!
「ところであんた、いつ帰るの?」
「この神社を手中に収めるまでは帰れない」
「帰れ。今すぐ」
「え~、ご飯食べたばっかりなんだからさぁ。もうちょっとゆっくりさせてくれよ~ぅ」
「そんなこと言って、お昼ご飯まで催促するつもりなんでしょ」
「分かってらっしゃる」
そう言うと盛大なため息が返ってきた。ため息を一つ吐くと幸せが一つ逃げていくんだぜ。だからと
いう訳じゃないけど、そんな呆れ顔しないでほしい。ちょっとやるせなくなるから。
でも霊夢の言う通り、昼過ぎくらいまでは居座るつもりだったさ。その後はちゃんと帰るよ。いくら
私でもそこまで図々しくない。いや、確かに神社を手に入れるとか言ってたけど、あれはちょっとした
ジョークであって本気でそんなつもりはあったりなかったりするんだぜ。
「とにかくさ、昼飯食ったら帰るから。それまでよろしく」
「なにがよろしく、よ。今しがた朝ご飯食べたばっかりなのに」
「それは言わぬが華だぜ」
「意味が分からない」
「すいませーん。霊夢さんはいらっしゃいますかー?」
「お、お客さんみたいだぜ。私と問答している場合じゃないな」
「終わったら問い詰めてやる」
「怖いこと言うなあ」
まったく、小さいことに拘るやつだ。もっと私みたいに大雑把になればいいのにな。その結果が我が
家の惨状なのかも知れないけど。まあ、気にしたら負けってやつだ。
それよりも誰が来たんだろうな。昨日も言ったけど、こんな寂れた神社に用のあるやつなんて私以外
にいるもんかね。いや、私だって特に用事があって来てる訳じゃないけどな。友達の家にフラフラっと
意味もなく立ち寄る気持ちなんだよ。アリスなんかはそれが無いから名前を忘れられたんだな、きっと。
まあそれはいいとして、とりあえず付いて行こう。ちょっと気になるぜ。
「すいませーん」
「はいはい、どちら様かしら?」
「あ、いたいた。お早うございます、霊夢さん」
境内にいたのは、緑を基調とした服を着込み、燃えるような赤いロングヘアーが特徴的な、紅魔館の
門番長だった。ここに来訪者っていう段階で珍しいのに、これまたさらに珍しい客だな。
こいつがここに、というか霊夢に用事……。駄目だ、さっぱり見当がつかないぜ。まさか…
「門番、クビにでもなったのか?」
「不吉なことを言わないで。私はお嬢様の伝言を知らせに来ただけよ」
「冗談だぜ。あまり本気にするなよ」
「ねえ魔理沙」
「なんだ?」
「この人のこと、知ってるの?」
「はあ? いやいや、紅魔館の門番じゃないか。名前は確か……、私も知らない」
「二人して酷い! 確かにそんな重要な役柄じゃないけど、私だって精一杯に慎ましく生きてるのに!」
その慎ましく、が問題の様な気がするけどな。だって仕方無いじゃないか。こいつが自分から名乗ら
ないのが悪いんだから、知らなくたって無理はない。しかし霊夢、確かに名前は知らないかもしれない
けど、こんな明るい色のやつまでよく忘れられるな。少し感心しちまったぜ。
でもまあこいつの用事ってのが分かったな。要はただの使いっ走りだろう。門番長って肩書があって
も、やっぱりあんまり偉くないんだなぁ。ちょっと哀れになってきた。
「いたかなぁ、こんな人…?」
「いるのよ! 私の名前は紅美鈴よ! ほ・ん・め・い・り・ん!」
「そんな大声出さなくても聞こえるわよ、美鈴さんとやら。それで、伝言って?」
「とやらって……コホンッ、まあいいや。今からちょうど一週間後が満月なのは知ってるわよね?」
「そういえばそうだな。それがどうしたんだ?」
「お嬢様がその日に紅魔館で酒宴を催すと仰るので、お客さんを招待して回っているのよ」
「ふーん、それで私の所へ?」
「そうよ。はいこれ、招待状。無くても入れるけど、一応持っといてね」
「私には無いのか?」
「あるわよ。一緒にいてくれて手間が省けたわ。はい、どうぞ」
そう言って自称美鈴から手渡されたのは、そこそこ豪奢な作りの書状だった。さすが紅魔館だな、こ
ういうところに力を入れてくる。なんて言うか格式ばってるんだよな。そうやって威厳を保とうとして
るのかどうかは知らんが、主があんな子供じゃなあ。何だか精一杯背伸びしてるおしゃまさん、って言
葉がぴったりなんだよ。確かに強いけどさ。
「ちなみに、内容はお嬢様の手書きらしいわよ。とにかく、確かに渡したからねー」
もう行っちまった。あいつも気忙しい奴だぜ。しかし手書きとは、それはまた几帳面だな。
早速封を開いて中を読んでみると、そこには丁寧な文体で詳細が記されていた。なるほどなるほど、
あいつもやればできるもんだと感心しながら最後まで読むと、そこですごいガッカリして、納得した。
「なあ、この…『代筆 十六夜咲夜』って…」
「そんなもんでしょ。気にしてたらキリがないわ」
確かにそんなもんか。そもそも、あのレミリアがこんな小まめに手紙を書く姿が想像できない。代筆
とか書いてあるけど、実際は内容も咲夜が考えたんだろうな。瀟洒だぜ。
だけど、なんでこんなこと書いたんだろう。こんなところで自己主張しなくてもいいんじゃないだろ
うか。もしかして、投げっ放しの主に対するささやかな反抗の表れなのか? でもそんなことあいつに
直接聞いても否定するだろうし、真相は闇の中、だな。
「で、どうする?」
「なにが?」
「行くのか?」
「そりゃ行くわよ。あそこの料理美味しいし」
「だよな。一週間後か」
当面の楽しみが出来たぜ。待ち望んだ日があると、それだけで毎日が楽しくなるってもんだ。
しかし来客も去った今、これ以上ここにいても仕方ないな。
「とりあえず中に戻ろうぜ」
「そうね、お茶も淹れなおさないと」
そう言えばそうだった。お茶を飲もうとしてたんだったな。
もう食後のお茶って感じの気分じゃないなあ。くそうあの門番め、今度会ったらとりあえずマスター
スパークだな。私の至福のひと時を妨げたのだ、それ相応の覚悟はしてもらおうか。
なんだか悪役っぽい台詞だな。あんまり少女らしくないし、自重しよう。
「さて、さっきの続きだけど」
「何の話だ?」
「あんたがいつ帰るのかって話よ」
「げ、まだ覚えてやがった。人の名前は覚えてない癖にそんな事は忘れないんだな」
「あの娘の名前はあんただって知らなかったじゃない」
「それはそれ、これはこれさ。昼飯食ったら帰るから、そうせっつくなよ」
「本当に?」
「だぜ」
「ならいいけど、いつまでも居座られても困るからね」
「やけに突っかかるな?」
「親しき仲にも、ってやつよ。本当はあんたが意識してないと意味ないんだけど」
こいつは手厳しい。きっと私たちの場合、親しくなりすぎて礼儀とかどこかに行っちまったんだろう。
しかしそれを霊夢に言ったところで、こいつが取り合ってくれるとも考えられないな。下手したら追い
出されかねない。私だったら間違いなくそうするからな。
霊夢の昼ご飯を頂いて、昨日と合わせ技一本で博麗神社の食事をコンプリートだぜ。それを達成する
までは帰らないぜ。まあ、そんな大層な飯は出ないけど、一人より二人で食った方が美味いんだ。
「これから気をつけるよ」
「期待はしないでおく」
「酷いぜ」
「まだ慈悲深い方よ」
軽口を言い合いながら屋内に入っていく。これはこれで居心地のいい関係だ。友達って感じがする。
きっとこいつとはこれから先も、ずっとこんな風に付き合ってくことになるんだろうな。腐れ縁って
言葉がピッタリだ。それでも、どんな呼び方でも、こいつと友達でいられるなら悪くない。
これからもきっとこんな関係が続いて、さらに腐れた縁になるんだろう。ところで、ただでさえ腐れ
縁なのに、これ以上腐ったらなんて言うんだろう。どうでもいいけど。
その後は特に何もなく、昼飯を頂戴してお茶を飲んで帰った。
去り際に、一週間後に会おうぜ、と伝えて、霊夢が頷くのを見てから飛び去った。
紅魔館で宴会が開かれるまでの間、私は神社には訪れなかった。だから、次の舞台はそこからだ。
◆
美鈴から招待状を受け取った日から一週間が経過し、今の時刻は夜だ。満月が空を支配している。
招待されたということもあって、珍しく弾幕による歓迎を受けずに紅魔館に入れた。こんな風にすん
なり入れることは滅多にないし、疲れなくていいんだけど、なんだか不完全燃焼だぜ。意味もなく暴れ
てみたくなる。本当に意味はないけどな。
会場は紅魔館の広大な庭園の一角で、広い空間を思いっきり利用してテーブルが並び、その上にはい
かにも豪華といった感じの料理が所狭しと並べられていた。くそう、まだ手が付けられないのが悔しい。
「少しぐらいならつまみ食いしても…」
「駄目よ。乾杯の音頭がすんでからにしなさい」
「げ、咲夜」
「挙動不審な白黒がいると思って様子を見ていれば、案の定だったわね」
「なんだよー、私ばっかりターゲットにすんなよー。
ほら、あそこの大食い亡霊なんかどうだ? 私よりよっぽど見張り甲斐があるぜ?」
「あれはあれで礼儀は弁えてるから。問題は弁えないあんた」
「失敬な。私をどんな目で見てるんだ」
「礼儀を弁えないやつね。宴会が始まればあんたの好きにしたらいいわ」
「暴れようが何しようが?」
「喧嘩も宴会の華、ってね。誰かの得になる喧嘩だったらどうぞ」
そんな喧嘩ってあるのか? 要するに面倒事は起こすなって言ってるんだな。大人しくしてるか。
しかし随分たくさん招待したみたいだな。主だった奴らは殆ど来てるぜ。今言った亡霊の姫にその従
者、永遠亭の奴らにお山の神社連中、天狗もいるな。お、八雲一家もお出ましか。おいおい、あの死神
までいるぜ。またサボってるんじゃないだろうな、と思ったら閻魔もいた。どうやら上司公認みたいだ
な。よく見たら地霊殿の連中も揃い踏みか。
それに加えて紅魔館の妖精メイドやらなんやらもわんさかいるから、だだっ広い庭園は大勢の人妖で
ごった返してる。人混みで酔うってのはこういう状況で起きるんだろうな。
しかしあの門番、随分多くの場所を回ったみたいだな。
「どうしたのよ、きょろきょろして。さらに挙動不審ね」
「いやあ、色んな奴を呼んだんだなって思っただけさ」
「これがお嬢様の器量だわ。あのお方が一声かければ、これだけ集まるのよ」
「頑張ったのはあの門番だろう。それに、代筆した誰かさんとか」
「何のことかしらね」
やっぱり白を切ったな。こいつに何を聞いても知らぬ存ぜぬを貫くだろう、たとえ明確な証拠があっ
たとしても。未だにこいつの性格がよく分かんないぜ。
ところで一体いつになったら始まるんだ? いい加減待ちくたびれたし、腹も減った。
「なあ~、まだ食べられないの~?」
「もう少し我慢しなさい。今からお嬢様が挨拶するから。ほら」
『えー、テステス…。只今マイクのテスト中。本日は晴天なり…』
「マイクテストなんてのは本番前にやっとくべきじゃないのか?」
「気にしたら駄目よ」
『御来賓の魑魅魍魎ども、ようこそ紅魔館へ。
私はレミリア・スカーレット。当然あんた等は知ってるでしょうけど、この紅魔館の主よ。
今日は私が主催するパーティーにこれだけ大勢お集まりいただき、誠に嬉しく存じますわ。
まったく、餌に釣られた愚かな獲物とも知らずにね…。いえいえ、何でもありませんわ。こっちの話。
本当に何でもないのよ? ただちょっとそれっぽい雰囲気を出したかっただけなんだからね?
だから無言で帰ろうとしないで。ちょっと泣けてきたから。
コホンッ……、それでは堅苦しい挨拶は抜きにして、思う存分今宵を満喫してちょうだい。乾杯!』
なんとも慇懃無礼な挨拶だろうか。それに、威厳が有るのか無いのかよく分からない挨拶だったぜ。
あんな気の抜けるやつが主人で、よく紅魔館が存続するもんだと感心するほどだ。
あれも持ち味というやつなんだろうか。私がここで働く身だったら不安で仕方ないな。
「なあ咲夜」
「言いたい事は分かるわ。でも、あんな所がいいのよ」
「そうか」
「そうよ」
なんというか予想通りの返答だったぜ。伊達でメイド長をやってないってことか。
まあ確かに好きな部分がないとメイドなんて仕事できないし、続かないよな。とりあえず私が紅魔館
で働くことだけはあり得ない、ということが判明したぜ。レミリアには悪いけど、なんか尊敬できない
んだ。それに、悪魔に仕えるような人間は咲夜一人で十分だと思う。
「あら魔理沙、ようこそ紅魔館へ」
「おう、招待されたから来たぜ、レミリア」
「今日ぐらいは歓迎するわ。楽しんでちょうだい。ところで、私の挨拶はどうだった?」
「聞くなよ」
「パーフェクトでしたわ、お嬢様」
「ありがとう、咲夜。まあ当然の事だけどね」
そりゃあこいつはそう言うよな。私にはツッコミしか思い浮かばなかったぜ、残念ながら。
「魔理沙ぁー」
「お、フランじゃないか」
「ていや!」
「おっと…。おいおい、いきなり飛びつくなんて行儀が悪いぜ」
「あはは、ごめんね。ねえ魔理沙、遊ぼうよ」
「弾幕ごっこか?」
「もちろん!」
「残念、今日はここの料理を食べに来ただけなんだ。また今度な」
「えー」
「そう言うなって。ほら、飲んで食って騒ぐだけでも十分楽しいぜ」
「あら、誰かの得になる喧嘩だったらいいのよ、魔理沙?」
「きーこーえーなーいー」
あれはもしかしてそういう意味で言ってたのか…?
まったく、余計なことを口にしないでもらいたいもんだ。別に今日は暴れに来たわけじゃないんだか
ら、わざわざのんびりできる時に弾幕ごっこはさすがの私でも遠慮願いたい。やるんだったら酔いがま
わって宴会が盛り上がってからだな。もしやるとしたらだけど。
「妹様、魔理沙はさっき暴れようとしていましたよ」
「え、遊んでくれるの?」
「また今度にしよう、本当に」
性質の悪いメイド長が一緒にいたら本当にやらされそうだ。冗談で言ったって分かってる癖に、こん
な形で話をぶり返すなんて性悪にも程があるぜ。さすが悪魔の犬だな。
とにかく、このままこの場所にいたら本気でフランの相手をさせられかねない。ここは一時撤退すべ
きか?
「フラン、今日は私が主催のパーティーよ。あまりお客に無様な姿を見せたらダメ」
「それってつまり?」
「大人しくしてなさい」
「えー、つまんない…」
よし、なんとか回避できた。この場限りレミリアに感謝だ。
「神社で開かれてたなら私も何も言わないけどね。そういえば霊夢は来ていないの?」
「ん、そういえば見てないな。行くって言ってたし、そのうち来るんじゃないか?」
「相変わらずのんびりね。私のスピーチを聞かせられなくて残念だわ」
「はいはい」
わざわざ聞かせたいと思う程のものでもなかったろうに、その自信はどこから来るのやら。あれか、
レミリアってやつは自意識過剰なのか。本気の発言だとするなら月人の所に通院した方がいいぜ。主人
完全肯定の奴が傍にいたらこんな風になっちまうのかもな。
しかし霊夢はどうして来てないんだろうか。本来だったら私より速く来て料理に目を光らせていて然
るべき奴だというのに、開催しても来ないなんて奇妙極まりないぜ。でも…、
「まあ、霊夢ですから」
「咲夜の言う通りね。霊夢だし、そのうち来るでしょ」
「だな。とりあえず私はそろそろ移動するぜ」
「魔理沙、また後で遊ぼうねー」
「気分が乗ればなー」
さて、そうは言ったもののどこへ行ったもんだろうか。所狭しとテーブルが並べられ、その上には普
段お目にかかれないような豪奢な料理が用意されているのだから、目移りしてしまうのも無理はない。
辺りを観察していると、少し離れた所に見慣れた金髪と紫髪を発見した。とりあえず接近だな。
「よう、パチュリー。それとアリスも呼ばれてたのか」
「私をついで扱いしないでよ」
「それは仕方ない。なんたってお前は霊夢に忘れられるようなやつだからな」
「…思い出させないでよ」
「そうそう、あの襷は付けてこなかったのか?」
「やっぱりあんたが犯人か! なにが『ワタシ アリス コンゴトモヨロシク』よ! 嫌がらせか!?」
「はっはっは、何を殊更」
「うぎぎ、憎しみで人を殺せるなら…!」
いやはや、予想通りのリアクションで嬉しい限りだぜ。アリスは血の涙でも流さんばかりに私を睨み
つけていて、正直な話かなり不気味だ。人外って言われて納得するくらいの怨念をまき散らしていやが
る。私たち三人を中心にしてドーナツ化現象が起きてるのが手に取るように分かるな。
さすがアリス。本当に呪い殺されそうだぜ。
「何の話をしているの、二人とも?」
「それはだな、実はアリスが霊夢に――」
「――名前を忘れられたのよ! ああ、忌まわしい記憶だわ…」
「ふーん…、で?」
「いや、でって言われても、それだけなんだが」
「襷の件が残ってるわよ」
「おお、それは私がアリスに名前を刺繍した襷を贈呈してやったんだ。もう名前を忘れられないように、
っていう私の気遣いだったんだけど、どうもこいつはお気に召さなかったらしいな」
「へぇ、そういうこと。それは大層な嫌がらせね」
「でしょ!? それをこいつは気遣いだなんて…、よくもそんな言葉が吐けるもんだわ」
「皮肉に決まってるだろ」
「相変わらずいい性格してるわ」
「褒めるなよ」
「褒めてないわよ」
わかってるけどな。いくら私でもそれを褒め言葉と捉えるほど楽観的じゃない。
それにしてもアリスさん、いい加減その恐ろしい目をやめて頂けないでしょうか。先ほどから異様な
までの寒気が私を襲っていて、正直気分が悪くなってきたぜ。
何とかしてこいつの気を逸らさないと精神がもたない。いや本当に。
「ほーらアリス、そんなしけた面してたら折角の飯が不味くなるぞ。スマイルスマイル」
「あんたの顔見てる方が不味く感じるわね」
「酷いこと言うぜ。なあ、パチュリー?」
「残念だけど、アリスに同意するわ」
「こいつは手厳しい」
両手をあげて首を左右に振り、お手上げのジェスチャーをとっておどけてみる。それでもアリスの突
き刺さるような視線は止まない。
どうやらこの場に私の味方はいないみたいだ。なんとなく分かってたことだけどな。まったくこいつ
らときたら、私なりのジョークを理解しようとしないんだから困ったもんだぜ。からかいとも言うけど。
こうなったらあれだな。戦略的撤退というやつだ。このままここにいたらマズイという私の第六感が
警鐘を鳴らしている。なので大人しくそれに従うとしようじゃないか。
「それじゃ、私はこれで」
「あ、待ちなさい! あんたにはまだまだ言いたい事があるのよ!」
「待てと言われて従うほど私は素直じゃないぜ?」
「まぁ、そうでしょうね」
「さすが、パチュリーさんは良く分かってらっしゃる。その言いたい事とやらはまた今度聞いてやるぜ」
さらば、とだけ残してその場を後にする。アリスが後ろで騒いでいるのが聞こえるが、今この状況で
捕まろうもんなら宴会を楽しむどころじゃないな。きっと延々とお小言を聞かされるに違いない。そん
な厄介なキャラはどこぞの閻魔一人で十分だ。
「おや、貴方はいつぞやの魔法使い。きちんと自分の生活を見つめ直していますか?」
「げ、噂をすれば…」
「人の顔を見るなり、なんですかその態度は。
今一度お灸をすえる必要がありそうですね…。そこに直りなさい。説教して差し上げます」
「死んでも御免だぜー!」
「あ、逃げた」
「いやー、すごい逃げ足ですね」
「仕方ありません。今日の説教は小町で我慢しておきましょう」
「何故ですか!?」
死神、哀れなり。私の代わりに死んでくれ。
しかし驚いた。いきなりあんなのに出くわすなんて思ってなかったし、いきなり説教されそうになる
とも思わなかった。レミリアもあんな地雷みたいなやつ呼ぶなよ。物騒極まりないぜ…。
ところで、さっきから私は逃げてばかりの様な気がするな。でも相手が悪いんだからしょうがない。
ついでに言うと、あんまり飯も食べてない。私は何しに来たんだろう。
どこか落ち着けそうな場所を探そうと周囲に目をやると、永遠亭の連中を発見。因幡たちを大勢引き
連れており、その一角だけ兎小屋みたいになっている。
「あれじゃ落ち着けないな。パス」
そもそもあそこの連中ってなんか絡み難いんだよ。独特の空気を持ってるっていうか何と言うか…。
詐欺師にマッドな医者にその弟子、極めつけには生粋のお姫様ときたもんだ。何て濃い連中だ。後の三
人なんて宇宙人だし、扱い方が未だに分からない。下手に刺激したら何が起こるか分かったもんじゃな
い。危険だし、あんな兎がひしめき合うところで落ち着けるほど私は無神経じゃないのである。
他にいい場所はないものかとあたりを探ると、なぜか一ヶ所だけ妙に開けたスペースを発見した。さ
っきのアリスみたいに陰湿なオーラでも放ってるやつがいるのかと思い、その場所に足を踏み入れてみ
ると、そこにいたのは八雲家一同だった。
なるほど、確かにこいつら相手じゃそこらの妖精は近寄れないだろう。格が違い過ぎる。チルノくら
い考え無しなら平気で突っかかるんだろうけどな。とりあえず落ち着けそうだし近寄ってみよう。
「よう、一家お揃いだな」
「あら魔理沙。こんばんは、ご機嫌いかがかしら?」
「ぼちぼちだぜ。お前たちはどうなんだよ?」
「悪くないわ。ねぇ、藍?」
「はい、こういった趣の宴会も偶にはいいものかと思います」
「もうお腹一杯です~…」
「橙、お前はもう少し自制を覚えなさい」
ああ、なんか急に落ち着いた空気が流れるなぁ。こいつらだって厄介なことには変わりないのに、ど
うして他の連中とここまで差が出るのだろうか。
よし、暫くここにいるとしよう。せっかく呼ばれたんだから食わないと損だぜ。
「それにしても…むぐ、あれだな…もぐ」
「はしたないわよ。ちゃんと飲み込んでから話しなさいな」
「むぐ……ゴクン、よく招待されたな、お前たち」
「あら、どういう意味かしら?」
「いやいや、お前たちの住み家なんて何処にあるのか分からないのに、よく招待状が届いたな、と」
「それは橙が外で遊んでいる時に、たまたま私たちの分も併せて受け取ったんだ」
「なるほど、偶然か」
「さてそれはどうかしらね。もしかしたら運命だったかもしれませんわ」
「運命…? それって、レミリアか?」
「さあ?」
「さあ、って…」
「お生憎様、私に真実を見通す目はないわ。可能性の話をしただけ。
ただ、多忙な閻魔様まで易々と招待できたのは少しだけ不自然、とだけ言っておきましょうか」
紫の言を手繰るなら、レミリアは指示を出しただけじゃなくてきちんと仕事をしたということになる
のだろうか。確かにあの堅物閻魔なら宴会より仕事を優先させそうだ。そう言われると少しだけ信憑性
があるな。なんだ、投げっ放しじゃなかったんだ。ちょっと感心したぜ。
「閻魔様まで来ているというのに、呼ばれなくても来てそうなあの子がいないようだけど?」
「ん、子鬼の事か?」
「萃香はさっき見かけたわ。いつも通りお酒ばかり飲んでたわね。そうじゃなくて、霊夢よ」
「おお、まだ来てないみたいだな。相変わらずマイペースなやつだぜ」
「その点は貴方も負けてないわ。一緒には来なかったの?」
「ガキの使いじゃあるまいし、わざわざ二人で来ることもないだろ」
「ちょっと遅すぎないかしら? 招待はされているのでしょう?」
「まぁ、確かにな。もしかしたら…いやいや、こと宴会に限ってそれは…」
「心当たりでも?」
「いや、もしかしたら忘れてるのかなー、なんて思っただけだぜ。
あいつ最近物忘れが激しいような気がしたからさ」
自分で言って馬鹿らしくなる。霊夢が宴会の約束をすっぽかす姿が想像できないからだ。
タダ飯、タダ酒に釣られないほど霊夢は聖人じゃない。それどころか率先して参加しに来るだろう。
そんなあいつが今日の事を忘れるなんて、天変地異の前触れでしかないな。
「霊夢に限ってそんなこと有り得ないな。だったら他に何か……、紫?」
ふと正面に目をやると、紫が何事か深く考えている素振りが見えた。私の呼びかけも聞こえていない
ようで、口元に手をあてたまま黙り込んでいる。
「どうし――」
「魔理沙」
「――ひゃあっ」
不審に思って顔を覗きこもうとしたら、突然紫が口を開いたものだから驚いてしまった。それはもう
盛大に、普段上げないような声まで上げて驚いてしまった。恥ずかしいぜ。
「な、なんだよ」
「詳しく話してちょうだい」
「何を?」
「物忘れの激しい霊夢の話よ」
「あ、あぁ…、これが傑作でな。実は先週の話になるんだけど、私が神社に遊びに行ったんだよ」
「過程の話はいいから、何が起こったかだけを教えて」
…詳しくって言ったくせに。せっかく私が面白おかしく話を進めてやろうと思ったのに、興ざめだぜ。
「まあいいや。結論から言うとだな、霊夢がアリスの名前を忘れたのだった」
「…それだけ?」
「えーっと、あとはここの門番の事を綺麗さっぱり忘れてたな。私も名前は知らなかったんだけど」
「他には何かある?」
「他にぃ…? うーん、そうだなぁ。強いて言えば私の朝食を用意してくれてなかったことか」
「それはそうでしょう。なんで霊夢が貴方の朝食を作るのよ」
「いやいや、その日は神社に泊まったんだよ。
それで、起きたら霊夢は自分だけご飯を食べていた、と。こういう訳だ」
あの時はしんどかった。極限の空腹状態だったのに目の前の飯を食えないというジレンマに襲われて
いたからな。別に食べちゃっても良かったんだけど、烈火のごとく激怒する霊夢が目に見えていたから
さすがに自重したのを今でも覚えてる。生殺しっていうのはまさしくあの状況の事を言うんだろうな。
ただ、辛抱してからの朝食はとても美味かったとだけ付け加えておこう。
「そう…。そんなことがあったの」
「あったんだぜ。物忘れというかお惚けというかって感じだな」
「わかったわ、話してくれてありがとう。藍、私は今から神社に行くわ」
「かしこまりました」
「おいおい、もしかしたらこっちに向かってる最中かも知れないぜ?」
「私なら一瞬で着くわ。それに、霊夢はきっと神社にいる」
「随分と自信ありげだな。根拠でもあるのか?」
「根拠はあるわ。貴方が言ったように、忘れてるんでしょう」
いや、あれは冗談のつもりだったんだけど。まさかここまで真剣に受け止められるとは思わなかった。
なんだか紫は深刻な顔してるし、そんなに霊夢の物忘れが心配なのだろうか。
「もしかして、霊夢は若年性健忘症にでもかかったか?」
「性質の悪い冗談ね。まあ、それはない、とだけ教えておくわ。それじゃあ、行くわね」
「おう、さっさと忘れん坊を連れてきてやれよ。飯がなくなるぞ、ってな」
「――――……」
軽口を叩いて紫を送り出すが、当の本人は私の言葉に返事をすることもなくスキマに潜ってしまった。
私に対する返事はなかったけれど、紫は去り際に妙な言葉を残していった。
「なあ、『早すぎる』ってどういう意味だ?」
「結論は紫様が下してくれるさ」
「結論? 何に対する?」
「私の口からはなんとも。そら、いつまでもここにいていいのか?」
「駄目なのか?」
「駄目とは言わんが、向こうから金髪の魔女さんがお前の名前を呼びながら接近中だぞ」
げ、アリスの事かよ。あいつもしかしてずっと私を探してたんじゃないだろうな…?
恐るべき執念だな。このままここにいたら捕まってあいつの愚痴を聞かされること必至だぜ。そんな
面倒でつまらないことはない。
「貴重な情報感謝するぜ。それじゃ、私はこれで」
「ああ、気をつけなさい……。どこに隠れようとしているんだ…」
「お前の尻尾だが、何か?」
「隠れきれると?」
「案外いけると思う」
「そうか…、だがそこには既に――」
「――ここ私の場所。ダメ、絶対」
先客もとい橙が尻尾にくるまっていました。
さっきから姿を見ないと思ってたらこんな所に…。まったく、やれやれだぜ。これじゃあ私の逃げ場
が無いじゃないか。どうしたもんかなぁ。
「魔理沙発見! 行きなさい、上海!」
そうこうしている内に見つかってしまった。しかも問答無用かよ。
あっという間に私の周囲はアリスお手製の人形たちに囲まれて、今にも弾幕を展開せんばかりに魔力
が込められている。一方の私は片手にフォーク、そしてもう片方には取り皿ときたもんだ。こいつはま
いったぜ、どうしよう。
「ふふふ…、追い詰めたわよ。貴方は一度痛い目に遭った方がいいわ」
「体罰は感心しないぜ」
「痛くなければ憶えないでしょう? この私の恐ろしさをね!」
げ、本当に撃ちやがった。まったく、非常識極まりないぜ。
しかしアリスらしくないな。怒り心頭で冷静さを失ってるとでも言うのか、前後左右に逃げ場を与え
ない点では完璧なんだが――
「――上を忘れてるぜ!」
人形から放たれた弾幕が私のいた場所に着弾し、辺りが土煙に包まれる。発射から着弾、その刹那に
私は箒で上空へと飛びあがり八卦炉に魔力を込める。
さあ、反撃だ。しかし地面を見下ろしてもアリスは見当たらない。一体どこに――ッ!?
「そんなのは、お見通しよ!」
これは非常にマズイ。アリスは私と同時に飛び、既に次なる攻撃の準備をしていたのだ。
上空に逃げ道を残したのはわざとで、そして私はまんまとその罠に引っ掛かった鼠という訳だな。こ
のままでは撃墜は必至。アリスが勝ち誇り、私を見下ろす未来が目に浮かぶ。
このまま何もしなければそうなる。だけど――
「――こっちだって、攻撃できるんだよッ!」
私とアリスが同時に打ち出した砲撃が空中で衝突し、炸裂する。凄まじい閃光が辺りを包み、目を開
けていられない程だ。爆風で帽子が飛んで行きそうになるのを必死で押さえながら空を飛ぶ。
「きゃああッ! 突然なんなのよ!?」
「飛ばされるー!」
「ああ、サニーが! ルナ、手伝って!」
ようやく目が開けられるようになった頃には風もおさまり、私とアリスは静かに睨み合う。
「…やってくれるじゃない。さすがに素直にやられてくれないか」
「お前こそやってくれるぜ。まさかいきなり撃ってくるとは思わなかった」
「悪い魔法使いは退治される運命なのよ。大人しくお縄に付きなさい」
「それはこっちの台詞だぜ――……ん?」
「魔理沙ー! 私も混ぜてー!」
ヤバイ、非常にヤバイ。私の名前を叫びながら向こうからやってくるのは、なんとフランお嬢様では
ありませんか。
この状況はとても危険だ。何が危険って、このままだとアリスとフランを同時に相手しなくてはいけ
なくなる。そんなことした日には、果たして私は五体満足で帰れるのかどうか危うい。
なんとかしてフランの参戦を止めなくてはッ!
「ふ、フラン? レミリアがさっき言ってたじゃないか。
『あまりお客に無様な姿を見せたらダメ』って」
「『私の宴会で暴れる不届き者と遊んでいらっしゃい』って言ってたよ」
主人公認かよ!
どうしよう。今度ばっかりは本当にどうしよう。さすがの私も逃げ道が見当たらない。こうなったら
もう、色々と難癖付けて全責任をアリスに押し付けるしかないじゃないか。
「ふふん、いい気味ね。普段の行いが悪いからそんなことになるのよ」
「いいかフラン、よく聞け。
全ての発端はアリスがいきなり私を襲ったことだ。私は犠牲者なんだ。アリスだけ狙え」
「何とんでもないこと言い始めるのよ!? あんたの素行の悪さが招いた結果でしょ!」
「お前だってわざわざこんな時に仕掛けなくてもいいじゃないか! お前が悪い!」
「こ…こいつ…。フランちゃん、魔理沙と遊びたいんでしょ?
私は邪魔しないから二人で心行くまでじっくりとやり合ってちょうだい」
「んー…。でもお姉さまは『宴会で暴れる不届き者』って言ってたよ」
「だから魔理沙を――」
「――お姉ちゃんも暴れたよね?」
むしろアリスが先に暴れたと声を大にして言いたい。だけどそれが無駄だということはなんとなく分
かっている。フランは既にやる気満々で、とてもいい笑顔だから。それとフランの最後の台詞の、お姉
ちゃん『も』、という件…。無理だ、逃げられない。
一方のアリスは滝のような汗を流している。多分あいつは満月の晩に吸血鬼と対決することの意味を
私よりも知っているんだろう。
んー、あれだ。今回の一件を一言でまとめると、
「悲しい事故だったんだよ」
「なに冷静に締めてんのよ!? なんとかしなさい!」
「無理無理。精一杯抵抗しようぜ?」
「ああもうっ! なんでこんな事に!?」
「運命ってやつじゃないか?」
「じゃあいくよ。まずは『スターボウブレイク』からね。えいやー」
「ちょ、軽――!」
その後の事は良く覚えてない。とりあえず、宴会が盛り上がったらしいということだけ追記しておく。
というのも、気付いたら紅魔館のベッドだったからだ。ついでに言うと夜も明けていて、宴会はとっく
に終わっていた。
後に藍に聞いた話だが、宴会の晩に紫は戻らず、結局は霊夢も来なかったらしい。
◇
――……ここは…?
少女は目を覚ました。その場所は見覚えなど無いのに、知っている場所だった。
そして、自分が何者であるか、何をするべきなのかを漠然と理解していた。
混乱はなく、冷静な心で寝床を後にする。緩慢なその動作は、まるで長い夢から醒めた様だった。
――…お腹すいた。ご飯の支度しないと。
混乱はなかったが、違和感はあった。
それはまるで、何かがすっぽり抜け落ちてしまったかのような錯覚。
その何かが少女には分からず、探しても答えなど見つからなかった。
いつしか少女はそれを考えることを忘れ、日々を生きるようになる。
夢から醒めて見る現実は、少女にとってどこか実感がなかった。
◆
それは紅魔館での宴会が終わり、数日が経った、ある晴れた日の事だった。
特にすることもなく暇を持て余していた私は、とりあえず霊夢に会いに行くことにした。
神社に着くと、霊夢は縁側に座っていた。いつもの見慣れた光景だ。毎度の如くお茶でも飲んで休憩
でもしているのだろうと思い、境内に降り立って近寄ってみると、私の予想はものの見事に外れていた。
「何やってるんだ、霊夢?」
「ああ、魔理沙か。特別なことはしてないけどね。ほら、これよ」
「それは……、なんて名前だっけ?」
「祓串よ。正確には、祓串だったものね」
霊夢の言葉通りそれは柄の部分が中ほどでポッキリ折れてしまっていて、使い物にならないという程
ではないのだろうが、非常に使いづらそうな状態になっていた。何より格好がつかないし、神聖な道具
だというのにありがたみも感じられない。
「ご臨終か」
「そうね。でも、折れた所を補強すれば使えそうじゃない?」
「無理じゃないだろうけど、そんなんでいいのか?」
「大丈夫でしょ、形さえ整ってれば」
「随分いい加減なんだな」
「気にしたら駄目よ。古い仏閣だって補強とかしてるんだもの。これが駄目だってことないでしょ」
「そりゃまあ、その理屈だとそうだけどさ。
それってそこまでしなくちゃいけないもんだっけ?」
「全然。消耗品に近いし、愛着もないわ。
それにご臨終したんだから、本当はきちんと供養してあげないと駄目なのよね」
「だったら…」
だったら何故そうしないのか、そう問いかけようとしたら霊夢が立て続けに口を開いた。
「魔理沙の言いたい事は分かるけどね、生憎と今は替えが無いのよ」
「おかしなこと言うやつだな。替えが無いなら用意すればいいじゃないか」
「そうなんだけど、今までどうやってこんなもの用意してたのかが分からないのよ。
私がこれを作ったとも考えられないし、作れるとも思わないのよねぇ」
ついでに言うと霊夢が夜なべしてこれを作ってる姿も想像できない。途中で投げ出しそうだ。「こんな
もん作れるかー!」とか言って。
はて、そうなるとどこかで仕入れていたことになるけどそれは何所だったろうか。私は霊夢がそれを
手に入れる光景を何度か見かけたことがあるような気がするんだけど。それも割と近場で……、ああ。
「香霖堂で貰ってくればいいじゃないか。いつもツケで持っていってるんだろ?」
「……はぁ?」
「おっと、惚けたって無駄だぜ。お前が律儀に金を払っているとは思えないからな。
まあ、私も人の事言えないけどな。なんでだろうな、あいつの顔見てると払う気が起きないのは」
「…何の話をしているの?」
「だから香霖の事だよ。あんなところで商売してて、どうやって生活してんのか疑問だぜ。
なあ、霊夢もそう思わな――」
「――香霖って、誰?」
思わず自分の耳を疑ってしまった。霊夢は今、何と言った?
「さっきから何の話をしているの、魔理沙?」
「い、いや…、香霖だって。私はそう呼んでるけど、森近霖之助っていう店主がいるだろうが」
「……記憶にないわ」
「おいおい…、金を払いたくない気持ちは分かるけど、さすがにそんな言い方は哀れだぜ?」
「だって分からないんだもの。私はそんな人知らないわよ」
「…冗談にしちゃきついぜ?」
「知らないものは知らないわ。冗談じゃなく」
霊夢の言葉に嘘や冗談は感じられない。こいつは真剣に、香霖の事を知らない、と言っている。
そんなことがあるはず無い。だって霊夢と私は何度も一緒に香霖堂を訪れている。そこら辺の店屋な
らいざ知らず、相手はあの辺鄙な場所に店を営む香霖だ。しかもあいつは半妖というおまけ付き。これ
だけの条件が揃っていて忘れるなんて、いくらなんでもあり得ない。考えられない。
しばし呆然と立ち尽くしたまま霊夢を見やると、壊れた祓串を真剣な表情で見つめながら唸っている。
本気で香霖堂のことは頭に無いようだ。
何が起こっているのか私には理解できなかったけど、何かが狂い始めていることは理解できた。
その時の私にできたことと言えば、フラフラと力無く家路につくことだけだった。
続き待ってるぜ
これは中々重そうなテーマなので期待