ただ、「星を見たい」と、
祈るでもなく、願うでもなく、歌うように妹は言った。
「勝手に抜けてきて、心配されて無いでしょうか」
「お燐たちなら大丈夫だよ。それに、もしそのときは二人で謝れば良いじゃない」
ごつごつとした岩がむき出しの地面の上を歩きながら、私たちはそんな会話をする。
飛ぶのにも飽きて今は歩いていているが、やはり地霊殿から地上まではひどく遠い。
私たちはその長い道を、小さな遠足気分で楽しむことにした。
静かな道は二人分の足音しか立てない。寂しいと言えばそれまでだけど、今は地底特有の静けさが私は気にいっていた。
世界に二人だけが取り残された感覚。
どうしてだろう。地霊殿ではあれほどペットに囲まれていても一人の感覚は消えなかったのに。
今はこの暗く寂しい道で、二人きりに満たされている。
ようやくのことで橋に差し掛かった。
「あら、珍しい顔が」
橋の真ん中にいる橋姫から声をかけられる。いつものように物憂げだ。
「こんにちは。ええ、ちょっと妹と地上に」
「仲の良いこと」
パルスィの目がこいしの第三の目に注がれる。心に浮かんだイメージを見て、私は次の質問に身構えた。
「あらあら、姉妹のくせに手なんかつないで、妬ましいわ」
しかし予想とは違う言葉が来た。
私とこいしの間あたりを見つめて橋姫はそう言った。
こいしが小さく笑う。
「いいでしょう。数百年ぶりのデートなの」
「それは本当に妬ましい」
翡翠色の目を揺らして橋姫はそんなことを言う。
「妬ましいから地上には雨が降っていれば良いのに」
「あら、雨なんですか?」
「いいえ、妬ましいことに雲ひとつ無いわよ。さっきヤマメから聞いたの」
「それはそれは」
良かったです。と答えたら仏頂面をされた。
「教えて頂いてありがとうございます。帰りに何か、地上のお土産を持ってきますよ」
「あら? 期待してるわよ」
私たちは二人で手を振って、橋姫と別れる。
結局、こいしの目に付いては一言も触れなかった
「そうそうお姉ちゃん」
地上の光が微かに見え始めた頃、こいしが話しかけてきた。
「これ、この前地上の人間にもらったんだよ。ほら、あの魔法使い」
「これは……金平糖ですか」
小瓶に入った様々な色の菓子は、小さな星屑のようだった。
「……なるほど、彼女らしい」
「外に出たら、一緒に食べよ?」
「ええ、それは良い案ですね」
ざくざく。地面も岩から土に変わって、地上が近いことを報せてくれる。
「お姉ちゃんも、何か持ってきてたよね」
「ええ、急だったので紅茶をつめただけですが……」
言いながら私は水筒を取り出す。
「砂糖菓子とは合いそうですね」
「さすがお姉ちゃん!」
明るい笑顔に、私も釣られて微笑みかけた。
もうすぐ、数百年ぶりの地上。
あの頃は、こうして笑顔で行けるなんて思っていなかった。
いや、それはつい最近までそうだ。
今、こいしの第3の目の瞼は、硬く閉ざされてはいない。
それはこいしが、無意識の能力を使わなくても良いと、宣言してくれた証だ。
まだ私たち姉妹が地上に居、覚りが妖怪中の嫌われ者だった頃。
ただ、「星を見たい」と、
祈るでもなく、願うでもなく、歌うように妹は言った。
その日生きていくことすらままならなくて、楽しみなど与えられるべくも無かった私にとっては、その妹のささやかな願いはせめて叶えてやりたいと思った。どんなに辛くとも、苦しくとも不満一つこぼしたことの無い妹が、ポツリと漏らすように言ったその願いを。
せめて一度くらい、姉らしいことをしてやりたかった。
だから私は、
「ええ、いいですよ。一緒に見に行きましょう」
そう、答えた。
その日、私はどうしようもなく幸せで、どうしようもなく迂闊だった。
その夜は、ずっと雨で。
仕方ない、また次がある、と笑いあった私たちは、気付かず包囲された妖怪の群れに襲われたのだった。
いつもならそんなに易々と、近づけはしなかっただろう。
ただ私は、初めての姉妹の約束に浮かれきっていた。
私はこいしを逃がすことだけを考えた。森の中に逃げ込み、死角になる木のうろの中にこいしを隠してから、刷り込むように言い聞かせた。
「いいですか、あなたはここに隠れていなさい。決して、決してここから出てはいけません。外から何が聞こえても、何が見えても、絶対に出てはいけませんよ。声も立ててもいけません。石になったつもりになりなさい。
ずっと待って周囲から敵の心の動きが消えたら、出て全速力で家まで逃げなさい」
こいしはこくと頷いた。恐怖で顔が真っ青になっているが、口は堅く引き結んでいる。いい子ですねと私は小さく抱きしめた。
「それでは、私は行きます」
「………お姉ちゃんは?」
「私はあなたが逃げられるように奴等をひきつけます」
こいしの顔が引きつる。私は笑いかけた。
「大丈夫。死んだりなんかしませんよ。あなたが安全なくらい遠くに離れたら、私も隙を見て逃げ出しますからあとで家で会いましょう」
早口にいうと、私は脱兎のごとく駆け出した。こいしが何か言っても、振り返らないと決めていた。
離れてから敵の妖怪に見つかりやすいよう大声を出す。妖怪たちはすぐに釣られて、私に向かってきてくれた。
なるべく派手に戦いながら、私はこいしの居る場所から離れていった。自分の逃げやすさは考えなかった。ただこいしが、無事に生き延びるように、敵を切り裂き弾幕を放ち、雨の中空を飛び回った。
『絶対に外に出てはいけません。声を出してはいけません』
戦う間私は、こいしの心に呼びかけ続けていた。
『息を殺して、ひたすら待ちなさい。絶対に外に出てはいけません。声を出してはいけません』
私は土砂降りの中目覚めた。あたりは血まみれで、体に全く力が入らなかった。
最後の最後の一握りの幸運で、私は撃墜されても死なないですんでいた。他の妖怪たちは私を殺しきったと考えたらしく、もう姿は無い。
実際体中で傷ついてないところは無かったし、折れて無い骨は無かった内臓もいくつか欠けている。ようやくのところで私は生命を保っていた。
『……これではこいしに会いに行くことができませんね』
朦朧とする頭の中で、そんなことを思った。
『……こいし、無事だといいのです……、けど……』
そこでまた私の意識は途絶えた。
ようやくのことで体の傷を回復して、いくらか私が歩けるようになったのはそれから三週間も後のことだった。
痛む体を引きずり私は当時の家にたどり着いた。
「………こいし?」
しかし、そこにはこいしの姿は無かった。
ただがらんとした空虚な間があった。
最悪の想像がすぐ頭に浮かぶ。
「こいしっ!」
私はすぐに家を飛び出した。
こいしと別れた森に戻って周囲を徹底的に探し回った。どこで倒れているかわから無いと、本当にあらゆる場所を。
しかしこいしは見つからなかった。
『…………まさか』
森の中を探しつくして最後に、こいしを隠したうろを見に行った。
そこに、こいしは居た。
「こいしっ!?」
私は慌ててこいしを抱きかかえた、呼びかけても返事は無い。こいしの目は空ろで、あらぬほうを見ていた。
「こいし、どうしたのです。何があったのです。こいし」
自分から動けないようなので仕方なく私はこいしを木のうろから助け出した。こいしは私を見ても茫洋とした目つきのまま何も言わない。
私はこいしの存在感が、きわめて薄弱なことにその時気付いた。だからはじめ、うろには誰も居ないと無意識のうちに判断していたのだ。
見れば、こいしの第三の目は閉じられていた。驚いたことに私も彼女の心を読むことはできなくなっていた。
ただ、ほんの少し残った過去の記憶から、こいしが新たな能力を手に入れたことをおぼろげにつかんだ。
その時、こいしの目が初めてきちんと焦点を合わせた。
「おねえ、ちゃん………?」
「こいし! 良かった、具合はどうですか、どこか怪我したりは……」
「お姉、ちゃん………」
こいしは呟くと、崩れるように私にもたれかかってくる。
「お姉、ちゃん。私、約束守ったよ……。誰にも見つからないようにしたよ……」
「こいし……。ええ、えらかったですよ、こいし」
こいしのからだが急に重くなったように感じた。かすれた声でこいしは呟き続ける。
「お姉ちゃん、私、もう大丈夫だから……。誰にも、見つけられなくなったから……」
「こいし……」
「……お姉ちゃん」
「こいし?」
「お姉ちゃんと……一緒に……ほし、……見てみたかったなあ………」
「こいし………。こいし? こいしっ!?」
そう言ったきり、こいしは気を失ってしまった。
私は、だめな姉だ。
妹に、星一つ見せてやることさえできない。
私はこれ以上地上にとどまることはできないと考え、住処を地下に移した。それは思ったよりもうまくいって、少なくともいつ殺されるかとおびえる日々は終わった。
しかしそのときから、こいしの放浪癖が始まった。こいしの能力は強力だったけど、その心からあの日のトラウマが消えるまで、私たちは一緒にいれなくなった。
「星を見たい」と、
祈るでもなく、願うでもなく、歌うように妹は言った。
その約束を果たすことはできないと思っていた。こいしが他者を怖がる限り、私があのトラウマを忘れられない限り、その願いは叶わないと。
あの地上の巫女に、魔法使いに出会うまで。
私たちは地上に出る。
ずっと暗闇を歩いてきた身には、外の明かりは少しばかり眩しい。
でも、
「……綺麗……」
空には輝く星空があった。
久しぶりに吸う外の大気は様々な匂いに満ちて。風が柔らかに草をなびかせていた。
「ええ……本当に」
「すごいね。星空って、こんなに綺麗なんだね」
「ええ………」
私たちは、ただ広がる星空を眺める。
今日、こいしが家に帰ってきたとき、珍しく私は気づく事が出来た。
こいしが無意識の能力を使っていなかったからだ。
こいしがあの地上の人間たちと会って、弾幕ごっこをして、少しずつ気持ちに変化が起きているのは知っていた。心は読めずとも、それくらいは察せた。
もしかしたら、という期待と、そんなことは無い、という諦めが私の心の中で戦っていた。
それでも心の奥底で、妹がもう一度感情を取り戻してくれればいいと願っていた。
もう一度何かを望んで欲しいと。
そして、何百年ぶりにも聞く妹の心の声は、あのときと同じだった。
「……お姉ちゃん」
やがて、こいしが私に視線を向けてきた。
「何ですか。こいし」
私もこいしを見つめ返す。
「私……、ずっとね、これが見たかったの」
「……はい」
「星がじゃないよ。お姉ちゃんと、一緒に見たかったんだ」
「はい、わかっていますよ」
私もずっと、見たかったのだから。
あなたと一緒に、この綺羅星を。
それは、夢で思うより、ずっとずっと美しくて。
世界の、こんな風に美しいもの全てをあなたに見せてあげられればいいと思う。望めるなら、その傍に私がいればいいと思う。
涼しい草の上に腰を下ろし、二人だけの小さなお茶会をした。
金平糖は甘くて、紅茶はほんのりと温かかった。
私が紅茶を飲んで一息ついていると、
「お姉ちゃん、お星様あげる」
こいしがそう言って、金平糖のビンを振ってきた。
「あら、良いですね」
私は両手で受け取れるようにする。
たまにはこんな、ままごとみたいな遊びも良いだろう。
何しろ私たちの姉妹の時間はとても少なかったのだから。
と、思ったら、
「はい、お姉ちゃん、あ~~ん」
こいしはみごとに予想の斜め上をかっとんでくれた。
「……こいし、何ですかその指は?」
「うん。こうしないと食べにくいでしょ?」
こいしは指の先で金平糖を上手につまんで、私の前に突き出している。
「……そういうのは普通恋人同士でするものでは?」
「だから今日はデートって言ったじゃん」
「それは……」
「まま、いいからいいから」
こいしは無理にでも食べさせようとしてきた。
からかっているのかと思って心を覗こうとしたら、あっという間に無意識に入った。
むう、ほんと便利ねその能力。
「あ~~ん」
「…………」
「あ~~ん」
「……い、一回だけですよ」
「うんうん。はい、あ~~ん」
ヒョイ、パク。
指に唇が触れるか触れないかのぎりぎりで口を引っ込めた。
「どう?」
「……うん、甘いです」
「よかった。じゃ、もう一個……」
「ちょ、ちょちょちょちょちょこいしっ!?」
「?」
「いや、首を傾げないでください。一回だけと言ったでしょう」
返事もしてたし。
「あ、ごめん、それ、無意識」
本当に便利ねその能力!
「ねね、いいじゃんお姉ちゃん。もう一回くらい~」
「はあ……仕方ありませんね」
「やった」
「ただし」
「?」
私はなるべく意地悪に見えるように笑った。
「今度は二人でやりましょう。私だけ恥ずかしいのは不公平です」
「む、……むむむ」
案の定、こいしが悩みだした。私だけに食べさせられると思ったのだろう。仕返しだ。
「あら、自分では恥ずかしくてできませんか?」
「うう~、お姉ちゃんがSモードだ」
「失敬な」
お燐かしら、こいしに余計なことを吹き込んだのは。
あとでマタタビ取り上げよう。
「う~……仕方ない。いいよ」
「決まりですね」
私たちは互いに、金平糖をつまんで相手の口元に運ぶ。
「……結構これ恥ずかしいね。お姉ちゃん」
「さっきやらせといて何をいいますか」
「……はい、お姉ちゃん」
「あなたにも、こいし」
……ヒョイ、パク。
こいしが顔を少し紅くしている。
舌の上でころころと、金平糖を転がす。
甘い。
「……それで、もう一回やりますか?」
「も、もういいかな。あははは~」
「賢明ですね」
再び二人でお茶を飲んで、星を見上げた。
「……こいし」
「うん、なあに?」
「次はお燐やお空も連れてきましょうか」
「あ、それいいね」
こういうのを、大勢で見るのも、悪く無いだろう。
「約束だよ、お姉ちゃん」
こいしが小指を差し出してくる。
「うん、いいですね。約束」
一つ目の約束はかなえられたから、次の約束を――
こいしの指に自分のを絡める。
こうしておけば、また一緒に星を見られる。
いつまでも、幸せの指きりを。
「うん、それじゃあ――」
「約束――」
過去に色んなことがあった二人だからこそ、この今の
状態はなによりも大切なんだろうなぁ、と思いました。
良いお話でした。
前に進もうとすることが一番大事なんでしょうねぇ……
これからも頑張ってください。期待しております。
"覗"こうとでは?
何はともあれ楽しませて貰いました!
私も古明地姉妹が好きです
この暖かい雰囲気にやられた~
>NEOVARSさん
Sモード、いいですよね。というかSキャラがいいですよね。紫とか、ゆうかりんとか、永琳とか。
あ、ちゃいなの中では永琳はドSキャラです。
>煉獄
ありがとうございました。これからもこの二人には幸せになって欲しいです。
>無在
ありがとうございます! 励みになります。ご期待にそえるようがんばります!
地味にわかると思いますが、作者はパルスィも大好きです。
>Rin
ご指摘ありがとうございます! 取り急ぎ修正を。
楽しんでいただければ本当に嬉しいです。あと、古明地姉妹はセットでかわいいと思います。
すごく楽しめました!読めて良かった!