むかしむかし、あるところに、
とても仲のいい4人の姉妹が居ました。
姉妹は音楽がとても好きで、毎日演奏に明け暮れていました。
しかし、そんな幸せな日々はいつまでも続くことはなく、
とあるマジックアイテムが原因で、姉妹の家庭は崩壊してしまうのでした。
姉妹はそれぞれ、別々の家に引き取られていきましたが、
末っ子のレイラは一人、姉妹の屋敷に残りました。
いつの日か、再び姉妹で暮らせることを夢見て。
長い孤独の日々を、レイラはその夢だけを頼りに耐えました。
そしてついにその苦労が報われて、レイラの願いは叶うこととなり、
姉妹揃って末永く、幸せに暮らしたのでした。
~ はじまりはじまり ~
朝の日差しがまぶしい。
レイラ・プリズムリバーはのそりとベッドから体を起こすと、
のんびりとした動作で、猫のように体を伸ばした。
「ん~、いい朝♪」
カーテン越しの日差しを一杯に浴びて、心地よいゆったりとした時間を過ごしていると、
部屋のドアが唐突に開かれた。
「昼だバカモノ。」
呆れたように半眼で咎めるのは、長女のルナサ・プリズムリバー。
ああ、そうか。
これは昼の日差しだったのか。
どうりで日が高いと思った。
ゆるゆると緩ませた表情で、レイラはルナサのほうへと向き直る。
「ルナサ姉さん、お早う。」
「昼だと言っただろうが。断じて早くない。」
「ああ、そうね。お遅う?」
「・・・はぁ。もういい。早く食事をとりに来い。」
付き合ってられない、という態度で、ルナサは再び扉を閉めた。
レイラはいつもこんな感じ。
おっとりとしている、というのは大分控えめな表現だ。
とにかくマイペースで、天然。
姉達に呆れられることもしばしば。
そうやって呆れられてもレイラは、とても幸せそうに笑うのだった。
ようやく実現した、念願の夢。
4人の姉妹がみんな揃って、日々を過ごすことができるのだから。
* * *
「遅いよ、レイラ! もう先に食べちゃってるよ!」
食堂に着くなり、三女のリリカ・プリズムリバーの抗議の声がぶつけられた。
「あはは。ごめんなさい、リリカ姉さん。」
一方のレイラは、反省の色など欠片も見せず、
にへらっ、といつもの気の抜けたような微笑みで返す。
「ほら、レイラ。早くしないとおかずが全部リリカの胃袋に収まっちゃうわよ?」
「ああっ、目玉焼きはダメ~!」
次女のメルラン・プリズムリバーに促されて、レイラはいつもの席に着く。
1人だけ中央の席。
いわゆる、お誕生席というやつ。
末っ子のレイラはその性格ゆえか、なにをするにも危なっかしくて、
3人の姉は傍目から見れば行き過ぎなくらい、レイラを甘やかしているのだった。
「・・・いただきッ!」
「ああっ!?」
・・・・・・食べ物に限っては別かもしれない。
4つ用意されたはずの目玉焼きは、既に一つになっていた。
メルランは自分の分を既に皿に確保しているし、
ルナサはようやく一通りの用意を終えたところで、今席に着いた。
つまり、今皿に乗っている目玉焼きはルナサの分で。
今しがたリリカの口の中に放り込まれた目玉焼きが自分のに違いなかった。
リリカの皿は既に半熟卵の黄身がべっとり着いていて、
その目玉焼きが二つ目だということは、誰の目にも一目瞭然であった。
「リリカ姉さん、ずるい!」
「世の中弱肉強食なのよ。」
うう~、と未練がましくリリカの口元を見つめるレイラ。
やれやれ、とルナサはため息をついて、
「ほら、私のを半分やるから機嫌を直せ。」
自分の卵焼きを半分切り分けて、レイラの皿に乗せてやる。
しかも、心なしかレイラの分のほうが黄身の分量が多い。
「やった! ありがとう、ルナサ姉さん。大好き!」
「私だって目玉焼きは好きなんだ。次からは自分の分はちゃんと自分で確保してくれ。」
「はぁ~い!」
レイラは伸びの良すぎる、気の抜けた返事を返すと、
醤油の瓶に手を伸ばした。
それを自分の目玉焼きに傾けかけて、
・・・いやいや、たまにはソースにしようか。
醤油瓶を戻して、今度はソースを手に取る。
たまには気分を変えてソースというのも。
と、横に並べられた塩が目に入る。
塩。
塩と言うのも通な食べ方?
いやいや、ここはやはりベーシックに醤油を―――
「ごちそうさま!」
「ごちそうさま~♪」
レイラが再び掴んだ醤油瓶を握り締めながら、人生の岐路について真剣に悩んでいると、
リリカとメルランの、元気のいいごちそうさまが聞こえた。
・・・あれっ、わたしまだ一口も食べてない?
「遅いよレイラ! 先に行ってるからね!」
レイラの背中をばしんっと叩くと、リリカは廊下の角に消えていった。
痛い。
リリカ姉さんはどうしてこう、スキンシップが苛烈なのだろう。
「私も先に行っちゃうからね。早くおいでね!」
メルランもリリカを追って、廊下の角に消えていって。
レイラは涙をにじませながら、二人をフォーク片手に見送った。
「うう、人がなにをかけて食べようか、真剣に悩んでるときに・・・。」
「もう心配はいらん。醤油決定だ。」
すとんと自分の皿に視線を落とすと、
レイラの皿の目玉焼きには、盛大に醤油がぶちまけられていた。
* * *
ルナサもとっくに朝食をとり終わって、
レイラは一人で目玉焼きの醤油漬けと格闘していた。
くぅ、しょっぱい・・・。
砂糖を振り掛ければ、砂糖醤油になって美味しくなるだろうか。
むむむ。
「早く食べてしまえ。晩御飯になってしまうぞ。」
メルランとリリカが食べ終わった皿を片付けつつ、
ルナサは軽くせかすようにレイラに言う。
皿をそのまま流し台へと持っていき、
蛇口をひねってじゃぶじゃぶ洗い出した。
「今洗うの? メルラン姉さん達待ってるよ?」
「軽くやっておくだけさ。すぐ向こうに行く。」
むっ、じゃあ急いで食べて、ルナサ姉さんと一緒に行こう。
醤油漬けをフォークで突き刺して、食パンの上に乗っけると、
可能な限りの大口を開けてかぶりついた。
あっ、意外と丁度いい塩加減。
ハイペース(だと本人は信じている)で、レイラは醤油漬けを消化していく。
最後に、ミルクで口の中の塩分を洗い流して、
「ごちそうさま!」
レイラは手を合わせた。
ひょい、とレイラの皿がルナサに持っていかれ、
流し台に放り込まれる。
「よし、じゃあ二人に合流するぞ。」
そのまま、軽く流しもせずに、ルナサはレイラの手を取った。
結局、軽く流しておく必要なんか、本当はなくて。
ただ、レイラのことを待っていた口実だったのだと気付く。
「ほら、行くぞ。」
「・・・うん!」
本当は、一秒だって早く合流したかっただろうに。
レイラはせめて気付かない振りをして、ルナサに手を引かれた。
* * *
ちょっと広めのラウンジ。
そこには楽器が所狭しと並んでいて。
そこは姉妹の、演奏の練習場だった。
今日もまた、いつものように、
いろんな音がごちゃまぜになったような演奏が響く。
ヴァイオリン。
妹達の演奏を引き立てるように、
控えめに、ひっそりと、演奏の土台をくみ上げていく。
トランペット。
その姉のくみ上げた土台を、あっさりとぶち壊していく、
軽快で、自由なアップテンポ。
キーボード。
そんな二人の、いまいち噛み合わない演奏に、
我関せずといった調子で、涼しい顔で演奏を続ける。
そしてもう一つ。
よーく注意して聞かなければわからない。
3つの楽器の合間に、ときおり思い出したように聞こえる、乾いた音。
他の楽器たちの、明らかにレベルの高い演奏とは程遠い、
テンポもなにもない、拙い演奏。
カスタネット。
姉達の演奏に、ひっそりと混ざるようにして、
その旋律を乱さないように、見守るように、緩やかに叩かれる。
「ふぅ。」
ひとしきりの演奏が終わって、メルランは満足げなため息を吐いた。
ルナサは肩をすくめて、リリカは不満げに口を尖らせる。
レイラは、なにを考えているのかよくわからないニコニコ顔。
「レイラ~、もうちょっとペース上げてよ。」
リリカの不満げな声が向けられる。
レイラの、おっとりというか、まったりというか、どん臭いというか。
そんな性格のせいで、どうも毎回毎回テンポが遅れるのだ。
何度言っても直らないのだが。
「これくらい?」
―カツッ......カツッ......カツッ......カツッ......
「遅すぎ!! 眠くなる!!」
「えー、早すぎるくらいじゃない?」
「そんなことありえないから! 1.5倍くらい早くやってよ!」
「うん。これくらい?」
―カツッ.....カツッ.....カツッ.....カツッ.....
「・・・もう1000倍くらい早くして。」
「まあいいじゃないか、リリカ。
誰に聞かせるわけでもないんだ。好きにやればいい。」
そう、ルナサもメルランもリリカも、好き勝手に演奏しているだけだった。
楽譜もなにもない。
ただフィーリングとアドリブだけで、思いつくままに演奏しているだけ。
それでさえまともな演奏に聞こえるのだから、この3人の才能は驚異的なものだった。
だが、レイラだけは違った。
なぜかは知らないが、レイラだけには音楽の才能がまったくなかった。
というか、リズム感というものが致命的になかったのだ。
そのせいでまともな演奏ができる楽器がなく、
結局、レイラはカスタネットという地味なポジションについている。
きっと三人の姉の分だけで、音楽の才能は売切れてしまったのだ。
それでも、別に構わなかった。
ただ、3人の姉と一緒に居られれば、一緒になにかができれば、
レイラはそれで満足だったのである。
* * *
「・・・・・・。」
メルランは、壁にかけられたカレンダーを、
わずかに悲しげな顔を浮かべながら、丸めて捨てた。
まだ役目を終えていなかった、半年以上も残っているカレンダー。
「メルラン、なにしてるんだ?」
ルナサが、それを不思議に思って声をかける。
メルランは取り繕うような笑顔をルナサに返した。
「姉さん。カレンダー張るの、もうやめよう。」
そのメルランの笑顔が、酷く弱弱しくて、
ルナサには、彼女にかける言葉が見つからなかった。
「必要ないよ、カレンダーなんて。」
その日から、プリズムリバー家にカレンダーが張られることはなくなった。
* * *
今日も屋敷の中から、軽快な音楽が漏れ出してくる。
演奏する者たちの楽しんでいる様が伝わるかのような、軽快な演奏。
一曲演奏し終えたのか、ふつりと楽器の音が途絶えた。
「ふぅ、まあこんなものかな。」
ぱちぱち、と小さく拍手が打たれる。
その手にはまったカスタネットも一緒に打ち合わされて、奇妙な二重奏を奏でた。
「やっぱりすごいね、姉さんたちは。」
「ふふん、褒めよ称えよ。苦しゅうないぞよ。」
「姉さんはちょっと音ズレてたけどね~。」
「ああ、ズレてたな。」
ふんぞり返るリリカと、メルランの指摘に眉をひそめるルナサ。
同じ姉妹だというのに、反応はまちまちだった。
ルナサはさっそくヴァイオリンの弦の張り具合を調整しながら、
そういえば、と思い出したようにレイラのほうを向いた。
「レイラ、お前のそのカスタネット。随分古いんじゃないか?」
「えっ? うん、そうだね。ずっと使ってるから。」
やっぱりな、とルナサは納得した様子で頷く。
「ちょっと音が傾いているな。大分磨耗してるんじゃないか?」
そうかな?
レイラは自分の持つカスタネットの口を覗き込んだ。
打ち鳴らす部分の塗装がはげて、内部の木がむき出しになっていた。
その場所も、随分と削れているような気がする。
「う~ん、そうかも。」
「打楽器だからな。私たちの楽器よりも劣化が激しいだろう。」
音を聞いただけで楽器の状態がわかるなんて、やっぱり姉さんはすごいなぁ。
「そうだな。いい機会だし、せっかくだから新調するか。」
「姉さん、それもいいけど、どうせならカスタネット以外の楽器っていうのは?」
「おっ、レイラもついに音階の存在する楽器にデビュー?」
わいわいと、レイラの楽器についてあれこれ言い合う姉たち。
音楽のことに関しては、本当に楽しそうに話す。
だが、レイラはそれを辞退するように、やんわりと首を振って答えた。
「これは、いいの。どんなに古くなっても、このままで。」
「どうして?」
リリカが不思議そうな表情を浮かべて問い返す。
新しい楽器に新調するなんて、自分ならそれだけで心が弾むことなのに。
「これはね、姉さんたちから貰った、一番最初の誕生日プレゼントなの。
だからどんなに古くなっても、大事に使っていきたいの。」
そう、それはプリズムリバー家が崩壊するよりもずっと前。
レイラが5歳になったときに、ルナサ達がそれぞれおこずかいを寄せ集めて買った物。
どんなに時が流れても、レイラはそのときの喜びを昨日のことのように思い出すことが出来る。
かけがえのない、大切な思い出。
「そう、か・・・。」
嬉しそうに、そしてわずかに残念そうに、複雑な表情で呟くルナサ。
そんな空気を吹き飛ばすように、メルランが明るい声で提案した。
「じゃあ、補修しましょう! それなら問題ないわよね?」
うん、とレイラが頷いて、
「よぉし、それじゃあ頑張っちゃうわよ!
まずノコギリと~、金鎚と~、鉈と~、彫刻刀と~♪」
「ルナサ姉さんお願いします。」
「・・・ああ、わかった。」
えぇ~、とメルランが酷くがっかりした表情をレイラに向けた。
ごめんなさい、メルラン姉さん。
わたしは今の台詞を聞いてあなたに補修を任せられるほど、
チャレンジ精神有り余ってないです。
* * *
「リリカ。ケーキのことだが・・・。」
キッチンから顔だけ出して、ルナサはリリカに声をかけた。
一瞬なんのことだかわからなくて、リリカは首をかしげる。
「ケーキ? なんだっけ?」
「ほら、今年は・・・。」
「ああ、そっか。今年だったね。」
ルナサが今年は、と言ったおかげで、
リリカはようやくそれが何のことだが思い至った。
「思い出したか? 今年から、ケーキにロウソクは立てないことにするよ。」
「・・・ああ、うん。そうだね。見た目は少し寂しくなるけど。」
リリカはふと、以前にカレンダーの張られていた壁に目をやった。
長い間カレンダーが張られていた壁は、そこだけが周囲より日に焼けておらず、
その場所はいまだにぼんやりと読み取れる。
カレンダーが張られなくなったおかげで、自分達も時間の感覚が曖昧になり始めている。
それでいいのだ。
そのために、カレンダーを剥がしたのだから。
さて、プレゼントを用意しないといけないかな。
今年は、レイラの誕生日を祝う年だから。
その年から、バースデーケーキに蝋燭が立つことはなくなった。
* * *
「レーイラ! なにしてんの?」
「うわっ、リリカ姉さん!?」
急に後ろから飛びつかれて、レイラは手に持っていたそれを取り落としてしまう。
レイラの肩に顎を乗せるようにして、リリカはレイラ越しに覗き込んだ。
それは、まだ明確な形を成していない布の生地だった。
まだなにかを作っている途中なのだろう。
赤い布生地には数箇所に待ち針が刺さっていて、おぼろげながらその完成像が伺える。
「なにこれ? 帽子?」
「うん、そう。これはリリカ姉さんの。」
「えっ、ホント!?」
レイラは帽子を縫っていたのだ。
しかも、それは自分のためのものだという。
思っても見なかったレイラの答えに、リリカの声は浮かれたように上ずってしまう。
「みんなでね、お揃いの帽子にしようと思うの。
いつまでも、みんな一緒にいられますようにっていうおまじない。」
レイラは足元に落ちてしまった帽子を拾い上げ、再び針を通す。
その手つきはたどたどしく、お世辞にも早いとはいえなかったが、
とても丁寧に、慈しむように優しく、針を進めて行く。
「これを被っている限り、わたし達はずっと一緒。
どこにいても、どんなに離れていても、どれほど時が流れたとしても。
わたし達はずっと一緒なのよ。」
一点の曇りも無い、純真無垢なレイラの笑顔。
リリカは不覚にも、カッと目頭が熱くなるのを感じた。
「レイラ、ええ子やわぁ。ほんと手塩にかけて育てたかいがあったわ。」
「う~ん、リリカ姉さんに育てられたような気は、あんまりしない。」
思わず苦笑。
そんなレイラの台詞が聞こえていないかのごとく、
リリカはレイラの頭をうりうりと撫で回す。
ああ、おかげで作業が進まない。
「私の帽子を真っ先に作るっていうところも、流石レイラはわかってるって感じよね!」
「えっ? ルナサ姉さんとメルラン姉さんの分はもう作ったけど・・・?」
「この非国民がぁ!!」
「リリカ姉さんは横暴だよぉ・・・。」
その後、リリカは再教育と称して、自分の武勇伝を延々レイラの脇で聞かせ続けた。
レイラはそれを聞き流すために帽子作りの作業に集中し、
おかげで作業が大分はかどった。
でもこのことはリリカ姉さんには黙っておこう。うん。
* * *
プリズムリバー家に来客はない。
その屋敷にいまだ人が住んでいることを、誰も知る者がいないからだ。
ある日突然、一家が離散し、プリズムリバー家は崩壊した。
屋敷は無傷のまま残されていたし、
そこに末っ子の娘が一人、残されたことも知らないわけではなかったが、
その末っ子の娘が未だに生存していると思う者は、誰一人としていなかった。
その屋敷からは、時折聞こえるはずの無い楽器の音や、楽しそうに笑う声が聞こえて、
屋敷を知る者たちからは、幽霊のみが住まう幽霊屋敷として噂されていた。
そんな屋敷に近づこうとするものがいるはずもなく、
幽霊屋敷と呼ばれるようになってからは、誰一人として来客がいなかった。
人里はなれた場所にぽつんと佇むお屋敷。
しかし手入れは行き届いており、見た目だけではとても幽霊屋敷とは思えない。
中からは、少女達がじゃれあうような、楽しげな笑い声が漏れてくる。
やれやれ、嫌な役回りだ。
来訪者は幽霊屋敷を見上げると、頭をガリガリと乱暴に掻いた。
来訪者は知っている。
その屋敷になにが住んでいるのかを。
その上で、この屋敷を訪れた。
この役回りは本来、彼女の役目ではない。
しかし人手不足だから、と上司から言われ、半ば無理矢理この仕事を押し付けられたのだ。
その上、彼女がこれからやらなければならない仕事とは―――
「はぁ、帰ってのんびり昼寝でもしたいねぇ。」
頭を振って脳裏に渦巻く考えを振り落とし、彼女は幽霊屋敷の扉の前に立つ。
よっこいせ、とその手に持った大鎌を肩に担ぎなおし、
屋敷にすえつけられた、立派な玄関扉をノックした。
* * *
「「レイラ、誕生日おめでとう!」」
クラッカーの代わりに、三人の姉が操る楽器が盛大なファンファーレを奏でる。
今日はレイラの誕生日を祝う日だ。
姉達が、心から祝ってくれる誕生日。
嬉しくないはずが無い。
レイラはその小さな顔から零れ落ちてしまいそうなほど満面の笑顔で、
姉達の祝いの言葉を受けとった。
「ありがとう、ルナサ姉さん! メルラン姉さん! リリカ姉さん!」
テーブルの中央に据えられた、小さなホールケーキ。
ルナサはそれをきっちり4等分に切り分ける。
それぞれの皿に切り分けたケーキを盛り付けると、
最後に、誕生日おめでとう、の文字が書かれたプレートを、レイラのケーキに挿す。
「ほら、レイラにはプレートをやるからな。」
「わぁい、やった!」
「それじゃあ私からはイチゴを一個あげるわね。」
メルランからは、彼女のケーキに乗っていた、一番大きなイチゴが乗せられた。
「ありがとう、メルラン姉さん! わたしイチゴ大好き!」
「あら、私のことは好きじゃないのかしら? 悲しいわぁ。」
「もう一個くれたらもっと大好きかも。」
「こいつめぇ。」
うふふ、とまんざらでもなさそうに微笑む。
そんな様子を見て、一人蚊帳の外なリリカが口を尖らせる。
「姉さん! 私には? 私には?」
「よし、リリカ。お前にはフォークを一本余計にやろう。」
「いらないよッ!!」
二本目のフォークを渡そうとするルナサを断固拒否し、
リリカはへそを曲げたようにそっぽを向いた。
くすくすと、その様子を楽しげに見つめるレイラ。
「じゃあリリカ姉さんにはわたしから。」
―ぽすっ
リリカの頭の上に、レイラがなにかを被せた。
それは帽子だった。
リリカのお気に入りの赤い服に合わせた、赤い帽子。
「あっ、リリカちゃん羨ましい。」
「メルラン姉さんの分もあるよ。」
リリカの帽子に羨望のまなざしを向けるメルランにも、
レイラから帽子がプレゼントされた。
メルランには、白い帽子が。
「もちろん、ルナサ姉さんの分もね。」
「ありがとう、レイラ。大切にするよ。」
ルナサには黒の帽子。
「レイラの誕生日なのに、なんだか私達がプレゼントをもらってしまているな。」
奇妙な立場の逆転に、ルナサは思わず苦笑する。
ううん、とレイラは首を振ってそれに答えた。
「いいのよ。だって今日は、姉さん達にとっても誕生日みたいなものでしょう?」
ルナサは一瞬目を丸くして、だがすぐにその顔に笑顔を貼り付けた。
「そう、だな。ありがとう、レイラ。」
色こそ違うものの、デザインは3つとも全て同じだった。
姉妹でお揃いの帽子。
「あら、レイラの分は?」
「えへへ、わたしの分はまだ作りかけなの。」
「なぁんだ、一番大事なところが抜けてるじゃない。」
「レイラらしいけどね、うふふ。」
「あっ、メルラン姉さんひどぉい。」
姉妹の楽しげな笑い声が、屋敷の中を満たしていく。
こんな日々が永遠に続けばいいのに。
ずっと姉妹一緒で暮らせたらいいのに。
いや、暮らせるのだ。
もうわたし達は、ずっと一緒にいられるのだ。
わたしが、そう望んだから。
―コンコン
玄関を叩くノックの音が響く。
* * *
「来客? 誰だ?」
「さあ?」
ノックに気付いたルナサが、玄関の方に顔だけ向けながら、不可解な表情を浮かべる。
心当たりがなく、メルランも同じく首をかしげるばかりだった。
もうずっと、長い間訪れる者の居なかった屋敷だ。
いまさら心当たりなど、あろうはずもない。
「リリカ、ちょっと見てきてくれ。」
「ええっ、私がぁ!?」
面倒な役回りを押し付けられて、リリカは不服そうに口を尖らせる。
仕方なく、持っていたフォークをテーブルに置いて、
・・・やっぱり拾い直して一口だけケーキを口に放ってから、玄関に向かった。
ったく誰よぉ、こんなタイミングで。
ぶつぶつと文句をいいながら、玄関の扉を開ける。
「はぁい、どちら様?」
不機嫌さを隠そうともせずに、リリカは玄関先から顔を覗かせて来客を確認し、
その表情が凍りついた。
―バタンッ
開いたと思った玄関は瞬く間に閉じられて、がちゃんと鍵まで掛けられる。
さらにリリカは体を扉に押し付けるようにして、絶対に扉が開かないように押さえ込む。
「おいおい、お客さんだよ? 顔見た瞬間閉めるなんて失礼じゃないかい?」
「うるさい! 帰れ!!」
聞く耳持たず。
リリカはなおも強い力で扉を押さえつけた。
ぎりっ、と奥歯が軋みをあげるほどに強く噛み締める。
ついに来た。
死神だ。
死してなお、この世に留まり続ける亡霊の魂を狩りにきたのだ。
絶対に、ここを通すわけにはいかない。
私たちは、ここでずっと一緒に暮らすんだ!
「どうした、リリカ?」
リリカが上げた大声を不信に思い、ルナサがこちらに近づいてきたようだ。
メルランとレイラも一緒にいる。
「来ちゃだめ! こないで!」
リリカの必死の静止に、ルナサ達は足を止める。
そのリリカの異様な様子に、ルナサは思い当たる節があった。
「まさか、死神か!?」
いつもクールなルナサの表情が、傍目からでもはっきりと読み取れるほど強張っている。
状況がわからず、レイラはただおろおろするしかなかった。
まさか、姉さん達を・・・!?
「あんまり手間取らせないで欲しいねぇ。あらよっと。」
なにをする気だ?
まさか、扉をブチ破る気じゃ!?
リリカはより一層力を込めて扉を押さえつける。
しかし、その衝撃は一向に襲ってこない。
「さて、お邪魔しますよっと。」
へっ、とリリカは間の抜けた声を上げる。
いつの間にか、リリカは『外側から』扉を押さえつけていた。
中にいたはずなのに、いつの間にか自分が外にいる。
そして、死神の声が中から聞こえてきて。
ようやく、自分が死神と『立ち位置を入れ替えられた』ことに気付く。
なんてデタラメな・・・!
リリカは慌てて扉を開けようとして、
―ガチャガチャ!!
開かない。
そういえばさっき、自分で鍵を閉めたような気がしないでもない。
「ええい、私のバカッ!!」
こうなったら体当たりで扉をブチ破るしか・・・。
リリカはふわりと宙に浮いて距離を取ると、
そこから重力を利用して一気に体当たりを―――
「って壁すり抜ければいいじゃんバカー!!」
する必要がないことに遅れて気が付き、
リリカは扉をするりとすり抜けて屋敷内へと戻った。
壁を抜けるくらい、どうということはない。
自分は『騒霊』なのだから。
* * *
突然リリカの姿が消え、リリカがいたはずの場所に別人が立っていた。
身の丈ほどもある巨大な鎌を持った、赤髪の女。
その鎌を見れば、そいつが何者なのかは誰にだってわかる。
こいつはきっと、魂を狩りにきたのだ。
姉さん達が、『騒霊』だから。
死神は魂の管理者だという。
死神たちは、不正に延命したり、死してなおこの世に留まり続ける霊たちを許さない。
日々それらの魂を狩り、輪廻の輪に戻しているのだ。
「さて、お仕事お仕事っと。」
レイラが三人いても持ち上げられそうも無い、重量のありそうな大鎌を軽々と回し、
死神はレイラたちに歩み寄る。
「くっ・・・。」
ルナサとメルランが、レイラを庇うように前に立ち、じりじりと後退する。
駄目だ、わたしが姉さん達を守らなくちゃ・・・!
「レイラ!?」
メルランが、悲鳴に近い声を上げる。
レイラが前に出て、二人を庇うように両手を大きく広げたのだ。
死神が怪訝そうな表情でレイラを見る。
4人の中でも一番ちっこくて、頼りがいのなさそうな奴が前に出てきたからか。
「帰って! 姉さん達には指一本触れさせないんだから!!」
死神がレイラに向かって手を伸ばす。
レイラはきつく目を閉じて、それでもそこから逃げたりはしなかった。
ふわりと、レイラの体が浮く。
死神に襟首をつかまれて、猫のように持ち上げられたのだ。
「なにを勘違いしてるんだい、お前さんは?
そいつらはオリジナルのイメージを元に、お前さんが『作りだした』騒霊だろう?
オリジナルのプリズムリバーがこの世に未練を残して留まっているわけじゃない。
もともと輪廻の輪に加わっていない連中だ。あたいらの知ったことじゃない。」
どういう、こと・・・?
それじゃあ、この死神はなんのために・・・?
「レイラ・プリズムリバー。第一級輪廻反逆罪でお前さんを連行する。
閻魔様もカンカンさ。往生しな。」
死神の言っていることが、レイラには理解できなかった。
ぽかんと惚けたまま、死神に持ち運ばれていく。
「レイラッ!!」
玄関の扉をすり抜けてきたリリカが、死神に連れて行かれそうなレイラを見て飛び掛った。
「ああ、さっきからうるさいねぇお前さんは。」
死神に体当たりをしたはずのリリカは、しかし死神にはぶつからずにすり抜けた。
いや、すり抜けたのではない。
死神の後ろに転移させられたのだ。
「じゃあね、この子は貰っていくよ。」
鎌を引っ掛けたほうの腕で器用に手を振りながら、死神は玄関を出て行く。
ルナサ達もそれを追いかけて、玄関を出るが、
走っても走っても、死神に追いつけない。
一向に距離が縮まらないのだ。
どうしようもない。
このままでは、何も出来ないままレイラが連れて行かれてしまう。
「・・・なあ、死神。」
「あん?」
死神は、ルナサの声に足を止める。
「もう、一緒にはいられないのか?」
「駄目だね。人手不足だからといままで見逃されてはきたけどねぇ。
閻魔様もこれ以上見逃すつもりはないみたいだ。あきらめな。」
そうか、とルナサは俯く。
「なら、最後に、お別れだけ言わさせてもらえないか?」
死神は首だけ振り返り、足を止めた。
片眉を吊り上げて、仕方が無いなと肩をすくめる。
「・・・ああ、いいよ。」
死神はレイラをそっと地に降ろした。
何度も躓きそうになりながら、レイラが駆け寄ってくる。
死神も邪魔するつもりはないのだろう。
それとも、変な気を起こしたとしても問題なく対処することができるという余裕だろうか。
死神はただ、レイラたちの様子をじっと眺めている。
「姉さん!」
「レイラ・・・。」
しがみつくように、レイラはルナサに抱きついた。
もう二度と離れたくないと、強く。
「姉さん、わたしが死神さんと一緒に行かなきゃいけないなんて、嘘だよね?
わたしたち、ずっと一緒にいられるよね!?」
すがり付くようにレイラはルナサに言葉を浴びせるが、
ルナサは悲しげに眉をひそめ、答えない。
「どうして!? どうして答えてくれないの!?」
「レイラ。私たちが一緒に暮らし始めてから、どれくらいの月日が経ったかわかるか?」
・・・わからない。
だって、何時からか屋敷にはカレンダーが掛からなくなっていたから。
「レイラ。お前は今、自分が何歳になったのかわかるか?」
・・・わからない。
だって、何時からかバースデーケーキに蝋燭が立たなくなったから。
「レイラ。お前の誕生日が、何年に一度の周期で行われていたかわかるか?」
・・・わからない。
姉さんが、なにをいっているのか、わからない。
「わからないか。そうだろうな。
私たちはそのために、カレンダーも外したし、ケーキに蝋燭も立てなくなった。
私たちは、ずっとお前に隠してきたんだ。
レイラと、ずっと一緒に、幸せに暮らしたかったから。」
* * *
それは今よりもずっと前。
レイラの14歳の誕生日の時のこと。
家族がばらばらになって、ずっと一人で過ごしてきたレイラ。
いつかまた一緒に過ごせると信じて、姉達を待ち続けたレイラの心が、限界を向かえた日。
幼いレイラにはまだ信じることが出来た。
いつかまた一緒に過ごせる日々がくるという夢を。
だが年月を重ね、レイラが成長していくにしたがって、レイラは気付いていった。
もう、姉妹が一緒に暮らせる日々が来ることは、永遠にないだろうと。
それを悟った時、レイラの心を繋ぎとめていた最後の鎖が、千切れた。
丁度、14歳の誕生日の日だった。
家族が離れ離れになって以来、二度と立ち入らなかった父の書斎。
薄く埃の積もった父の机の上に、それはあった。
不思議な装飾が施された箱だった。
名を、『パンドラボックス』という。
数年前に父が見つけた、曰くつきのマジックアイテム。
使用者のありとあらゆる願いを叶えると言う、魔法の箱。
だが、ただ願いを叶えてくれるという便利な代物ではない。
このアイテムは、使用者の願いを叶える代わりに、代償を要求する。
使用者の願いと等価な、あるいはそれ以上の代償を。
当時幼かったレイラにも理解できる。
おそらく、プリズムリバー家の崩壊は、父が支払った『代償』だったのだろうと。
このマジックアイテムのせいで、わたしたちはバラバラになったのだろうと。
だから、レイラは父の書斎には二度と立ち入らなかった。
全てを壊した原因が、そこにあるから。
そしてレイラは、今再び、父の書斎へと足を踏み入れる。
皮肉な話だった。
全ての元凶に頼らなければならないなんて。
だがもう限界だった。
信じて耐え忍んだ孤独の先に、姉たちの姿がないことに気付いてしまったから。
レイラはその箱に手を伸ばす。
ぱちん、と留め金を外し、そっと蓋を開く。
わたしの願いは、もう一度姉さん達と一緒に暮らすこと。
ずっとずっと、幸せに暮らしていくこと。
そのためならば、どんな代償を支払っても構わない。
まばゆい光が父の書斎を埋め尽くし、全てが白一色で輪郭を失った。
そして、彼女達が生まれた。
ルナサ・プリズムリバー。
メルラン・プリズムリバー。
リリカ・プリズムリバー。
レイラの想像する、姉たちの成長した姿をそのままに。
彼女達は騒霊として、再びレイラの元へ帰ってきた。
レイラの持ち得る、最も大切なものを代償にして。
* * *
「ケーキに蝋燭を立てなくなったのは今から80年前の話だ。
屋敷にカレンダーを飾らなくなったのは、今から120年前の話。
お前の誕生日を祝うのは、20年に一度だよ、レイラ。
お前は今日で、154歳になる。」
レイラはただ呆然と、ルナサの言葉を聞くことしか出来ない。
「ルナ姉!? それはレイラには内緒にするって―――」
「リリカ!」
今にも飛び掛りそうなリリカを、メルランが後ろから抱きしめるように押さえつける。
「リリカ。全部姉さんにまかせなさい。」
聞いたことも無いような強い口調で、メルランはリリカに言い聞かせる。
そんなメルランは、見たことがなかった。
いつもふわふわと楽しそうにしている人だったはずなのに。
「レイラ。お前はあの日、私たちを生み出した。
そして代償に、お前は自分の命を支払った。
お前はもう、140年も前に死んでいるんだよ。」
すうっと体の力が抜けて、もはや立っているのさえ困難になった。
わたしが、死んでる?
140年も前に?
だから死神は、死してなおこの世に留まり続けるわたしを連れて行くために?
「私たちは、お前の本当の姉たちを元にお前が生み出した『騒霊』だ。
本当の姉たちは、もう生きてはいないだろう。
レイラ、いままでずっと黙ってきてすまなかった。
さあ、行くんだ。きっと、本当の姉たちにも会えるだろう。」
「そんな!? 嫌だよ姉さん!!
ずっと一緒にいてくれるって言ったじゃない!!
わたしたち姉妹は、これからはずっと一緒にいるんだって・・・!!」
すがりつくレイラを、その肩を掴んで引き剥がす。
「レイラ、私たちは―――」
嫌だ。
聞きたくない。
そんなの、聞きたく・・・ない・・・・・・。
「私たちは、お前の姉じゃない。」
ガラスが音を立てて砕けるように、なにか大切なものが砕けたのを感じた。
それはきっと、わたしたちが一緒に過ごしてきた日々。
ガラスの板に、まるで絵画のように描かれた、幻のような日々。
それが、今、粉々に砕けた。
彼女達は、わたしが生み出した騒霊。
長女のルナサ・プリズムリバー。
次女のメルラン・プリズムリバー。
末っ子のリリカ・プリズムリバー。
彼女達は騒霊の、プリズムリバー三姉妹。
そこにわたしの名前は、ない・・・。
「・・・・・・。」
ずるり、とルナサにすがり付いていた手が落ちる。
糸が切られたマリオネットのような、無機物の動作で。
「ルナ姉・・・、そんな、そんな言い方ってないよ!!」
「リリカ、やめなさい。」
「でもメル姉!?」
「大丈夫だから。全部姉さんにまかせて。」
リリカがメルランを振りほどこうと暴れるが、メルランの腕が振りほどけない。
普段のメルランからは想像もできないほど、がっちりと力強くリリカを拘束している。
メルランがリリカを押さえ込んでいるその様は、逆にリリカにすがり付いているようにも見えた。
「・・・そう、だね。」
ぽつり、と俯いたレイラの口から言葉が零れた。
顔を下げたまま、ごしごしと目を擦る。
それでも足りなくて、レイラはもう一度目を擦る。
そしてようやく、顔を上げた。
そこには、痛々しいほどに隙の無い笑顔が張り付いていた。
「ルナサ。メルラン。リリカ。
いままで長い間、わたしの我儘に付き合ってくれてありがとう。
本当の姉さんと過ごせてたみたいで、幸せでした。
どうか貴方たちも、末永く幸せに暮らしてください。」
すっとレイラは立ち上がって、歩き始める。
彼女を待つ死神の元へと。
「待って! 行かないでよレイラ!
私たちとずっと一緒に暮らそ?」
リリカの懇願するような声にも、レイラは振り返ることはなかった。
ただ淡々と、落ち着き払った様子で歩を進める。
それは普段のレイラとはかけ離れた、『歳相応』の立ち居振る舞いに見えた。
「お待たせいたしました。行きましょう、死神さん。」
「もういいのかい? 言っとくけど、もう二度と会えないよ。」
「大丈夫です。もう十分すぎるほど、彼女達にはよくしてもらいましたから。」
「そうかい。じゃあ行こうかね。」
先を歩く死神に、遅れないように後に続くレイラ。
一度だけ、レイラはルナサ達のほうを振り返り、
そしてもう、振り返ることはなかった。
二人はルナサ達に見送られながら、視界から消えていく。
おそらくあの死神の行ったとおり、もう二度とレイラと会うことは無いだろう。
まるで二人の存在が幻であったかのごとく、周囲の風景は済ました顔を取り戻している。
「・・・ッ!!」
リリカはメルランの腕を振りほどくと、ルナサに掴みかかった。
メルランが止めに入る間もなく、問い詰めるようにルナサの体を揺さぶる。
「どうして!? どうしてあんな言い方したの!?
あんなの、酷いよ!!」
―ぽたっ
一粒、涙が落ちた。
その一粒を皮切りに、ぽたぽたと、とめどなく涙が零れ落ちる。
「ルナ、姉・・・。」
「・・・っ、済まない。お前達が泣いてないのに・・・、私が・・・こんなっ。」
小さく嗚咽を上げるルナサに、リリカはどうしたらいいのかわからなくなった。
その肩を掴んでいた手が、するりと落ちる。
代わりに後ろから、抱くような手つきでメルランの手が肩に乗せられた。
「リリカ。よく思い出してみて。
レイラのことを一番かわいがっていたのは、誰だったかしら。」
それは・・・。
ルナ姉だ。
ルナ姉はレイラのこと、過保護なくらい甘やかしていて。
レイラなしじゃきっと、寂しくて死んじゃうんじゃないだろうかとさえ、思っていた。
誰よりも、ルナ姉が一番レイラのことを思っていたはずだった。
「姉さんはね、レイラに本当のお姉さん達に会って欲しかったから、あんなことを言ったのよ。
私達みたいな代役ではなく、本当のお姉さん達に会うべきだと思ったから。
あんなこと言ったら、自分のほうが傷つくくせにね。」
本当にレイラのことを思っていたから。
誰よりも、レイラのことを思っていたから。
だから、あんな言葉を・・・。
それなのに、私は・・・。
「うっ・・・、うぅ・・・・・・。レイラぁ。」
もう会えないんだ。
もう二度と、一緒には暮らせない。
そう思うと、涙が次から次へと沸いてきて、止まらなかった。
「いいよ。」
嗚咽を堪えて泣く二人を、メルランは抱えるようにして抱きしめる。
小さい子をあやすように、二人の背中を撫でながら。
「二人とも、泣いていいよ。
私が、二人の代わりに笑うから。」
そうして、ルナサとリリカは枯れそうなほどに涙を流しながら、
メルランは悲しさを押し殺したような微笑みを浮かべながら、
姉妹は三人で泣き続けた。
* * *
三途の川。
つねに濃い川霧が立ち込めていて、その河岸を見通すことはできない。
愛想の欠片も無い殺風景な景色が延々と続き、
そこには川の流れるせせらぎを除いて、音というものが存在しない。
そんな、酷く寂しい情景を、一つの船が流れて行く。
一人の船頭の死神と、一人の乗客。
そこには一言の会話すらなく、ただ黙々と死神が船を漕いでいる。
乗客のレイラ・プリズムリバーは、終始俯いたまま、口を開こうとすらしなかった。
連れてきたのは死神だが、あの場に居合わせたせいでどうにもバツが悪かった。
そもそも、魂を顕界から連れてくるというのは、あたいの仕事ではないというのに。
まったく、とんだ貧乏くじを引かされたものだ。
いつもなら乗せた乗客と陽気にくっちゃべっている頃だろうに、
彼女とはとてもそんな気分にはなれなかった。
レイラの沈んだ表情が、死神にとっては気分の悪いものだった。
・・・やれやれ、しょうがないねえ。
「ホントはね、罪人にこういうことをしちゃいけないんだよ。
だから、あたいがこれからすることは、閻魔様には黙っといておくれよ。」
―ぱちん
死神が指を鳴らす。
怪訝な顔で見上げてくるレイラに、指で水面を見るように促す。
レイラが水面を覗き込むと、そこにはまったく別の場所の風景が映りこんでいた。
見飽きるほどに見慣れた屋敷。
ここは、プリズムリバー家の屋敷だ。
「映像だけだけど我慢しとくれよ。」
屋敷の前に、三人の人影が見える。
お揃いの帽子を被った、三人姉妹。
それぞれが思い思いの楽器を手に、音楽を奏でている。
映像だけで、音まではこちらには届かない。
けれど、レイラには聞こえる。
あの懐かしい旋律が。
ヴァイオリン。
他の姉妹達の演奏を引き立てるように、
控えめに、ひっそりと、演奏の土台をくみ上げていく。
トランペット。
その姉のくみ上げた土台を、あっさりとぶち壊していく、
軽快で、自由なアップテンポ。
キーボード。
そんな二人の、いまいち噛み合わない演奏に、
我関せずといった調子で、涼しい顔で演奏を続ける。
もう二度と聞くことは無いであろう、あのアンサンブルが。
「きっとお前さんのためのレクイエムだね。」
あの子達が、わたしのために・・・。
ぽたり、と水面に雫が一滴零れて、水面に波紋を広げる。
「これから喋るのはあたいの独り言さ。どうか聞き流しておくれ。」
水面を波立たせないように、死神は一旦船を漕ぐ手を止めた。
船に座り込むと、見えもしない川霧の向こうへと視線を飛ばす。
「血縁でも赤の他人でも、一緒に付き合って過ごしていくことはできる。
じゃあ血縁と赤の他人の違いってなんだ。
血の繋がり? ああ、そいつはもっともだ。
血の繋がりってのは、たとえ家族の縁を切るだのと口で言っても、切れるようなものじゃない。
どんなに気に入らない奴であろうと、本当の意味でそいつとの縁が切れることは一生無い。
逆に赤の他人は、その気になりゃあ簡単に縁を切ることができる。
もう二度と会わねえ。おうこっちから願い下げだ。それで終了。
つまるところ、血縁と赤の他人の差ってのはそこだと、あたいは思ってる。」
突然、なんの話だろうか。
レイラは水面から、死神のほうへと顔を向ける。
死神は相変わらずどこともしれないところを見つめながら、『独り言』を続ける。
「で、あるところに140年も一緒に暮らし続けていた姉妹が居てね。
4人姉妹で、その末っ子は実は上3人と血は繋がっていなかったわけなんだが、
いや、血が繋がってるかとか、そういう表現はおかしいか。まあいいや。察しろ。
とにかく、140年間も仲良く暮らしていたわけだ。
あたいは思ったね。ああ、その末っ子とやらはなんて幸せな奴なんだろうってさ。」
幸せ?
どうして?
一人だけ、本当の姉妹じゃないのに。
理解できないという表情のレイラに、死神は再び水面を指して続けた。
「さっきも言ったが、赤の他人なら気に入らなけりゃあ簡単に縁を切ることができる。
けどその姉妹の末っ子は、140年もずっと一緒に暮らしてきたわけだ。
そりゃあ幸せだろうさ。
それは血の繋がりなんか関係なく、三人の姉から愛されてたっていう、
何よりの証拠なんだからさ。」
死神はガリガリと照れくさそうに頭を掻くと、櫂を持って立ち上がった。
「ガラにもなくクサいこと言っちまったねぇ。
まあいいさ、どうせ独り言だ。誰に聞かせるわけでもない。
ほい、休憩終わりっと。」
櫂を水面に突き刺すと、波をなるべく立てないように、
心持ちゆったりとした手つきで船を漕ぎ始めた。
ずっと口を引き結んでいたレイラが、その時ようやく口を開いた。
「死神さん。」
「あいよ、なんだい?」
「カスタネット、鳴らしてもいいですか?」
「ああ、構わないよ。」
川のせせらぎしか音のなかった世界に、
遅すぎて眠くなるような、優しいカスタネットの音が混じる。
それは水面に映る音無き演奏会に、ひっそりと花を添える。
* * *
「さて、あたいが送ってやるのはここまでだ。
言っとくが、閻魔様はカンカンだ。心して行くんだね。」
「はい、ありがとうございました。」
「あたいはお前さんをここまで運んだだけさ。
途中独り言を言ったりしたかもしれないが、礼を言われるようなことはしてないね。」
「ふふっ、そうですね。運んでくださってありがとうございました。」
死神と別れ、レイラは審判の門を開く。
重厚な雰囲気の扉なのに、重量としてはさほどでもなかった。
その先は大広間。
彼方が闇に霞むほど広い広間の正面、
裁判に使うような審問台が据えつけられている。
そしてその向こう、見るもの全てに威圧感を感じさせるほどに立派な裁判長席。
「審問台に着きなさい、被告人レイラ・プリズムリバー。」
静かで、しかし力強い声が広間に木霊する。
これがきっと、閻魔様の声なのだ。
レイラは何一つ躊躇うことなく、審問台に着いた。
―カッカッ
木製のハンマーを鳴らす、乾いた音が広間に染み渡る。
「被告人レイラ・プリズムリバー。
あなたは死後、冥府へ赴くことなく不正に顕界に留まり続けました。
間違いありませんね?」
「はい、間違いありません。」
裁判長席に座る閻魔の、射抜くような視線がレイラを貫いた。
一片の嘘さえも見落とすことなく暴きだしそうな、槍のような眼光。
レイラはそれを受けてすら堂々と、自らの罪を認めた。
「死後、顕界に留まり続けることは、世の理である輪廻転生を妨げる行いです。
一介の人間風情が、自らの都合で行ってよい所業ではありません。
あなたはそれを知っていましたか?」
「はい、閻魔様。」
「よろしい。素直に罪を認めましたね。
輪廻反逆罪は重罪です。向こう500年は転生できぬと思いなさい。
なにか言いたいことは?」
500年は転生できない。
さきの死神が聞けば、顔を真っ青にして裸足で逃げ出すほどの刑だった。
それほどに、閻魔は怒っているのだろう。
感情を凍らせた冷たい視線からは、その怒りのほどを推し量ることはできない。
それでもレイラは、一点の曇りも無い笑顔で閻魔に答えた。
「一言だけ。幸せでした、と。」
ふぅ、と呆れたようなため息が、懺悔棒で隠された口元から漏れる。
反省の色なしと呆れられてしまったか。
でも仕方ない。本心だから。
「では貴方に与える刑を言い渡します。心して聞きなさい。」
「はい。」
「先も言ったように、貴方にはこれから500年間、みっちり反省してもらいます。
具体的には、これから500年間、私の補佐をしてもらいます。」
・・・えっ?
閻魔様の、補佐?
それが罰?
「なにを惚けた顔をしているのですか。
言っておきますが、閻魔の補佐は一日三回死んだほうがマシという言葉が出るほど過酷ですよ。」
閻魔は済ました顔で言葉を続ける。
「なお、先任の私の補佐がいますので、しばらくはその者たちに作業の仕方を教わりなさい。
よろしいですね?」
「は、はい・・・。」
「では、入りなさい。」
がちゃり、とレイラの後ろの扉が開く。
そこから広間に入ってきたのは、三人の女性。
年齢はまちまちで特に統一性がみられないが、
しかし年齢よりももっと重要なところで共通点があった。
「左から順に紹介します。
ルナサ・プリズムリバー。
メルラン・プリズムリバー。
リリカ・プリズムリバー。
貴方の先輩に当たる者たちです。
失礼の無いように、作業の仕方を教わりなさい。」
そう、どんなに年齢を重ねても、レイラには一目でわかった。
自分の、本当の姉たちだと。
140年もの時を経て、ようやく、姉妹は四人揃うことが出来たのだ。
ルナサ・プリズムリバーは、大分遅れてやって来た世話の焼ける末っ子に、
仕方の無い奴だという微笑みを向けながら言った。
「何十年もこんなところで私達を待たせてくれて・・・。
みっちりしごいてやるから覚悟しろよ、レイラ!」
レイラは何度も、何度も頷いて、ルナサの首に飛びついた。
これからはずっと、ずっと一緒に暮らせるのだ。
正真正銘、ずっと一緒に。
* * *
むかしむかし、あるところに、
とても仲のいい4人の姉妹が居ました。
姉妹は音楽がとても好きで、毎日演奏に明け暮れていました。
しかし、そんな幸せな日々はいつまでも続くことはなく、
とあるマジックアイテムが原因で、姉妹の家庭は崩壊してしまうのでした。
姉妹はそれぞれ、別々の家に引き取られていきましたが、
末っ子のレイラは一人、姉妹の屋敷に残りました。
いつの日か、再び姉妹で暮らせることを夢見て。
長い孤独の日々を、レイラはその夢だけを頼りに耐えました。
しかし、レイラは気付いてしまいました。
その夢が、もう永遠に叶うことはない事に。
そしてレイラは、一家を崩壊させたマジックアイテムに手を染めてしまうのでした。
レイラは自らの命と引き換えに、3人の姉の分身と、そして幸せな日々を手に入れました。
しかしそんな偽りの幸せが、永遠に続くことはありませんでした。
命を失ってなお、顕界に留まり続けることは、犯してはならない大罪だったのです。
レイラは死神に連れられて、涙を呑んで姉の分身たちと別れました。
その先で閻魔の厳しい裁きを受けるレイラでしたが、
なんとそこには、レイラの本当の姉たちの姿があったのです。
そしてついにレイラは本当の姉たちと再会することが叶い、
閻魔の元で殺人的な仕事の量に忙殺されながら、
姉妹揃って末永く、幸せに暮らしたのでした。
~ めでたしめでたし ~
姉妹たちの愛情が溢れているようなお話でした。
閻魔や死神の使い方も上手いと思いますよ。
レイラの最後の「幸せでした」という言葉に
ふっ…と笑みの形になりました。
面白かったです。
それとセリフの文末に「。」は必要ないと思います。
文章の作法としては「。」で正しいです。ただ「」でも間違いではなく、
作者の判断で雰囲気に合わせて使い分けが利くグレーゾーンになっています。
フォークを二本渡すのはいいサービスだと思いました。
三姉妹のテーマソングでもある幽霊楽団~Phantom Ensembleが思わず流れちゃいますね
泣いた後に元気が出るような、素敵な物語でした。
「おこずかい」ではなく、「おこづかい」じゃないでしょうか、漢字変換できますし。
お話はとてもよかったです。
すらすら読めて、いろいろな味わいをいただきました。
あたたかい……。