『詮ずる所。誰も彼も、全てを見失ってしまうのだ。
其を厭わば、初めから瞼を下ろし、何も見ぬが良かろう。――― 夜雀』
『よーするに。みんないつかは何も見えなくなるのよね。
私は、嫌でもあんたらの眼を利かなくしてやるわよ。――― ミスティア・ローレライ(訳)』
山奥に、ひっそりと生き暮らす人間の邑があった。
その里の上空を、一つの妖が通りすがる。
夜の晧々たる月光に紛れる暗色の洋装をし、背に少しばかり歪んだ形の翼を生やしたその生き物は、
眼下に立ち並ぶ人家の集合に目もくれずに飛ぶ。
人間の少女を象る妖怪は、その真逆の型を選ぶ者よりも圧倒的に多勢である。
人の型の母体が女性のそれであり、精神のベースもまたその形式に則ったものなのだとすれば、
この厳然たる事実の因果に多少の納得も覚えられようか。
さて、この妖怪は、俗に夜雀と呼ばれる類の怪奇である。
歌声は人心を惑わせ、夜目を効かなくし、その脅威を以って更なる脅威の到来を警告するという。
本来は雀とは名ばかりで、人の顔に翼を持ち合わせているという異形の妖であり、
今この空に舞う可愛らしい少女がそれであるなどとは、
伝奇のみにて怪異を知らんとする輩には思いも及ばぬ。
夜雀の少女は空を駆けながら、絶え間なく詠っている。
人の耳には、気が狂わんばかりに美しき音色か、
理由も無く心ざわめく不協和音に聞こえるのだが、
彼女自身はこれを、
(ああ、今日は喉の通りが悪いわね)
と思うばかりである。
少女の名を、ミスティア・ローレライという。
誰に名づけられたものか、彼女自身も預かり知らぬ事であるのだが。
ミスティアは意識的に人間をからかう事もあるが、
今はただ、人っ子一人居ない夜の山道を、鼻歌交じりに散歩しているだけである。目的は無い。
「あら。この辺に、人間どもが巣食っていなかったかしら」
ミスティアは歌うのを止めてそう口にしてみたが、さして疑う事も無くそのまま飛んでいく。
実は人の棲家が消えている、という事に気付いただけでも、
この妖怪がただの精霊などに比すれば優れた怪物であるという証明になるのだが、
賢しいとは言えない彼女の知性は今や全く別の事に囚われていた為、
その事に特段の注意を払う事は無かった。
(楽しいな。楽しいな。百鬼夜行が、始まるよ)
と、こうである。
夜雀の歌は、人の心を迷わせるだけでなく、順逆を越えて別個の怪異を呼び寄せる。
即ち、鼻歌と共に空を飛ぶ夜雀は、周囲の土地神やら、同様に夜を飛ぶ妖怪などを節操無く呼びつけ、
程無くして、観客の居ない、行くあても無いカーニバルの行列が出来上がるのだ。
呼ばれる妖怪の類の方も、
(おう、おう。また、今夜も夜雀が啼いておる)
歌声が届くのを心待ちにし、遠くにそれを聞くや夜空に踊り出、
流れに参列することを楽しむ始末である。
妖怪は眠らずとも生きてゆける。
そも、人の身と同じサイクルでそれを捉えんとするのは、心の造りより型の異なる彼らを、些か甘く見すぎだと言えよう。
妖怪は妖怪。衣食住などという現実・常識の埒外にある存在である。
彼らが食べるときは食べたい時であり、彼らが眠るときは眠りたい時なのだ。
だから、妖怪たちが夜雀の行列に参画するのも、何らかの思索があってよりの事ではなく、
その振る舞いはさしずめ、チャルメラに惹かれて寄り付く酔っ払いというところか。
ただ何とはなしに、
「来てしまった・・・」のだろう。
つまりは人も妖も惹き付ける不思議な声音を、
この夜雀は何の惜し気も無しに垂れ流しては、
(やだ、半音ずれちゃった)
とだけ思って、不服そうに飛ぶのだった。
他者の心の乱れになど、毛ほども興味を持っておらぬ様子なのである。
山道を過ぎると、ミスティアの眼前には一面の湖が開けた。
湖面はゆらゆらと静かに揺れ、そこに映し出された月がたゆたってい、
意外なほどに強いその反射光は、この夜を照らす月がもう一つ生まれたのだと錯覚させるのに充分な輝きを保っている。
その情景を見て、初めのうち夜雀の少女は、
(ああ、綺麗だわ)
暢気に、ぱたぱたと翼をはためかせて眺めていたが、
(や、あれは、まさか・・・)
湖上に一つの人影が浮かび上がるのを見るや、血相を変えて身を翻し、
山道へとまっしぐらに逃げ退る。
己の招いた百鬼夜行を巧みにすり抜け、やんややんやを通り越して、
静かな夜道を歌い惑う。木々がざわめき、不吉の往来をがなり立てる。
あ、という間に、ミスティアは湖月からかけ離れた野山まで飛び去ったのであった。
このときミスティアは、湖面に浮かんだ影に、先日幻想郷を覆った怪異の夜、
彼女をこっ酷く痛めつけた夜の王その人、いやその悪魔を見たのである。
(危ない、危ない)
ミスティアは、己こそ不吉の体現であるにも関わらず、
今や彼の吸血姫とその従者に畏怖の念すら抱いている。
つまりは、それだけ恐ろしい目にあった、ということだ。
視線だけで凍えそうな冷徹な瞳と、吐息だけで焼け付きそうな凄烈な唇を思い出し、
ミスティア・ローレライはぶるり、と夜気に身を震わせる。
妖怪少女は、少女を象るが故に、少女のメンタリティを持つ。
多くの妖怪少女は、素直なのである。外見を基に内面が生まれるという順序の差はあれど、
基本的に彼女らは裏表の無い性格となるのだ。
格が、重みが増えるにつれて、表裏に違和感を覚えるほどの差異が生じるのは、人の一生と然したる違いも無いことだ。
兎にも角にも、少女であるミスティアは夜の脅威に怯え、
影の正体も確かめずにすたこらと逃げ出し、気付けば彼女の隠棲する森近くまで辿り着いていた。
(肝を冷やす出来事にも遭ったし)
と今宵の夢路に就くつもりでいたミスティアだったが、
ふと、木々の隙間に何者かを見て、そちらを窺う。
(何だ、人間か)
何者かは、まだ年端も行かぬ人間の子供であった。少年のようである。
だが、
(こんな時間に、何で人間が?)
ミスティアの棲む森は、ただでさえ人外魔境の幻想郷の中にあって、
そこに暮らす人間たちが近寄りさえしない未踏の地であり、
丑を回った刻限に人の子が徘徊していて良い場所ではあらぬ。
不審に思ったミスティアがよくよく見てみると、その人間の子供は右手に添えた長杖を突き、
人の歩まぬ獣道を実にたどたどしく、だが確実に歩き進んでいた。
その足取りに、不安げな素振りは無い。
(ふうん、丁度いい)
珍客の様子に、この夜雀の少女はいたく関心を持った。
この人間が、如何なる理由をもって己の住まいに踏み入らんとするのか、
などという目的をこれと持っての事ではない。
ただ単に、
(夜食に、良さそう・・・)
在りもしない胃に、すきっ腹の鳴るのを感じたからである。
ミスティアは森の中に舞い降りて、訥々と歩く少年の身なりを木陰からまじまじと見確かめた。
すると、
(ううん。こりゃ、駄目だ・・・)
と、夜雀の少女は横に首を振り振り、明らかに落胆した表情で息を吐く。
少年の衣服は一言で言えば襤褸で、辛うじて小雨を凌げようかという穴空きの傘を背に掛けたその姿は、
見るに耐えない乞食か餓鬼としか形容できぬものだった。
その頬はこけ、やせ細ったもろ腕に浮かぶ血管と筋骨が痛々しくさえあった。
(とてもじゃあないが、喰えたもんじゃない)
そう思ったミスティアは、心持の方針を変えて、おもむろにそのか細き喉で歌い始める。
歌声は、美しく響く夜盲の術である。
これを聞いた人間は、夜目を封じられ、まともに夜道を歩けぬようになるのだが、
今ミスティアがこうして歌声を上げるのは、人の子供に危機の招来を聞かせ伝える為であった。
彼女は人々が、夜雀の声を聞いたら疾く逃げよ、と子らに言い聞かせている事を知っている。
(ほら、早くお帰んなさい)
何も、情けをかけてやろうというのではない。
単に、ミスティアの好き嫌いの問題であった。筋ばかりの肉は、彼女の好みでは無かった。
食糧にするのでも、からかって遊ぶのでもなければ、わざわざ人間になど関わるつもりも無いのであろう。
ミスティアは益々声高く歌い上げる。
夜雀の歌は、人の耳には旋律として捉えられぬゆえ、底冷えする残響音が器官を揺らがせるばかりである。
だが、目の見えなくなった少年が尻尾を巻いて逃げ出すであろうと思い込んでいたミスティアは、
この人間の子供が先よりも確りとした歩みで、変わらずに森を歩き行く様子を見、そこほどに驚いた。
(・・・? 鳥目になっていないのかしら)
夜雀の歌声が聞こえただけでも、常人であれば面色を蒼白にして腰を抜かすものもある。
だというのに、
(なんで、こいつは)
少年は些か不安げな表情こそ見せても、態度は大人よりも泰然としたもので、獣道を危なげにも進んでいく。
それが、若干ばかり腹に据えかねたものか、
(ふうん、懲らしめてやろうかしら)
と、ミスティアは少年の道行きを邪魔せんと、彼の眼前に立ちはだかり、
「ちょっとあんた!」
一声上げて、少年を立ち止まらせた。
小さな迷い人は、ビクリと一瞬身を竦ませたが、杖を支えにすぐ立ち直る。
少年の背は大層低く、小柄と言えるミスティアが向かい合って見下ろす形になった。
「人間の分際で。こんなとこで、一体全体、何をしようっていうの」
ミスティアは腰に手を宛がい、上背を大きく傾けて、息が届く程近くまで少年に顔を寄せる。
背の歪な翼を忙しげにはためかせて怒りを顕わにするミスティアに対し、
少年は彼女の整った相貌を前に、ただ茫然と突っ立っているのみで、
時折首を傾げたり、愛想笑いを浮かべたりはしても、怒気孕む妖怪の姿に色を失う事は無かった。
(ん・・・?)
そこに至って、ミスティアはこの少年の様子に、えも言われぬ違和感を抱き、
少年の顔面、開かれた両の瞳に、長く尖った猛禽の如き爪を向けて。
ずい、と、腕を伸ばす。あと一押しで、鋭い爪先が少年の眼球を貫き通してしまう、その寸前で止める。
「・・・?」
少年は、これほどの危機にあって、悄然とする事も無く立ち尽くしていた。
はた、とミスティアは気付く。
(盲・・・)
少年の円らな瞳は、一切の光を通さずに、黒く落ち濁っていたのである。
盲目の少年は、唖でもあった。
少年が盲であると知り、ミスティアは伸ばしていた腕を引っ込めて、
少年にとやかくやと色々物を訊ねた。主に少年が何故にここに居るのか、という事につき。
しかし、どれだけミスティアが話し掛けても、少年の白い唇はぱくぱくと開閉するばかりで、
そこから言の葉が紡ぎだされる事は無かったのである。
その事、つまり、この少年が唖にして盲いている事に気付いても、
何分ミスティア・ローレライは妖怪であるから、それに同情する事も蔑む事もない。
ただ、
(不便な奴・・・)
不憫とは思わぬのである。
だが何の気紛れを起こしたか、ミスティアは近場にある、
森の中のホールのような場所に少年の手を引いてを導き、
「ここは暖気が吹き溜まって、冬の夜でも過ごし易い。今晩はここで寝るが良いわ」
とだけ告げ、自分はさっさと木々の中に隠れてしまった。
少年は言われるままに広場の端、大きな木の幹を背凭れにし、
擦り切れた衣服を布団代わりに掛け、傘と杖を幹に立掛けて座り込む。
その木の上、屈強な一本の枝の上に腰掛けて、ミスティアは少年を見下ろす。
寝息の聞こえるのを確認すると、彼女も枝の上で器用に寝転がり、瞼を閉じて眠り始めたのだった。
妖怪の気紛れは続く。
朝日が差し、それを光として捉えられずとも、陽光の暖かみを感じて少年が目を覚ます。
その円に何も映さぬ黒瞳を開けて、ぼう、とした頭もそのままに木々の切れ間、
光の差す穴へ首を向けた少年は、ふと、自分の近くに誰かが居る事を感じたのだった。
ミスティアが光を遮る形で少年の目前に立ち、少年に光の暖かみが届かなくなったからである。
「起きたわね」、と夜雀が言うのに、少年の方も首肯して応える。
ミスティアはその返事に、「良し」と相手が見えぬとわかっていながら頷き返してから、
少年の手に彼の杖を掴ませて、少年が自力で立ち上がるまで、じっとその様子を眺めていた。
少年は不思議そうにしている。その心には様々な疑問と不安が宿っているだろう。
だが、もしその思いを口に出す事が叶っても、おそらく相手は真っ当な答えを返さないであろうことを、
既に少年は理解していたのである。夜の夜中に森の奥深くに分け入る人間が、
自分より他に都合よく居たものだと思うほどの楽観は持っていなかった。
人でなければ、
(妖か、魔か・・・)なのである。
その妖が、何故か己に親切であること、それを本人に問い質した所で、
返答は期待せぬが良いと考えるのは、人としては至極当然の思考であった。
もっともらしい答えの帰ってくる方が、余程空恐ろしいのである。言の葉は嘘っぱちの道具であるゆえに。
そんな少年の沈黙をどう捉えたものか、
「じゃ、行きますか」
とミスティアは切り出して、少年の両肩にぽん、と手を置くと、回れ右、と促した。
されるままに後ろを向いた少年は、背にいる妖が、
自分の腹の辺りに両腕を回していることに気付いて、少し戸惑って身じろぎする。
その動きに、
「こらこら、動かない」とミスティアが囁き、引き続いて、
「取って喰ったりしないから、安心なさいな」と言いながら片腕を外して、
少年のぼさぼさの頭を撫で回す。
それで少年の疑念が去ったかというと、完全にそうであるとは言い切れないが、
少なくともミスティアのする事に抵抗しようという気が多少薄れた事は確かであり、
回された腕から伝わる温もりも相まってか、少年は身動きを抑えた。
再び少女の両腕が子供の細い腰を支えるように回され、
「それじゃ、今度こそ」
と、ミスティアの声が少年に届いた、次の一瞬。
人間と妖怪は、朝方の森の風景を眼下に眺めていた。
ミスティアのあまり頑強には見えない両腕が盲の少年をしっかりと抱えて、
ゆっくりと秋の蒼空を羽ばたいて飛んでいるのである。
白日の下に晒された二人は、一言も無くふわりふわりと浮かんでいる。
きょろきょろと、突然に空気の味が変わったことに惑う少年を見て、
「そっか、残念。あんたにはこの景色が、見えないんだね」
と言うと、ミスティアは朝の清冽な空気を胸一杯に吸い込み、
夜にしか響かぬ筈の夜雀の歌声を、敷き詰められた緑に、遥かなる蒼に向けて啼き上げる。
♪暗き闇夜の森 静けさに身を隠して
其処には聞こえる ただ高らかに謡う夜雀の歌
歌う。夜には百鬼が騒ぐ歌であるが、夜更かしした妖は昼前には寝こけている。
何を気にする事も無しに、夜雀が朝日に向けて謡う。
♪静寂(しじま)に響くそれを 耳にしてはならないと
誰もが知ってる 人の里の言い伝え
普段は付けぬ詩を以って、何を思い啼くのか。
この詩は他ならぬ人間が、彼女のような妖を教え伝える夜盲の言葉。
♪闇を切り裂く歌 美しさに魅せられて
ふと耳すませば ほら 妖集いて声を揃える
「愚かな人の子供 まだこなる森にいる」と
哀れに思えど もう歌しか聞こえない
夜雀の腕の中で少年は、耳元にキンキンと響く歌声を、やはり嫌がるでもなく耳をすますのだった。
何よりも不吉に美しく聞こえる筈の歌声を、少年は頬を暖かく緩めて聴き入る。
どんな言葉の羅列よりもその表情一つが、彼の心に不安など無いということを力強く物語っていた。
歌が終わると、朝の静けさが森に帰ってくる。
少年は拍手の一つもしようかと思案したが、余計な動きをすると怒られるような気がして、
そっと、自分の身を抱えている少女の手に、自らの片手を重ねた。
親愛という程の関わりあいでもない。
だから、感謝を伝えるには、それが一番のように、少年は思えたのである。
ミスティアは少年が自分の手を振り解こうとしているのでは、と寸時思ったが、
すぐに思い直して声を掛けるのをやめる。
口利かぬ少年の意志が、行為からしっかりと伝わったからであった。
彼女が妖怪で、相手が人であっても、感謝に怒る者はそういないということである。
やがて、人里に程近くなった森の一角にて、
ミスティアは舞い降りて少年の足を地に着ける。
目の見えぬ少年がそれに訝しむ様子で首を傾けると、
「この辺で待ってれば、お人好しが来るから」
意を汲んだ夜雀がそう答えた。
なおも不思議そうな少年に、ミスティアは一言、
「じゃ、もう会いませんように」
と言うと、翼をはためかせてそそくさとその場から飛び去った。
取り残された少年はというと、手に持った杖で身を支えて、
親切にするだけしてとっとと行ってしまった夜雀へ、
やはりというか怒ることも無く、ただ、ぱたぱたと手を振った。
もうそこに、親切な妖がいない事を知っていながら。
それから数日が経った、ある夜の事である。
いつもの通りに夜空を謡い舞っていたミスティア・ローレライは、
自分の前方に、見知った人物が浮かんで、彼女を待ち受けているのを見つけた。
「半獣?」
歌いやめてそう呟いたミスティアに、
その人物は「今は人間だ」とだけ吐き捨てるように言い、
真っ直ぐな瞳で貫くように彼女を見据える。
男性のような口調であるが、しかしこの人物はミスティアと同じく少女の姿であった。
この少女は名を上白沢慧音といい、ミスティアにとっては天敵のようなものであり、
人間たち以上に関わり合いになりたくない相手であったので、
「用が無いなら」
とミスティアは言って、その場から立ち去ろうとした。
が、
「待て。お前を探していた」
と眼前の人物に言われては、そうもゆかぬ。
見直してみれば、慧音はミスティアに厳しい眼差しを向けていても、
そこにミスティアに対する敵意は介在していないことがわかった。
「何か?」
宙に立ち止まり、ミスティアが尋ねる。
すると、慧音は一旦うんざりとした表情をしてから、
すぐさまに元の厳しげな目つきに戻して、
「ありがとう」
と紡いだ。
「・・・」
突然の感謝の言葉に、ミスティアが何も言えずにいると、
「あの子の、母御からの言伝だよ。この子を助けた人に、とさ。
―――お前だろう?」
憮然とした様子で、愚痴るように慧音が語るのを聞き、
(ああ、そういえば)
ミスティアも得心して、こく、と頷く。
この相手に虚偽を交えた言葉を返しても、無意味である事を知っているからである。
ふう、と溜息を吐いて、慧音は目を伏せて首を振る。
「矢張り、か。いや、歴史は見ていないよ。
あの子が、これを持っていた」
慧音はそう言うと懐を探り、す、と何かを取り出した。
一枚の、歪な形をした羽根であった。
それを見てミスティアは、
(あちゃ。そりゃあ、ばれるわね・・・)
立つ鳥後を濁さずとは言え、羽ばたいた隙に落ちた羽にまで気を配る鳥はいない。
思わず笑い出したくなったミスティアに、慧音は、今度は安堵の溜息と共に言う。
「まぁ、良かった。もしこれでお前が助けたのでなかったら、
私はしたくも無い事を、する必要も無いのにしてしまった事になっていた」
慧音は人間を好み、対照に妖怪を厭う。
妖怪に対して謝辞を述べる事に、いかばかりかの抵抗があったのであろう。
慧音がこうして現れるまでに数日を要したのは、
そのような葛藤あってのことであると、彼女の人となりを多少なりと知るミスティアには容易に想像できた。
彼女のそういった頑固さは、同様に妖怪に厭われ、
また好かれる理由ともなっているのであるが、当の本人は気付くどころか考えもせぬ。
ともあれ、そうした慧音の様子を見て、
「そう。じゃあ、私からも一つ。
―――あれは、次は喰うからねって意味、と伝えな」
クスクスと笑いながら、ミスティアはそう言った。
それに慧音は弾かれるように反応し、
「させないよ、この妖怪が」と敵意を発する。
その手に持っていたはずのミスティアの羽根が、何時の間にか力を封じた符に摩り替わっている。
「わわ、冗談冗談。そんなおっかないもの、仕舞ってよ」
一度戦いとなれば、ミスティアでは慧音に手も足も出ない。
妖怪らしい振る舞いを止め、慌ててミスティアはぱたぱたと手を振る。
「ふん。冗談だよ」
そう言うと、慧音は符を仕舞って、微かに口を歪め、笑ってみせた。
自分が目の前の少女にからかわれたのだと知り、
ミスティアはやや頬を膨らませ、
「じゃ、そういうことで」
憤慨してその場を去ろうとする。
「ああ、待て待て。そう怒るな」
あやすように取り成し、慧音は再び呼び止めた。
「もう用は済んだんでしょう?」
ミスティアは憤然と答えを返すが、
慧音はそんな彼女の様子に、
(意外と、せっかちな奴・・・)
と苦笑を漏らしつつ、言う。
「一つ、聞きたい事がある」
「何故、助けた」
息も継がずに、上白沢慧音は、ミスティア・ローレライに質問した。
人を喰らう妖の分が、ろくな抵抗も出来ぬ相手を見逃し、
あまつさえ人里へ送り返すなどという所業を為したのは何ゆえか、という意味合いである。
真っ直ぐに見据えて問うた慧音に、ミスティアは気の無い素振りで、
「別に。大した理由じゃない。
―――ただ、私が負けただけ」
言うや、背中の翼をはためかせる。
「私の歌は、あいつにはただの歌でしかないんだもの」
そこまで告げると、
慧音が「あ・・・」と言う間もなく、ミスティアは慧音の横を抜けて、凄まじい勢いで飛び退ってしまった。
「・・・負けたから、ね。如何にも、妖怪らしい理由だな」
残された慧音は、ミスティアの見えなくなった方を見てそう呟き。
後には、もう歌しか聞こえない。
Only song is able to hear, any longer.
普通の人ならば不吉に思えるはずの夜雀の声さえも、彼にはただの美しい歌にしか聞こえない。実のところ我々が得られないような感性や能力を持っていたりするのかも。
文章についてですが、普通っぽいけどそこらかしこ氏の文章だとアピールするような要素が満載で、やっぱり氏の文章だなと思えます。・・・まぁ、普通の定義って難しいですし。
永夜抄ですが、自分はExを全ペアでクリアしたころで燃え尽きましたね。ええ、Lunaとか無理。
そこまで疑問系でどうするよ私……orz
道が分からない・顔が分からない・風景が分からない、考えれば不幸な事ばかり。
でも、だからこそ少年にはミスティアの歌が聞こえた。
他の者とは違い、不吉に感じる事なくミスティアの綺麗な歌が聞こえる。
それは幸せな事なのか、それとも結局は耳しか聞こえないという不憫な事なのか。
でもきっとこの少年には幸せな事だったんでしょうね。
どういった作品が普通であるのかは読者様の個人で決まると思います。
それぞれの好みの問題もありますし、誰もが百パーセント普通と思う文章は難しいと思います。
私もいまだに東方はやりまくってますが、とりあえず永夜抄はスペルプラクティスで結界組なら全部ゲット程度。
気になったところ。
腰を抜かすものもある→ものもいる
こっちの方が自然な感じがしましたがどうでしょう?
粗はあります。ぱっと感じた物でも以下の3つ程。
1 見開きで文の端から端まで読めないのはストレスです。
2 文頭は一文字で開けてくれた方が、私は読みやすいです。
3 ()で括った文章の前後の地の文で混乱する事が何度かありました。
……けれど、凄く良い話でした。
盲目の少年とミスティア。こういう組み合わせなのか……と、読後にガツンと頭を殴られたような、そんな気分です。
何より『負けたから』という理由が最高。とっても妖怪らしい。ただ、それでいて少女的な何%かの照れ隠しも入ってそうで。
最後『もう歌しか聞こえない』を英文で反復させたのも、このなんともいえない雰囲気作りに一役買っていますね。
この話を読んで、ミスティアをもっと好きになれそうに思いました。
※普通の定義は人それぞれですから。私も昔気になった事はあったんですけれど、書きたい物を書こうと思ったら、気にしても仕方が無いなぁと(苦笑)
「不便と不幸は違うもの」と言っていたと思います。
目も言葉も不自由な少年は、確かに不便ではあったでしょうが、
不幸では無くなったようですね。
良かった良かった。
ミスティアと少年の、ほとんど言葉を必要としないやり取りが素晴らしいと思いました。
次回作もひそかに期待しています。
近代が好きなものとしてはとても読んでいて心地よかったです、特に冒頭。
そこに限らず、ミスティアと少年の微妙な関係も違和感なくまとまっているあたりさすがです。
次は誰だろうと期待しちゃいますよ、ということで。
気まぐれかと思ったら負けた…ですか
でもそれだけじゃないという感じがひしひしとしますね
あと、歌詞があっていると感じました。巧いです
いろいろと思うところがあるのですが、それは東方の住人にとっての普通で、私には普通の物語どころか、寓話のような暗喩に満ちたストーリーに感じられました。
考えすぎですか?
後ろ髪をひかれるような、不思議な余韻を後に残す作品です。
なんて、小学生並みの感想で恐縮です。
色々讃美しようかとも思ったのですが、言葉にして吐き出すとこの気分が抜け落ちてしまいそうだったので、ここいらでお暇させて頂きます。
眼福。
少年の目が見えないという不便さ。しかし、それは他の者の考え。当人にしてみれば、それはごく当たり前の世界。
時として、目に頼る事は害を成し、頼らざるからに物の本質を見極める事が出来る。
自分なりとしてはそう思ったからこそ、この少年に共感を持てました。
氏の文章はには何故だか深く心に来ます。